カルヴァーンに技の継承について聞きに行った帰り道で、デルボネの蝶のような形をした念威端子から話しかけられた。
「貴方は天才故に教える事に向いてはいないでしょう」
「はあ」
天才、と言われてもレイフォンに実感はないので、そんな返事になってしまう。
「貴方は剄技を習得する際に困難だった、という記憶は余りないでしょう?リンテンスさんの鋼糸とかぐらいかしら?」
確かにそうだ、殆どの剄技は見れば、相手の剄の動きから大体どんな剄技か分かった。後はその剄の動きを再現して、調整していけば簡単だった。
「それだけに貴方には分からないでしょう。剄技が習得出来ない人達の悩みを」
貴方に習得出来ない剄技のコツを聞いても、何も言えないでしょう?そう言われてはレイフォンとしても頷かざるをえない。
鍛錬を重ねても出来ない技がある。
レイフォンはサヴァリスの技を、ルッケンスの秘奥とされる千人衝を、咆剄殺をべヒモトとの戦いで見て、それだけで習得した。だが、実際にはこれらの技はルッケンスに措いて鍛錬を重ねる者でさえ、必死の思いで研鑽を重ねて、尚届かない。
例え、レイフォンに習得する為のコツを聞いた所で、説明は出来まい。何しろ、レイフォンにとって、剄技とは習得出来ず悩むものではないからだ。
……ゆえにこそ、嫉妬も生まれる。自身が血の吐くような鍛錬を積み、全てを注ぎ、尚届かない所へあっさりと達してしまう。尊敬する者、憧れる者は多いだろう。だが、同時に妬む者もまた多い。まるで強い光が濃い影を生むように。
「だから、レイフォン。貴方が教えられないのならば、教えられる人を見つけなさい」
一人で抱え込むのではなく、誰かの協力を得なさいと告げる。技を再現し、その説明を受けて、噛み砕き、分かる形として他の者に伝えられる者を探しなさい、と告げる。
「そして、経験を広げてあげなさい。貴方は経験ならば、十分なものを持っているのだから」
何故レイフォンがそんな事を思い出したかと言えば、正にデルボネの言った通りになったからだった。
剄息による生活など、基礎訓練の段階では問題ないのだが、剄技について聞かれても、「えーそんな事聞かれても」となってしまう。いや、無論技を聞かれれば、それを説明し、実際にやって見せたりもした。が、すんなり取得出来ればいいのだが、普通はどこかで失敗するものだ。そもそも説明も何も受けず、ただ技を見ただけで再現出来るレイフォンの方が異常なのだ。
金剛剄などはその理屈そのものは簡単なので問題なかったのだが……。そして、どこで煮詰まっているのか分かっても、レイフォンにはどうしてそこで詰まるのかが分からない。
結局これに関しては幼少の頃より体系だった武術を学んできたゴルネオに頭を下げ、参加してもらう事になった。そうなると、シャンテも入り浸り、隊長副隊長がいるという事で第五小隊も参加する事になり……彼らの鍛錬の場は相当に賑やかな事になっていた。ちなみにこの状況を知ったカリアンは全面的に協力してくれていて、協同訓練室と称した広い空間を建築科の実習に組み込んで建設中だ。
カリアン自身としては将来的には小隊全員の協同での訓練も考慮に入れているのだが、現状では第五・第十六・第十七の三小隊合同の訓練にとどまっている。他の小隊の参加は……「何か余程のインパクトがある事態が起きないと無理だろうね」とは反応を調べたカリアンの呟きだった。
……もっとも、その余程の事がそれから間もなく起きる事になるとは誰も予想だにしていなかったが。
さて、レイフォンが最初にはじめたのは基礎からだ。
剄息での生活に始まり、ボールの上での活剄鍛錬、ボールを打ち合う形での衝剄鍛錬。更にはコンビネーションを組んでの一対複数での戦闘の訓練。そんな所から始まった。剄技はいいのか、そう思う者もいるかもしれない。が、まだ互いにどの剄技が誰にどう向いているかなど分からない。そもそも、レイフォンからすると基礎部分がまだ全然出来ていない、という印象だった。
無論、ゴルネオにとっても意義があるから協力している。
何しろ、ゴルネオでもまだ習得しきれていないルッケンスの技をレイフォンは既に一通り習得しているのだ。その全てが『戦場でサヴァリスさんが使ってるのを見て』覚えた、というのには何とも言いがたい気持ちを味わったものだったが。
