神と俺のコイントス第17話 連なる試練。ちょっ!やめてホントマジで!足に込めた力が地を蹴りつける。そしてその力に応じた分だけ体は前へと飛び出す。体が風を切る感覚は嫌いではない。速く走れば走るほどこの身が風と共になるのが感じられる。陸上部なんかに属する人はこの感覚が好きで走っているのだろうか。頬を撫で風が髪を揺らす感覚に神楽坂明日菜は歓声を上げた。「私!風になってる~~~!!」「現実逃避してんじゃねええええええええ!」後ろで上がった怒声にアスナの意識は現実へと戻ってきた。周囲の景色が目に入ってくる。左右を遮る巨大な本棚。壁のように屹立するそれによって、アスナたちの走るフロアは一本道のレースコースのような様相を呈していた。相変わらず難しそうな本やら、古びた(価値がありそうなともいう)本がきっちりと詰められているが今のアスナにそれをじっくり観察する余裕はなかった。ぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅ悪魔の足音が後ろから迫る。気の抜けるその音は悪魔の足の肉球が奏でる不協和音だ。本来どこかほほえましくすらある音は、今まさに恐怖の源として君臨していた。首だけ振り返って後ろを見る。すぐさまアスナたちを追うものの姿が目に入った。というか眼に入れざるを得なかった。わりと大きな通路だがその半分以上を埋める巨大なそれは犬だった。まき絵が涙目になって悲鳴を上げる。「あ~ん。なんで私たちがチワワに追われなきゃいけないの~!」そうチワワだ。アスナたちを追う捕食者はチワワだった。ただし巨大な、と前につくが。「それはきっと俺達が魔法の本を取りに来た侵入者だからだ」最後尾を走る誠亜が真面目な顔で答える。その隣をネギがひーこら言いながら走っていた。誠亜が最後尾を走っているのはいざというときに皆をかばうためだろう。一方ネギが最後尾を走っているのは単純に魔法の力がないため皆についていけないからだ。「それにしても大きいな~。ウチこんな大きなチワワ見たのは初めてや」このかが可愛い鳴き声とともに追いかけてくるチワワを見ながらのんびりと言う。まあ普通の人間としてはもっともな反応だ。神を知っている面々からすればこれぐらいやるだろうとどこか納得できるのだが、まき絵や夕映、このかはそうはいかない。古菲もそうなのだが、なんか彼女にはあっさり受け入れてしまいそうな雰囲気があった。実際古菲自身、誠亜や楓とともに凄まじい強さを見せている。このかの問いに誠亜が焦ったようにひきつった笑みを浮かべる。左手を泳がせて、何かを必死に考えているようだった。「つまりあれだ。とある研究機関が生み出した実験動物だ。研究機関ジーオーディー。へのへのもへじもケルベロスもそこで開発された生物兵器なんだよ。実験を兼ねて今回魔法の本の警護のために貸し出されたってわけだ」苦し紛れに適当なことを言う。だがこのかもまき絵もそれにつっこむ余裕がなかったためか、特に疑われることはなかった。「大きくてもかわえ~な~」このかが微笑みながら言う。いくら可愛くても、もとがチワワでも、これだけの大きさになると脅威以外のなにものでもない。だからこそ今アスナたちは必死に逃走しているのだ。「気を許しちゃだめですよこのかさん!いくら可愛くてもあの巨体の持つパワーは本物です!僕達の体なんて簡単に食いちぎっちゃいますよ!」ネギが真剣な表情で注意を促す。その光景を想像したのかまき絵が顔を青ざめさせていた。だがそんな危機感にとらわれる面々に誠亜が暢気な声をあげる。「いやそれはないんじゃねえかな。