「成る程、矢張りこうなったか」
カリアンは報告書を手にそう呟いた。
「全く反応がない方が異常だろうからな……ある意味当然の帰結だ」
そう返したのはヴァンゼだ。
書類には多数の弟子入り志願がレイフォンの元に殺到している様が数字で記されていた。
「矢張り、あの一件が強烈だったみたいだねえ」
カリアンは苦笑しながら、ヴァンゼに言う。
「当たり前だ、あれを見て何も思わん奴がいたら、そいつは武芸者じゃない」
と断定するヴァンゼ。
だが、その気持ちは本心からのものだ。自分でさえ震えが走るあの光景、誰がやったか分からないならばともかく、今回は小隊のメンバーには念威の映像が繋がっていた事もあり、レイフォンが行った事だと判明してしまっている。今回の一件で危機的な感情を抱いた者もいるだろうし、或いは武芸大会に向けて四苦八苦している者もいるだろう。その前に遥かな高みに立つ者の存在がいれば、それこそ馬に人参というか是非にと教えを請いに行くのも当然だろう。
もっとも……。
「希望者全員に、というのは無理があるね」
「そうだな、レイフォン・アルセイフにサポートにゴルネオ・ルッケンス。二人で優に百人を超えるこれだけの武芸者を全部面倒見ろ、というのは無理だ」
しかも、その数字は現在も増え続けている。
「ふむ……ならば、小隊員の代表者を二名程希望する各隊から出して基本となる訓練をつけさせてはどうだろう?それを各隊に戻って教授して、更にそれを各小隊が希望する者に、という方法だが?」
「……今の所それしかないだろうな。それでもレイフォンが所属する第十七小隊に第五小隊、第十六小隊、この三つは前々からな以上、全員参加を認めざるをえまい。それに、参加希望する小隊から二名……三十人を超えるのは確実だな」
溜息をついてそう呟いたヴァンゼだった。
「レイフォン君にはこちらに専念してもらう」
カリアンの言葉にヴァンゼも頷く。レイフォンには悪いが、この情勢でのんびりと機関掃除のアルバイトをしてもらう訳にはいかない。かくして教導の代わりに機関掃除より高額の報酬を出すので、こちらに専念して欲しい、とお願いした次第だった。レイフォンにしてみれば元々お金に困ってしていたアルバイトでもなかったのだが、結局押し切られた、というのが正しい。
「一方、参加を希望していない小隊は……」
「ああ、第三、第八、第十、第十四、第十五……第十を除けば……」
「……いずれも担当する戦域で死者が出た小隊、だね」
今回の幼生体との戦闘でツェルニの武芸者からは四名の死者を出した。あの激しい押され続けた戦闘の中でこれだけで済んだのはむしろ奇跡といえるかもしれない。重傷軽傷の者も無論多数出たが、こちらは精神の問題、所謂PTSDはさておき、怪我は腕が取れたとて再生可能な時代だ。何も問題はない。
「しかし、出来ればこの小隊にも参加はして欲しいのだがね」
カリアンはそう呟く。カリアンの目的は汚染獣に遭遇した時の生き残りだけではない。武芸大会で勝利を収め、ツェルニの滅びる日の訪れるその光景を目にしない事だ。その為にはレイフォンによる鍛錬は必ず身になる、と見ている。
「君も参加するんだろう?」
「当たり前だ。自分より強い者がいるならば教えを乞うのは当然の話だ」
ヴァンゼは確認をとってきたカリアンに何を当たり前の事を、と言わんばかりに答えた。
「ところで……」
矢張り、と笑顔で頷いたカリアンは気になる点を告げた。
「第十小隊から参加希望者が出ていないのは矢張り……」
「ああ」
ヴァンゼも渋い表情で頷いて言った。
「戦い方が合わない、というのもあるだろうが……レイフォン・アルセイフに教導を受けるならば、シャーニッド・エリプトンとも顔を合わせざるをえないから、というのも大なり小なりあるだろうな」
汚染獣による襲撃。
その戦いはツェルニの武芸者達にとって大きな衝撃を与えた。汚染獣という存在に対する脅威を実感しただけではない。無論それも大きい、試合ではなく、本当に命を賭けた生き残るか死かの戦闘を体験したという事は今後に措いても大きな意味合いを持つ。
だが、それ以上に大きな衝撃を与えたのは汚染獣との戦いの最後の光景。
幼生体が次々と切り裂かれ、死んでいったあの光景。
