中間地点である、地上へと貫く階段を抜けた先。
濃霧が漂うヌメーレ湿原はどこか砂漠を思わす広大さで、どこからともなく吹く風はまるで腹を空かせた魔物の鳴き声のように轟いていた。
途中レオリオが脱落寸前まで追い詰められるハプニングがあったけど、原作通りに気合と根性で立ち直り、今は裸一貫ながら息を荒げつつも、集団には何とかついてきている。
ちなみに私はというと、階段を上っている最中にレオリオとクラピカが真摯なお話をしていたので、立ち聞きも悪いなぁっと思い、彼らを置いて先を急がせてもらった。
そういえば全力疾走の後遺症から立ち直ったエルリオもその話に混じっていたんだけど、結局エルリオのハンター志望の動機ってなんだったんだろう? 私には預かり知らぬ事情でもあるんだろうけど………でも、そっか。
エルリオも何だかんだ言ってきっと夢を持っていたってことだよね?
いやー、未だ私のお婿さんになるとか言い出さなくて良かったよ。さすがに二年間待っていたとか言われたらね、申し訳ないのと同じくらいに怖いものがあるもん。どんな純情少年だよー、って明るくツッコむことすら不可能でしょ、私とのギシアンを二年間心待ちにしていたって言われても。そんな暴走する中学生の性の衝動を受け止めきる自信はないよ。まあそんなことはエルリオに限って万が一にもないだろうけどさ。色々言うけど、大切な友達だもんね。例えおっぱい星人だとしても。
重い話は勘弁!な私はそんな三人を置いてきてしまったんだけど、ゴンやキルアの先頭集団と混じる気も起きずに、中途半端な位置をヒソカのお猿さん虐殺イベントの後、霧深くなってきた湿原の中一人でのろのろと飛んでいた。
だ、だからこれは別に意図していたわけじゃない。
「コ、コンちゃん?」
「…………」
無言。
冷たいまでの沈黙だった。
あ、駄目。何か涙出てきた。
カストロと二人並走するコンちゃんの隣に、ほんっっっと偶然たまたま出くわしてしまったわけだけど、じ、じゃあ都合がいいしね、怖いけどちゃんと謝って、また一緒に仲良く試験を受けようかなっ!
そう思って呼びかけた……んだけど…………コンちゃんが、こっち向いてくれない………。
「う、ううぅ、ふうぅぅぅっ」
「…………」
「コ、コンドルくん? ホタルちゃんが呼んでいるみたいだけど………?」
唇噛み締める私とコンちゃんを見比べて慌てるカストロの呼びかけにもコンちゃんは応えずに、ただ黙々と前を見ながら走っている。
ちらり、とも視線を向けてくれない………。
いつも阿吽の呼吸で私の言葉に返してくれていた相方、コンちゃん。それが今やまるで耳元を飛ぶ羽虫以下の扱いを受けている私。
なぜか今までのコンちゃんとの思い出が去来して、が、我慢していたんだけど、ついに溜まった私の涙腺が決壊した。
「ごめんなさああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!」
う、うう、うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁん! あ、あ、な、涙が溢れてくるよ! 泣かないって決めていたのに! で、でもごめんなさいぃ! 許してくださいっ! コ、コンちゃんはロリコンじゃないです! ウホッ!でもないです! 熟女趣味です! だ、だから私を見てよっ! 返事をしてよっ! う、うぐ、うぐうぅ。
涙をぽろぽろ零しながら鼻を啜る私に―――コンちゃんが短く、ため息を吐いた。
「別にそんな大声で泣かなくてもいいだろ。一言本気で謝れば許してやったのに」
「う、うう、うぅ?」
あ。
そういえば私、ちゃんと謝ってなかった。
謝ったのも、茶化して誤魔化していたもんね。だからコンちゃんは、こっちを向いてくれなかったんだ。友達だからって何を言っても、何をしてもいいわけじゃない。うん、骨身に染みた教訓になった。これからはホタル、もっと言動に気をつけます。コンちゃんのロリコン疑惑はちゃんと私が払拭してあげるから!
だから………だから………。
「ゆ、ゆるじでぐれまずが?」
「とりあえず鼻を啜れ」
コンちゃんがくれたティッシュで鼻をかんだ。ちーんしました。
リトライ。
「ゆ、許してくれますか?」
「まあ、ケジメをつけたらな」
いつものコンちゃんに戻って笑顔でお調子よく返してくれる返事。
ああ、ちゃんと相手をしてくれることってこんなに嬉しいんだね。ぽっかり空いた胸の空洞が収まるみたいな安心感。はふぅ、と胸中ほっとしながら、しかしはて?と私は未だしゃっくりを上げる喉を押さえながら考えた。
ケジメ? ケジメって何だろう?
………やっぱり、おっぱい写真集で手をうつということなんだろうか? でもオークションで買った秘蔵の裏本はコンちゃんお気に召さなかったんだよなぁ。シグレたん写真集マル秘バージョンはカストロに送っちゃったし、通常版はコンちゃんも持っているし………。
腕を組んでどうやったらケジメをつけられるんだろうなぁと悩む私に、コンちゃんはにやりと悪戯っ子の笑みを向けた。
何、何、コンちゃんっ?
