7歳の夏
やっとというべきだろうか、日常会話を無難にこなせるほど会話をすることができるようになっていた。
一度感覚をつかむと、あとは同じことの繰り返しであるとはよく言ったもので、質問をするということを覚えた私は、家族を辟易とさせるほどに質問を繰り返し、語彙を増やし、さらに質問を繰り返すといった行動を経て、気がつくと奇異な目で家族や村人から見られるというなんとも悲しいやら切ないやらの心境を味わっている。
7歳児にしては頭の回転が良すぎるとか、何を考えているのかわからないとか、落ち着きがありすぎるとか。
別にそれがどうしたと思わなくもないわけではあるが、ディアリスというコミュニティの中にあって異端ぎみに捉えられているというのは、ある意味で問題になるのではないかと最近になって自重することを考えざるをえないわけであるが
ぶっちゃけると、同年代や少し年上程度の子供たちから絶賛ハブられ中である。
特に思うところがあるわけでもないし、彼らと会話していても何が面白いというわけでもない。
家族や他の住人とすれ違えば、普通に挨拶もこなすのだが何がいけなかったのだろうと一人悩む日々である。
この地方においての風習なのかは良くわからないが、ディアリスにおいては14歳で成人として認められ、家を持つことや結婚をすることが認められるわけであるが、それまでは子供内でのコミュニティが子供たちにとっての世界といっても過言ではない。
子供たちは子供たちで集まり、その中で年齢準拠ではあるが上下関係や、生きるための知恵、協調性等を彼らは集まり遊びながら学び、そして成人したら成人した人たちのコミュニティに加わるといったステップアップをしていくのであるが、私ときたら彼らと遊ぶこともせず、村の中をウロウロと一人で巡り、あっちで作業を眺めては、こっちで川釣りをして、そっちで木の実を拾ったり、どこかで昼寝していたりと自由気ままに行動をしていたせいで、同年代の彼らの名前は知っているが、その程度である。
大体、3~5歳くらいで他の子たちと遊び始め、それを年上の子達が見守りつつ一緒に遊び、色々な遊びや彼らのコミュニティにおいての掟のようなものを教えたりといったことで、様々な事を覚えていくのが普通のようだということは分かるのだが、彼らの知ることのできる範囲での様々な話等は、すでに知っているので特に必要性を感じない今となっては、彼らのコミュニティに加わりにいくのも気恥ずかしいというかなんというか。
いっそ彼らの側から異端を排除する的な心持で喧嘩を売ってきてくれたりすれば、それなりに接点やらなんやら殴り愛やら生まれないものかと思わないこともないのであるが、実際のところそんな気配もない。
なにかそのうちフラグでもあるだろうと放置しつつ、一人遊びがお上手ね!といった具合で過ごしているわけである。