高架道路に取り残された、錆び付いたバスの座席の寝心地は最悪だった。
時々、首を捻りながら身を起こして、気紛れに道路の下の風景を見ると、道路の下を流れる川を、蟹人間としか例えようの無い生き物がスイスイと泳いでいくのが見える。
巨大なハサミを持ち二本足で直立して歩行する、放射能による突然変異で発生した人間大の蟹、ミレルークだ。
もっとも、放射能だけであんな愉快な姿にはなるまい。
もしかしたら、スーパーミュータントの誕生に用いられたFEVウイルスが一役買っているのかもしれない。
「……涼しそうなこった」
スイスイと、蟹の化け物は水面を橋の下から北に向かって泳いでいく。
もしも対面することになれば、連中は後退を知らず死ぬまでこちらを殺そうと巨大なハサミを振り上げてくる血に飢えた化け物だが、上から見下ろす分には害は無い。
もっとも、ここから石でもぶつければ、怒り狂って走って高架道路を駆け上がってくるかもしれないが。
「俺も水浴びでもしてーなぁ……」
あの殺人蟹人間と同じく、俺も放射能に汚染された水を苦にはしない。
この灼熱の陽の光が降り注ぐ乾いた荒野では、水面を泳ぎいく蟹は、実に羨ましく見えた。
てんてんと、アスファルトを踏む足音が聞こえる。
視線を高架道路の上に向けると、リズがこちらに降りてくるところだった。
何故だか、集落に入るときに来ていたVaultスーツと革ジャンの代わりに、荷物に無かったバラモンの皮で作ったオーバーオールとシャツに着替えている。
「師匠、たっだいまー!」
俺は、チラリと集落のバリケートを見て、例の見張りの男が戻っていないのを確認してから、壊れた車両の山の陰から身を乗り出した。
「あー。えらく遅かったが、首尾の方は……」
そう聞きかけたところで、リズの方が詰め寄ってきた。
「師匠っ! ねっねっ、これどう!?」
両手を水平にピンと伸ばして、胸を反らしてくるりとターンする。
ちっこいダンサーみたいな見事な回転だった。
回転を止めて、感想の欲しそうな顔でこちらを見上げてくるリズを見て何か口を開かねばと思い、とっさに頭に浮かんだことを口走る。
「……思ったより胸あるのな」
ぴこっと肩を上下させると、リズは自分の胸を両手で押さえて俺をじと目で見た。
「師匠のえっちー」
なんだこの会話の流れは。
「いやいやいやいやいや、お前もなんで着替えてるんだよ。集落に入る前に着てた革ジャンはどうした?」
この流れは何か不味そうな予感がしたので、俺は慌てて話をそらした。
Vaultスーツはともかく、羽織っていた革ジャンの防弾性能はバラモン皮製のオーバーオールより間違いなく上だ。まさか騙されて着替えさせられたんじゃあるまいな?
