ページをさかのぼる。
『シグナムも、シャマルも、ザフィーラも、いままでありがとう。 はやて』
書き込まれたその言葉を読んで、シャマルは微笑んだ。まるで、ちょっとした手助けに対するお礼みたいだ。今生の別れを思わせる悲壮さは、どこにもない。
それでいいと思う。
なにも悲しむことはない。雲は姿を変えるが、それでも、空の下にあることはいつだって変わらないのだから。
先に消えたシグナムとザフィーラも、きっと同じことを思っていたはずだ。
『主はやての幸せを願うこの感情を知れただけで、生まれてきた意味がありました。どうかお幸せに。 Signum』
『もしも主はやてが幸せであるならば、守護獣としてこれ以上はありません。 Zafila』
『はやてちゃんの幸せが私達の幸せです。 Shamal』
準備しておいた皆の言葉を一斉に書き込んだ。これで、もう二度とはやてと言葉を交わすことは出来なくなった。
しかし、それを悲しむ必要はない。悲しむ暇もない。
急がなければ、ヴィータが戻ってきてしまう。それでは今までの努力の半分が台無しになる。そう考えれば、如何にシャマルとて精密で迅速な作業をこなさないわけにはいかなかった。
幸いにして、外の二人はまだしばらく話し続けそうな雰囲気に見える。しかし、手を緩めれば未練が生まれてしまうだろう。それは、嫌だ。
「これで……、よし」終わったのは、ヴィータの切り離しだった。「ヴィータちゃん。はやてちゃんをよろしくね」シャマルは小さく呟く。
ほとんどの作業は、以前から完了していた。今日の、別れの直前まで引き延ばしたのは、本人に気づかれては意味がなくなるヴィータの切り離し作業と、これから行う最後の仕事のみ。
最初から三人で決めていたことだ。
全て、計画の通り。
長かったのか、短かったのか。
苦しかったのか、楽しかったのか。
それも、これでおしまい。
「ごめんなさい、闇の書。あなたには何も知らせてこなかったから、いきなりだけど……」シャマルは意識を集中した。
伏せていた全てのプログラムが起動する。そのほとんどは、シグナムやザフィーラだったものだ。面影すら残っていないそれは、シャマルが作り上げた。そして、彼女自身も、じきにその一部となるだろう。
最後に残った意識が、分解され始める。その感覚は、意外と悪くはなかった。
安らかな眠りにつくような心地良さ。静かな夜空に溶けて消える想像。
ほんの一瞬、大好きな人と共に生きる夢を見た。その記憶は、一瞬後には消え去った。
「長年の準備、守護騎士三人分の命、そして何より、はやてちゃんへの思い。これだけぶつけられたら、今の闇の書では、耐えられない。…………はず」
最後に不吉な言葉を残して、シャマルの意識は消えた。すぐに、予め決められていた形へと、自動で作り替えられる。
完成と同時に、それは闇の書の中枢に雪崩のように襲いかかって―――――
ページをさかのぼる。
ヴィータは臨海公園で、海を背に立っていた。人を待っているのだ。
既に空は白んでいた。早朝の冷たい空気は、湿り気を帯びている。遠くの波と耳元の風以外、音はない。目が誰かを捉えることもない。開けた場所ではあるし、呼び出したのはこちらだったが、しかし、ヴィータは警戒を怠らずにいた。
しばらく経ったとき、彼女の五感に代わって人の存在を察知したのは、長年の相棒だった。
アームドデバイスが示す方向を見る。
五十メートルほど離れた位置、海を見渡せるこの広場の入り口に、一人の男がいた。彼は、最初からこちらの存在を捕捉していたのだろう、足を止めることなく近づいて来る。歩調はゆっくりとしており、実に落ち着き払た様子だった。ヴィータも、彼に向かって歩き出す。その際、意識して歩調を緩めた。互いを比較したとき、自分の回転が速すぎるのが悔しかったのではない。相手の姿を観察する時間が欲しかったのだ。
ベージュのズボンに、白い長袖のシャツ。ネクタイはしておらず、一番上のボタンだけを外している。男は、まるで老紳士の早朝の散歩といった風な、至って普通の服装である。何かを偽装している気配はないし、武器を隠し持っているわけでもなさそうだった。
五メートルほどの距離を置いて、二人はほとんど同時に立ち止った。これだけ離れていても、ヴィータが相手の顔をまっすぐ見るには、大きく見上げなければならなかった。これは何もヴィータの身長だけが問題なのではなく、相手の身長が平均よりも高いという点も原因の一つであった。
先に口を開いたのは男だった。
「警戒する必要はない」彼は丁寧な発音で言う。「この場所には私しか来ていないし、誰かが監視しているということもない。使い魔にも、私がここにいることは知らせていない。そして、君はベルカの騎士だ」
つまり、一対一のこの状況においては、ヴィータの方が強い立場であるとのアピールらしかった。
本当かよ、と思う。どちらかといえば、誰にも知らせていないことに対してではなく、一対一でヴィータが有利になるということに対しての疑念だった。
一対一ならベルカの騎士に負けはない。そうは言うが、ベルカの騎士同士の殺し合いが頻繁に起きた時代もあった。そんな時代もあったから、負けはない、あったとしてもせいぜい一生に一度くらいだ、というブラックジョークが生まれもした。
