ミノタウロス、という存在についてご存知だろうか。
そう、かの有名なギシリア神話に登場する半人半牛の怪物である。迷宮(ラビュリントス)に閉じ込められた魔物。ただ注意が必要なのは類似の怪物にケンタウロス、というものがいることだ。こちらは下半身が馬で上半身が人であるのに対し、ミノタウロスは下半身が人であり上半身が牛である。
え? 牛と馬で違うだろって?
バカ、問題なのはそこじゃないんだよ。重要なのはミノタウロスの足が人だってところ! おかげで何とか今のところは逃げ切れているんだから!
「ていうかあれって食べられるの!? ねぇ!?」
「馬鹿よく見ろよ、あの無駄に長い青白く変色した舌を! 多分塩ダレで食べるんだぜ!」
「ごめん私いらないよ!」
「俺も、いらん!」
障害物の岩山を乗り越えジャンプ! 息も絶え絶えに走り続ける。出口? 知らないよ、そんなの!
魔獣ミノタウロス。魔獣のカテゴリに入っているのには驚きだけど、一応幻獣ハンターがそう定めているのだから文句は言えない。まあ人並みの大きさのアリさんが繁殖する世界だからね。例え神話の世界の化け物が居たとしても驚きはしないんだけど。
それこそ迷宮のような岩窟の中、「にょるんにょるん」と奇妙な掛け声をかけて全速力で追いかけてくる牛頭。下半身が馬でないのは、それでも不幸中の幸いだと………思いたくはない! だってぶらんぶらんとでかい人型の逸物が揺れているんだよ! 獣に部類するなら服は着ないだろうけど、あれって猥褻物陳列罪に相当すると思うんだよね!
戦えば打倒することも今の私たちならきっと無理ではないだろう。でもね、人にはどうしても生理的に受け付けないものがあるんだ。とてもではないけど、あの気持ち悪い色の舌から涎を撒き散らすあれの顔と股にぶら下がるでっかいのを直視できるとは思えない。
この戦い………犠牲なしでは乗り切れないかも。
「コンちゃん、コンちゃん、囮作戦って知っているかい!?」
「身を挺して俺を守るというのか! すまねぇホタル! 恩に着る!」
「ちくしょう! コンちゃんと同じ思考回路だとは………!」
美少女を庇うのは男の誉れだとは思わないのかこの男! 美少女は国家に守られてしかるべきなんだよ!?
涙を呑んで走り続ける。そもそも私たちがこんな目に合っている理由を話すには、コンちゃんが「弁護士を呼べえぇぇぇぇぇぇぇ!」と叫びながら飛行船の中、屈強な男たちに尋問を受けていたときまで時を遡って語らなくてはならないだろう。
せめてもの現実逃避だ。選択肢を間違えてしまったあのときについて語ろうじゃないか。
コンちゃんに私の恥部をまじまじと見られ、メンチ師匠にお股を摩られ、ブハラ師匠からは飴玉を貰ったお空の旅。
そんな平穏無事とは言い難い飛行船が無事空港に到着した後、両手に手錠をかけられ連行されるコンちゃんは、何とかメンチ師匠が頑張ってくれたらしい。帰って来たコンちゃんの顔は若干やつれていた気がするが、社会的な死は何とか免れたわけでそう落ち来なくても、と宥めておいた。フライトアテンダントの軽蔑の眼差しは止まずコンちゃんに注がれていたわけだけど、それを言わないのは優しさだろう。
まあここで会ったのも何かの縁。というか私もコンちゃんもお世話になったんだから、お礼をしましょう、ということでメンチさんお勧めのヨークシンのお店でお食事会を開くことに。まあ折角出会ったプロハンターなんだから逃がさないよ、という下心もあったんだけど、さすが美食ハンターだけあってお勧めしてくれたお店の料理は美味しかった。ほこほこご満悦のお腹に対してお財布の中身は寒かったけどね! ブハラ師匠食いすぎだよ!
