尻尾をフリフリしながら、犬がまっすぐこっちに向かって駆けてくる。
「あ、ワンコだー!」
気付いたリズが、指差して叫んだ。
Vaultは完全に人間のためだけに設計され、構築されたシェルターだ。
特に何かしら必要がない限り、人間以外の動物は中に入れられない。
犬なんて見るのは生まれて初めてなんだろう。
「ひゃー、すごい! ちゃんと四本足で歩いてるーっ!」
はしゃぐリズに対して、犬は応えることもなく、まっすぐに駆けてくる。
このウェイストランドでは、野犬は基本的に吠えたりしない。
吠えれば他のもっと危険な獣に場所を悟られるだけだし、獲物に襲撃を気付かれてしまうからだ。
「……レッスン6だ」
地を蹴った野犬の牙がリズに届く前に、横から腕を突き出して、代わりに噛ませる。
牙が皮膚に喰い込む感触を確認しながら、野犬の体を抱えるようにしてしっかりと捕まえる。
「こっちに駆けてくる四つ足の獣の頭の中には、こっちを喰い殺すことしか頭にない。コイツ等はいつでもガリガリに飢えてるからな」
バタバタと暴れる犬を押さえたまま、もう片方の腕でその首を掴む。
軽く力を込めると骨が砕け、犬の体がビクンと揺れた。
手を解いて犬を落とす。
口の端しか血の混じった泡がこぼれ落ちた。
「……分かったか?」
ちょっと残酷なものを見せたかな、と思って顔を上げると、リズの不安そうな顔が目の前にあった。
視線は、死んだ野犬ではなく、まっすぐ俺の腕のほうに向いている。
「師匠、怪我……だいじょうぶ?」
本気で心配してる顔に、思わぬ動揺を覚える。
慌てて、俺は犬のヨダレで汚れた腕を拭ってリズに見せてやった。
「あ、いや。大丈夫だ! 犬の牙程度じゃ俺の皮膚は大して傷つかないんだよ! ほら、血も出てないだろ!?」
噛ませてから首の骨を折るやり方は、この手の獣を狩るときの俺の必勝パターンだ。
引き金に指を入れにくいライフルを使うより、こっちの方が万倍も経済的だしな。
「そっかぁ……良かった~」
俺の言葉に、リズが胸を撫でおろした。
その様子に俺も安心する。
いや、実は単に格好つけた教え方をしてみたかっただけなので、こんなことでリズにいらん心配させてたら、単に俺が酷いヤツではないか。
「お師匠、ごめんね? 次から、見付けたらすぐに撃つから!」
例の神がかった素早い動作でハンティングライフルを構えながら、リズが宣言する。
まぁ、こいつの場合は別の意味で経済的な狩りをするだろう。特に止める必要もあるまい。
「まー、それはそれとして。レッスン7だ」
地面に捨てていたザックから、コンバットナイフを取り出す。
「四つ足の獣の良いところは、殺したら美味しく食えるってことだ。……これから、ちゃんと保存の利く上手な獣の捌き方を伝授してやろう」
俺がそう言うと、リズは両手を上げて喜びの声を上げた。
「やったー! 新鮮なお肉だー!!」
こうして、ワンコは美味しい昼食になった。
これがウェイストランドである。
004:「メガトンへヨウコソ」 メガトンは、その四方を完全に鋼鉄の壁に囲まれた要塞だ。
唯一の門の上では巨大なタービンが休みなく回転し、鋼鉄の擦れ合う独特の音を響かせていた。
左右に取り付けられたスポットライトは夜には白く輝き、侵入を企む外敵を照らし出し、銃弾の的に変える。
赤い錆びの浮かんだ鋼鉄のゲートが、街の門を閉ざしていた。
「人情溢レル街、メガトンへヨウコソ」
Vaultのデータベースでも見たことのある、汎用型の二足歩行ロボット・プロテクトロンが機械にしては流暢な声で、歓迎の言葉を上げる。
「……水を……水をくれ……。……喉が渇いて、死にそうなんだ」
歓迎の言葉を受けているのは、ボロ布を纏った薄汚い男だ。
大方、住人でもないのに水欲しさに居座ろうとして、追い出された口だろう。
時々、そういうヤツがいるのを見る。
たいていは罵詈雑言を残して去っていくが、たまに飢えて死ぬヤツもいた。
「喉ヲ潤スナラ、モリアティの店へ。冷タイお飲み物がゴザイマス。メガトンでノご滞在ヲ、オ楽シミクダサイ」
喉という言葉にでも反応したのか、プロテクトロンが利口にもメッセージを切り替えた。
