「あっはっはっはっはっはーー!!!!もう知らん!もう何が起こっても俺は驚かんぞ!!!!」
「兄さま!正気に戻ってくださいぃぃいいぃいぃぃいい!!!!」
何も視界を遮るものがない空の上で、煉の悲痛な声が響いた。
「もう事件なんて終わったようなもんじゃねーか!俺の出番はなしか!?かっこいい登場シーンと見せ場とシニカルな笑みはどうした俺!!」
「うわああああああああああああああ!!!!!!!」
完全に壊れた笑みを浮かべながら彼らは文字通りまっさかさまに落下している最中だった。
結界のおかげか雲を突き抜けようが高速で落下しようが全く問題は無い。
しかし「それでは面白くない」という道哉の無駄なこだわりによって微妙に感じられる風と悲鳴を上げる三半規管が煉の恐怖をあおっていた。
どうしてこのような状況になっているのか?
それは一行がホテルを出るまでさかのぼる。
宗主からの電話の後、一行はすぐさまホテルから出ると結界を張って一気に上空へと飛びあがった。
ある程度の高さまで上昇したら、おおよその方向に検討をつけ今度は滑り台にでも乗るように風に乗って斜めにすべりおちていた。
イメージで言うならばホテル、その上空、神凪家、の三点で作った直角三角形。
その程度ならば特に恐れることもないのではないか。否。
いくら公園の遊具に近いと言ってもその規模が異なれば必然的に中身すらも別物に変わる。
高さ成層圏。長さ東京横浜近郊間。速度新幹線以上。
煉の絶叫も仕方がないと言えるだろう。
「うぅ~~……操さんはよく平気ですね……って気絶してる!?操さん!操さ~~ん!!?」
まるで墜落する飛行機にでも乗っているかのような迫力に各々の反応を見せる彼らを全く気にせず、道哉は風とともに空を駆ける。
高速で飛行するだけならばこのようなことにはならないのかもしれない。
しかし3人分の体重を長距離にわたって運ぶということは実際かなり負担が大きい作業である。
敵に捕捉されにくく、速さが重視され、消費する力が比較的少ない。
この点を満たす方法がこの荒っぽい移動方法であった。
これならばある程度の移動エネルギーを重力で補うことができる。
消耗を気にする道哉。
妖魔が倒されて終わりではないと、彼の第六感が囁いた。
「綾乃と炎雷覇を人質にして団体交渉権か、それとも国外逃亡か、洗脳して敵対か?!ああもう、あの小娘は面倒事ばっかり持ってきやがって……!」
ここぞとばかりにストレスをぶちまける道哉だったが、幸いにも煉と操はそれを聞きとる余裕がなかった。
思いつくままに罵詈雑言を垂れ流す彼も、綾乃にあまり責任は無いことだけは理解している。
戦力の分断、情報戦、完璧に敵対心を隠し通し、ついには途方もない戦力差がある綾乃さえも手に納めた風牙衆こそをたたえるべきだろう。
そのようなことを考えながら大地よりはるか上空で見降ろす世界。
風の精霊たちが道哉の周囲を舞い踊る。
朝日に照らされ、穏やかなまどろみより動き出した街の息吹が感じられた。
両腕に感じられる温かみも今は遠く。
空白の画用紙に落とされた一点のインクのごとく、彼は無限の風に囲まれながら安堵と不安という相反する感情を抱えていた。
「……さて、どうなることか」
これは自分で選びとった道、その選択の感傷に過ぎない。
ふと冷めた表情をした道哉が、鼻を鳴らして湧きあがる泉のような淡い心の動きを吹き飛ばす。
空は快晴。
光があふれ、活気に満ちた世界が何故か心に染みた。
「まあいい。立ちふさがるものは全部ぶっ飛ばす、それくらいやらなくて何が主人公か……!」
普段ならば絶対、それこそ死んでも使わない表現とともに彼は莫大な力を練り上げた。
高速に歪む視界の中、神凪の屋敷を補足する。
「さあ目を見開け、その脳味噌に刻みつけろ、神凪の面汚しが帰ってきたぞ_____!!」
「何やってるんですかーーーーーーーー!?!?!?」
まるで阿呆のような高笑いと共に、厳馬との戦いから完全に回復した風の刃が神凪の総力をかけて張られた結界に振り下ろされた。
