ユーチャリスはステルスモードと呼称される状態で、木連艦船を引き連れて木星宙域を進んでいた。
時は第一次火星大戦よりも前。木星より地球へ向けて大使を乗せた船が出発する日。
違った形を進んだ過去において語られておきながら、知らされなかった悲劇の大使が出発を迎える日だった。
ユーチャリス、白銀の戦艦はこの日を待つまでもなく、行動できた。
火種にもなる生存者を残す必要はない。それでも、今日という日を待ったのには理由があった。
木連が壊滅的な状態に陥って、未来はどのように変化するのか。
ユーチャリスによって、相転移エンジンとディストーションフィールドという技術は細々とネルガルの技術利権として公開、普及される。
これによって、生まれるエステバリスも先々に軍事展開してゆくだろう。
ユーチャリスという船は、現在におけるオーバーテクノロジーだった。この船を凌駕するものが、搭載したブラックサレナを超えるものが現れるのか。
それを知りたい意思が、テンカワアキトにはあった。
技術の革新などというのは、起こらなければそのままに。遅々として違う系譜をたどる。その異なる系譜を見てみたいという知的好奇心がテンカワアキトにはあった。
ユーチャリスは完全な形でこの世界にジャンプアウトした。
乗員たる二人もまた、完全な形で。
ナノマシンに犯されていた体は、そのままに。テンカワアキトは五体を知覚できない状態で。
ラピスラズリは彼を看病した。
此度の実験は治療の方法として、一つの可能性がイネスより提示された空論から発生している。。
肉体の再構成、ボソンジャンプにおきる物質の再構成。ジャンプイメージにおいて伝達される自己情報の構造を改変する。つまりは、ナノマシンに最適した肉体となり、不要とされるナノマシンをジャンプ対象外と認定する技術。
それには遺跡の研究が不可欠となる。ボソンジャンプのイメージ伝達ノイズが発生しない状況に無くてはならない。
だから、ジャンプが知られていない時代に。誰も知らない、知られることのない世界で、この研究は行わなくては成らない。
火星と木星の間にある、小惑星帯にジャンプアウトしたユーチャリスは、実験の成功を知った後に行動を開始した。
艦船の出発を確認した後、ユーチャリスはエウロパ、ガニメデ、カリストに引き連れた無人の味方艦を引き連れて照準を合わせた。
木星の公転軌道や衛星を考慮して、都市を狙い打つ。
最初から生存者の発生など慮外とした攻撃。
たとえ生き残ったとしても、彼らを無視する決定があった。
血にまみれた手、身体。そういった汚らわしいイメージは、外面と自己の倫理秩序からの逸脱から生まれる。
ラピスに、まっとうな倫理秩序は備わっている。だが、そのまっとうなもの以外に目的のために犠牲や血の穢れを厭わしいと思わない。
時を超え、可能性を実現させたどり着いた過去かも並行世界とも取れる世界。
重力波砲がコロニーに突き刺さる。
世界全てを敵にするよりも、知られていない世界に生きる少数を犠牲にたった一人を救う。
天秤の傾きなどは考えられていない皆殺しもできる行動。
「アキト、待ってて。」
ブリッジのラピスは同じ室内にある生体ポッドに眠るアキトを振り返る。
培養液に漬かった彼は、死の間際にある。
ラピスは、アキトに死んでもらっては困る。
彼が自分の所有者であり、自分の所有物なのだと彼女は認識する。だから、一人にされては困る。
木連における大使出発は盛大に行われる式典。
最新式ではないが、有人艦として建造された船は平和を祈る純白。
今までプラントにおいて製造された艦船のような、紫色ではない。平和を祈る色。
大使を送る軍人や市民団体、政府首脳の顔は出発に、希望を抱きつつ、暗雲を感じていた。
木連という国家は、善性や悪性のどちらかといえば善性から発祥した国家だ。
だが、独立するために封殺された過去が、彼らのもつ独立心を正しいものとして、疑問を封殺して存続してきた。
「では、出発します。」
大使の宣言が、市民に公開されたモニタ越しに発せられる。
歓声。
いわく「頼むぞ。」「我らの意思を伝えてくれ。」「独立万歳。」
だが、彼らの抱くことがなかった別側面の見識は、彼らの蒙昧さを糾弾する。
お前たちの抱くの目標は独立であるが、地位の復活と存在を知らしめる行為は、為政者からの虐殺にも繋がるのだ。
ハッチが開いて艦が出発した時点で、コロニーは致命傷の攻撃を受ける。
重力波砲。ユーチャリスと木連艦艇が放ったそれは、3つのコロニーに致命的な攻撃を与えた。
真空中を隔す外壁が破られ、一般市民と軍人を識別せず空気を奪う。
重力発生の技術がなかった中で、真空中に飛ばされたもの。生き残ったものも多くいた。だが、大気の流出は致命的だった。
この一撃によって、コロニーの気密ブロックが生き残ったブロックのみが残る。
コロニーといっても、当代における月のような、空間的なドームではない。
仮設住宅が連なったブロック方式。
コロニーは結束を説いて、大気流入をカットする。
ラピスは当然、この惨状においてバッタを射出してアンテナ翼を展開。
電子戦において木星圏を制圧した。
一部軍施設より反撃指示。だが、指示そのものを封殺して緊急事態用の自爆システムを使用。これによって、センサーや通信機器は断絶。
バッタはその間に勢力を増やして、遺跡プラントを回収する。
プラントによって受ける恩恵は、木連を発展存続させてきた。
数にして100基。ユーチャリスには搬入不可能だ。
よって、木連艦船に牽引支持。複数のコロニーに分散されたプラントを全て接収。阻まれるならば、完膚無きに破壊した。
「これでいい。いいよ。」
涙が流れた。
皆殺しではない。
手段として必要とされる過程の消化。
その達成に感じる達成感。
「アキト、待ってて。」
培養層のテンカワアキトは、皆殺しの劇場を見えない目で見ることはない。
ラピスラズリの行動を彼は知覚する。
懊悩はない。
ミスマルユリカ、ホシノルリ。過ぎ去った家族。
ナデシコや過去の善性。
実験によって失われた理性に変わって獣性が彼を駆り立てる。
手負いの獣は、自分の手にした自分が生きるための果実を離さない。
そして、果実は自分を支配する唯一の条理だった。
前の世界で抱きしめた感触はどうだったか。
次に抱きしめるときに感じる感触はどうなるのか。
家族というものは、ないものだった。父親の叱咤や激励、親愛。母親の慈悲や慈愛、厳しさ。全てではないが、それらはなかった。
外界こそが父であり、母であった。
意識的に向けられる愛はなかった。自分のみに注がれる愛を、自覚して感じることはなかった。
だから、果実たる少女の愛を、彼はむさぼる。
そうして、彼は少女にむさぼられながら、貪る。相食む蛇。絡み合う。
木連という国家が死滅する。
だが、現実は現実としてあるだけだ。
「さよなら。」
ラピスのリンクに響く離別の言葉。
あったかもしれない戦争を滅した。飛び散った生体ポッドに生きる彼らに戦の火種は宿るだろうか。
ユーチャリスとプラントを牽引した艦船は、彼らの未来を夢想せずに宙域離脱を開始する。
「行こう行こう航海へ!」
ラピスは慣れない微笑を浮かべ、アキトは彼女と生きるために存続する意思を燃やす。消えることのない命の炎。