ニーナが意識を取り戻したのは翌日だった。
「剄脈の過労だってよ」
シャーニッドが伝える言葉に、ニーナは「そうか……」とだけ答えた。自分でも意識はしていたのだろう。
「医者が呆れてたぜ、武芸科の三年がこんな初歩的な事で倒れるとは思わなかったって」
実際はもっと苛立った様子の言い方だったのだが、その辺は言う必要はあるまい。
この場には、第十七小隊の面々、シャーニッドにレイフォン、フェリ、ハーレイ。それにリーリンがいた。少し前までは同じ寮のセレナとレウも顔を出していたのだが、とりあえず大丈夫そうな事と、さすがにこの人数では狭いので一旦帰ったのだった。というか、今でも狭いのだが。
「すまなかった」
まだ身体を起こすのはきついので横になったままだったが、それでもニーナは何とか首を動かした謝った。もっとも、周囲の視線は相変わらず厳しかったが。
「ところで、どうしてあんな無茶やらかしたんだ?俺が偶々いたから良かったものの、一人だけだったら下手すりゃ大変な事になってたかもしれないんだぜ?」
外縁部は人通りが殆どない。無論、ニーナもそれが分かっていたからあそこで鍛錬していたのだろうが……それは同時に何かあった時に気付く者がいないという事と同義だ。
とはいえ、答えづらいのか沈黙するニーナにそれまで黙っていたリーリンが口を開いた。
「理由は大体分かります。レイフォンの強さを見て焦ったんでしょう?」
まあ、それだけでもないでしょうけれど、と言外にシャーニッドの言った自小隊で自分だけが役割がない事に悩んでいたのもあると告げる。
「グレンダンでもそうでした。ある程度以上大人な方は天剣授受者との差を知っているから無茶をしないけれど……」
レイフォンという天剣の誕生は同年代に大きな影響を与えた。
僅か十歳での天剣授受者。それまでのサヴァリスの記録を塗り替える史上最年少の天剣授受者の誕生に一番沸き立ったのは誰あろう、若い武芸者達だった。彼らの目の前に示されたのだ。自分達と同じ或いは下の年代でグレンダンの頂点へと登り詰めた存在が。
『自分達でも天剣授受者になれる!』
それは少年少女にとって強烈な憧れを生み、そして……彼らの無茶を生んだ。幸いだったのは、グレンダンが熟練の武芸者が大勢いた事だったろう。酷い事になる前に大体は止められた……そう、大体は。中にはニーナ同様無茶を繰り返した挙句に身体を壊した者もいる。だが、そうした事件があって、あの事件があって、それでも今尚レイフォンの存在は若い武芸者達にとっての憧れなのは変わらない。
「アントークさん、貴方は強いんです。それなのに何故そんなに焦るんですか?」
「強いだと?それは皮肉……」
リーリンの言葉に自嘲しようとしたニーナだったが、リーリンの目に何か拙い事を言った気がして途中で押し黙る。レイフォンはというと、勉強の時のあのリーリンの気配を感じて、少しひいていた。
「一年生で小隊員になって、三年生で通常は四年生以上がなるツェルニでも十七しかない小隊の隊長になって、武芸者としては他の隊長格とも真っ向やりあえるだけの力がある、それのどこが弱いんです?」
「うっ……だっ、だが……レイフォンは……」
確かに言われてみれば、自分はツェルニの武芸者の中では強い方なのかもしれない。だが、目の前にいる突き抜けた相手を忘れられず、口にしたニーナだったが。
「規格外の人の事は今はどうでもいいんです」
ばっさり切って捨てられた。
規格外と言われたレイフォンはというと、言われなれてるのか自覚があるのか困ったような笑みを浮かべるのみだ。
「アントークさん、レイフォンと同じような強さがないとツェルニは守れないんですか?」
「……ああ」
そうではないか。汚染獣が襲ってきた時、結局このツェルニを救ったのはレイフォン一人だった。多数の幼生体も地下の雌性体もいずれもレイフォンが結局一人で片付けてしまった。だが。
「なら、他のツェルニで頑張ってる人達は皆不要なんですか?頑張るだけ無意味なんですか?」
「っ!それは……!」
「貴方が言っているのはそういう事です」
レイフォンのような強さがなければツェルニを守れない、と言うのであれば、ツェルニの武芸者は軒並み失格だ。というより、この世界に生きる武芸者の殆どが失格となるだろう。そう言われて、改めてニーナは口を開き、しかし発言出来ず口を閉じる。
そう、レイフォン並の強さがなければ都市を守れないのではない。なくとも都市を守れるだけの力があればいい。足りないなら、他で補えばいい。
「だが、私は……」
作戦指揮でも未熟な事甚だしい、一体自分に何が出来るのかと呟くように言ったニーナに今度はシャーニッドが言った。
「おいおい、ニーナ。お前今何年生だ?」
「?三年だが……」
「そうだな。で、隊長やってんのは?」
「……今年からだな」
ちょっと考えて、そういえば隊の新設を願ったの自体が今年だったか、と思い返したニーナにシャーニッドはあくまで軽く答える。
「そうさ、ならもう何年も隊の指揮執ってる連中に最初から指揮やらで敵うと考えてる事が傲慢だと思うぜ?」
どんな人間だって最初から上手くいくなんて事はない。そう言われて、戸惑うニーナだった。確かに自分も一年の時に小隊員となった事で随分周囲から注視されたが、最初の頃は小隊の足を引っ張ってばかりだった。当時の小隊長や現小隊長のカイには随分と世話になったものだった。そんな事を思い出しつつも、その視線は矢張りレイフォンに向いた。
「……レイフォン、お前はどうなんだ?」
お前でも最初は上手くいかなかったのか?そう問いかける。この天才をして最初から出来なかったという事はあるのか?
