ツェルニで最も高い位置にある場所。それがここ、生徒会長の部屋だ。
ここより高い位置にあるのはツェルニの旗が翻る尖塔ぐらいのものだ。
ここに限らず、都市の支配者、或いは都市の統治者の執務室はほぼ例外なく、その都市の中心地点、その都市の最も高い位置にある。
「誰が都市で一番偉いのか分かりやすく示す統治機構の一環という訳だね。さて……」
今、そこには八人の顔触れが揃っていた。
この部屋の主、学園都市ツェルニ生徒会長カリアン・ロス。
ツェルニ武芸長兼第一小隊隊長ヴァンゼ・ハルデイ。
第五小隊隊長ゴルネオ・ルッケンス。
天剣授受者であり、第十七小隊員でもあるレイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。
同じく第十七小隊員の念威操者フェリ・ロス。
サリンバン教導傭兵団団長ハイア・サリンバン・ライア。
団長づきの団員、実質副官的な立場にあるミュンファ・ルファ。
そして、今一人加わったのが、サリンバン教導傭兵団の念威操者フェルマウス・フォーア。
以上の八名だ。
「率直に聞こう、何故いきなりあんな騒動を起こしたのかな?」
カリアンが内心はどうあれにこやかな笑顔で尋ねたのはハイアだ。
レイフォンの手加減と見極めは矢張り優れたもので、彼はここへ到着する前に意識を取り戻していた。もっとも、未だ完調ではないらしく、動きは鈍い。
『全くだ。いきなり喧嘩を売るとは何を考えている?』
カリアンに同意の念を示したのはフェルマウスだ。
この人物は通信音声で喋る。原因は以前に全身に汚染物質を浴びた為に、奇跡的に生き残りはしたものの……という事らしい。その為に全身をすっぽりとフードとマントで覆い、顔は仮面で隠され、手も皮手袋に包まれている。
サリンバン教導傭兵団に措いては実質的な副団長的な立場にあるらしく、加えて幼少時より知っている為かハイアが頭が上がらない人物の一人でもある。
「……悪かったさ」
そのせいだろう、ハイアの様子も普段のふてぶてしい様子ではなく、『やべえ』という様子で目を逸らしている。
サリンバン教導傭兵団は今回密かにツェルニを訪れていた。
本来ならば、上に事情を通した上で用事を済ませて静かに、他の生徒には気付かれないように立ち去るつもりであった所が、ハイアのせいで台無しになってしまった訳だ。あれだけの武芸者の面前でサリンバン教導傭兵団団長としてレイフォンと激しい剣戟を交わしたのだ。既にツェルニには傭兵団の来訪は知れ渡ってしまっている。予定をいきなり無鉄砲な行動で台無しにされたフェルマウスが怒るのもむべなるかな、というものだ。
「それで今回の来訪は何の御用かな?」
本当なら、まずカリアンにアポイントを取って話をする予定だったのが、本来来る筈のハイアが来ず、『おかしいな』とカリアンにヴァンゼ、フェルマウスが待っていれば、『アルセイフ道場でレイフォンとハイアが試合している』という情報が入り、急ぎ駆けつけたという訳だった。
『全くお前の気持ちは分かっているが、今のお前は団長でもあるんだ。もう少し考えて動け』
「気持ち?」
『尊敬する師でさえ手にする事のなかった天剣授受者の称号を手に入れた自分と同年代の少年。つまりはそういう事だ』
フェルマウスの言葉にふてくされたような表情になりつつも黙っているのはフェルマウスが怒っているのを感じ取ってだろう。
下手に反論すれば藪蛇になると経験から悟っているとも言える。
そして、フェルマウスの言葉にレイフォン本人はよく分かっていないようだが、他の者は理解した。