今、ヴィータが相対するのはベルカの騎士ではない。
しかし、
もしかすると、一生に一度の機会が今かもしれなかった。
「あんたがグレアムおじさん?」ヴィータは厳しい目つきのまま尋ねた。
「ああ、ギル・グレアム本人だよ」彼はゆっくり頷いてから、同じ速度で周囲を見回す仕草。「どこか、場所を移した方がいいのではないかね」
「こっち」ヴィータが歩き出すと、グレアムの足音がついてくる。すぐに追いつかれた。
二人は並んで歩いた。無言は、遊歩道に入るまで続いた。
「別に、世間話をするために呼んだわけじゃない」今度はヴィータが先に声を出した。「そっちがどういう計画を立ててるのか、それを聞くために呼び出したんだ」
「ふむ……。私が管理局の人間であるということは」
「でも、個人で動いてる」
「そう、闇の書の所在も、私が闇の書の所在を特定していることも、使い魔を除いてまだ私以外に知る者はいない。管理局が知れば、十年前と同じことが起きる可能性は極めて高い」
「十年前……?」ヴィータは横を向き、グレアムの顔を見上げる。
「私の計画は、現行の管理局法では認められないものだった。しかし、被害は確実に減る。だから、全ての情報を秘匿したままでいる」グレアムはヴィータをまっすぐ見る。「君は私を呼び出すとき、リーゼにこう告げたそうだね。闇の書はもうすぐ機能を停止する、と。それには、転生機能も働かなくなる、という意味も含まれるのかね?」
リーゼ。監視の目を設置した彼の使い魔のことだろう。
「いま、そのための準備を進めてる」ヴィータは頷く。「転生機能も、防御プログラムも、蒐集機能も、管制人格も、それに、守護騎士プログラムも、全部まとめて消滅させる。消えるのは闇の書の中身だけで、はやてにも、他の誰にも迷惑はかからない」
「そうか……」グレアムは、深く息をついた。「その具体的な方法を話すことは?」
「それは、そっちが先だ」ヴィータは間を置かず言い返す。
「こちらの方法は、伝えることは出来ない」グレアムの反応も早かった。「君にその気がなくとも、万が一にでも闇の書に知られることとなれば、対策を取られる可能性がある。恐らく、君たちの計画も、闇の書の中枢に知られることがないよう徹底的に秘密裏に進められているはずだ。しかし、絶対などということは、絶対に存在しない。そのとき、君がこちらの計画を知っていれば、共倒れになる可能性もある。理想を言えば、こちらの存在そのものを知られなければよかったのだが……、その点に関しては、君たちの能力が秀でていたということか」
彼の言うとおり、ヴィータたちは闇の書の管制人格に気取られないように細心の注意を払っていた。管制人格は闇の書とほとんど同一の存在であるから、守護騎士たちの反逆の意を彼女が知れば、彼女の望む望まざるに関わらず、防御プログラムかそれに準ずる機能が働いてしまう危険があったのだ。
具体的な対策としては、日記でのやり取りの情報を、管制人格やエラーをチェックするためのシステム全般から完全に遮断することが挙げられる。しかし、そうすると今度は、異常を隠すための遮断そのものが異常として検出される。そこで、現在、はやてと守護騎士とのやり取りで発生するページの消費を、蒐集を行ったページとして扱われるよう偽装することで、監視の目を誤魔化すという方法が取られていた。闇の書は全頁の蒐集完了と同時に狂ったロストロギアとして起動するが、その際、システムが切り替わる隙を狙えるという点でも、あらゆる監視を誤魔化す方法より、一部を誤魔化す現在の偽装の方が都合が良い。また、これに似た偽装は、守護騎士と闇の書との間でも行われている。
……というのがシャマルの説明だった。これでもかなり省略され、誤解を覚悟した上での説明らしかったが、正直なところヴィータにはこれでギリギリわかったつもりになれる、というラインである。一緒に聞いていたシグナムなどは、ふむふむとしたり顔で頷いていたものだったが、あれも本当に理解できていたのかは怪しい。ザフィーラは、聞いていたのかいなかったのか、理解できていたのかいなかったのか、よくわからない。難しい作業はシャマルに丸投げなヴォルケンリッターだった。
「こっちの方法も、伝えたところで、たぶん意味なんてない。内側から腹を食い破る、なんて言われても、そんな情報役に立つはずがない」違うか、と視線で尋ね、彼が頷くのを見届けてからヴィータは続ける。「お互いに知るべきなのは、仕掛けるタイミングだけだ」
グレアムはもう一度頷いてから言う。「その通りだ。そして、想定する被害は、そちらの案の方が小さい。つまり、私の案がセーフティネットとして働く順序で実行できれば、それが最善だということになる」
「あたしたちは、闇の書が起動しようとする瞬間を狙うことになってる。明日の昼には、全部終わる」
「ならば大丈夫だ。こちらは、起動直後の数分の硬直を突くつもりでいる」彼は目を細める。「できれば、私たちが動かずに済めばいいのだが」