安全に趣旨変えすると宣言したあとで出てきたわけだから、つかまっても喰い殺されるってことはないはずだ」「え、そうなの?」意外な事実にアスナが問い返す。すると誠亜が口を開くより早く、天から低めのダンディな声が降ってきた。『その通りだ!』突然聞こえてきた声に夕映やまき絵達がきょろきょろと周囲を見回す。だがどこにも声の主の姿は見えなかった。アスナにはこの声に聞き覚えがあった。呂布事件の時やそれ以外の時でもちょくちょく見かけることのあった男の声だ。この素っ頓狂な、けれども凶悪な罠たちの主、諸悪の根源、終末を描くもの、神だ。鬚を生やし、髪をオールバックにして渋い声で話すダンディなおじさん。だがその服のセンスと行動の破天荒さは壊滅的であった。天からの神の声は続く。『そのチワワは特別製だ。食われても怪我ひとつせん!』皆の顔に安堵が浮かび、自然と足が緩む。だがただ一人誠亜だけは何かを警戒するような表情で押し黙っていた。彼女はもっとも神の被害を受けている者だ。その彼女が何かを感じ取っているのならそれをおろそかにするべきではないだろう。一体何が来るのかわからない恐怖にアスナが冷や汗をかいていると、油断している皆に神の災厄が降りかかった。神がさらりと地獄の具現のごとき言葉を吐く。『ただしそいつに食われるとウン○と一緒にケツから出されることになるだろう!!』「死ぬ気で走れええええええええええ!!」「「「「「「ラジャー!!」」」」」」誠亜の絶叫に誰一人迷うことなく答えて今までの数倍の必死さで走り出した。とうぜんだ。神の言い放った内容は死力を尽くして逃げるに値するものだ。もしあのチワワにつかまって宣言されたとおりの目にあわされたら一生夢に見る自信がある。体育祭の徒競争だってこんなには必死に走らない。遅刻でイエローカードがそろいかけている時だってこれほど必死になりはしない。皆力の限り走る。だがそれでもなおチワワの方が速いようだった。じりじりと距離が詰まる。楽しそうにこちらを追いかけるチワワを一瞥して、誠亜が低い声で唸った。「しかたねえ。ここは最終手段を使うしかねえな」「何か切り札があるんですか!?」隣を走るネギの顔がぱっと明るくなる。体力的にきついのもあり、ちらりと見えた希望の光に喜びが隠しきれないのだろう。それに誠亜は真顔で頷いた。真剣そのものの声で言う。「うむ。まずは奴の口にネギを放りこむ」「ちょっと!しょっぱなからなんかおかしいですよ!」涙目で悲鳴のような叫びをあげるネギ。しかしそれを誠亜は子供をあやすように手で押さえて言葉を続けた。「話は最後まで聞け。飲みこまれかけたネギが奴の口の中で腕をつっぱって奴の口を封じればそれ以上誰かが食べられることはない」「なに真顔で言ってるんですか!今は冗談言ってる場合じゃないんですよ!」非難がましい視線を誠亜に向けてネギが咆える。ただでさえ走るのがきついのに叫ぶものだから、小さな体が少しふらふらしていた。そんなネギに誠亜は包み込むような優しい微笑みを浮かべる。普段少しきつめの表情をしていることが多いのでこのギャップは強烈だった。一瞬見とれて黙るネギに普段とは打って変わった優しい声音で言う。「いいかネギ」「は、はい」ネギも毒気を抜かれたような声で答えた。それを見て誠亜はゆっくりと頷く。そして言った。「教師には生徒を守る義務があるんだ」一瞬意味が分からず思考を停止させるネギだがすぐにその言葉の意味を理解して叫んだ。「…………!本気ですね!本気なんですね!本気で僕を犠牲にするつもりですね!」涙を浮かべたいたいけな9歳児を誠亜は笑顔のままで切り捨てた。