槍殻都市グレンダン。
そこへ一通の手紙が届けられていた。
この都市は他の都市との交流が極めて少ない。理由は単純で、この都市が危険地帯に自ら突っ込んでいく都市だからだ。結果として、グレンダンにおける汚染獣との戦闘は他都市では考えられない程、異常な頻度で起きる。
そもそも汚染獣の極致とも言える老生体との遭遇は他の都市であれば、一生に一度出くわす事さえないのが普通(というか普通に出くわしたら、熟練の武芸者がいても都市の滅亡をも考慮に入れないといけない)なのに、このグレンダンに措いては老生体との戦闘さえ幾度となく体験している。
結果として、汚染獣に突っ込んでいくグレンダンと、汚染獣を避けるように動く他都市では目指す方向が全くの逆となるから、自然と交流が減る。
放浪バスにしたって、好き好んで汚染獣が多数いる危険地帯に突っ込みたくはないから、矢張り数は限られる。
まあ、悪い事ばかりではなく、危険地帯にあるセルニウム鉱山は独占状態だから、他都市と争う意味もない。
まあ、何が言いたいかというと、この都市に放浪バスが寄る頻度は少なく、自然と手紙もまた然り、という事になる。
特に、その手紙が王宮宛、となると更に、というべきか……。
「いかがなさいます?」
届けられた手紙を前にテーブルの上に広げて、頬杖をついて眺めていたシノーラことアルシェイラに問いかけたのは、隣に控える女性。女性にしては長身の黒髪の美女。どことなくシノーラに似ている。
カナリス・エアリフォス・リヴィン。
彼女が似ているのは当たり前だ。アルシェイラが王宮にいない間の執政権を預けられている彼女は同時にアルシェイラの影役、つまり身代わりを勤める女性でもある。
そして、同時に彼女はグレンダンの三王家の亜流から発生したリヴァネス武門の出で、王家の警護役を受け持つリヴィン家より輩出された天剣授受者の一人でもある。嘗てアルシェイラの暗殺計画に参加した三人の天剣授受者の一人でもあるが、それは結局の所、アルシェイラが影武者だのを必要としていない故……そう、カナリスにとっては自分がアルシェイラの代わりに働くのは当然の事だったが故に、当然をさせてもらえない状況に不満があったのだった。
まあ、それ以来はアルシェイラにしても、そんな事で天剣の一人を失うのも馬鹿らしいと仕事をさせている訳だが……。
「ツェルニで発見された廃貴族。グレンダンに招くのが妥当かと存じますが?」
そこには廃貴族の力を存分に扱える者がグレンダンの外にいる筈もない、という強烈な自負が見える。
とはいえ、カナリスの雰囲気もまた、是非に、という訳ではなく、あくまでアルシェイラに判断を促す方針を提示しているに過ぎない。
理由は単純だ。
現在、グレンダンには天剣が十二本揃っている。
現在のグレンダンが成立して以来、一度たりとも揃った事のなかった天剣がだ。
逆に言えば、前の王が揃わない天剣を補う為に命じた廃貴族の入手は、今では然程必要とされていない。これが、レイフォンが追放などという事になっていれば、カナリスももう少し強く主張していたのだろうが……。
「はあ、面倒臭いわね」
とはいえ、アルシェイラにも分かっている。
サリンバン教導傭兵団は悪くはない。
彼らは与えられた任務をこなすべく、尽力し続けてきた。
ただ、惜しむらくは、廃貴族が必要なくなった後に発見した事か。
しかも、場所は学園都市ツェルニ。
現在、天剣の一振りたるレイフォンが在学中の都市だ。
レイフォンには一応、廃貴族の事についても教えてある。そして、その扱いと対応に関して本人の判断に任せるという事も。
こうして、サリンバン教導傭兵団から手紙が送られてきた所からみるに、レイフォンと一戦交えたのだろう。そして、破れたのだろう。所詮は学園都市、未熟者の武芸者の集まりだ。サリンバン教導傭兵団がその気になれば、廃貴族を宿した生徒一人を掻っ攫う事など大した手間ではあるまい。
レイフォンさえ敵にしなければ。
逆に言えば、レイフォンを敵にしたが最後、サリンバン教導傭兵団では発見以後の対応が不可能になる。傭兵団にしてみれば、とっとと確保して、グレンダンに向けて帰還するのが一番なのに、そうせずご丁寧に手紙を送ってきたとなれば、レイフォンと戦い、撃退されて、行き詰ったからどうしましょう?と問い合わせてきたとみるのが正しいだろう。
とはいえ、「好きにすれば?」という訳にもいかない。
アルシェイラの前だろうが何だろうが、彼らはきちんと任務を受け、その為に尽力してきただけなのだ。王の命令で苦労した以上、その後継となる王であるアルシェイラがきちんと報いてやらねばならない。
「ん~、カナリス。今のグレンダンに廃貴族必要だと思う?」
「そうですね。絶対必要な訳ではありませんが、どのみち外でまともに力を扱えるだけの者がいるとも思えません。ならば、招くのも一つの手かと」
天剣が十二本揃っている以上、廃貴族で補う必要はない。それは確かだ。
だが、廃貴族と、その力を奮える者が一人いれば、それだけ余裕が出来る。
……天剣だって、生きている。
逆に言えば、天剣とて死ぬのだ。
確かに天剣授受者は通常の武芸者なら死ぬような戦場からも平然と帰還する。無論、任を果たした上で。
だが、彼らでも僅かな不運や或いは僅かに力が及ばず、破れる時もある。
今後の事を考えれば、予備は多い方がいいに決まっている。
そして、通常の手段で予備が確保出来ないなら、廃貴族というのは間違いなく選択の一つだ。ただ、既に宿主がいる以上、果たしてそれが使えるかどうか……。
それにレイフォンがいる都市というのも気になる。
果たして、これは偶然なのか?