そんなつもりで聞いたのだが。
「お洗濯してもらってるの」
返ってきたのは俺の予想外の返事だった。そういえば、俺はこの一ヶ月、ロクに洗濯なんてしたことも無い。
よく考えると、その服は昨日燃え尽きてるので、選択する必要自体消えて無くなってるんだが。
「Vaultからは急いで出てきたから、着替えも無かったし……ほら、下に着るのとかも……ね?」
なんか恥ずかしそうにはにかむような笑顔を「ね?」とか言われた。
察しろと言われても、ぶっちゃけよく分からん。……分からんのだが。
雰囲気的にものすごく気まずく、こんな空気の中でこれ以上追求する言葉など出せるはずもない。
「あー、む、むぅ。そうか……」
数秒間、口を開けたり閉じたりした後、頬をガリガリ書きながらとりあえず返事だけする。
とりあえず視線をそらしてから、ポンと手を叩いて口を開く。
「おお、そうだ! ちょっと下を見てみろ。面白いのが泳いでるから」
とりあえず話を逸らした。
「ふぇ?」
ててて、と近付いてきたリズが、俺の横に並んで高架道路の下を見下ろす。
ミレルークは、相変わらず川の中をスイスイと涼しげに泳いで、今度は橋の下へと移動していく。
「わー、なにあれ?」
「殺人蟹だ」
009:「アレフはもう、たいした集落じゃないってことだ」 高架道路の入り口まで降りて、道路の上の標識を見上げると、かつては高架道路の行き先が示されていた文字列がうまく塗り潰されて、「NEXT AREFU」の名前が示されている。
「なるほどなぁ……ここの集落の名前、アレフっていうのか」
わざわざ標識を使って名前を書いた職人には悪いが、意外と気付かないもんだな、こういうの。
「うん。アレフだって。この辺では一番大きな集落だったって、エヴァンさんが言ってた」
並んで標識を見上げながら、リズが言った。
過去形。つまり、アレフはもう、たいした集落じゃないってことだ。
エヴァン・キングというのが、目を血走らせてアレフのバリケートを守っていた初老の男の名だ。
いわゆる保安官と警備主任をたった一人で兼ねていたらしく、リズが来た時には緊張やら疲労やらの蓄積で相当に参っていたらしい。
いつ襲うかも分からない外敵に、一人で備えているなんて馬鹿げた話だ。
もちろん、それには理由がある。
事の起こりはこうだ。
アレフの周辺で活動する集団で“ファミリー”という、ギャングを名乗る連中がいた。
“ファミリー”の連中は、レイダーと違って殺人や略奪こそしないものの、なぜかしょっちゅう夜の闇に紛れてアレフを訪れては、窓などを割ったり、大声で騒いだりを繰り返していたのだという。
こいつらは確かに迷惑な存在だったが、本気での殺し合いになるのを避けていたアレフの連中は、迷惑なギャング連中に銃口を向けるのを躊躇ってしまった。
その結果、“ファミリー”の行動はエスカレートを重ね、俺達が見た、バラモン虐殺事件が起こった。
この件でもアレフに被害者は無かったが、集落の維持の為に大きな役割を担っていたバラモンの牧場が狙われたことで、アレフの住民は、この集落の安全を疑うことになった。
十分なキャップと、自分を守るだけの力のある住人は、早々と荷物をまとめてアレフを捨てたそうだ。
残ったのは、ウェストランドの旅に耐えられないような非戦闘員。
それも、キャップもロクにないような貧乏人ばかり。
“ファミリー”の行動を止められなかった事で、アレフの崩壊を招いたエヴァン・キングは、一人バリケートに篭って、ろくに人のいなくなったアレフを守っていたのだそうだ。
それが、責任を感じたからなのか、それとも怒りをぶつける為かは俺には分からない。
「……で、気の毒だから、その“ファミリー”ととっちめてやるって?」
この旅の目的、探しているリズの親父はアレフにはいなかったそうだ。
エヴァン・キングの話では、ここを訪れた事も無いらしい。
常識的に考えて、こんな集落の危機になんぞ、いちいち構ってる暇は無いと思うのだが。
「うーん……あのね。最初は、迷ってたんだけど……ほら、ギャングっていうから、レイダーとかと違って、そんな悪い人じゃないかもって思ったんだけど」
レイダーが救いようの無い悪人という意見には賛成だが、なんでギャングだと悪くないと思うんだ?
