7歳秋、後編
家に帰ると、もう夜にもなろうかといった時間だった。
夕日は沈みかけ、遥か彼方にも思える距離に見える山肌の稜線に日が沈んでいくのを横目に、狼の亡骸を背負ってとぼとぼと歩き、家に着くと玄関の木戸を叩く力も残っておらず、木戸にもたれかかるように倒れる。
私の足に幾度もかじりついてきた子狼達は、いつしか私を噛むことを止め、私の歩く後をついてきていた。
私の横に横たわった狼の亡骸に子狼は近寄り、その腹側の部分の匂いをスンスンと嗅いでいた。
さきほど噛まれていた感触からするに、そろそろ乳を飲むのを止める頃ではないかと、もたれていた木戸から体を離して座り込み、その様子を見ながらぼんやりする頭で考えていた
その時、唐突に木戸が勢いよく開けられた。
基本的に玄関というものは外開きである、内側にあける玄関というのはあまり見かけない。
その理由としては、客を迎える場所ということ。迎え入れるところだからというのがディアリスにおいて一般的な常識らしき回答である。
内開きだと、迎え入れる気分にならないらしい。よくわからないが
それもまたディアリスの民の感性であるからしてこの際関係ないのであるが、仮にその感性に何かしらの文句をつけるというならば、今は昔の前世と比べても致し方ないものだという事も含めた上でこう言おう。
『文化がちが~う』 by 某ヒス○リエのセリフより抜粋
さて、木戸から程近い場所に座り込んでいた私と、勢い良く開けられた木戸
ここから導き出される答えは一つしかありえない。まさに喜劇のようなそれは、いつだって降りかかる危険性を孕みながらも、自分に起こなければ笑える話であるが、どうやら今日の私はひどく運が無いらしい。
それはもう予定調和の如く、ウニが刺さって未だジクジクと痛む後ろ頭に激突した。
「うひゃぁ!何してるのそんなところで?」
ガツーンと快音響き渡り、後ろ頭を抑えてうんうん唸る私に呼びかけたのは姉のノエルだ。
「こんな時間までなにしてたのよ?ほんとにもう」
と、最近10歳の誕生日を向かえた姉は言うが、彼女との会話は私からしてみれば大人ぶりたい子供の背伸びのような話し方であり、ほほえましいと言っても過言ではない
状況が状況で無ければ。
このなんともいえない心の澱を、木戸を半分開けた状態で語りかけてくる少女に喚き散らすことで解消したい気持ちになりかけるが
落ち着け、be cool だ、ノルエン。相手は少女、10歳の少女だ。大人になるのだ自分、がんばれ!がんばれ!やればできるって!熱くなれよ!・・・・おっと熱くなってどうする。おちつけーおちつけーおちつけー・・・・ファイト!私!あたまがいたいぞー、うしろあたまがジクジクするぞー、でも彼女は悪気があってしたわけじゃないとおもえー、そうだ。おちつけ、いたくてもおちつけ、おとこのこだもんな!
落ち着こう落ち着こうとこちらはがんばっているのに、彼女はぐいぐいと木戸を押し、外にでてこようとしてくる。
出たいのはわかったから、ずりずりと尻で少し歩き彼女が出たところ
「わっ!なにこれ!?おっきい!あっ!かわいい!おいでおいでーほらほらこっちだよー」
と、狼の亡骸に驚き、子狼を見つけて手を伸ばそうとするが
「危ないから手を伸ばしちゃだめだよ」
と、彼女の行動を窘めた。
野生といっても過言ではない子狼達は、木戸に頭をぶつけた音で当初はビクッと飛び上がるが如く驚き、瞬間唖然とした雰囲気をしていたがそれでも亡骸から遠ざかろうとはせず、手を伸ばしてきた姉に向かって低く体勢を構えていた。
何度も噛み付かれていたのでわかるが、未だ彼らの噛み付きにそれほどの威力は無いと言える。
が、指などの先端を噛まれてしまえば下手すると噛み千切られる可能性も無いとは言い切れない。私は足を噛まれていたが、それでも太ももの辺りは真っ青に鬱血しているし、アキレス腱を噛まれた時は流石に叫んで膝をついたほどだ。
狼の唾液には多少の毒成分が含まれている話をどこかで聞いた覚えがある気がする。
うろ覚えだが。
それでも手を伸ばそうとする彼女に
「ちょっと父さんか爺ちゃん呼んで」
と、頼みごとをすると
「うん、わかったー」
子狼を見てその場から離れがたい気持ちがあったかに見えた姉は、私と子狼を交互に見て、そう言った後に家の中に入っていった。
「おとうさーん、ノルがなんかかわいいのとでっかいのもってきたー!」
「んー?なんだなんだ?お父さんはもうきもちよくなっちゃってるぞー!ノエルはいつでもかわいいなー」
