8歳の冬 4
よく晴れたその日、今にも消えてしまいそうなほど薄い雲が青空にいつ溶け消えてしまってもおかしく無いように思えるそんな空に、薄い煙が立ち上る様を焚き火をしながら見詰める。
やがて煙は空に溶けるように消え、青空に何かを残すようなことも無い。
現代社会では環境問題とか二酸化炭素の増大によるなんらかの被害だとか様々な問題が取り立たされているが、私がいるこの世界。地球なのかそれとも地球ですらないのかわからないこの場所でも、いつかそういう問題を抱えるような事態になるのだろうか?と、今考えても埒もないことを思う。
数百年後になればそういうことを気にし始める者も現れるだろうが、その時私は生きていないだろう、確実に。
ああ、哲学ってこういうことなのかな?
そんなことを考えていたら隣から少女等の笑い声が聞こえてきた。
先日持ち帰ったヘンネルの毛皮を持って母と祖母はアエーシアさんの布工房に出かけた。家には無い道具が布工房にはあって、そこで加工して父と祖父に手袋を作るのだと意気込んで出かけていった。父と祖父はシアリィ工房にお手伝いに行っている。恐らく手伝いながら飲んでいることだろう。
従って家に居るのは私とノエルと狼達だけだった。
薪割りも終わり、狼達にもエサを与えて手持ち無沙汰だった私は、焚き木と割った薪を使用して焚き火をして暖をとっていた所、トニとメルが遊びに、それに付き添いのメリスが来たので、焚き火に当てていたお茶?を振舞い、丸太を適当な大きさに切った椅子に腰掛けながらゆったりしていると、ノエルも現れたのでメリスの相手を姉に任せて焚き火の面倒をみながら、埒も無い事を考えていたのである。
トニとメルはウォルフとウィフに抱きついてモフモフしている。
ウォルフとウィフは普段ならその毛皮は冬の外気にさらされてそこそこの冷たさなのだが、私と同じように焚き火にあたっていたのでほんのりと暖かく、トニとメルはその暖かさが気に入ったのか全身で抱きつくようにその毛皮に顔を埋めている。
気持ちはわかる。獣の匂いは確かに感じるのだが、マフっとした毛皮の感触を顔で感じたり、触ることで感じる生命の鼓動は、なぜか落ち着くものなのだ。
ノエルとメリスの会話は、○○のという女の子が○○を好きらしい等のゴシップのような話題に花が咲き、私にとってはどうでもよいような話が勝手に聞こえてくるのをBGMに、お茶?を啜りながら聞いていない振りをして焚き火に小枝をつっこんだ。
いつどこの場所、時代においても、この年代の少女達は男の子達に比べて幾分マセているものなんだなあと思いながら、嬉し恥ずかし恋話をキャイキャイと語る彼女らに生温い目で見守っていた時、彼らはやってきた。
遠目で見て3人。誰だろうかと眺めれば先頭にいたのはガトで、後ろに居るのはドランとマイルという少年だろうと、ファーガスに聞いた情報から憶測した。
彼らは焚き火をしているわたし達の近くに来ると、ヘラヘラした顔で私達。特に私を見ながら「ちょっとつきあえよ」とガトが言った。
「姉ちゃんメリス、狼達つれて家の中に、トニとメルも一緒にね」
そう言いながら焚き火に足で土を掛け、それで火は消えなかったが幾分弱めてからニヤつく彼らに対峙した。
姉やメリスは気になるようで迷っていたが、手で追い払うようにシッシッと振るうと何度か私を伺うように振り返りながらだが素直に家に向かった。もちろん狼達とトニとメルを連れて。
「それで、何か用?」と、3人の中で偉そうに真ん中に立っているガトに問いかける
「ああ、ファーガスに聞いているんじゃないのか?狼達をよこせ、あれは今後俺達が飼うからよ」
私と彼らの身長差は約30cm。見下すように、実際背が低いから見下されるのは仕方が無いが、語ってくるガトに苛立ちが高まった。
「聞いてるけど、あげるわけがないじゃないか。それともそんな言う事聞くと思ってるの?」
「そうか、それなら無理やり言う事聞かすだけだな」
そう言うとガトはズイっと前に出て私の顔をフック気味に殴った。
ガツっと私の頭と耳に衝撃が伝わり、たたらを踏むように体が泳ぐ。
身長差30cmの相手とのケンカはどう考えても私に勝ち目は無いが、殴られて一気に激高した私は、右手を振り切った体制でニヤけているガトの金的に前蹴りを返した。
やられたことがある人は判るかもしれないが、金的は鍛えようが無い急所である。男的な意味で。金的を蹴られると、よくわからない嘔吐感と激しい痛みに前屈姿勢をとらざるを得ない。
屈んで前のめりになったガトの顔が私の手の届く位置に下りてきたので、掌底を顎を狙ってフック気味に叩き込む。