「もし本当にそう思うなら……」これはお願いなんだけど、と前置きしてからヴィータ。「上手くいったとき、ただの本になった闇の書を、それにはやてを、そっとしておいてあげて欲しい」
「約束しよう」グレアムおじさんが言った。
二人は再び沈黙を引き連れて歩いた。遠くから見れば、外国人の祖父と孫が歩いているように見えるかもしれない。しかし、開いた距離や纏う雰囲気を感じ取れる距離まで近寄れば、そうでないことは一目瞭然だ。
公園の出口にたどり着いたとき、グレアムが立ち止まった。ヴィータは数歩進んだところで止まり、片足を引いて浅く振り返る。
「まさか、守護騎士たちが自らを破壊するために動くとは、思いもしなかった」彼の視線はヴィータの頭上を通り越し、遠くを見ているようだった。
「ハンマーを持ってる奴には目に映るもの全てが釘に見えるっていうけど」嫌な比喩だ、とヴィータは思う。「別にあんたが自分の計画に固執してたわけじゃないと思う。ただ、あたしたちの動きが例外だっただけで」
実際、彼女たちがこのような動きをするのは、生まれて初めてだった。予想しえることではない。
「……世の中、思った通りには、なかなかならないものだな」
「全部思った通りにしたかったら、ベッドの中で夢でも見てればいい。生きてる意味なんてないよ」
「その通りだ。だから、この歳まで、夢を見る間も惜しんで努力してきたつもりだったが……」グレアムおじさんがヴィータを見て微笑んだ。「ありがとう。君たちのおかげで、思いの外、良い結果になりそうだ」
「……別にあんたのためじゃねーです」
まさか、自分が生きる意味の有る無しを語る日が来ようとは。
多少の驚きを抱きながら、ヴィータは帰路についた。
その日の夕方、彼女は再び同じ公園に来ることになる。今度ははやてと一緒だ。
「ええ風やなー」
「うん、そうだね。もう秋だ。朝は寒いぐらいだったし」
闇の書の完成を翌日に控えたある日のことだった。
ページをさかのぼる。
「んー、それにしても、いま思えばグレアムおじさんってどんなお仕事されとるんやろか」不意にはやてが言った。
グレアムおじさん。今のところ、守護騎士たちの警戒リストに堂々の一位として君臨する怪しすぎる御仁のことだ。恐らく、この家に対する古くからの監視の黒幕でもある。そんな危険人物であっても、はやての恩人であり、また、深く信頼するおじさんでもあるので、その素性についてあからさまに問いただすわけにはいかないのが現状だった。
「え? 紳士って仕事じゃないの?」ヴィータはトンチンカンな質問をしてみる。
当然のようにはやてがツッコミを入れた。
それから、話している当人も首を傾げるようなおかしな会話が続き、カッチューもとい甲冑の話題になった。
「そう、それや」はやては人差し指を立てる。「その騎士カッチューのデザインは、代々闇の書の主が決めるって」
ヴィータは頷く。
騎士甲冑とは、戦闘時に身を守るため全身を覆う防御フィールドのことだ。ヴォルケンリッターが身につけるそれは、代々の主から賜ることになっている。そのことを、以前、告げていた。
残念ながら、それを着て戦いに赴く予定はないが、重要なのはそこではない。ヴィータが嬉しかったのは、はやてが自分たちのためにデザインしてくれたというその一点が重要だったからだ。
「実はみんなの分のデザインが、ついこの間、完成しましたー!」はやてはニコニコ笑いながら両手を挙げた。「というわけで、ちょっと取ってくるんで待っててなー」
「一緒に行くよ」ヴィータははやての体を抱え、車椅子の上まで運んだ。
「ありがとなー」
はやてがしっかりと姿勢を作ったことを確認してから、ヴィータは車椅子を押した。
「みんなの分って、シグナムやザフィーラのも?」
「そやで。って、こら、シャマル仲間はずれにしたらあかんよ」
「あ、うん、いや、いまの場合は逆というか」
仲間はずれなのは、シグナムとザフィーラの方だった。しかし、騎士甲冑を着る機会が絶対にないということは、ヴィータ以外の三人に共通して言えることでもある。仲間はずれはヴィータ以外の三人であるとも言い換えられる。
「んー? 逆?」はやてが小首を傾げる。
「ううん、なんでもない」ヴィータは首を振った。それから上半身を前傾させ、はやての横顔を後ろから覗き込む。あと少し近づけば、頬同士が触れる。「ねえねえ、それよりあたしの騎士甲冑、どんなの?」
「ふふふ、聞いて驚き。なんとウサギの全身着ぐるみ」
「うぇッ!?」
「―――にするんは可哀想思ったんで、みんなおそろいで色違いの全身タイツにパステルカラーのガスマスク」
「うわー!?」
「という第二案を棄却しまして、決定稿の第三案です。これは実際にデザイン見てもらわな伝わらん程度には普通やねー」
ヴィータはため息をついた。
直後、なんだか楽しくなってきたので、素直に笑った。
はやても笑った。
ページをさかのぼる。
『ようやくヴィータがなのはちゃんとも仲良くなってきてうれしいです。 はやて』
『実は繊細なんですよ。最初は人見知りしても、一度打ち解ければ大丈夫です。 sha』
