「……模擬戦、ですか? 私が? 明日に? 空戦の若きエースと?」
告げられた言葉の唐突さに狼狽して訝しげに聞き返すと、その突拍子のない要望を突きつけた初老の男性────俺の所属するこの隊の隊長であるところの彼は、「ええ、そのとおりです」と首肯した。
相変わらず決め顔にドラマの演技のような仕草が似合いすぎて、どこの俳優かと突っ込みたくなるようなお人である。
「模擬戦と言っても、一対一で行う親善試合の三番勝負です。あなたにはその先鋒を務めてもらいたいのですよ」
そんな風に格好つけながら話をされても何が何だか訳が分からない。いきなり何を言っているんだ、この人は。
こちとら少々骨な任務から帰って来て早々、先輩に報告書の処理を押し付けられて分隊長の所に行ったらちょうど所要で留守で、どうしましょうかと端末でその分隊長に連絡したらその辺の書類は臨時で隊長任せになっているから直接提出してくれと言われ、仕方なくこここまで足を運んで来るという長々とした工程を踏んだせいでただでさえ疲れ気味なのに、こういう意味の分からない冗談はやめて欲しい。
なんて思ってたんだが、話を聞くに冗談の類ではないようだった。
「相手の魔導師はAAAランクオーバーだそうですが、君なら相手も出来るでしょう。以前もAAA+ランクの違法魔導師を逮捕していたはずですし」
とか言いながら俺の肩をトントンと叩く隊長。
つーかちょっと待ってください。確かにそんな感じの大物逮捕した覚えはあるけど、あれは俺一人の力なんかじゃない。
地形の利用と仲間の援護とのコンビネーション、それから多少の運の要素が絡まりあい、それがたまたま型にはまったから成功したにすぎず、それを理由にそんな大役に任命されてもどう考えても荷が勝ちすぎる。
そんなに毎度毎度、上手いこと事が運ぶわけがない。
そもそもこの人の話じゃ、今回は一対一のタイマン勝負。おまけに場所はただの演習場ときているそうだ。
これでAAAオーバー相手にAAが勝てという方がどうかしている。
逮捕と対決では根本から戦い方が違ってくる。その上一対一じゃあ選択肢がさらに狭いじゃないか。
……まあ戦況分析はともかく、大体の大前提として、そもそもなぜこんな話が俺のもとへとやって来たのかの理由すらつかめていない俺はそのあたりの詳しい説明を要求することにした。
ああ、それもそうですねえ。と顎を撫でながら隊長が説明してくれた内容を要約するとこうだ。
自分の見聞を深め、腕を鈍らせないために、たまには知らない相手と真剣勝負をしておきたい。と言うのが戦技教導隊の方々の主張だそうだ。
で、今回たまたまそのお鉢がうちの隊に回ってきたらしい。
戦技教導隊の方々、航空武装隊との仲は良好のようで。
……しかしこれは困った。
話を聞いてると、やっぱり俺が勝てる相手とは到底思えない。それどころか、吹っ飛ばされてボコボコにされて気がついたら次の日の朝なんてこともありそうだから困る。
そんなことになったら、雑務が遅れてしまう。大体手柄が増えるわけでもないのに、そんな面倒なことやってられるかと思う。
んなことやってる暇があったら、俺は出世のために一つでも多く任務をこなしたいんだ。
てか、対戦したやつの中には、エースさんのあまりに桁はずれな強さを記憶海馬に焼きつけられ、エースさんにぶっ飛ばされる夢を毎晩見ているような人もいるのだとか説明されるとさらに萎えるんですが、あなたはいったい俺に何をどうしてほしいのか。流石に躊躇もしたくなる。
と言うか、そんな対戦の申し込みを私に回すあたり、
「あなたは私をつぶしたいのですか?」
「いえそういうわけではありませんよ。前々からそれを頼んでいた方が、つい今しがた入った急用の別件で少々手が離せないものですから、それならあなたにどうか、と思っただけです」
そして隊長は、「それに────」と思わせぶりに言葉を切り、
「君なら、彼女から一本とれるのではないかと少々期待を寄せてしまってもいるのですよ」
落ち着いた笑みを浮かべながらそう言うと、そのまま黙り込んでしまった。
……なんだろうこの沈黙は。もしかして俺の返事を待っているのだろうか。てかこの沈黙は結構辛い……。
辛いのでさっさと返事をして早々にこの部屋を立ち去ろうと思う。
「……申し訳ありませんが私は明日も仕事です。残念ですが今回は、別の方に機会を譲り渡そうと思います」
「おや、君ほどの人物でも彼女に勝つ自信はありませんか? ふむ、いくら神童と呼ばれようとも所詮は人の子ということでしょうかねえ」
