ゲルトは部隊長室への呼び出しに応じて義父の部屋を訪ねた。
見慣れたデスクに見慣れた男が座っている。
「お呼びと聞きましたが」
「おう、来たかゲルト。
まぁ座れや」
「はい、失礼します」
机の上には封筒が見えた。
礼儀には些か反するも流し見たその差出人は人事部となっている。
ゲルトの視線の動きにゲンヤも気づいたようだった。
「お前を呼んだのはその書類の件でな。
とにかく一回読んでみろ」
「はっ、では失礼して」
封を切り、中の書類を検める。
さほど枚数が多かった訳でもない。
見出しの数行で意図は察せられた。
「中途士官教育課程への……推薦?」
要するにキャリアアップの案内だという事であった。
ゲルトの現在の階級は准陸尉。
実績一本でここまできた。
これ以上の出世となると実績云々以前に資格が必要になる。
部隊指揮も含む、指揮官としての資格だ。
「またですか」
「そういう事だな。
前からも似たような誘いは何度かあったが、どうだ、この機会に受けてみねぇか?」
「は、ありがたい話ではありますが……」
歯切れの悪い言葉。
「何だ、まだ気乗りしねぇのか?」
「いえ……そういう訳では……」
どこかだ。
眉も、目も、口ほどに物を言うとはこの事か。
息子の心中などゲンヤにとっては手に取るようだ。
嘘がつけないと言えば聞こえはいいが……。
気を回し過ぎるのも考えものだ。
実際頭は足りてるがバカな息子だと思う。
「別に先任だなんだでラッドやらに遠慮する必要もねぇんだぞ?」
「その気が無いとは言いませんが、それより俺は前に立つのが性に合っています」
「この話も何回目やら、だな」
ゲンヤ自身、無駄と思いながらの話だ。
それでもこの話題が尽きない理由は簡単。
地上部隊が切望しているからだ。
「地上最強の男がいつまでも下士官じゃ困るんだとよ」
「魔導師の力量と部隊指揮のセンスとは別物であると思っていましたが」
「んなもん上の連中だって百も承知だ。
問題はお前さんが昇進しねぇと他の奴らに示しがつかねぇ、って事だよ」
ゲルトらの活躍は誰もが知る所だ。
周囲の耳目も集めない訳がなかった。
ごく普通の出世スピードで考えれば下士官の最高位というのは決して悪くはない。
しかしこれが本局ならもうとっくに三尉、いや二尉くらいにはなっていてもおかしくない働きぶりである。
むしろゲルト程の実力を示しても地上では出世が見込めないなどと言われかねない。
そうなっても腕自慢の魔導師が地上勤務を志してくれるだろうか?
考えるまでもなく、オーバーSランクの騎士が陸士部隊に居続けるというのはどこか歪なのだ。
謙虚は美徳だとしても、誰もが額面通りに受け取る訳でもない。
ゲンヤが養子に引き取った恩を盾にとってゲルトを縛っている。
そんな邪推を招いている事もゲルトは察していた。
「迷惑をかけて申し訳ありません」
「ガキがいっちょまえの口利くじゃねぇか。
大活躍ですみませんってか」
「いえ、その事ではなく」
「わぁってるよ。
ま、そっちも気にすんな」
ゲンヤは鼻で笑い飛ばした。
が、当たりが強くなりつつあるのは事実だ。
いずれ、いずれこの時間も終わりが来る。
それは親子共にどこかで理解していた。
「ま、気が変わったらいつでも言ってくれ」
だが今ではない。
まだゲルトは自慢の孝行息子にして信頼の置ける部下だ。
まだ、暫くは。
***********
「やっぱりダメですか」
「ああ、やっぱりダメだ」
ゲルトの去った後、部隊長室に残るのはゲンヤと、そしてギンガ。
二人きりだ。
他には誰もいない。
「あいつも大概頑固だからなぁ」
「やはり私が足を引っ張っているから」
「気にするな。
あいつはそうしたいからそうしてるのさ」
言葉にしてみてもギンガの曇り顔が晴れる事はない。
こちらの話も何回目になるやら。
「准尉には……」
「今は家族しかいねぇんだ、呼び方なんざ気にしなくていい」
「兄さんには、私がいない方がいいんじゃないかと思います」
「ーーーーそれはない」
俯いて話すギンガの思い詰めは根が深いようだ。
だが、それにだけは自信を持って答える事ができる。
ゲンヤは可愛い娘の肩を掴んだ。
「いいかギンガ。
それだけは、ない」
「でも、私は付いていくだけで精一杯だし」
「十分だろ。
これ以上何をどうしたいってんだ」
付いていけるような奴自体、他にどこにいる。
そもそも自分など魔法の一発も打てやしないのにゲルトらの指揮を執っているのだ。
皆出来る範囲の事をやるだけである。
しかしギンガの目標は明確だった。
「対等になりたいんです、兄さんと」
「どんな風になれば対等だ?