そのようにデザインされたから、と言ってしまえば身も蓋もないが、ヴォルケンリッターの中で一番感受性が豊かなのはヴィータだ。表に出る態度こそ捻くれた風を装うことがあるものの、入力に関しては一番素直だ、というのがシャマルの認識だった。そのシャマルは、自分が世界を見るときにどうしても挟んでしまうフィルターの存在を自覚していた。それは一種の自衛でもあるし、参謀として振る舞うときに大いに役立つ武器でもある。
『すずかちゃんやアリサちゃんとはすぐに仲良くなったけど、なのはちゃんとは時間がかかったみたい。 はやて』
『なんだかなのはちゃんの方が怖がっているように見えましたけど。 sha』
『前にも言った、ヴィータとしゃべるときに限って聞こえてきた幻聴のせいみたいです。それも最近はなくなって二人は仲良し。 はやて』
『幻聴ですか。 si』シグナムの筆跡と署名で、シャマルが尋ねる。
『ヴィータが何も言ってないのに声が聞こえたり、ヴィータがしゃべってることとは違うことが聞こえてきたり。 はやて』
『ヴィータちゃんが話をしているときだけ? sha』筆跡と署名を戻す。
『いままではそんなことはなかったみたい。なにか心当たりはある? はやて』
『いえ、特にありません。ごめんなさい。 sha』
『私もありません。お力になれず申し訳ありません。 si』シグナムの筆跡と署名で、同意する。
本当は、念話という可能性があった。しかし、それは伏せておく。ヴィータにも何か考えがあるのだろう。
『二人が謝ることじゃないよ。それに、いまは仲良くできてるから大丈夫。 はやて』
『そうですか。よかった。 sha』自分の筆跡と署名。
『ヴィータの方はケーキやクッキーと仲良くしているようにも見えますが。 si』筆跡と署名を変える。
『仲良しのお菓子たちをバリバリむさぼる、すっかり翠屋の常連さんなヴィータなのであった。 はやて』
『何にせよ、結果として仲良くできているのであれば、それはそれで良いことです。 si』筆跡と署名だけでなく、シグナムが言いそうなことを考えなければならない。
『なかよしさんすぎてダブル嫉妬! いまもケーキ買いに行ってます。 はやて』
『きっとはやてちゃんとすずかちゃんの仲良しに対抗してるのだと思いますよ。 sha』これを書いている間にも、複数の思考を走らせている。
『照れるぜ。 はやて』
『はやてちゃんに素敵なお友達ができて安心です。 sha』これは本心。
『あのときのシャマルの魔法には感謝感謝。 はやて』
『あれは迂闊すぎでしょう。 si』シグナムならこう言うはず。
『いまでは反省してます。 sha』シャマル自身、あれは迂闊だと思っていた。
『結果よければ。 はやて』
『すべてよし。 sha』思わず反応してしまう。このあたりは、最も変化した部分だと思う。
『誰が反省していると? si』ヴィータを叱るシグナムをイメージする。
『見事な釣り師ぶりです。 za』ザフィーラの筆跡、署名。なんだか性格がおかしい気がした。しかしスルー。
『ありがとう。そう言ってくれるのはザフィーラだけです。 はやて』
『シャマルはどうせ本音でしょう。反省が足りていないようです。 sha』
「あ―――」瞬間、血の気が引く音が聞こえた気がした。
一人三役するようになってから、いつかやるとは思っていたが、ついに出た痛恨のミスだった。間違えたのは署名のみ。筆跡まで自分のものを使っていたら、間違いなくばれていた。
動揺を押し殺し、急いで次の言葉を書く。ここで止まれば、それだけ先の文に注目されてしまうだろう。それは、ミスが発覚する確率が高くなるということだ。
『ぐすん。 sha』
『感謝してるよー。 はやて』はやては普通に言葉を続ける。表情にも、特になにかに気づいた様子は見られなかった。
『元気になりました! sha』ほっと息をついて、シャマルは書く。
『反省(ry si』今度は間違えなかった。
『ぐすん。 sha』
心の中で、はやてとシグナムとザフィーラにごめんなさいと謝る。
ページをさかのぼる。
「えっと……、月村すずか、アリサ・バニングス」皆が自己紹介を終え、ヴィータは聞いたばかりのものを復唱する。「それに、高町―――」肉声から念話に切り替える。《ナッパ》
「ええ!?」なのはが大きな声を上げる。「ナッパじゃなくてなのはだよー」
やっぱりか。ヴィータは誰にも聞こえないように舌打ちした。
この高町なのはという少女は魔力資質持ちらしい。この世界では極めて珍しい存在なのに、はやてに引き続きこんなところにもまた一人。どうなってるんだ、と愚痴りたくなる。しかし、それ以上の懸念を抱えていたので我慢して、しばらく静かに様子を見ることにした。
「なのはちゃん?」すずかが尋ねる。
「なのは?」アリサも同時に声を出した。
はやても首を傾げている。
「急にどうしたのよ?」アリサが言った。「大声上げたりして」
「どうしたのって……」なのはがアリサの顔を、次にすずか、はやてを順に見る。そして、最後にこちらを見た。「ヴィータちゃんが私の名前を間違えて」
「まだ何も言ってねーです」半ば棒読みで喋るヴィータ。その声に重ねて、先ほどと同じくなのは個人に向けて念話を送る。《高町ナッパ》
