体が軽い。
全身を駆け巡る今まで感じたことのない力。
精霊たちの祝福の声が瘴気の混じる大気を満たした。
この世界に新たに誕生した風と共にあるものを助けんと無邪気に力を貸してくれる未分化の意識たち。
既に限界を迎えていたはずの手足は精霊たちの力を借りて脈動する。
本来ならばすぐにでも治療を必要とする程の傷をかりそめの力で抑え込んだ。
応急処置というものが本格的な治療の全段階として行われるものであるならば、それは応急処置などと呼べるものではなかった。
近い未来における破滅を予期しながらも、今だけ動けばいいとするその行為は自殺に近い。
とっくの昔にカウントダウンは始まっている。
0になる前にすべてを終わらせよう。さもなくば、俺は何も成し得ない!
何かが噛み合ったような感覚があった瞬間、彼はあふれ出た力をそのままに使い魔の群れに突っ込んだ。
風を伴った体当たり。それだけで十体以上の使い魔が消滅する。
重傷の身であるためか、覚醒時のブースト状態ともいえる一時的な能力の向上がその一撃で消失した。
それでも彼は動揺を見せず、遅滞なく動き続ける。
血液を飛び散らせながら力強く踏みしめられる軸足が滑らかに重心を移動。
骨折の痛みを気力で抑え込み、修練の果てに固くなった拳を振るった。
「ギャウン!」
いくら気で強化していたとしても、現在の体調ならばたいしたダメージを与えられるはずがない。
しかし、彼の拳は容易に狼のような使い魔の胴体を貫き、消滅させた。
遅滞なくターンをするかのようにくるりと回転する。
振り返った先にいた人型。その分厚い筋肉に覆われた胸板をやさしくなぞる人差し指。
次の瞬間にはその人差し指の軌跡に沿って切断された物言わぬ肉の塊が散らばるのみ。
熱に浮かされたように道哉は使い魔の軍勢を屠ってゆく。
精霊術師にとって重要なのは意志力と制御である。
しかし風術師としての力を手に入れたばかりの道哉にとって、意志力こそ十分にあるものの制御の点では新たな腕が増えたような感覚であるために威力のある攻撃ができない。
だからこそ力の範囲を自分の周囲に限定し、攻撃は実際の体の動きに沿って発動することで威力の減少を可能な限り抑え込んだ。
例え今の道哉が全力を持って風の刃を放ったとしても、そこにどんなに多くの精霊が込められていたとしても、わずか数メートルを進んだ瞬間に霧散するだろう。
放つ瞬間に合わせて腕を振ることでイメージを補わなければ、放った瞬間に霧散したとしてもおかしくはない。
だからこそ一定以上距離のある精霊は空間把握にしか使用できず、比較的距離の近い精霊を常に引き寄せて身にまとわせる。
本来の速度からしてみれば半分以下になったはずの回し蹴りは振り向きざまに背後の使い魔の頭を爆砕させ、軽く放った掌底は飛びかかってきた異形の胸の中心を陥没させながら10メートル以上吹き飛ばした。
鉤爪のように曲げられた右手をたたきつければ深い5本の裂傷が刻まれ、その流れのままに左手で振り向くように裏拳を放てば数匹まとめて使い魔たちが吹き飛ばされる。
見るものからすれば本当に弱々しく遅い舞踏だろう。
風術がなければ下級の妖魔すら屠れまい。
傷こそふさがっているものの受けたダメージは甚大で、体力を消費するたびに思考にノイズが走る。
それでも道哉は笑みすら浮かべて拳を放ち、重力などないかのように舞い、体重差をものともしない蹴りで敵を吹き飛ばしていた。
『ゴォォォォォォォォォォォォォ……………』
地鳴りのような声をあげて迫りくる、ひときわ大きな体を持つ鬼に似た異形。
その丸太のごとき両腕が道哉を握りつぶさんと伸ばされる。
相手の攻撃の風圧に押されるかのように彼はスルリと身をかわしていく。
完全に避けたにもかかわらず研ぎ澄まされた妖気によってビリビリと体が震え、抑え込んだはずの傷から少量の血がにじんだ。
___ああ、そうだ。いつだってそうだった。
ほんの少し新たに血液が失われただけで、彼は体力が大幅に削られたことを自覚する。
余波だけで追いつめられるこの状況を初めて自覚したかのように、どこか茫洋としていた彼の目に静かな覚悟が戻った。
___お前たちは、俺を殺せる。あいつだって俺を殺せた。
焦れたように首を振る巨体。
何かを握りしめるようにした手のひらに濁った色をした力が集まってゆく。
大地に大穴をあけて余りある力。
それから逃れるには、あまりにも傷を負い体力を使いすぎた。
___そして、彼らも俺を見下す程度の力は持っていた。
そうだ、俺は弱い。
昔だって今だって、俺は弱かったんだ。
いつの間にか自分をごまかしてはいなかったか。自分に嘘をついてはいなかったか。
自分が『強い』などと思いあがってはいなかったのか。
激発寸前の力が目前で不気味に震えている。
___今だってそうだ。この体で、一撃食らえば俺は死ぬ。あのときだって、奴が俺を見ていれば出会った直後に死んでいた。
今まで出会った戦う手段を持つ者たち。
その全てが己とは比べ物にならない力を持つ強者ばかりだっただろう。
だからこそ、俺は全てを出し尽くさなければ生きることすら許されない!