ちょっとその辺を追求したかったが、とりあえず今は聞き手に回る。
「エヴァンさんに頼まれて、お父さんを探すついでに街の人たちの安全を確認しに行ったの。それで、街の人とも仲良くなって、服の洗濯とかお願いして……で、やっぱり手伝おうかなって思ったんだけど」
まぁ、洗濯やら、その他のイロイロな件の重要性は、男でかつ人間じゃない俺には分からないが、さすがにそれだけで命を賭けるってのもこともない。
リズは話を続ける、美味しい料理の後に不味い料理が出されて、困ったとでもいうような顔で。
「それで、最後に入った奥の方の家で……」
街の人間が殺されていた、と、眉を八の字にしてリズは言った。
喉を抉られた血塗れの死体が二つ転がる部屋には“FAMILY”の文字が残されていたらしい。
バラモン牧場屠殺事件の後ってことになる。どうやら街の門番のエヴァン・キングは二度しくじったらしい。
「それだけじゃないだろ?」
リズの表情を見れば、死体でショックを受けたり、正義の怒りに燃えていないのは明白だ。
案の定、リズは俺の言葉にこっくり頷く。
「イアン・ウェストって人。殺された人たちの息子さんが行方不明なの」
なるほど。俺は喉の奥で小さく唸る。
厄介ごとってヤツだ。
「殺されてると思うんだが」
背中を掻きながら一応確認する。
正直、ギャングって言っても行動はレイダー同然だ。
アジトに連れて行かれたのなら、散々拷問されて死体のオブジェになるだけだろう。
「……でも、生きてたら助けてあげたいなって」
死体は悲しまないが、生きてるのなら、か。
もう一度息を深く吐いて、俺は駄目で元々と思いながら確認した。
「報酬は?」
俺の質問に、リズはにっこり笑って答える。
「えっとね、いつでもアレフに休みに来ていいって! あと、お風呂とかも使わせてくれるし、洗濯もしてくれるって約束っ!!」
なんでも、カレンという外の話が好きなおばさんと仲良くなったのだそうだ。
どうやらエヴァン・キングのアレフ防衛よりも、そのおばさんとの約束の方がリズには大事らしい。
まぁ、この世界で風呂に入れるのは確かにありがたいだろう。
放射能で汚染されてたとしても、安全が確保するのだって困難なのだ。下の川で水浴びしてたら、あっという間に殺人蟹の餌にされちまう。
「ま、どうせ俺は、しがない正義の味方だしな」
やりたいって言うなら、付き合ってやるしかあるまい。
肩をすくめて頷いておく。
「さすが師匠! 一緒に頑張ろうねっ!!」
俺の同意を得られたのが嬉しかったのか、リズは万歳したままジャンプして見せた。
後になって、実はファミリーのアジトすら不明であり、周囲の建物を片っ端から探索する羽目になるって事を教えられて、思わず同意したことを後悔したが、時すでに遅しだった。
◆
エヴァン・キングからの情報によると、この周辺でファミリーがいそうな場所は、以下の三箇所らしい。
1.北西セネカ駅
2.ハミルトンの隠れ家
3.ムーンビームの野外シネマ
その場所は、リズが腕に巻いてるPip-Boy3000に記録したとかで、とりあえず迷わずに辿り付ける。
問題は、この中のどれが“当たり”かってことだが、これについて一つ役に立つ情報があった。
リズの見せてくれた地図を見てから気付いたのだが、一箇所だけ俺が行った事のある建物があったのだ。
そいつが「北西セネカ駅」だ。
場所が近いこともあって、俺達はまずそこへ向かった。
「さぁて、ここが北西セネカ駅だ。もっとも、前に来たときは名前なんていちいち気にしてなかったけどな」
何の変哲も無い地下鉄の入り口を前にして、俺はリズにそう言って振り向く。
周囲はちょっとした商店街だったのか、略奪を恐れて扉や窓に厳重に板を打ち付けたまま土砂に埋もれた建物が密集していて、破壊を免れたアスファルトの道路に影を落としている。
真昼に近い時間だけあって、空からは白い陽の光がじりじりと照り付けている。
だが、外の明るさとは裏腹に、地下鉄の奥には深い闇が横たわっている。
大戦の前にはメトロを白く快適に照らしていた照明も、現在ではほとんど死んでいる。
暗視がそこそこ効く俺はともかく、リズが頼れるのは腕のPip-Boy3000に付属した小さなライトだけだ。
「リズ、レッスン……13だ」
地下鉄に入る前に、俺は腕組みをしながら話を始める。
「12だよ?」
……と思ったら、話の腰を折られた。心底不思議そうに瞬きをしているリズが憎い。
こういう時には、素の反応じゃなくて優しくフォローして欲しいのだが。
「おお……そうそう、レッスン12だ。よく憶えてたな?」
しかし、そこで怒り出しては大人の対応ではない、俺はにこやかに笑ってリズの頭を撫でておいた。
即座に満面の笑顔になるリズ。マジで扱いやすくて助かる。
「うん! 全部憶えてるよ! えっとねー……」
「いや待った! 言わないでいい!! それよりレッスン12を聞いてくれっ!!」
指折り全部のレッスンの暗唱を始めようとするリズを慌てて止める。
なんか人の口から言われるのはスゲェ恥ずかしい気がするからな!
