「勘当だ」
その言葉に、思ったほどの衝撃は受けなかった。
「今日中に荷物をまとめ、神凪を出るがいい」
目の前の父親がそういう男であることは知っていた。
抱いた期待を切り捨てる。
綾乃が消し切れなかった残滓を残らず拭いとる。
これが始まり?
ありえない。所詮無様な敗走でしかないのに。
だから言おう。負け惜しみだとは理解している。
薄っぺらなプライドをもって、道哉は最後の最後に父親に仕返しを、決別の言葉を放った。
「わかりました、厳馬殿」
___二度と、父上などと呼んでやるものか。
厳馬にとって、道哉にそう呼ばれることは全くの予想外だった。
今までピンと張りつめてきた糸。
ともすれば拷問とも思える修練を繰り返し、親しい人間とはほとんど接触しない日常。
そう仕向けたのは他ならぬ自分だ。
あまりにも強き意志、休息などいらぬと言わんばかりの努力は、いつか必ず道哉自身を食い尽す。
取り返しがつかなくなる前に止めなければならない。
だが、厳馬は神凪の術者。
道哉を止める言葉など持ち合わせてはいない。
だからこそ限界まで追い詰めた。
いずれ、神凪に縛り付けられた鎖を解き、自由という道を指し示すその時に、後ろを振り向くことなど決してないように。
彼の執着を破壊し、その有り余る才能を別の方向に伸ばさんがために。
双子の兄、初めて抱いた自分の子。
愛していないと言えば嘘になる。
心配していない、といっても嘘になる。
親というものは、いつだって心配性なものであるから。
それでも厳馬は己の子の力と心を一切疑ってはいなかった。
___道哉には、神凪は狭すぎる。
炎術こそを至高とする男の、胸中。
綾乃の炎を正面から打ち破ったと聞いたときは耳を疑った。
厳馬も盲目ではない。どうあがいても人間がかなわない者や、己の力など塵芥とも感じぬ化け物が存在することを知っている。
ゆえに、その中の一柱である精霊王、世界を構成する要素の頂点に立つ偉大な神の眷属たることを誇りとしてきた。
己の矮小さを知り、かの者の偉大さを知り、伏して力を求め、与えられた力は一片の妥協もなく磨きあげてきた。
いと小さき人の身。
拳一つで神の眷属たる炎の巫女を打倒した息子。
制御しきれなかった気は内臓を傷つけ、限界を超えた腕はズタボロだ。
完治させるのに心霊治療で丸一日かかったほどの代償をもってもたらされた結果。
そう、『たったそれだけの代償』で彼は惨敗の運命を打倒した。
それで充分。心配など不要。胸を張って送り出そう。
道哉に炎術の才がないことを確信した時からかぶった仮面が不要になる瞬間。
疲労と、安堵。
その一瞬に入り込んだ他人を思わせる響きは、確かに厳馬を強く揺さぶったのだった。
厳馬がほんの少しだけ、表情を変えた。
そんな生きた表情を最後に見たのは一体いつだっただろうか。
『してやったり』と思う感情がある。
『この程度のことで?』と不審に思う経験則がある。
『また期待して裏切られるのか』とおびえる自身がいた。
話は終わったはずだ。このまま無感情に突き放してこの部屋を去る、それだけのことであるはずだ。
浅はかにも希望を持とうとする自己を戒める。
この男が何を言おうが、心にまでは届かせない。
そうして、数秒の沈黙の後に厳馬が懐から取り出したのは一枚のキャッシュカードだった。
「一千万入っている。これを持ってどこへなりとも行くがいい」
自分からは渡さないつもりだった。このあと道哉が向かうであろう宗主か、母親に渡してもらうつもりだった。
何故自分は。
その困惑は、この場において厳馬のものだけではなかった。
なぜ厳馬は、完全に突き放したこのタイミングで。
受け取るのか、受け取らないのか。
迷ったあげく、道哉は真意を確かめんと厳馬を見た。
そこにあったのは、どこか悔やむように目を瞑った父親の顔。
「ありがたく、頂戴いたします」
頭をさげ、目の前に置かれたものを手に取る。
