燃え盛る炎。
幼いころから渇望したもの。
何度泣いただろう、何度叫んだだろう。
漠然と存在する『違う知識』がささやく。
___炎が価値観のすべて?おかしいよそんなの。
幼い自分が叫ぶ。
___それでも、ここではそれが全てなんだ!
人目もはばからず彼は泣いて、わめいて、声よ枯れろとばかりに叫ぶ。
普段の彼からは想像できない行為。それもこれは夢だと理解しているが故。
___大丈夫。
聞き覚えのある声。誰のものかわからない声。
全てをまかせたくなるような、そんな安心感をもたらす声が響く。
___悲しいことも、苦しいこともこれからいっぱいあるけれど。
辛い、苦しい。諦めよう。諦めてしまえ。そうすれば全てを受け流せる。
___運命というものがあるならば、風は俺たちを愛してくれているはずだから。
運命なんて認めない。この努力が、この嘆きが、この渇望が、流した血と汗と涙の全てが『決まっていたこと』なんて認めない。
決まっているならば、そこに存在するのは道筋をなぞるだけの機械にすぎない。
この意志が、決して運命などに負けてやらぬと叫ぶこの意志が、己の裡以外から生まれたものだなんて決して認めない!
震え立つような怒りが体に満ちる。
涙などとっくに乾き、握った拳は血を流し、弱き意志は鋼を纏う。
___運命が嫌いかい?
笑いを含んだ声が聞く。幼いはずの自分は、今の自分へと変わっていた。
「ああ、大嫌いだ」
自分も笑っている。世界に挑戦状を叩きつけるように。産声をあげるように大嫌いだと言い放つ。
___流石俺だ。
「当たり前だろ」
目の前には冴えない大学生。お気楽に生き、自堕落に過ごし、死ぬほどの苦労なんてしたことのない男。
___俺とお前は別人格だなんて思ってるか?
まさか。あの頃の軟弱な俺じゃあそんな顔は出来ない。
___では始めよう。
運命に抗い、障害を叩き潰し、大切だと思った奴は死ぬ気で守れ。
主役は俺だ。はばかることはない。さんざん楽しんだ後に、笑いながら老衰で死んでやろうじゃないか。
『俺』が差し出してきた手をとる。
流れ込む欠けた記憶。母の顔は?父の顔は?兄弟はいたのだろうか。虫食いに似た欠落。
こぼしてしまった大切だったはずのもの。たった数秒、それを悼む。
少し、不安になった。俺は何なんだろうか。
自分が虚構であるかのような不安が鋼になったはずの意識を侵食する。
物語【風の聖痕】
___我、思うがゆえに我あり。
唐突にそんなことを嘯いた目の前の男に対して、しばし呆然としたあとニヤリと笑って言ってやる。
「なんださっきから、そういう言い回しが好きになるお年頃か?」
奴の苦虫を大量に噛み潰したような顔を見ながら、歯車の噛み合う音を聞き、俺たちは『俺』になった。
炎に包まれながらの覚醒。どうやら軽く意識を失っていたらしい。
痛み?熱さ?そんなものとっくの昔に麻痺している。
先ほどまで感じていた狂おしいまでの憎悪や怒りは消えてはいない。
諦めでごまかしたもの、目をそらした感情、すべて飲み込んで大地に立つ。
気の量は十分、手足はまだ動く、決意は胸に。
よし、死ぬ気で鍛錬したあげく天才だなんて言われた体術を見せてやろう。
炎の祝福を受けた神凪一族。一人捕まえて盾にすれば十分だ…!
気付かれぬよう拳を握る。
骨の数本は覚悟してもらおうじゃないか。何か言われたって宗家の権力見せてやろう。
さんざん殴ったらそれでチャラだ。ヘドロのように心の奥底にたまった怒りも俺の裡に収めてやろう。
お前たちのおかげで、俺は、俺になれたんだ。
十分に力を貯めた筋肉、掌に食い込むほど握られた拳。今まさに襲いかかろうとしている道哉は、ふと自らの境遇に気づき苦笑いを浮かべた。
「にしても、まさかこんな役どころかよ……」
彼にとって、力尽きたように倒れたのは作戦の一つだった。
とどめとして放出されるであろう炎を目くらましにして気を使い炎を飛び越し、着地と同時に対応されるより早く数人を殴り倒してから、人間を盾に使って戦いを有利に進めようとしたのである。
もう立てないほどに消耗した落ちこぼれにとどめを刺すのに、誰が警戒心を抱くだろうか。
体術や気の扱いに優れるとされている自分が、相手に接近できる唯一のチャンス。
___手負いの猛獣ほど怖いものはないだろう?
一瞬の差が生死を分ける場において、しかし彼はあまりにも高い集中力を発揮していたために背後から駆け込んできた少女気付かず、目にした瞬間に不覚にも意識を奪われた。
己と相手の力量の差を考えずに飛び込むことは愚かである。
ましてやそれが何の作戦も存在しない行為だとしたらなおさらである。
だが、その姿に見惚れた。
話したことは一度だけ。けれど、争いを好まない内気な少女であることは見かけた訓練の様子で知っていた。
原作でのエピソード。
主人公は何の抵抗もできずに追い込まれ瀕死。
だが、自分は諦めていたけれど半端に抵抗をした。
頭に血が上った子供ほど考えなしなものはなく、美しかった庭は一部が焼けただれ、美しく敷き詰められた砂利は荒果て、自分は炎との連携で殴られもした。
来ないと思った。凄惨な場面だ。大人でも二の足を踏む。
原作の数行程度のエピソードが無くなる。その程度だと思っていた。
小さな背中。
震える身体。
蚊の鳴くような声。
「こんなの……こんなの酷すぎます」
精一杯背筋を伸ばし自分の前に立ちはだかるその背中を見て、まぶしいと、美しいと思ったのだった。
思わずくつくつと喉を鳴らす。
___ヤバい、惚れそうだ。あの場面の気持ちがわかるとは思わなかった。
無意識にそう呟いてから、全力で自分のロリコン疑惑を取り消す。
やっとのことで場違いな思考を切り捨てたところで、目の前に考えるのも馬鹿らしい力の炎が顕現した。
兄弟を妬んだこともあった。今はそうでもない。
飛び掛かる一瞬前の状態を維持していたせいか気の量が危ない。我ながら情けない、これで勝つつもりでいたなんて。
和麻は人を呼びに走っていく。
残された操を見れば青い顔をしている。それはそうだろう、小さな子には少しばかり刺激が強い光景だ。
不安を和らげるために頑張って話しかける。あ、涙目。
___小さい女の子の扱い方なんて知らねーよ!あれ?とすると前世に妹はいないに違いない。
そんな益体もないことが頭をめぐる。
操は懸命に頭を振る。
違うと否定するかのように。自分を叱咤するように懸命に。
膝枕をされた時は、流石の道哉といえども激しい動揺に長年で培われたポーカーフェイスが崩れかけた。
不意に、頬に暖かな感触。
とっくに麻痺が治り、全身の苦痛に苛まれた中に感じた一筋の光。
不埒なことを考えて動揺していた自分がどこかおかしくて、彼は思わず笑みをもらす。
「ありがとう」
思わず出た言葉は、どうやら正解だったらしい。
花が咲いたような笑みを見せる操がまぶしくて、道哉は少しだけ目を細めるのだった。