いつの間にかハンター試験とやらに受けることになった。
まあ文句はない。俺の目的は強さへの追求。それを果たす手段と考えればライセンスを取ることもやぶさかではないな。
そんな感じの言葉を吐いた瞬間、メンチに笑顔で腕を引かれた。公衆トイレの個室に引き込まれた。おいおい、まさか逢引か? モテル男は辛いなまったく、と髪を手でとかしながらメンチに目を向け―――
―――記憶を削られた。
目が覚めた。ホタルが横で黙祷を捧げていたのが気になる。
とりあえずメンチとブハラが師匠になるらしい。
不思議と愚痴を言う気にもならない。誰かに物を教わるなどまっぴらごめんの俺なのだが、なぜか逆らう気にはならなかったのだ。深層意識に刻み込まれた刻印か。反抗心という根本をあのときどうやらねじ切られてしまったらしい。あのとき、というのはあのときであって決して深く追求してはならないときのことである。思い出すとなぜか眩暈がした。ばあちゃんが必死で俺の名を叫んでいたのが感慨深い。
さておき。
修行の合間にホタルがひと悶着起こしたものの、【念】の修行には滞りがない。過酷な修練はしかし自分の上達具合を肌で感じる喜びに勝るものではなかった。
ひしひしと感じる、かつてない力。
なるほど、【念】が秘匿とされている理由も分かる。これは常人すら達人の域へと押し上げる秘儀である。こんなものが流通した暁には社会は崩壊するだろう。
鍛錬、鍛錬、鍛錬。
生死の境をさまよったことは数知れぬ。しかし辛いと思うことなど不思議と感じることもなく。強くなる。その実感が俺に時を忘れさせた。
そしてヨークシンのオークション。気付けばすでに一年が経っていたらしい。
去年の約束通りにホタルとオークションを巡った。二人歩く道の中、ふと隣に立つ少女の背が伸びたことに気付く。
いつも一緒にいたせいかあまり意識したことはなかったが、この年の子供など一年もすれば見違えるように成長する。頭一つ分大きくなった少女は、子供としか思えなかった顔立ちもいつしか子供と大人の境界を彷徨うモノへと変わっていた。赤く染まりかけた青い果実はどこか危うげな色香を放っていて、道歩く周囲の視線もこの異国の少女に向いている。
身長差から見下ろす視線、ふと背に比べて随分と発育の良くなった胸の谷間が見え、慌てて逸らした。首を振る。祭りに高まる熱が移ったのか、今日の俺はどうも可笑しい。ホタルに対して女を感じたことが酷く後ろめたかった。
「見て見て、コンちゃん! コレ、コレ!」
自分の動揺を気付かれないように慌ててホタルが指差す方向へと顔を向けた。無邪気な笑顔のホタルが眩しい。そしてその小さな指の先―――
果たして誰が作ったものか。露店には巧みと思える技術で彫られた裸身女性の胸像があった。推定Hカップというところだ。
生暖かな目で頷いた。大丈夫だ。ホタルがホタルである限り、俺は多分一線を越えることはない。
とはいえ、こいつももうお年頃、という奴なんだろう。少しは女性としての慎みを持ったほうがいいのではないだろうか。
不安になったわけではないが、これではこいつも嫁の貰い手がない。ホタルがお嫁さん、というのは酷くちぐはぐな言葉に聞こえたが、女である以上こいつもいつかは結婚するわけだ。まさかいつまでもおっぱいおっぱい騒いでいるとは思えないが………いや、どうだろうな。こいつは大人になってもおっぱいおっぱい騒いでいる気がする。
少しは自分が女であることを自覚してもらいたい。そんな親心から何かホタルに女性らしい贈り物を気付かれないようにそっと探していたわけだが、そのときちょうど俺の目に見慣れた色が見えた。さりげなく露店に飾られたその色に視線を下ろせば、ホタルの瞳と同じ琥珀色の宝石を加えた髪留めが競りに駆けられている。
「………おじさん、今張ってある値の倍だす。こいつを今すぐ売ってくれないか」
よほどの値打ちモノかと勘違いした競りのおじさんは渋る様子を見せたが、ホタルの背中が遠くなることに焦った俺が三倍の額を提示すると迷いながらも頷いた。財布から札束を取り出し髪留めを貰う。
