深夜、人気のない公園で鈍い音が響く。
「この、中年が!もう年なんだから、いいかげんっ……楽になったらどうだ!」
「若造ごときがっ!ぐっ……その程度の腕で、よく吠えられたものだな!!」
およそ人体を打つ音とは思えぬ音が断続的に響く空間は、聞く者がいたならば砲丸投げの競技会場かと思うほどだった。
がっしりとした骨格と堂々とした体躯を持つ厳馬に、どちらかといえば細身かつ長身で引き締まった体つきをした道哉。
ともに一般人を軽々と越える筋力を有した二人の殴りあいは衝撃波が発生するかと思えるほど苛烈。
似ているようで似ていないこの親子の共通点とは何だろうか?
それはその血筋がもたらす圧倒的な気の量とそれを用いた人外の格闘能力である。
岩を爆砕する拳が、木を折り倒す蹴りが互いの体に容赦なく打ち込まれる。
常人ならば一撃で骨が粉砕される一撃でも、彼らにとってみれば青あざができる程度でしかない。
最低限の急所だけに注意を払いそれ以外は全くのノーガードで打ち合う様はどこか狂戦士を思わせた。
しかし、それだけでは決定打にならないと見たのか動きに緩急をつけ、互いに変幻自在に渡り合う。
拳、抜き手、蹴り、膝、投げ、関節技、果ては頭突きや絞め技までが使われ、お互いの体から決して少なくはない血が流れている。
幾度目かの攻防の果て、年齢に見合わぬ身のこなしで厳馬がかろやかに道哉の拳をすり抜けた。
突き出された拳の外側に向かって大きく踏み込んだ彼はそのまま道哉の背後、それも頸椎に向かって躊躇なくその剛拳を振り下ろす。
瞬間、その手をすぐに折りたたむと、そこに打ち上げられるように繰り出された道哉の肘が直撃した。
体を拳を突き出した姿勢から勢いを殺さず、そのまま半回転して逆の腕でなされた肘打ちは狙い通りに命中していればわき腹の内臓と肺に重大なダメージを与えていたに違いない。
「ちっ」
自身の隙をおとりにした必殺の一撃を防がれ道哉が舌打ちをした。
背後を取られたままでは拙い。
迷わず踵を厳馬の足に向かって振り下ろす。
コンクリートにヒビを入れる一撃は、それでも厳馬の足の指の骨を砕くには至らずに耐えきられる。
その隙を逃さず厳馬が道哉の腰に抱きつくかのように手をまわした。
そこから渾身の力を込めて道哉を持ちあげる。
「有り得ない、っだろ!!!!」
ジャーマンスープレックス。
もっとも厳馬に似合わないだろう技で持ちあげられた道哉の視界が一面の夜空に占められる。
プロレスで見られる技だがリングの上ならばともかく、硬い地面の上に本気で叩きつけられたならば命にかかわる。
しかも厳馬はご丁寧にコンクリートの段差めがけて道哉の頭を振りおろそうとしていた。
「ぐぅっ!!!」
だが、そこでそのまま叩きつけられるほど道哉は往生際が良くなかった。
すぐさま厳馬の手、それも骨の隙間を狙うように拳をめり込ませて拘束から脱出すると素早く地に足をつける。
体勢を立て直そうとする厳馬。
道哉はそれを許さず、即座に反転するとバランスを崩して傾いている厳馬の足を蹴り飛ばした。
普段ならば何でもないような体重の乗らない蹴りでも、この状況では抵抗すら許さずに厳馬を地面にたたきつける。
さらにそのみぞおち目がけて道哉の足が振りおろされた。
もちろんそれで終わるはずもなく、厳馬は受け身を取り地面を転がるようにそれを避ける。
すぐに追撃する道哉。
間違いなくこの状況で有利なのは道哉だが、厳馬を相手にしては全く意味のないことでもあった。
