「……あ」
昼休み、いつもの読書スポットにやってきた宮永咲は、そこで子猫のように丸まって寝ている先客を見つけた。
「……縁ちゃん……?」
どうにもクラスで浮いてしまっている黒い少女、藤元縁がそこにいた。
「…………ん」
寝ていたはずの縁だったが、咲の声にピクリと反応して、再度静かな呼吸に落ち着いた。
が、
(……起きてる)
寝ているわりには妙に強張った姿勢で、それこそ猫のように──こちらを探るように警戒していた。
(でも、何やってるんだろう?)
小学生のような見てくれの縁なら、なるほど華奢な咲でも十分押さえつけることは可能だが、わざわざ咲がそんなことをする理由はない。だというのに、縁の態度は、まるでターミネーターに追われているかのような警戒ぶりである。
「……うーん……?」
なんとなく覚えのある感覚に、咲は首を傾げる。どこかでこんな風に、ただ独りでいるだけで神経を磨り減らす少女を見たことがあるような気がした。
(……まぁいいや)
おそらく気のせいだろうと、とりあえずその疑問は置いといて、咲きはなるべく足音を立てずに縁に近付いた。
「────」
(……やっぱり顔見えないなー。前髪こんなんで邪魔じゃないのかな……)
教室では誰かが近付こうとする度にそそくさと離れていってしまうので、寝たふりをして動かないこの機会に彼女の素顔を拝もうとしたのだが、どうにもガードが堅い娘である。
(でも、なんかこの子……いいな)
咲に足音や気配を完全に消すスキルなどない。手を伸ばせば届く位置にまで接近すれば、流石に縁も気付かないはずがないのだ。
にもかかわらず彼女が動かないのは“動かない”のではなく“動けない”ということなのだろう。
(寝たふりしてればどこかに行くと思ってたけど、なんか近付いてきちゃって困ってる──みたいな?)
「──うぅ」
「ふふっ」
気圧されるように呻き声をあげながらなおも寝たふりを続ける縁の健気さに、咲は思わず頬を緩ませる。
そして何となく縁の頭に手を伸ばそうとして──
「っ!!」
「わっ」
パシッ、と咲の手を払い、縁は跳ねるように距離をとって咲を睨み付けた。いや、やはり咲からは彼女の表情は見えてないので、あまり意味はないのだが。
「な、何のつもりですか!? この集団ドッキリのネタばらしなら大歓迎ですが、そうでないなら」
「えいっ」
「きゃあ!?」
ちょっと何言ってるか分からなかったので、黙らしがてらに思いきって押し倒してみた。
「は、放せっ! 私を改造手術して悪の怪人にでもしようって──」
「ああ、やっと顔見れたよ。最初からこうすれば良かった。可愛いー」
「!? ぬぐおぅっ!!」
「わわっ」
前髪を退かして、そのあまりにも幼い顔立ちに和んでいたら、火事場の馬鹿力でも発動したのか、華奢な身体からは想像もつかない力でもって突き飛ばされた。
「み、見られた……っ!? 私の顔……可愛いっ!? い、いや、とりあえずこの女ぶっ飛ばして──!」
「ふぇに……ひょっ?」
何かショックだったらしい。愕然とした様子で物騒なことを呟く縁に声をかけようとして、咲はそれに気付いた。
(……何これ?)
