「今度は逃がさない……!」
仁王立ちしてこちらを睨みつける綾乃とおろおろしながら厳馬と綾乃を交互に見ている煉。
どう見ても早すぎる到着であるということは、重悟の言っていた迎えとは別件だと考えられるだろう。
目の前で文字通り気炎を上げる綾乃。
まるで空気が帯電したかのようにピリピリとした緊張感が夜の公園に満ちる。
音や予備動作の欠片もなく、唐突に彼女の手に現れた炎雷覇が道哉にまっすぐ向けられた。
4年前の綾乃は12歳だった。この時期の成長の速さを証明するように、彼女は見違えるほど美しく成長していた。
先の戦闘では相手をつぶさに観察するほど心に余裕がなかったためか、道哉は遠い過去に思いをはせるかのように目を細める。
しかし、風を統べる彼にとってみればその炎術はあまりにも。
「存外に不細工な炎じゃないか、綾乃」
威力も浄化の力も宗家として申し分ない。
だが『それだけ』で渡って行けるほどこの世界は甘くはないと、心身に刻まれた傷が囁いた。
「……なら、試してみる?」
その言葉に綾乃がより一層眼光鋭く睨みつける。
それをまるで無視するかのように「よっこらせ」と立ち上がった道哉は厳馬の携帯電話を拾い上げると、無造作に煉へと放った。
「宗主とは話がついてる。冤罪だよ、俺は」
わっわっ、と投げられた携帯をお手玉する煉に構うことなく道哉が言った。
そのまま今度は手近なベンチへと腰掛ける。
深々と体重を預けたその姿は、いっそふてぶてしいと言えるほどであった。
「姉さま!」
「わかってるわ。煉、早くお父様に連絡を」
そんな道哉の様子にさらなる怒りを募らせた綾乃だったが、煉の声で即座に冷静さを取り戻す。
もし厳馬の生存を感じ取っていなければすぐにでも飛び出して行ったであろうことは想像に難くない。
それが心からの冷静さかと言われれば否と言うに他ないが。
一方そのやり取りには目もくれず、道哉は瞳を閉じて体力の回復に努めていた。
「あの……兄さま、姉さま」
道哉の態度に内圧を高めている綾乃と、ギスギスとした雰囲気に怯えるように煉が口を開いた。
「何だ?」「どうしたの」
先ほどの「自分がしっかりしないと」という決意もむなしく、煉は同時に向けられたその視線に対して完全に腰が引けていた。
それでも手元の携帯のディスプレイを見せるようにしつつ、引きつった声で言う。
「あの……繋がらない、んですが……」
電波の届かないところにいるか……と小さく聞こえるそれに、道哉は眉をしかめた。
「2分前に繋がったはずなんだが……ちょっと貸してみろ」
「あ、はい」
持ち前の素直さで思わず小走りに兄のところへ向かおうとする煉をすかさず綾乃がその手で静止した。
不満そうにする煉を無視して携帯を受け取ると、近づこうとするそぶりすら見せずに手元のそれを投げつける。
そんな綾乃に対して特に何も思うことなく道哉はアドレスを呼び出した。
神凪本邸、神凪重悟、風巻兵衛、神凪和麻……
「……全滅か」
試しに関係のない番号へも掛けてみたが、こちらはしっかりとつながった。
綾乃にも掛けたが、そのポケットから鈍い振動音が聞こえただけで無視された。
風牙衆の数名には当然繋がらない。
同時に神凪の関係者にもつながらないということは、本邸の電話線が切られた上にジャミングがかけられたと見るべきか。
ほぼすべての術者が集合している今現在、これは十二分に効果的な策であろう。
「つまり、あんたの発言には全く信憑性がなくなったってこと」
苦虫をかみつぶしたような顔をした彼に、綾乃は遠慮なく敵意を開放する。
「はぁあああああああ!!!」
虚空に向けて振り下ろされた刃からまばゆいばかりの金色の炎がほとばしった。
それより一瞬早くその場を離脱していた道哉が疲労の色もあらわに距離を取る。
「姉さま、やめてください!」
追撃をかけようとする綾乃の腰に、煉がまるでタックルをするかのように飛びついた。
「僕は話し合うために来たんです!兄さまを説得するために来たんです!」
がっしりと綾乃にしがみつき、瞳を潤ませながら彼は叫ぶ。
「父さまだって生きてます!風術だって妖気が感じられないじゃないですか!冷静になってください!」