「俺はいつだって本気さ」「余計たちが悪いです!ていうかそれを言うなら誠亜さんにもみんなを守る義務があるでしょう!!」ネギの言葉に誠亜は微笑みを消すといつもの狼のような眼で、不思議そうな顔を形作って首をかしげた。「なんで?」ネギは焦りとわずかな憤りを含めた声でまくし立てる。「誠亜さんは強いじゃないですか!僕たちまほ……ンンッ!力あるものはその力を弱きものを救うために……!!」その言葉を遮って誠亜がどこか底の抜けた笑い声をあげた。「はっはっは。いいかネギ。ぶっちゃけ強者に弱者を救う義務なぞないんだよ。強者は弱者のために強いわけじゃないんだからな。まあそういう奴もいるんだろうが」「わお!誠亜さん言い切りましたね!しかも笑顔で!さりげなくそのセリフは微外道のかほりがしますよ!」なんだかネギのテンションが高い。追い詰められている状況とその先に待つある意味死よりも恐ろしい地獄に精神が昂ぶっているのかもしれないしかし見る限り誠亜に特別なことを言っているという気負いはない。当たり前の自分の考えを述べているだけという感じだ。誠亜の考えは前にちらりと聞いたマギステル・マギの考えとは大きく喰い違っている。常のネギならば誠亜を諭そうとするのかもしれないが、今のネギにそんな余裕はないようだった。「さあ!おとなしく俺達のために犠牲になれ!なに、死ぬわけじゃない!」「いやですよ!何ですか!?誠亜さんは僕に何か恨みでもあるんですか!?」涙を流しながら叫ぶネギに誠亜は呵々大笑して言い放った。「はははははは!何を言うんだネギ!お前に恨みなどない!ただ純粋に一切の悪意なくお前を切り捨てているだけだ!」「むしろ駄目ですよ!!悪意だけじゃなくて情けもないし!!」ネギの言葉に誠亜は心外だといわんばかりに憤慨して声を張り上げた。「人を冷酷非情みたいに言うな!」「自覚もないし!!」叫びながら最後尾を走る二人を呆れながら眺めているとこのかが頬に手をあてて言った。「なんや二人楽しそうにしとるな~」「いやけっこう修羅場だと思うわよ」汗を一筋流しながらアスナがつっこむ。二人の言いあいはチワワでは通れない出口にたどり着くまで続いたのだった。「ああくそ。どっと疲れたわ。やっぱベクトルの違うダメージがかかってたからかね」言葉とは裏腹に平気な顔で誠亜が言う。同じように楓と古菲は疲れた様子もない。つくづく凄まじい体力だ。アスナもまき絵もこのかも少し息を切らしているというのに。「僕はもっと疲れましたよ。何せ人身御供にされそうになったんですから」うらみがましくネギが言う。途中一度誠亜が本気でネギに足をかけかけたことを言っているのだろう。深呼吸して息を整えたまき絵がフロアを見渡して小さな悲鳴を上げた。アスナもまたその声に視線をフロアへと巡らせる。そこは先ほどとは別の意味で一本道だった。ひたすらに背の高い本棚がまるで橋のように続いており、その上を歩くようになっていた。シャレにならない高さで、落ちたらどうなるのか想像したくない。それはまるで深い渓谷にかけられた頼りない細いつり橋のようだった。つり橋より良いのは揺れないことか。まき絵はすでに気圧されている。『よくぞチワワの試練を突破した!』空から神の声が響いてくる。それに無意識に顔をあげた。別に空中に神がいるでもなし意味のないことだった。見れば周囲の皆も同じように上を見上げていた。ただなぜか誠亜は地の底を睨んでいるように下を向いている。『だが試練はまだ終わりではない!勇者たちよ!見事我が試練を乗り越えてみよ!』のっけから妙なテンションで語る神に古菲が無表情につっこむ。