どこか己を卑下した考えをもって、道哉はふらつく体に檄を飛ばした。
おおよそ半分まで減じた使い魔たちに動きが生じる。
これからなされるであろう力の衝突に備えて防御の体勢をとる者や、翼をはやして距離をとろうとする者たち。
目の前で力を溜める巨体はどうやら彼らとその位階が異なるらしい。
チリチリと肌を焼く圧迫感。
天高く掲げられた漆黒の腕を見つめる道哉もまた、瞳を半眼にして内圧を高めていた。
生半可な攻撃では小揺るぎもしないほどの巨体とエネルギーに対抗するため、ありったけの力を集約して仁王立つ。
巨体に似合わず、透き通るような銀色の光を放つ眼光が道哉を貫いた。
それに合わせるかのように、道哉は腰を落として右の拳を胴体に引きよせた。
どこか侍同士の立会いのような静謐な雰囲気が辺りを包む。
先ほどまで咆哮を上げていたような有象無象の魔たちも、どこかその空気に呑まれたように一切の動きと音を失っていた。
コイン、木の葉、わずかな音。
それらを合図として始まるようなまっとうな決闘ではありえない。
己の持つ最大の一撃を、いかに被害を少なくして相手に当て致死さしめるか。それだけを考えて相手の隙をうかがっているにすぎない。
どちらの保持するエネルギーも解放するために一瞬の隙が生じてしまうほどに大きく、なおかつ放たれた相手がその一瞬で自分を消滅させられる攻撃を放つだけの速さを持っている。
決闘でありながらも決闘ではなく、殺し合いのようで殺し合いらしくない静寂。
その均衡を破ったのは、やはり残された時間が少ない道哉だった。
眉毛まで伝わってきた血液を何気ない動作でふき取る。
相手は彫像のように動くことはなく、ただ瞳だけが爛々と輝いて道哉を見つめていた。
「お前に、俺は殺せない」
どこか祈るように、20mほど先にいる巨体に向かって宣言する。
既に拳は解かれ、棒立ちともいえる格好で道哉は敵に己を誇った。
撃ってこい。当ててみろ。この俺を、殺せるものなら殺してみるがいい。
相手が自分の言葉を理解するような存在だと確認することもなく。コミュニケーションをとれるような知性を感じ取るわけでもなく。
ただ相手に挑発ともとれる敵意をぶつけることで真正面から力を受け止めて見せることを示した。
殺し合いをルールある決闘へ。
相手の隙を狙って繰り出されるべき大技を相手に宣言させて使わせる。
その大胆不敵ともいえる様子に目を細め、眼前の敵は掲げられた腕に力を込めた。
『ゴァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
行くぞ。
そう言われた気がして、道哉は猛獣のような笑みを浮かべた。
空間すら引き裂きながら、天高く掲げられた巨大な腕が最短距離で振り下ろされた。
炸裂。
轟音を立てて周囲にまばらに点在していた木々がなぎ倒され、宙を舞う。
その閃光は周囲の使い魔たちの眼を焼き、その振動は遠く離れ堅牢ななずの祭壇を揺らがせた。
そして、土煙が晴れた後。
まるで隕石が着弾したかのようなクレーターの中心に存在していたのは、鬼のような巨体だけだった。
それに気づいたのは、まったくの偶然だった。
それを感知したのは、全くの偶然だった。
風と共に流れ込んでくる膨大な情報が脳裏を満たし、その整理に手いっぱいだった彼がふと感じた違和感。
既に崩壊しかけた術式と契約の失敗における反発が空間を満たし、その制御に手いっぱいだった彼が偶然に感知した存在があった。
風の精霊が自然に見逃すように仕組まれ、違和感がない場所が存在しないこの場において唯一異常なしであるとしかわからない場所。
唐突に強大な力を使用した存在が風使いだと理解した瞬間、術式に使用した膨大な数の触媒をそのまま転用し起動した対精霊術師用隠蔽結界。
道哉は戦闘を維持しながら慎重に捜索を行い、そこがいつの間にか認識内から消失していた翠鈴とアーウィン・レスザールの居場所だと確信する。
その結界を維持しながら術式と契約を同時に制御。そのどれもが失われて久しく、制御に困難を極める種類の魔術であるのにもかかわらず、神業のような手腕と膨大な魔力をもってそれらを行使する。
本来ならば気づくことはなかっただろう。
本来なら感知できるはずもない。