「だからナッパじゃないってばー!」
「ちょっと、なのは? ホントに大丈夫?」
「え? あれ……?」なのははもう一度、不思議そうな顔でこちらを顔を見た。
「まだ何も言ってねーです」再びヴィータは同じことを試す。《ナッパ》
「ほら! 今度こそナッパって……!」なのはは二人に向く。
彼女の親友たちは首を振った。
なのはがついに泣きそうな顔ではやてを見たが、はやても相変わらず首を傾げること以外はできない。変な子を見る目ではなく、むしろ心配そうな目だった。
「夏休みに入ってから毎日塾だったから……」すずかが柔らかい口調で言う。
「ち、違うよ」なのはは一歩後退した。視線は変わらず、二人の親友たちの間を行き来していた。「昨日はちゃんと早く寝たもん!」
その混乱は本物だった。少なくとも、ヴィータの目にはそう映った。
どうやらハズレだったらしい。
グレアムおじさんとつながりのある何者か、最悪、監視兼戦闘要員の一人だと睨んでいたのだが、そうではないと見ていいだろう。これが演技ならとんでもない大物か、あるいは脳が湧いているレベルだが。
とにかく、これ以上つつく必要はないと判断して、ヴィータは騎士からはやての家族にモードを切り替えた。
「えっと、なのは……、でいいの? 大丈夫?」ヴィータは白々しくも心配してみる。
「あ! よかったぁ……」なのはは安堵の息をこぼす。「今度はちゃんと聞こえたよ。うん、なのはでいいよ。私もヴィータちゃんって呼んでいい?」
哀れななのはだった。
ページをさかのぼる。
日記を書き終えたはやてが眠りにつき、シャマルとヴィータはその様子を闇の書の中から眺めていた。
穏やかな寝顔だ。
はやての表情はどんどん良くなってきている。そこから計算すると、それほど遠くないマイナス時間後の未来に、無表情を通り越して酷いものになると予測できる。しかし、それは変化の速度がずっと一定であるという前提に基づく話であって、実際のところは、変化が激しくなったのは、闇の書が日記として活用され始めてからのことに思える。
たぶん、自惚れではない。なぜなら、日記での交流が始まってからというもの、守護騎士たちも日々大きな変化を経験し、実感として得ているからだ。それに、そもそも自分たちがはやての状態を見誤ることはあり得ない。そのような誇らしい自負がシャマルの胸の内にはあった。
「どうかした?」ヴィータが言った。
「え?」なんのことかわからなかった。
「笑ってる」ヴィータがシャマルの顔を指さす。
シャマルは自分の顔に触れてみる。どうやら笑っているようだった。
「でも、それを言うならヴィータちゃんも」
「それは、笑ってることに気がつかないシャマルが面白かったから」
「うそ。ヴィータちゃんも最初から笑ってたわ」
「シャマルの方こそ」
「だから、ヴィータちゃんも」
「笑ってないってば」
「笑ってまーしーたー」
シャマルはやれ笑え、それ笑え、とばかりにヴィータの頬をつまんでむにむにする。ヴィータはむきゅーと抵抗するも逃げ切れない。
もちろん、二人とも最初から笑っていた。
原因はわかっている。はやてだ。彼女の様子を眺めれば、自然と笑みがこぼれるのが常だった。
「あー、もう……」ぐったりと疲れた様子のヴィータ。
仮想空間内でも、激しくじゃれ合えば疲労の感覚が生まれる。しかし、このところ、活動量に見合わない疲れを感じるようになってきている。恐らく、何らかの不具合が発生しているのだ。けれども、それを直すには、時間も資源も足りていない。二人は、あと少しの辛抱だから、と自分に言い聞かせて耐えることにしていた。
しばらく息を整えて、落ち着いたところでシャマルは言った。
「ねえ、ヴィータちゃん。はやてちゃんのこと、どう思う?」
「どうって、好きかってこと? それとも調子が良くなってきてるってこと?」
「そう、私達ははやてちゃんのことが大好きだし、はやてちゃんの調子は良くなってきている。でもね、だからこそ、ヴィータちゃん」シャマルは真剣な表情でヴィータを見つめた。「あなたには外に出て、はやてちゃんの傍にいてあげて欲しいの。きっと、それだけではやてちゃんはもっと元気になってくれると思う。わかってるでしょ? 随分元気になってきてはいるけど、やっぱり一人は寂しいと思っていること」
ヴィータはふて腐れたように黙った。もちろんわかっているという顔だった。それが彼女の優しさだった。
シャマルはありがとう、と心の中で呟いた。
「大丈夫よ。だって、ヴィータちゃん、闇の書の中にいて寂しかったことはある?」
ヴィータは首を振る。「でも、それは、みんながいたからじゃん」
「そのみんなは、今ははやてちゃんの中にいるでしょう? 傍にいることは変わらないわ。それに、はやてちゃんが話しかけてくれるんだから、寂しいことなんてない」
「はやてが……」ヴィータは視線を落とす。「あと何ページだっけ」
「300ページあるかないか、だと思う。たぶん、あと二ヶ月ももたないわ。でも、はやてちゃんが日記をつけ始めてから今日までがちょうど二ヶ月ぐらいだから、短いことなんてない。それに、ほら、グレアムおじさんのこともあるし、万が一を考えれば、そろそろヴィータちゃんが具現化しておいた方が対処もしやすいでしょ?」