「…………」
見え見えの挑発お疲れ様である。その嗜虐心の見え隠れする、相手の神経を逆なでするつぼを的確に押さえたかのような表情は見事な出来だとは思うけど、こっちもあなたの酔狂に付き合うほど暇も余裕もない。心にも体にも。
てなわけで、書類は提出したことだし、軽く流して仕事に戻るとしよう。
「そうですね、勝てません。ですので辞退させていただきたく思います。……用件がそれだけならば、私はこれで」
言いながらそのまま部屋を出ようとするが、素早い動きで隊長が俺の行く手に立ちはだかった。
「……まだなにか?」
「まあ待ってください。これもいい機会だと思いませんか」
「……どういう意味ですか」
「君が経験を積むいい機会だと言っているのですよ。確かに君は強い。ですがその強さはあくまで、この隊の中で確立しただけのものです。しかしそれだけでは、君の目的が果たせるかどうかは、五分五分と言うところでしょう」
「……」
「井の中の蛙大海を知らず……。君の場合はそう言うわけではないのかもしれませんが、私は君は一度、挫折と名のつくものを味わうべきではないかと思うのですよ」
「……それは、確かにそうでしょうが……」
「私は元から、勝てと言っているつもりはありません。ただ、君が上を目指したいというのなら、エースと持て囃されている人間の実力を目の当たりにして、自分の超えるべき壁にぶち当たるというのも悪くない体験だと思うのですがねえ」
それだけ言って、また口を閉じる隊長さん。
……どうしたものだろうか。
この人がそこまで言うのだから、そのエースさんとの模擬戦とやらには、それだけの価値があるのかもしれない。
そもそも、その案件をわざわざ他の隊員の人達に回さず俺の所へ持ってきてくれたというだけで、かなりありがたいことなんじゃないだろうか。
もっと別の、俺よりさらに優秀な人は、この隊にだってたくさんいる。
なのにこの人は、俺の将来のことを慮って、今回出来た空席を、わざわざこっちに回してくれたのだ。
「……分かりました」
「ほう……」
隊長が顎を撫でながら唸るのを目の端に捉えながら、俺は「少し失礼します」と言って端末を取り出した。
明日の仕事の予定をチェックして、訓練施設の予約をキャンセルする。
頭を下げて仲の良い同僚の人に書類整理を頼めば、少しは雑務も回るだろう。この見返りは……昼飯奢りで許してもらえるだろうか……。いや、もっと大きな出費を考えておいた方がいいかもしれない。
「……それで、正確な日程を教えてください」
「ええ、では早速」
自分の端末を取り出してそれの操作を始める隊長さん。俺は十一で空のエースと呼ばれる少女か。どれほど化け物じみた強さなのかね、なんて、栓ないことを考えていた。
氏名、誠吾・プレマシー。
年齢、14歳。
所属、航空武装隊。
階級、空曹。
職場での評判、中の下。
友人関係、普通。
家族関係、不良。
これは、そんな俺が人生の大きな転機を迎えた時期のお話である。
「へぇー、じゃああんた、明日の今頃には噂の空戦のエースにお目見えしてるってわけなのね」
「……まあ、そうなりますね」
隊長室を後にした俺がオフィスへ戻ると、ちょうどきりのいい所まで雑務を終えたらしい俺のパートナーさん────茶味がかった赤毛のショートカットな、瞳にエネルギーの充満した勝気な女性────ロロナ・ブレイク先輩に、「タイミングばっちしじゃん! さあお昼食べに行こう!」と襟首ひっつかまれてこんな所まで連れてこられた。
報告書を提出しに行ってから随分と時間が経っていたのもあって、首根っこ掴まれて連れて行かれた食堂の席で、
「つーかあんた何さぼってたのよ、あんなデータ一つ出しに行くのに随分と時間かけてたじゃない」
私はあれから別の雑務に勤しんでたってのにー、などと文句混じりに聞かれたため、どうせ明日のことも頼まねばならないしと先ほどあったことを説明することにした。
それを聞いたのちの反応が、さっきものである。
「で? 勝てそうなの?」
注文したカレーを口に運びながら、先輩が極めて気軽に聞いてきた。
俺は溜め息を吐いて答えた。
「……無理ですね。十中八九」
「うん? あんたにしては随分と弱気ね。いつもはもっとこう……ハイエナみたいにガーッて感じに勝利に貪欲なのに」
スプーンを持っていない方の手を獣の口のように見立てて俺の方へと伸ばしてくる先輩。
そのまま俺の注文したサンドイッチに手を伸ばそうとしたので、パシッと叩いてその手をはじく。