何もない地面を穿った足で半ば跳ぶように踏み出すと道哉は拳を振りかぶった。
上空から打ち据えるように振るわれるそれを、いまだ体勢を立て直していない厳馬が避けることができるとは思えない。
だが、厳馬は動いた。
「甘い!!!!!」
ぐるり、と腰を支点に体を回し、厳馬は一気に足を跳ね上げた。
まるでブレイクダンスのように跳ね上がった厳馬の蹴りは、不安定な体勢だったにもかかわらず完全な制御と勢いを持って道哉に迫る。
跳び上がるように肉薄していた道哉にそれを避けるすべはなく、最大級のカウンターが彼の顎を真下から打ち抜いた。
「がっ!」
かろうじて舌を噛むことだけは避けられたものの、軽く脳が揺れ、視界が明滅する。
その威力たるや桁違い。それも道哉が縦に2回転する程の馬鹿げた力が込められていた。
「こんの馬鹿力が……!」
ほんの一瞬だけ飛んだ意識を強引に引き戻すと、回転の勢いのままに道哉は綺麗に着地した。
ざざざっ…と音を立てて殺しきれなかった衝撃が彼を後退させる。
「……ほざけ」
本来ならば即座に来るはずの追撃は無く、厳馬が苦しげな声でゆっくりと立ち上がった。
それもそのはず、道哉は厳馬の蹴りによる衝撃を利用するようにそのわき腹につま先をめり込ませていたのだった。
浸透勁などを使うこともできないほどとっさの行動だったが、その攻撃は十分な威力を厳馬の体内に伝えている。
まずは互いに一手。
自己の痛みを強靭な精神力で押さえつけると二人はまるで痛みなどないかのような表情と動きで立ち上がった。
生命力の一種ともいわれる気を巡らせて彼らの出血が収まっていく。
地術師ほどではないものの、軽症の部類に入る内出血と切り傷、擦り傷などが塞がった。
こびりついた血液を拭えば治りかけた傷跡が垣間見えることだろう。
「強く、なったな」
苦痛に歪み、堪えるように絞り出された厳馬の声はそれでも全く揺らいではいなかった。
そこに込められた感情は純粋に賞賛と呼べるものであったが、道哉にとってそれは既に何の価値も存在しない。
「風術師にただの格闘戦だ?それも全盛期から数段落ちる身体能力しかないあんたがか」
口の中を切ったことで出た血液を吐き出しながら、道哉は怒りすらない冷たい口調で答えた。
精霊術師ならばある程度周囲の情報を得ることができる。
だが、火と風ではその量のケタが違う。
一瞬の気の緩み、消しきれなかった予備動作は格闘の心得のある風術師にしてみれば容易に次の攻撃を予測する材料となる。
厳馬が一瞬でも気を抜けば360°から見られているといっても過言ではない彼の攻撃は、道哉にとって真実目をつむってでも避けられるものに堕すだろう。
先ほどの蹴りにしろ、インパクトの刹那に道哉は地面を蹴って衝撃を逃がし、さらに自身の攻撃を当てるという芸当は風術師としての視点が大きな位置を占めていた。
「技で補うとか『らしく』ないことをしてるなよ。『それ』は『こっち』の領分だろうが」
無形である風の真骨頂こそが技だ。
そしてその一番の天敵こそが火の持つ圧倒的な破壊力。
あらゆる技術を小細工に貶める神凪の炎こそ彼の弱点であり、超えるべき壁だったのではなかったか。
「さっさと本気を出せ。父親としてのあんたなんて今の俺には何の価値もない。『蒼炎』の厳馬。神凪最強。そっちがその気にならないんだったらあんたのその看板、跡形もなく切り刻んでやるぞ」
