ウェイストランドに雨は降らない。
その日の空は、かすかに灰色に淀んだ青空が広がっているばかりで、雲は地平線の彼方に見えるばかりだった。
夕刻になると、地平線がオレンジに色を変えて、雲の縁が赤く彩られる。
あの雲の下では、こっちと違って雨も降るのだろうか?
そんなことを考えた後、苦笑する。
もし雨が降っていたとしても、そいつは放射能をたっぷり含んだ死の雨だ。
とても羨ましいとは思えない。
「あの雲、師匠みたいな形してるー」
俺の視線を追っていたリズが、そんなことを言って、大きい雲の塊を指差した。
なるほど、夕日のおかげで黄色っぽくなった雲だ。
もっともその形からどうイメージしたら俺の姿になるのかまでは分からないが。
「じゃ、その横の小さいのはリズだな」
その横に浮かぶ、細っこい雲を指差してそう言ってやる。
「えー、どこがー!?」
しかし、どうも眼鏡にはかなわなかったらしく、リズは驚きの声を上げた。
それから、うんうん言って雲の形から一生懸命自分の姿をイメージしようとしている。
苦笑してから、俺は貯水タンクのバルブを捻った。
蛇口に口を付けて、流れ出てくる水を、こぼさないようにゆっくり飲む。
「……ふぅ」
乾いた喉に水が染み込む感触を味わいながら、俺は息を吐いた。
ここは、郊外にある打ち捨てられた貯水タンクの一つだ。
こういう施設は、ウェイストランドには意外と多い。
何故それが打ち捨てられているかというと、溜められた水は例外なく放射能に汚染されているからだ。
俺みたいなミュータントならともかく、普通の人間が飲み水にするなら、RADアウェイみたいな放射能除去剤を一緒に飲む必要が出てくるので、とても良い水場とはいえないのだ。
だから、メガトンみたいな大きな集落では水の浄化装置があるし、無くてもある程度は加工して放射能を薄めたものを飲むのが普通だ。
これを使ってるのは、せいぜい旅人か商人か、俺のような集落に近づけないヤツぐらいだろう。
リズがメガトンで拾ってきた空のビン類のうち、蓋のあるものに水を入れていく。
乾ききった空気の流れるウェイストランドでは、長旅には水が必需品になる。
もちろんこいつも放射能入りだが、道端の水を飲むよりはマシだ。
20本分ほどを満タンにしたところで、空を見上げていたリズがこちらに振り向いた。
満面の顔で俺を見上げてくる。
「分かった! あの上の部分の黄色いのが、わたしの髪といっしょだからでしょ!?」
勢い込んで聞いてくるリズの頭を無言でぽふぽふ叩いて、俺は場所を譲ってやった。
「こっちには戻らないから、今のうちに飲んどけ。」
蛇口を示して、バルブを指先で軽く叩く。
「はーい」
返事してからリズは蛇口の前に屈み込む。
だが、バルブを捻る寸前に、動きを止めると、こちらを見上げてきた。
「ねー、師匠。……もしかして間接キッス?」
「あほぅ」
短く言い返して、俺は貯水タンクを囲むゲートを開けた。
次の目的地は、ここからずっと北にある、高架道路跡を利用した人間の集落だ。
だが、もうすぐ陽が落ちる。
夜になればウェストランドの気温はぐっと冷え込む。
俺はともかく、Vaultスーツと革ジャンだけのリズはさすがに寒さで参ってしまうだろう。
寝床を確保する必要がある。
なんだか間抜けだが、結局俺達は一度、俺の棲家である家畜小屋に戻ることにした。
005:「今夜はパーティ-だぁ!!」「……客がいるな」
俺は顔をしかめながら、家畜小屋に向かっていたリズを手で制した。
壁に穴が空き放題になっている家畜小屋の中で、何かが動くのが確かに見えたのだ。
そのまま小屋から離れ、近くの岩陰に身を潜める。