「女性がはしたないですよ。ロロナ・ブレイク、十八歳さん」
「さらっと女性の年齢を公共の場で口にすんじゃないわよこの紳士もどき。いいじゃないちょっとくらい。隣の芝生は青く見えるのよ」
「知りませんよそんなことは。食べたいのなら追加で注文をしたらいいじゃないですか」
「馬鹿ねー。あんたが食べてるのを横取りするのがいいんじゃない。ちょっと頂戴よ。ね、ね、ね?」
……なんて上司だ。性格の曲がり方が酷い。文句の一つでも言いたいところだが、でも我慢でも我慢。この人は上司この人は上司。
「……どうしても食べたいというのなら止めはしませんが、そんなに欲張っていると太りますよ?」
「そんなの、このあとまたあんたに付き合ってあの地獄の訓練コースこなすんだからチャラよチャラ」
手を払うように振りながらにべもなくそう言い放つ先輩。
確かにそれなりに心にクるトレーニングメニューに仕上げたとは思うけど、別にあなたにそれを強制したわけじゃないのだから、嫌ならばやらなくても構いませんよと言ってみる。
「なーに言ってんのよ。あんた一人だけあんな訓練してたら、そのうち私じゃ全く追いつけなくなっちゃうでしょうが。それじゃパートナー解散になっちゃうじゃない」
まあ、確かに。
基本的にパートナーを組む相手ってのは、相互に弱点を補い合えるくらいには実力が拮抗している必要がある。と思う。
で、今のこの課で俺の魔力量に近しい数値を持っていたのがこの人だ。
けど、私はまだまだ成長期の伸び盛り。一方あなたは、そろそろいろいろな成長にスピードダウンがかかってくる頃合いの年……て何で睨むんですか本当のことでしょうがちょっと待ってくださいすみません私が悪かったですだからやめてください私の腕の関節はその方向へは曲がりません。
……はぁ。
……で、そうなると、そのうち自動的にこの人と俺はコンビ解散になるというわけだが。この人はそれがお気に召さないらしい。
「だって、イジる相手を失ったら私の生活に潤いが無くなっちゃうしー」
結局それである。本当にシリアスってもんが数秒と続かない人だった。
「ついでに言うとあんたみたいなクソガキに戦闘ステータスで負けてコンビ解散しましたーなんて話になったら、お姉さん末代までの恥じゃない」
酷い言われようだった。
と言うか絶対前半より後半の理由が強いのだろうなこの人。そりゃ俺だって同じような状況になったら負けたくは無いと思うから気持ちは分かるけど。
しかしだ、俺の方としては今のところはこの人以外と組むところが想像できないほど相性がいいのは確かだ。
意識的になのか無意識的になのかは知らないが、この人と来たら気持ちがいいくらい俺の動きに合わせて的確な援護をしてくれる。
たとえこの人があの訓練をする理由がどんなものであろうが、俺に合わせるために付き合ってくれるというのであれば、ひたすらありがたい話である。
それに、俺は、この課で────…
「で」
「え?」
「だから私に明日の仕事を交代してほしいって?」
いきなり声音が変わったので何かと思えば、どうやら事情説明のついでに切り出した、明日の仕事の件のようだった。
俺は手元のサンドイッチを掴んで口に運びながら、
「……出来れば、という話ですけどね」
「なーに甘ったれてんのよ」
「……え」
「私たち今日このあと、任務待機入ってないわよね」
「ええ、はい」
「あーいやだわー。私今夜は眠れないわねー。ただでさえ最近忙しくてまともな睡眠取れてないってのに、これじゃ肌荒れひどくなる一方だわ」
「……なるほど。ありがとうございます。ご協力感謝します」
遠まわしに言うものだから気付くのが遅れてしまった。
確かに、今から明日の分まで雑務をかき集めて処理すれば、一日分の空きくらいは作れるかもしれない。
それにわざわざ付き合ってくれるというのだから、こちらとしては願ってもない好条件だ。
「別にお礼なんかいらないわよ。むしろそのうち今までの貸し一気に全部返済させるためにエステとか連れて行かせるかもしれないから安心なさい」
「全く安心できなくて笑えますね、その冗談」
「残念。笑えなくて正解になるのよ。半ば本気だから」
「……は、ははははは。……はぁ」
どうやら事態は、昼飯なんて軽い物では済まない状況になってしまいそうである。やっぱ、あんまり人からいろいろ借りるもんじゃないなあなんて、一つ人生の教訓を心に刻み込んだ俺だった。
2009年10月2日 投稿
2010年8月29日 改稿
2015年7月26日 改稿