「なんか妙なノリになってるアルね」「乗り切るしかないでござろう。どこにいるかわからぬ故拙者達には手を出せぬでござるしな」楓が嘆息しながら言う。アスナは拳を握り締めながら周囲を見回した。非常に広く開けたフロアで思い出したようにやたらと背の高い本棚があちらこちらに配されたその部屋はおおよそ図書室としての利便性に富むものではない。なにを考えてこの図書館を作ったのか正直理解に苦しむところだ。空から神の能天気な声がエコーをかけて響きわたった。『次なる試練はキューピッドだ!』意外と言えば意外な内容にアスナは軽い驚きとともに片眉を跳ね上げた。まき絵がほっと胸をなでおろす。「キューピッド?よかったぁ。なんか今度は危なくなさそう」「まあさっきのも肉体的には危なくねえんだがな」淡々と誠亜が言う。その顔にはあからさまな不信感があった。『出でませ!恋のキューピッドォォォォォ!!』神の叫びが図書館島を揺るがす。光の柱がアスナたちの前方を貫き、それが甲高い音ともに砕け散ると中から人影が現れる。それを目にした瞬間アスナたちは全員揃って凍りついた。3メートルを超す筋骨隆々とした大男が天使っぽい純白の服を着て、頭の上に光の輪を乗っけて立っていた。手にはピンクのハート型の矢じりを備えた矢を番えた弓を構えている。背中には申し訳程度に白い天使の羽が生えていた。「「「「「「恋のキューピッドぉおぉ?」」」」」異口同音に言う。どう考えても眼の前のそれはキューピッドと聞いて連想する代物からは激しくかけ離れている。半眼で頬をひきつらせ、ネギが呟いた。「神さんは……ものをまともに作れないんでしょうか」それに全く同じ表情でアスナが答える。「そうね~。常にこちらの予想とか常識とかの斜め上をついてくるわよね」その隣でこれまた同じ表情で誠亜が嘆息しながら付け加えた。「なんか俺はもうだんだん諦め始めてきたよ」「グオオオオオオオオオオ!」キューピッドが咆える。はっきり言ってキューピッドというより魔獣である。呆気にとられていたアスナたちだが、キューピッド?が番えた弓を引き絞ったのを見て慌てて動き出した。バラバラに逃げようとして、そこが連なる本棚の上に過ぎないということに気づく。声にならない悲鳴をあげてアスナはこのかを押し倒した。伏せたアスナの頭上を凄まじい勢いで矢が通り抜けていく。同じように楓がまき絵と夕映を伏せさせる。誠亜がネギの首根っこを掴んで引きずり倒した。前にいた仲間たちが邪魔で一瞬反応が遅れた古菲が迫りくる矢を見てあわてて身を反らす。古菲の胸をかすめてハートが風を裂いて行った。「古菲ちゃん!危ない」咄嗟に声を張り上げる。安堵の息をつく古菲の後ろで矢が鋭角に反転して襲いかかっていた。「へ?」間の抜けた声をあげる古菲の後頭部に景気のいい音を立ててピンクのハートが突き刺さった。「古菲!」ふらりと倒れる古菲を隣にいた誠亜が受け止めた。肩を掴んで揺さぶる。「古菲!おい!大丈夫か!」眼の前で矢が人の頭に突き刺さる光景にまき絵が涙をにじませて震える。楓は皆とキューピッドの間に立って油断なく巨人を見据えた。「う、ううん」かすかな呻きとともに古菲が眼を開く。その様子に誠亜が安堵の息をついた。「ああよかった。どうやら今回も危険は少ないようだ……な……」誠亜の言葉が次第に力を失っていく。不審に思って覗き込むと誠亜が頬を引きつらせてだらだらと冷や汗をかいていた。さらに不審に思うと誠亜に肩を抱かれた古菲が瞳を輝かせて……(輝かせて?)さらに覗きこむと古菲が瞳をピンクのハートに変形させて誠亜を見つめていた。体自体もピンクのオーラを纏いだす。