「そうねえ……それじゃあ、とりあえずレイフォンとサリンバン教導傭兵団双方に手紙送ろうか」
その言葉にカナリスは訝しげな表情をする。
サリンバン教導傭兵団に送るのは分かる。如何なる決定にせよ、上司から命じられた事柄に関して指示を求めてきた以上、現在の上司たる女王アルシェイラにはそれに対して返答する義務がある。
だが、レイフォンにも、というのは何だろうか?レイフォンをグレンダンに戻すのか、それとも天剣だけグレンダンに戻すのか?元々、グレンダンに措いて、レイフォンへの悪感情というものは大して存在しない。無論、妬み嫉みの類は常にあるが、そんなものは今更どうこう言うレベルのものではない。
むしろ、特に若手を主体として相変わらずレイフォンへの憧れを抱き続けている者の方が圧倒的多数を占めている。別にグレンダンに必要だからと戻した所で問題も起きまい。
もっともアルシェイラは別にすぐにレイフォンを引き戻そうというつもりはなかったようだ。
というより、必要な時には手元に戻ってくると確信していたのかもしれない。
「そうねえ、サリンバン教導傭兵団に関しては、ねぎらいと任務達成と看做しての引き上げ命令。彼らは真面目に任務果たし続けてきたんだから、きちんと表彰してあげないとね」
その言葉にカナリスは首を傾げた。
いや、サリンバン教導傭兵団を評価するのはいい。問題は。
「廃貴族はいかがなさるおつもりですか?」
アルシェイラの口調からすると、サリンバン教導傭兵団には廃貴族を連れての帰還は想定していないと思える。
「ん、そっちに関してがレイフォン向け。レイフォンには監視と判断を任せるわ」
「監視と判断、ですか?」
「そ、廃貴族が暴走しないかの監視と起きた時の後始末。後は……」
廃貴族を宿したが故に起きるであろう事態への判断。
廃貴族が起こす可能性のある事件に関してではない。
レイフォンに任せる判断というのは、廃貴族を宿したという学生武芸者、ニーナ・アントークに対する対応とでも言うべきものだ。強すぎる力は排除を招く。
グレンダンならばいい。
天剣という十二本の超常の武芸者を抱え、それを上回る力をも有する女王を擁し、そもそも現在都市を動かすグレンダンもまた廃貴族故に、廃貴族を宿したニーナ・アントークも受け入れられる。
だが、果たして他の都市ではどうだろうか?
