9歳の秋 2
近頃ムムルさんのつわりがひどいらしいという話を、母と祖母が話しているのを聞いた。
だからなんだというわけではないが、お見舞いにギムリ宅を訪れてみようと思ったのである。
ウォルフとウィフに朝ごはんを与え、ついでに釣った魚をおみやげにギムリ宅を訪れると、迎えてくれたのはやや頬がこけたように見えるムムルであった。
「ご飯食べてる?」と聞くと
「最近あまり食べたくないの。食べても吐いちゃうし」と言うので
何か食べたくなるものを作ってみよう。ということになった
基本的にディアリスでよく食べられるものは小麦である。
これを粉にして焼き上げたものが主食なのだが、前世の言う所の中が白くフワフワに焼きあがったパンではなく、ただ小麦に水を混ぜたものを適当に焼き上げた物であり、全体的にグルテンのモッタリ感と微妙な歯ごたえが特徴だ。
小麦だけのパン というものは、基本的にそれほどおいしくはない。
小麦の粉に何を加えて焼き上げるのか?といったことが、小麦食品の味を決めるのである。
勿論、イースト等を加えたものは別として。
さて、つわりの奥さんに何を食べさせるか が問題だ。
最近、食事が億劫で仕方が無いというムムルさんは、食事のほとんどを果物で採っているという話だった。
ギムリ邸にある食べ物といえば、サーパとムフィルという無花果に似た果物。それと小麦の粉と、先ほど持ってきた魚。先日ギムリが狩猟してきたヘンネルが玄関入り口に吊るしてあった。カブに似た根菜のロギと、ムジカという芋。
ムジカは芋と呼んでいいのか謎であるが、あえて言うなら毒の無いキャッサバと言えばいいのだろうか?そんな芋である。
調味料は、先日各家庭に回るほど大量に輸入された塩の塊くらいしかない。
難問である。
そもそもつわりの女性に食べさせる食事のレシピなんていうものは知る由も無い。
子育ての経験はあるが、前世の元妻のつわりはそれほどひどくも無かったので、その期間の私は働いていた記憶しかない。
一生懸命働いて、妻と生まれる子供の為に汗水垂らしていたのだが、結局別れることに・・・おっと思考が逸れた。
女性が喜ぶものである。
喜ぶもの・・・喜ぶもの・・・と考えていた所で、ひとつ思いついたものがあった。
所謂甘いものである。
なぜか女性は甘いものが好きだった、それは元妻も変わることが無く、仕事から帰るとどこぞのケーキ屋の箱がゴミ箱に捨てられているのを見て、私の分は無いのか?と、微妙に物悲しくなったのを覚えているほどには、よく見られた光景であった。
甘いものは別腹だとか、食べても食べてもまだ食べたいとか、様々な謂れがあるものであるが、女性は甘いものなら食べるだろう。というのは、あながち偏見ではあるまい。
さて、問題はどうやって甘いものを調達するかである。
ウージの種ならば、今でもそれなりの甘さを残しているであろうが、夏の間にそのほとんどは狩りつくされ、むしろ私達も狩りつくすほどの勢いでウージの種を毎日食べていたので残っているかどうか疑わしい。
花の蜜を集める・・・無理、ハイビスカスでもその辺に生えていればその花を摘み取ってチューチュー吸えば事足りるが、生えてない上に時期が違う。
