ナルキが踏み込み、腕を伸ばす。
相手を掴もうという動きだが、その動きはそのまま伸ばした腕の手首が掴まれ、相手の体に巻き込まれるように引きこまれる。
元より掴もうとそちらに勢いがついていた体だ、抵抗も出来ず自然とそちらに体が流れる。泳いだ体は、そのままの勢いで足元が跳ね上げられ、宙に浮く。
さすがに腕を掴まれた体勢では受身も取れない。
ぐっと体に力を……入れる前にそのまま掴まれた腕を基点にすっと引かれるようにして、体が引っ張られ、全身が浮いた所で両肩を掴むようにして、すとん、と地面に降ろされた。
「は~……駄目だね、完敗」
こうも鮮やかに完全に死に体にされた所から最初の立ち位置へと戻されては何も言えない。
「これで五戦全敗。う~ん、やっぱりレイとんに勝つのは無理か……」
分かっていたとはいえ、全然手が届く感じがしない。
「そうかな……」
と、困ったように頬を指でかきながら答えるのはレイフォンだ。
現在は一年の格闘訓練の時間だった。
最近はレイフォンとナルキ、この二人で組む事が多い、というかそればかりだ。理由は単純で周囲の一年生がレイフォンと組もうとしないからだ。
もっとも、その理由は大きく分けて三つに分かれている。
一つは尊敬。
もう少し細かく分ければ、憧れとか崇拝なんてものも混じってるかもしれないが、基本はレイフォンの強さに憧れを持ち、それ故に自分なんかでは手の届かない存在として組み手を申し込めない者達。
一つは恐怖。
一重にレイフォンの力に対して恐れの感情を抱いている者達。余りにレイフォンが自分では太刀打ち出来ない上位の存在故に関わらないよう距離を取る者達、だ。
最後が憎悪。
嫉妬とも言うが、自分を遥かに上回る存在に対して、妬み嫉み僻み……色々だが、負の感情のごちゃ混ぜ、というのが一番か。
これで相手がもっと弱ければいじめであったり、集団でからんだりといった行動に出るのかもしれないが、何しろ相手が相手だ。ちょっかいかけた所で返り討ちに合うのが関の山。しかも、下手に動けば最近では生徒会まで敵に回しかねないと分かってきて、仕方なく距離を取って極力関わらないようにしている者達だ。
武芸者という集団故に一番最初のグループが一番多いのが幸いだが、余り気持ちのいいものではない。実際その余波を受けているナルキなどは少々居心地が悪い。
もっとも、レイフォンにしてみれば、気にする程の事でもない。
グレンダンでもそうだったのだ。いや、もっと酷かった。ガハルド・バレーンは代表的な例ではあったが、十歳というグレンダン史上に残る最年少記録で天剣授受者となった事で、尊敬だけでなく恐怖や妬み嫉みも向けられ……何時頃からだろうか、そうした感情に対して無反応になった。気にしてもキリがなかったし、如何に負の感情があろうとも、グレンダンで天剣授受者に手を出そうと考えるような相手もいなかった。
それだけに陰に篭った視線や気配に晒されていた身としては、この程度など意識を向ける必要すら感じない。
ちらり、と近づいてこない集団に視線を向けて、ナルキが溜息をついた。
「やれやれ、折角の訓練、折角強い相手と組み手出来るチャンスだってのに……」
それはナルキの本心からだったし、周囲も反対意見はなかったろうが、当の本人はというと。
「いや、僕余り組み手得意じゃないから」
と、平然と答えていた。
じろり、とナルキがレイフォンを見やる。
「……あんだけ出来て、それで得意じゃないとか言われると凹むな……」
本心から言っていると分かるだけに、文句も言いづらいし。
まあ、実際の所レイフォンの基準が無闇矢鱈と高いのだろう、という事は想像がつく。
実の所、レイフォンの組み手というか格闘の基準、というか自分のそれと比べている対象はサヴァリスだ。それは確かに彼と比べれば組み手というか格闘戦が得意とは言えまい。どう考えても比べる相手が間違っているが。
「そういえば……レイとん、先日は残念だったな」
「先日?」
と首を傾げて、小隊戦の事と思い当たり、ああ、と頷く。
そう、第十七小隊は第十四小隊に敗北を喫したのだった。
『第十七小隊、敗れました―――――――!』
アナウンサーが叫んでいるが、余り予想外だと騒いでいる雰囲気は生徒からはしない。