廃貴族は汚染獣との戦いを求める。
廃貴族を宿した存在は、その力をフルに活用出来るようになった時、それまでとは一線を画した力を奮えるようになる。
それらは通常の都市では異質だ。
異質は、それ故に容易に排除される。
そう……グレンダンに措いても、天剣授受者が戦う時は一人か、傍にいるのは同じ天剣のみだ。天剣授受者の力は強大に過ぎて、それは同じ武芸者をしてさえ恐怖を抱かせうる。それ故に、天剣が戦う時、一般の武芸者が傍にいては、天剣授受者は本気を出せない。
そして、それは廃貴族に関しても同じような事が言える。
「その子が、排除されるなら……」
その時は招いてあげよう。
その判断は、或いは誘うのはレイフォンに任せる。彼女が破滅に向かいながら、レイフォンがその性格故に躊躇するという可能性も考えたが、傍にはリーリンもいるし、何より。
それがグレンダンにあるべき存在なら、いずれグレンダンに来るであろうから。
決定さえ下れば、後はカナリスが引き受ける。
というか、決してアルシェイラも書類整理に無能な訳ではないが(カナリスが影武者に正式就任する前は彼女自身がやってたのだから当然なのだが)、矢張り現在アルシェイラ以上に女王の代役を務めているカナリスの方が手続きから何から手際がいい。無論、手紙自体はアルシェイラが書いたのだが。
仕事が終わり、王宮内を歩くアルシェイラの視線が彼女が歩く道の脇、柱によりかかる姿に向く。
この廊下は王宮の主要部分からは外れた場所である為、警護の武芸者の姿はない。シノーラことアルシェイラが私用で動きやすいよう、わざと人を置かないようにしているのもある。無論、そこには例えここで襲撃を受けようが、どうこうされないという強烈な自負が根底にある。
あまり使われない事を示すように、照明も最低限だし、太陽の位置が悪いのか窓からの日の光も弱い。
結果、薄闇に包まれてはいるが、だからといって人の姿を見逃す程アルシェイラは耄碌していない。相手が隠れようとしていないのだから尚更だが。
アルシェイラは別に態度の悪さを気にするような性格ではないが、それでも王宮内部で女王を前にしてこのような、壁に寄りかかって待っているような態度を取れるような相手は限られている。
「なにか用かい?」
声をかけられ、気配の持ち主は窓の前に移動して、身に纏っていた影を払った。
天剣授受者が一人、サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスの姿がはっきりする。
「陛下においては、ご機嫌もよろしく……」
「やれやれ、今日は忙しい日だよ」
型通りの挨拶をして礼をする好青年に、アルシェイラは溜息を吐きかけた。
無論、サヴァリスが分かってやっているのを理解しているからだ。
「……よろしくはなかったようで」
「まったくね。今日は珍しく頭を使ったんで機嫌が悪いんだ」
「それは大変ですね」
と言いつつ、くっくっと笑い声を溢す様子からはまるでそう思っているようには見えない。まあ、実際思っていないのだろうが。
その姿をアルシェイラが一睨みしても、サヴァリスは動じなかった。当たり前だが。
「ご不快の原因は、手紙ですか?」
しかし、差し出された言葉に、アルシェイラは瞳を引き絞るように細めた。
そこには先程までの気だるげな、どこか無造作な雰囲気はない。
何故、女王宛の手紙を知っているのか?カナリスが漏らすとも思えない。そうすると、王宮に自分の手駒でも潜ませているという事か?王としての、絶対的強者としての姿を垣間見せつつ、アルシェイラは不機嫌にサヴァリスの笑顔を見た。
「……ルッケンスの家は、少し調子に乗っているのかな?それとも天剣使い全員が調子に乗ってるのかな?だとしたら、少し引き締めてやらないといけないね」
実際には後者はないだろうが、前者だけならありうる。
何しろ、ルッケンスの家の歴史は古い。
天剣授受者、その歴史の最初の一人こそがルッケンスの開祖なのだ。以後連綿と続いてきたその歴史は決して馬鹿に出来ない。このグレンダンに措いて、一つの流派が長きに渡り隆盛を保ち続けるというのは決して容易ではないのだ。
しかし、それを聞いたサヴァリスは慌てて後ろに下がり、弁解する。
「とんでもない!陛下に捧げた僕達の忠誠に、一片の曇りもありません」
冷ややかに見詰めるアルシェイラにサヴァリスは更に言葉を続ける。
「ツェルニの一件を知ったのは偶然です。弟があちらにいますもので……」
そうして、サヴァリスは弟のゴルネオがツェルニの武芸科に所属し、その中でも小隊というツェルニの制度の中で小隊長の一人となっている事などを説明した上で、つい先程その弟から手紙が来た事や、その結果としてあちらでの事態を知った事などを語る。