ハチミツを採取することも考えてみるが、私はハチの巣がどこにあるか知らない。
あれこれと悩んだ挙句、とりあえずムジカを摩り下ろしてデンプン質を取り出してみることにした。
糖分というものは、基本的にデンプンから作られる。麦芽糖も大麦のデンプン質を変質させて出来上がるものなのだから、ムジカ芋に含まれるデンプンを取り出してみてから考えようという行き当たりばったりの策である。
石にこすり付けて摩り下ろしたムジカを麻布に纏め、底の浅めになったボール場の壷に水を張ってその中に沈める。
水に漬けた麻布の中のムジカをグニグニと揉み解し、何度か上澄みを捨てるのを繰り返すと、壷の底に溜まり始めるものがある。それがデンプンだ。
気分はジャガイモのデンプン沈殿実験である。なかなかに楽しい
上澄み液が、濁らなくなったら完成である。
ジャガイモ繋がりで、前世の祖母がジャガイモのデンプンと大根の汁を使って水あめを作ってくれたことがあったことを思い出した。
ムジカから取り出したデンプンで、水あめを作ることは出来るのだろうか?といった懸念も浮かんだが、なんでもやってみることだろう。失敗したらその時はその時で、別のものを考えれば良いのだ。
私がいそいそと作業をしているのをムムルが見詰めていたが、失敗したらごめんなさいである。
デンプンの入った壷に、適当に水を入れて火にかける。
多少水が多かろうが、蒸発させれば良いことなので本当に適当だ。
火にかけながら、木の棒で適当にかき混ぜていると、熱が伝わってきたのか白濁としていた壷の中の水が透明な色に変わった。そのまま暫く火にかけて、液体が糊状にドロドロとしてくるまで煮詰める。
ロギをでかいドングリの器の中で摩り下ろし、それを絞って液体にする。
大根やカブに含まれるアミラーゼとかジアスターデとかそんな感じの成分が、デンプンを糖分に変換するとかそんな感じの理由であったと思うが、ぶっちゃけそんな知識うろ覚えである。
前世の祖母は大根やカブなら出来るとか言ってた覚えがあるので、きっとロギでも出来るに違いない。と、思いたい。
煮詰めてトロトロとしてきたデンプン液の入った壷を火から降ろし、先ほど絞った大根の汁を別の壷に入れて火にかける。
人肌程度に温まったらロギ液の入った壷を降ろし、デンプン汁が程よく冷めたのを確かめてからロギ液を加えてかき混ぜる。
デンプンを糖分に変換させるのは、温度がある程度高いほうが望ましいのであるが、ディアリスに保温機などという高尚なものは無いので、火の消えた竈に壷を置いておけば余熱で温まることだろう。たぶん
勿論醸されては困るので、適当に蓋をしておいて。
淀みなく作業を一旦終了させた私にムムルが「何を作ってるの?」と聞いてきたが
私にも謎である。いや、水あめらしきものを作ってみようという試みなのであるが
答えに窮しながら腕を組んで首をひねる私に、ムムルの顔は若干引きつっていた。
さて、ムジカのデンプンはしばらくそのままで置いておくとして、ムムルに何かツマミでも作るべきだろう。
何か無いかな?とゴソゴソとギムリ宅の台所や倉庫を探していると、珍しいものを見つけた。いや、この場合珍しいというのだろうか?