「まあ、ある意味予想通りの光景、って所かな」
「そうだな、純粋に手が足りんな」
カリアンとヴァンゼの呟きもそれを肯定するものだった。
小隊戦に措いて、レイフォンの扱いはどちらかというとトラップに近いものがある。
事前に発表されている制限として、レイフォンは自身に向けられた数次第でどう対応するを決められている。
つまり、相手が一人なら瞬殺していいが二人相手ならこれだけ時間をかけるように、という具合だ。無論中には逆にレイフォンが撃破扱いにされる人数も設定されている。こうでもしないと、そもそも試合にならないのだから仕方がない。
ただし、何人で攻撃すればどれだけ時間が稼げる、何人で攻撃すれば撃破出来る、といった点は公表されていない。噂では毎試合ごとに変動する、という話もあるが、案外可能性は高いのでは……というもっぱらの話で、幾つかの雑誌などが真相を探っている。
「レイフォン君も戸惑った部分があったかな」
「そうだな、次回からは敵味方双方共に何らかの対策も練れそうだが……ただ、問題は」
「ニーナ・アントークだね」
今回、攻撃側となった第十四小隊が取った策は極めて単純だ。
防衛側である第十七小隊は構成四名、第十四小隊は七名。この人数差を生かした。
双方とも一人ずつ念威操者がいるが、それを省くと戦闘要員は三対六と倍になる。
この六名中三名をレイフォンに当て、シン自身はニーナを抑える。残る遠距離支援を行う両名を戦場の両サイドからそれぞれフラッグに迫らせる。
片方は案の定シャーニッドが抑えたが、さしものシャーニッドも戦闘をこなしながら、戦場の反対側を進むもう片方には手が出る筈もなく、結局第十七小隊全員が動きを拘束される中、フラッグが撃ち抜かれたのだった。
「第十四小隊のシンは以前アントーク君が世話になった隊長だ。自分の成長を見せたかったというのはあるだろうが……」
「自分と彼の一騎打ちに夢中になって、指示を出し忘れるというのは論外だな」
自身が手が埋まると分かっていたなら、別の者に指揮を委譲しておくべきだった。実際、シンはそうしていた。
「……未熟、と言えばそうなんだろうが」
「副隊長経験も何もなしで、隊長職、というのはあると思うが、それだけとも言えんな……」
もちろん小隊の隊長なのだから、それなりの強さは求められる。
だが、それ以上に隊長に求められるのは戦闘指揮だ。
戦争、武芸大会、汚染獣戦、どの戦いもそうだが、装備や人数など戦略面に関わる事を担当するのは都市上層部になる。ツェルニで言えば生徒会だ。
これに対して、実際の戦闘の現場、戦術面を担当するのが小隊となる。
武芸長ヴァンゼを総司令官とし、各小隊隊長がその指揮下における部隊長として行動するだけに、指揮下にある武芸者を統率し、指揮を下すのは小隊長の義務だ。
「……いずれにせよ、現状ではニーナ・アントークに大規模部隊の指揮は任せられないね」
ニーナ・アントークは落ち込んでいた。
無論原因は自身の失策だ。
レイフォンは事前に決められていたルールに則った戦闘を行い、戦闘要員の半数を拘束していた。本気を出せば、とは言えない。何しろそう決められていたのだし、実際自分も『確かにレイフォンが全力を出しては試合が試合にならない』と思えるからだ。
シャーニッドも奮闘していた。実際、敵との読み合いを見事に制し、敵の狙撃を封じ、最後は一瞬の時間差で見事に一人仕留めた。こちらも何も言う事はない。見事なものだ。
フェリはきっちりと高精度の念威を送ってくれていた。
相変わらず試合に対する熱意は感じられないが、やる事はきっちりやっているのだからこれも文句を言う筋合いではない。
問題は自分だ。
改めて念威で伝えられていた第十四小隊の動きを考えてみれば、相手の狙いは一目瞭然だった。それなら自分が指示を出さねばならなかった。何が出来たかはさておき、対処を考えねばならなかった。
だが、自分は何をしていただろうか。
最初の段階でシンと戦いたい旨を皆に伝えていた。おして勝負に夢中になった挙句、他の事が頭からすっかり抜け落ちていた。……だが果たして自分がシン・カイハーンと戦う意味はあったのだろうか?
