8歳の冬
季節も巡り、朝霧が立ち込めるようになった。冬の到来を知らせるそれは、日が照ればすぐにでも霧散してしまうほど儚いものであるが、朝早くから動き始める住民にとっては肌寒く感じるようで、皆一様に厚着をすることで寒さを凌いでいる。
私は冬の間だけは気ぐるみのような毛皮を着ているのでそれほど寒さも感じないが、1年経ってよく乾燥されたそれは、獣臭も薄れたことで着ることに違和感を感じることも無く、しかしその毛皮の大きさに私の身長が追いついていないためか腰周りで皮が余ってダブダブしていることを除けば、それなりに快適な生活を送ることが可能であった。
手首の所に手を出すための穴を開けてあり、手の部分の皮はミトンのような形をしているので細かい作業をするときはそれを外すしかない。頭回りも狼の頭の部分を流用して被ることができる造りになっているので耳周りも暖かく、下手すると冬の外でも寝られる保温性を保つので重宝している。
問題は、問題というほどのものでもないが、なぜか耳は残されたままなので被ると耳がペタンと垂れるような外見になる程度だろうか?
母と祖母はなぜ耳を残したのか謎である。
秋の収穫祭が終わってもう2ヶ月ほどの日数が過ぎたが、私の生活は特に変わるようなことも無く、ただ淡々と過ぎる日々に安堵している。
収穫祭が終わった後、長をはじめとする幾人かの人々から、暇なら工房に遊びに来いとは誘われたが、日々忙しく働いている所に私のような小僧が行ったとしても仕事の邪魔をするだけなので自重している。
あの収穫祭が終わった後、ディアリス全体で色々とあったのだ。
まず、イグルドさんは収穫祭が終わるとすぐにエニシダに向けて交易に出発した。恐らく炭を確保するために早々に動いたらしい。
木工工房は工房で働く全員がイグルドさんと共にエニシダ方面に向かい、炭用の木材を切り出しに行ったという。
炭を作る職人をどうするかという話は未だ保留のようで、エニシダに勉強にいかせる人物を選出するのか、それともディアリスで試行錯誤して作ってみるのか、それともそもそもエニシダの集落は炭を作る技術を教えてくれるのか?といった話になっているようで、どちらにせよイグルドさんが戻ってくるまで保留という事になっているらしいということを、集会所でコルミ婆ちゃんとゴリゴリと木の実や乾燥した野草を細かく砕いていたときに、ふらりと現れた長が語った。
正直そんな話を振られても困る。もはやプロジェクトXの世界に突入しているじゃないか。
モルド爺さんは鍛冶工房の全員を引き連れて、炉を造りにレンガすべてを持って赤土の荒野に向かい、同時に粘土もほとんどを持っていってしまったので、私はレンガを作ることもできず最近は手持ち無沙汰にコルミ婆ちゃん所望の木の実やら山草を採取する日々である。
そもそも、冬に粘土なんか捏ねてられないとも言えるが。
唯でさえ寒いのに、冬の気温で冷えた粘土に良く冷えた井戸水を加えて練るなんてどういう拷問だよ!という話である。
雪が降ることも稀な程度にはディアリスは暖かいが、それでも時には氷点下まで気温が落ち込む事も少なくない。私は無理して働くことは前世で懲りたのでのんべんだらりとできることしかしたくないのだ。働きたくないでござる。
イグロスさんが炭を手に入れてきたら、一度ディアリスによって炭以外の品を降ろし、すぐにモルド爺さん達を追って赤土の荒野に向かうそうだ。
なにぶん始めての試みなので、炭と食料と薪などの生活雑貨を持って応援にいくそうである。
そう言ってくる長の発言を、コルミ婆ちゃんの横に座ってゴリゴリと石に木の実をこすり付けていた私は「ふーん」とだけ言って流した。
ウォルフとウィフは私の足元で体を丸めるように蹲り、私の足を温めてくれている。体の熱を発散しない知恵なのであろうが、丸まった所に足を突っ込んでしばらくすると程よい暖かさを感じることができて気持ちよい。
たまにジャレるように私の足を甘噛みするが、毛皮のおかげか全く痛みも感じないのでチョイチョイと足で構ってあげている。
一度粉末状になった木の実に興味を示したのだが、フンフンと匂いを感じているうちに、息を吸ったときに吸い込んだのかクシュクシュとクシャミがとまらなくなり、それ以降私がそういう作業をしていても作業をしているテーブルの上に顔をだしてまで構って欲しいとアピールすることは無くなった。