で、お食事の最中それとなく【念】について匂わせたら案の定食いついてきた。お食事中なだけあって。
………。
………。
………ごめん、今のなし。
と、とにかく!「何でハンターでもないあなたたちが【念】について知っているの?」と怖い顔で睨むメンチさんに、コンちゃんの視線は当然私に向くわけで、私はここで何度目になる部族説明に入った。
「ああ、アレかぁ」と酷く気の毒そうな顔でこちらを見るブハラさんの視線は胸が抉られるようだったけど事情は説明できたし、メンチさんも納得顔。何でも一般人への【念】の流出が今ハンター協会の中でも問題になっているらしい。そう言えば、原作でもアマチュアハンターが確か何人か【念】を覚えていたよなぁ。あれってやっぱり問題だったんだね。
で、メンチ師匠から「下手な武器を一般人に持たせているわけにはいかないわ。あんたたち、ハンターになりなさいよ」とこちらの思惑通りのお言葉を頂き、「それならちゃんと念を教えてよドラ○もん!」と私の言葉でメンチ師匠とブハラ師匠二人のプロハンターを確保。ハンターになることが条件だったけど、私は元からなるつもりだったからまったく問題なし。コンちゃんも元々強さ追及が目的みたいなところがあったので、そう渋ることもなかった。ハンターは次いでにとってもやってもいいらしい。その凄く上から目線に、メンチ師匠がコンちゃんを笑顔でトイレに連れ込んでいたけど、うん、私何も見てないよ? ね、ブハラ師匠。
まあ師匠をゲットしたそのときは「計画通り」と影でほくそ笑んでいた私だったけど、これもしかしたら失敗だったんじゃね?と疑問に思い始めたのはそう時間のかかることじゃなかった。
修行、という処刑のもとに崖を突き落とされてクモワシの卵を取りに行き、
修行、という地獄のもとに野獣の住まう森で毒蜂の巣を命がけで毟り取り、
修行、という苛めのもとに岩窟の中、変態怪物の頭をちょん斬って来ることを命じられ、
あれ? これパシリ? と何度頭を過ぎったことか。いや、一応【念】の修行もしてくれるよ? だけど比率がおかしい。料理の材料集めをしている時間のほうが長いと思うのは気のせいなのかどうなのか。「基礎体力が大事なの」と最もらしいことをメンチ師匠は言っていたけど………ブハラ師匠、まっすぐ私の目を見てください。
そんなわけで今回のミッションはあの牛頭の確保!なんだけど、あんなに気持ち悪いとは思ってなかった次第。しかし、いつまでも逃げてばかりはいられない。ていうか疲れてきたしねさすがに。ここら辺りが覚悟のときか!
「仕方ない。散々ばら撒いてきた伏線を回収するときがどうやら来たようだね。見せてあげるよ、この私の念能力!」
その私の言葉に「おおっ!」とコンちゃんの上げる期待のエールを受けて、背負っていたバックから取り出すソレ。砂漠の中、四年の時を持って完成した私の自信作。
「【砂漠の無法者(アラビアンカーペット)】!」
説明しよう! 私の念能力、【砂漠の無法者】は砂漠の王と呼ばれる魔獣グリゴルの毛から編みこんだ特別製の絨毯である! グリゴルの毛皮は刃を通さぬ鋼の毛。それをお婆ちゃん直伝の伝統手芸で編みこみ、そこに神字を練りこむことで私の念能力は完成する!
「いつも持ち歩いていたそれか! 一体どんな能力があるんだ!?」
「聞いて驚いてコンちゃん! この【砂漠の無法者】に練りこまれた神字はオーラに反応して物体を浮遊させる特性があるんだよ!」
「ほうほうつまり!?」
「私はこれに乗って逃げるから後よろしく!」
「裏切り者ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ごめんね! これ今は重量50㎏以上乗せられないんだ! 決して私を犠牲にしようと考えていることにむかっ腹が立ったわけじゃないから!
素早く【砂漠の無法者】に乗って離脱を試みる私。コンちゃんが私の足を引っ張る前にオーラを込めて浮遊、順次加速。背中にコンちゃんの悲鳴を聞きながら私をゆらり空中散歩。
ごめんねコンちゃん。君の尊い犠牲は無駄にしないよ。
ぐすん、と涙を拭う私は岩に囲まれた曲がり角をスマートに曲がりそのままこの迷路を―――「にょるん?」
ブレェェェェェェェェェェキ! 全力でブレエェェェェェェェェェェェェェェェェキ!
すかさずUターン! 【砂漠の無法者】を操作し、障害物を避けながら今まで来た道を泣きながら戻る! だけど背後の「にょ、にょにょにょるん!」という牛頭の奇妙な叫びは一向に遠くならない! もう嫌だこんなの!
「おお心の友よ! 戻ってきてくれると―――信じてなかったけどこりゃひでぇ! 何でもう一匹連れて来てんだよ!」
「助けて心の友よ!」
もう一匹居るとか聞いてないよ師匠! 一匹しか居ないとも聞いてないけど!
前後を挟まれる緊急事態。詰んだと思ったのか二頭の疾走は実に緩やかになる。とてもではないが知性の感じられぬその顔で獲物を追い詰めるようにじりじりと距離を詰められ、「にょるんにょるん」と騒がしい。ぶらんぶらん揺れる巨大な逸物と、見るも耐え難い牛顔が徐々に迫ってくるその光景は、もはやパニックホラーでに近いものがあった。
「ちっ。戦うしかねぇか。けどよ、目を瞑れば何とかなるだろ!」
直視はできないもんね。目が潰れるよ。
ふふ。しかーし、コンちゃん。諦めるにはまだ早いんだな! 天才砂漠美少女ホタルちゃんは未だ秘密兵器を隠しているんだよこれが!