おそらくさっきの一瞬の接触の間だろう。口の中に何かが放り込まれていた。
「──ん」
感触からして、小さくはあってもそれなりの大きさであることは分かったので、万が一にも飲み込んでしまうとあるいはあっさり死にかねない。咲は慎重に、口を下を向けて手を入れ、吐き出すようにそれを取り出した。
「……? あっ」
「返せノーパン痴女っ!」
その小さな瓶が取り出されると、縁は乱暴にそれを奪い取り、威嚇するように咲を睨み付けてから走り去っていった。
「な、何なの……?」
それを見送りながら咲は思わず呟くが、縁が突然異世界に来て不安定になっている事情など、当然咲には分かるはずもない。
「まぁいいや……──ん?」
とりあえず彼女のことは忘れて、当初の予定通り本でも読もうかとした時、ガクリと、歩き出す前に膝が崩れるように折れた。
「っとと。な、何……?」
突然の身体の不調に咲は戸惑うような表情を浮かべ、ようやく、何故か口の中に妙に甘い感覚が広がっていて、何となく頭の奥が熱くなっているのに気付いた。
「……そうだ、さっきの……!?」
立ち上がりながら少し考えて、咲は先程瓶を取り出した時、そこに蓋がされていなかったことを思い出した。慌てていて気付かなかったが、おそらく瓶の中にあった「何か」を飲んだせいでこんな気分になっているのだ。
とその時、
「宮永さん?」
「あ──」
ぽけー、と突っ立っていた咲に背後から聞き慣れた声が掛けられた。
「どうしたのですか? 顔が赤いですけど、どこか具合でも悪いのですか?」
「────」
「あの……宮永さん?」
振り向いた先にいたのは、思った通りのピンク髪の美少女──原村和だった。
だがしかし、何かおかしい──そう、
「原村さん──」
「は、はい?」
「原村さんが……何かいつもより綺麗に見える……」
「えっ、は? ……えぇっ!?」
「視界に花が咲いてる……これが嶺上に咲く花……?」
「い、意味が分かりません! からかっているなら──宮永さんっ!?」
「原村さん──っ!」
「抱きつか──きゃっ!?」
「いただきます」
/食堂
どこか意味深な印象を受ける縁の言葉について尋ねる暇を与えず、直子は彼女を連れて睦月達から離れていった。
「内緒話。付いてきたら──す」
重要な部分を伏せて、ボソッと囁かれたその脅しに歯向かうつもりはなく、睦月達はそのまま食堂に残ることになった。
「二人とも何話してるんだろうねー」
「そうですね。直子さん、何か苛々した感じでしたし」
「直子さん、子供嫌いそうだしねー」
退屈そうに紗綾と葉羅がそんな会話をする姿を、学年の違う睦月は何となく居心地悪く眺めていた。
(……何か、場違いな気がするな……)
面識はあり、それに特に何も考えてなさそうな紗綾に気後れすることなどないが、初対面でいきなり荷物のように運んでくれた葉羅にはすっかり苦手意識が出来てしまったらしい。どうにも会話に入りづらかった。
そんなわけで、睦月はお茶を飲みながら携帯を弄り、私には構わないで下さいアピールをしてやり過ごしていた。
──が、
「そうでなくても……縁ちゃんでしたっけ? ああいう自意識の強そうな、我が儘な女子って、直子さんあまり好きには思えませんし」
(!)
「えー、そうかな? 前ちょっと話した時は、そういう子には嫌われやすいだけで、直子さん自身は好きなタイプって言ってたけど──」
「何だと?」
「「わっ」」
聞くともなしに聞き流していた、聞き捨てならない紗綾の言葉に、睦月は思わず会話に割り込んでいた。
「ちょっとお嬢さん、その話もうちょい詳しく」
「むっきー先輩? いきなり入ってきてそれはないと思いますよ?」
「えへへー、行儀の悪い先輩にはこれ以上教えてあげなーい。ねー千歳ちゃん?」
「……何でここで私に振るのよ」
にんまりと意地悪い笑みを浮かべた紗綾に抱きつかれ、睦月と同じように知らんぷりオーラを出して隣に座っていた千歳が面倒そうに眉をひそめた。
「や、いるのにあんま喋んないし」
「興味ないの。直子さんは好きだけど、あなたたちみたいにベタベタするつもりはないし」
そう言って、千歳は気取ったように目を細める。あなたたちって私も含まれるのかな、などと睦月が考えていると、紗綾が笑いを堪えるように口に手を当て、葉羅は小馬鹿にするように肩を竦めて、言った。
「まっ、私達の中でいっちゃんエロいむっつりさんの癖に。スカシちゃって」
「今だってソッポ向いて何考えてたんだか」
「い、言いがかりだ。止めてよ、変な誤解されるでしょ!」
一転して、焦ったようにチラリと睦月を見てから千歳は二人に怒鳴った。葉羅と同じように、睦月は千歳とも今まで話したことはなかったが、まぁ確かにそんな第一印象を持たれるのは嫌だろう。
「いやぁ──」