100を超える使い魔の軍勢との戦闘において、身につけたばかりの風術で広範囲を捜索することなどできはしない。当たり前のように異常がないという風の精霊の言葉に従うはずだったのに。
いくら世界最高の魔術師だとしても、人間のキャパシティを超えることなどできはしない。このような高位の魔術の多重起動は人間の限界ギリギリであるがゆえに最高の集中力を持って行い、外界に意識を振り分ける余裕などないはずなのに。
ひときわ大きな使い魔との激突の瞬間、彼は自らを強力な風の結界で覆い後方へ飛んだ。
術式の混線に応急処置を施し、悪魔との契約が半ばでキャンセルされたことにより自分の魂に伸ばされた悪魔の腕を術によって惑わせ、代わりの対価を差し出すことで回避する。それらが一応の区切りを見せた瞬間、彼は即座に物理的魔術的な性質の両面を備えた結界を起動した。
放射状に広がる破壊エネルギーを推進力として使い、乱戦の果てにかかなりの距離を移動していた自分を儀式の場所まで高速で弾き飛ばす。
足元の魔法陣に含まれる刻印や手元の薬品、貴金属などを使い並の魔術師では構築に1時間はかかるであろう堅固な結界を僅か数秒で構築する。
完全には相殺しきれなかった衝撃が骨を軋ませ、思わずもれそうになったうめき声を奥歯を噛みしめることで封殺した。
一応の区切りこそ付いているものの継続している高位魔術に加えて行使される力が体を傷つけ、頬に走った朱線からこぼれた血液が真っ白な服に赤を付け足した。
自らの後方300m。
距離が離れた精霊を引き寄せることができない道哉は、移動時に接近した精霊を片っ端から引き寄せ強靭な意志で保持する。
彼の周囲、半径20mほど。
七色の輝きを持つ透明な壁を作り上げたアーウィンは、それで安心することなく腕を動かし続ける。
仙術で力の制御を学んだ。だから、この程度で終わるわけがない!
目覚めたばかりの風術師未満ごとき、何の障害になるものか。
軽く握られた右手に精霊を集め、研ぎ澄ませていく。
彼の頭脳に保管されている万に届こうかという術の中から今現在の状態で使用可能なものを選び出し、組み上げ、起動を保留して待機。
まさに風のごとく接近する道哉は、ついに結界の概要を把握する。
そうして彼は迎撃の準備を整える。
何も分からないということがわかった程度のものであるが確かにそこは儀式の中核であった場所であり、間違いなくそこに翠鈴の気配を感じ取る。
結界を通してまでも伝わる強烈な力の波動。自らの使い魔が放ったであろうそれにまぎれて高速で接近する圧縮された嵐を観測した。
先ほど術式の中心に飛び込んだ要領だ。一点に力を集中し、少しでも揺らいだ部分から一気に力を流し込んで道を切り開く。
先ほどの不可能を可能にした男を思い出せ。あの男はすでに障害でも素質ある者でもなく、正真正銘私の敵となり果てた。
「アーウィン・レスザァァァァーール!!!!」
接触の瞬間に上げられた叫びは敵対か挑戦か、それとももっと穏やかな何かだったのかもしれない。
「神凪、道哉………!」
急激に増大した負荷に、数百年の年月の末に摩耗したはずの強い感情が言葉となって迸る。彼はようやく本心からの賞賛と敵意を相手に向けた。
落雷のように迅速に、銃弾のように一点に。
そして有無を言わさぬ威力と共に、風の刃は振り下ろされた。
その一撃で堅固なはずの結界は断ち割られ、使用されていた魔力の残滓がまるで砕けたガラスのように降り注ぐ。
『灼熱 閃光 天雷 奔れ!』
既に組みあがっている魔術の同時起動。
先ほどまでの道哉ならば感知することすらできず、なすすべもなく惨殺されていたであろう苛烈な攻撃を防御を捨て右手に圧縮した風で切り捨てる。
緩急をつけて襲い来る十二条の攻撃を、あるものは回避し、あるものは迎撃した。
既に配置してある術式の全てを風によって把握し、視線すら向けずに起動する寸前で輝く魔法陣を切り捨てていく。
「翠鈴を返せ」などと言うことはない。
魔術師に会話程度でも時間を与えることは死とまではいかないものの多大な不利を意味する。
相手を見るがいい。
世界で並ぶものなき高みにいる者。知らぬものなき至高の座に百年以上座り続けている存在。
その規格外が本気で自分を殺しに来た。自分という存在を認めて、全力で排除しようとしている。
ならば、問答など不要。こちらはこちらの全力を持って翠鈴を強奪してやろう!
