その日、ツェルニには一つの都市と出会った。
既に汚染獣に滅ぼされたと思しき都市。
思えば、それが全ての始まりだったのかもしれない。
ツェルニがそれを発見したのには無論理由がある。
発見者はフェリ・ロスだが、通常は都市同士はそんなに至近距離まで近づくものではない。戦争の時期ならばともかく、だ。それが念威端子で発見出来る程の距離に都市がいた理由は一つ。
全ての都市の生命線。
すなわちセルニウム鉱山。
ツェルニの唯一保有する鉱山にその都市はいたのだった。
生徒会室には幾人もの人間が集められていた。
生徒会長カリアンを始めとする生徒会の人間。
更に武芸長ヴァンゼ、第五小隊隊長ゴルネオと副隊長シャンテ。第十七小隊隊長ニーナと隊員のフェリとレイフォン。
「まあ、見ての通り、既に滅んだ都市のようだ」
都市第二層の有機プレートが自己修復を行い都市の外部を苔と蔓系の植物で覆っているものの、第一層の金属プレートは或いは剥がれ、或いは砕かれ、或いは抉られ……破壊の後が著しい。都市の脚もその幾つかは失われ、上層の都市部もまたその多くが倒壊し、破損していた。外見から判断する限りは滅んで、それなりに時間の過ぎた都市と思われた。
「君達、第五小隊と第十七小隊にはこの都市の先行偵察をお願いしたい」
「偵察だと?」
「汚染獣の生態が分かっていない以上、あの都市に汚染獣が罠を仕掛けていないとは限らない。例えば、単純にあの都市に実は汚染獣が潜んでいるとか、ね?であれば、偵察をして、大丈夫だという確証を手に入れたい」
「成る程……そういう事なら偵察そのものには異議はない。だが、何故この二小隊なんだ?」
「簡単な話だよ。まだ改良された都市外用スーツが完全充足の二小隊に行き渡る程数が揃っていないんだ。となれば、後はスーツの数に部隊を合わせるしかないだろう?後は対抗戦の戦績と万が一汚染獣がいた場合の対処からかな」
成る程、とヴァンゼもそれで納得する。
まあ、第五小隊を上回る戦績となると自身の第一小隊ぐらいになってしまう。当然ながら、自身が行く訳にはいかないので、まあ妥当な所と言えるだろう。そして、第十七小隊はこれはもう、完全にレイフォンとフェリが理由だ。この二人が戦闘と探索でどうにもならないなら、ツェルニの他の生徒でもどうにもなるまい。
ゴルネオ、ニーナ両名も了承した事により、二つの小隊は急遽出撃の準備を行う事となった。
「成る程、そういう事か」
一人蚊帳の外だったシャーニッドが急遽呼ばれてきて、最初に言ったのがそれだった。
「ったく、今日は昼まで寝てるつもりだったのによ、だりぃ」
「……今日は休日じゃないぞ、何をしていた」
「いい男の生活を詮索するもんじゃあないぜ」
「お前に聞いた私が馬鹿だった。さっさと準備してこい」
「へーい」
投げつけられた都市外活動用の戦闘衣を持って、更衣室へとシャーニッドは向かった。
向こうでは第五小隊が準備をしている。実の所、先日試合を行ったばかりだ。
とはいえ、双方に遺恨はない。毎回毎回試合をしているのだ、その度に遺恨を持っていては切りも何もあったものではないし、楽しい学園生活など夢のまた夢だろう。
この試合は結局、攻撃側だった第十七小隊が勝利を収めた。
もっとも、次に双方が対戦する時の防衛側であれば、逆に第五小隊が勝利を収めていただろうと予測されている。こうした試合は攻撃側で一度、防衛側で一度それぞれ対戦するからだ。
基本的に第十七小隊は攻勢に使用されるべき小隊と認識されており、それを再認識させられた試合だったと言える。
結果、その時相手をしたシャンテからレイフォンは睨まれている訳だが……これもどちらかと言えば、手も足も出なかったが故の悔しさといった方がいいし、陰湿さはまるでない。
