汚染獣。
前回ツェルニを襲ったそれは幼生体と呼ばれる種類だった。だが……。
「今回のこの影……もう少しはっきりした映像があればいいんですが……見た限りでは一期や二期と言えるものではなさそうです」
汚染獣は脱皮するごとに強くなる。そして……。
「場合によっては老生体という可能性もあるかもしれません」
「老生体?」
初めて聞く言葉にカリアンは首は傾げる。一方、道場での汚染獣に関する学習で聞いた事があったフェリは息を呑む。
道場では大きく分けると、基礎訓練、剄技鍛錬、連携などの純粋な戦闘、経験に基づいた念威や剄の注意事項等の他に、汚染獣についての知識も教えている。まあ、これは元々はヴァンゼらからの『汚染獣とは他にどんな種類がいるのか』という問いかけから始まった事なのだが。
「老生体ですか……確か繁殖を放棄した最強の汚染獣でしたね」
フェリの言葉にカリアンも厳しい表情となる。
「……念の為に聞きたいが、もし通常のレベルの都市がその……老生体とやらと戦った場合、どうなる?」
「そうですね……都市が半滅するのを覚悟すれば倒せるかもしれない、そういう相手です」
レイフォンの言葉に難しい顔でカリアンは考え込む。
「でも、本当に気をつけるべきは老生体の二期からです、一期まではそれまでと同じ方法で対処出来る」
「というと?」
どういう意味かと目で問いかけるカリアンにレイフォンは告げる。老生体は二期以降は姿形も個別にそれぞれが全く異なる姿へと変異するのだと、ただ単なる物理的攻撃以外、精神攻撃といった方法も使うようになるのだと。
「以前に老生六期とやりあった際には、天剣授受者が三人がかりで仕留めるのに三日かかりました、それが老生体です」
超絶的な力を持つ天剣授受者をしてそれだけの極限戦闘を要求される、それが老生体なのだ。
「しかし、何故ツェルニは回避しようとしないのだろう?」
「……脱皮する為に汚染獣は休眠状態に入ります。こうなった際の汚染獣はほぼ仮死状態になりますから、おそらくツェルニは気付いていないか、死んでいると判断しているんでしょう」
重苦しい雰囲気となった場を切り替えるようにフェリの言葉が響く。
「……まだ確定した訳ではありません」
「……そうだね、だが、常に最悪を考えて行動すべきなのも確かでね」
フェリの言葉に乗るようにカリアンが言葉を紡ぐ。
それは両方とも真実。
現在手元にあるのは不確実な写真のみ。もう少し詳細な情報を集める必要があるだろう。その結果として見間違いだった、となればそれは最高の話だが、常に最悪を考えておくのが都市行政責任者の仕事だ。最悪を考えておけば、それよりマシな事態には対処がより容易になる。
「まあ、老生体と一口に言っても本当に姿形が全く異なるので相性や相手の能力次第ですよ」
レイフォンが緊張した場を宥める為にそう付け加える。実際、一対一で十分対応可能な、むしろ雄性体より脆弱な老生体もまた存在するのも事実だからだ。
そう聞かされて、少し緊張を緩めたような顔になるカリアン。無論、本当に気を抜いたとは思えないが、それでもこの辺りは未熟な生徒達を相手にしてきた政治家カリアンらしい気配りと言えるだろう。
「とりあえず食事にしましょう」
そのフェリの言葉で再び表情が強張ってしまったが。
「……兄さん?」
その様子に少々不機嫌そうな様子を見せるフェリに、「いや、何でもないよ」と瞬時にして何時もの笑顔を見せるカリアンと不思議そうに首を傾げるレイフォンがいた。
さて、本日の献立は余り奇をてらったものではない。
鶏肉のクリームシチュー、オリジナルマヨネーズを用いたサラダ、芋と肉の揚げ物、それに買ってきたパン、といった具合だ。見た目は野菜の切り方などが不揃いではあるが、悪くはない。
真剣な表情で料理を見詰めるカリアンとは別に、レイフォンはそのあたり淡々としたものだ。フェリに合わせて普通に食器を用意し、席につく。
「「いただきます」」
「……いただこう」
ごく無造作に口にする二人と、覚悟を決めて口にした一人なのは経験故か。
だが……。
カリアンもまた一口口に入れた後は眼を見張って、ほっとした様子で食事を続けた。
「……フォンフォン、どうですか?」