それはまず、一体誰が為したのか、という関心へと繋がり、誰か、が判明すると今度はその人物への興味へ、更に既に教えを受けている者がいると聞いた事で(しかも小隊が)、自分達も教えてほしい、という欲望へと変じた。
結果、錬武館の鍛錬場に大勢が押し寄せる、という事態に発展したのだった。
大混乱に陥ったが、最終的に生徒会からの通達で終息に至った。不満は当然あったが、無論カリアンがそうした不満を見過ごすままにしておく訳がない。
『レイフォン君が認めた場合は直接教示を受けるのを許可する。この時勝ち負けは問わない』
ただし、お願いという形ではなく、あくまで自身の力を示す事で。
ただし、闇討ちや不意打ちは一切禁止。あくまで学生らしく正々堂々と。
無論、最初のただし書きは押しに弱いレイフォンの性格を考慮してのものだ。
もちろん、これでも不満を持つ者は出るだろう。だが、参加したいなら自分が直接教えてもらうだけの力量がある、と認めさせればいいのだから、本当に強くなりたい者は鍛錬に励むだろう、という読みもある。
当初教導を受けた際に指示された訓練はサイハーデン流刀争術、と呼ばれるものの基礎訓練だった。
サイハーデン、その名は殆どの人間に戸惑いを持って受け止められた。どんな流派なのか全く分からなかったからだ。だが、その後続けて流れた一つの話がその名を受け入れさせた。
槍殻都市グレンダンを有名にさせた存在、サリンバン教導傭兵団。その前団長と現団長の使う流派だ、との話である。
無論、レイフォンがベラベラと自慢した訳ではない。それは偶然から知られた話だった。
ある日、ヴァンゼがレイフォンと鍛錬が終わった後で話をしていた。
「しかし、地味ではあるが大変だな、この訓練は」
「そうですか?」
この辺りはレイフォンとヴァンゼの才能の差というよりは、小さい頃からずうっと続けてきたレイフォンと最近始めたばかりのヴァンゼとの差と言った方がいい。
「しかし、お前といいゴルネオといい……昨年の奴はともかく、矢張りグレンダンは優れた武芸者が多いのか?」
昨年の奴、とは誰か、と思い首を傾げたレイフォンの姿を見て、誰の事を言っているのか分からないと気づいたのだろう。
「ああ、すまん。実はな……」
と、昨年グレンダン出身である事を威張っていた新入生がいたという事を説明する。威張っていた癖に、同学年の生徒達にも武芸の腕は劣り、結局半年程でやめたのだという。
「成る程……」
レイフォン自身はさらりと流したが、実の所グレンダンという都市は弱い武芸者にとっては極めて住みづらい都市である。グレンダンにおいては公式試合にて実力を測り、一定の実力があると判断された場合に前線に投入される。実力さえあれば、十歳に満たない年齢であろうが、実戦に参加し、報奨金を得る事も出来る。
では、実力がない場合は、となると、当然何時まで経っても前線に出る事は出来ない。その癖、武芸者として日常生活における優遇処置は取られる。余程面の皮が分厚くない限り、正に鍼の筵だろう。
とはいえ、赴いた先で威張り散らすというのはまた別の話だとは思うのだが、その辺は溜まっていた鬱憤が流出したのだろう。
「まあ、グレンダンといっても案外大した事がないのでは、という意見もあったんだが、結局どこでもピンキリ、って事なんだろうな」
そう言ってヴァンゼはスポーツドリンクを口にした。
「そうですね」
まあ、確かに。そう思いつつレイフォンもドリンクを口にする。
「しかし、天剣授受者か……恥ずかしながら初めて知ったよ。俺達が知っているグレンダンの印象といえばサリンバン教導傭兵団だからな……」
ふとヴァンゼがそう呟いた。
とはいえ、これは仕方のない面がある。都市間の情報が隔絶している世界だ。如何に強い武芸者がいようと、その都市では高名でも他の都市にまでその名声が轟いているか、と言われると否、と言わざるをえない。まあ、交通都市ヨルテムのような場所ならば多少は例外かもしれないが……。
「サリンバン教導傭兵団ですか……そういえば、前の団長さんが養父さんの兄弟子だって言ってましたね」
ふっとデルクから聞いた話を思い出して相槌を打ったレイフォンだったが、一瞬の間を置いて、ヴァンゼは驚いたような顔でレイフォンを見た。
「……前団長が、お前さんの師匠の兄弟子?」