もし、これで圧倒的な力量の差があれば、グレンダンでそうであったようにそれは憧れか、最悪嫉妬となっても実際に手を出すには至らなかっただろう。だが、なまじハイアもまた天才であり、若くしてサイハーデンの刀術を修め、サリンバン教導傭兵団の団長という立場を手に入れた。
ましてやハイアはグレンダンの生まれではない。
それだけに師が感嘆の言葉と共に語る自らと同年代の天剣授受者という存在に対して、激しい対抗心を燃やす事となっていた。
『まあ、今回で多少なりとも天剣授受者というものが実感出来たと思いたい所だがな』
フェルマウスがそう区切ると、では本題をとばかりにハイアに視線を向ける。
それを受けて、ハイアも気持ちを切り替えるように、本来の様子に戻すと告げた。
「俺っち達の目的は廃貴族さ~」
その瞬間、ツェルニ側の全員の目が或いは鋭いものとなり、或いは目を瞬かせ、或いは驚いた表情を示し……いずれにせよその様子から察したのだろう。
「皆、知ってるみたいさ」
ニヤリと笑う。
「確かに知っている。それで君達は廃貴族をどうしたいと?」
「グレンダンに持ち帰るさ~」
ふむ、と口元に手を当てるカリアン。
正直、廃貴族だけならば別に問題などない。現在のツェルニは順調に戦力が上昇しつつあり、レイフォンという切り札もいる。汚染獣との実戦も経験した。敢えて強力ではあるが不安定な廃貴族に頼る必要はない。いや、むしろ不安要素になりかねない廃貴族を持ち帰ってくれるというのであれば、それを断る理由はない。
ただし……。
「どうやって持ち帰るつもりかな?」
方法次第だ。
結果としてツェルニに大きな被害が出るような方法なら論外だし、現在宿っている生徒をどうこうしようという方法であっても了承出来ない。
「それはひみ「廃貴族を誰かに宿らせて、宿った当人を拘束、連行する」」
ハイアの言葉を遮って告げたのはレイフォンだった。
「さすが天剣授受者。知ってたさ?」
「ああ」
両者の間に緊迫した雰囲気が漂う。
その空気を前にして、常の余裕ある態度を崩す事なく、カリアンは溜息と共に告げた。
「そういう方法なら賛成は出来ないね。生徒に手を出す事はツェルニの生徒会長として容認出来ない」
「それにグレンダンは最早廃貴族をそこまで求めてはいない」
にやにやとした笑みを崩さなかったハイアがカリアンの言葉に続けて言ったレイフォンの言葉に一気に鋭い様子となった。
「そうなのかい?」
「……元々廃貴族を求めたのは以前の王です。現在の王は方針を変更したので……」
だから、廃貴族と万が一に出会った時の対応はお前の好きにしていい。誰かに話そうが、誰に協力しようが、どういう行動を取るか自由にしろ、それがグレンダン女王アルシェイラ・アルモニスの言葉だった。
あくまで廃貴族を求めたのはなかなか十二名揃わない天剣の不足分を補う為だった。
しかし、アルシェイラは違った。
『制御方法もなく、何時手に入るか分からない何か』ではなく、『出身も心情も性格も問わない。反逆したいなら好きにしろ。ただ王がやれと言った場合にはやれ』。彼女が求めたのはそれだけ。事実、以前には三人の天剣がアルシェイラに刃を向けた事さえあるが、それをいとも容易く返り討ちにした上、不問としている。
そうして、彼女の選択が正しかった事は、未だ一体すら届かない廃貴族に対し、遂に十二名揃った天剣が示している。
だが、それは。
廃貴族を求め、荒れた大地を彷徨い続けた。
サリンバン教導傭兵団のこれまでの苦労を否定するもの。
ハイア自身は別にグレンダンへの忠誠などというものはない。だが、同時に。彼はこれまで見てきた。
サリンバン教導傭兵団の仲間達が廃貴族を探すのにどれだけ苦労してきたのかを。
故に、ハイアの全身から怒気と剄が溢れ出す……前に強烈な殺気がレイフォンから叩き付けられた。
