本部ビルから脱出中のフェイトたち三人。
建物の中腹を過ぎた辺りでスバルたちとの合流を無事に果たし、それぞれのデバイスを受け取っていた。
「なのはさん、レイジングハートお届けにきました!」
「うん。ありがとう、スバル」
日だまりのような微笑みを浮かべ、紅い宝石のデバイスを受け取るなのは。やや頬を上気させたたスバルの態度は、憧れの人の役に立てた嬉しさから故と思いたい。
同じくフェイトもエリオからバルディッシュを受け取っており、その脇でははやてが魔導書に姿を変えたリインフォースを手に取っている。
また、ティアナとキャロは周囲の警戒を怠ってはいない。
「しっかし、予想よりすんなりいってしもたなぁ」
『はい。我々も道中“冥魔”との接触はほとんどありませんでした。例え遭遇しても――』
「愚にもつかんザコばかり、か。……イヤな予感バリバリやわ」
はやてが難しい顔で眉間に皺を刻み、唸る。
本格的に合流を妨害されたら、かなりの時間をロスしたはずだ。彼女らは、ここミッドチルダの守りの要である。行動を制限するのは戦略的にも戦術的にも道理に叶っていた。
“冥王の災厄”以来の“冥魔”の行動には、何かしらの目的意識があったにもかかわらずこの杜撰さ――何かあると邪推してしかるべきだろう。
――そしてそれは、唐突に/必然に訪れた。
「……ッ!」
「な、何事や!?」
「きゃあっ」
前方の外壁が突然の爆発し、粉塵が一同の視界を覆う。
咄嗟に皆の前に飛び出たスバルが、リボルバーナックルの回転機構を作動させ、噴煙のベールを一気に切り裂く。
空間の切れ間――そこには、紅い魔力を迸らせた黒衣の少女の姿があった。
憎しみと絶望に濡れた紅い瞳に、紅いリボンで二つに括った灰白色の長髪。ボロボロの黒い装束に包まれた青白いほど病的な肌は、いっそ悍しい。
西洋人形(ビスクドール)じみた容貌は美しくどこか儚げで。その面差しはまさしくフェイトの生き写し――、否、フェイトそのもの。
「……アリシア」
「「「「っ!?」」」」
ぽつりとした呟きに、なのはたちは乱入者の素性を知り、一斉に瞠目した。
刹那、迸る金色の魔力光。
まばゆいばかりの稲光を伴った輝きが収まって、黒衣に純白の外套を纏った戦乙女が姿を現す。右手に携えた閃光の戦斧が、三日月の刃を形作った。
それに呼応するように、足元に吹き溜まった瘴気から紅緋の大鎌(ジブリール)を引き抜く彼女――アリシアは、目の前の“レプリカ”を鼻でせせら笑う。
「へぇ……今日はしゃんとしてるじゃない。また泣きわめくだけかと思ってた」
「そうだね。もうあんな情けないところは見せないよ」
安い挑発などものともせず、フェイトは至極冷静に答える。それが意外だったのか、不愉快そうにアリシアが表情を歪めた。
ぴんっ、とピアノ線のように張り詰めた空気――
下手に動けば均衡を破りかねず、なのはたちはまんじりともできないでいた。
黄金色と紅緋色の戦鎌をそれぞれ携え、対峙する魔導師と落とし子。まるで鏡写しだ、となのはは固唾を飲んで見守る傍らに、そう思う。
服装や髪の色などが違うだけで、向かい合うフェイトとアリシアの印象は酷似していて。お互いの利き手の差異が、余計にその印象を深めている。
無論それは当然のことであるが、初めてアリシアの全容を見たなのはがそう思うのも無理はない。
「……なのはちゃん」
いつの間にか騎士服(バリアジャケット)を纏っていたらしいはやてが、重たげに口を開く。
「ここはフェイトちゃんに任せて、私らは離れよ。どこもかしこも大混乱やし」
「えっ、はやてちゃん?」
「言いたいことはわかっとる。でもな、私らは私らでやらなあかんことがあんのや」
「で、でも――」
「それに、あのコと向かい合うんはフェイトちゃんには大事なことやって、私にはわかる。せやから邪魔立てはでけへん」
常にない真剣な面持ちで、はやては言う。