もちろんただのCMは、金のない物乞いには何の救いにもならないが。
ゲートの上にある見張り台から一部始終を見下ろしている狙撃手なら男の窮状を理解しているだろうが、もちろん救いの手を差し伸べるほど甘くはない。誰だって自分のことで手一杯なのだ。
「うぅ、くそぉ……」
物乞いが、よろよろとプロテクトロンに近付く。
次の瞬間、プロテクトロンの腕から放たれた熱線が、物乞いの足元を焼いた。
「メガトンへヨウコソ。ゲートに近付かナイでクダサイ」
そして、機械にしては流暢な声で、歓迎の言葉を続ける。
メッセージの後ろについた警告が歓迎の言葉と矛盾しているのはご愛嬌ってところだ。
「……うぅ……」
機械に怒りをぶつけても無意味と悟ったんだろう。
物乞いの男はよろよろとゲートから少し離れた岩の側に座り込んだ。
メガトンを出入りする商人や、旅人からおこぼれを期待しているんだろう。
ゲート上の狙撃手は男をちらりとだけ見たが、それきり興味を失ったのか、もっと遠くに視線を向ける。
足元のクズより、この街を狙うレイダーやスーパーミュータント、奴隷商人共への警戒が、この街にとって最優先すべき仕事なのだ。
◆
「……っと、ヤバい。気付かれるぞ」
一緒に岩陰からメガトンの門を見ていたリズの頭を押さえながら、自分も岩陰に隠れる。
あそこの狙撃手は腕が良い。30メートル近くの距離なら、正確にこっちの頭をふっ飛ばすだろう。
「ふぇー、なんか、すっごい街だねー。なんか、門の上でグルグルまわってるし」
リズは完全に圧倒された顔で、感嘆の声を上げた。
なにしろ生まれ育ったVaultは、シェルターという性質上、どうしても規模に限界がある。
外の世界の街の大きさは、比べるべくもないだろう。
「そうだな。この辺では、たぶん一番デカい街だ」
しかもリズの故郷のVaultからは目と鼻の先だ。
同じVaultから脱走したというリズの父親が立ち寄っている可能性は限りなく高い。
「お父さん、いるかな?」
「ま、あちこち聞いて回れば分かるだろ」
実際、メガトンの中はそこまで広くはない筈だ。
ここ数日やそこらで人が増えたのなら、簡単にその存在は知られているだろう。
「俺は街の中に入れないから、ここからはリズ一人だ」
俺の扱いは、あの物乞いの比じゃあるまい。
親しげに話しかけながら両手を上げて出て行ったところで、ありったけの集中砲火が待っているだけだ。
「教えたことは、憶えたな?」
道すがら教えた、街での注意を確認させる。
「えっと、レッスン8。ウェイストランドのお金は、このボトルキャップ。命と同じぐらい大事だから、取引するときにはよーく考えて、大事に使う!」
俺が数枚だけ渡した、小さな瓶の王冠を手に乗せながら、リズが答える。
ウェイストランドでは“キャップ”という。
「うむ」
実は、俺は取引というのをやったことがないので、相場とかがまるでわからないのだ。
キャップが通貨だという話も、ラジオのDJ・スリードッグ氏のメッセージの受け売りである。
そんなわけだから、俺の溜め込んでいたキャップはわずか数枚だけしかなく、現在の俺達の懐は非常に心許ないと言わざるを得ない。
「で、もう一つは?」
俺が聞くと、リズは「おぉ」とか言って手を叩いた。忘れるなよ。
「えっと、レッスン9! 集落では絶対にモノを取らない、騒ぎを起こさない~……と、あとなんだっけ?」
勢い良く言い始めたものの、肝心の部分がすっぽ抜けていた。
「銃を自分から抜かない、だ」
この辺は難しい問題だが、平和に生きていくには守った方が安全だろう。
確かにウェイストランドは無法の地だが、逆に集落の中では、無法を罰する力は強固な鎖になる。
小さな盗みでも、喧嘩で相手に銃を向けても、この世界では死刑の理由として十分なのだ。
「ちゃんと守れよ。お前の安全のためにも」
今ひとつ覚えが悪いのが心配になって、ぽふぽふと頭を叩く。
「うん。守る!」
そっかのツボに当たったのか、リズは俺の言葉にこくこくと元気に頷いた。
その顔が赤くなってるのに気付いて、慌てて手を離す。
いかんいかん。別に父親でもないのに、あんまり不要に女の子の髪とかに触っちゃダメだよな。