「え?ええ、そうなりますね」
ヴァンゼが何を驚いているか分からないレイフォンとしては急に確認された方がびっくりした。
「という事は、前団長の使ってた流派も……」
「サイハーデンですね。ああ、現団長って前団長の弟子だって聞きましたから今の団長も同じじゃないですか?」
ヴァンゼはこの話を別に言いふらしたりはしなかったが、何しろ鍛錬の後だ。武芸長であるヴァンゼとレイフォンが話している会話だ。興味を持って聞いていた者は多かった。
結果、この二人の会話から一気にツェルニにレイフォンの使う流派がどのような流派か広まったのだった。グレンダンであれば、天剣授受者をレイフォンまで輩出する事のなかった(正確にはその素質を持った者が都市の外に出る事を好んだというべきだが)サイハーデンの技は余り着目される事はない。天剣を輩出する事のなかった細々と続いてきた流派でありながら、今に至るまで残り続けてきた流派ではあり、それだけ優れた流派だと言えるのだが、矢張り天剣に関わる流派、天剣が開祖であり現天剣授受者の一人サヴァリスを擁するルッケンス、王家亜流にして現天剣授受者の一人であるカナリスを輩出したリヴァネス、現天剣授受者の一人カルヴァーンの創設したミッドノットといった流派がグレンダンでは隆盛を誇っている。
サイハーデンが今後そうした隆盛を誇る、と言える程の武門の一角に入れるかどうかは分からないが、レイフォンがサイハーデンの免許皆伝を得ているという事実は今後流派に対する評価がどういうものになるにせよ、真っ当にやれば有力な武門の一つになるのでは、と見られている。
が、とりあえずはツェルニで隆盛を誇る事になりそうだった。……レベルはグレンダンに比べれば低いかもしれないが。
第三小隊は先だっての戦いに措いて、担当戦域から多数の死傷者を出した。
無論、彼とて理解している。
あの時の戦いは言い方は悪いが運が悪かったのだ、と。
レイフォン・アルセイフは別に偽りを述べた訳ではない。ただ単に彼自身の実力が途轍もなく高かった事に加え、彼が実戦で戦った時に傍らで共に戦った面々が自分達学生武芸者とは実力が違う熟達の武芸者達であったのだろう、という事は。
如何に学生武芸者だ、小隊戦で戦ったからどの程度の実力があるかという事ぐらい分かるだろう、と言った所で、それまでの固定概念は早々取り払えるものではない。あの時のあのレイフォンの言葉は彼自身の経験に基づいた事実から発せられた言葉だったのだろう、という事は分かるし、従って無闇やたらと非難を行うつもりも、レイフォン個人を責め立てる気もない。
だが、感情が納得出来ない。
もし、レイフォン・アルセイフが最初からその本当の実力を見せてくれていたならば。
もし、レイフォン・アルセイフが故郷グレンダンとツェルニの実力差に最初から気づいてくれていたならば。
もし、それに伴った観点からの汚染獣への指摘をしてくれていたら――。
全ては『IF(もしも)』であり、それが既に遅い話である事も、仕方がなかった事も、そして仮にも命をかけた実戦で油断なぞしでかした自分達に一番の責があるのだと分かっていても……それでも一時的にせよ自分の指揮下に入った武芸者から死者を出した、という事は彼の心に重く圧し掛かっていた。
今でも夢に見る事がある。
最初の交戦開始時、想像以上の速度で突撃してきた相手に武器を叩きつけ、それが弾かれ、驚愕の表情のまま角に貫かれた光景を。
周囲の者による集中攻撃でもなかなか落ちず、ようやく幼生体を仕留めて助け出した時には、既に驚愕と恐怖の表情のまま事切れていたあの姿が浮かんでくる。
そして、それは他の第八、第十四、第十五といった小隊も同じだった。
これらとは少々趣の異なるのが第十小隊だった。
彼らの小隊は隊長自身が副隊長の援護を行う形で突っ込むのを得意とする部隊であり、相互援護の大切さはよく理解されている。加えて、副隊長ダルシェナの故郷は割りと頻繁に汚染獣の襲撃を受ける都市である事も幸いした。
彼女自身はツェルニに来た当初は弱気な性格であり、都市の重鎮である父親も鍛錬の為に都市の外に出してみようという面があったぐらいだから、直接汚染獣と戦った経験はない。が、念威を通じて目にした事はあるし、父や兄から話を聞いた事も多々ある。
