茨がある。
棘が数多ある、その茨から棘が落ち、下へと落ちる。
そして下へと落ちた棘は下へいた一人の内へと滑り込んで行く。
それはこれまで幾度となく繰り返されていた事。
まだ確かな自意識さえない頃から、自らの守護者と無意識の内に傍らにいた存在を定めて以来、続いてきた行為。それ故にそこには慣れがあった。
一つ、また一つと棘が落ちる……。
内に潜む獣がいる。
ただの獣ならば、問題ないが、そこから溢れる力は一つの都市そのもの。
だからこそ、体は悲鳴を上げる。
悲鳴を上げても止まらないならば、何時しか体はそれに対応せんとする。そう、それはある種のトレーニングと同じ事。既に流れに抗する為の下準備は出来ていた。
さて。
レイフォンとニーナの二人が倒れた。
正確には片方は体調不良で横になっているだけで、別に意識を失って倒れた訳ではないが、感覚的には似たようなものだ。
実の所、二人の体調不良の原因は同じものだった。ただ、ここで差が出てしまった。
レイフォンは、以前にこの感覚に覚えがあった。今でこそ落ち着いてきたものの、以前は何度も繰り返してきた事だからこそ、正確な対応が出来た。
一方、ニーナには経験がなかった。リーリンがニーナがどういう状態にあるか知っていれば、或いは別の対応が出来たかもしれないが、生憎リーリンは武芸者ではない。そして、ニーナがそういう状況になるとは思いもしなかった。
故に、レイフォンは大人しく横になって体調が回復するのを待った。
ニーナは風邪と判断し、風邪薬を飲んだ。
ただ、それだけの差だったが、結果として、予想外の事態を生む事になったのは事実だった。
レイフォンは久々に味わう感覚に耐えていた。
通常、武芸者は剄の総量があまり増大したりはしない。だが、たまにいるのだ。剄路の拡張というか、剄脈の能力増大というか、とにかく剄脈が強くなる事には変わりない。
幼い頃はその度に高熱を出して倒れていたが、幸い成長した事と慣れのお陰だろう、気持ちが悪い、ぐらいの感覚で済んでいた。
本当ならリーリンは看病に来たかっただろうが。
『……まさか、隊長も同じ事になるなんて。いや、ひょっとしたら廃貴族を宿したせいかも…』
そう、ニーナもまた同じ剄脈の拡張が起こっていた。
問題はニーナに経験がなかった為に風邪薬を飲んでしまい、結果として幼児化したというか子供みたいな状態になったというか……とにかく、一つだけ確かな事は手が離せる状態ではなくなったという事だった。
まあ、リーリンがいたからとて何が出来るという訳でもないのだが、こういう状態における知識を持っているのがリーリンだけなのだから仕方がない。
ちなみにニーナが駄々を捏ねたりしたら、武芸者を一般人では抑えきれないのも確かなので、シャーニッドとダルシェナを呼んでいるらしい。
結果として。
レイフォンは一人で大人しく横になっているという訳だ。その筈だった。
「お邪魔します」
そう言いながら入ってきたのは。
「……フェリ?」
そう、フェリ・ロスだった。
ちなみにレイフォンの部屋はそれなりに小奇麗だ。以前は寮の一室だったが、現在はその後の状況の変化もあり、道場に隣接した建物に住んでいる。とはいえ、そんな大規模な部屋は必要ないので、2DKといった辺りだが、孤児院出身のレイフォンからすれば、これでも十分に広い。まあ、部屋一つ一つがそれなりの大きさな事もあるのだが。
この辺は鍛錬が終わった後、集まって食事をしながら、その日の反省会などをする事も考えて作られたらしい。用意周到な話だとは思うが、実際にそういう使用方法がされた事は一度や二度ではないのだから、立派に役立っていると言えるだろう。
「どうですか、具合は」
「あ、はい。まあ、何度か体験があるので……」
「でも調子が悪いんですか」
「……ええ、まあ」
手に持っているのはお見舞いの品だろうか。
そのままフェリは部屋を出て行く。
妙に鋭敏になったレイフォンの聴覚には、台所での物音がする。これは……皮を剥く音だろうか?既に慣れた感覚となっているのだろう、その音に危なげな、初期の頃の不安定な音はない。それこそ、初期にはジャガイモを切るだけでも、不規則で何をしているか分からないような何かを切るような音がしていたものだったが……。
間もなく、彼女は切り分けた果物を皿に盛って戻ってきた。
「あ、すいません」
「気にする事はありません」
そう言うと、体を起こしたレイフォンが手を伸ばす前に。
フェリはフォークに刺した果物をレイフォンの口元へと運んだ。
「………あのフェリ先輩?」
これは、つまり。
あーん、をしろというのだろうか?