「当たり前ですよ」
そう言った後、ニーナの疑念の視線に気付いたのだろう。
「そうですね、例えば鋼糸だって……」
最初は失敗続きで、焦った挙句大怪我を負った事もあるのだと言う。その上でようやっと身につけた鋼糸も師のそれには比べるべくもない。嘗て鋼糸をレイフォンに教えたリンテンスはレイフォンにこう告げた『それでも矢張りお前はいざという時はその身につけた刀の技に頼るだろう』。結局、文字通り身を切り刻んで身につけた技とて本来のそれに比べれば劣る。
それを聞いて、改めて自身の行動を考えてみる。
焦り、足掻いて……結果導いた現状。例えレイフォンが破れて、ツェルニの武芸者がその身をもって立ち向かわねばならぬとなっても前線に立つ事すら満足に出来ぬ病状の身。そうまでして自分は何故、何を求めたのか。
「ああ、そうか」
ふっと思い至る。
自分はただ。
目に見える形で自分がツェルニの役に立てているのだと、そう自分に思わせたかったのだと気付いた。
「……ま、後はニーナ次第だな」
考え込んだニーナをそっとしておこうと一同、病室からそろりと抜け出してのシャーニッドの一言だった。
自覚は出来たようだった。ならば後は時間が解決する問題だろう。
「とりあえず、ニーナは……まあ、ハーレイとリーリンちゃん。二人で頼むわ」
「分かった」
「分かりました」
レイフォンもシャーニッドももう間もなくツェルニを離れねばならない。となれば、離れた後は手がすき、幼馴染であるハーレイと同じ寮であり、同じ女性であるリーリンがついていた方がいい。フェリ?そのあたりの気遣いを彼女に求めるのは難しいだろう。
「とりあえずレイフォンには天剣があるからいいけどな。俺の武器の方はどう?」
「大体完成したよ。まあ、ただ……」
「大きいわ重いわ、だろ?まあ、アレ持って俺自身が走り回る訳じゃねえからな」
そう言いつつ、ハーレイとシャーニッドは最終調整の為にその場を立ち去った。
「私も戻ります」
フェリもそう言った。彼女にはこの後長時間の念威による補佐が待っている。しばらくは無理をせず、体調を整えておかねばならない。場合によっては武芸者の汚染獣との戦いは一週間ぶっ通しで行われる。当然といえば当然なのだが、その間は念威操者もサポートを続けねばならない。これが肉体的には一般人と大差のない念威操者には辛いのだ。とはいえ、やらざるをえないのだが。
「とりあえず私もアントークさんの私物を取ってくるわ」
しばらく入院となる以上、パジャマや下着といった着替えその他を取ってこなくてはならない。
そうなるとレイフォンもこれ以上この場に留まっていても仕方がない。自分も帰る事にした。ちなみに最近レイフォンの環境も少々変わり、アルセイフ道場と呼ばれる場所の近くに住居が移っている。つまりは中心近くという事でその分行き来は楽だ。……ロス家からも近いというのは何かあるのかと疑う者もいるのだが。主に女性陣が。
「あ……」
病院から出てきた所で知り合いに出会った。
「メイシェン?それにミィフィとナルキも」
レイフォンがそう呼びかけたのはメイシェン・トリンデン達三人娘だった。
「そっか、隊長の事心配してくれたんだ」
あの時、場にはナルキもいた。そこから他二人にも伝わったらしいのだが、何しろ彼女らはレイフォン以外の第十七小隊の面々とは別に面識がある訳ではない。ので、ついここまで来てしまったが、さて、ここからどうしよう。そう思っていた所へレイフォンが出て来たという訳だった。
とりあえず、病院の近くの軽食可能なお店を探して入る。
「これ……良かったら……」
お見舞い、という事なのだろう。箱をメイシェンが手渡してきた。何かしらの食べ物なのだろう。
「病院から今は駄目とか言われたなら、レイフォンが食べちゃってね~」
と、こちらはミィフィだ。まあ、確かにその可能性もある。
「しかし、大変だな。しばらくは試合も出来ないんじゃないか?」
ナルキからすれば、そちらが重要らしい。
「試合?戦闘じゃ……」
言い掛けて、気付いた。
「ああ、小隊戦か。そうだね、でもしばらくは大丈夫だよ」
「ほう?」
