言語体系の全く違う言葉を、1から覚えなおすという作業はなかなか骨が折れるもので
例えば、リンゴが英語だとAppleであるということはリンゴという名称が何であるということを知る手段があるからこそできるものであり、りんごを指してappleであるという言葉の意味を知ることができなければ、何を話しているのか掴むことは容易ではない
This is an apple
これはりんごです という意味だが
This is a ○○
これの冒頭の部分を訳することができなければ、何を話しているかわからない
そういうことである
生まれてから約5年経った今、私は知能の成長の遅い子と思われているらしい
我が家には、絵本等の子供の知識を促す教育媒体が少ない
文字や絵から学ぶということができないのだ
元々、本を読んだりインターネットでwikiを辿って遊んだりしていた私は重度の活字中毒であり、物がなんであれ文章として読み方や言葉の羅列を紐解けば、暗号解読のように言葉の意味を理解することはできたかもしれないが
大人や近所の子供が話す言葉は、ほとんど意味を理解することはできず
ただ、コレがソレであるという名詞的な物を指す言葉だけはようやくわかりはじめてきた
いや、わかるのである。何を言っているか理解することはできるのだ
ただ、少し難しい言い回しをされると、理解するのに時間がかかるのである
言葉を組み立てるのに、元々使っていた言葉に組み立てなおす作業を無意識のうちに行なってしまっているということに気がついたのはこの頃だった。
主語 動詞 名詞 が大体わかれば、何を言っているのか、してほしいのかわかるのだ
「ノルエン~~~川~~水を~~甕に~~」
と、言われれば
水を汲んできて甕に入れてくれと言っているのだろうなと想像できるだろう?
幼少期というべきかどうか分からないが、言葉を覚えるという作業
これを作業といっていいものか不思議な気持ちではあったが、これを教えてくれたのはいつも家に居て何かしらの作業をしていた祖父と祖母である。
外に出て、といっても村の中しか移動範囲はないのだが
様子を見るに、なんというべきか紀元前?の村のような感じといえばいいのだろうか?
畑を耕し、生きるために必要ではないが楽しみとしての物を作り
時にそれを村の外に持ってゆき、何かと交換して戻ってくる村人
いや、村というほど小さくは無く、町というほど大きくもない
人口は、全てを見たわけではないが三百人といったところだろうか?
たまに、畑や家畜が何かに荒らされたような状況という情報を見ることもできるが
そういうものを寄せないための柵のようなものは、簡単な作りであったことから、住んでいる場所の規模や世間の常識、ルール等を知らない私は、住んでいる場所がディアリスと呼ばれる場所であることは知っていても、村なのか町なのか悩んだことがある
言葉の細かいところを理解できていないその頃の私は、それを見て何かを話している両親や、他の家族や子供の言っている事を知ることはできていなかった
紹介が遅れたが、ノルエン
ディアリスのノルエンという。
死んだはずだが、言葉にするならば転生という夢としか思えない現実に突き当たってしまった、元42歳。現在4歳の男の子だ
今回も、短い・・・かな?
別段この主人公は最強とか、有り得ないご都合主義とは無縁に
幸運らしい幸運もなく、とりあえず不可思議な人生を送ってもらおうと予定しています。
そしてプロットは適当
改稿も適当な気がするんだぜ!
推敲はしたけど、間違っててもごめんな!指摘してくれれば直すよ!YO!
ノリと勢いで、夢でみた変な感じの物語を寝ぼけつつ粗筋を考えたので、この先肉付けしたらどうなることか全く予想できないのがツライところ