「運命というものを感じたことはあるかな?」
目の前の男が全てを見透かすような眼で問う。
その顔に浮かんでいたはずの笑みは、いつの間にか欠片も残さず消え去っていた。
「恋人同士の甘いささやきのようなロマンティックなものではない。どんなことが起ころうとも、いや、『起こること全てが唯一の終末に向けて収束』していくような絶望感。君はそれを感じたことはあるかな?」
男の表情は既に亡く、その声は何度も読み返した本を朗読するかのような退屈さに満ちていた。
それでも、その瞳はブラックホールを閉じ込めた宝石のように虚ろに輝き相手を射抜く。
「我らの星読みが俗世に満ちるような安易なものだと思ってもらっては困る。この星に起きた出来事を魔術的に把握し、属性を記録し、対応する星の動きと象徴を導きだすものだ」
それは近代科学に近い学問ともいえるもの。
もちろん、その方法や解釈には多分に神秘が含有されているのではあるが。
「ある程度知識を持つ者ならば鼻で笑うだろう。生ずる事象も星々も無限に近い。それらを組み合わせようとすれば無限の解釈が発生するのは自明の理だからね」
たとえば一つ星が墜ちたとして、それから死亡した者は何人いる?消滅した現象はいくつある?滅んだ種族はどれほどで、栄光が衰退に変わった国はどれだけあったのだろう。
影響しあう星の関係をも計算しようとすれば、まさに無限の解釈が成り立つと言っても過言ではない。
そして、その要素を結びつけるという方法が占い。
『風が吹けば桶屋が儲かる』に近いそれを大真面目に信じている人間は現代において少数だろう。
「だが、見つけてしまったのだよ。星を読むことで『大いなる流れ』を観測する方法をね」
人類一人ひとりの行動を全て縛るほど、世界は精密にできてはいない。
しかし、抽象的かつ包括的な道筋が確かに存在することを彼らは知ってしまった。
「ある地域の破滅を予見して阻止しようとした者がいた」
「世界に影響を与える人物の長寿を知り、憎しみを持って殺そうとしたものがいた」
「ある者は束縛からの解放を、ある者は自由を束縛せんがために歴史の流れを変えようとした」
だが、と白衣の男は首を振る。
はるか遠くを見るその目が、運命に挑んだ彼らの末路を雄弁に語っていた。
「それこそが運命だ。あらゆる不確定要素を飲み込んでなお止まることのない流れ。それが風水のようなものならまだよかった」
身近な大地や気象、そして人間の意思が集まることで大いなる流れを作り出すのならば救いはあった。
その願いとは裏腹に、よりにもよって星空が変えられぬ未来を指し示す。
「夜空を見るがいい。そこに満ちる光は生まれ出でてからどれほどの時を超えてここに来た?」
赤と青と黒が入り混じる黄昏の空を仰ぐ。
それが演劇ならば観客の胸を打たずにはいられない、そんな動作だった。
「万年を超えて届いた悠久の過去。その残滓を拾い集め近しい未来を指し示す。星を読むとはそういうことさ」
地球に届く星の輝きはいったい何年前のものだ?そしてそれを読むことで未来を占うとはどういうことだ?
東の空に浮かんだ一番星を冷めた目で見つめながら、一片の揺らぎも見せぬ男の声が朗々と響く。
「考えても見るがいい、確かな体系として存在するそれが、遥か昔から我らが星の光に拘束されてきたこと以外の何を語るというのだ」
アルマゲストの首領が、アルマゲストの根源を否定する。
驚天動地ともいえるその場面に立ち会っているのはただ一人。
「それを真理だと?くだらない、実にくだらない。それが負け犬でないとしたら何だ。それが戦う前から負けている者でないとしたら何だ」
星を読もうと読むまいと、そこにある光は定まった未来を指し示す。
退屈をにじませる声に炎が灯る。
気だるげな声も、虚ろな瞳も変化などない。それもかかわらず彼の発する声と圧力によって空間が軋みを上げる。
「数万年前、私たちの世界がたどる道筋はすでに決まっていたのさ」
自力でその境地までたどり着き、真実を知ったものの絶望はどれほどのものか。
「そう、それこそが私たちが占星術を中心に据えている理由だ」
数万年前の星の光。その輝きを、その導きを否定する。
うつろいゆく歴史こそが真実。
我らだけの今を創るため、過去の光からの解放を。
「星と叡智の名のもとに、我らは集った」
それは一握りの幹部、それも寿命を超越した者たちしか知ることのないアルマゲストの真実。
「星に畏怖を。世界を解き放つ叡智を。遥か昔、我らは世界と宗教の神々全てに反逆すると誓ったのさ」
占星術を極めた者たちが辿り着く絶対無二の真実。
知っただけでは運命は代えられない、だからこそあらゆる神秘を、更なる力を求めた。
道程を知り、力の無さを呪い、それでも諦めるものかと叫ぶ賢き愚者たちの祈りを知れ。
数百年の時を過ごしたとされるアーウィン・レスザール。
その一途ともいえる誓いが胸を衝く。
手段を選ばず、時には効率を、時には美学、さらには愉悦で事を行う彼ら。
その願いの正体は。
「運命など認めるものか。我らの闘争が、嘆きが、渇望が、流した血と汗と涙の全てが星の光によって『遥か昔に決まっていたこと』にすぎないだと?