「たぶん、昼間のレイダーの仲間だな。復讐相手を探して、目ぼしい所を嗅ぎ回ってるんだろう」
手早く状況をリズに説明する。
「やっつけないの?」
リズが聞いてきたが、俺は首を振った。
ウェイストランドにはあんな連中、掃いて捨てるほど居るのだ。いちいち相手していてはきりがない。
銃弾や薬の物資にも限りがある。
「やり過ごすぞ。一度見て回れば、諦めてもう来ないだろ」
どうせ捨てるつもりだった場所だから、盗むものも無い。
そんな場所が棲家として使われているとは、さすがにレイダーも考えないはずだ。
「……はーい」
何故か残念そうに答えると、リズはじっと黙った。
手の中で、10mmピストルを弄んでいる。
「さーて……とっとと、行ってくれよー?」
家畜小屋から、二人組の男が出てきた。
片方は頭を布袋ですっぽり覆い、目のところにはゴーグルを付けて顔を隠している。
手には先の曲がった鉄棒。その先端には、明らかに錆ではない、赤黒い汚れが染み付いている。
片方の男は頭をモヒカンにして、ひどく痩せていた。
手には32口径ピストル、ボロきれを鉄鎖で補強しただけの粗末な服には、赤黒い染みがこびりついていた。
「へへへぇ、ブッ殺してやるぜぇ…」
物騒な言葉に、不快な舌なめずりの音が続く。
陽に焼けた浅黒い顔には、殺人を楽しむ者特有のいやらしいニヤニヤ笑いがこびりついていた。
レイダーは、そのほとんどが殺人狂の集団だ。
俺は何度かこの連中の棲家を目にしたことがあるが、連中の所業は異常そのものだ。
奴等の住処では、マットに縛り付けたまま嬲りものにされた首の無い旅人の死体や、鎖で吊るされたまま拷問でズタズタになった商人の死体が、まるで狩りで成果を見せ付けるようにインテリアとして飾られている。
もちろん、それは全て剥製などではなく生の死体だ。
腐る心配など無い。どうせ連中にとって死体なんていくらでも作ることのできるものなのだから、飽きたら新しい死体を飾れば良いだけなのだろう。
俺は、内心で舌打ちした。
たまたまなんだろうが、レイダー達の足は、俺達が隠れている岩陰に近付きつつある。
陽が落ちて薄暗くなってきてるとはいえ、このままじゃさすがに……。
「見ぃつけたぁぁぁっ!」
岩陰に隠れていた俺とリズの姿を見付けて、レイダーが喜びを込めて叫んだ。
内心、俺は溜息をついた。
できることなら、やり過ごしたかったんだが。
「ひゃはぁッ! 女じゃねぇか!!」
「そっちの化け物は殺せ! 女は殺さず捕まえろっ! 今夜はパーティ-だぁ!!」
マスクのレイダーが鉄棒を振り上げ、鋭く俺の頭を狙って振り下ろしてくる。
俺はそれを片腕で受けた。鉄棒のねじれた先端が皮膚に突き刺さり、鋭い痛みが走る。
「うるせぇよ」
俺は逆の腕を伸ばして、マスクのレイダーの顎を掴んだ。
火薬の炸裂する音。
片割れのレイダーが撃った32口径の銃弾が肩の肉をえぐる。
俺はそれを無視して、腕に力を込めた。
「げっ…く」
マスクのレイダーは、呻き声を上げて死ぬ。
犬と同じだ。人間の骨だって、力を込めれば簡単に折れる。
「クソがぁぁ! 死んじまえやぁぁ!!」
叫びながら、レイダーが32口径ピストルを連射してきた。
標準が定まらないまま放たれた銃弾は、俺の脇を反れて、背後の岩で弾ける。
それを最後に、レイダーの射撃は途切れた。
目を馬鹿みたいに見開いたまま、軽く痙攣したモヒカンのレイダーの額。
そこに二つの黒い穴がナナメに並んでいた。
そのまま、ドサリと仰向けに倒れて動かなくなる。
「? パーティーって、なにするの? 悪いこと?」
10mmピストルの銃口から硝煙をたなびかせながら、リズはちょっと不思議そうに聞いた。