超強い騎士になってゲルトをボコボコにマウンドに沈めるとかか?」
「え、そんなつもりは……」
「だろ?」
ゲンヤはギンガにも、そしてゲルトにも不満はない。
現在の108部隊は地上部隊のどこよりも戦力的に恵まれている。
圧倒的と言ってもいい。
ギンガだけで見ても相当なものだ。
比較対象がおかしいだけの事である。
というより、戦闘力でどうにかしようというのが大間違いだ。
「お前は頑張りもんの部下だし、自慢の娘だ。
ただ、頑張り方が違うんじゃねぇか?」
「違う?」
「それこそお前がゲルトよりガチンコで強くなったとしても、あいつはお前を対等とは見ねぇよ。
分かってんだろ?」
「…………」
何故ならゲルトにとってギンガは妹だからだ。
見栄っ張りのあいつは頑として兄貴分の位置を譲らない。
そんな事は分かり切っていた。
ギンガにも分かっているはずだ。
「じゃあ、どうしたら……」
「さぁて、な。
ただ、それを考えるのが正しい頑張り方じゃねぇか?」
「そういうものですか?」
「おうよ。
第一ゲルトに勝ちてぇだけなら指揮官課程にでも進んで顎で使ってやりゃあいいんだ。
それか、ゲルトの分も食っちまうくらい事務仕事にバリバリ勤しんでみるってのもいい」
何も方法は一つではない。
ギンガの前に道は無数に広がっている。
ゲルトもそれを妨害するつもりはないだろう。
「ちなみに俺としちゃ後の方がオススメだ。
何と出来た孝行娘かと親父の評価も上がるぞ」
「私、割りと真剣に相談しているんですけど……」
「俺も割りと真剣に答えてるぜ」
どいつもこいつもアイツを持ち上げ過ぎている。
別段ゲルトは完全無欠のパーフェクト超人という訳でもない。
むしろ欠点など指折り数えればキリがない未熟者だ。
「ま、何にしても気負い過ぎないこった。
お前が思う程にゲルトは前にいる訳じゃねぇよ」
格好付けの見栄っ張り。
人が言うほど冷徹でもなければクールでもない。
頭に血が上りやすく、こうと決めたら譲らない頑固者。
他人の面子は気にする割に出世だとかからは逃げたがるものぐさ。
年相応の背伸びした餓鬼。
それがゲルトだ。
我が自慢の息子だ。
少なくとも、ゲンヤはそう思っている。
**********
応援の要請が広域チャンネルで放たれたのは宵口の事。
港湾の倉庫に正体不明の機械群が侵入。
扉をこじ開けて内部を物色中。
保管物にはロストロギアも含まれており、目的はその奪取と思われる。
夜間勤務の警備員が破壊を試みたが、対象は何らかの仕掛けで魔法を無力化。
現在一名の警備員が倉庫二階の事務室に立てこもっているが、一帯を占拠されている為に脱出できない状況にある。
通報を受けた現地部隊が交戦するも状況の打開には至らず、現在膠着状態。
民間人の安否確認が急がれるが、非常に危険。
「よそのヤマだが出撃させろってか?」
「俺なら魔法が効かない相手にもやりようがあります」
「んな事は分かってる。
ただ、それだけじゃねぇだろう」
隊長室へ飛び込んだゲルトは即時の出動を訴えた。
実際には乞われて出動する事も少なくないが、自ら余所の事件に介入するなど通常ありえない事である。
それこそ本局武装隊の出番であると言えよう。
「敵は、例の連中なんだな?」
「……まず間違いありません」
ゲルトの琴線に触れたのは言わずもがな魔法を無力化する機械の存在であった。
ゲンヤとて八年前、ゼスト隊に襲い掛かった悲劇のあらましは承知している。
何せ当事者が目の前で常になく強硬に出動を主張する息子と、そして事件を機に引退を余儀なくなれた己の妻なのだから当然だ。
事件の聴取やクイントの話から大凡は理解できた。
ゲルトの逸りも無理はないだろう。
自分自身この件へ惹かれる気持ちは否めない。
全貌が解明されないまま放置されたあの悪夢に何らかの進展があるかもしれない。
だからこそ、彼は考えざるをえなかった。
「お前は今冷静じゃない」
「いいえ、心持ちがどうであろうと冷静に動けるように訓練しています」
嘘ではあるまい。
しかしいざ因縁の敵を前にしてもそうでいられるか。
それが問題だ。
前回は妻共々奇跡的に生き延びたが、今回もそうであると誰も断言はできない。
脳裏に浮かんだゲルトの姿は今よりも随分小さい少年のものだった。
『あなたは、俺を恨んでもいいんです』
もう目の前の息子はあの時の子供ではない。
だが、それでも。
「いや、やっぱりーーーー」
駄目だ、そう告げようとした矢先に通信が入った。
正式な応援要請だ。