「さて、それじゃ行ってこい! お土産楽しみにしてるからなー?」
背中に背負っていた荷物のうち、いらないものをまとめて入れたザックを渡す。
そいつをキャップに変えて、旅の物資に変えてもらう約束である。
「う、うん……」
荷物を背負ってよたよたと数歩歩いてから、リズはこちらを振り返った。
「ね、師匠。ちゃんと、待ってるよね?」
さっき俺が犬に噛ませた時と同じ、不安そうな顔で聞いてくる。
俺には、なんとなくこの娘の不安の理由が分かった。
たぶん父親が自分の前から急にいなくなったのが、この娘にとってかなりの衝撃だったんだろう。
それで、俺もまたすぐに居なくなるんじゃないかと不安になっている、と。
「おぅ、勿論だ! 朝まで待ってるつもりだから、安心して泊まれそうな宿とかあったら、キャップを使って泊まってきても良いからな!」
俺は出きる限り顔に豪快な笑みを浮かべて答えた。
もし父親が見付からなくても、せめて、この街で信用できる人間の友人でも出来れば良いと思う。それがこの娘にとって一番必要なことだろう。
「ん~……」
なんか、分かったような分からないような返事をしながら、リズはメガトンへと歩いていく。
それ以上顔を出して狙撃手に見付かれば、リズに俺にも不味いことになるので、俺はそれ以上言葉をかけるのを止めて、瓦礫に背中を付けて身を屈めた。
瓦礫の向こうで、『メガトンへヨウコソ』と声が聞こえた。
◆
「ただいま~!」
「……えらく早いなオイ」
なぜか元気良く帰ってきたリズを、岩陰で迎える。
メガトンに入ってから、まだ一時間ほどしか経ってないのだが。
「えっとね! お父さんは見付からなかったけど手がかり知ってるって人が居たけどキャップが無いから教えてくれなくてゴブさんってグールの人が水くれてお仕事無いか聞いたらお姉さんからお仕事もらったの!」
ほぼ全然分からんが親父が居なかったのは分かった。
「よし、一つづつ、順序立てて何があったか説明しろ。できるか?」
俺は肩を掴んで落ち着かせると、とりあえず正確な報告をするように要請した。
以下が、リズの説明による、メガトンの住人への情報収集の結果である。
①入ったら最初に話しかけてきた保安官の人
「こんにちは!」
「フン、また新入りか? ……まぁ、お前みたいな子供なら、何の心配もなさそうだな。メガトンへようこそ。俺はこの街の保安官、ルーカス・シムズだ。必要があれば市長にもなる」
「エリザベスです! ルーカスさん、その帽子、カウボーイみたいでかっこいいねー?」
「フン……そうか? そうか……フフフ。なにかあったら遠慮なく言ってくれ、力になろう」
「あっ、あります! 力になって欲しいこと!!」
「えらく突然だな……いったいなんだ?」
「あのね、お父さんを探してるんだけど……この街に、お父さんが来てないか知りたいの」
「……そういえば、見覚えの無いやつが街に来ていたな。あれは何か目的のある男の顔だった」
「それ! それだよ! どこにいるか、知ってる!?」
「今は街にはいない。そいつはモリアティの酒場にしばらく滞在していた。モリアティのヤツが、何か知ってるかも知れん」
「ありがとーーーっ!!」
②モリアティの酒場のオーナー
「こんにちは!」
「よぉ、俺はモリアティだ。新顔を見るのは嬉しいもんだが、俺に会うとは不幸なヤツだな!」」
「ふぇ?」
「……フン、酒の味も分からんようなガキじゃあ、相手をしても仕方ないか。とっとと親のトコに戻りな」
「あのね、お父さんを探してるの」
「ん? おい、まさかお前、あのおてんば娘か? ガキの時に会ったきりだったが、ずいぶん大きくなったもんだ。まぁ、思ったよりは……まぁ、あんまり成長して無いみたいだが」
「え?あ……んーー? えっと、あのね、お父さんを、探してるんだけど……」
「お前の親父は良いヤツだったからな、正直に話してやろう。お前の親父はしばらくここにいたが、今はいない。行き先は知っているが、こいつは重要な情報だ。タダでは教えられないな」
「ええ!? キャップ、そんなに持ってないのに……」
「なら、大負けに負けて100キャップだ。そいつでこの情報を売ってやろう」
「……そんなキャップ、持ってない」