「く、古菲?」身を襲う嫌な予感に身を震わせる誠亜の手をしっかりと握りしめると古菲はどこか上気した顔で詰め寄った。『ああ。ちなみにそのキューピッドの矢に当たると、ククッ、最初に見た人間に強烈な恋慕の情を抱くからな』空から降ってくる、笑い交じりの声に誠亜は思わず叫び返した。「やっぱりかあああああ!畜生!そんな気がしてたんだ!」「今ビビっと感じたアルよ!誠亜こそ運命の人ね!」「とち狂ってんじゃねえ!」強引に組みつく古菲を力の限り抑えながら誠亜が声を張り上げる。いかなる力が働いたものか古菲の腕はぎりぎりと音を立てながら誠亜の体に差し迫っていく。「とうおっ!」掛け声一閃、古菲は誠亜の腕を弾くとその体に抱きついた。「ぶぐぉ!」あまりの勢いに誠亜がボディブローでも食らったかのように苦鳴を洩らす。しかしそんな誠亜の様子はお構いなしに古菲は誠亜の胸に顔を埋めた。「ふ、ふふふ……さあ誠亜。このままめくるめく甘美な世界に飛び込むアルよ」柔らかな胸から顔の上半分をのぞかせながら明らかに正気ではない興奮した声音で古菲が言う。その気迫に誠亜は息を飲みながら古菲の腕を掴んだ。背に回されて誠亜の体をがっちりとホールドしている古菲の腕を引きはがしにかかる。「落ち着け古菲!お前は今神の力で暴走しているだけだ!理性を取り戻せ!」「ふふふふふふ関係ないアル。関係ないアルよぉぉぉぉぉぉ」「怖いぞお前!あっ、こらやめろ!どこ触ってる!」誠亜の指は古菲の腕にがっちりと食い込んでいるが腕自体はびくともしなかった。「なんだこのパワー!明らかに強すぎだろ!クソ神め!また何か余計な付加効果つけてやがるな!」なんだかくんずほぐれつ大変なことになりそうな気配の二人にアスナは息をのんだ。となりではまき絵もまた頬を朱に染めて二人を凝視している。このかは状況がわかっているのか、頬に手をあてていつもの表情で眺めていた。「だめやえ~。女の子同士なんて」「論点そこ!?ていうか助けろよお前ら!」悲鳴のようなツッコミをする誠亜に夕映が視線をそらしながら答えた。「誠亜さんの力でびくともしない今の古菲さんを私たちがどうにか出来るわけがないです。別の方法を考えますのでそれまで頑張って耐えてください」「あれ!?なんか投げやりに聞こえるのは俺の被害妄想か!?くそ!これがネギを見捨てようとした罰だとでもいうのか!だが俺は後悔はしない!後悔はしないが逆恨みはするぜ!人にばちをあてるものそれすなわち神!あとで殴ってやる!」誠亜はだいぶ追い詰められているようでよくわからないことを口走りだす。アスナは服の裾を引っ張られる感覚に視線を移す。ネギが困惑しきった顔で古菲に押し倒されそうになっている誠亜を指さしてこっちを見ていた。「た、大変ですよアスナさん!止めないと!」「そ、そうね。なんか今の古菲ちゃん誠亜より力が強くなってるみたいだし、ほっといたらR指定が展開されそうね……!」視界の端にきらめく一条の光が見えた。それがキューピッドの撃った矢なのだと気付いたときには、先ほどの古菲の時と同じように景気のいい音を立ててネギの側頭部にハートアローが突き刺さっていた。ネギの眼はこちらに向いている。気がつけば。アスナはネギの頭をわしづかみにしていた。そのままネギの首をごりっと捻る。ひねられたネギの視線の先には偶然、古菲に押し倒されかけている誠亜の姿があった。「おいいいいいいいいいいい!!」誠亜の悲痛な絶叫が奇怪な図書室に響きわたる。無情にもネギの体がピンクのオーラを噴き出した。瞳がピンクのハートに変わる。「アスナァァァァァァ!!」涙目になって誠亜が叫ぶ。