瞬間向けられたハイアの視線の先で無表情なレイフォンの瞳は語っていた。
『場所を考えろ』と。
……確かに、ここで剄を暴発させた所で意味はない。
衝剄が荒れ狂えば、武芸者ならばともかく、被害を被るのは一般人であるカリアンであり、念威操者であるフェリであり、フェルマウスだ。別段彼らが悪い訳でもなく、ましてや味方を傷つけるなどただの馬鹿のやる事だ。
「……帰るさ」
故にハイアはただそれだけを告げて席を立った。
そのまま扉に向うハイアの背後で、ミュンファは少し焦った様子で腰から曲げて大きくお辞儀をし、フェルマウスは軽く頭を下げ、両者ともにハイアの後を追った。
……結局それ以上は何が出来るという訳でもなく、レイフォンらも解散となったが……ニーナの内に廃貴族がいる以上、このまますんなり終わるとは誰も思ってはいなかった。
夜遅くに。
シャーニッド・エリプトンは一人、殺剄を行い、誰かを待っていた。
彼の殺剄は一見すると雑に思えるかもしれない。
以前の彼の殺剄は完璧なまでに自らの気配を殺していた。しかし、それはレイフォンにこう指摘された。
『作られた戦場ならばともかく、完璧な殺剄は却って目立つ』
その意味は周囲に合わせろ、という事。
雑踏の中での完璧な殺剄はいわば気配の空白地帯を生み、多数の色に塗り潰された中、ぽっかりと空いた無色は否応なく目立つ。
故にシャーニッドの殺剄は周囲の色に紛れるものとなっていた。
そうして、お目当ての豪奢な金髪が流れるのを目にすると、静かにその後に続いた。
迷いなく歩みを進める彼女の進む方向にシャーニッドは内心(おや?)と思う。
何時もは彼女は人通りの多い道を歩いていた。
サーナキー通り、ケニー通り、リホンスク通りと流すのが彼女の日課だった。それが今夜は日課を外れた場所を歩いている。
(まさか……)
腹の下に何かしら重たいものが溜まっていくような緊張を感じ、掌に汗が滲むのを自覚する。
馬鹿な事をしているとは思う。
果たして、彼女が自分が懸念している事に気付いた時、どうするつもりなのか。姿を現して止めるのか?何と言って?
そう、結局の所それなのだ。
答えはある。
けれど、それを言うには躊躇いがある。
我ながら優柔不断な事だと自嘲するシャーニッドの耳に爆発音が響く。
先を行く彼女が足を止めて身構える。音自体はまだ遠い。
離れた所で膨れ上がった気配が一つ。見知ったその気配がレイフォンと気付く。してみると、都市警の手入れだろうか?この辺りも以前は隠れ家的な雰囲気を味わえるという事でそれなりの人気のある店があったような気もするが、今ではすっかり廃れてしまっている。
音のした方へと走り出す彼女を追って、シャーニッドも殺剄を止めて活剄で肉体を強化すると屋根の上へと上がって彼女の後を追った。
音がしたのは矢張り以前、店のあった辺りだった。
視覚を強化する。狙撃手であるシャーニッドはこれに関しては専門だ。わずかな月明かりに照らされた光景が真昼のそれに変わる。その目で状況を確認。どうやら特に大きな問題はないようで、既に捕り物は終結しつつある。念の為にと確認するが……。
(……違う)
あれは彼女が見てはいけないものではない。
胸に安堵が満ち、腹の中の緊張が溶けて消える。
気付けば、気配が背後にあった。
「なぜ、ここにいる?」
彼女だ。質問と同時に背中に固い感触が当たる。
追っていた相手に背後に回られるほど間抜けな事はない。自分がそれだけ狼狽していたという事かと、シャーニッドは内心でそんな自分を笑った。ほら、自分は彼女が真実を見てしまう事にこんなにも恐怖を抱いてしまっている。