それもゲルトを指名しての要請だった。
当然ではある。
魔法が効かない相手に魔法に頼らずとも戦える人間を当てるというのは至極理に適っていた。
出動承認に時間のかかる武装隊に現地の指揮官が痺れを切らしたのだろう。
しかしおかしいのは通信管制から告げられた、ゲルト本人も既に了承済みであるという一言だった。
同様の能力を持った敵との戦闘経験があると聞いているとも伝えられた。
理由は明白だった。
「お前、ここへ来る前に……!」
「はい。
先方へ話を通しました」
何が冷静だ。
直属の上司である部隊長を差し置き、勝手に管轄外の事件への協力を申し出る。
少なくともゲルトはこういった真似を率先して行うような野心とは無縁の存在だ。
それは紛れもない執着の表れ。
ようやくと息子は決まりの悪そうに眉を顰めた。
「部隊長を通さず勝手をした事は謝罪致します。
後でどのような処分でも受けるつもりです」
「馬鹿野郎!そういう事じゃねぇ!!」
思わず立ち上がって叫んだ。
階級も序列もどうでもいい。
ただ、ゲルトが心配なのだ。
本当にただ、それだけなのだ。
それがなぜ分からない。
誰よりもそれを理解しているのがお前だろう。
いや、分かった上でもこの因縁への未練を捨てきれないのか。
何故だ。
「絶対に勝てるとでも言うつもりか!?」
首都防衛隊ですら敗れたのだ。
あのストライカーゼストですら生き残れなかった。
現地部隊で手も足も出ないというのだから殆ど孤立無援の状況に飛び込む事になる。
ゲンヤは一人の父親としても、一人の指揮官としても、そんな場所へゲルト一人をやりたくはない。
だからこそ息子も目を逸らす事はなかった。
「勝ちます、今度こそ」
そのための八年。
そのための訓練。
そのための強化。
「行かせて下さい。
俺が、俺の運命に決着をつけるために!」
「ーーーーっ!」
無駄だと悟った。
この件に関しては絶対にゲルトは止まらない。
申し訳なさげな顔をしようと意見を曲げる事だけは絶対にない。
それを悟ってしまった。
部隊長でも、父親でも、ゲルトを止める事はできない。
「……分かった」
だからこそ選択するしかない。
改めて椅子へ腰を下ろしたゲンヤは息子を見つめる。
「正式な応援要請が来た以上は仕方ねぇ。
お前の好きにしろ」
「はっ!
ありがとうございます!」
背筋を伸ばしたゲルトが挙手の敬礼で応じる。
ゲンヤの面子を潰しかねない今回のやり口は息子としても心苦しくはあったのだろう。
「ただし一つだけ条件がある」
「はい、何でしょうか」
「……ギンガを連れていけ」
「なっ、ギンガを!?」
それは爆弾だった。
裏切られた、とでも言わんばかりの顔。
しかしゲンヤにも譲れないものはある。
「今一番大事なのは閉じ込められた民間人の救助だ。
それが出来なきゃ幾ら連中をぶっ潰そうが意味はねぇ」
「それは、もちろんです。
だからこそ俺はーーーー」
「一人の方が有利だってのか?」
「…………」
ゲルトが黙り込んだ。
無言の肯定だったのだろう。
だが、それは欺瞞だ。
ゲルト自身をすら欺く事ができない下手な嘘だ。
一人と二人でどちらが有利か。
改めて考えるまでもない明白な理だ。
なぜそれを無視するのか。
なぜ無視しようと思ったのか。
なぜ、無視してしまいたかったのか。
ゲンヤにはその理由が分かる。
そして、それだけは許せない。
「大見得切った男が、今更ビビってんじゃねぇ!!」
それは彼が逃げているからだ。
無意識に八年前の悪夢の再来を恐れているからだ。
だから一人でなどと言い出す。
恐怖そのものが悪いのではない。
問題なのはゲルトが現実から目を背けている事だ。
己の定めた使命よりも逃避を優先させ、その事実に見ない振りをした。
「ギンガはお前の妹か?
違ぇだろ、鉄火場で背中を預ける相棒だろうが!」
「ッ!」
「甘えるな。
お前をここに置いているのは兄貴面をさせるためじゃない」
ゲルトは文句なく強い男だ。
八年前の地獄からもこいつは帰ってきた。
完全に罠に嵌った上での敵中突破。
雲霞のような敵の群れを、それもお荷物でしかなかった瀕死の女房まで抱えて。
事件の聴取、ゲルトの話、クイントから引き出した話。
どう擦り合わせてもこの息子以外に切り抜けられるとは思えなかった。
限界を遥かに超えた魔力の行使はさぞ苦しかったろう。
家族同然の仲間を置いて逃げるのはさぞ辛かったろう。
だが、だからこそ今ここで逃げさせる訳にはいかない。
「任務も果たす!