ホタルはいつの間にか居なくなった俺を探しているのか不安げな様子で周囲をきょろきょろと見渡していた。「コンちゃんどこー」なんて小さな呟きが聞こえてくる。返ってこない返事が怖いのだろうか。こうして遠くから見るとそれこそ異国の土地にやってきたお姫様みたいだな、なんて馬鹿なことを考えながら後ろから近づいて、そっとその綺麗な砂色の髪に髪留めを咥えさせた。
「ほい」
ホタルは聞こえた俺の言葉にほっと安心したように振り返り、髪の重みに気付いて不思議そうに手を翳す。何か変なものでも付けられたと思ったのか、「何すんだよ!」とぶすぅっと本気じゃないと分かる不機嫌顔で髪留めを解いた。
一応、望外な値段を叩いて買ったものだ。多少は喜んでくれないと割に合わない。まあこいつの場合は「えー、こんなのよりエロ本買ってよー」なんて言葉が飛びそうだな、と想像に苦笑する中、ホタルはじっとその髪留めを眺めている。
どうしたんだ、おい。
予想外のリアクション。視線を上げて俺の顔を見て、視線を下げて髪留めを見る。ぼーっとしたその視線の往復。壊れた人形みたいな阿呆な動作。おいこら何か言えよ、とぺちんと頭を叩くと、俯いたまま顔をそのまま上げなくなった。
「ホタル?」
意外というか、何だこの反応のなさ。そこまで強く叩いたつもりはないぞ?と視線を下ろせば、砂色の髪から垣間見える耳はその褐色の肌に負けないほどに真っ赤に染まっていた。
はっはーん。こいつ照れているな。
何か言えよー、おいおいどうした?と肘でホタルの脇をツンツンやって、ようやくホタルは再起動。「あ、あああ、ありがとう」と余裕の欠片もなさそうな返事が返ってきて、にやにやと笑ってやった。
なるほどな。こいつの弱点を発見したぜ。多分だが、女扱いに弱いんだ、ホタルは。
うんうん、と頷きながら忙しなく露店を見比べているホタルを見ていたのだが、こちらの視線を気にしているのか、ホタルはちらちらと俺を窺ってくる。こいつの意図はもちろん分かるわけで、俺だってそこまで無粋なつもりもない。わざと適当な商品を見てホタルから顔を外した瞬間、案の定ホタルはそそくさと俺の視界から消えていった。
期待はしないほうがいいだろうな。
まあこういうものは気持ちというものが大事なわけで―――
―――しかしだからと言って何でも許されるというわけでもない。
なぜか知らんが満面の笑みだ。これ以上ない笑顔だ。表紙からして俺でも思わず買うのを躊躇ってしまうものをなぜ女のこいつが平然と手に持っているのか。しかもなぜあまつさえそれを公衆の面前で俺に手渡そうとしているのか。周囲からのざわめきと軽蔑の眼差しが辛い。もちろんそれは全て俺に向いているわけで………。
「お前はもっと周囲の目を気にしろ!」
がつん、とゲンコツをホタルに打ち下ろすとホタルは頭を抑えながら目にハテナを飛ばしていた。本気でなぜ怒られたかわからないらしい。これじゃあ髪留めも無駄だったかもな、と吐いたため息は涼しくなってきた秋の風に攫われた。
そして月日は流れ、ハンター試験。
背徳者の汚名を被る隊長に再会した。
恨みは全力の拳で晴らしておいた。
シグレたんは俺たちの夢、希望、全てだった。寝取られて黙っているほど腐っちゃいない。
しかしカストロはどうやらシグレたんに振られたらしい。まさに因果応報。汚い手を使えば結果など伴うはずもないということだ。俺とホタルは顔を見合わせ、ほくそ微笑んだ。
「計画通り」
いや、まあここまではいい。
毒入りジュースなどとふざけた輩に都会の恐ろしさを味わいもしたが、そんなことより大変な事態が発生した。
「コ、コンちゃんは、コンちゃんは、ロリコンに走っても男には走らないんだよ! カストロ、誘惑しないでよ!」
………そうか、ホタル。お前まで俺のことをそういう目で見ていたわけだな。
思えばこいつに出会ってからか。そんな不名誉なレッテルを貼られたのは。
ロリコン。
違う。
ロリコンドル。
違うんだ!