「…という次第で、あちらでの事情を知りまして。傭兵団は、おそらく陛下に手紙を送っているだろうと推測しまして。知らなければ、それはそれで陛下にお知らせしなくては、とここで待っていたんですよ」
「カナリスに言えばいいじゃない」
「僕は彼女に嫌われていますからね。それに僕が忠誠を誓ったのは陛下お一人に対してだけです。カナリスにでもなければ、グレンダンという都市に対してでもない」
それは異端。
汚染された大地に住む人々を守る大地たるレギオスにさえサヴァリスは無関心。彼の根底にあるものは……ただ一つ。
そうして、サヴァリスは口調を変えぬまま、軽い調子で言ってのけた。
「それでどうなさるおつもりです?」
「別にどうも」
さすがにサヴァリスもやや面食らった様子だった。
「なにも、ですか?」
「今更焦る必要もない。既に天剣は十二本揃ってる。それに」
「それに?」
「もう廃貴族は宿主を決めた。その子に満足するか、その子が廃貴族を使いこなせるか、使いこなせたとして、果たして排除されずにいられるかはともかくとしてね」
一度宿主たる存在を決めた以上、そうすぐに見切るという事もあるまい。ニーナ・アントークというその学生武芸者が果たして廃貴族という一つの都市そのものの力を使いこなせるのか……その力があふれ出した時、果たしてその力に耐え切れるのか、など疑問点は幾つもあるが、すぐに手に入れる可能性を生むとすれば、それは一つ。
「言っておくけど、その子を壊す事は認めないわよ?そうしたら、きっとレイフォンと本気でやり合う事になるだろうしね。私はこんなくだらない事で天剣相打つなんて潰し合いは認めないわよ」
そう、レイフォンは彼女を守る為にサリンバン教導傭兵団と対峙したという。
或いはレイフォンが彼女に惚れたかとも思う。それはアルシェイラ自身の想像とはやや異なる。レイフォンという天剣授受者は年齢的にも実は密かに狙っている者は多い。
アルシェイラ自身はリーリンとくっついてくれれば、ユートノール家に放り込むつもりな訳だが、ロンスマイア家もまた、次代の有力候補であるクラリーベルとの関係を狙っているらしい。実際、彼女の初陣の際の付き添いをレイフォンに変更したのは他ならぬ天剣授受者の一人にして、グレンダン三王家の一つ、ロンスマイア家当主であるティグリスだ。
まあ、この辺にはきちんと理由もあって、他の天剣を見れば、同性である女性は論外として、既婚者であるカルヴァーンとルイメイは除外。恋人のいるリヴァースも除外。女癖の悪いトロイアットは腕はともかく性格面に問題あり。サヴァリスはそもそも力以外に興味がなく、リンテンスは……正直よく分からないが、今一番お似合いを上げるなら女王自身だろう。というか、それ以外に女っ気が皆無とも言う訳だが。
そうした意味では、婚姻相手を選ぶ王家としては実にレイフォンはお買い得物件な訳だ。
とはいえ、アルシェイラがレイフォンとの私闘を認めない訳は、それだけではない。天剣同士の激突は周囲にも甚大な被害をもたらす事は確実。それにリーリンが巻き込まれる事は避けたい、という気持ちもある。
いずれにせよ、その言葉にはどこか残念そうな響きを持って、サヴァリスは答えた。
「成る程……それは残念」
その声に込められた感情を感じ取り、アルシェイラはサヴァリスへと視線を向けた。
そこには確かにレイフォンと本気で遣り合えない事への失望もあったが、主なものは……。
「欲しかったの?」
何を、とは言わない。必要がない。
今ここで、廃貴族以外に何があるというのか。
「欲しいですね。陛下に並ぶというその力、使ってみたいとは思います」
はっきりと言ってのけるサヴァリスに他から力を借りるとか、そうしたものを含めた後ろめたさはない。
「天剣授受者はただ強くあればいい。陛下が常々仰っている言葉です」
「一般常識は欲しいけどね」
「それはもう」
どの面下げて言うのか、と事情を知る者がいれば、そう言ったかもしれない。陛下と戦ってみたい、ただそれだけでミンス・ユートノールの企んだ計画に参加し、アルシェイラを襲ったのはこの天剣なのだ。
だが、同時にそれをアルシェイラが問題としなかったのも事実だ。
「まあ、もし、使う時には是非僕を使って欲しいと予約だけはしておいて構いませんよね?」
「考えておくよ」
言い捨てると、アルシェイラは歩き出し、サヴァリスは道を空ける。
「楽しみにしています」
「はいよ」
振り返る事なく、アルシェイラは手をひらひらと振って、それに答えた。
『後書きっぽい何か』
五巻を確認しました
……レイフォンが怪我をするとか、ツェルニ暴走とかそうした主要な部分がごっそり不要になる事に気がつきましたw
次の六巻とかも含めて、結構ぼこぼこ抜いて、話としては先へ先へと進む事になりそうです
……バタフライ・エフェクトってすげーなあ(何