ギンガも帰るし、お前も帰ってくる!」
ゲルトはこちらの言葉を噛みしめるように黙り込んでいた。
聡い男である。
ゲルトも分かってはいる筈だ。
「それが運命に打ち勝つって事だろ。
違うか?」
「……いえ、その通りです」
「なら、俺の言いたい事も分かるな?」
「安全第一、ですか」
その言葉を聞いてゲンヤはようやく満足気に頷いた。
ゲンヤは確信している。
この息子こそ最強であると。
そして息子と娘のコンビは無敵であると。
「それさえ分かってればいい。
俺はもう何も言わねぇ」
だからこそ、最後には笑って言う事ができる。
伏せた瞼を開けばいつも通りのにやけ顔だ。
「俺の分まで思い切り暴れてこい。
頼むぞ、ゲルト」
「ーーーーはっ!」
最敬礼。
踵を揃えたゲルトが最敬礼する。
「ありがとうございます。
やはり、俺はここにいて良かった」
「へっ……全く、手のかかる息子だぜ」
**********
『目標地点まで僅か』
「ああ、見えてる」
黄金の瞳が見つめる先、シャッターの破られた倉庫周辺で蠢く影がある。
夜闇の中で見える筈もないそれがゲルトにははっきりと見えた。
戦闘機人特有の暗視能力。
熱赤外探知、光量増幅、黄金の瞳が全てを見通す。
虫のように蠢く、カプセル型の機械群。
八年前の悪夢の続きがそこにある。
「准尉?」
「間違いない……奴らだ」
ギンガの問いにも答えず、固く噛み締めた奥歯が音をならす。
ガジェットドローン。
通称ガジェット。
かつて首都防衛隊においてゼスト隊が交戦した機械仕掛けの無人兵器。
「いいか、ガジェットに接近されると魔法の構成を崩される。
防御より回避を優先しろ」
「はっ、はい!」
ギンガの声色に緊張が混ざっている。
出動自体は珍しい事でもないが、今回は相手が相手だ。
これまで八年前の詳細をギンガに語った事はなかったが、何も話さない訳にもいかない。
動揺をもたらすにしても、無知無策のままに突っ込んでよい相手ではない。
「それと……背中の警戒を忘れるな。
俺達の“目”でも見えない奴が紛れている可能性がある」
忘れる筈もない。
忘れられる筈もない。
「母さんはそれにやられた」
「!!」
照明の落ちた通路。
ひしめくガジェット共。
罠に嵌められ、退路はことごとく閉ざされて。
羽虫のように追い回され、背には重傷のクイント。
文字通り血反吐を吐き、魔力を絞り出し、デバイスを削った。
死力を尽くした。
そのつもりだ。
そして、そして……どうなった?
「ようやく、見つけた」
熱。
火。
焼け落ちる施設。
絶叫。
暗転。
帰らなかった仲間達。
全てが昨日の事のように思い出せる。
あれから八年。
ゲルトは視線を愛槍に落とした。
彼女は当時、まだ話す事もできなかった。
今は違う。
「雪辱だ。
今この時に限ってお前の枷は全て外す」
『待っていました、この時を』
音もなく非殺傷用の魔導カウリングを解除。
漆黒の刃がその真の鋭さを取り戻す。
主を害すもの、その歩みを妨げるもの、何者も許しはしない。
今度こそ。
そう、今度こそだ。
『最後まであなたと共に』
手の中でナイトホークが震えたように感じた。
それとも自分の拳が震えているのか?
同じ事だ。
彼と彼女の意志は常に同じ方向を向く。
応、と答えたゲルトは視線を倉庫に戻した。
黄金の瞳には爆発寸前の感情が揺らめいている。
溜め込むには危険な情動だ。
「俺が暴れて奴らの注意を引く。
ギンガ、お前は要救助者の確認と避難誘導だ」
「二人がかりでまず障害を排除した方がよくありませんか?」
「それも考えたが、人命優先だ。
速攻で片を付ける」
中の人間が今も無事かは分からない。
である以上、猶予はないものと考えるべきだ。
「半端な魔法はこの際無駄と思え。
頭から全力でいくぞ」
「はい!」
ナイトホークもペイルライダーも心得たものだ。
全力稼働までの準備は示し合わせたように同時。
『『フルドライブ』』
弾けるカートリッジ。
本来なら魔導師生命を賭けた切り札のそれを、ゲルトもギンガも惜しげなく起動する。
『パラディン正常動作中。
存分に』
「ああ、ナイトホーク。
食い尽くすぞ」
そして、
「安心しろギンガ。
奴らを一機たりとも近付けはしない。
お前はお前が今すべき事にだけ全力を尽くせ」
「はい。
准尉も、その……無茶だけはしないで下さい」
伺うようなギンガの声音はゲルトの心を射抜いた。
それほどに俺は揺らいでいるのか?
そう見えるのか?