「え?美味しいですよ?」
その言葉にフェリもほっとした様子になる。
良かった、それでこそミィフィやナルキ、或いは某ニーナとか某シャーニッドとか某ハーレイとか某ゴルネオとかの犠牲も報われるというものだ。無論、カリアンが一度ならず犠牲となったのは、これはもう一緒に住んでいるフェリにとって一番手頃な相手だけに仕方ない。
翌日は更に詳細が詰められた。今度はカリアンだけでなく、ヴァンゼや各科の責任者といったメンバーも加えての話だ。
フェリが不機嫌そうな顔でここにいるのは、実地研修を取り止めとして参加を要請された為だ。これはツェルニで最も優れた念威操者であるのがフェリである以上、老生体との戦いは彼女の念威によるサポートが最善と判断された為だった。まあ、それでも状況を理解して、不機嫌ではあっても特に文句を言わずに会議に参加するだけ随分とマシなのだが。
「とりあえず、迎撃戦の際は小隊戦は一時中断だな」
ヴァンゼがそう言った。
これは当然の話で、レイフォンが抜けるとなると当然第十七小隊は勝ち目はまずない。ただでさえ人数が少ないのだ。小隊戦が各小隊の力量を見るという目的がある以上、都市の為に汚染獣との戦いに赴いているというのに不戦敗なりの結果では問題があるだろう。とはいえ下手に汚染獣に接近中という警報を出すのも問題なので、小隊員のみに真相を伝えると共に表向きは試合会場のシステムに不具合が見つかったとして一時延期とする形になる。無論並行して最悪の場合の避難と迎撃の体制は整えておく。全て上手くいけば戦闘終了後に実情を発表する事になるだろう、後は。
「メンバーとしてはレイフォンと後はゴルネオとシャーニッド、後は医療担当という所が限界か」
ランドローラーでは合計四名が向かう事になる。
当初は反対したレイフォンだったが、カリアンからきちんと理詰めで説明されて諦めた。
考えてみれば当然の話で、戦闘中はランドローラーの事など考えている余裕等ない。下手をすれば、戦闘中に巻き込まれて壊れる危険もある。そして、壊れてしまえば都市へと戻れなくなる危険が出てくる。如何にレイフォンがその気になればランドローダーより速く走れると言っても、激しい戦闘の後で、しかも長距離となると、それは無茶だ。
更に場合によっては、勝ったはいいが運転が困難な負傷をしている、という可能性もある。そこで、現場までレイフォンを運び、その後退避を行う役兼纏め役としてゴルネオを、いざという時の援護役としてシャーニッドを、更に戦闘終了時負傷していた際の治療を考えて医療班から一名という構成となった。
ゴルネオを選んだのはレイフォンを除けば唯一幼生体以外の汚染獣との戦いを(実際に戦った経験はないにせよ)見た事がある為、シャーニッドを選んだのはツェルニでも有数の狙撃手であると同時にレイフォンとの連携に最も慣れている為だ。まあ、ゴルネオにせよシャーニッドにせよ自分らの一撃がまともにやって効くとも思えないので、手を出さずに済めばそれが一番なのだが。二人共、或いは緊張で引き締まった顔で、或いは何時もと変わらぬ飄々とした態度で了承した。第十七小隊に関わる事態という事でニーナもこの場にいたが、彼女は都市へと残る。本人は自分も行きたそうな様子だったが、正直行ったとしても何も出来ないだろう、と断念した様子だった。その際に見せた不安定な様子がレイフォンには気になったが。
本当ならヴァンゼも自分で行きたかったらしいが、さすがにもしレイフォンが敗れた場合、汚染獣を迎撃する総指揮を執らねばならないので断念した。もし、その場合、敵うとも思えないが、だからといって何もしない訳にはいかないし、レイフォンとの戦いで汚染獣が傷ついていれば、勝ち目がゼロという訳でも、ひょっとしたら、ない、かもしれないという気休めに似た希望的観測もある。もし、そうなった場合は隊の半数が不在の第十七小隊が臨時に第十四小隊に組み込まれる事も決定した。これは、ニーナ一人だけならば以前に所属していた小隊の方がまだ連携もつけやすいだろう、というのがある。
まあ、レイフォンが勝ってくれるのが一番なのだが。ちなみにフェリは同行せず、ツェルニからレイフォンをサポートする事になる。
