8歳の夏 3
切り株を掘り返し続けて早1ヶ月。粗方切り株を取り終えて、もう数日もすれば整地作業に移れるだろう。
そう感慨にふけっていると、トニとメルがムージの種を抱えて私のところに持ってきた。
ムージの種は、夏になるとオヤツ代わりにもなるのだ。
春先のムージ林は危険だし、春に種をもってきても美味しくいただくことはできないのだが、夏ごろの種は程よく中身が熟成しているというかなんというか。
濃厚な甘味のこってりとした果肉が味わえるのである。
ムージの種の殻は、かなり頑丈で下手な動物の牙でもそうそうこじ開けることは適わないのであるが、開け方を知っている人間にとってはそれほど困難なことでもない。
クルミの殻のような殻と殻をくっつけたような構造をしており、成長すると内側から殻をこじ開けて成長するムージの種は、継ぎ目に沿って刃筋を当て、薪を割るように何か硬いものに当ててやると割合簡単に半分に割れてしまうのだ。
春先はまだ甘味も何も感じないのだが、果肉のデンプン質が時間を掛けて糖に変換されるのだろうと推測している。
つまりこういうことだ、春に落とされたムージの種は、時間を掛けて中身のデンプン質を糖に変換し、それを使って種が成長。やがて殻の体積よりも成長した若木は、その圧力で殻を割って日の目を見る。
ノボセリの木が、その異常な成長速度で生存競争を勝ち取ったのとは別に、ムージの木は若木が確実に成長しやすいように、ある程度の成長が成されるまでは殻で身を守るようになった。そういうことなのだろうと思う。
どちらにせよ、人の手によって利用される点は似たようなものだが、まさか彼らの発展をある程度制御してしまえる人間という種族が現れるのは想定外だったに違いない。
もし、彼らが感情を持っていたとしたら。
彼らが抱えて持ってきた種に、鉈を当てて半分に割ると、スイカのような瑞々しい匂いが感じられた。
半分に割れると果肉がみえる。白っぽい概観をしたそれは、感触的にはドロッとした感じだ。
水に漬けた片栗粉のようなものを想像してみるといい、触感はそれにとても良く似ている。
指ですくっても零れ落ちることが無い程度に粘度も高いその果肉は、口に運ぶとサラリと溶けるのだが甘味は濃厚で、肉体労働の途中に栄養補給にするのに申し分は無く、私の疲れを癒してくれるようだった。
掘り出した切り株は、乾燥させれば薪にすることもできるので、掘り返した後に固めて放置してある。
雨が降ったら乾燥もなにもないので、本当なら雨の当たらない場所に放置するべきなのではあるが、切り株といっても掘り出したそれは結構な大きさと重さであり、私の力では少し引きずるくらいはできるのだが、持ち運ぶのは到底無理なのだ。
人間何事にも諦めと妥協が必要である。というのは、前世の父のセリフであった。
私もそれに習い、切り株を運ぶことを早々に諦めて、適当に放置しているのだ。
さて、問題は整地である。
窯を据えるとしても整地は必要であることは当たり前であるし、整地するなら地面をある程度硬く固めたいものだ。
そうすると今あるものでどうやるかを考えるに、必要な物は木槌くらいだろうか?
何か木の板でも地面に置いて、その上から木槌で叩けばある程度地面を締めることも可能だろうと踏んだ。
なんにせよ、遊びでやっていることである。きっちり寸法をとって作るほどのものでもないだろうと妥協した私は、トニやメルと共にムージの果肉を味わいながらボンヤリとそんなことを考えた。
えらい勢いで回るPVカウンターにドキドキ
ムージの種の補足と、窯作りの経過の話。
次で20話とキリがいいので、次投稿するときは投稿掲示板のほうに移そうかなと考えてます。