レイフォンへの制限は人数による。つまり、相手が強い弱いは現状関係ない。ならばまずレイフォンが先陣を切って移動する事でシンを含めた敵側の強いメンバーを拘束し、自分が相手の中で比較的弱い者を相手にしていれば……?一人でも落としていれば、その後の試合の内容も変わったのではなかろうか?
弱い相手を選んで自分が戦う、という事は武芸者としては余り誉められた事ではないかもしれない。だが、指揮官として見たならば、正当な手段だ。要は双方の主力同士による膠着状態が起きている間に、敵側の一部隊を特殊部隊でも予備でも呼び方は何でもいいが、別働隊が撃破して、そのまま敵別働隊に備える、という方法だからだ。
だが、自分はそんな事を考えもせず、ただ感情に任せて突進した挙句、肝心要の事を忘れ果てていた。
強さに措いてはレイフォンに到底敵わない。
隊長としてはまだ未熟。
……ならば私の存在意義とはなんだ?
「……隊長?」
レイフォンの声ではっと気付く。
「あ、ああ、すまない。今日はもう上がってくれていい」
「え?あ、はあ」
何時もの隊長ならば何故敗戦したのか、ミーティングに燃えていてもおかしくないのに……そんな疑念は隊の誰にもあったし、シャーニッドは『何か調子狂うな』という様子だったが、ニーナはそれにさえ気付かず、悩み続けていた。
「あれから、隊長結構悩んでるみたいなんだよね」
「へえ……そうなんだ」
前回の小隊戦だけ見れば、そう悩む必要も感じないのだが。
実際、現状第十七小隊最大の問題は人数不足だ。
これが攻撃側ならばまだ、いい。だが、防御側に回ると今後も防衛に回す人数が足りない、という問題はどの小隊相手でも出てくる事になるだろう。作戦で補うにしても、それは一時凌ぎだ。古来より戦闘の王道は『相手より多数の兵力を揃える』のが基本だ。少数が多数を撃破する、そんな戦闘を評価する人もいるだろうが、結局それは一戦二戦ならばともかく常にそうあれ、というのは邪道だ。
所詮奇策は奇策に過ぎない。
そうすると、案外隊長さんの悩んでいる理由はどうやって人数不足を解消するか、という事かとあたりをつける。
第十七小隊は不足する小隊メンバーを補充する事が難しい。
新たに作られた小隊だけあって、目ぼしい人材は大体他の小隊が確保している。それでも上級生にはそれなりに小隊員になれそうな人材もいるのだが、隊長であるニーナは三年生だ。これがレイフォン並に隔絶した実力者というならまだしも、ニーナでは自分達とそう極端なまでの大差がある訳ではない。まあ、確かに実力はあるが、だからといって年下の配下にすんなりと入れるか、と言うと……なかなか悩み所だ。
かといって、同級生以下にこれぞ、という人材は見当たらない。
作戦指揮や強さに対する疑問、といった悩み以外では案外的を射ている。実際、こちらも悩み所なのは事実なのだ。
「レイとんはそのあたりどう思う?」
「え?僕?うーん……どうしよっか?」
「いや、こちらに返されてもな…」
この男に戦闘以外の事に関してアテにしてはいけない、という事を悟るにはもう少し時間がかかりそうだった。
そんな事を話している二人にかけられる声があった。
「あの……少しいいかな?」
ん?と二人して声が掛けられた方へ振り向く。そこには……。
「先輩方?何か用でしょうか?」
三人の三年生が立っていた。
『後書き』
チラシ裏から移転です
原作とは多少時系列が違いますが、そのあたりはご勘弁を