顎を打った衝撃からか、そのままグラリと横倒しになったガトの服の襟元を左手で掴み、グイと仰向けにして胸に左足の膝を乗せ、残った右手で顔面を2度3度と殴った。
あっさりと倒されたガトの様子にあっけに取られていた後の2人だったが、ガトが倒れて殴られているのを見て、私に襲い掛かってきた。
ガトを殴ることに集中していた私は彼らに反応するのが遅れ、ガトの服を掴んでいた左手を剥ぎ取られて抑えられている隙にもう一人に顔面に蹴りを貰い倒れる。
鼻の奥にツーンとしたものを感じ、鼻血がドロッと出てくるのを感じたが、ぬぐって起き上がろうとしたところでガト以外の2人に蹴られ、後はもう何も言うこともないほど蹴られた。
起き上がってきたガトも参加し、しばらく蹴られた後に倒れこんでいる私の襟元を掴んで起き上がらせたガトは、顔を近づけて
「おい、こんな目にもう一度あいたくなかったら、明日狼を俺達の所に連れて来い」
と言ってきたので、その顔を右手で張り飛ばした
掴んでいた手を離したガトは、その後何度か私を蹴ると
「ドラン、マイル、行くぞ」
そういうと2人を引き連れて去っていった。
体を起こして体の様子を確かめる。体中に擦過傷、打撲等の症状は見られたが、幸いなことに骨が折れているような事態にはなっていなかった。
週に一度の毛皮のきぐるみ?を陰干しする日だったので今日は着ていなかったが、着ていれば少なくとも擦過傷は無かったかも知れないと思う。
手首を回して異常が無いかさらに細かく調べていると、木戸を開けてノエルとメリスが駆け出してきた。
座り込んだ私に真っ青な顔で「大丈夫?大丈夫?」とオロオロと繰り返す彼女達に
「ちょっと痛いけど大丈夫、気にしないで」と言うと
「姉ちゃん僕のカバン持ってきて」と言うと、彼女は家の中に駆けていった。
「あの・・・血が・・・」と言いながらプルプル震えているメリスに
「大丈夫だから」と言いながら立ち上がる。少しよろけたがその足で井戸に向かうと、水を汲んだままで置いてあったバケツから水を掬って顔を洗った。
少しスッキリして体を見下ろすと、鼻血が垂れたのか胸の部分が真っ赤に染まっていた。
メリスに「姉ちゃんに聞いて上着の換え貰ってきて」と頼むと、上着を脱いでそれをバケツに入れ、腰巻の布を外すとそれを水に漬けて固く絞り、露出している場所で見当たる擦過傷の部分に滲んだ血をぬぐった。
消えかかっている焚き火に乾燥した小枝を加えて少し息を吹きかけてやる、火が勢いを取り戻した頃、カバンと変えの上着を持ったノエルとメリスが戻ってきた。
トニとメルもその後ろについてきていたが、若干涙目である。安心するようにと笑いかけ、受け取ったカバンから傷に効くとされる葉を取り出し、手でよく揉みこんだそれを傷を負った場所に貼り付ける。
揉みこんだその葉は僅かに葉の汁が滲み、それが傷に沁みて痛かったが、数秒もすれば落ち着いて次の場所に同じように揉みこんだ葉を貼っていく。
痛みに耐えながら葉を貼っていく様子を見ていたトニとメルに
「この葉っぱはトロサ草の葉っぱで、傷に良く効くんだってさ。でも、貼るときに少し痛いのが欠点だよな」
そう笑いながら話しかけると、彼らの後ろでウォルフとウィフが、私が倒れていた付近の匂いをしきりに嗅ぎまわり、若干唸っていた。
「トニ、メル。今日はもうウォルフとウィフに構っちゃだめ、血の匂いのせいか判らないけど興奮してるっぽい。もちろん姉さんとメリスも近寄っちゃだめだよ?」
そう言いながら、カバンの中から包帯用の布を取り出して巻きつけようとしたところ、メリスがそれを手伝ってくれたので彼女に任せた。
どことなく空気が重くなってしまったので、メリス達も早めに帰途に着いた。
ノリスも家の中に戻っていったので、私は一人焚き火に当たりながら思う。
3人がかりで年下の子供をリンチして誇っているようなクソガキに、報復をしなければならない・・・と。
汝左の頬を張られたら、3倍で返すべし。である、前世の父はそう言っていた。
私自身は相手を殴る事や怪我を負わすことは好きではないが、それとこれは違う。やられて泣き寝入りするような男は男ではないのだ。相手が年上で身長も高くて腕力が私より強かろうが、ガトとの1対1だったらさきほどのケンカは私の勝ちだったはずだ。
蹴られた恨みは忘れない、近いうちに必ず同じ目に遭わせてやろう。明日にでもだ
その日の夜、擦り傷や青痣のついた顔を見て親達が何があったのか聞いてきたが「ケンカだよ」とだけ返した。ノエルは何が起こったか知っているだろうが、親達に何が起きていたのか語ることも無かった。
そして次の日私は、傷から熱が出て1日寝込んだ。
次回予告!「ノルエンの復讐」お楽しみに!(ちょw