その言葉に綾乃の頭が若干冷えた。
全力で前に向けられていた視線が、自らに抱きつくようにして行く手を阻む煉にピントを合わせる。
今にも煉を振り払おうとしていた動きが止まったことで公園に沈黙が落ちた。
「…………煉」
彼女の裡に渦巻く混沌とした感情が、その開放先を求めて道哉に殺到する。
どんなに修練を重ねても、どれほど友人と笑いあっても、何をしていても消えなかった遠い日の残照がそこにあった。
「姉さま……」
しがみつく煉の腕に添えられた手。
穏やかな声で名前を呼ばれ、「もう大丈夫、落ち着いたわ」という声を期待して視線を上げた彼は、綾乃の瞳に隠しきれない感情の荒波を見た。
「ごめん」
「姉さま!!!」
少しだけでも冷静さを取り戻したことで冴えた技は、いともあっけなく煉の拘束を打ち破った。
悲鳴じみた煉の声を背に受け、綾乃は足元のタイルに亀裂を入れながら飛び出す。
道哉との距離、およそ15m。
走り出した勢いのままに、綾乃は己の一番の相棒を全身全霊で振り抜いた。
「なに?外部との連絡が?」
「はい。有線、無線ともに」
数人の術者や側近と共にこれからの対策を協議していた重悟は、側近の一人の報告に首をかしげた。
それによれば、各自の携帯電話と備え付けの電話が突然全て不通となり、インターネットも使えないという有様らしい。
「兵衛をここに。情報網の管理は風牙衆だろう」
壮年の術者が怪訝そうに言った。
術の威力こそ遠く及ばないものの、風牙衆は世界でも有数の炎術師である神凪一族の下部組織である。
常に完璧に近い補助を求められてきた彼らが犯したにしてはあまりにも重大な失敗であった。
「それが、『今回のことは我らの不始末。一刻も早い復旧のために伝言にて済ますことをお許しいただきたい』とのこと」
本家の結界の中に引きこもっている彼らにとってみれば情報網の遮断は死活問題だ。
報告の時間すら惜しんで走りまわっている、となれば不自然ではないはずなのだが。
その場にいた一同にどこか雲をつかむような形のない違和感が漂った。
「妥当ではある、妥当ではあるのだが……」
「原因や手段の報告も無いとは兵衛らしくもない」
口々に疑問点を挙げるものの、現状で打つ手段は無い彼らはしだいに口を閉ざしていく。
一番の違和感は通信手段そのものであるはずの風術師が持ち場を離れるという矛盾。
緊急用の結界が起動している今、内から外、外から内に対する木霊法が使用できない状態であるといっても風術師の存在と言うものはやはり重要だ。
皆一様に首をかしげる一同を見回していた重悟の脳裏に、落雷のごとく重大な懸念が浮かび上がった。
「待て、今すぐ宗家のものが厳馬以外すべて屋敷内にそろっているか確認せよ」
「宗主……もしや煉様と綾乃様が外出なさったことは?」
この場では一番立場が低い術者が恐る恐る聞いた。
「戦闘準備を整え、誰も屋敷から出るなと厳命したはずだ!!」
「しかし、風牙衆が『厳馬殿の補佐だ』と!」
瞬間、焦りから怒声に似た強い調子で詰問する重悟に萎縮する術者。
その様子を見た重悟は温厚な彼らしくもなく舌打ちを一つ打つと、腹の底から声を響かせた。
「総員、風牙衆を拘束せよ!」
「は?いや、それは」
「理由は後で説明する。今は一刻も早く、一人でも多くの風牙衆を捕らえよ!」
「はっ、ただいま!」
「周防」
「ここに」
にわかにあわただしくなった周囲を見回した重悟は側近の一人を呼びつけた。
「信用のおけるフリーの情報屋、もしくは風術師で……いや、それに加えサポートが得意な術者ですぐに協力を請える者を探せ」
「よろしいのですか」
「一刻の猶予もない。契約規定と守秘義務関係は最も厳しいものを。金に糸目はつけん」
「かしこまりました」
万が一このことが広まったとしても、神凪の名はこの程度で揺らぐことは無い。
しかし、リスクの方がはるかに大きいこの事件。重悟にとってもこれは苦渋の決断ではあった。
一通りの指示を出し終えた彼は、思い悩むかのように目を伏せる。
肘置きになかば体重を預け、額を軽く押さえたその姿は普段の重悟と比べて弱々しいと形容されるほど。
「そこかっ!!!!」
と思えたのも束の間。
金色にきらめく炎弾が窓をぶち破って庭に放たれた。