__最悪の相手だ。
アーウィンは心の底から忌々しげな思いを抱くことになった。
いままで気しか使ってこなかった相手。
気は全ての属性に優越するものの、物理的な限界を超えることは決してない。
いや、超えることは可能であるものの、それをなし得たときその存在は仙人と呼ばれるようになるだろう。
だからこそ感知能力の低さもあいまって魔術師にしてみれば最も戦いやすい相手であるといってもいい。
火力を上げればそれに足るし、空間ごと消すような攻撃を仕掛けてもいい。下手をすれば人間の出力と速度を上回る雷撃を一発撃っただけで勝負は決まるだろう。
現に道哉が干渉程度しかできなかったような結界さえ事前に準備しておけば一方的に攻撃を加えることができる。
だが精霊術師は別物だ。
どんな存在だろうと必要なだけの精霊を集め意思のものとに制御すれば、破壊できないものなど本当にわずかだ。
それが目の前の相手のような強き意志を持つものならなおさらである。
さらに風という属性。
真正面から戦うという選択肢が、その準備の手間や即効性の問題からほとんど選択されることがない魔術師にとって風術師の感知能力は致命的であると言ってもいい。
罠など相当に準備と隠蔽を重ねなければ一瞬で見破られ、それが物理的なものでなかったとしても問答無用のシングルアクションで消滅させられる。
本来の定説である風術の威力不足も、この相手では桁が違う。
遠距離はあちらの土俵、近距離でさえ修練を積んだ精霊術師と格闘する程に体を鍛えていないため敗北する。
アーウィンも永き時の果てにそれなりの武術はたしなんでいるものの、風術と体術を組み合わせるようなでたらめな相手に挑む気はない。
久しぶりの大魔術で触媒も魔力も残り少なく、事前の準備もない。
少しでも探査能力を減少させようと使い続けている隠蔽結界の維持で使い魔たちに与える魔力の余裕がなく、既に全て送り返してしまった。
また召喚したとしても与えられる魔力が少ないために一瞬で倒されるだろう。
隠蔽結界を解いた瞬間に魔術の軌道を発動前に全て見切られ、なすすべもなく切り捨てられることを彼は理解していた。
これが事前に相手が風術師だと知っていたら、要塞のごとき入念な準備をしていたら、これほどまでに術式が破壊されることがなく、連れてきていた人員の全てが現在その制御に死力を尽くしていなければ。
全ての負のベクトルが彼を指し、絶妙な加減で拮抗していた戦闘がゆっくりと彼の敗北を予感する。
そして風術と魔術の乱舞のさなかに生じた一瞬の隙。
タンッ、という軽いひと蹴りで目の前に出現した風術師を認識した瞬間、彼はここ100年では感じることもなかった死の予感が首筋を撫でたのを自覚した。
彼にとっての最優先は決してアーウィン・レスザールではなかった。
道哉にしてみれば翠鈴さえ助け出せればよく、後顧の憂いを断つためにアーウィンを殺しておくのも悪くはないかと思う程度だった。
殺したとしてもアルマゲストの攻撃対象になり、殺さなかったとしても翠鈴に危険が及ぶ可能性が残る。
そういった板挟みの中、綱渡りのような攻防で生じた一瞬の隙。
アーウィンの背後にいる翠鈴までの障害となるものが全て消えた瞬間に、彼は迷わず敵ではなく家族を取った。
自分が目の前に現れた瞬間にほんの少し顔をこわばらせた敵を無視して彼は祭壇から翠鈴を抱き上げ、一気に離脱する。
既に魔法陣とのつながりも感じられない。
だが。
「なるほど、君は優先順位というものを間違えないようだね」
先ほどまでの焦燥感や敵意をすべて消し去り、虚ろな瞳に戻ったアーウィンが述懐する。
「お前………!!」
息もしている、心臓も動いている。
しかし、何か大切なものが翠鈴の裡から感じられない。
そう、まるでそれは――――
「だがこの場合、その選択肢は間違いだ。既に私が受け取った知識とその対価の関係は儀式が中断したとしても無くなることはない」