さて、その晩の事。
レイフォンは街の一角、外部の者が泊まる宿泊施設に赴いていた。
現在最優先事項はその後の探査機から得られた追加情報でほぼ確定となった汚染獣戦だ。その為に関係各部署は懸命に動いている。
カリアンら生徒会は普段の仕事に加えて、必要な書類と予算の準備を。
錬金科からはレイフォンの錬金鋼の整備に加えて、一部使えそうな計画があれば今回は間に合わないにせよ今後を考えてそうした装備の実用化を。
機械科はランドローラーの整備他を。
技術科は戦闘に耐えうる汚染物質遮断スーツの調整を。
医療科は随伴する生徒の決定と持ち込む装備の支度を。
各自がなすべき事をなしていく。
その一方で、日常を止める訳にはいかない。
下手に生徒に動揺を与えて混乱を引き起こさない為にも普通に動かねばならないし、加えて放置しておく訳にはいかない事柄も多い。今回レイフォンが出向いたのもそうした事の一つ。
都市警察の手伝いだった。
「いやあ、すまんな」
そう言ってレイフォンを迎えたのはフォーメッド・ガレン。ナルキの直属の上司であり、養殖科の五年生である。とっつきにくそうな顔ではあるが、根は悪くなさそうだ。
今回の出動では碧壇都市ルルグライフに籍を置く流通企業ヴィネスレイフ社のキャラバンが相手となる。
彼らは二週間程前にツェルニを訪れ、各種データを売りに来た。無論ツェルニからも各種のデータを売っている。ここまでは通常の商売の範疇だ。だが……。
「連中の目的は普通のデータ売買じゃなかった」
一週間前の事だ。農業科の研究室が荒らされ、未発表の新種作物の遺伝子配列表が盗まれたという。
「学園都市連盟での発表前の、これは立派な連盟法違反だ」
監視システムも沈黙させられていたが、目撃者がいた。
如何に機械は誤魔化せても、生の人間の目は誤魔化せない。
「今晩、うちの交渉人が宿泊施設に赴く」
その上で、盗んだデータの返還とデータコピーによる不正持ち出しを防ぐ為にデータ系統の商品と所持品の全没収を宣言するという。通常ならこれで上手くいく。都市は放浪バスでもない限りは閉鎖された場所であり、犯罪者が都市外の異邦人と来ては匿ってくれる相手も逃げ場所もある筈がない。
たいていは下手に抵抗して、死刑や都市外への強制退去……剥き出しの地面に投げ出されるよりは無駄な抵抗をせず、都市警の指示に従う事になる。二度とその都市に近づかなければ罪は消えてなくなるのがこの世界なのだから。問題は……。
「本来ならば、これでうまくいくんだが、最悪のタイミングで放浪バスがやって来た」
整備補給や手続きで、管理の者と連携して時間稼ぎをしたが、明日の早朝には出発するという。
退路があるとなれば、明日朝まで粘れば、盗んだデータを持ったままツェルニを脱出出来る道があるとなれば、向こうとしても力尽くでの突破を図る可能性は高いだろう。
「今夜が勝負ですね」
「ああ、目撃者の発見がもう少し早ければもう少しは余裕があったと思うんだが……問題は実力行使になった場合の向こうの戦力だ」
こんな事をやらかすぐらいだ、向こうに武芸者が零という事は絶対にないだろう。
そして、対人戦となれば、小隊戦で経験を積んでいる小隊員の方がいいのは当然の話だ。一般の学生武芸者より腕がいい者が小隊員になる事でもあるし。そうした中でも最強と謳われるレイフォンが協力を求められたのは当然の話だろう。都市警に彼の友人がいるとなれば尚更の事。
「頼んだぞ、ツェルニのエース」
フォーメッドがにやりと笑って、レイフォンの肩を叩いた。
『後書き』
幾等レイフォンが強いって言っても、矢張り到着までの体力の温存とか戦闘終了後を考えると多少のサポートは必要だと思うんですよ
それに、生徒達に不安を持たせたくないからって小隊戦で不戦敗ってのもなしだと思うんですよねー……命がけで戦ってる時にそりゃないだろう、と
実際、もしレイフォンが敗北したら老生体とツェルニの武芸者は戦わないといけなくなる訳で……生徒の避難と合わせてその準備はしておかんと拙いでしょう、さすがに。勝てないにしても黙って喰われたりする訳にはいかん以上、その時になってから慌てても、ねえ