「……無茶、か」
すぅ、とゲルトは大きく息を吸った。
ギンガは背後にいる。
笑顔を、作らねば。
何でもない事なのだ。
こんな事で惑う鋼の騎士ではない。
こんな事で我を失うゲルト・グランガイツ・ナカジマではない。
「昔は、無茶だった」
笑え。
笑え、ゲルト・グランガイツ・ナカジマ。
「だが、今日はお前がいる」
そう、一人じゃない。
ギンガへ言った通りだ。
俺は俺のやるべき事に全力を尽くせばいい。
父にも誓った。
悪夢は、繰り返させない。
「頼りにさせてもらうぞ」
「ーーーーはいっ!!」
ギンガは大丈夫だ。
確かに、救助という観点でなら足の速い彼女が適任。
あとは自分が障害を排除するだけの事。
それにだけ持てる力の全てを注ぐ。
「では、先に出る。
合図を待て」
逆襲の時だ。
ゲルトは宙を駆け、流星となった。
夜闇を貫き敵の群れへ一直線に向かう星。
脳内を駆け巡る過去の映像、過去の記憶。
取り返せないものを奪われた。
「ぉおおおおおおおお!!」
敵集団中央へ狙いを定め、吶喊。
喉から、腹から、魂から迸る咆哮。
米粒のようなそれらが瞬く間に目前に迫り、そして。
「らあッッ!!」
滑空から勢いそのままに斬撃。
脚甲が路面を抉ると同時、死の稲妻が駆け抜ける。
いかなる拒絶も許さぬ明確な意思表示。
カプセル状のガジェット実に十機が”二十機”になった。
刃が薙いだというのは結果に過ぎない。
十のガジェットをなぞった剣線ーーーーそう、線が敵を切断したのだ。
外殻も、バッテリーも、核たるコアも、全てが真っ二つ。
まるでダルマ落としのようにずれ落ちて、次の瞬間には剣圧に負けた破片が弾け飛んだ。
さながら嵐に晒された木の葉の散り様。
両断された本体から無数の部品が零れ落ちる。
舞い降りた騎士を中心に奴らの中身が放射状にぶちまけられた。
ネジやケーブルや何かの半導体。
それが奴らの血飛沫だ。
そしてゲルトの体を構成するものでもある。
自分の体を半分に割れば同じものが飛び散るに違いない。
だが去来すると思われた感傷がゲルトの胸を刺す事はなかった。
この体を構成するものが何であれ、この体を支えているものは己だ。
己の精神であり、己の過去だ。
それをただ当たり前に承知しているだけである。
動揺など、復仇へ燃え盛る闘志の前に立ちふさがる余地などありはしない。
ゲルトに干渉しようとするのは、むしろ外からの力だった。
『八年前と同波形の魔力干渉を確認』
AMF。
外部から魔力の結合を妨害するような干渉が感じられた。
ようやく襲撃者の存在に気付いたガジェット達が近寄ってきたのだ。
わらわらと虫のように湧いてくる。
連中の数が増すほどにAMFの干渉はさらに強まった。
攻撃魔法はもちろん防御、移動、通信、あらゆる魔法の発動を妨害するフィールド。
なるほど並みの魔導師ではまともな魔法行使もままなるまい。
効果範囲内に位置するゲルトも当然、その影響からは免れえない。
しかし、
「これ以上、お前らにくれてやるものなど……!」
制御。
極限の制御。
微塵も漏らさぬ完璧な制御。
「ーーーーッッ!!」
内から迸る嵐のような魔力を収束、結合。
いつもの訓練と同じ。
ただいつもより何倍もの深度でそれを行う。
身を焼き尽くすような激情が鋼を精錬する炉のごとくゲルトを研ぎ澄ました。
何時にない精神の高揚がそのまま力へ。
フルドライブの出力はそのままに、その放出口を絞り上げる。
パラディンの、いやナイトホークのサポートで初めて可能になる限界のレベルまで。
ウォータージェットのように超高速、超高圧で噴出した魔力は外部の力など押し流し、跳ね除けた。
そして斬って、斬って、斬りまくる。
ゲルトの通る道がまさに血路となるのだ。
ギンガの道を作る、その為に。
そして蹴散らした敵の壁が、ついに事務所まで一本の線で繋がる。
「道が開いた!
行け、ギンガ!!」
「っ、了解!」
轟音。
唸りを上げたペイルライダーが歓喜の鬨を上げた。
溜めに溜めてその時を待っていた力が爆発。
急回転したホイールが魔力で紡がれた道を削りながら疾駆する。
目標は二階の窓。
突入口は荒っぽくも破壊して作る。
障害は無視。
とにかく最短で突っ切る。
それでも、視界の端にはガジェットの群れがちらつかざるをえない。
あれに母さんが、それに兄さんも……。
いや、余計な事は気にするな。
兄の言葉を思い出せ。
今はただ進む。
ただ守る。
それだけに集中しろ。
窓の前に人影はなし。
大きく踏み切ったギンガは飛び蹴りでガラスを突き破り、転がるように事務所内へ。
.
粉々になった破片はバリアジャケットの防護に任せ、流れた視線は室内を掌握する。
そこでテーブルの下に蹲る女性と目があった。
「管理局の者です!
救助に参りました!」
「管理局の……あっ、ありがとうございます!!」
慌ててテーブルから這い出してきた女性は紺色の制服姿。
手には簡素な杖型のストレージデバイスが握られていた。
事前情報にあった警備員で間違いない。
「ここには貴方一人だけで間違いありませんか?
他に逃げ遅れた方はいらっしゃいませんか?」
「いいえ、もう私だけです。
入り口を守ろうとしたんですけど、魔法が……そう魔法が効かないんです!
何発も撃ったのに目の前で掻き消えてしまうみたいに!