「ごごごゴメン!つい!」咄嗟にやってしまったことで悪気はなかったのだ。あわてて頭を下げて謝るが誠亜は見ていなかった。誠亜の意識がネギとアスナに移った一瞬の隙をついて古菲が誠亜を押し倒していたからだ。古菲は誠亜の体に馬乗りになると左手で誠亜の両の手首を押えて眼を爛々と輝かせる。「ふふふ。さあここから一気に駆け抜けるアルよぉぉぉぉ!」「ちょっ!やめっ!ボタン外すな脱がすな手ぇ入れんなぁぁぁぁぁぁ!」とりあえずなんか見てはいけない気がしてアスナは視線をそらした。頬が熱くなっている気がする。まき絵は眼を手で隠しながら指の隙間からガン見していた。古菲が荒い息をつきながらかなりヤバめな感じで口を開いた。「抵抗は無駄アル!さあ誠亜の“初めて”ワタシに捧げるアルよ!」「誰がお前にやるかあああああああ!」かなり追いつめられ気味な叫び声をあげる誠亜。だがその渾身の抵抗も今の古菲の前には焼け石に水だった。もはや一巻の終わり。その華を散らすしかないのかと誠亜の胸に絶望がよぎった瞬間、力強い声が響き渡った。「やめてください古菲さん!」古菲が手を止めて視線をあげる。声変わりする前の幼い声が今は不思議と力強く頼れるものに聞こえた。赤い髪を風に揺らしながら、小さな魔法使い、ネギ・スプリングフィールドがそこに立っていた。魔法を封じてしまい、今は無力な9歳児のはずだ。だがアスナの眼にはその姿は今までで最も力強く、雄々しく映る。「ネギ……」自然と言葉が口をついて出た。神の生み出したキューピッドの矢を受けながら、その効果に抗い一人の教師として生徒を守るために立ち上がったのだ。そこには一人の立派な教師の姿があった。アスナは確かな感銘とともにその小さな、けれども大きな背中を見つめる。その背中によく知らないはずのマギステル・マギの背中を幻視した。ネギが凛々しい表情で、力強く言の葉を発す。その場の誰もがその言葉に耳を傾けていた。「誠亜さんの“初めて”は僕のものです!!」どうやら抵抗できてなかったようだ。(あ、死んだ)誠亜の眼がである。なんかもう神は死んだと眼だけで雄弁に語っていた。いや神が死んでいないからこそこんなことになっているのだが。ピンクのオーラを纏いながらネギが参戦する。二人がかりで誠亜を組み伏せ、そして誠亜の体の上で視線をぶつけ合っていた。古菲が声を張り上げる。「誠亜は渡さないアルよ!」「いやそもそもお前のもんでもないし!」誠亜がかなり追いつめられたツッコミを入れるが古菲は完全に無視した。ネギもまた負けじと声を張り上げる。「それはこっちのセリフです!彼女は僕のものです!」「お前のもんでもねえよ!」またも悲鳴に近い叫びをあげる誠亜を無視するとネギと古菲は視線で火花を散らせる。「痛たたたたた!ちょっと手ぇ離せ!俺じゃなかったら骨が折れてるぞ!」だがやはり誠亜の声を二人は聞かない。ひとしきり睨み合った後、古菲とネギは全く同時に誠亜の方に振り向いた。声をハモらせて言う。「誠亜はどっちのものアルか!?」「誠亜さんはどっちのものですか!?」「どっちのでもねえええええええ!」泣きながら誠亜が絶叫するがそれも二人を止めることはできなかった。古菲は真剣な表情で言う。「仕方ないアルね!ならば二人で分けることにするアル!」「分けるって何だ!分けるって!」誠亜の叫びはなんかBGMのようになりつつあった。つまり誰も反応しない。ネギは古菲の言葉に訝しげに眉をひそめる。「分ける?どういうことですか?」問うネギに古菲は不敵な笑みを浮かべると人差し指をたてて左右に振った。