「うん、それはわかってる、けど」ヴィータの言葉は力なく途切れた。
「それでも私のことが気になるなら……、そうね、闇の書の最後をはやてちゃんに伝える役目をお願いすれば、それで釣り合うかしら? それとも、私のことを気にして、というのが私の自意識過剰で、実は別の理由があって外に出られないなら、聞くけれども」
「ううん……、わかった。それでいい」はやての元に転生してくるまでは決してできなかったであろう複雑な表情でヴィータは言った。「……ありがと」
「はい、どういたしまして。それじゃあ、さっそく準備に取りかからなくちゃ。一応だけど、実体具現化周りのチェック、しといた方がいい?」
「いや、その辺は特に違和感とかないし、自分でテキトーに」
「そう?」
「まあ、ちょっと面倒だけど、それを言ったらシャマルの方が面倒な仕事多いし」
そのあたりのことは、昔はほとんどが自動で行われていた。それが今では、不随意筋のコントロールまでもを意識して行わなければならないような状態なのである。闇の書のシステムを内から掌握していった結果として、細かい手作業的な仕事が莫大な量になってしまったのは、予想していたこととはいえ辟易するに十分だった。
それから様々な作業が終えた深夜、ヴィータは静かに闇の書から出て行った。シャマルはそれを笑顔で見送った。お互いに顔を見合わすことはもう二度とないだろうと知りながら。
悲しくはなかった。
なぜならば、恐る恐るはやてのベッドに潜り込むヴィータと、穏やかに眠るはやてとを同時に見ることが出来たからだ。
はやてをすぐ近くからじっと見つめていたヴィータも、やがて寝息を立て始める。
それを見届けると、シャマルは気持ちを切り替えた。
「さて……、夜が明けるまでにもう一仕事しないと」
ページをさかのぼる。
明日、はやての友人が遊びに来る。その友人は図書館で魔法を目撃した少女でもあったが、あのとき以来、まるで忘れてしまったかのように魔法には触れないのだという。また、ほとんど初めての友人だということも手伝って、はやては月村すずかに夢中であるようにヴォルケンリッターの目には映った。
はやては明日に備えて早くにベッドに入った。しばらくの間は寝付けずにそわそわと動いていたが、いまは緩やかな呼吸で胸が上下するのみである。
ヴィータとシグナムは二人並んで寝顔を見守っていた。
いつの間にか、呼吸のリズムがはやてにつられて酷くゆっくりとしたものになっていたことに気がついて、ヴィータは誤魔化すように咳払いをする。すると、シグナムが首だけ動かして彼女を見る。問うような視線。
「……ほんとに今日にすんの?」ヴィータは更に誤魔化すように、しかし紛れもない本心でもある疑問を投げかけた。
「既にシャマルが準備を始めている。いまさら止めるわけにはいかんだろう」もう何度も話したはずだ、とシグナム。
「わかってるけど……、でも、前のとき、はやてがすごく心配してたの、シグナムも見てたじゃんか」
「前回があったからこそ、だ。似たような状況になれば、似たような原因があったと考えるのが普通だからな。加えて、今回はご友人が心を紛らわせてくれるはずだ」シグナムは口の端をわずかに持ち上げる。「シャマルにはまた汚名を被って貰うことになるが」
「あー、うん、シャマルは……」ヴィータは意図せず遠い目になった。「シャマルだし」
「ああ、シャマルだからな」
もちろん、仕事を終えたシャマルが近づいてきたことを知った上での発言だった。
「どうせシャマルです……」
「お疲れさま」ヴィータが言う。
「首尾は?」シグナムが尋ねる。
「どうせシャマルの仕事ですから」
「悪かった」シグナムが謝る。「信頼している」
「本当にこれからでいいの?」シャマルがヴィータと同じことを尋ねた。「今なら、まだ」
「いや、構わん。もう準備ができたのならば、今からでも行おう。その方が、作業の時間を多く取れるし、復帰も早くなるだろう」
「作業の時間も、復帰も、私が頑張れば」
どうにかなる、と続ける前にシグナムが笑いながら言った。
「シャマルの仕事だからな」
シャマルは目を閉じた。
数秒そのまま動かず、
目を開く。
その時には、もう瞳は揺れていなかった。
今となっては懐かしくもある、地獄に等しい戦場を駆けた頃と同じ瞳の色。
彼女は頷く。
「わかった。それなら、すぐに始めましょう」
「ちょっと……」ヴィータが声を上げる。が、続く言葉は出てこない。止める言葉が残っていなかった。
シグナムがヴィータの頭に手を置いた。「なに、少し形が変わるだけだ。我等は雲だからな。ときに雨にもなるし、川の流れに身を委ねることになるかもしれない」彼女の手がヴィータの頭を撫でる。「だが、見上げればいつでもそこに空がある。違うか?」
ヴィータは唇を噛んだ。
「主はやてを頼む。それに、シャマルを支えてやってくれ」
「……言われなくても」
「そうか」シグナムはシャマルに向く。「頼む」
こうしてシグナムは消え、闇の書への大規模な侵攻が行われた。