俺は、俺は、子供に欲情なんてしない!
逃げた。果たして何から逃げたのか。人だかりの消えた中でも遠巻きにこちらを貫く冷たい視線からなのか、社会という不条理な世界からなのか。
ロリコン、と蔑まれる俺。
なぜだ。俺は一度たりともそんな態度を示したか? 俺が声をかける女性はいつも年相応に育っていただろう? なぜただホタルと仲良くするだけで幼女趣味扱いされねばならんのだ。
そしてホタル。お前だけは信じていたのに。俺のことをまともな目で見てくれると。
適当な言葉で謝られたが、そんな茶化した言葉で許す俺ではない。今度の今度ははっきりとさせねばいかんだろう。俺は正常な性癖を持つ男だと。
「コンちゃん、コンちゃん」
小走りに俺の背中を追うホタル。いつものふざけあいの延長だと思っていたのだろう。しかし心の篭らない謝罪の言葉を口にして元通りの関係に戻れると思ったら大間違いだ。何より、このままなぁなぁで済ませていたら本当に取り返しがつかなくなりそうで恐ろしい。まだ、まだぎりぎりで何とか間に合うはずだ。そう、今こそ心を鬼にするべき時である。正念場という奴だ。ゆえに、絶対、振り向かない。
不意に、足音が消えた。
振り向かなくても分かる。きっとあのオークションのときのように迷子になったような顔をして立ち尽くしているのだろう。止まりかけた足には喝を入れて進ませた。
小さく鼻を啜る音が聞こえた。
ずきん、と胸が痛んだ。
「ホタルちゃんも悪ふざけが過ぎただけだろう? そんなに怒ることもないんじゃないか?」
隣に立つカストロは言う。そんなこと、俺だって分かっている。あいつとの付き合いは俺のほうが長いんだ。けれど、譲れぬ思いというものがある。
証明すべきなのだ。今ここで、俺はロリコンじゃないと。いつまでも子供に甘い顔をしている男じゃないと。
「それは誰にだい?」
呆れた声。
他人? 社会? 世間?
カストロがうるさい。それも分かっている。誰に対して理解して欲しいのかなんて。
ホタル。
俺がホタルにそんな視線を向けていると、ホタルにだけは思って欲しくないのだ。
「証明の仕方が間違っていると思うけどなぁ」
ため息を吐くカストロ。カストロだってホモ扱いを受けた割にはもうホタルを許してしまっている。心が広いというか、何と言うか。結局隊長はお人よしなんだと思う。
向けないように努力しても、視線は磁力に引きつけられるように向いてしまう。隅で体育座りと分かりやすい落ち込み方をしているホタルは遠目からでもブルーが入っているようだ。これで、反省してくれればいいんだが。そして過去を振り返り、ああコンちゃんはそういえばロリコンじゃなかったな、と思い出してくれればいいんだが。
俺の視線に気付いたのかどうなのか、ホタルが顔を上げて俺の視線とぶつかった。一瞬ホタルの目に灯る希望の光。慌てて視線を逸らした。
ふえぇぇ、なんて泣き声が耳に入ってきた。
痛い。心臓が痛い。
霧の中を走る。濃い霧は周囲を並走する人の姿すらもおぼろげに隠していった。隣を走るカストロの顔だけがかろうじて見えるほどの濃霧。そんな中、背後からかけられる声。カストロ以外にここで俺を呼ぶ奴なんて一人しかいない。何より、こんな呼び方をする奴は。
「コ、コンちゃん?」
無視した。
「う、ううぅ、ふうぅぅぅっ」
「…………」
「コ、コンドルくん? ホタルちゃんが呼んでいるみたいだけど………?」
いや、分かっている。大人気ないってことは。