「夜の散歩が趣味なのさ」
言いつつ振り返ろうとすると、背中を突かれた。
「動くな、安全装置がかかっているとはいえ、この距離ならただでは済まないぞ」
それでもシャーニッドは振り返った。
思った通り、貫かれたりはしなかった。その目に映ったのは白金錬金鋼の突撃槍。以前は同じ小隊で先陣を切って突撃していた、よく見慣れた槍だ。彼女がこの武器を手にするまでの事を思い出して、ふと笑みがこぼれるが、それも彼女には不快だったようで眉を潜める。
「……シャーニッド、お前は気付いているのか?」
「何がだ?」
夜のビルの屋上、二人しかいない場所で、二人にしか分からない質問をシャーニッドは飄々と風に流す。
「繰り返すようだが、俺は散歩してて偶然ここに来たんだ、それだけだよ、シェーナもそうなんだろう?」
「……そうだ」
愛称で呼ばれたのも気付いていない。
どうやら自分だけでなく、彼女も案外と内心は動揺しているらしい。
「だろ?ならここで俺達が鉢合わせしちまったのは、あの馬鹿騒ぎのせいってだけの事さ」
納得はしていない。だが、これ以上は無駄と悟ったのだろう、ダルシェナは突撃槍を下げた。
「さて、馬鹿騒ぎも無事に終わりそうだし、俺はこれで帰るぜ」
「シャーニッド」
そう告げて背中を向けたシャーニッドだが、その足をダルシェナが止めた。
「どうして私達の前から去った?」
その質問は何度目だっただろう?
あの時にも幾度となくなげかけられた。ディンは怒り、ダルシェナも怒り、けれど同時に戸惑ってもいた。
あの時の誓いを忘れたのかと。
それにシャーニッドは同じ答えを返してきた。
忘れてはいないと。
「わかんねえかな?」
「分からないから聞いている!」
「……本当に?」
「……ああ」
それなら言う事もない。何時ものようにはぐらかそうとして……何故だろうか。
敢えて言うなら、魔が差した、というのが一番近いだろうか?
「教えてやろうか?」
「何?」
「教えてやろうか?って言っているんだよ」
戸惑っている。
これまで幾度聞いても、答えようとしなかった自分が何故答える気になったのか。自分でも分からないが……敢えて言うならば、ここにディンがいない事だろうか、と思う。
思えば、これまで何時も彼らと会う時は三人だった。
だが、今はここにディン・ディーはいない。
ダルシェナと二人きりだ。
夜、誰もいない場所に二人きり。自分も存外ロマンチストだな、と内心笑いが込み上げてくる。
「知りたくねえんだったら帰るぜ?」
そう言って踵を変えそうとすると。
「ま、待て!教えてくれ!」
どこか慌てたようにダルシェナが叫ぶ。
その様子がどこか、一年の頃の彼女に重なるようで、ふと顔が綻ぶ。
表情こそ何時もの様子を崩さず、けれどきちんと体は彼女に向き直って。
「それはな、俺がお前を好きだからさ」
そう告げた。
『後書きっぽい何か』
捕り物自体はさらっと流しています
理由は単純で、ハイア達サリンバン教導傭兵団がいない状況下でレイフォンが加わってて、尚どうこう出来るとは思えない為です
というか、盛り上がりに欠けるので描写しようがないと言いますか……。
さて、ハイアは今のグレンダンの王が廃貴族を最早必要としていない事を知りました
当たり前ですが、サリンバン教導傭兵団の面々は王家からお金を仕送りしてもらってたんではなく、自分達で稼いだ金で廃貴族の探索を続けていた筈です
無論、グレンダンは彼らに報いてはくれるでしょうが、何十年もかけてきた探索が結局何一つ成果を上げないまま終わりとなると知った時人はどういう気持ちを持つものなんでしょう
そしてもう一つ
シャーニッド遂に言っちゃいました。次話はもう少しこの場面が続きます