群島出身ということで、海の近くで育ったであろうと思われるムムルさんならではなのかどうか知らないが、乾燥昆布を発見した。
勿論であるが、普段昆布と言っているようなものではなく、カジメのような形状をした昆布の仲間の種類だろうと思われる物体である。
カラカラに乾燥しているはたきのような形をした昆布である。養殖に向かないので、作られることは少ない。
乾燥したソレを適当な量に分けた後、手で裂いて小さくしてゆき、薬調合のときに使う石の器と手作りの擂粉木で細かく潰していく。
その様子を見ていたムムルさんは「あー・・・うーあー」とか言いながら、細かくなっていく乾燥昆布を見詰めていた。
大切にとっておいたものなのかもしれない。ごめんなさいである
粉末状になった昆布を用意しておいて、ナイフでロギを適当に薄く切る。
塩の塊を削ってそれも擂粉木で潰してこまかくし、薄くきったロギに塩と昆布粉を刷り込んでムムルに出しておいた。
簡易カブの浅漬けだ。カブではなくロギだが、もうどっちでも構わない。
ちょっと塩がきついかもしれないが、あっさりと食べられると思う。
残ったロギは薄く切ってドングリの器に入れ、塩と昆布粉を入れてひたひたになる程度の水を入れた後小さな蓋を上に置き、その上から少し重めの石を載せる。
漬物を作ってみるのだ。
人様の家で勝手に材料を使って作るとは何事であろうか?と、やり終えた後に今更ながら思ったのではあるが、思いついてしまったのだから仕方が無い。
パリパリと先ほど出したロギの浅漬けを食べて、微妙に塩辛いとムムルが言うので、粉末昆布で昆布茶を作って出してみた。
塩の香りは兎も角、磯の香りは楽しめる一品である。塩辛さが残る舌を、昆布茶で流すのだ。
塩味が残っていれば、昆布茶の味も引き立つ・・・はずである。
とりあえず暫くはやることが無いので、ムムルと二人でロギの漬物をポリポリと食べながら昆布茶を飲む。
感想を聞くと、昆布茶の磯の香りは故郷を思い出すとか。
「落ち着くわぁ」と言いながら昆布茶をすするムムルさんは、故郷を思い出しているのか若干伏し目がちであった。
ウォルフとウィフは、私が作業をしている間は構ってほしいと来ることは少ないのであるが、何もして無いと見ると寄ってきて私の着ている服を咥えてクイクイと引っ張ることはよくある。
最近力が強くなってきたので、彼らがクイっと引っ張っただけで体ごともっていかれてしまうことは良くあるのだが、今回は状況がまずかった。
秋とはいえ、いまだ日差しはそれなりに暖かいその日、私は上半身裸であった。
夏の間に日焼けした私の肌は真っ黒である。
さて、上半身裸の私の服で引っ張る部分といえば?しかも私は丸椅子に座っている状況で。
答えは腰巻布。
背もたれも無い丸椅子に座った私の腰巻布をグイーと引っ張られたらどうなるだろうか?
そう。椅子からずり落ちる。
そして私は尾てい骨を強打した。
ムムルさんと話すことに意識が集中していた上に、唐突に引っ張られて土間床に尾てい骨を打ちつけた私は、逆エビ反りになりながら「ホワァァァァァ!?」と、叫んだ
経験した人にしか判らない痛さというものがあるのならば、男の金的の次に小指をタンスに打ち付けるのが来る。そして次はきっと尾てい骨の強打であろうと私は思う。
女性の出産の痛みとかは、私は男であるので除外だ。
尻を両手で押さえながらウーウーと唸り転がっている私を見て、ムムルさんが爆笑していた。
いや、元気が出たならいいんですけど、助けてくれつっても助けようが無いのも分かるのでいいのですが、一応でもなんでも「大丈夫?」とか言って手を差し伸べてくれはしないのですかムムルさああああああああああああああん
打ち付けた尾てい骨の痛さに混乱した思考で、そんなことを考えた。
じくじくと痛みは継続しているが、我慢できなくは無い程度に収まったので、何事も無かったの如く椅子に座りなおしたのち、引っ張ってくれたウォルフの顔を掴んでグニグニと弄る。
分かっているのかいないのか、それでも構うのを嬉しそうに尻尾をふるウォルフに、ささやかな恨みも浮かんだものだが、ケンカしたら勝てないのはどう考えても明らかであるので、目の上の毛を逆立てて眉毛のように見える罰とも言えない罰を与えておいた。