こう思うのは、あるいは彼女が“闇の書”に沈んだとき、共に見ていたはずのフェイトの夢(・)を垣間見たからとでもいうのだろうか。
「行きましょう、なのはさん」
「エリオ?」
「僕も同じだからわかるんです。もしも“エリオ”が僕の目の前に現れて、戦わなくちゃいけないとしたら……やっぱり自分の手で、決着をつけたい」
そう、力強く言い切る赤毛の少年騎士は、握り込んだ拳をじっと見つめている。
かつてはフェイトを過度に心配し、指示より優先しようとしたエリオがいの一番に同意の声を上げたことで、他の三人も追従の意思を示した。
「わかったよ、みんな。――レイジングハート!」
『All right』
主の覚悟を汲み、デバイスが応じる。薄い紅――桜色の魔力光が弾け、一対の翼が広がる。
戦装束たる純白と青のバリアジャケットを纏うなのは。紅黒い瘴気を放つ魔女と相対する親友に一度だけ視線を向けて、白の魔導師は飛び立った。
――なのはは、機動六課駐屯地……ヴィヴィオのもとへ。
――はやては、未だ上層階で立ち往生するの人々を救うため。
――スバルたちは、前線で奮闘するギンガらの支援に。
それぞれの目的地へと離れていく色とりどりの魔力光を横目で見、アリシアは皮肉げに口角を歪める。
「……薄情なおともだちね。いま全員でかかれば、わたしを殺せてたでしょうに」
「かもしれない。――でもそれじゃ、あなたの心は救われない」
「!?」
アリシアは、混乱したように瞠目した。いつかの“彼”の言葉が脳裏によぎる。
濁った魂(こころ)を解きほぐす輝かしい太陽(きぼう)の光――だがそれは、今のアリシアにとっての救いではない。
「おまえも……、おまえもあいつとおなじことを言うのかッ!?」
「そうだよ。私も、あなたを救いたいんだ」
動揺を見て取り、フェイトはあえて構えを解いて無防備に隙を晒した。
バルディッシュを抱え、まるで祈るように胸元に両手を当てる。瞳は決して逸らさず、真摯な気持ちで。
悪意と憎悪に立ち向かう勇気をもらった。
抱えきれないほどたくさんの愛をもらった。
明るい未来(あした)を夢見る希望をもらった。
――――後は、挫けず諦めない意思さえあれば、どんな“運命”だってきっと変えられる。乗り越えられる。
「ユーヤに言われたからじゃない、あなたに同情したからでもない。私自身が、あなたを救いたいと思う。
私は、みんなが笑い合える未来が見たいんだ……あなたと、いっしょに」
それはフェイトの偽らざる本心だった。
“母”の呪いすら飲み干して力に変えられる毅さが、今のフェイトにはある。与えられた希望(おくりもの)に、特別な力なんてないけれど――
「それに、母さんは――プレシアはあなたを愛してた。命を……ううん、ほかの全てを犠牲にしてでもあなたを救いたいって願っていた。だから、私は――」
「ッ、おまえが――」
「アリシア……っ!?」
全身から紅黒い瘴気と厄災を振り撒き、アリシアが吼える。
「く、きゃあっ」吹きすさぶ魔力の圧力に、フェイトは吹き飛ばされた。
追い詰められた精神が、理性と言う軛を弾き飛ばす。爆発する感情――、華奢な痩身から汚染された魔力となって解き放たれる。
その余波で崩壊する渡り廊下から、辛くも離脱したフェイトは見た。爆風の中に、禍々しく輝く紅黒い凶光を。
「おまえが――、出来損ないのおまえが、ママを語るなァアアアアアア!!!」
「……!!」
――破壊神に愛された少女と暗黒神に囚われた少女が今、紅く染まった戦禍の空に激突した。
■□■□■□
地上本部ビルを中心とした戦線は現在、膠着状態に陥っていた。
一時は最終防衛ラインギリギリまで押し込まれた人類側だったが、人型機動“箒”BーK(ブルームナイト)や戦車型“箒”ランドバスターの来援により戦況は好転、橋頭堡と思わしき巨大な円錐状の紅い塔――仮称“戦角”――付近まで一気に押し返した。
クラナガン各地より駐屯部隊も次々に集結し、市内各地で避難誘導と平行して必死の抗戦を続けている。