無形の爆発が空間を震わせて走る。
物理を伴わない衝撃が響き、刃と盾がお互いを喰らわんと力を増した。
屋敷がにわかに騒がしさを帯びる。
100を超える層があり、堅牢な守備を誇るはずの結界はその一撃でほぼ全てが無効化されていた。
妖魔が倒されたからか既にある程度緩和されているそれは道哉にとって力不足にもほどがある。
「流石神凪」
それでも未だ完全には破られていない。炎の加護、つまり屋敷内の術者数によって強度が変化するという炎結界の本領発揮だった。
建造物を傷つけないようにと多少手加減があったことも理由の一つではある。
「に、兄さま……?」
くつくつと不気味に笑いだした道哉に、煉がかなり引いた声を出した。
そして瞠目。
先ほどの攻撃よりもさらに大きな力が、倍以上の精霊たちか道哉に引き寄せられ鋭利に研ぎ澄まされていく。
「兄さま!そういう誤解を受けそうなことは……」
「逝くぞ煉!しっかりつかまってろよ!!!!」
「なあああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
それはまさに風の砲弾。
威力を上げるためか、それとも煉で遊ぶためか、まるで銃弾のように螺旋状の回転が加わった。
ご丁寧にも頭から揺らぐ結界にぶち当たる。
パンッ
そんな軽い音がした。
純粋な破壊力というものはその力を分散させることは無い。
結界という壁を壊すのではなく、その圧倒的な力で『貫く』その技巧は炎術での対象限定にも似ていた。
「放て!!」
爆音。
四方八方から炎が走った。
それは一直線に、まるで図ったようなタイミングで道哉へと襲いかかる。
「ぐぁっ!!」
「馬鹿な……!」
結界を突き破ってきた侵入者を囲んで放たれたはずの炎は一つとして対象に当たらず、反対側にいる味方に直撃した。
元来耐火力が桁外れの神凪である。
ある程度のダメージこそあるものの、体の一部が軽く焦げた程度であるだろう。
しかし、その衝撃であるものは尻もちをつき、あるものは膝をつきながらも茫然と道哉を見つめていた。
魔術の根本は力にあらず、技術にあらず、世界を捻じ曲げるほどの意思である。
20人以上の意思が、ただ一人に敗北する。
それだけならば神凪の宗家という神にも等しい力を目の当たりにしている彼らにも納得できる。
道哉はその風で彼らの炎をあおり、威力を上げたうえでその勢いを殺さぬままに受け流すことで同士討ちに持ち込んだのだった。
「何やってんですか、宗主」
「おお……道哉か、よく来てくれた」
苦渋に満ちた声で重悟が視線を上げた。
彼の足もとには若い男が一人転がっている。
目を閉じ、ピクリとも動かないその表情は、何かをやり遂げた人間の満足と諦観がありありと浮かんでいた。
人の心を揺さぶるような、そんな強い意志と達成感が浮かんだ顔は芸術的ともいえるかもしれない。
ただし、左胸にこぶし大の穴が開いていなければ、だが。
「風牙衆ですか?」
「ああ、綾乃を連れ出した術者らしい」
「危険です、お下がりください!」
「人質をとっているような卑怯者に……」
彼らの話に割り込むように、周囲の術者が声を上げた。
なるほど、気を失った二人を抱えている自分は確かにそう見えるだろうな。などと道哉は他人事のように思う。
「黙らんかああああああああ!!!!!!!!!」
一喝。
その声に込められた怒りに、周囲から小さく悲鳴が上がった。
温厚な重悟にしてみれば驚くほど余裕のない態度が新鮮ではある。
「その二人はどうした?」
「ちょっと急いだら気絶しまして、まぁ遊び心ってやつですよ」
小脇に抱えた操と煉をうやうやしく近づいてきた使用人に引き渡した。
おぼろげな記憶に、その男の同情的な視線を思い出す。
あまり愉快ではない過去の記憶。
ここが神凪の屋敷であるからか、どこかセンチメンタルになった気分を振り払った。
「まぁいい、話がある。茶くらいは出そう」
様々な感情を含んだ視線に見送られながら、彼は4年ぶりに神凪の屋敷の内部へと足を踏み入れたのだった。
「道哉」