「やだーもーおとうさん、ノエルがかわいいのはあたりまえでしょー?私の子なんだからー」
「俺の娘だしな!」
『わっはっはっは』
・・・随分お酒が進んでいるようだ。
今日明日は村全体の祭りの日でもあるので、日が沈むまで酒を飲み、明日は広場で酒を飲む。
どちらにせよ酒を飲むわけだ。大人は
子供も、祭りなどの特別な日に振舞われる肉やら珍しい食べ物やらを大いに食べて楽しめる。
座り込んで多少なりとも体力を回復させた私は、これで最後だともう一度狼の亡骸を背負い、木戸を開けて家に入った。
「おおーノル、どこにいってたんだ?おそかったな。おかえr・・・・なんだそれは?」
文章にして書くと普通に聞こえるかもしれないが、父のセリフの実際は
『おぉぅのりゅ、どこにいってたんわ?おしょかったにゃーおかえ・・・・なんにゃそれは?』
呂律が全くもって回っていなかった。ドンだけ飲んだんだよと突っ込みをいれるべきかいれずに放置するべきか迷う。こうなっては使えない親であると言わざるをえない。
まさにダメ親父であった。
「おーノルエン。こりゃまたでかい・・・なんじゃ?狼かの?この辺にそんな狼いたっけかな?婆さんや?」
祖父はまだ会話は普通にできることに、何かに感謝した。
私は転生?を体験していることもあり、オカルトは信じているが神は信じていない。神に感謝する祭りが開かれているにも関わらず冷めた子供である。
「おじいさん、私に聞かれてもわからないよ。猟師のギダーでも呼んできたほうがいいんじゃないかい?」
「ギダーは一昨年病気で死んだじゃろ、今は息子の・・・名前なんだったかな?アレだ、ギー・・・ギー・・・ギモルだったかの?」
「ギムリですよ。・・・あら?なにかしらこのかわいらしいのは?」
訂正、祖父も祖母もダメだったようだ。記憶力的な意味で
そして母、あなたは飲んでいなかったらしい。流石です
「それでその後ろのでっかいのは・・・この子達の親かねぇ?」
ブタの足。すなわち豚足をブラブラと子狼達の前にかざし、戦闘態勢らしき格好を構えている子狼を弄び・・・牽制?しながら尋ねてきた母。
どうでもいいけどもうちょっと警戒心とか色々わきませんか?母よ
「林で木の実拾っていたら、灰色ハイエナに襲われてた。僕もその場にでくわしちゃったんだけど、その子らの親が追い払ってくれたんだ。死んじゃってるけど」
「あらま、林に入っちゃいけませんって言ってなかったかな?」
えー・・・問題にすべきはそっちですか?
「いや、林の外周だよ!外周!鬼カウイとウニを拾ってたんだ!ほら!証拠!」
そういってカバンの中身を取り出してカバンの上に置いた
その時!子狼の1匹は、母の翳した豚足に噛み付いた!
そのまま唸りながら噛み付・・・噛み付いたは良いがおいしかったようだ。
母が手にもったそれを、子狼の1匹が首を振り奪い取ると、貪るように食べ始めた。
もう1匹の子狼も、ガツガツと食べている子狼に近づき、匂いを嗅ぐと同じように食べ始める。
それを祖父母は好々爺とした笑みを浮かべ眺め、姉も楽しそうに見詰め、父は酒を飲んでいた。
「んふふー悪いことした子にはお仕置きしないとね」
なんということだ、説得は通用しなかったらしい。
私の冒険はここで終わってしまった。
そうして母の平手が私の後ろ頭をスパーンと叩いた。
それはもう痛かった。本日3度目の後頭部への衝撃である。
何度頭が痛くなればいいのだ。今日に限って。精神的な意味でも暴力的な意味でも
「もう、だめよ?林に行きたいときは、私か誰かに頼みなさ・・・あれ?血?」
母の翳すその手には、少し血が滲んでいた。
まさかと思いながら右手で後頭部を撫でて、その右手を自分で見てみると
そこにも血がついていた。わぁ、私の頭の強度はあまり高くなかったらしい。
新事実発見!そんな事を思っていると、母がおもむろに私の頭を両手で掴み、上から覗き込もうとしていた。
「ちょ!痛い!いたいよ」
「ノル、じっとしてなさい!」
そういって母は、私の後頭部を眺める。そして
「ノエル、水汲んできて!ノード、薬草持ってきて!」
「んー?母さん。もう1杯お酒がほしいなぁ」
「あーもう使えない酔っ払いめー!」
酔っ払いが、何か益する行為をできると思っていることが間違っている。
ちなみにノードは父の名前である。
普段ならともかく、アレはもうダメ親父であるなぁ。と、手のひらについた血を見たことで現実逃避をする私。
動き出す姉と、「それじゃあ私がとってこようかね」と、動く祖母。
喧騒に包まれ始めた我が家と、豚足を貪る子狼。
その日の夜は、そんな具合に更けていった。