熱い。
体が燃えるのではないかというくらい熱い。そして同時に凍えるのではないかというくらい寒かった。
寝ているような、でも起きているような、夢と現の狭間を行ったり来たりしている。
苦しくて、心細くて、きっと涙まで出ているのではないか。
ぼんやりした意識しかないのに、それでも堪らなく誰かに傍に居て欲しかった。
お父さん、お母さん、レン……
そんな叫びが聞こえていたのか、実際声に出して言っていたのかどうかは分からない。
だけど不意に掌に感じた誰かの手の温もり。
その手は硬くて、ゴツゴツして、でも温かかった。大きくて頼りがいのある手だった。
離れて欲しくない一心で手を握った。実際手に力が入ったかどうかは分からない。
「おとぅ……さ…」
でもより一層力を入れて握ってくれた手の平に安堵して、そのまま私は意識を失っていった。
第4話 「騙す覚悟」
「お、目が覚めたか? 体辛くないか? 水飲むか?」
目が覚めると知らない男のドアップでした。危うく悲鳴を上げるかと思った。
何がどうなっているのか。寝起きのせいか酷く頭が混乱している。ここどこ? この人だれ?
「あ、ありがとうございます」
質問しようとする前に目の前に水差しを差し出されて、半ば反射でそれを受け取った。
常温に晒されていた水はぬるかったが、カラカラだった喉に心地よく染み渡る。というか水飲んで喉が渇いているのに気づくなんて、どんだけ混乱していたのか自分。
結局水差しに入っていた水を全部飲んでようやく一心地ついた。水差しを返しながら目の前のお兄さんを観察する。
椅子に座っているから正確な身長は分からないが、結構背が高そうだ。短く刈った黒い髪に黒い目。前世ではよく見た色だがこっちでは初めて見た。ちょっとワイルドっぽい雰囲気の漂う結構な男前さんだ。
「あ、あの……」
「腹減ってるだろ? シチューなら食えるよな。ちょっと待ってろ、今持ってくる」
こちらの困惑にまるっきり気づいた様子もなく、お兄さんはそれだけ言って部屋から出て行ってしまった。この空に伸びた手はいったいどうすればいいというのか。
「……むぅ」
なんという人の話を聞かないお兄さんだ。というか空気を読まないお兄さんだ。いくら男前でもKYはモテないぞ。
普通こういう状況って説明から入るんと違うん?
まぁでも言われてみればたしかに空腹ではある。ここは素直にご飯をいただくとするけども。
「でも、本当にここどこだろう?」
とりあえず状況を整理してみよう。
ここがどこかは分からないし、少なくともあのお兄さんは悪い人ではなさそうだ。KY……いや、仮にも親切にしてくれた人にこの言い草はないか。マイペースすぎる人ではあったけども。
ここに来る前、私は……
「ッ!?」
お、思い出した。
というか起きてから結構経つのに思い出そうとするまで思い出さないとか。我ながらなんという愉快な精神構造をしているんだろう。
でも、とりあえずは。
「生きてて……よかったぁ………」
大きくため息を吐く。
前世よりも若い身空で死ぬとか、さすがにそれは私が可哀想過ぎると思う。
とりあえず家族は全員無事のはずだから、そこは安心だけど。
この体中にぐるぐるに巻かれている包帯はあの時の怪我のせいか。本当に自分よく生きてたなぁ。
胸に手を当て、いつものように治療呪文を唱えようとして……
ちょっとマテ。
今回の事件の発端を忘れたんか自分。ここでいきなり怪我が治りましたとかどうかんがえても不審すぎる。
あのお兄さん、いい人みたいだったけどそれとこれとは話が別だ。
忘れたのか。回復魔法は私を攫うためだけに村に襲撃が掛かるくらいに貴重な技能なのだ。ましてや私には力ずくで来られた時に抵抗する術がない。
自分に攻撃魔法の才能がないのが本当に悔やまれる。
……こっちの手の内は極力見せないほうがいいだろう。
とりあえず、あのお兄さん……ひょっとしたらまだ人がいるかもしれないけど、助けてくれたってことは基本いい人のはず。
ここは無力な少女を演じよう。いや実際無力だけども、それはともかく。
前世の知識舐めんなよ。元男だからどういう子が理想の女性……この場合理想の女の子か。とにかくどう動けば可愛がって貰えるのかはよく分かる。だって自分が可愛いと思う理想を演じればいいのだ。
こんな話を聞いたことがある。男性の理想とする女性はおらず、女性の理想とする男性もいない。だから男性が女性の真似を、女性が男性の真似をしたほうが現実の異性よりもずっとよく見えるという話。
この話を聞いたとき、なるほどと思ったものだ。男心を理解してくれる女性、女心を理解してくれる男性。そんな存在は全人類の憧れだ。