コルミ婆ちゃんとの薬作りの作業も一段落し、何か暖かいものが飲みたいなと思ったときにふとお茶を作れないだろうか?と思い立った。
大麦があるのだから、大麦を焙煎してお湯を注げば麦茶のようなものができるかもしれないと思い立った私は、長と談笑していたコルミ婆ちゃんに大麦を貰えないか?と交渉し、量を聞かれたので片手に乗るくらいの量で良いと答えると「それくらいならもっとるよ」という婆ちゃんが皮でできたカバンから取り出した大麦が少し入っている袋を受け取ると、少し離れた林に向かい焚き木や枯葉を拾い集めた。
集めた焚き木を持って集会所まで引き返し、その辺に置いてあった石を組んで小さな竃を作り、カバンから火打石とグリモリ草の枯れたものを取り出すと焚き木に火をつける。
グリモリ草は油草で、乾燥させたものは着火するときに使用すると火がつきやすくディアリスの住民も重宝している。
秋になると萎れる夏草で、火の気を近づけると火がつきやすくこれがそこらに生えていたら山火事の原因にもなり兼ねないが、そもそもこの草はディアリスの地域で取れる草ではなく、イグロスの先代の交易班が苗ごと持込み、ディアリスでの植え付けに成功したものなので、グリモリ草は植えつけられた場所の近くにしか生えておらず、ディアリスの住人はグリモリ草を見つけるとさっさと刈り取って乾燥させて貯蔵してしまうので、山火事等起こったこともないし、今後も起こる確率は低いと思われる。
焚き木に火をつけると、大き目の平ぺったい石をその上に据えて、石が焼けるのを待つ傍ら、家に戻って水を汲んで戻ると丁度良く石が焼けていたのでその上に大麦を載せて木の枝でかき混ぜながら焙煎してみる。
よく乾燥していた大麦は、石を焼きすぎたのかその殻が少し焦げ付いたりしたが、なんにせよ始めてやることだから失敗しても仕方ないと諦め、火から降ろした石の上でジリジリと木の枝でかき混ぜていると、やがて大麦の中身が熱で膨れて殻がはじけたような形状になってきたので、やりすぎたかな?と思いつつ石の上から下ろして先ほど入っていた袋の中に戻す。
ちょっと熱かったので、焙煎した大麦はテーブルの上に置いて今度は素焼きの壷に水を入れて竃に据えると、お湯を造るために再度焚き木に火をつけた。
一段落!と思い竃の近くに胡坐をかいて座り込むと、ウィフが構って~と言うように私の膝の上に乗ってきた。正直体格的に大きくなってきた狼達が私に覆いかぶさろうとすると、体重的に重いのであるが、まだなんとか耐えられる程度なので、仰向けに私の膝の上に乗ったウィフのお腹を撫ぜながら、私の肩に後ろから顔を乗せるウォルフの首筋を撫でてあげる。
そのまま待つことしばし、やがてお湯が沸いてきたので先ほど焙煎した大麦を加えて壷の中で沸騰するお湯の中で大麦の粒がくるくると対流するのを眺めた。
そのまましばらく見詰めていたが見知っているような麦茶の色が付かず、失敗しただろうか?と思いつつ竃の火を消し、木製のカップにお湯を注いで飲んでみる。
色は付かなかったが、ほんのりと麦の味と香りがする。失敗ではないが成功でもないかな?と思いつつテーブルに座り、やや熱いそれを口に含んで一息ついたところで
「おぬしなにを作ったんじゃ?」
と、長に聞かれてびっくりした。
まだ居たの!?と思いつつ
「えっと・・・なんだろ?味つきお湯?」と言うと
「ほう・・・」と言って私が飲んでいたカップを奪い、長が口をつけた
「ふむ、味は薄いがなかなか・・・ほれ、コルミも飲んでみよ」
カップをコルミ婆ちゃんに回した長は
「お主はたまにわけわからんことをするのう」と言うと
「コルミ、カップかなんかは無いか?」と聞き、コルミ婆ちゃんが取り出した2つのカップに壷に入っていたお茶?を注ぐとテーブルにつき、まだ熱いそれを啜るように飲むと
「ふむ・・・体が温まるな」といって再び談笑を始めた。
「ノルエン、おいしいねぇこれ」と言ったコルミ婆ちゃんも長と話をはじめ
なにかどうでも良くなった私は熱いお茶?を啜りながら、早く春にならないものかと思いふけったのだった。
そんな冬のある日の午後の出来事