私、どうしようもなくて!!」
その瞬間を思い出したのか、女性は堰を切ったように襲撃者の異常さを訴えた。
よほど恐ろしかったのだろう。
口調からは錯乱する様子すら感じられた。
安全にここを離れてもらう為にもまず落ち着かせなくては。
「もう大丈夫です、安心して下さい。
脱出を支援しますので、窓から外にお願いします」
「で、でもーーーー」
「大丈夫です。
下で兄がーーいえ、鋼の騎士が戦っています」
そう、彼が戦っている。
己の知る限り、世界で最も強い人が。
「は、鋼の騎士?
じゃあもしかして、貴方達が……ナカジマ兄妹?」
「はい。
私達は、誰にも負けません」
自らにそう言い聞かせ、彼女を連れ立って先に蹴り破った窓へ歩み寄る。
ウイングロードは変わらず青い輝きを保っていた。
脱出路は無事。
つまり、ガジェット達は一切ここへ近寄れなかったという事だ。
兄は宣言通り何者も寄せ付けなかった。
と、言うよりも。
その光景にギンガは一瞬息を飲んだ。
「よ、要救助者を確保しました」
「ああ、よくやった。
こちらも今、片付いた」
全滅。
ガジェット達は文字通り全滅していた。
眼下に広がるのはコンクリートへ無数に刻まれた斬撃の跡と、残骸の山。
そしてその中心に立つ、無傷の兄の姿であった。
ギンガが事務所に入ってどの位の時間があった?
視界から外れたのはどれだけだった?
最早動くものは何も見当たらない。
もう、終わったというのか。
「流石、ですね……」
呆然と声を上げたのは背後の女性も同じだった。
手も足も出ないと覚悟した存在が、無残にあちらこちらへ転がっている。
頭が理解を拒むのも無理はない。
ギンガはおかげで冷静さを取り戻す事ができた。
「2ブロック東に救急車が待機しています。
そちらまで案内します」
「はっ、はい。
よろしくお願いします」
ウイングロードは固定化された魔力の顕現が主な能力だが、もちろん他者もその恩恵に与る事ができる。
まさに空へ架ける橋。
この上を進んでいくだけで封鎖地域を超える事が可能だ。
ペイルライダーの出力を落としたギンガが庇うようにして事務所から一歩を踏み出す。
その時だった。
「!」
突然、倉庫近くのマンホールの蓋が一斉に弾け飛んだ。
次々にその穴から沸いて出てくるのは、またしてもガジェット達。
「新手か」
「そんな……」
考え込む時間などなかった。
ゲルトは腕を振ってただ、『行け』とだけ合図する。
動揺らしい感情の動きは全く見えない。
サインを送る当の本人は姿勢を前に傾け、既に臨戦態勢を取っていた。
悩むな。
動け。
ゲルトの強い視線は無言でそう告げていた。
問答など必要ないと、そう言っている。
「すみません、失礼します」
「ひゃっ!?」
一言断って護衛対象を抱え上げたギンガ。
ゲルトを一人置いて行く。
ギンガが何も思わぬ訳もない。
葛藤はある。
悔しさもある。
だが、それ以上に果たすべき責務がある。
この人に誇れる妹である為に。
「すぐに戻ります!
それまでお願いします!」
「ああ、任せろ」
走り去るギンガ達を背に、ゲルトはガジェット達の前へと立ち塞がった。
飽きもせずAMFを展開しているようだ。
今度こそ本当の孤立無援。
だが、臆する気持ちは微塵もない。
望む所だ。
なにせ彼はずっと。
そうずっと。
「あの時も、俺は“こう”したかった」
もしも不意打ちを受けたのがクイントではなくメガーヌだったら?
そうであれば足の速いクイントがメガーヌを背負い、そしてゲルトが殿を務めただろう。
きっと三人共揃ってあの日を超える事ができた筈だ。
しかし、そうはならなかった。
『早く行って!