道哉の声に力がこもった。
今さら父親としての厳馬など不要だ、そう言う彼の表情はその言葉とは裏腹にどこか途方に暮れた幼子にも見えた。
その様子を見て厳馬の内心に苦いものが広がる。
後悔などない、間違っていたとも思わない。
しかし、それが果たして最善だったのか。それだけが彼には判断がつかなかった。
「……いいだろう」
瞑目は一瞬。自らの上着に手をかけ、遅滞なく脱ぎ捨てる。
厳馬はこれ以上の対話を切り捨てると、掛け値なしの本気で炎術を起動した。
紅、黄金、蒼と数秒で切り替わってゆく炎の色。
人間の出力としては最高峰に位置する力を背負い屹立するその姿は、いっそ神々しくもあった。
「……そうだ、それだ。ようやく、俺はここまで来たんだ」
泣きたいようで。怒りたいようで。喜びたいようで。そんな何もかもが混ざってしまったかのような表情をして道哉がつぶやいた。
神凪厳馬の蒼炎。
知識としてあるそれと、実感としてそこにあるそれは天と地ほどのリアリティの差をもって道哉の前に立ちはだかった。
生物としての本能が五月蠅いくらいに警鐘を鳴らす。
それはそうだろう。太陽を目指したイカロスやゴモラを振りかえったロトの妻を思わず想像してしまうほどに、それは災害に等しい力の量を伴いそこにあった。
「どうした。まさかこのまま何もせずに消えたいわけではないだろう」
厳馬が怪訝そうに問うた。
未だ全力の6割程度とはいえ、既に十分な量の精霊が召喚されている。
すぐにでも開放すれば道哉は骨も残らない。
「待ってやったんだ。ありがたく思え」
そんな厳馬にどこまでも無表情で道哉は言い放った。
そして、天高く右腕を掲げる。
「ば、馬鹿な……」
ハッタリかそれとも強がりか。そんなことを言おうとした厳馬は道哉の手に集っていく膨大な量の風の精霊に目を見張った。
風術師になったことも、世界を巡って強くなったであろうことも分かっていた。
しかし、よもや全力を出しても倒せるかどうかはわからない程になっていたとは思いもよらなかった。
道哉の『待ってやった』という発言は、どうしようもなく正しかったことを思い知らされる。
一瞬の空白。
厳馬の驚きが貴重な時間を消費しているうちに、既に彼の手には厳馬の炎に匹敵するほどの嵐が圧縮されていた。
だが、それでも。
「認めねばならないだろうな、道哉。お前に、私はもう必要ない」
万感の思いを込めて厳馬が嘆息した。
例えば師匠が弟子に超えられたときに、このような顔で言うのかもしれない。
「故にこれが最後だ。神凪の炎、その身に刻め」
その言葉とともに、爆発的なエネルギーの放射が厳馬の体から立ち上った。
太陽、火山の噴火、超新星の爆発とも言われるその圧倒的な炎が、まるで鉱石か何かのような深い色合いに変化する。
既に道哉の集めている風の精霊は厳馬の制御する精霊よりも多い。
しかし四大の理に従うならば全力を出し切った厳馬に風術師たる道哉が対抗できるはずもない。
どのような術を使おうがその全てを破壊する神凪の炎に対抗などできない。そう厳馬は確信していた。
「行くぞ。死ぬな」
蒼い竜。
そうとしか形容できないほどの力強さを込めた蒼炎の奔流が道哉に向けて一直線に駆け抜ける。
対する道哉は天高く掲げた手を、何かを握るかの如くゆっくりと握り締めた。
_____。
相対する厳馬にも聞こえないほど小さな声で道哉が何事かつぶやいた。
瞬間、この場の全ての大気が一つの意思で統一される。
「それは」
支配下の全ての精霊を己の手に宿し、右手の付近がぶれてハッキリとは見えなくなるほどに圧縮された風を彼は大きく振りかぶった。
「……こっちの台詞だ!」
まるで野球の全力投球のごとく振り下ろされた手。
音速を軽々と超越した暴風の塊が、万物を燃やし尽くす蒼の奔流と真正面から激突した。
轟音。
二つの莫大なエネルギーが衝突したことで発生した衝撃が、厳馬を1mほど後退させる。
「……っ」
厳馬が目を見開く。
___押されている?
本来ならば決してあり得るはずがない現象。
四大で最弱であるはずの風がゆっくりと、しかし確実にまるで餓狼のごとく彼の炎を食い散らかして迫っている。