『──D卓、南二局が終了しました。大将戦に出る選手は準備を始めておいてください。繰り返します──』
「うむ?」
何かフォローしようと口を開いた睦月だが、同時に聞こえてきた場内アナウンスの方に注意が向いた。
「今の、直子さんの組だよね?」
「もうすぐみたいですね。探しに行った方がいいんでしょうか?」
「う、うーむ。いや、大丈夫だと思うけど──」
「────」
/会場 廊下
内容がどれ程のものか判断が事前に判断することが出来なかったため、食堂からある程度離れた会場内の片隅に縁を連れ出して、直子は彼女の話を聞いた。
「──と、いうわけで……何かエロくなっちゃった宮永さんを……どうにかして元に戻してください……」
「……えー、マジでー?」
陰気な喋り方でそんな風に纏められ、直子は頬をひきつらせたまま肩を竦めた。
「……いつの間にか家に……『家』にあって……軽い興奮剤か何かだと思ってたんです……っていうか、宮永さん以外に使った時は……実際その程度の効果しかなかったんですけど……何故か宮永さんには漫画の媚薬みたいな効果になっちゃって……元に戻らないんです……」
「医者連れてけよ」
「そうすると、私が今までやってた“遊び”が色々バレちゃうかもしれません」
口元を薄く歪ませて、フルフルと頭を振って縁は言う。
「……それにもしかしたら、この薬も違法なやつかも……私、捕まってしまいます」
「────」
あまりにも勝手な言い草に直子は目をつぶって考え込み、そしてすぐに開いて──、
「うん、知らん」
「……え?」
「面倒だ。媚薬だか興奮剤だか何だか知らんが、何かあっても多分お前が捕まるだけで事態は収束するし、そもそも私じゃどうにもならんし。だから、知らん」
相変わらず少女の表情は見えないが、間の抜けた声が聞けたことにとりあえず満足して直子は振り返ってその場を去ろうとする。
当然、少女がそれを許す筈もない。
「ちょっと……待って、下さい」
小さな手を伸ばして直子の制服の裾を掴み、若干焦りを含んだ声音で縁は直子を引き止めた。
「……宮永さんの安全が……保証されてません」
「だから私じゃどうにもならんのよ。それに楽観視するわけじゃないけど、多分問題ないでしょう」
「……?」
鬱陶しげに言った直子に、縁は不思議そうに首を傾げる。そんな彼女の反応を見て不愉快そうに微笑んで直子は言った。
「私の『家』にもよく分からんもんが出たり消えたりするけどね、害になったことは一度もないわ。何度もぶちこめば多少は身体壊すかもしれないけど、その一回だけなんでしょ?」
「……は、はい。でも実際宮永さんは──」
「発露するきっかけがその薬だっただけで、元々エロいレズ娘だったんじゃない?」
「……一回戦の後、倒れました」
わざわざ他校に人間にまで頼ろうとした原因である出来事について縁は語る。後を追って入部したものの、あれさえなければ縁ただ様子を見るだけでいるつもりだったのだ。
が、それすらも直子にとっては大した出来事ではない。
ケロッとした口調で言う。
「どっかで自慰でもして疲れてたんだよ」
「ありえません」
「あるあるだよ。最近ウチの桃子も授業中よくやってるし。で、昼休み寝てんの」
「何それ怖い……っていうかじゃあ、私がこんなに慌てるなんて……なかったの?」
「そうだな。まぁ、ここではあんまり深刻にモノを考えるなよ。今の私らは誰かの見ている夢にでも登場してるんだと思っておきなさい」
額を小突いてそんな風に言った直子を、縁はボーッとした様子で見ていた。
「……? 何?」
「──いえ、その……」
ピンポーン
『D卓、南二局が終了しました。大将戦に出る選手は準備を始めておいてください。繰り返します──』
「あら、出番だわ。じゃ、火遊びはいいけど、くれぐれも余計なイベントは起こしてくれるなよ。せめて自分でどうにか出来る範囲のことにしてくれ」
「あ、えと──な、名前……教えて」
「うん? 言わなかったっけ?」
何故かそわそわと落ち着かなそうに言った縁に、直子はキョトンとした表情で首を傾げる。睦月を担いだ葉羅達が食堂に来た時軽く自己紹介した後、「名字で呼ぶのは敵だけだ。さてお前はどう呼ぶんだ?」と、確かにキメ顔でそう言ったはずだが──、
「聞きましたけど……っていうか元々調べてから来た気がしますけど……興味なかいんで忘れました……」
「あっそう。いいけど、じゃ前のとは別のやつで名乗ろうか」
「?」
思いついたように言ってから、直子は胸を張り不敵に口元を歪めて朗々と名乗りをあげた。
「大中直子。『豪華絢爛にしか生きられない、そういう女よ』」
「……引くわー」
「あれ? むっきーには好評だったのにな」
気持ち悪そうに一歩退いた縁の反応に、直子は残念そうに頬を掻いた。