お願い、クイントを助けて!!』
あの人の最期の言葉が頭を過ぎる。
ナイトホークを保持する両の手が砕かんばかりに固く、強く握り締められる。
記憶に残るメガーヌの姿は何時までも美しく、そして悲しかった。
守るべき赤子を残したまま、彼女はどれほどの覚悟であの決断を下したのか。
そして今、去りゆくギンガもあの日の己と同じ気持ちなのだろうか。
「いいや、前とは違う」
ギンガ達との間を特大のファームランパートが遮断する。
何もかも、前提から八年前とは違う。
自分は死なない。
ギンガは無事に脱出する。
そして奴らは、
「…………」
雨が降り始めた。
誰しもに等しく降り注ぐ恵みの雨は瞬く間に大地を濡らす。
天も味方したか。
これなら不可視の敵に脅かされる心配もない。
やれる。
睨みつける視線の先に怨敵はいる。
しかし最早かつてのような脅威には感じなかった。
先の一戦で十分に分かってしまったのだ。
もう、俺が狩る側だ。
間合いを知らしめるが如くナイトホークを振り回すゲルト。
風を切る音。
吹き散る水滴。
確かな力。
それがこの手にある。
同時に彼の耳には部隊から着信のコール。
『今更だが応援が出たらしい。
どうやら邪魔が入りそうだな』
応援を邪魔の一言で切り捨てる部隊長がどこにいるものか。
しかし、それも息子への信頼あればと思えば頼もしい。
耳に届くゲンヤの声には不安の色が欠片も感じられない。
『もう一踏ん張りだ。
やれるな?』
「ええ、お任せを」
続々と現れるガジェットの群れ。
キリがないとはこの事。
しかし、間もなく応援が来る。
ギンガもすぐに合流してくるだろう。
『ぶちかませ、ゲルト』
「はっ、ぶちかましてやります」
あと百でも二百でも来ればいい。
気力体力ともに十二分。
お前らを破壊し尽くすくらい訳もない。
残らず切断してくれる。
そう、
「務めは果たした」
救助はほぼ完了。
ギンガもこの場を離れた。
ならばここから先は騎士でなく、局員でなく、兄でもなく。
ただ一人の男として。
ただ一人のゲルトとして、己の為だけに戦う。
「逃がすものか」
そう、逃しはしない。
ゲルトは一歩を踏み出した。
震えるような怒りを力に変えて戦うのだ。
ゲルト・グランガイツ・ナカジマという男の半分を憤怒が燃やす。
ゲルト・グランガイツ・ナカジマという男のもう半分を憎悪が奮わす。
応報せよ。
内なる記憶が重ねて叫ぶ。
奴らの因果に応報せよ。
声は幾重にも積み重なってゲルトの脳裏に響き渡る。
飲まれてはいない。
そう思う。
制御できている。
その筈だ。
この感情を糧とし、奴らなど造作もなく斬り捨てる。
ただそれだけの事。
それだけの、筈……だが。
ギンガにこの姿を見られたくはなかった。
何故か、それだけは強く思った。
「手早く、片付ける」
錆になれ。
ナイトホークの錆としてのみ、貴様らの存在を認めてやる。
言葉にできない感情をあまさず託し、愛槍を上段へ。
潰す。
全て潰す。
「すまないがもう一働きだ、ナイトホーク」
『問題ありません。
斬り足りなかった所です』
「ああ……全くだ」
あの時とは、八年前の自分とは違う。
こいつらを鏖殺するに足る技量があるのだ。
半身の姿勢で深く構える。
丁度その時、正面に揃ったガジェット共の中央部に次々と発光を確認。
視界を覆う赤い光。
今日何度も見た奴らの攻撃予備動作。
頭の中で冷静に発射間隔を計算している己がいる。
「ーーーー今!!」
次の瞬間、頭上を通過するレーザーの帯。
低姿勢の特攻で第一射を躱せば、もう奴らの喉元へ手が届く間合い。
神速の直線機動が機械仕掛けに追えるものか。
大気の壁を纏い、水しぶきを上げながら眼前の五機をスクラップに変える。
「次!」
だが奴らの破片が路面で跳ね回るのも見届けず、ゲルトの視線は次の獲物へ。
続く第二射を跳躍で凌ぎ、更にファームランパートを蹴る事で姿勢制御。
熱線がゲルトを捉える事はなく、そして彼は宙を意のままに駆け抜ける。
虚空に身を委ねながらも槍の冴えは増すばかり。
「六!七!八!」
曲芸師のように空中で身を捻る動きから更に三機のガジェットを破壊。
刃はいとも容易く金属を切り裂いて見えたが、地面に叩き付けられた残骸は激しくバウンドしている。
羽のように軽々と振り回されるナイトホーク。
しかしその重さまで無くなった訳ではない。
ゲルトはその遠心力を利用して着地滑走。
アスファルトを靴底で削りながら降り立った、そこは敵の真っ只中。
どちらを向いても敵だらけ。
踏み込んで体ごと半回転すれば刃はまた威力を取り戻す。
溜めは動作と完全に合一していた。
魔力に満ち満ちた刃は既に臨界。
舗装された路面は震脚に砕け、踏み込んだ水たまりは炸裂する。
既に全開放のフルドライブ状態から更にもう一発のカートリッジをロード。
ガジェット達が照準を合せるよりも早く、
「斬!!」
一閃。
この日最速にして最強の斬撃。
その刃は敵を斬った。
その刃は大気を斬った。
その刃は雨をも斬り伏せた!