我らの往く道筋が定まってるならば、そこに存在するのはそれなぞるだけの機械にすぎない。
我らの意志が、己の道を往かんと叫ぶこの意志が、己の裡以外から生まれたものなどと認められるものか!」
世界最高の魔術師にも抗えぬ事実がそこにあった。
遥か昔から続く悠久の縛鎖。
つまり、奴らは、俺と。
「君ならば理解できるはずだ。最高の炎術師、神凪における唯一の異端児」
今まで目にした中で、唯一真実だと思える表情が覗く。
それは共感。
お互いが、相手の行動原理に感じる強烈なシンパシー。
「星が示す。世界を飲み込む激流が、焔の中から産声を上げると」
その言葉に、頭を思いっきり殴られたような衝撃が走る。
世界が、足もとが崩れていくような感覚。
自分が手に入れた力も、決意も、それは悠久の過去において既に____
「それが君だという保証はない。常に抽象的な星の動きは、我らに直接的な結論を伝えることなどないのだから」
どこか安心させるように、アーウィンは無表情を微笑に変えた。
「だが、これでわかったはずだ。もしこの予言が君を指しているのだとしたら、君は『その時』が来るまで決して生まれ出でることなど出来ないということを」
アーウィン・レスザールが限りない優しさをもって両腕を広げた。
「さぁ、これが私の答えだ。では逆に君に問おう」
「神炎。あの桁外れの炎を見て何を思った?それに最も近くて遠い自分をどう思った。今までの道のりが定めの上にあったかもしれないと知り、そこに何を見た?」
___その運命を、どう感じた?
道哉は草を踏みしめ、少々上がってしまった呼吸を整えながら立ち止まった。
儀式の会場。その正解は、見当をつけた場所20のうち8か所目だった。
一見何も存在しないように見えるその場所は、しかし隠し切れないまでの強烈な違和感を五感にうったえかける。
店の昼休みにアーウィン・レスザールと遭遇してから約6時間後。
秋の深まる季節、力を失った太陽が周囲を血の色に染め上げていた。
周囲を雑木林に囲まれながらもぽっかりと空いた広場。
古の時代に大地を崇めるために整備された土地が、その逆の目的に使われるとは因果なことである。
一つ深呼吸をする。
そして彼は気を纏わせた手をゆっくりと目の前に差し出した。
感触も反発もなく、それでも確かに道哉は『境界』に触れていた。
感覚を研ぎ澄ませ、実際に触れている彼でさえ「そこにあるかもしれない」という程度しかわからないほどの見事な結界。
自身が持つあらゆる手段で破壊することが不可能であろう完成度を誇るそれが彼の行手を阻む。
物理的な力では街一つ灰にするくらいの火力でなければ影響すら与えられないだろう。
術式を問答無用で破壊する神凪の炎ならばともかく、ただの力でしかない気ではそのエネルギー全てを受け流されてしまう。
逢魔が刻。
昼と夜が入れ替わる今こそが儀式のとき。
日付の変わる瞬間という可能性もあるが、世界を相手にするならば人間の決めた境界に意味はない。
ゆえに道哉に残された時間はなく、前に進むための手段すらない。
いや、正確には手段すらないはずだった。
その顔に一片の焦燥すら浮かべることもなく、道哉は伸ばしていた右手を握り締めた。
その体から噴火と見まごうまでの莫大な量の気が立ち昇る。
ブーストとしては有効ながらも非効率的なそれは、仙人の修行場でとうに卒業したはずのものであった。
奴の性格、世界を変える大規模な術式、そして数時間前に聞いた賞賛の言葉。
___ちょうどいいギャラリーが来たんだ、少しばかり入れてくれたっていいだろう?
わざと目立つように莫大な力を発生させて結界に干渉する。
目の前の空間がかすかに歪む。
たわんだ結界はそれでも決して崩れることはない。
だが、それで充分。
「アーウィン・レスザール!」
少々荒々しいノックとともに響いた呼び声、そのきっかり2秒後に道哉はその場から消失した。
「ようこそ我が異界へ。ささやかではあるが歓迎させてもらうよ、神凪道哉君」
影絵の世界。
世界を丸ごと反転させたような異界で、白の青年は穏やかな笑みを浮かべながら君臨していた。
「名のった覚えは、ないんだけどな」
嫌なことを聞いたとばかりに顔をしかめた道哉を見て、アーウィンは爽やかな笑い声を上げた。
「それはお互い様というものだよ。何、完璧に隠蔽していたはずの私の名前を引きずり出した君に対するささやかな意趣返しだと思ってくれたまえ」
そう言って邪気のない顔で笑うその様子は、数百年の歳月を過ごした魔術師にしては驚くほど幼いものだった。
「さて、何の目的を持って今この場所に足を運んだのか。明確な回答を頂けるかな?」