今度こそ厳馬は振り向かずに出ていった。まるで何かを振り切るように。
複雑な親子関係。お互いの胸中などあずかり知らぬ二人は、それでもどこかスッキリとした気分のままに、別々の道を歩みだしたのだった。
この数日間は、ある程度予想を立てていた道哉にとっても激動の日々であった。
望んだ相手と望まぬ相手。
迫りくる炎と新たにした決意。
解放と追放。
父と、息子。
不完全燃焼で終わった継承の儀のせいで、心が砕けるほどの苦痛を味わうかと思っていた。
蓋を開けてみれば何のことはなく、こうして数少ない思い出を振り返りながら出口に向かって歩く。
特別誰かに別れを告げる気はない。
和麻は再会したら一発殴る。それだけでいい。
煉は数日前に会った。お前は強くなれる、焦らずすすめと言った。別れの言葉だとわからなかったらしい煉は無邪気に笑っていた。
玄関にたどり着く。
靴を履いて振り返り、頭を下げた。
全てを水に流せるほど強くはない。けれど、ここは確かに神凪道哉の居場所だった。
玄関を出る。
門までの長い長い道のりに、一人たたずむ黒髪の少女。
「行くのですか?」
道哉は苦笑する。
___だって笑うしかないだろう。別れを知らせたいと思った最後の一人が、待ち構えたようにいるなんて。
「勘当、されちまったからな」
当たり障りのない答え。
今生の別れにもなり得る場面なのに、口を衝いて出るのは強がりや無意味な言葉。
「宗主に挨拶はなさいましたか?」
「いや。礼を失すること甚だしいとは思うんだけどな、気苦労の多い人だ、これ以上迷惑はかけられない」
「何も言わずに、という方が心配なさるのでは?」
「ははっ、そうかもしれないな。それでも、決意が鈍ると前に進めなくなるから、会わない方がいいんだ」
このまま行けば、心引き裂く『運命』とやらが待っていることは確実だろう。
けれど誓った。
運命になど負けてやらぬと己に誓った。
「道哉さま」
初めて会った、あの日のような声だった。
和服の少女、大神操が深々と頭を下げる。
「お帰りを、心よりお待ち申し上げております」
既に神凪は帰ってくる場所ではない。
世界にひとり放り出された道哉。二度と会えないかもしれないからこそ、その言葉を選んだ。
死なないでほしい。また、いつか元気な顔を見せてほしい。
万感を込めた操の言葉に、道哉はニヤリと笑う。
「若妻みたいなセリフだな、それ」
「道哉さま、そこは颯爽と『行ってくる』とでもおっしゃるところでしょうに」
不満げにする操の頬は、ほんのりと赤く染まっている。多少は耐性がついたらしい。
過ごした時間自体は少なくとも、わかり合えることはある。
「じゃあな。何年後になるかわからないが、次会う時には酒でも飲もう」
___いつか見た小さな少女。彼女には助けられてばかりで。
「はい、その時を楽しみにしていますね」
___俺がもらったもの。返し切れない恩。「ありがとう」の言葉を君に。
道哉は今度こそ振り返らずに前へと踏み出した。
道のりは険しく、力は足りず。
それでも前に進まんとする歩みは、力強さに満ちている。
___いってきます。
道哉が口の中だけでつぶやいた言葉は操の耳に届くことはなく、やわらかな風に乗って空へと消えた。
あとがき
寝る間も惜しんで頑張りました。とりあえず第一部完!みたいなノリです。
ここまで感想をくださった皆様に感謝を。ううむ、やはり勉強になる。
ここからどういう展開になるのか、正直作者にも不明です(ォィ
いやいや、一応の展開は考えているのですが途中からキャラが勝手に動き出して描写に苦労しました。
さて、数々の風の聖痕作品において、更新停止率が最も高い打倒アルマゲスト編が近づいてまいりました。ああ怖い怖い。
うーん、無理せずキングクリムゾン!『結果』だけだ!!この世には『結果』だけが残る!!みたいなことをやってもそれはそれで…
あ、みなさんのご感想をお待ちしております。