このままであれば遠からぬ未来に暴風が厳馬を蹂躙することだろう。
___否。否!否!!
厳馬が吼える。
普段の厳格さや背中で語るような雰囲気をかなぐり捨て、彼は己の心に火をつけた。
彼のそのような声を聞いたことがあるのは重悟くらいのものだろう。それほどの気迫をもって彼は目の前の暴風をにらみつけていた。
『神凪の炎術こそ最強』
彼が口にするそれは、実のところ彼以外の一族が言うそれとはまったく異なる。
それは血筋でもなく、浄化の力でもなく、一片の妥協もなく磨きあげた己の力とそれを超えた重悟に対する強烈な自負と賞賛である。
自身の歴史。重悟と競い合った日々。その全てが彼の根本に根差していた。
彼の親友曰く、『究極の負けず嫌い』。
「神凪の炎を、舐めるな!!」
落雷のような一喝が空間を打った。
炎がさらに猛りを増し、風と共に叫びを上げる。
それでようやく互角。
奥歯を砕けんばかりに噛みしめ腰を落とし、右手に左手を添えるような形で突き出した厳馬の姿は一族の者にとってみれば驚きの光景であろう。
自らの炎でサファイアのごとく染まった視界、その中に厳馬は見た。
まるで一条の矢のごとく、己の放った風に追従して神炎のド真ん中を駆け抜ける息子の姿を。
「舐めてんのはどっちだ、このクソ親父がぁぁああああああ!!!!!!!!!」
「ぬ……ぬおおおおおおおぉぉぉぉっっっ!!!」
風を纏い自らの全てを込めたその右拳を避ける間もなく。
道哉の全力の拳が、厳馬を彼の意識もろともに吹き飛ばした。
今まで手に入れた情報を統合し、やっとのことで潜伏場所をつかんだ流也は自らの父親と敵対者として相対した。
「神の解放のために妖魔を使うなど言語道断!あなたは風術師の誇りすら忘れたのですか!」
「風牙の名を出してみるがいい、どこへ行っても神凪の添え物としか扱われぬ日々だ」
風術師としても力が弱く、情報収集程度にしか使えない。
精霊術師として期待される力のほとんどを神凪の炎に依存する集団。
確かに優秀だろう。
確かに価値はあるだろう。
だが、神凪のためにしか動けない集団に意味はなく、単独で妖魔を討滅できない術者に依頼はない。
兵衛の声は遺恨に満ちていた。
「神凪は我らの力を封じた。我らの精霊術師たる根幹を奪い、道具に貶めた」
そう、自身が『精霊術師』であったなら、神凪に隷属していたとしてもその誇りを持てたなら、きっと彼らは。
「精霊術師の本分すら守れず、忠誠に対する相応の対価もなく、『あの程度』の者たちに使われなければならない屈辱に耐えろというのか!!」
圧力を伴ったような怒声。
そこに込められた精神力は、感応する精霊に比べて明らかに大きかった。
風牙衆の神の封印が神凪の長による口伝だというのなら、風牙衆の長にも口伝があってしかるべきだ。
強大無比な炎の眷属『神凪一族』。
その力を何よりも正確に伝えているのが風牙衆の口伝だろう。
不得手な闇討ちにすら対抗する圧倒的な精霊の加護。
それほど多くはない宗家の術者だけで都は安泰だと時の為政者に言わせたほどの力。
そして、『神』との激闘。
神凪の栄光の時代を知るからこそ代々の風牙は道具としての立場に甘んじてきた。
だが、年々衰えてゆく神凪を見るほどにその気持ちは揺らいでいく。
力の源を封じられているために神凪の術者の何倍もの鍛錬を必要とする風牙の一族、そのさらに上位の者たちしか命の危険がある任務には出ることができない。
そこで数多くの神凪の術者と協力し、思ってしまうのだ。
___この程度なら、神凪を滅ぼせる。
宗家の術者には精霊術師の端くれとして相変わらずの敬意を持っているものの、近年に至ってはその宗家にすら不満が出ることがあった。
もし、力の源さえ解放されれば。
もし、宗家の介入さえなければ。
もし、鍛錬に見合う力が手に入ったならば。
___今の神凪の分家ごとき、全力で滅ぼしてくれるものを。
そして次世代へと繋がる血を残せばこちらの勝ちだ。
宗家には手が出せず、出す気もないものの分家を全て滅せば規模の縮小は避けられず、逃げ出した風牙衆を追うことはできない。