「まだまだ慌てることなかれだよコンちゃん! ついにここで私の第二の能力が危機を前に目覚めるときが来た!」
「畜生! てめぇまた一人で逃げる気か!」
「うん、まあそう言われても仕方がないけどさ。そうあからさまに詰られるとさすがの私もちょっとショック………」
でもめげないよ。女の子だもん。
ずきんと痛んだ心はそっとガーゼで包んでおいて、今はまず目の前の敵を掃討するのが先決だ。私は悠然と【砂漠の無法者】の上に立ちあがり、迫る強敵を前に開発したもう一つの能力を解放する。
「【砂中に潜む悪魔たち(サンドワームズ)】!」
握り締めた右手から腕ほどの太さと長さを持つオーラが五本、弧を描いて放出される。それは岩肌の大地へと着地すると、水が大地に染みこむように溶けて見えなくなった。
しーんと静まり返った中、未だ何も起きる気配のない静粛を前にコンちゃんの視線が痛い。待って! あとちょっと待って!
二頭のミノタウロスも「にょるん?」と首を傾げて「こいつ頭可笑しいんじゃね?」みたいな顔を見合わせている。
ここまでの屈辱は私、受けたことがない。
うぐぐぐぐと唇を噛む中、静止していた怪物たちが鼻息一つ嘆息して、ようやく再び足を一歩動かしたとき、ざまみやがれ私の【砂中に潜む悪魔たち】は発動する!
地面に同化していた五匹の念蟲が地面への振動を感知し、攻撃を開始した。水中から獲物を定めて飛び上がるピラニアのように、踏み出した足を食い破り、そのまま二匹のミノタウロスへと襲い掛かる。
その私の念能力の猛攻に唖然とするコンちゃん。ふふん。どうだい、見直した?
「お、おおお! すげぇっ! むちゃくちゃ強ぇじゃねぇかっ! 何だよまったく、ちゃんとした能力があるなら最初にそれ出せよなー」
「ああ、駄目だよコンちゃん動かないで! これ敵とか味方とか判別しないから!」
がっはっはっは、と笑いながら動こうとしたコンちゃんを慌てて止める。片足を上げたままで器用にコンちゃんは石像のように固まった。ふー、と思わず額にかいた汗を拭う私。
「………え? マジ?」
「マジマジ。制約だからさ。地面に振動を感知するとオートで攻撃されちゃうから気をつけて。これ発動者の私にも適応されちゃうし」
奇妙な体勢のままコンちゃんが私を見る。そ、そんな熱い目線で見られると恥ずかしいよ、コンちゃん。
「でもお前浮いているよな」
「そのための能力でもあるしね。この【砂漠の無法者】は」
「俺片足上げたままでもうさすがにぷるぷるしてんだけど」
「コンちゃん。この世の全ては精神論で片付けられるらしいよ?」
頑張って、とガッツを作る私に、そうか、とコンちゃんは仏を思わせる穏やさで頷いた。
そしてちらり、と送られる視線。動いてしまった怪物は今、念蟲にその喉を食い破られ見るも悲惨な状態と化している。
「俺も乗せろっ!」
コンちゃんが錯乱した!?
「駄目だよコンちゃん! これ一人乗りだって―――ひゃんっ!」
「うっせぇ! こんなところで死んでたまるかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
私にしがみ付くコンちゃんの手がいやらしいよ!
生死が掛かっているだけにすごい力が強くて振りほどけないけど、駄目だよコンちゃん。あんまり強く掴まないで! 痛いから! そこは駄目! 駄目だって!
私にしがみ付いて何とか蟲の魔の手から逃れようとするコンちゃんとお嫁にいけなくなる前に何とかその手を剥がそうとする私。いつの間にか【砂漠の無法者】にかかる重量は50㎏をオーバーしてしまったようで、敢え無く墜落した。
「うにゃああああああああああああああああああああああああああああ!」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」
死ぬうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ! 食われるうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!
と二人抱き合いながら地面をゴロゴロすること数分。しかし一向に【砂中に潜む悪魔たち】は現れない。馬鹿を詰るような沈黙が通過した後、まるで何もなかったように私とコンちゃんは起き上がった。
………あ、そっか。忘れてた。
「お腹一杯になったら消えちゃうんだよね、この念能力」
今回は五匹だったからな。二頭食べたらもう十分だったのだろう。最大十匹まで放出可能なんだけど、もう少し改良の余地はありそうだ。
グロテスクな姿になってしまったミノタウロスの頭を狩って、何とかミッションは終了。しかしコンちゃんと二人帰った長い道のり沈黙が辛かった。
………うぅ。でもこれ跡になっているよね、絶対。