そして自分は今そんな存在に限りなく近い。よくよく考えてみれば演技するまでもなく、今までの自分はそんな節があった。
これからはそれを意識して行おう。ずっとずっとそれを続ければ、それはきっと本物になるはずだ。幸い下地は出来ている。
まずは当面のコンセプトを決めよう。今の私は直前の記憶が確かなら、怪我だらけで川に呑まれたはず。つまりワケありで可哀想な子という設定の下地がある。まぁ、よくよく考えれば本当に私可哀想な子だけど。
とりあえず、同情を引こう。不幸な境遇にも負けない、健気な子。でもどこか放っておけない子を演じよう。
(……あんまりこういう考え方、好きじゃないんだけど)
――コンコン
「ッ!? は、はいッ!」
心臓飛び出るかと思った。悪いこと考えてる時に不意打ちは止めて欲しい。
あのお兄さんもう戻ってきたのかと思ったら、入ってきたのは別の人だった。
「始めまして、お嬢ちゃん。体の具合はいかが?」
「あ、はいッ、大丈夫です」
軽くウェーブの掛かった金髪を後ろで一まとめにした結構な美人さんだった。やっぱりあのお兄さんの1人暮らしってわけではなさそうだ。
トレイには湯気を立てるシチューが乗せられていて、その匂いに思わず喉が鳴ってしまう。
私、こんなにお腹空いてたのか。
「あの、さっきのお兄さんは……」
「アラ、あの子自己紹介もまだしてなかったの?」
まったくしょうがない子ねぇと続けながらトレイを渡してくれる。私はそれをおずおずと受け取って、
「あ、あの……これ私が食べても、いいんですか?」
シチューと女性に視線を交互にやり取りし、本当にコレ私が食べてもいいの? というのをちょっとオーバー気味に演出する。
ほら、思ったとおり彼女の目に同情の色が宿った。
「ええ、それはあなたのよ。遠慮なくおあがりなさいな」
「は、ハイッ! いただきますッ!!」
ちょっと大げさに返事し、さっそくシチューに取り掛かるのだが、
「あつッ!」
……たしかにちょっと急ぎ気味に食べようとはしたが、これ素で熱かった。
「ああ、ほらほら。そんなに急がなくても誰も盗ったりしないわよ?」
ハンカチで私の口元を拭ってくれる。は、恥ずかしい……なにをしているのか私は。いや、これはこれで微笑ましくていいかもしれないけど、恥ずかしいものは恥ずかしいわッ!
結局その後はゆっくり食べたのだが、本当にお腹が空いていたので知らない間にペースアップしていたっぽい。
(そういえばこのシチュー。どことなくお母さんのシチューに似てる……)
もう、食べられないのかなぁ。
そう思ったら、食べながら涙が出てしまった。
お母さんは生きているのだから、戻ればまた食べられるのに。でもきっと二つの意味でもう戻れない。
一つは物理的に道が分からない。かなり長期間移動したはずだし、途中で船にまで乗った。何より私は自分の村がどの大陸のどの位置にあるのか知らないのだ。あの村に地図なんて高尚なものはなかった。
もう一つは……戻った所できっとまた同じようなことが起こるだろうからだ。
もう家族に、村の皆に迷惑をかけたくなかった。今回は運よく死者が出なかったが、次もそうとは限らない。
戻らないほうがいい。きっと、家族にとっても私にとっても。
「ど、どうしたの? どこか痛いの?」
心配そうに聞いてくる女性に首を振りながら、もう無言で食べた。演技とか、そんなことを考えている余裕なんてなかったのだ。
全部食べ終える頃に、ようやく涙は止まってくれた。
私、こんなに涙もろかったんだなぁ。女性は感情で生きる生き物だって聞いてたけど、本当だわ……
「まだ疲れているでしょう。ゆっくりお休みなさい。元気になったら、あなたのことを教えて頂戴ね?」
「はい……すいません、ありがとうございます。あ……」
「あら、そういえば私の名前も教えてなかったわね。これじゃあの子のこと、とやかく言えないわ。私の名前はフラウよ。あなたのお名前は?」
「キアです、フラウさん。シチューご馳走様でした」
「お粗末様でした。ほら、もう眠りなさい? 早く元気にならないと、ね?」
「はい。おやすみなさい、フラウさん」
「おやすみなさい、キアちゃん」
横になると、毛布を掛けてくれる。本当に体力がまだ回復していないらしくて、横になったとたん猛烈に眠くなってきた。
……こんないい人たちを、私は騙そうとしている。実際に嘘を吐くつもりはないが、あきらかに演技を混ぜて自分に都合のいい結果を導こうとしている。
ごめんなさい、ごめんなさい。
どうしようもない罪悪感を感じながら、私は睡魔に身を委ねた。