既に準備を整え、後は待つばかりのレイフォンやフェリとは別に、他はまだ準備に忙しい。これはただ単に一足先に呼ばれていた者とそうでない者の差だ。
ニーナとゴルネオも最初からいた側だが、この二人は隊長という事もあり、打ち合わせと装備の確認に余念がない。
シャーニッドは手際よく着替えてきたが、今度はハーレイと話し込んでいる。
先だっての老生体との戦闘で新型の複合錬金鋼は確かに役立った。あれだけの威力の長距離射撃を可能としたのは錬金鋼のお陰な部分も間違いなくあったのは誰もが認める所だ。
だが、同時に不具合があったのも確かだ。
一つは矢張り重過ぎる点。それから熱が溜まりやすい点。
これらの難点を解決する為に考えられているのが、入れ替えを省き、最初に入れた錬金鋼で変更が効かなくなる代わりに前述の難点双方を軽減させた簡易複合錬金鋼だ。元々、複数の錬金鋼を状況に応じて使用、という事自体がそう滅多に行われる事ではない。というより、普通はない。
レイフォンのような例外でもない限り、錬金鋼の種類は一種類の錬金鋼を用いるのが普通だ。早い話、錬金鋼の切り替えが可能、という機能は技術者の自己満足に過ぎない。実戦での蛮用に耐える為により簡素に、より使い勝手の良いように改造中、という訳だ。何しろ、この技術は未だこのツェルニに措いても最新の研究成果だ、というより他では累を見ない新技術だ。
もし、この錬金鋼が通常の錬金鋼より僅かに重い程度、ぐらいまで軽量化が為されれば、使用者は爆発的に増えるだろう。今はその過渡期と言える状況だった。
いずれにせよ、今回は取り回しのしやすさも重要なのでシャーニッドが持っていく錬金鋼は通常の軽金錬金鋼の銃と銃衝術用の黒鉄錬金鋼の二種類だ。
(滅んだ都市、か……)
それに思いを馳せた時、自らがグレンダンを暫くの間離れる事になった時、あれこれと詰め込まれた機密内容が思い出される。こればかりはリーリンにも言う訳にはいかないので、口に出さないよう気をつけなければいけない。これを話していい相手がいるとすれば、精精ゴルネオぐらいのものだろう。
(廃貴族。あの都市にはそいつはいるんだろうか)
まだ見ぬ都市の方角へと視線を向けるレイフォンの横顔を既にサイドシートに腰を降ろしたフェリが黙って見詰めていた。
廃貴族。
レイフォンはその存在について詳しく教えられている訳ではない。
レイフォンが知っているのは、それが都市が滅んだ時に都市の電子精霊が狂って生まれるのだという事と、それをグレンダンが集めているという事のみ。集めているとして、何に使うのか、そもそもグレンダンにその廃貴族とやらは既にいるのか、その辺りは聞かされていない。
「まあ、汚染獣を憎んで憎んで、それ以外考えられなくなっちゃうのね」
と、これは説明してくれたアルシェイラの言葉だ。
都市を動かす力を汚染獣を滅ぼす力へと変えたとも言える廃貴族の力は絶大なのだという。
とはいえ、疑問は残る。
色々あるが、最大の疑問点は何故そのような相手をグレンダンは必要としているか、だ。もっとも……それが女王の言葉である限り天剣たるレイフォンに断るという選択肢はありえないのだが。
もっとも……レイフォンに廃貴族を捕らえる方法は言われていない。女王から伝えられた言葉はただ一つ、『そういう存在がいて、グレンダンが集めている、それだけ知っておきなさい』という事だった。発見時に集めるのに協力しなくていいんですか、と思わず尋ねたが、アルシェイラから帰ってきたのは『したいならすればいいんじゃない?』という言葉だけだった。つまり、それはしたくないなら、しなくていいという事だろうか?
