「よう」
いきなり気付けば、廃墟と化した都市から人の気配溢れる夜の都市へと移動していた故に混乱していたニーナに声を掛けてきたのは一人の男性だった。
その雰囲気と腰に下げた錬金鋼から見て、武芸科の生徒のようだった。
何故生徒と思ったかと言えば、腰の剣帯の色がツェルニの最上級生、六年生のものだったからだ。
身長は高く、足が長い。癖のある赤髪に油断できない色を宿した瞳。
そこまで考えた所で、はたと気付いた。
「何者です?」
これでも四年をニーナはツェルニで過ごしている。
だが、生憎と現在いるこの場所をニーナは知らない。無論、ニーナとてツェルニの全てを知っているとは言わないが、都市の頂点に見える生徒会棟と思しき建物の形状とそこに翻る旗がここがツェルニではないとニーナに教えていた。
その地でいきなり声を掛けてきたツェルニ所属を示す剣帯を身につけた男。
警戒しない方がおかしい。
「いや、待った待った、俺は敵じゃねえよ」
男は飄々とした様子で近づいてくる。腕はだらりと下げ、身構えた様子など微塵もないのに、油断出来ない空気が漂っている。
抜き打ちをすれば、自分が負けるだろう。どこかそう確信させるものがあった。
「ディクセリオ・マスケインだ。ディックとでも呼んでくれ」
そう言うと、ニヤリと笑って、「いいね、その態度。見る目もあるようだし、上等だ」と呟いた。
「……失礼ですが、何か御用でしょうか?」
「ああ、悪い。いや、久しぶりにツェルニの装備やらを見かけたんで、懐かしくてな」
懐かしい。
では、矢張り、この男はツェルニの……いや、生徒とは限らない。既に卒業した相手なのかもしれない。錬金鋼以外でも、気に入った装備を愛用する武芸者は決して珍しくない。卒業後も嘗て使っていた剣帯が気に入って、愛用し続けていたと考えるなら彼が卒業生だとしても納得はいく。
「卒業生の方ですか?」
「ああ。疑ってるなら、何かツェルニの正式な学生証がないと入れないような場所に関した問題を出してくれてもいいぞ」
ただし、もう卒業した身なのでなるべく古くからあるのがいいな、最近のだと卒業した後の話になっちまうかもしれない、という言葉に納得して少し考える。
武芸者の見た目というのは分からない。
強力な武芸者となると、剄で肉体の老化速度を抑える者もいる。結果、壮年に入っているのに未だ若々しい相手というのもいる。
『レイフォンもそうなるのだろうか?いや、あいつの場合、更に老化を抑えられるかも』
と一瞬脱線しかけたが、即座に頭を切り換え、では、とばかりに生徒会役員棟一階奥にある像の台座に刻まれた文字を上げる。あれはずっと昔に悪戯で文字を刻んでいる。
「求めよ、ならば力尽くで、だ」
ニヤリと笑ってディックがすんなりと答えを口にする。
「では次だ。その台座に最初に刻まれていた文字は?」
「求めよ、されば与えられん」
これも正解。
去年まではその文字も残っていたが、今年になって生徒会の人間の手で元の文字は綺麗に消されている。したがって、レイフォンはその消された文字を知らない。元の言葉ではなく、悪戯書きの方が残されたのは、書いた人間が過去のツェルニ武芸科で最優秀の成績を残した生徒だからという。
まあ、いずれにせよツェルニに侵入している訳ではない。
ここもまた学園都市に見えるし、そこにこんな夜中に都市の住人ではない者がうろついているというのは、それはそれで怪しいが、都市の法律というものは都市ごとに異なる。ある都市では合法なものが、別の都市では違法という事は決して珍しい事ではない。そもそもそれを言ってしまえば、自分も他人の事を言えたものではない。例え、気付けば全く別の都市に移動していたという異常事態が原因であったにせよ、だ。