そういう恥ずかしい想いを込めて確認の為にフェリに視線を向けたレイフォンは妙に緊張して差し出すフェリの表情と直面する事になった。
「………あの…」
「フォンフォン。……あーん、です」
「うっ……」
恥ずかしい。
さすがに思い切り恥ずかしい。
リーリンとならまだ、幼い互いに意識さえしてない頃していた事はあったが、この年になってしまえば、さすがにした事はない。それをフェリにしてもらう、となるとさすがに……ちょっと……なのだが。
「……フォンフォン」
「う……」
更にずずいっ、と妙な迫力を込めて差し出される果物にレイフォンも、『今は誰もいないじゃないか』と覚悟を決めて、口を開いて齧りつこうとした瞬間。
「やっほー!レイとん。調子悪いんだって!?」
ミィフィの最後の調子が驚いた口調になったのは、矢張りこの光景を見てしまったからだろう。
無論、彼女が一人な訳もなく、すぐ後ろからナルキにメイシェンまで来ていて、同様に同じ光景を見て固まってしまっている。無論、フェリとレイフォンもまた然り。
果物を差し出した姿勢のまま固まるフェリ。
それに齧りつこうとした直前、口を開いたまま固まるレイフォン。
部屋の入り口で或いは笑顔のままで、或いは驚きを顔に浮かべたままで固まる三人娘。
……レイフォンやフェリが彼女らの気配に気付かなかったのは、矢張り何だかんだ言って、二人とも緊張していたのだろう。
妙な空気の漂う空間は、ミィフィの咄嗟に動いたのだろう、カメラの音と「……お邪魔しました」とそのミィフィを引きずって退散しようとするナルキの声でようやっと動き出した。
まあ、その後しばらくはバタバタしたり、色々あったようだ。
一方、リーリンやニーナの住む寮でもまた一騒動起きていた。
ニーナの状態はレイフォンよりはある意味マシだった。
レイフォンが幼い頃、同様に薬を飲んで、異常な状態になった時は薬が抜けるまで、ずっとなにか変な事を喋り続けていたようで、気持ちが悪かったそうだ。
それよりはまだ、幼児返りの方がマシだ。
とはいえ、幼児というものは、癇癪を起こして暴れたりするような事もあるし、だからといって精神はともかく肉体は十八歳で小隊長まで務める武芸者だ。だだをこねて、手を振り回しただけでリーリンにしても、レウにしても吹き飛ばされるだろう。
しかし、レイフォンは同じく寝込んでいる。
フェリは念威操者の為、肉体の強さという面ではリーリンらと大差ない。
かくして、残る二人、シャーニッドと先日第十小隊の解隊に伴い第十七小隊へと移籍したダルシェナがやって来たのだが、一足先にシャーニッドがやって来た。
シャーニッドは如才ないというか、幼児化したニーナも上手くあしらい、案外懐かれていた、のだが。
ちゅっ。
そうシャーニッドの頬にニーナが周囲の人間が咄嗟に止める間もなく、キスをした瞬間。
「失礼する。何か」
少し遅れてやって来たダルシェナが扉を開けた瞬間と重なったのは偶然としか言いようがない。
かくして、幼児化したニーナに抱き疲れているシャーニッド、まさか扉を開けた途端にそんな光景を見る事になるとは思わず固まったダルシェナ、どう反応していいのか停止しているリーリンとレウという状況が生まれ。
「……よう」
何を言っていいのかシャーニッドもまた混乱していたのだろう。
思わず、真面目な表情で片手を挙げ、そうダルシェナに声を掛けると。
「……邪魔をしたな」
そう言って、ダルシェナが扉を閉めて、そんまま帰ろうとした。
無論、再起動したリーリンとレウが、それは困ると慌ててダルシェナを引きとめて、説明する事になった。
「……成る程、事情は分かった」
お気に入りになっているのだろう、抱きつかれたままのシャーニッドを見るダルシェナの表情は厳しいというより怖い。
理性は理解しているのだが、感情が納得しきれていないのだろう。
リーリンもこれが、シャーニッドではなくレイフォンだったらどうだろうか?と思うと、どうにも言いづらい。まあ、レイフォンと違い、女心の分かるシャーニッドは現状の拙さも思い切り理解しており、何とかニーナを引き離そうと悪戦苦闘しているのだが、癇癪を起こさせないように気を配ってなので、どうしても甘くならざるをえない。
結果、ニーナがむしろ却ってしがみついて、ダルシェナが益々不機嫌になるという悪循環が起きる。おまけに、シャーニッドもダルシェナが不機嫌になる理由が理解出来ているから、内心の嬉しさが多少は出てしまい……とまあ。