まあ、いずれにせよ……行ってからの話だ。
ツェルニよりおおよそ半日。
それで目的地へと到着した。
逆に言えば、ツェルニも、そう日をかけずしてここまでやって来るという事でもある。余りゆっくりと時間をかけてもいられない。
生憎、確認した所放浪バスの停留所は破損。反対側も確認してみたが、そちらには停留所は確認出来なかった。
「ワイヤーで上がるしかないですね」
という訳で先陣を切って上がるのは当然だが、レイフォンだ。
上で何かあるかもしれない以上当然の話だ。
「私も連れて行って下さい」
と、フェリが言い出したのはやや予想外だったらしいが。
当然だろう、フェリの能力ならこの位置からでも上の様子は探れる筈だからだ。最終的には『どうせ上に生物の気配はありません。それなら、さっさと一緒に上がった方が楽です』との主張が通った。確かに、ここから上がるのは、ワイヤーを上から垂らして機械で引き上げる形になるが、レイフォンに連れて行ってもらえば楽だし早いが、機械だと上に上がるまで自力で捕まっていなければならない。さすがにゴンドラみたいなものまで用意はされていないのだ。
……武芸者ならともかく、体力的には一般人に近い念威操者にとってはこの差は大きい。実際、第五小隊の念威操者が少々羨ましげな視線をフェリに向けていた……言い出さなかったのは、隊が違うのと、男だったからだろう。
「そっちはどうだ?」
「いませんね」
想定通りと言えば想定通りだったが、生存者は探索後も見つかっていなかった。無論、念威によって一通り探索はされていたが、矢張り目で確認した報告も必要なのだ。
第五小隊と手分けして調査をしていたが、すぐに違和感に突き当たった。
腐臭はあった。血の痕もあった。戦いの後もあった。
だが、死体がない。
これだけの都市でありながら、当然武芸者も質はともかくそれなりの数がいたであろうに、腕の一本、肉片の一欠けらも見当たらない。第五小隊も同様らしく、戸惑いの声が返ってきた。
「どうなってんだ、こいつは」
破壊されたシェルターで矢張り、腐臭と血痕と破壊の痕跡だけを残して綺麗に消え去った人の気配に、シャーニッドは苛立った声を上げた。
「……前にツェルニに来た奴って事はないか?」
確かに、幼生体が多数押し寄せれば、全ての遺体がその腹の中に納まったという事も考えられるかもしれない。だが。
「そうだとすれば、都市の壊れ方がおかしいです。……幼生体の攻撃ならもっとこう、横から押し倒された感じでないといけないのに、ここの建物は殆どが上から押し潰されたような形で壊れている」
それはレイフォンによって否定された。
汚染獣の中でも幼生体は羽を持ってはいるが、飛ぶ事が得意ではない。むしろ、幼生体の羽とは都市の上まで跳び上がる為のものだと言った方がいい。飛ぶ事の方が歩くより得意になるのは、脱皮して後の事だ。だが、脱皮した後の汚染獣は今度は数が急速に減少する。確かに殺し尽くす事は可能かもしれないが、悉く食い尽くすというのは少々考えづらい。
結局、特に得る物なく、第五小隊と第十七小隊は合流せざるをえなかった。
食事はレイフォンと第五小隊の……ゴルネオが作った。
寝る場所はともかく、特に確執がある訳でもないのに、わざわざ食事を別々に作って食べる事もない。特に、この面子はレイフォン道場で共に鍛錬を重ねている事もあり、食事も和気藹々としたものだった。
幸いな事に、電気がまだ生きており、火が使えたので味気ない携帯食料よりは、と各自が手分けして集めた食材を用いたものだった。
さすがに寝る場所は別々だ。
そんなに広い場所ではないが、何せ人数自体が十五に満たない少数だ。一人一部屋が割り当てられていた。無論、緊急時に備えて、ある程度纏まった場所にある部屋を確保していた。
部屋を寝やすくするよう片付けていた際、レイフォンはふと部屋の外に足音がしたのに気付き、ドアをそっと開けて見た……。
「フェリ」
外にいたのはフェリ・ロスだった。何となく、ではあったが、そのまま外に出る彼女について行ったレイフォンは今夜の宿となる武芸者の待機所の外に出た所で声を掛けた。幾等今の所危険は見当たらないとは言っても、直接戦闘力に乏しい念威操者が一人でうろつくのは良くない。