「分かりました。それで早速で申し訳ありませんが、一つお聞きしたいのですが」
「ん?なんだい?」
「ここはどこでしょうか?」
その言葉にニヤリと笑い、ディックは答えた。
「学園都市マイアスさ」
その後は何とはなしに、二人で動いていた。
矢張り、ニーナも全く知らない都市で一人で動くというのはどこか心細いものがあったのは間違いない。それに何かしらの違和感をニーナが感じ続けていたのもあっただろう。
何が、というのは現状すぐには思いつかないが、どこかしらこの都市には違和感が漂っていた。
その過程でディックが旅を続けているという事も知った。
理由は単純。
……ディックがいない間に母都市、強欲都市ヴェルゼンハイムが滅んだのだという。
すいません、と不躾な質問をしたと謝るニーナに、ディックは気にするなと笑っていた。
ディック自身はどこかを目指しているようだった。
歩みに淀みがない。
途中まで歩んだ時、ふとディックが歩みを止めた。
「さて、ここでお別れだ」
「え?」
「このまま、こっちへ真っ直ぐ歩けば、放浪バスの停留所及び宿泊施設に到着する。後はそこからツェルニを改めて目指すといい」
そう言って、ディックは金の入った袋を押し付ける。
厚みからして、かなりの金額が入っていると予想されるそれは、確かに放浪バスでツェルニに戻るのに十分な額が入っているのだろう。
こんな金額受け取れません、そうニーナが言う前に瞬時に表情を真剣なものへと変えたディックは飛んだ。
一瞬ニーナは迷った。
だが、次の瞬間、躊躇わずに既に見えなくなったディックの気配を追った。
いなくなって初めて気付いたのだ。
何かおかしくなかっただろうか?
自分はツェルニのスポーツウェアを纏っている。ツェルニの紋章が縫い取られているから、嘗ての在校生ならば見分けるのは簡単だ。
だが、何故彼は。
私がこの都市にいる事に疑問を呈そうとはしなかった?
卒業生で、自分の剣帯と同じだと判断した?
いや、それならばこうして金を渡してきた事に説明がつかない。それは彼女がツェルニに戻るのだと、少なくとも彼女が旅をするのに必要な先立つものを今持っていないと知っていた証だからだ。
そう、まるで……。
私が突然ここに来る事を知っていたかのように!
跳躍そのものは短時間で終わった。
ディックを見つけたのではない。
一人の男子生徒を見つけたからだ。
無論、ただ見つけただけならばニーナとて気にはしない。ただ、急ぎ足で走る彼の手には金属製の鳥かごのようなものがあった。
そして。
ニーナはそれに見覚えがあった。
嘗ては虫かごのように思えた。
だが、何故それが今は鳥かごのように思えるのか?答えは簡単だ、その中に一羽の鳥が収められていたからだ。
内力系活剄がそれを見て取る。
全体は茶褐色だが、胸元は白い。頭に冠でも被っているかのような金色の鶏冠がついている。
……何故か直感した。それが。
この学園都市マイアスの電子精霊なのだと。
何かがそう、胸の奥で吼えた気がした。
次の瞬間、ニーナは男子生徒の眼前に降り立っていた。
彼はぎょっとしたようだったが、すぐに態度を整え、にこやかな笑みを浮かべて言った。
「どうしたんだい?こんな夜更けにである」
「貴様、その手に持っているものはなんだ」
相手の言葉を途中で遮り、瞬時に錬金鋼を片方のみ復元させ、突きつける。
「……何のつもりかな?」
「それはこちらの台詞だ。貴様が持っているものを見せてみろ」
「……僕はマイアス都市警察強行機動部隊、第一隊長のロイ・エントリオだ。君の行動こそ何のつもりかな?」
「何度も言わせるな。……貴様の手に持っているそれを見せてみろ」
この男がどうやらマイアスではエリートに属する、ツェルニでいう所の小隊員クラスである事は理解した。