そう、途中でどんなトラブルがあったとしても契約はすでに結ばれていた。
「本来ならば契約違反として私の魂が奪われるはずだった」
「翠鈴の魂を自分の身代りにしたのか!」
あくまでも淡々と語るアーウィンとは対照的に、道哉の声は怒りに満ちていた。
「まさか。彼女のような希少な魂、失敗の対価としては高すぎる」
部下からの念話に分割した思考で応答しながら、彼は生徒に語る教師のように丁寧な口調で説明する。
「一時金のようなものだよ。次の儀式の用意と供物が整うまで悪魔に預け、契約違反ではないことを証明したのさ」
「なるほど、それはつまり……」
今までで一番の敵意をもって、道哉が体内で力を練る。
「そうだ。つまり、私を殺せば契約違反となり私の魂が奪われ彼女の魂は帰還する」
その言葉が終るか終らないかで振られた腕、放たれた刃。
だが、それは半透明になったアーウィンを通過し、一筋の傷も与えられずに霧散した。
「香港の組織と結んだ盟約の時間が過ぎた。私はここで失礼させてもらうよ」
ほぼ全ての道具と魔力を使い果たしたアーウィンが部下の魔術で転移していく。
既にこの場での勝負が終わったことを理解した道哉は、無駄に術を放つこともせず殺意を込めて彼を見送った。
「認めよう。君はすでに私の敵だ。容赦なく、私は君を殺すだろう」
朗々と、透き通った声が星空にこだました。
「神凪道哉。その娘を救いたければ私が儀式を終える前に、その娘の体が限界を迎える前に私を殺すがいい」
明確な殺意が交錯する。
「違うな」
唇を釣り上げ、道哉は言葉を返した。
「俺はすでに神凪から勘当された身だ。呼ぶなら、そうだな……八神道哉とでも呼んでくれ」
脳裏でかすかな苦笑を浮かべる。まったく、語呂が悪いにもほどがある。
道哉が勘当されたことに、異物として排斥されたことに何の痛痒も感じていないことを見てとったアーウィンも不敵な笑みを浮かべた。
「いいだろう、八神道哉。偶然が重なった結果とはいえ私をここまで追い詰めた君に賞賛を。そして、次に会う時が君の最後だ」
「それはどうだろうなアーウィン・レスザール。自分が死なないように運命にでも祈ってろ」
その会話を最後に、その場から彼がいたすべての痕跡が消え去った。
魔法陣、祭壇、ふざけたことに戦いの痕跡すらそのほとんどが元に戻っている。
道哉は腕の中で安らかに眠る翠鈴を見た。
彼女を抱きしめ、彼は森の中で一人声もなく慟哭する。
その悲しみと怒りに共感するかように、風の精霊がどこか悲しげに宙を舞っていた。
あとがき
8月中旬と言っておきながら少しばかり遅くなってしまいました、申し訳ない。
ついに2章はここで完結です。
皆様からの感想が時間に追われながらもとても励みになっております。
今回は今までの中でも一番の文章量……なのかな?
なんと伝えることは作中でのみという主義を全廃しまして、各話の解説なんかを書いてみることにしました。自分の文章力のなさに軽くへこみますね。
最初の注意書きを読んだ上でお楽しみください。
それと本板への移動に関しましては2、3日後に予定しています。
うーん、少しばかり怖いなぁ。
では、みなさんの感想をお待ちしています。
追記
私も感想欄で初めて知ったのですが風の聖痕の作者である山門敬弘氏がお亡くなりになられました。
風の聖痕の続きが読めなくなってしまったことを惜しむと同時に、二次創作者の一人としてここに深い哀悼の意を表しご冥福をお祈りしたいと思います。
追記2
いろいろ考えた挙句、解説っぽいものを思い切って削除&誤字修正。やっぱぶっちゃけすぎたかなぁ。
しかし、寄せられた感想はかなりためになるものでしたのでここに感謝を。うーん、読者の皆さんにはマイナスだったけど、作者にとってはプラスになりそうな予感。
ちょっとした改定や加筆も視野に入れつつ細々と頑張っていきたいと思います。
8/21 初稿
3/13 誤字修正