「じゃあ、金を稼いでからまた顔を出すんだな! ほら、帰った帰った!!」
③モリアティの酒場のグール
「うー、キャップ、キャップ……」
「大丈夫かい、お嬢ちゃん? お互い、上手くいかないことばっかだなぁ」
「うん。そだね……」
「おお?」
「あ、あのね、持ち物をお金に変えるまで、キャップ、あんまり無いから飲み物買えないの。ごめんね?」
「……お前さん、もしかして、グールを見ても嫌ったりしないのか?」
「おじさん、グールって言うの? わたしはエリザベス。よろしくね?」
「え、あ、いや、グールってのは種族のことでな。俺の名はゴブって言うんだが……えぇと、よろしくな」
「えへへ、ゴブさん、よろしく!」
「……お前さん、いいヤツだな。えぇと、なんだ、キャップがなくて困ってるのか?」
「うん。ガラクタとかはあるけど、キャップに変えたいの」
「それなら、クレーターサイド雑貨店に行くと良い。そこで取引をやってるぜ」
「ホント! ゴブさん、ありがとー!!」
「い、いや、なに、良いってことよ!」
④クレーターサイド雑貨店
「……100キャップに足りない」
「ゴメンね。こちらも商売だから、取引じゃオマケできないのよ」
「そっかぁ……」
「うーん、そうだ! それじゃ、こんなのはどうかしら? 私がアナタに仕事をお願いするの。仕事をちゃんとしてくれたら、報酬はちゃんと払うわ!」
「お仕事?」
「変な仕事じゃないわよ? むしろ、この仕事はウェイストランドに住む全ての人類に貢献できる、とってもステキなお仕事なの。ウィストランドの人々の生活はアナタにかかっていると言っても過言ではないわ!」
「うん、やるっ!」
「よーし、乗ってきたわね! それじゃあ、まずは……」
「それで、ウェイストランドのサバイバル本を書く資料のために、実体験として色々やって欲しいと言われた、と」
リズの話をまとめながら、確認のために聞くと、リズは嬉しそうにこくこくと頷いた。
まるで自分の思い付きを語っているかのような自慢げな様子である。
「そこまでは良いんだが……その、最初に言われたのが、『放射能をいっぱい浴びて、体にどんな影響があるか確かめてきて』ってのは、マジなのか?」
俺が慎重に確認してみると、やはりリズはこくこくと嬉しそうに頷く。
「だから、放射能がいっぱい浴びれるところを教えて!」
さらに満面の笑顔でそんなこと言われた。
そんな場所いくらでも知ってるが、教えられる訳がない。
というか、こんな子供相手に……鬼なのかその雑貨屋主人は。
「えーと、な。とりあえず、そっちは辞めだ。終了。そんなアホな仕事は却下してくるように」
「……えー」
「『えー』じゃない! 死ぬだろどう考えても!? 例え生きてても、後遺症とかあったらどうするんだっ!!」
「うー、……師匠がそういうなら」
渋々という感じで頷く。
よし、なんとか大惨事は未然に防いだ。
「それと、モリアティだったか? そいつの言ってることも怪しいもんだ」
だいたい、リズがVaultで育ったなら、当然親父もVaultで育っているわけで、メガトンの酒場に顔見知りが居るわけがないだろう。
それだけでも十分に怪しいのに、情報量に金を要求してくるところは末期的だ。
例え金を払って情報を買ったとしても、その情報に信憑性があるとはとても思えない。
「そっかぁ……」
肩を落としてリズが答える。
言い返さないところからして、本人も少しはおかしいと思っていたのだろう。
小さい頃のことを知っているようなことを言われたのに、本人はそんな記憶が無いんだから、怪しむのも当然の話だ。
「ま、少なくとも保安官のオッサンは信用できるだろう。つまり、メガトンの外を探せばいいワケだ」
ここ以外にも、いくつか人間の集落はある。
旅しながらゆっくり探していけば、そのうち見付かるだろう。
「一緒に来てくれる?」
上目遣いに聞いてくるリズの頭をぺしぺしと撫でて、俺は笑った。
まだ不安がってるのかこのお子様は、まったく。
「最初からそういう約束だろう? 分かったら、変えてきたキャップを食料と薬に変えて来てくれ」
くすぐったそうに目を細めて、リズは「うん!」と元気良く答えた。
<つづくー>