「わかってないアルね、ネギ坊主」古菲は人生の先達としての余裕を滲ませた笑みを浮かべると、拳を掲げて力強く言い放った。「“初めて”は一つじゃないアル!それを二人で分け合えばいいアルよ!」どう考えても無茶苦茶な言葉にネギが天の導きでも受けたかのように眼を輝かせる。「なるほど!」果てしなく暴走する二人に誠亜が果てしなく悲痛な、悲痛すぎる叫びをあげた。「なるほどじゃねえ!!てか何されるんだあああああああああああ!!!」あまりの可哀そうさに駆け寄って手を伸ばす。しかしアスナの手はネギの体に触れる前に何かに弾かれた。見えない壁のようなものでもあるかのようだ。原理は分からないがおそらく神の仕掛けたものだろう。いまのアスナではどうあっても二人を止められないということだ。思わず視線をそらすと何かが砕ける音が響いた。振り向くと、楓が通路である本棚の一部を砕いて膝をついていた。「やれやれ。軌道が変わる矢というのは思ったより面倒でござるな」いつの間にかキューピッドと戦っていたらしい。視線を隣で同じように楓の戦いを見守っている夕映に移す。夕映はこちらを一瞥すると視線を楓に戻しながら口を開いた。「どうやらあの矢の効果は弓を壊すと消えるようで。いま現在楓さんが戦闘中です」「そうなの!?」夕映が無言でうなずく。誠亜が救われる可能性がでてきたこといアスナは素直に歓声を上げた。しかし、夕映は真剣な表情で楓の背中を見つめている。「ですが時間があまりありません。誠亜さんの貞操が無事であるうちに倒さねば意味がないです」その瞬間図書館島に悲鳴が響く。「キィヤァァァァァァァァァァァ」頭の中のどこかが誠亜の女の子らしい悲鳴を聞くのは初めてだと、そんなどうでもいいことに気づく。「どうやらこれ以上時間はかけられないようでござるな」楓が真剣そのものの表情でキューピッドを睨みつける。キューピッドは番えた弓を引き絞りながら視線を返した。流れる沈黙。停滞は一瞬。楓とキューピッドは同時に動き出した。楓の体がかき消え、10メートルほど先に現れる。それと同時に飛翔するハートの矢が楓の額めがけて突き進んだ。楓は矢に向かって自ら踏み込む。当たる寸前で首を傾けて矢を躱すと、楓はさらに一歩踏み込んだ。疾風よりも早く楓の体がキューピッドへと迫る。しかし矢はそれで終わりはしない。古菲の時と同じように矢は鋭角に方向転換すると、楓の背中に向けて直進した。矢は楓より速いらしく、前を行く楓の背中にあっという間に追いついた。その背中を抉る瞬間、またも楓の姿がかき消える。キューピッドの眼前に出現した楓は、巨人の手に握られた弓に手を伸ばした。矢とはわずかに距離が開いている。第2射の準備はまだだ。勝った。そう喜ぶアスナを嘲笑うがごとくキューピッドはこちらの度肝を抜く行動に出た。弓から手を放して、そのバスケットボールのような巨大な拳で楓の体を打ちすえたのだ。楓の体が本棚に叩きつけられて、木製のそれを粉砕する。だが楓は声一つ洩らさない。それどころか最初からいなかったかのように消えてしまった。その一瞬前、キューピッドの横手、何もない空中から楓が手を離された弓に向かって飛びついていた。まるでマンガの忍法でも使ったかのような動きだ。だがキューピッドもただでは終わらない。怪物のような雄たけびとともに丸太のような腕を横薙ぎに振るって楓に向かって叩きつけた。つくづくキューピッドというイメージからかけ離れた存在である。だが楓の方が何枚も上手だった。迫る豪腕にいつのまにつかみ取ったものやらキューピッドの放ったハート型の矢を突き立てる。キューピッドの眼がハート型に変わってピンクのオーラを纏う。