「うーん、そうだなぁ。じゃあまず、目を瞑ってもらおうか」
……………………………………………………
……………………………………
……………………え?
「え? え? え?」
聞き間違い?
コンちゃんをじっと見る。しかし私の楽観を踏み潰すように、むしろそこで疑問を返す私が可笑しいのだとでも言わんばかりに「何だよ?」と疑問の眼差しを返してくるコンちゃん。だ、だけど、だけどさ、コンちゃん!
目を瞑って………その、どうするの?
どうするって、目を瞑って男女がすることって、そりゃあ一つしかないわけだよね………?。
え? ええ? えええええええええええええええええええええ!?
コ、ココ、コンちゃん?
べ、別に嫌じゃないけど! わ、わわ、私とコンちゃんの関係はもっとピュアでクリーンでグリーンで、いやいやグリーンは関係ないけど、えーっとうぅあぅあぅでもだってほらあのコンちゃんとは清く正しく美しいお友達の関係で!
「ケジメつけるんだろ?」
「つ、つつ、つけますけど! コ、コンちゃん!? わ、私はその、は、初めてで」
「初めてもくそもないだろ」
何言っていんのお前?って笑われた。
そ、そういうもの? べ、別にこういうのってそういうの意識しないもの? で、でももうちょっと、ほら、シチュエーションとか場所とか考えて欲しいっていうか―――じゃなくて! わ、私は男の人とそういうのは、で、でで、できないと思うよ! コ、コンちゃんとは、い、嫌じゃないけど!
………あれ? じゃあ問題なくない?
ああ!? 私の意識に反して勝手に瞼が下りてくるよ! これは新手のスタンド攻撃かい!?
「は、はは、初めてだから、優しくしてください………」
しまった! 舌にも何かが張り付いてやがる!?
どきどきと心臓が血管を破裂させる勢いで血流を押し出している。顔に熱がたまって思考をエンストさせるなか、コンちゃんは厳かに言った。
「無理だね」
「無理なの!?」
「むしろ痛くする」
「何てこった!」
いきなりディープなのに対応はできないと思うけど! ………が、頑張ります。
コンちゃんが私の前髪を撫でてたくし上げた。手の温もりに意識が奪われそうになって、慌てて目を閉じたまま顔をあげる。そ、そのほうがしやすいもんね。
まさか全力マラソンの最中にする羽目になるとは思わなかったけど、ただ幸いなのが周囲は濃い霧に囲まれていること。たぶん、これなら誰にも見られない………はず。
ぎゅうぅって目を閉じて、唇に降りてくる感触を待った。は、早くして、コンちゃん。私、もう駄目。頭に熱が上がりすぎてぼーっとしてくるんだ。コンちゃんはそんな私の何が可笑しいのか優しく笑い声を上げて、額にそっと手を添えた。
デコピンは凄く痛かった。
あれ? 何でだろう? 痛みじゃない何かに涙が出てくる。
「残念だったね、ホタルちゃん」
「ざ、ざざ、残念じゃないよ!」
カストロって本当に頭可笑しいよね! 私何言っているのかわからないよ!
にやにや笑いを浮かべてくるカストロの背中に蹴りを入れるけど、カストロは笑うだけで効いた様子はない。くそう、これだから強化系は嫌になるね! 無駄に頑丈だし、馬鹿ばっかりだし!
「何だ、そんなに痛かったのか?」って眉を顰めて聞いてくるコンちゃんの顔にも拳の一つでも入れたかったけど、それしたらまたややこしくなるし。我慢するよ、もう! 何だか凄く腹が立つけどさ! こいつこれを天然でやっているから信じられないよ! 普通あんなこと言われたら誰だって誤解するよね!
むっすぅとしながら顔を扇ぐ。おでこも痛いけど、赤くなった顔を早く冷ましたい。馬鹿なことを考えてしまった証拠を一つでも早く隠滅したいのだ。ホタル、一生の不覚です。
ま、まあいいや。これでコンちゃんとも仲直りできたしね。これでもう何の心配事も無くハンター試験を楽しめ―――。
―――響く、断末魔。
思考が、真っ白になった。
今までも後ろからは騙しあいに敗れた人たちの悲鳴は聞こえてきた。でも、それとは明らかに種類の違う声。
そうだ。何で忘れていたんだろう。ハンター試験の、一次試験。昔読んだマンガでは、ヌメーレ湿原では、一体何が起こっていた?
ヒソカが………暴走したんだ。
『試験官ごっこ』
レオリオの悲鳴。それに混じって聞こえてきた………エルリオの悲鳴。
「エルリオ!」
「おい、どこに行くんだホタル!」
「ホタルちゃん!?」
背後から聞こえてくる二人の声に説明している暇はない。だって、だってエルリオが危ないんだ!