「なんですか?」
客間に通され、道哉と腰をおろして向かいあった重悟はどこか居心地悪げに切り出した。
「和麻とよく似た顔でそのような態度をとられると違和感がありすぎてな……。それに、昔はもう少し気安いものだったろう?」
あの愚弟め。
思わずひきつった顔の筋肉を隠しもせずに、道哉は呆れたような溜息をついた。
和麻は宗主に普段どんな態度をとっているのだろうか。
「了解りょーかい。もっとこう、フランクな感じってことで」
「まぁそうだな。そもそも生まれた時からの家族付き合いだ、遠慮はいらん」
意図して軽い態度をとった道哉に返された言葉。
家族。
それは血か、共に過ごした時間か、それとも。
意味もない思考を弄びながら、道哉は軽い笑みを浮かべた。
「じゃあお言葉に甘えて…………宗主、あんた馬鹿なことしたな」
ギロリと、圧力を感じさせる瞳が重悟を射抜いた。
「…………」
「三昧真火を消さば封印ごと神が消える?だったらなんでさっさと神ごと消さなかった。封印が解ける危険性を残しながら風牙を取り込んだ、それこそ『三昧真火を消すわけにはいかなかった』ことの証明だろうに」
先ほどの電話で、動揺する宗主から詳しく聞き出した話。
以前から疑問に思っていたそれを宗主に叩きつける。
炎そのものに神を封じ、神凪の直系でなければ解けないようにした。
炎によって神を封じるのではなく、炎そのものの中に神がいるため、炎を消せば封印ごと神も消失する。
ならば、もしめったなことでは消えない純粋な火のエレメントが消えたとしたら?
「『京都』の『三昧真火』のなかに封じられていた神は、『京都』という縛りを失った瞬間に全ての『三昧真火』へと転移する。ちがうか?」
三昧真火とは結果である。
地上に存在しないはずである純粋な火のエレメント。
それはつまり神の御技、その残滓にすぎない。
逆に言えば聖地として堅固に秘され守られている場所で、火にまつわる神が奇跡を起こしたとされる場所ならば世界中どこにあってもおかしくはない。
純粋な火のエレメントという特殊な属性の炎に封じられた神は、その特殊性ゆえに「場所」という限定条件を失った瞬間に同属性の炎全ての裡に存在することとなる。
「まぁそもそも俺はそれの存在を知識として持っていても、京都に三昧真火があるなんてことを聞いたことは無かったわけだ。どちらにせよ他の三昧真火を見つけるのは容易じゃないだろうな」
道哉の口調はどこか怒ったような、いや、実際に腹に据えかねているのだろう。どこか棘のある道哉の言葉を重悟は無言で聞いていた、
「確かに京都の三昧真火を消すのは時間稼ぎとして有効だろう。神凪の権力を使えば風牙衆が他の三昧真火を見つけるまでに捕らえることも可能だろう。それまで綾乃の身の安全は確保されることも予想できる」
綾乃は鍵だ。
炎雷覇を体内に宿す彼女は、そもそも妖魔を憑依させることなどできない存在。
封印を開放できる程度『最低限』に無事ならばそれこそ方法を選ばなければ無事回復できる。
あちらとしても時間稼ぎのための人質として価値があるだろう。
「だが、これから風牙衆がとる最善は綾乃を放り出したうえで姿をくらますことだ。宗主、神凪宗家全員の将来で綾乃を買い戻す気か」
既に封印自体の管理は神凪を離れた。
ならば綾乃と炎雷覇を返したうえで積極的に追われる原因を無くし、新たな三昧真火を見つけたうえで宗家の誰かをさらえばいい。
この場合、宗家の誰もが常に風牙に狙われているかもしれないという莫大な注意力を発揮しながら生活を余儀なくされるだろう。
「和麻に許可を出したときは、そこまで考えているわけではなかったのだ」
ポツリと重悟が口を開いた。
どこか後悔するようなその調子を一顧だにせず、道哉が無言で続きを促した。
「火の精霊とかかわりの深い我らにも、京都以外の三昧真火は確認されていない。風牙衆が自暴自棄になるのを防ぎつつ綾乃の安全を確保するにはこれが最善だと思ったよ」
綾乃のためにあえて長期戦を狙ったのだと、宗主は語った。
愛娘が誘拐された。