この世界での評判は落ちるだろうが、はるか昔の力を取り戻せばいくらでも仕事はある。
神凪に隷属させられている立場がゆえ血の分散も最小限にとどめられており、解放の暁には神器を保持する彼の一族にも匹敵する術者集団として名を轟かせることができるだろう。
術者の世界というのはある意味弱肉強食だ。
すぐさま殺し合い、というわけではないが、力を手にする初期の段階で殺し殺されるという概念はしつこく教え込まれ、術者ならばその両方について常に覚悟を強いられる。
もちろん一般的なモラルもあり、それが特に顕著な精霊術師として風牙衆の計画はふさわしくないだろう。
だが、風牙衆は隷属させられてきた。実力主義であるこの世界において下剋上など珍しくもない。
多少の風評の低下さえ覚悟すれば、力を手に入れた風術師はすぐさま世界に名をはせるだろう。
加えて風牙の『神』の性質はこのようなものだったとされている。
『風を縛ることあたわず。風を留めることあたわず。汝ら協力者たらんとするならば、歪みを正し己を貫け』
簡潔に言えば、風は自由の象徴であるため歪みさえ普通に処理する限りにおいて文句言わないから好き勝手に生きろ、ということである。
一説には精霊王の分霊だったとか、風の妖魔が昇華したものだとか言われていたものの、世界規模での秩序さえ守られればいいという超常存在らしい存在であるという点だけは共通していた。
「退け、流也。これは我らが誇りのための戦だ。あの妖魔を使い神凪の分家を滅ぼし神を開放する」
「退けません。1000年の長きにわたり無辜の民のために戦い続けた神凪と我ら風牙、どちらがより信用が置けるかなど知れたこと」
道具ではなく、精霊術師に戻る。そのために己の魂すら差し出そうと兵衛は吼える。
傲慢だろうがなんだろうが、神凪は決して一般人にその力を振るわない。だからこそ仕えるに値するのだと流也は語る。
「結局は平行線。なら、暴力で決着をつけるのが道理だろうよ」
既に怒声に近い声で口論を繰り広げる親子を無視するかのように、流也の傍で状況を見守っていた男が口を開いた。
我関せずとばかりに煙草なんかをふかしながらも鋭い目つきで兵衛を見つめていた。
「だが!」
「わかってるんだろう?お前が保護した風牙の穏健派は兵衛に『逃がしてもらった』ってことくらい」
その言葉に流也は口を閉じざるを得なかった。
風牙の有力者が全て敵にまわっている状態で情報が漏れないわけがない。
戦力も情報もそろっている相手から『何故か』逃げ切れたという矛盾は、どんな無能でもわかるくらい露骨な情けだった。
「和麻様、それは間違いというもの。我らの悲願は風牙の解放。ならば保険として血筋を残しておくのは当然のことでありませぬか」
笑みすら浮かべずに兵衛が断じる。
そんな態度に「そういうことにしておこうか」などと肩をすくめる和麻は煙草を塵すら残さずに燃やし尽くすと、一歩前に出た。
「それでどうする。抵抗か、降伏か」
高慢な物言い。
だが神凪の宗家として、それは至極当然の態度だった。
もしこの場にいるのが重悟や厳馬だったとしても、相手の妖魔が自身よりも強いと知りつつこう言い放つだろう。
『それでも俺が勝つ』
意志の強さがそのまま力量に直結する彼らの、それは誓いのようなものであった。
「ありとあらゆる連絡手段を封じられた上に気の休まる暇も与えられない状況はうんざりだ。さっさと選べ」
携帯電話は真っ先に壊され、公衆電話等を使おうにも連続した不意打ちにさらされ、乗り物に乗ればそれごと妖魔の風でつぶされる。
流也が来てくれなければ本当に消耗戦になっていたかもしれない。
ぱっと見たところそうは見えないが、和麻はかなりのストレスをため込んでいたのだった。
そんな和麻を目の前にしても、兵衛は全くと言っていいほど態度を崩さない。
むしろ盤石の自信を持って言い放った。
「いえ、こちらは逃亡を選ぶこととしましょう」
「っ!脱出するぞ!!」
次の瞬間、兵衛の言葉とともに突如として発生した局地的な竜巻が、風牙衆の使用するセーフハウスを丸ごと吹き飛ばしていた。