それでも彼が腐る事がなかったのは、身近に化け物としか言いようのない兄という天剣授受者がいた故だろう。天剣授受者、彼らはどこか突き抜けてしまった存在なのだと、体感していたからだった。
だが、そんな生活も一時中断していた。
都震。
これはこの世界の都市が自律型移動都市である以上、避けられない事態ではある。
多数の巨大な足を持って都市は動く訳だが、数万人の人口を抱える都市とそれを支える生産施設、更にそれらの土台、都市を動かす脚部機構と機関部の全てを合計した重量は当然ながら凄まじい。普通の地盤であればともかく、弱い地盤を持つ地帯へと踏み込んでしまえば、容易に崩落してしまう。結果、足を取られた都市は或いは傾き、或いは直下に落ち、都市全体が激しい震動と衝撃に揺れる事になる。それが都震だ。
そして、ツェルニにも久方ぶりにそれが起きた。
だが、踏み抜いた場所が問題だった。汚染獣である。
「……ツェルニは現状脚の三割を地盤に取られ、身動きが出来ない状態です」
つまりは逃げる事も出来ない状態だという事。戦って生を勝ち取る以外に汚染獣から逃れる術などない。サイレンが鳴り響き、武芸者は或いは錬金鋼整備員に非殺傷設定を解除してもらう為に、戦闘衣を着込む為に走り回り、武芸者でない者は各所に設けられたシェルターへと避難を開始している。
そして、防衛時に指揮官となる小隊員は生徒会棟に集結していた。
「さて、防衛戦の前に……レイフォン君」
わざわざカリアンの横に呼ばれて立っていた新入生にカリアンが顔を向けた事で事情を知る者以外は一体何だ、という視線を向ける。もっともすぐにその疑念は驚きと共に解消される事になったのだが。
「この中で、君だけが実際に汚染獣と戦った経歴がある。今ツェルニを襲っている汚染獣について話して欲しい」
実際、当たり前と言えば当たり前の話だ。
例えば武芸長であるヴァンゼ。彼でも六年間このツェルニでは汚染獣の襲撃はなかった。かといって、故郷の都市でも彼が都市を離れる数年前に一度襲撃があった程度。当然だが、その頃はまだ幼い子供であった彼に汚染獣との戦闘経験がある筈がない。
ゴルネオならばどうかと思ったが、こちらは逆にグレンダンという特殊すぎる都市故に汚染獣との戦いの経験はなかった。はっきり言ってしまえば、有り余る戦力を有するグレンダンでは、余程の才能がある者でもない限り、未熟な者を汚染獣との戦闘に放り込む必要がないのだ。
他の者は言うに及ばない。
そして、それだけに汚染獣との実際の戦闘経験があるというレイフォンに視線が集まる。
「……今現在ツェルニを這い上がりつつある相手は幼生体、と呼ばれるものです」
「幼生体?」
「ええ、その名の通り、殻も柔らかいですし、脱皮するごとに強くなる汚染獣としては最も弱い」
そのレイフォンの言葉にどこかほっとした雰囲気が流れる。
当然だとレイフォンも思う。初めての汚染獣戦などそうなって当然だ。だからこそグレンダンでは未熟な武芸者を或いは救護活動として、或いは見学として汚染獣との戦いを目の当たりにさせる。そうやって実際の汚染獣との戦いを目の当たりにさせ、心構えを作らせるのだが、逆に言えばそれだけ汚染獣との戦いは心身を衰弱させる戦いだと言える。
そういう意味では、複数の雄性体にいきなり襲われるよりは今回はまだマシなのだろう。
「問題といえる点が二つあります」
とはいえ、楽観し過ぎるのも拙い。レイフォンのその言葉で再び緊張が走る。
「一つ目は幼生体は数が多い、という事です。多分今回の相手も数百に昇るでしょう」
「確かに現在確認出来ている段階で千体を超えています」
横から既に念威端子を飛ばしていたフェリが補足する。その数字にどよめきが走る。
「まあ、少ない方ですよ。グレンダンでは万を超える数に囲まれた事もありますし」
何より、それだけの数がいても、脱皮した雄性体数体の方が危険なのだ、と言う。
これは殻の固さに加え飛行能力の取得と云った部分にも原因があるのだが、それを聞いて少し安心した雰囲気が流れる。
「ふむ、ではそちらは何とかなる、と?」
「ええ、幼生体の数百体ぐらいなら何とでもなります。後はもう一つの問題なのですが」
と、レイフォンは雌性体について説明を行う。
「……成る程、つまり幼生体とやらを全滅させてしまうと、より強い汚染獣を呼んでしまう、という訳か」
「ええ、ですから、幼生体を全滅させた場合、最悪でも、その後三十分以内に母体を倒す必要があります」