だがそこにはすでに何の影もなく。
「……逃がしたか」
神凪の術者が集まり、結界まで張られていることで通常ではありえないほどに火の精霊の密度が高まっているこの場において、重悟程の術者ともなればこの程度のことは可能である。
それでも探査精度と攻撃速度は一歩及ばなかった。
「何とかして道哉と厳馬に連絡を取らねば……」
もはや一刻の猶予もない。
それでも重悟には誘い出された綾乃と煉、それに傷を負っており全力を出せないであろう親子の無事を祈ることしか今のところはできそうになかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……宗主が感づきました。総員至急撤退を」
重悟に気づかれ、間一髪で撤退した男が屋根の上で木霊法を使う。
『結界破りの用意は』
『離れの西側に』
『連絡が行ったと思われるのは本邸南側が最初かと』
『手薄な場所はどこだ!』
結界とは内と外を隔てるものである。
属性が火であり、同時に様々な機能が付加されたこの結界を抜けるには神凪の分家当主以上の耐火能力と破壊力が必要とされることだろう。
3ヶ所ある結界の出入り口まで連絡が行き、実力派の術者によって固められるまで残り数分。
間に合わず脱出が困難になった場合にも一応の保険はかけてあった。
『内線まで不通にしておいて助かったようだな。今ならば行ける』
今現在門番をしている術者はそれほどでもない。
本気で身を隠すか、全員で不意打ちをかければいとも簡単に門をくぐることができるだろう。
「左足を潰されました。先に行ってください」
簡易的な処置を施しながら、木霊法による通信網で男が言った。
脂汗を流し、かすかに震えながらもその瞳に後悔の色は無く。
『……結界破りは松の木の上に縛り付けてある。準備はできたな、一斉に抜けるぞ!』
指揮権を持つ術者からの言葉に続き、その他の術者からも激励代わりの減らず口が届く。
「御武運を」
その言葉を口に出して数秒後、結界を抜けたのだろう、知覚内全ての反応が消失した。
未だ痛みが治まらないものの動けるようになった彼は、よろよろとした動作で風に乗る。
「……まだ、まだ、こんなもんじゃない」
この程度の対価じゃ安すぎる。
そういった男の顔には、苦痛の中まぎれもない笑みが浮かんでいたのだった。
目の前に牙をむく炎の壁。
今にも自身を燃やし尽くさんとするそれを見ながらも、道哉は微動だにせず立ちつくしていた。
「兄さま!!」
煉が最悪の未来を想像して走り出す。
「未熟者」
「きゃあ!!!」
道哉は最後まで動かなかった。
いや、『動く必要が無かった』。
180度反転して綾乃自身に牙をむいた炎が、彼女を軽々と弾き飛ばす。
「と……父さま?」
「もう狸寝入りはいいのか?」
「ふん」
道哉の背後からのそりと起き上った厳馬が鼻を鳴らした。
いつものように泰然とした調子で歩き出す。
「目的は果たした。帰るぞ」
本来ならば背を丸め、足を引きずりたいほどのダメージであるはずなのに呆れるほどのタフネスぶりである。
そのまま手負いの獣のように膝をつき、道哉を睨みつける綾乃へと近づいた。
「綾乃」
優しい声だ。煉はその声を聞き、少し嬉しくなった。
丸くなったもんだ。道哉は全くの他人事としてその光景を見る。
綾乃はその声を聞き、弾かれたように顔を上げた。
「帰るぞ」
「でも!」
思わず、といった調子で反発した綾乃はそれ以上の言葉を紡ぐことができなかった。
この状況を見て、それでも道哉に向かって行けるほど彼女は愚かではない。
一方道哉は新しい面ばかりが目につく厳馬を感情の読めない瞳で観察している。
彼にとってみれば、自分の言葉が耳に入っていないような未熟者に対して、厳馬が言い聞かせるように同じセリフを言うとは思ってもみなかった。
そんなことをつらつらと考えつつ、道哉はさっさと踵を返す。
「あ、こら、待ちなさい!」
それにいち早く気づいた綾乃がまたしても条件反射的に声を上げた。
しかし、道哉は厳馬を挟んだ反対側にいるためとっさに動くことができない。
「じゃあな、明日にはそっちに向かう」
「いいだろう」