『……お、面白い』
当事者達はともかく、レウのように、傍で見ている限りは面白い光景だった。
とはいえ、このままでは事態が推移しない。
遊んで~とシャーニッドを揺らすニーナにやむをえず応じている(冷や汗が浮かんでいるのをレウは見逃さなかったが)シャーニッドと更に不機嫌になるダルシェナらを見ているとどうにも爆笑してしまいそうな、段々笑い話にしてられなくなりそうな、そんな気持ちだったのだが、とりあえず現状把握は完了した。
「とはいえ、今のニーナだと外見があってない気がするのよね……何だか、それらしい格好にしてみたくない?」
「「ああ、それは……」」
思わずと言っていい調子で、リーリンとダルシェナが同意を見せる。
「セリナさんの部屋にならきっとあるわね」
「そうなんですか?」「そうなのか?」
「ええ、まあ、色々あるから」
色々な部分は言わない方がいいだろう。
あの人が表だっての事だけでないのは理解出来ているが、ニーナもそうだが、ダルシェナもそういうのがあまり許せる質とは思えない。というか、怪しいとは思うが、自分とて彼女が何をやっているのかはっきりと知っている訳ではないし。
結局、ウィッグやら可愛い服やら持ち出し、更にシャーニッドやダルシェナにも手伝ってもらい(主にシャーニッドはニーナの玩具代わりだったので、終わった頃には彼の頭は愉快な事になっていた)、完成したのが…。
「……出来たわ」
「……おお」
頭が三つ編みやらリボンで飾られたりと相当に楽しい事になっているシャーニッドを直に見ると思わず笑ってしまいそうになるので、誰もが彼の頭からは目を逸らしているが、実際、今のニーナは一見の価値があった。
元々、ニーナは素材はいいのだ。
生まれもいい所のお嬢さんなだけの事はあるというか、事実以前にバイトに挑戦した時はなまじ目が肥えているだけに、いらない苦労を宝飾店でしたりしてしまった事もある。
まあ、何がいいたいのかというと。
普段の凛とした感じのニーナもあれはあれでいいのだが、今の子供っぽいというか子供返りしているニーナの場合、可愛らしいピンクのふりふりしたドレスを着ていると、これもまた似合うのだ。
普段のニーナが着ても余り似合うまい。それだけに貴重なシーンと言えた。
更にこの後には、お風呂に入ると言い出したニーナが服を脱ぎだして、思わず見てしまったシャーニッドがダルシェナに張り倒されたりだとか、まあ、更に色々とあったのだが……。
そのあたりは余談である。
「……なあ、レイフォン」
「何でしょうか?」
それから二日後、元に戻ったニーナとレイフォンが錬武館で顔をあわせた際、ニーナは首を捻っていた。
「何故か妙に視線が生暖かい気がするのだが」
「……実は僕も何だか妙に視線を感じるんですよね」
「それはこれのせいじゃないかい?」
ん?と声を掛けてきた第三者に視線を向けると、第十四小隊隊長シンがいた。
その手には週刊ルックンがある。
「シン先輩……それがどうかしたんですか?」
ニーナの問いにぱらぱらと楽しそうな表情でページをめくったシンは二人の前に開いたページを差し出すと……。
「「!!??」」
二人の驚愕の視線。
そこには二種類の写真が掲載されていた。
片方には『第十七小隊隊長ニーナ・アントークはかわいいのがお好き?』という表題と共に可愛らしいピンクのふりふりを纏ったニーナがぬいぐるみのミーテッシャを抱いて、満面の笑顔を浮かべていた。
もう片方には『発覚!二人の熱愛?』という題名で、レイフォンに剥いた果物を差し出すフェリとベッドの上でそれを口にしようとするレイフォンの写真が掲載されていた。
尚この後。
レイフォンがしばらくリーリンから口を聞いてもらえなかったり、シャーニッドを血相を変えたニーナが追い回したりする姿がしばらく見られたらしいが……それもまた平穏な日々の、彼らの日常の姿、であったのかもしれない。
『後書きっぽい何か』
苦戦した
どう書けばいいのか、正直迷いました
原作そのまんまは何だし、かといって……と何度書き直したか、その上で、まだまだ全然かけてる気はしませんが…
まあ、今回はこんな形で……
次回以降は相当に変わるのが確定してるからな……
更に難儀しそうだあ
……廃貴族がもうニーナの内にあるからw