出来れば余裕を考えて、なるだけ早い方がいい、とレイフォンは言う。それを聞いて、ふむ、と考えるカリアンの隣からヴァンゼが尋ねる。
「母体というのは強いのか?」
「本来、雌性体というのは脱皮するごとに強くなる汚染獣の雄性体が三期を経た後になる形態です」
……という事はそれは相当に強い、そういう事なのではないか?一同の顔に深刻な表情が浮かぶ。
「確かに殻の固さや大きさから多少厄介ではありますが、動きそのものは鈍重です。多数の幼生体を育てる為に体力の相当量を使ってますし、幼生体は生まれる時、母体の腹を食い破って孵化しますから、その怪我も大きいですね」
「ふむ……」
と、唸るヴァンゼの沈黙を待っていたように、今度は何やら確認していたカリアンが深刻な表情を浮かべて続ける。
「問題がある。都市外活動用の戦闘衣が揃っていない」
「……どういう事だ?」
その言葉に真剣な表情でヴァンゼが問いかける。
「先だって、都市外での戦闘も考慮してチェックを開始したのだが、生憎長らく放置されていたらしくてね。破れてないかの総点検の途中だったそうだ」
さすがにそれでは使う気がいささか失せる。誰だって完全ではない都市外装備で出撃したくはない。それこそ命に関わる事だ。
「……一応グレンダンから持ってきた自分のはありますけど…」
おそるおそる、といった様子でレイフォンが手を挙げる。ぱっとそちらへカリアンとヴァンゼが視線を向ける。
「ふむ、レイフォン君一人で母体を倒せるかな?」
「問題ありません。それぐらいなら以前にも」
その言葉に一同ざわめく。ただ、そこにはどこか汚染獣に対する侮りが生まれつつあった。何だ、一人でもどうにかなる相手なのか、と……。無論、ゴルネオは油断していない。レイフォンの台詞が結局の所、グレンダン最強の一角、天剣授受者の観点からの言葉だと知っているからだ。如何にレイフォンが簡単に、と言っても、自分達にとってどうか分からない。何せ、彼は一対一で老生体を相手どるような相手なのだ。それは数がいた所で幼生体など相手にもなるまい。
ここの所の鍛錬でレイフォンの底知れなさを実感した第十六小隊も疑念を捨てていない。
だが、大多数の者にとってはそうではなかったようだ。
「……ならば、レイフォン君。君は都市外装備で待機していてくれ。その上でその母体を念威操者が発見したら突撃して欲しい」
ヴァンゼがそう告げた。
「幼生体はどうしますか?」
「……何時かは戦わねばならない相手だろう。汚染獣は武芸者である以上は、な……ならば、ここで戦っておくのもいいだろう」
反論は上がらない。
一つにはレイフォンの言葉があるだろう。
『幼生体の数百体ぐらいなら何とでもなる』、その言葉と『幼生体は汚染獣の中で最も弱い』。その二つは未熟な武芸者である彼らに知らぬが故の勇気を与えていた。もし、ここでごく一般的な、そして汚染獣と戦った武芸者がいれば、レイフォンのその言葉を否定していただろう、そして普通の武芸者にとって幼生体は決して侮っていい敵ではないと、正にその数故に厄介な敵なのだと語っていただろう。
そして、それ故に――学園都市の武芸者達は幼生体と戦う決意を固めた。
「決まりだね。ではレイフォン君は都市外装備に着替えて待機、母体の位置が判明したら向かってくれ。フェリはすまないが、都市外の探査を頼む。他の者は汚染獣の迎撃準備……ああ、念の為もしどこかの戦線に集中した場合で、レイフォン君がまだ突入していない場合は援護に入ってもらう可能性もある、としておくか」
カリアンがまとめ、ヴァンゼがそれに頷いて、迎撃態勢を整えていく。
こうして、学園都市ツェルニにおける防衛戦は始まった。
『後書き』
こういう理由で汚染獣と戦う事になりました
訓練風景に措いて、もっと詳しく、と思われる方もいるかと思いますが、そちらは汚染獣戦終了後に予定を入れていますので、もうしばらくお待ち下さい
この、レイフォンは全然嘘をついてるつもりはないので、『まあ、幼生体ぐらいなら大丈夫だろう』ぐらいに考えてます
実際本人は言ってる事出来るので……
尚、幼生体の数ですが、原作では982体。ただこれはある程度戦闘が進んだ段階での数字だったので、それまでに倒された数もそれなりにいるだろう、と判断しています
※誤字修正しました、確かに端末ではないですね……あ、一巻で確認すると探査子、とありましたのでこちらに。べへモトはべヒモトでしたね