雄たけびとともに掴みかかるキューピッドの腕を身をよじってかわすと、楓はその腕を蹴って弓をつかみ取った。後ろからキューピッドの腕が伸ばされるが、楓の体は空中でまたもかき消えた。次の瞬間、本棚の上に現れた楓の手には真っ二つにへし折られたキューピッドの弓があった。キューピッドが野太い悲鳴をあげる。あまりの音量にアスナは咄嗟に両手で耳をふさいだ。フロア全体を揺るがす断末魔が途切れた瞬間、キューピッドの体が砂のように崩れ出した。それを見届けて楓はゆっくりと立ち上がった。手の中の弓がキューピッド本体と同じように崩れて消えるのを見て楓は振り向いた。「とりあえずこれで古菲とネギ坊主は正気に戻ったはずでござる」楓の圧倒的な動きに呆然としていたアスナは、その言葉に我にかえってネギたちの方へと振り返った。そして止まる。そこには微妙な空気を充満させて静止した空間があった。地に組み伏せられた誠亜は完全に前をはだけさせられていた。その右手は古菲に、左手はネギに押さえつけられている。ネギと古菲は微動だにできずに眼をまん丸に見開いて、冷や汗を滝のように流した。その様子からして暴走していた間の記憶はあるようである。誠亜は顔を真っ赤に染めながらその狼のような眼に涙を滲ませて二人を睨みつけていた。いつも気丈で強気な彼女のその表情のギャップはかなり可愛いのだがそんなことを気にする余裕は古菲とネギにはない。恐る恐る二人は視線を持ち上げる。ネギの頭の上には誠亜のブラジャーが、古菲の頭の上には誠亜のパンツが乗っかっていた。さらに恐る恐る視線を下げていく。先と同じ表情を通り過ぎて視線はさらにその下に。そこには健康的な肌が必死の抵抗のためか汗ばんで相反する艶やかな色気を持ってそこにあった。脇腹にかなり深い、まるで獣の爪に引き裂かれたかのような傷跡があり、また少しわかりにくいが胸の谷間にまるで大剣でも突き立てられたかのような大きな傷跡があった。いや今着目すべきはそこではない。古菲とネギも現実逃避するのをやめたのか視線を少し上に戻した。かなり大きな、それでいて大きすぎないとても綺麗な形の肌色の双丘がそこにあった。しかも何かがそれを鷲掴みにしていた。生で。十秒ほどして古菲とネギはそれが自分の手だと認めることにしたらしい。混乱と困惑、罪悪感と焦燥が加速し、二人の精神をかき乱す。誠亜は何を言うでもなく黙って二人を睨んでいた。それがかえって二人の心を打ち据える。下手に怒鳴るよりも深く抉った。しばらくして古菲とネギは全く同時に声をハモらせて言った。「「素晴らしい揉み心地で」」図書館島にゲンコツが脳天を打つ音が響きわたった。しばらくして、服を整えその間ずっと土下座していたネギと古菲を立たせたあと、誠亜がこっちが心配になるぐらい疲れ切った表情で言ったのは「山に帰りてぇ」という言葉だった。それを聞いたネギと古菲が再びスライディング土下座した。あとがきヌゲヴァ!!(謎の悲鳴)またも終わりませんでした。考えてあった図書館島での神の悪戯ネタを書いていったら、またも長くなりました。全部書いても次の話で確実にメルキセデクの書の間に到達しますが、いっそカットしてサクサク話を進めた方がいいのかな?まあとりあえずそこそこギャグをやれたので少し満足です。しかし後半はちょっとエロいかな。原作でも裸でニアミスして間違って押し倒して胸触るぐらいならやってた気がするし、これぐらいなら問題ないと思ったのですが、大丈夫だったでしょうか?とりあえず、今後はこんな描写はないと思います。主人公、後半完全戦力外だったですね。拙作ですが是非これからもお付き合いください。