従って、彼女はディンとも相談した上で部下となった相手にもそう軽々しく、弱いという事は口にしなかった。小隊の面々にも油断は禁物だ、試合は負けても次があるが、汚染獣との戦いはどんなに相手が弱くても一度負ければそれで人生の終わりなのだと相手を侮りかけていた小隊員の気を引き締めた。
それなら、最初にレイフォンが発言した時点で言ったらどうか、という意見もあるだろうが、彼女も実際に汚染獣と戦った経験はない。相手が実際に汚染獣と戦った経験が豊富というならばその言葉を頭から否定するのはどうかと考えてしまった点もある。
結果から言えば、このお陰で最初の衝突時にも崩れる事なく戦闘を行う事が出来た。
その結果として、さすがに重傷者は出たものの、死者は出す事なく終わった。無論、彼らとて幼生体駆逐の最後のあの瞬間は鮮烈なまでの印象を受けた。
彼らとて、レイフォンに習いに行く事を考えなかった訳ではない。
だが、反面第十小隊の戦闘に合うかどうか、という事もあった。
第十小隊の戦闘の要は副隊長の突撃だ。これを隊長が直接その背後についてサポートし、他の者もそれに沿った突撃にて一気呵成に殲滅する。つまりは小隊自体が突破力に優れた小隊であり、裏を返せばそれ以外の応用が利き辛いという事でもある。実際、ダルシェナも攻撃力はともかく、防御や回避は弱い。
話を聞く限り、レイフォンの提示する訓練は基礎を鍛え直している部分が大きいが、技としては刀や剣、或いはゴルネオを通じての素手といった面が大きい。乱取りという形での底上げも期待は出来るが……戦い方に合わないのならば参加する意義が薄い。そう判断して、第十小隊は不参加を決めた……少なくとも彼らはそう思っている。
そこにどの程度、第十七小隊の狙撃手への気持ちが混ざっているかは彼らでも分からない。
生徒会長と武芸長との密談へと場面を戻す。
「……では、しばらくの間は」
「ああ」
ヴァンゼの確認を込めた問いにカリアンは薄く笑って言った。
「レイフォン君の訓練の有効性を試す意味もある。しばらくは訓練に参加している小隊、参加していない小隊同士の間で試合を組んでみて欲しい」
『後書き』
※特に否定意見がなければ、次回からチラシの裏からその他へ移動したいと思います
第十小隊に関しては、オール・オブ・レギオスでのダルシェナへの取材も参考にしています
第十七小隊に入ってからも、レイフォンの訓練方法に理解を示しつつも(実際防御や回避が上がったと第十四小隊隊長のシンやシャーニッドが言ってます)、独自の訓練をする事が多い、とあったのでそうなんじゃないかなーと判断しました
+※誤字修正
※ではレス返しを
>紅月さん
はい、支給された錬金鋼です。レイフォンが全力を込めてしまうと剄に耐え切れず錬金鋼が壊れてしまいますからね……
加えて、本当に大事なものだからこそ、訓練では使わないと判断しました
レストレーションの言葉については、流れが詰まってしまうので、演出としては使う予定ですが、切り替えごとに使う予定はないです
>ぜろぜろわんさん
その結果は第二巻の中にレイフォンがロス家に招待される場面で多少は出る予定です
詳細は次の外伝で……そこに至るまで頑張ります
>doraguさん
はい、フェリさんが上手くなったら、ニーナさんだけそのまんまですね
まだ女の子してるフェリより、格好いいといった方がいいニーナさんですしねえ……気付いた時には結構な差がついてそうです
>どっかの誰かさん
年3~4回、とすると、天剣の出撃回数が余りに少なすぎると思いました
その全てで老生体が襲ってくるとも思えないので、もし、そうだと仮定すると天剣が出撃するべき老生体との遭遇戦は数年に一度ペースが精精という事になってしまいます
従って、頻繁に汚染獣からの襲撃を受けており、老生体が年に何度か、という方向で判断しました
死者に関しては汚染獣との戦いで死者が出ない方が違和感がありましたので……
死者が出ないなら、グレンダンにあんだけ孤児いませんよね
最後に、カリアンだけが犠牲者になったかは……今後をお待ち下さい
>雪見酒さん
はい、自分もそう判断しました
名付きとかも出るという事は、老生体にしてももう少し頻度が高いかもしれませんね