「ええと……確か試合会場のシステムに異常が見つかったのでしばらく点検、だったかな?」
まだ公表はされていないが、どのみち遅くとも明日明後日には小隊員以外にも公表される話だ。
その後はしばらく談笑が続いたが、ふっとミィフィが真面目な顔になると共に声を潜めて言った。
「レイとん……」
「何?」
「……ひょっとしてまた汚染獣と戦うの?」
しばらくレイフォンは沈黙していた。これがシャーニッド辺りならば、へらへら笑って上手い事いなすのだろうが、生憎レイフォンはそこまで器用ではない。沈黙するレイフォンに確信を深めたのかミィフィが言葉を続ける。
「戦闘って聞いておかしいと思ったんだ。小隊戦なら試合って言うだろうし、武芸大会だとしても大会か戦争って言うぐらいだよね?」
増してやレイフォンの強さはナルキから聞いている。通常の武芸大会程度なら試合にもなるまい。なら、ツェルニ最強のレイフォンをして戦闘と呼ぶような相手とは一体何だ?という訳で、そこに至ったらしい。まあ、つい先日汚染獣とやり合ったばかりというのもあるのだろうが。
しまった、と思いつつもどうやって誤魔化そうかと考えていたレイフォンに笑顔になったミィフィはぱたぱたと手を振って言う。
「あ、大丈夫。もう本当かどうかって分かったし、記事に書く気ないから」
え?という顔になるレイフォンだったが、ミィフィにしてみれば、本当かどうかはレイフォンが沈黙した事で分かった。レイフォンが不器用な人間なのは、これまでの付き合いで分かっている。そして、もし何もなければ否定の言葉がすぐに出ていただろう。そして一方、記事にした所で現状では証拠が何もない。生徒会には下手に混乱を助長させたとして目をつけられる可能性があるし、大体生徒達の混乱が酷い事になるだろう。
「代わりに、公表されたら独占インタビューよろしくね~」
そう笑顔で言ったのがある意味ミィフィらしかったが。
「……レイとん……また戦うんですか?」
震えの混じった声でそれまで黙っていたメイシェンが口を開いた。
「え、あー…えーと……」
下手に情報をこれ以上流す訳にもいかず、わたわたと手を動かすレイフォンにメイシェンは俯いて言った。
「……本当は…行って欲しくないです……心配なんです」
「「「…………」」」
全員がそれぞれの理由で沈黙する。レイフォンはこれまで汚染獣と戦うのが当たり前だったが故に。ミィフィは空気を読んで。ナルキはそうは言ってもレイフォンが出撃しないのは難しいというか、無理だろうな、と判断して。
もっともレイフォンにしてみれば、ある意味新鮮に近い感覚ではあった。
グレンダンでは天剣授受者が戦闘に赴く際に心配する者などいない。当たり前の話だが、それは嫌われているからではなく、絶大な信頼故の話だ。無論、リーリンは心配してくれていた。強いのは分かっている、けれど矢張り心配なのだ、と。
だが、逆に言えば他は天剣授受者が出ると聞けば、もうそれだけでグレンダンの住民達は天剣が破れ、自分達が危機に晒される事など考えもしない。だからこそ彼らは汚染獣が来たとて焦らない。また、すぐに日常が戻ってくると信じているから、一時的なものだと確信しているからシェルターに混乱もなく入り、そして出る。
それだけにレイフォンにはこうしてリーリン以外の人間が自分を心配してくれる、という事にちょっと驚いていたのだが、メイシェンの不安そうな様子に何かしてあげないと、とも思っていた。だから、そっと手を伸ばしてメイシェンの頭を撫でた。
「あ……」
「大丈夫、ちゃんと帰ってくるよ」
そう言って笑顔を見せたレイフォンにメイシェンは真っ赤になって、「はい……」とどこか嬉しそうに微笑んだ。
「……あれって分かってやってるのかな」
「多分、レイとん自覚してないと思うよ」
その横で残る二人がこそこそと内緒話をしていたが。
『後書き』
ニーナってツェルニでは強い方なんですよね
生徒会長の目論見って、今許可したのは今年の武芸大会の為ってよりは更に二年後、自分が卒業した後の布石として書くつもりです
シャーニッドの武器は複合錬金鋼予定です。今回は出番ないでしょうけど(というか出番ある方が本来危険なので