「はーい」と頷いて、リズは聞く体制に入った。
「えぇと、だな……そう、レッスン12。地下鉄にはフェラル・グールやレイダーがほぼ確実に住み着いてる。罠を仕掛けられてることも多い。命が惜しければ不用意に飛び込むな、だ」
俺の言葉に、リズが困ったよう顔を浮かべる。
まぁ、そうだろう。今からこの中に飛び込むわけだし、心配いなるのは当然だ。
特にリズは、照明の届く範囲が狭くなることで、狙撃が難しくなることを理解してるのだろう。
近距離の精密射撃が出来ても、大勢で襲われたら厄介だ。
下手を打って不意討ちや罠を受けて一気に接近されてしまえば、小柄なリズでは一溜まりも無いだろう。
「ここも?」
小さく屈んで地下鉄を覗きながら聞いてくるリズに、俺は「いや」と首を振った。
俺がウェイストランドを一ヶ月旅して、あちこち見て回った結果、地下鉄が死の顎同然なのは事実だ。
だが、この地下鉄だけは危険が無いと断言できる。その理由は単純明快だ。
「ここは、住んでるヤツが居るんだよ」
このウェイストランドで、即座に銃をぶっ放してこなかった稀有な人物だ。
もっとも、談笑や取引なんてことができるほど友好的じゃあなかったが、少なくともギリギリ会話らしきものは成立していた。その気になれば、情報を引き出すことだって出来なくは無いだろう。
「えぇっ、もしかして、師匠の友達?」
目を丸くした後、何故か髪の乱れやら、服のずれなんかを気にしはじめたリズに溜息を送って否定する。
「ちげーよ。単なる、疑心暗鬼の薬屋と、その護衛だ」
少なくとも、以前に会った時はそう名乗っていた。
「お薬屋さん? 医者の人??」
俺の言葉のどこかに琴線に触れるところがあったのか、リズは食い下がってきた。
そういえば詳しく聞いてなかったが、リズの親父って医者か何かなのか?
「違う。クスリ屋だ。ついでに、言っておくとそいつらは揃ってグールだ。お前の親父って線は無いぞ」
一応断っておくと、リズはきょとんと目を瞬かせて不思議そうにしていた。
「クスリ屋?」
どうやら意味が分からなかったらしい。
このウェイストランドにアホほど蔓延しているドラッグのことを考えると、その辺も早めにレッスンしておいた方がこの娘のためかもしれない。
どうやって説明したもんかと悩みつつ、俺は「行くぞ」とリズに声をかけて、北西セネカ駅へと下る階段をゆっくりと降り始めた。
入り口を塞いでいる鉄の格子扉は、案外スムーズにカラカラと軽快な音を立てて開いた。
「あーっ、待って! ストップー!!」
慌てて追ってきたリズが中に入るのを見計らってから、俺は格子扉を閉じた。
<つづく!!>