戯言はここまでだ、笑みを崩さぬままに青年が問う。
その視線を真正面から受け止め、道哉は不敵な笑みを浮かべた。
「人の受けた護衛の仕事を妨害されたことに対して、一言文句を言いに」
虚偽を許さぬその空気において彼が堂々と放った軽口に、一拍置いて返ってきたのは静かな笑い声だった。
「やはりいい。君は素晴らしい。この状況を自覚してなおそのようなことを口に出せる、それだけで価値がある」
パチン
アーウィンが指を鳴らす。
その瞬間、道哉の周囲を囲むように空中に描かれた大量の魔法陣と異形の使い魔たちが現れた。
この場に出現した瞬間、道哉は偽装された大量の攻撃手段を見抜いていた。いや、『道哉にも感知できるように仕掛けられた』数々の罠を理解させられていた。
世界最高の魔術師自ら仕掛けたそれらに臆することなく前を見つめる道哉を今度こそアーウィンは手放しで称賛する。
「だが、その心は君の力に見合っているかな?」
使い魔たちに号令が下される。
宙に浮かんだ魔法陣が発光を始めた。
「行」
け、と続くはずだった声が途切れた。
ザンッ と音を立てて、彼の首と両腕が宙に舞う。
先ほどまで道哉がいた場所には簡易的な魔術が刻まれた大量の爆弾。
アーウィンと使い魔を囲むように四方に突き刺さった短剣が結界を発動し、圧倒的な爆発が結界内を薙ぎ払った。
はぁ、と体に溜まっていた緊張を吐息とともに排出する。
個人が手に入れるには過ぎた威力は、刻まれた魔術のおかげだった。
魔術師の拠点攻略用に作られたそれは、対となる特殊な結界具と同時に使って初めて威力を完全に内側に集中させる。
「攻撃を予告するなんて馬鹿のやることだ。ついでに魔術師が前衛と近距離で相対するならもう少しまともな防御術を使っておくんだな」
そう、道哉の勝利は必然だった。
いくら数百年に来たとしてもあくまで技術者である魔術師が近接戦闘で道哉に勝てるわけがない。
存在する場所がわかっても、見えなければいつ攻撃が来るかすらわからない道哉に対して偽装を解き、あまつさえ攻撃の予備動作まで見せた。
彼の名声を考えればあまりにも稚拙な行為。
それはつまり。
「で、お遊びはそろそろやめにしないか」
「そうだな、非礼を詫びよう」
そして世界が砕け散った。
光と闇の立場が反転し、大地は空へ、空は大地へ、生者と死者が等価となり、世界の法則が組み替えられる。
影絵の世界は既に無く、燃えるような夕日が顔をのぞかせた。
足元には半径が20mにもなろうかという巨大な魔方陣。
そしてその中心の祭壇には、道哉の家族が規則的な呼吸で安らかに横たわっていた。
世界を作りかえる術式。
素人目でも翠鈴を核として起動していることがわかるそれが、音もなく世界の一部を侵食していく。
感じた怒りを完全に抑えつけ、冷却した頭で白い服の男を見る。
「自らに対する危険を完全に消し去ったその力と判断力と称えよう。そうでなくてはつまらない」
数時間前と同じ乾いた拍手の音。
揺らぎ、混沌に満ちる世界において鮮烈な白が網膜に焼きついた。
その外見に内面を何一つ表すことなく、アーウィン・レスザールが立っていた。
「では改めて聞こうか。何の目的を持って今この場に足を運んだのかな?」
先ほどと同じ問い。
だが感じられる深みと圧力は段違いだった。
軽い深呼吸。
感情のままに出そうとした怒声を飲み込んで、道哉は低い声で答えを返した。
「何のためにここまで大がかりな儀式をしたのか。それを聞きたい」
ここまでアルマゲストが組織的に動いたことは未だかつて数えるほどしかない。
個人としての動きならば各地であるにもかかわらず組織としてはそれに不干渉を貫いてきたのに、なぜ今回は。
問いかけに対して返答とも言えない言葉。
それを特に気にすることもなく、アルマゲストの首領は決定的な一言を放ったのだった。
___運命というものを感じたことはあるかな?
あとがき
時間が足りない。
といいつつこれを書いてる俺は何なんだろうか。
どうも、自分で自分を追い込むのが好きな作者です。
いつも感想ありがとうございます。ちょこっと出ていた本板への移動につきましては、2章が区切りを迎えてからにしたいと思います。
さて、時間がないとか言っておきながら書くのが楽しくなってまいりました。
しばらく書けないのか、それとも禁断症状が発動して書いてしまうかはわかりませんが、楽しみにしてくださる方は気長にお待ちください。
7/15追記
どうも納得いかないのでそれなりに加筆。
伝えたいことの半分も伝わってないのに文章だけはクドくなってしまいました。申し訳ない。
7/14 初稿
7/15 加筆修正
3/13 誤字修正