ページをさかのぼる。
『私がみんなに尋ねたいのは、私にも魔法が使えるのかどうか、ということです。 はやて』
その質問に、守護騎士三人は顔を見合わせる。
できるだけはやてを魔法に関わらせない。彼女たちはそう決めていた。もっとも、それならば最初から日記に返事をするなという話になるのだが、もう過ぎたこと。みんなでシグナムに説教をして、それでヴィータの中では決着がついていた。
「私が返事を」シグナムが言う。『恐らく不可能かと。 si』
一瞬の不思議そうな表情の後、はやては瑞々しい唇を尖らせた。頬が少し赤いのはどうしたことだろう。
「直球すぎ」ヴィータが言う。
「曖昧に濁せばいいわけではあるまい」
「それでも、言い方ってものがあんだろ」
「ほう」シグナムが面白そうに言う。「たとえば?」
「え? 具体的には、そうだな、あー、えっと……」ヴィータは唸った。結局思いつかなかったので逃げる。『ちなみにどんなの使いたいの? vi』
『空を自由に飛びたいな。 はやて』
「飛行?」シャマルが首を傾げる。思考より先に飛び出た言葉だったらしく、直後に「あ」と声を上げる。
「脚」ヴィータが言う。
シグナムが無言で頷く。
『きっとそのうち車イスも魔法もいらなくなると思う。 vi』
『そうかな? はやて』はやては首を傾げる。
はやてが悲観、というより諦観に基づいた未来予測をしていることを、守護騎士たち全員が知っていた。それも最近は少しずつ良くなってきてきているが、比較の対象が過去のはやてであるならば、誰だって楽観的だ。
はやてにはまだまだ幸せが足りないとヴィータは常々思っていた。
『そう。 vi』ヴィータが自分の分を書き、ザフィーラの代筆をする。『なります。 za』
『良くなります。 si』シグナムが自分の分を書き、ザフィーラの代筆をする。『いずれ良くなります。 za』
『きっと治りますよ。 sha』シャマルが自分の分を書き、ザフィーラの代筆をする。『治るはずです。 za』
ほとんど同時の書き込みだった。そして、皆、負担を自分が処理しようとした。チームワークを考えるあまり、チームワークが崩れていた。
全員がすぐに失敗を悟るも、書き込んで目に触れてしまったものは撤回できない。
はやては目が丸くしていた。同じように、口も丸く開いている。
ゆっくり口を閉じ、彼女は目を上下に走らせる。それぞれの書き込みを中途半端に読んでいる印象。
それから何か独り言を呟くが、ヴィータたちには聞こえない。
ザフィーラは元々発言が少なかったので、オリジナルの筆跡と比べて偽物を判別するのは難しい。しかし、複数の書き手による偽物同士を比べれば、それぞれ別人によるものだと気がつくかもしれない。
まずいな、と呟いたのはヴィータだったのかシグナムだったのか。
再びはやてが何かを口にし、それからペンを走らせる。
守護騎士たちは、息を止めてそれを見つめた。
『みんなありがとう。ザフィーラは落ち着きたまえ^^ はやて』
三人揃って、ほっと息をついた。
『自重します。 za』シグナムが書く。
『魔法が必要なときは、言ってもらえればお手伝いしますよ。 sha』すぐにシャマルが続く。
『そのときはよろしく。 はやて』
そのときはすぐに来た。
そして、シャマルは当たり前のように大ポカをやらかしたが、そのおかげで友人が出来たはやての鶴の一声でお咎めはなしになった。もっとも、シャマルにとっては、はやての中で自分のイメージがどんどん変な方向に進んでいくことこそが一番の罰だったようだが、それについてはヴィータもシグナムも慰めの言葉を口には出来なかった。
ページをさかのぼる。
『私の前世はサソリ座の女。
そして今生の私の正体はサソリ。ザフィーラがオオカミであるように、私はサソリなのです。
なめてかかると恐ろしい目にあいます。もうこれでもかというぐらい刺しまくります。ザクザクです。
毒だってあります。これを受ければ地獄みたいな灼熱の中でもがき苦しむことになります。ドクドクです。
主はやても気をつけてください。
Signum』
シグナムの名を騙ったこの悪戯は、あっさりと見抜かれてしまう。原因は筆跡と内容だった。
その犯人は、怒れる烈火の将にガミガミと説教されていた。いつもは適当に受け流すヴィータも、しかし、今度ばかりは真面目に聞かざるをえなかった。
はやてを慰めるためにやったこととはいえ、今になって考えると、確かにこれは拙い。
問題は、シグナムの名を貶めかけたことではない。他者の名を騙るという可能性が、はやての思考の道筋に組み込まれてしまった、ということだ。
本人が意識せずとも、一度得た知識は、後の思考に必ず影響する。それはときに理解の助けとなり、あるいは妨げとなる。今回の悪戯は、ヴォルケンリッターが隠し通したいものを明らかにしてしまう道へと連なる恐れがあった。しかも、よりにもよって今日行うことを示唆するような内容。
これには流石のヴィータも、気がついたときは顔を青くした。
なので、彼女は反省兼今後への備えとして、皆の筆跡の習得という苦行に素直に励んでいる。