だが、それ故にニーナには許せなかった。この男がしようとしている事に。
「お前の手に持っているものは以前に見た事がある」
ピクリ、と。
ロイの体が揺れた。
「貴様が持っているのは……電子精霊だな」
「なにを」
「誤魔化す必要はない。私はお前が電子精霊を盗んだという確信があるし、それに」
今なら先に感じた違和感が分かる。
自律移動都市には当たり前のようについてくるものがなかった。
「貴様が手に持つのが電子精霊でないというならば……何故都市は足を止めている?」
そう、足音がしなかった。
巨大な自律移動都市を移動させる脚部。それが一つ残らず停止していた。
どの都市へと移ろうとも、滅びた都市以外には必ずつきもののそれがなかった事こそが、違和感の正体だった。
「……参ったな」
困ったような様子でロイは呟いた。
「君はこの世界をおかしいと思った事はないかい?」
どこか落ち着いたその様子にニーナは眉を潜める。
何時の間にか、ロイの手元には、鳥かごを持つ手とは反対の手に仮面が握られていた。既に失われた狼と呼ばれるものを模したものだが、ニーナにその知識も、仮面への見覚えもない。
「これを被れば、イグナシスの望む世界を見る事が出来ます。イグナシスの夢想を共有する事が出来るのですよ。多くの武芸者が夢想を共有する事が出来た時、世界平和が実現するでしょう」
薄っぺらい。
これ程説得力のない顔は珍しいとしか言えない陶然とした表情でロイは告げる。
「その為に…」
「だま、れ……」
苦しげにニーナは呻いた。
胸の奥から激情が込み上げてくる。それは怒りだ。
イグナシス。
その言葉とロイが仮面を手にしてからのそれが胸の奥から込み上げてくる。
体の奥底で、黄金の牡山羊が身をもたげ、力を噴き上げるのを感じる。
「君は……っ!?そうか、廃貴族……!」
「黙れと言ったっ!」
慌てて、仮面を被り、錬金鋼を復元させるロイにニーナは一気に襲い掛かった。
かろうじて、手にした剣で受け止めるロイだが、元より黒鋼錬金鋼の鉄鞭を片手で振り回すニーナは、筋力強化に長けている。ましてや最近はレイフォンの教導の元、鍛錬を受け続けてきた。
むしろ、厄介なのは自身の内から溢れ出す力の奔流だが、それでも不完全な姿勢のロイが体勢を崩すのには、その手から敢えてもう片方を復元させずに空けていた左腕で鳥かごを奪うには十分だった。
「!貴様」
「かえして、もらうぞ」
油断なく鉄鞭を構えるニーナだったが、奪われた筈のロイはだが、焦った様子を見せなかった。
「……成る程、確かに油断していたのは認めましょう。けれど……」
その言葉を合図としたかのように。
次々と同じように仮面を被った男達が或いは屋根の上に、或いは建物の陰から、或いは路地から姿を見せる。
その光景にニーナは歯噛みする。
分かってはいた。
電子精霊を盗むなどという大胆な行動を取る以上、そして彼が語る妄想がある程度の真実を含んでいると考えるなら、この都市を脱出する為の仲間がいるであろう事は。
「それでは……」
だが、ロイがそう続ける前に、一つの声が降って来た。
「参ったな、本当ならお前さんが気付く前に全て終わらせて、後は記憶を消してやって終わりとしたかったんだが」
予定通りにはいかないもんだ、そう困惑したかのような、けれどどこか楽しそうな笑みを浮かべるのは。
最早金棒と呼んだ方が良さそうな、一振りの鉄鞭を肩に担いだディクセリオ・マスケインだった。
『後書き』
完全オリジナル編突入
原作では全くいい所も何もなかったロイですが、彼だって実績上げてはいたと思うんですよね、マイアスで
リーリンに心の鎧を砕かれた後だったので、ああも動揺しちゃってましたが
とりあえず次回はニーナVSロイ、ディックVS狼面衆です