「悪いことだ」
いらんことを聞かれる前に、俺はそれだけ答えて、岩陰から周囲を伺う。
「ねーねー、どんなことされるの? 痛いこと?」
俺と並んで岩陰から顔を出しながら、リズがさらに聞いてくる。
本気で分かってなさそうな、純真無垢な視線が痛い。
「油断するなよ。レイダーは大抵、3~5人で行動する。まだ潜んでるぞ」
俺は質問をスルーしながら注意を促した。
一応、事実だ。奴等は必ず、群れで襲ってくる。
「それって……」
リズがまだ何かを言い募ろうとしたとき、俺は腕を上げてそれを制した。
家畜小屋の中から、短髪に髭面のレイダーが姿を現した。
その手にはグレネード。
「おるぅああぁぁッ! ミンチになりやがれぇぇぇ!!!」
レイダーは、姿を現すと同時に、手の中のそれをこちらに向けて放った。
岩陰から出なければ逃げ場は無い。俺はとっさにリズを抱き上げようと振り向く。
その瞬間。
「んっ」
小さく気合を込めるような声と同時に、俺の脇を10mmの弾丸が抜けた。
次いで、背後で爆発音。
俺が振り向くと、放られた筈のグレネードの代わりに、爆発で体をグズグズにしたレイダーが倒れていた。
「……グレネードを撃ち落としたのか」
目を丸めて、口をあんぐりと開く。
とんでもない射撃センスだ。
とっさの判断で、あの距離にあるグレネードに命中させるなんて、アリかよ。
「えへへー、すごい? 褒めて褒めてー!」
俺の戦慄をよそに、その射撃の名手は自慢げに両手をパタパタ振っている。
とりあえず頭を撫でてやると、リズはとても喜んでいた
いや……いんだろうか、こんなんで。
◆
詳しいことを聞いてみたところ、あの射撃にはちょっとしたタネがあった。
それは、リズの腕に巻かれている電子機械だ。
『Pip-Boy3000』というそのベルト上のコンピュータは、持ち主の肉体のコンディションを正確に計測する機能や、入力されたデータの保管や再生、簡単なマップデータの記録などさまざまな機能がある。
そして、その驚くべき機能の一つが、『The Vault-Tec Assisted Targeting System』略して『V.A.T.S.』だ。
これは本来、射撃や格闘の際に命中精度を数値に直して表示する機能なのだが、リズの持つPip-Boy3000に関しては、この機能を利用してより正確な射撃が可能になるように改造を受けているのだそうだ。
具体的なことまでは何故かはぐらかされてしまったが、父親によるものらしい。
「んにー……むにゅう……」
リズは、棲家で横になると、すぐに眠ってしまった。
なんだかんだ言っても疲れているんだろう。
まぁ、たぶん、ガキだからなんだろう。
本来なら、これぐらいの少女が、一人で荒地に放り出されて殺人狂と命のやり取りをする羽目になるなんて、倒れてもおかしくない筈なんだが、この娘に限ってはそういう心配はなさそうな気がする。
だいたい、最初に相手したせいで懐いちまったとはいえ、こんな化け物の膝に頭を乗っけて熟睡するとかありえないだろう。
そもそも、ゴツゴツして痛いんじゃないだろうか。
よっぽどレイダーの死体から剥ぎ取った装備で少し膨らんだザックの方が、枕にするには良いに違いない。
こっそりすり替えておくのが、お互いのためにベストな選択だろう。
「……んぅ……お父さぁん……」
ぬぅ。
俺の膝の上で、リズがそんな寝言を上げた。
息を吐いてから、ザックに伸ばしかけていた腕を止める。
仕方が無いかと呟いて、俺は手の平で顔を覆いながら、空を見上げた。
穴だらけの屋根の隙間から、夜空に浮かぶ白い月が、間抜けな俺の姿を覗いてた。
<つづく!!>