同郷の仲間が居たのだろう。俺と仲たがいをしている間にホタルは偶然出会ったそいつと気兼ねなく楽しそうに会話をしていた。今までの落ち込みぶりなど忘れたかのように。
情けないうえに自分勝手な話だが、それが少し寂しかった。ホタルに向って諍いを忘れたのかっ、なんて問いただすつもりはない。さすがにそこまで狭量な男であったつもりもない。
ただ何となく、年の近いその少年と話しているホタルの顔は、二年間側に居た俺がもう全て知っていると思っていた顔とはまったく違う、俺の知らないホタルの顔をしていた。
それでちょっとホタルを遠く感じた。それだけだ。
何だかなぁ、と物思いに耽る。ふと出くわして懐いたと思った野良犬に飼い主がいた、なんて心境が今の自分に当てはまるのだろうか。いや、こんなことを考えているなんてホタルが知ったら多分俺に命はないだろうが。
泣きながら謝るホタルにため息を吐く。もうロリコンじゃないとホタルに認めさせることとかどうとか、どうでもよくなっていた。
だからケジメ、なんて言葉を使った悪戯という罰でこの締まらない喧嘩も終わらせようと考えて………しまった。
言うなればこの茶化し合いが今までの関係の元通りになったことを暗示させる意味で、
言うなればこれが俺の心の靄を晴らす自己満足的なふざけあいであって、
思うに、まさかこんな展開が待っていたとは思わなかったわけで、
………しまった、なんて言葉で償えるものなのだろうか、これは。
いや、さすがに俺だって馬鹿じゃない。
こいつが何を勘違いしてこんな顔で俺を待っているのか、なんて分からないわけがないだろう。これでもそれなりに女性との付き合いはある。意味ありげな言葉を思い返すに吐いてしまっていた、なんて気付いてももう後の祭り。取り返しのつかない言葉の応酬の果てに、ホタルは噤んだ口をこちらに向けて、瞼を閉じていた。
すまん、誰か時間を止めてくれ。
眩暈が激しく、くらくらする。生唾を飲むな、カストロ。お前も何か助言しろ。
そんなに俺との喧嘩が辛かったとは………終ぞ思わなかった。俺とキスをすることを我慢してまで仲直りしようと考えるとは。そうか、そういえばこいつは存外寂しがりやの甘えん坊だった。俺に無視されたのがよほど堪えたのだろう。
震える睫。ん、と小さく声を上げて顔を上げたその頬は淡く赤く染まっていた。思わずその果実のように潤いを持つ唇に目が行く自分。
待て、落ち着け、止まるんだ! 今ここでこの誘いに乗ったら取り返しがつかないぞ! 何より、そんな気など毛頭自分にはなかっただろう!? 理性を保てロリコンドル! じゃなかったコンドル!
はは、と渇いた笑いが口から漏れた。よし、ならば潔く散ろうじゃないか。女に恥をかかせて生き残ろうとは、このコンドル=ライフレッド、これまでの経験からして思わない。というか思えない。初めの計画通り、そっとホタルの額に手を置いて、指を弾いた。
存外、指に力が入ってしまったことは否めない。
不思議なことにホタルは俺の予想に反して馬鹿な俺を糾弾することはなかったのだが、それから、俺との会話が多少ぎこちなくなってしまったように思う。
いや、これも罰と思って謹んで受けよう。俺に話しかけるたびにつっかえるホタルが少し悲しい。
22歳と14歳。
その年の差があと二年もすればさして意味をなくなることに、できれば気付かない振りをしようと思った。
――――
まじんがー
あと二話ほど投下したらH×H板に移ろうかなぁと考えています。そのことに対する肯定も批判も意見をお待ちしています。よろぺこりん。