ふわり、と道哉が宙に浮き上がった。
顔すら互いの方向に向けようとしない無味乾燥なやり取り。
この場はそれで収まる、かに思えた。
「えいっ!」
ガシッ
「…………」
「…………」
「…………」
空気が凍った。
地面から1mほど浮いているの膝辺りから、ぷらーんとぶら下がっている小柄な影が一つ。
「……煉」
「さっきも言ったはずです。僕は兄さまと話すために来ました」
何と言っていいかわからない。そんな声を出した道哉に、煉は意地でも離さないとばかりに力強くしがみつく。
いつもならば厳馬の言葉に従ったであろう煉。
触れ合いなどほとんどなかった兄弟。
それでも自然体としてそこにいる二人に、厳馬の口もとがほんのかすかに弧を描いた。
「……おい」
その笑みを目ざとく見てとった道哉が、その意味をどう曲解したのか半眼で睨みつける。
さっさとこいつを連れ帰れ。そんなニュアンスを含んだ視線は厳馬に無視された。
「そうだな、道哉についていけば屋敷にいる程度には安全だろう」
「本当ですか!?」
父からの許可と、予想以上の道哉の力量に煉がキラキラとした目を向けてくる。
こういう相手だとどうしていいのか分からなくなる道哉が困ったように目をそらした。
厳馬の足に走る細かい震えを見て内心舌打ちをする。
___限界に近いだろうに、この負けず嫌いが。煉がいるからってカッコつけやがって。
「あー……」
ガシガシと頭をかきむしり、仕方がないとばかりに道哉は猫をつまみあげるように煉を引っ張り上げた。
「仕方がない。連れて行ってやる」
「やった!」
きゃっきゃとはしゃぐ煉を背負うと道哉は空高く舞い上がる。
その後を追うように、綾乃が数歩前進した。
「どうして、どうしてあんたは…………!!!」
絞り出すような声。
まるで涙にぬれたかのように震える声が、力無く夜空に響く。
最初から。
そう、あの継承の儀から今までただの一度たりとも。
「どうして、私は……」
___道哉は、綾乃自身を見てくれてはいないのだった。
悔しいのか悲しいのか、それすらわからないままに綾乃は道哉を見上げている。
これは彼女の誇りなのだろうか、神凪の誇りだろうか。
そんな大層なものが原因ではないことだけは、彼女自身理解していた。
「……私は!」
それ以上は言葉にならず、既に彼らが遠く去った方向を見つめるしか綾乃にできることは存在しなかった。
一方、煉に心配をかけないよう、その声を遮断しながら道哉は思う。
自分がかかわってきた人々はその全員と向き合い、『人間』として見てきたつもりだった。
だが、もしかしたら自分はその付き合いの浅さから綾乃を『イベント』の一環としか見ていなかったのではないだろうか。
継承の儀という区切りが最初の本格的なやり取りであったこともそれを助長する。
襲撃を受けた時も、ついさっきのやり取りも、『事件の始まり』『宗主の娘』『浅い行動パターン』『未熟者』と、向き合ってもいないのにレッテルを張ってはいなかったか。
それは俺にとって最大のタブーではなかったのか。
遠ざかる公園。
そこに、泣きじゃくる12歳の少女を幻視する。
だがこれからの魑魅魍魎が跋扈する世界において、彼女が神凪綾乃としての存在を確立しているかというとそうでもない。
実力も、中身も、まだまだ完成には程遠い未熟者。
___強くなれ、綾乃。俺にそんなことを言う資格は無いのかもしれないけど。
背中に煉の体温を感じながら、彼は初めて綾乃と向き合おうと決意したのだった。
あとがき
新潟酒の陣に行き、知らないおじさんたちと楽しく飲んでぶっ倒れたぜ!な作者です。みなさんお酒には注意しましょう。
やはり書いていて思うのですが綾乃は難しい。
ですが女子高生ならば感情的になるのも仕方がないのかな、という感じで匙加減に悩みつつ書いております。
感想欄でも少し出ていましたが、作者自身原作でもいまいち精霊術についてよくわからなかった面があります。
ま、そういう面は絡めようとするとテンポが悪くなる部分もありますので(力量的にw)そのうちあとがきの下にでも蛇足として考察なんかを書きたいと思います。
(多分)次も早めに投稿が可能かと。では、皆様の感想指摘等お待ちしております。