また、飛行する個体に奪われた制空権を取り返すべく首都防空隊を始めとした空戦魔導師や“箒”使いたちが奮戦していた。
「うへーっ、マジしんどいっス……」
押し返した前線より一時後退し、補給――体力・魔力的な意味で――休憩をしていたギンガたち陸士部隊の面々。ウェンディが壁に背中を預けて座り込んでいる。表情からは色濃い疲労がうかがえた。
ウェンディは、開戦当初から数少ない航空戦力として八面六臂に活躍を見せていた。
同じく傍らでうずくまり、体力回復中のディエチもガンナーズブルーム使いで同様だが、彼女はあくまでも狙撃手、狂気的なバケモノとのドッグファイトをしてはいないため、それほど消耗していないようだ。
「隊長、援軍はどうでしょうか? さすがに我々だけでこれ以上の戦闘は危険です」
「あと10分ほどでスバルたちが来てくれるそうよ。それまで持ちこたえましょう」
朗報を伝え、部下たちを元気づけるギンガ。来援する援軍の実力を知っているチンクの表情は、いくらか明るくなった。
と、そのとき――
ズズンッ、と轟音が辺りに響き渡る。
後方に聳える本部ビルの一角で、紅黒い爆炎が膨れ上がった。
「!?」
「何事だ!」
ギンガたちだけではなく、本部の防衛に回っていた全ての人員が一瞬、硬直した。
突如、紅黒の魔力光が溢れる。
薄暗い辺りを真っ白に照らし出すほど強烈な閃光が輝き、射線上に巻き込まれた航空部隊が大小の火球に変わった。
そして爆煙の中から、何かがゆっくりと降下する。
――それは、ヒトの形をしていた。
「……おや? おもしろいモノがあるじゃないか」
頭上から降ってくるやや低めのボーイソプラノ。
怖気がするほど血みどろの瞳、透けるほど白い髪と肌。造形こそ美しいが、人形じみていて恐怖すら覚える。
ブレザー姿のソレが撒き散らす吐き気を催すほどドス黒く邪悪な魔力――、大気が、漂う魔力素がみるみるうちに侵蝕され、汚染されていく。
「……なっ!?」
生理的嫌悪を伴う圧倒的なプレッシャー。暴力的なそれにさらされて、ギンガは思わず膝を突いた。
辺りには、気を失うものすらいる。
――勝てない……。
一瞬で理解した。
コレ(・・)と比べれば、自分など塵以下の存在であると。
その気配は例えるなら暗黒の宇宙――光も闇も関係なく際限なく飲み込んで無に帰す、外なる世界の大いなる冒涜的な狂気そのもの。生命を育む母なる宇宙たる無限光と対極に位置するあらゆる命の天敵は、上空に浮かんだまま彼らを見下した。
「――戦闘機人タイプゼロ・ファーストに、“無限の(アンリミテッド・)欲望(デザイア)”製の戦闘機人(ナンバーズ)……、なるほど、キミたちはいい舞台装置になりそうだね」
「「っ!?」」
見も知らぬ少年に自らの正体を言い当てられ、目に見えて動揺する一同。特にギンガの動揺は甚だしい。
チンクたちナンバーズはともかく、ギンガの――正確には姉妹の――抱えた秘密を知るものはごく僅か。父、ゲンヤ・ナカジマと定期検診(メンテナンス)の担当官、それにティアナ、はやて、攸夜と一握りの高官のみだ。
攸夜がその情報を掴んでからは最高評議会主導の元、完全な統制下に置かれているはずだった。
「フフフ」
舐めるような嫌らしい視線でギンガたちを見、少年が嘯く。
「それぞれにいい“闇”を心に飼っているね。益々もって好都合だ」
「っく、ナメやがって!」
「止めろノーヴェ、迂闊に突っ込むな!」
チンクの制止を振り切って、いきり立ったノーヴェが飛び出した。両手両足のタービンが唸りを上げる。
少年はなおも挑発的な笑みを浮かべ、一同を見下ろすだけ。
「隊長!」
「わかってるわ。行くわよ、ディエチ、ウェンディ!」
「……了解」
「ったく、手の掛かるおねーちゃんっスね!」
馬鹿正直に突撃する赤毛の少女を追いかけ、姉妹が続く。
鋼の乙女たちは、絶望的な悪意の源に立ち向かう――――