声を掛けられたフェリは少々びっくりした様子で振り向き……直後に不機嫌そうな顔になった。
「あの……」
「女性の後をこっそりついてくるとは……変質者ですか?」
ちょっとぐさっと来たが、気持ちを立て直して、『一人で出かける所を見て心配だったので』と言うと、『そ、そうですか…』とちょっと赤くなって、それ以上の追求はなかった。……何故フェリが赤くなったのかは分からなかったが。
聞けば、彼女が外へと出たのは少し考え事をしたかったらしい。
自分は念威が嫌いだと思って生きてきた。最近でこそ少し改善はしたものの、好きではない……その筈なのに、つい使ってしまう。
念威操者にとって、念威を使う事は息をするのと同じぐらい当たり前の事なのだという。
武芸者の剄とは異なる。ただ目で見る、耳で聞く、普通の五感をも上回るもう一つの感覚器官。それが念威であり、逆に言えば、一般人が見る事聞く事嗅ぐ事触る事味わう事のを当たり前のように感じているのと同じぐらい、念威もまた使うのが当たり前なのだ。私達が敢えて目を瞑り、見ないようにする事が、或いは耳を塞いで聞かないようにする事が普通でない事を考えれば、使わないという事の違和感が分かるだろう。
「フォンフォン、私達はもうどうしようもないぐらい、こういう生き物なのではないか、時折ふとそう思ってしまうんです」
そう呟いたフェリは酷く小さく見えた。その普段は見ない姿に思わずレイフォンは息を呑む。
実の所、フェリにはそう考えてしまう、もう一つの理由があった。長続きしないアルバイトや実地研修の事だ。
無論中にはやってみた結果、余りにも自分に合わないと判断し、自分から辞めた物もある。
だが、少なからぬものが『君には向いていない』、その一言と共に辞める事を促された。
そんな時、ふと彼女は思うのだ。自分は念威に頼らない、必要な時だけ使って、それが終わったらさっさと自分のしたい事をするのだとそう割り切った筈が、実は自分には念威の才能しかなくて、他の才能など全然ないのではないかと。
そんな事はない、ただ自分に向いたものが未だ見つかっていないだけなのだと、考えた次の瞬間には打ち消そうとするが、数が積み重なるごとにその恐怖は次第に強まっていく。
料理とて、ようやっとまともな物が作れるようになってきたが、それとて売り物になるようなものでも、或いは教師役の二人が作るものにも到底及ぶものではない。
ぶるり、と震えたフェリは思わず自分を抱きしめるように上腕を押さえながら呟いた。
「フォンフォン……どうして私達は人間ではないのでしょう」
その言葉はレイフォン自身の思い出を蘇らせる。
(気付かせてはいけないのだよ。我々武芸者や念威操者が人間ではないのだと、人類に本当の意味で気付かせてはいけないんだ)
だから、お前の元にあの二人を試合前にやったのだと、もし、お前があの時それを大衆の前で示してしまっていれば、その時はこの都市から問答無用で追放していたと、あの時女王は語った。
「私達は……」
その時フェリが何を言おうとしていたのか、それを知る機会は、しかし失われる事になった。
そう呟いた後、フェリがはっとした様子で顔を上げた。
「南西三百メルに生体反応!ただの家畜ではありません!」
それは後に思えば、全ての始まりを告げる鐘の音だったのかもしれない。
『後書き』
『風の聖痕』作者の山門敬弘さんが亡くなりました
続きを期待していただけに残念です
今年は愛読していたり、有名な作家さんが複数亡くなられてしまい、がっくりな日々です
『グイン・サーガ』の栗本薫先生
『狂科学ハンターREI』や美少女の艦魂が出てくる『軍艦越後の生涯』など多彩な活躍をしていた中里融司先生
もう続きを読めないかと思うと寂しさも一際です
しかし、最近は『鋼殻のレギオス』や『伝説の勇者の伝説』などとまるで交代するかのように、富士見で昔人気の高かった先生の作品の出版が激減したなあ……『フルメタ』に『ストレイトジャケット』も長らく出なかったし……まあ、『気象精霊記』みたいな事にならなかっただけマシなんでしょうけれど……うーむ、ドラゴンエイジもそれまでの作品を中断してリニューアルと称して一変してしまったし、本当に何があったのやら