確かにそれは通常の判断力を失わせるに足る理由だろう。
それが神凪宗主という立場以外だったら、だが。
「まぁ、過ぎたことはしょうがない。で、依頼とは?」
「まずその前に謝罪をさせてくれ。神凪の負債にお前を巻き込んでしまった」
深々と頭を下げた重悟に道哉は眼を丸くする。
「依頼と言ったが、本来ならば道哉にはかかわりのないこと、拒否は自由だ。ただ、拒否すると決めたならばせめて静観を約束してほしい」
そんな弱気な宗主の態度に、道哉は憮然とした表情で口を開いた。
「何故だ……何故だ!」
封印はそれほど複雑なものではなかった。
神凪の直系が炎の中に入ることで顕現する封印の術式を、浄化の炎を用いて力ずくで浄化するだけである。
浄化とは自然を自然としてあるがままに戻す力。このような場合にはもってこいだ。
それこそが精霊術師の役割。簡単な暗示で、綾乃は驚くほど素直にこれを実行した。
三昧真火の中に入れるだけの加護。
封印が反応する血の濃さ。
そして何よりも封印を破壊するに足る力。
同じ宗家であっても煉だったならばこうはいかなかっただろう。
いや、宗主や厳馬であっても力不足かもしれない。
なにせ神を封印する術式だ。浄化という絶対的なアドバンテージがあってなお、正規の手段を用いない解放は難しい。
正規の手段を用いたとしても、解放には丸1日かかるような儀式が必要とされるだろう。
だが綾乃には炎雷覇がある。
年若くとも神器に認められるほどの術者が直接それを封印へと突き立て、力を流し込む。
そうすることで封印はあっけなくその力を失った。
だが、炎を吹き飛ばしてその中から現れたのは。
「ただ一度の過ちで、我らは永遠に縛られねばならぬのか!救いは、誇りさえも許されぬというのか!!」
馬鹿らしいまでの力の塊。
神の名にふさわしいそれには、悲しいまでに意志というものが感じられなかった。
それもある意味当然だろう。
自分と相反する属性の、さらに純粋な力の中に縛られた神。
同属性だったり、盾となる肉体を持つ神でもない限り、そのような状況である程度のダメージを受けることは免れない。
しかも、風牙衆の加護すら失わせるほどに徹底的なまでの力の封印。
全てをはぎ取られ灼熱の裡に封じられた神の魂は、長い時間をかけてゆっくりとその核を蝕まれていったに違いない。
兵衛の目の前に存在する力でさえもおそらくは全盛期の3割にも満たず、方向性を持たない力はいずれ拡散して消失するだろう。
「退路など既に捨てた!我らには勝利しかないのだ!ならば、ならば!!!!」
おぞましい音と共に兵衛の体が変化していく。
鋭利な爪が伸び、瞳孔が縦に裂けた。
肌に張りが戻り、どちらかといえば細身だった体格に強靭な筋肉が纏われた。
妖魔よ、くれてやる。
この体の、血肉の一片、頭髪の一本までも。
持っていきたいのならば持っていくがいい。対価さえ用意するならばいくらでもくれてやろう。
だが。
____この魂、安くはないぞ。
「この俺が神になるしかあるまい!!!」
精神が肉体と妖魔に引っ張られ、口調すら変化させながら兵衛が凄絶に笑った。
例え見る影もなく衰えたといっても神の力。
人の身でそれに耐えられないのならば、人間をやめてしまえばいい。
「神よ!御身の力、貰い受ける!!!」
異形と化した腕で、神の残滓に手を伸ばす。
あまりの威力、風圧。触れた瞬間に触れた手が吹き飛んだ。
構うものか、体の一部などすぐに再生する。
ぎちぎちと体が妖魔化し、肌の色すら変化を始めた。
苦痛から獣のような声を上げながらも、兵衛は圧倒的なまでの暴風の塊へと挑みかかった。
あとがき
お久しぶりです。花見酒の後に勢いで更新した作者です。
明るいうちから飲んだので花鳥風月の全てを肴に良い酒が飲めました。
前回の連続更新から間が開きすぎて申し訳ないです。というか風の聖痕のssの更新停止率に絶望した!誰か書いてください、マジで。
今月中にもう何度か更新できたら……いいかな?
では、皆さんの指摘感想等お待ちしております。