そこに現れたのがザフィーラだった。
「…………」彼は静かにヴィータを見る。
「……なんか用?」ヴィータが不機嫌に言った。
「何故あのようなことをした?」責める口調ではなく、純粋な質問のようにヴィータには聞こえた。
「なんでって……、気がつかなかっただけだけど」
「そうか」納得したのかしていないのか、口調からはわからない。ということは、話しかけてきたときの声は、ヴィータに気を使って作ったものだったのかもしれない。
それからしばらく、弟子の修行を監督する師匠のように、ザフィーラが傍にいた。
その彼は、今日、消えることになっている。
皆で決めたことだ。
能力の都合から、実体具現化機能だけを削ったシャマルと、何一つ欠けるところのないヴィータだけが最後まで残ることになっている。
一方、シグナムとザフィーラは、闇の書に攻撃するためのプログラムを組み上げるために、早い段階で心身を捧げ消滅する。その第一段階が、今晩だった。
シャマルがその準備を始める直前、つまり今日の明朝、シグナムとザフィーラのどちらが先に消えるかという話になった。
二人とも、既に実体具現化の機能を削ぎ落とし、また、魔法の一つも使えない状態である。無敵を誇った烈火の将が、鉄壁を誇った盾の守護獣が、いまや一人の少女と会話するためだけの存在に成り下がっていた。どちらが消えたとしても、ヴォルケンリッター全体の能力は、同じだけのわずかな数値しか減らない。
そのような状況で、シグナムは自身が先に消えるべきだと強く主張した。
彼女とて、出来る限り長くはやてと共にいたいに違いない。それは、交換日記が始まるきっかけを作ってしまった張本人であることからも、よくわかる。しかし、だからこそ、シグナムは他の皆がはやてと共にいたいと強く願っていることもわかるのだ。
ヴィータがそう確信する理由は、ヴィータ自身が、他の皆がそう願っていることを理解できるからだった。そして、それはシグナムもシャマルもザフィーラも同じなのだろう。
そう、
それは、ザフィーラも同じだった。
だから、彼も言った。自分こそが先に消えるべきだ、と。
「我等の大方針は定まっているし、参謀が最後まで残ることも決まっている。加えてお前たち各々が優れた判断力を持つことを、私は知っている。既に将は必要不可欠ではない」
そう言ったシグナムに、ザフィーラは、
「だとしても、先に消えるべきは私だ。守護騎士が守るべきは、主の御身だけではない。私が先に消えた方が、主はやての御心を守るに易く、また確実だろう」
このように反論した。
彼の言葉の意味に最初に気がついたのは、シャマルだった。
「ザフィーラ、あなた……、もしかして……」シャマルは口元を手で覆う。
若干遅れて、ヴィータも気づく。
「そういやザフィーラ、はやてと全然しゃべんなかったもんな……」ヴィータはそこで言葉を止めた。喋りたかっただろうに、とは続けられなかった。
「そういうことだ。おまえたちも、シグナムを演じるよりは楽だろう」
口数少なかったのは、性格も後押ししたのだろうが、それでも彼は一番に消滅するつもりで、最初から自身を律していたのだ。
自分が早くに消滅するための努力。それを支える精神力はいかほどのものだったのか。
消えること自体は辛くない。むしろ、はやてのためならば喜んで消えられよう。しかし、はやてと別れることが辛くないかといえば、それはまったくの反対である。
はやてのために生きたいし、はやてのために死にたい。
その二律背反を、
生まれた意味を見つけ、死ぬ意味も見つけられた、十分に幸せである、
そう表現して、ザフィーラは消滅した。
それから何時間もかけ、闇の書への密かなる侵略を進め、ようやく闇の書の表層、外部とのコンタクト用の機能までを復帰させたとき、そこには心配そうなはやての顔があった。
『シャマルはご苦労さまでした。それに、助けてくれてありがとう。みんなもお帰りなさい。 はやて』
もう、みんなじゃないんだよ。
そう告げることも出来ず、ヴィータは返事を書く。
他の二人も、黙って返事を書いた。
『心配させてしまってごめんなさい。 shamal』
『ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。 signum』
『ただいま。 vita』
しばらくの無言。
シャマルがザフィーラの名で返事を書く。それで、はやてはにっこりと笑ってくれた。
その笑顔を見て、ヴィータは不意に思い至った。
もしかしたら、自分は、真相を知って貰いたくてあの悪戯をしたのかもしれない。
はやてに知られたくないし、はやてに知って貰いたい。
たぶん、その葛藤こそが……、
生きているという意味なのだ。
恐らく、ザフィーラも同じものを抱いたはず。
彼は、消える前に葛藤を解消できたのだろうか。
きっと、できたのだろう。
だから、はやてに何も告げず、静かに消えることができた。
悪戯の理由を尋ねられたとき、
綺麗な感情を抱いたまま消えることを決めてしまった彼の代わりに、ただ一言、
「はやてに知って欲しかったのだ」
と答えてあげられなかったことが、大きな心残りだった。