そして、私が転がっているのを困惑するようにウロウロとしながら見詰めていたウィフは、手で毛を梳いてやる。
秋になって肉付きが良くなってきた2匹の狼は、毛艶もよろしいので梳いてやると綺麗に見えるのだ。私の見立てではだが。
ムムルはウォルフを触っており「足がでかい」とか「胸が逞しい」等とご満悦であった。
日が暮れかける頃になってギムリが帰ってくると、私を見たギムリは嬉しそうに笑いそのヒゲをジョリジョリとこすり付けてきた。
私はいいから生まれる子供にやってあげて欲しいものである。半年以上先のことだと思うが
一度家に帰って夕食を済ませ、先日ウォルフとウィフが狩りをしたヘンネルを担いでギムリ宅に戻る。
そろそろデンプンが糖に変換されているはずであった。
ギムリ宅に着くとまだ夕食の途中だったようだが、お構い無しに上がって未だ火が燻っている竈に火を焚きなおし、ムジカのデンプンの入った壷を火にかける。
ついでにもってきたヘンネルも、すでに毛皮を剥いだりの処理は済ませているので竈の火に当てて適当に焼く。これはウォルフとウィフのおやつだ。
デンプン汁をトロトロになるまで煮詰めると、かき混ぜている棒にまとわりつくようになってきたので、火の勢いを弱くなるように調節し、トロ火で焦げないようにかき混ぜる。
棒でかき混ぜにくくなったのを見て、火から降ろす。
これがジャガイモ式水あめ作成法である。勿論デンプンをムジカから用意した上に、使った食材もロギで本当に出来上がるのかどうか半信半疑ではあったのだが、煮詰めながら粘性を帯びてきた時は思わず「おぉぉぉ」と唸ってしまった。
むしろムジカからのデンプンで出来るのか?とかロギの汁にアミラーゼとか含まれているのか?とか微妙な疑問は持っていたわけなのであるが、出来たものは出来たので仕方が無い。
出来上がったことを喜ぶべきだろう。この場合
土間の上に壷を降ろし、竈の火を強くしてヘンネルの肉をあぶってウォルフ達に与えた後、触れる程度に冷えた壷を抱えてギムリとムムルが座るテーブルに向かった。
粘性が高いために熱の発散量は少なく、火から降ろしたといっても結構熱いのであるが、やはり食欲は薄いのか余り食べていないムムルに、サーパの皮を剥いた上に水あめをかけた物を出した。
若干焦げたというべきか、黄金色に輝くどろりとした透明な液体がかけられたそれを見て、出されたムムルは勿論ギムリは不思議なものを見るような目で見つめていたが、煮詰めていたときから漂う甘い香りのソレがたっぷりとかかったそれを、彼らの前で一掴みして口の中に入れる。
若干ロギの汁の味わいも感じる水あめだが、糖分が凝縮されたそれは口の中でトロリと残り、続いてサーパの酸味がロギの風味をなぎ倒すような鮮烈な香りが口の中に広がる。
サーパをかみ締めると、口の中の水あめと合わさって甘いジュースのようになり、喉に感じる清涼感が気持ちよい。
サーパの酸味で唾が出るので、飲み込むのも問題は無い。あえていうなれば、若干水あめが焦げた匂いを感じなくも無いといった所であるが、私は味王様ではないので十分な及第点である。
私が飲み込んだのを見て手を出したムムルは、ソレを口に含むと「あら?おいし」と言って、水あめのかかったサーパを次々と食べていった。
私としては大満足な結果である。
結局ギムリ宅に残っていた4つのサーパを、ムムルさんはすべて平らげた。
私とギムリも少しは食べたが、精々私とギムリで1個分のサーパを食べたくらいなので、ムムルは3つのサーパを食べたことになる。
これで安心。とは言い切れないが、食欲が戻ってきたなら大丈夫だろう。
しっかりと食べていたムムルを見て、何かに感激したギムリに抱擁された。
ギリギリと私の体を包むギムリの体臭と力に、若干サバ折り気味であった体制も合わさって、私は気絶した。
次の日起きたら、ギムリとムムルに挟まれて眠っていたのである。
そんな秋の日の一日
あとがき
ムジカのデンプンとロギの汁からのアミラーゼで水あめができるのか?とかいうツッコミは勘弁してくださいw
ジャガイモとか便利アイテムを唐突に登場させるのもなんだかなぁ?とかそういう苦肉の策?で誕生した話です
でもそれをいったらムジカとかロギとかも十分唐突な登場じゃねーかwww