天から落ちるはずの滴が斬線に沿って平行に断ち切れ、ぶちまけた絵の具の如く壁を濡らす。
音速を超えた刃。
それを受けてしまったガジェットの群れは切れるどころか、まさに“千切れた”。
鋭過ぎる斬撃で裂かれた部位が直後の剣圧で抉れた結果だ。
そして間髪入れずに吹き荒れた暴風が残骸を纏めて吹き飛ばす。
強制的に作られた真空を埋めるべく、世界が帳尻を合わせようと言うのだ。
たった一度の斬撃から放たれる三連の破壊現象。
文字通り必殺を、それだけを求めた一薙ぎ。
人間相手には生涯封印されるだろう忌むべき、しかし最高の技。
「ハーーーーァ」
口から溢れる熱の篭った吐息。
日常ついぞ使われる事のない全力を出し切る爽快感か、復讐を遂げる満足感か。
自らが圧倒的強者であるという揺るぎなき事実の確認。
原初の高揚。
自らの口元が歪むのをゲルトははっきりと認識した。
今までも朧気ながら姿を現していた獣としての本能。
視覚も聴覚も阻害する土砂降りの雨に晒されてなお、そいつは敵の存在を明確に嗅ぎ分ける。
奴らの視線を肌で感じ、奴らの移動を気配で読む。
シグナム戦で感じた感覚の鋭敏化を越えた、言わば超直感。
眼前側面後方に死角なし。
ガジェットと同じ眼で見て、ガジェットと同じ耳で聞いてもそれを処理する脳が違う。
それを行使する魂が違う。
格の違いは明白。
それでも命なきガジェット達が怯む事はない。
誘蛾灯に引かれる羽虫の如くゲルトを囲み、そしてあえなくゴミと成り果てる。
「来い、寄って来い!」
ガジェットの群れをなぞる様に斬る。
獲物を斬れば斬る程に獣は笑い、動きのキレが増す。
頬を汚す返り血ならぬ返り油も意に介さず、猟犬さながらの正確さで腑分けする。
追従できるのはゲルトの挙動に押しのけられる水しぶきのみ。
無意識にまで刷り込んだ技に確かな意思を乗せて、振るう。
お前らさえ、いなければ……!
クイントが傷付く事はなかった。
ゼストが、メガーヌが、皆が死ぬ事はなかった。
そして、
俺がここまで至る事もなかった!
超音速の二連斬。
殺意という強烈な意思を明確な方向性を持って投射。
激情とは燃料なのだ。
制御できるならこの上ない力を発揮してくれる。
こんな雑魚どもを蹴散らすにはもったいないくらいの圧倒的な力。
制御できなければ?
その時、この力は真っ先に己を焼くだろう。
周囲をも巻き込んで何もかも焼き尽くす。
「だが、そんな日は来ない」
手当たり次第に獲物を食い散らしながら、ゲルトには傷の一つも見当たらない。
戦意は旺盛。
呼吸は一定。
本来は自傷行為に等しい全力開放を行い続けてなお、戦闘機動に一切の狂いなし。
これが、これこそが、
「兄さんの、本気……!」
その時、ギンガの背筋に走った戦慄をどう形容すればよいだろうか。
部隊から送られる現場情報で兄の戦闘は、その一部始終が彼女の網膜に刻まれていた。
計測器を振り切らんばかりの魔力がゲルトの体から陽炎のように絶えず噴出する。
普段の彼からですら懸絶した才を納得せざるをえなかったものだが、これはそれとすら桁が違う。
旋回する槍の穂先は傍目で見ているのに視認できなかった。
ただ破壊されたガジェットの飛沫と、路面に刻まれる爪痕からそれを察するより他はない。
ゲルトの腕が閃く度、為す術もなく割断される機械の群れ。
寸止めの必要さえ、加減の必要さえなければ“こう”なのだ
死角を突いて体当たりを仕掛けたはずのガジェットですら一瞥もされずに殴り飛ばされていた。
蚊でも払うような無造作の裏拳打ち。
だというのにガジェットの鋼鉄のボディは九の字に拉げ、そして弾かれる間もなくファームランパートに切断された。
極限まで薄く展開したテンプレートは名刀同然。
獲物の背後に展開した障壁は最早敵を斬り裂く第二の刃。
あんな技、見たことない……。
訓練では無論の事、シグナムとの仕合いですら使わなかった殺し技。
目標に対して垂直方向からの障壁展開。
今日のゲルトに枷はない。
蹂躙し、殲滅する。
多勢に無勢という言葉は彼に対して全く意味をなさなかった。
彼が襲い、彼が滅ぼす。
圧倒的な戦いぶりは畏怖に近い何かを掻き立てられずにはいられない。
この状況を表現するとしたならば、それはーーーー
「鎧袖一触としか呼びようがないじゃないか!!」
無限の欲望が嗤う。
**********
「はははっ!いいね!素晴らしい!!」
「よろしくは、ないかと。
既に第二陣の八割が応答しません」
マーカーは秒刻みで消えていく。
地下水路を利用してガジェットは随時現場へ向かっているが、言わば戦力の逐次投入に過ぎない。
彼の知覚に入るやいなや、その機体も即座に真っ二つだ。
「いいや、彼の事さ。
流石は奇跡の産物」
「奇跡、ですか?」
「そうさ、彼は言わば君たちのプロトタイプと言える訳だが……。
それが上手くいったと思うかい?」
「いえ、ドクターも関与されていないという話ですし難しいかと」
ウーノは首を振る。
必然の探究者たる科学者の放つ言葉とも思えないが、スカリエッティは実に楽しそうだ。
まぁ、何が彼の琴線に触れるのかは彼の因子を備えたウーノですら察しかねるものではある。
「そう、戦闘機人技術すら確立していない当時に人造魔導師としての素養まで求めたんだ。
誰が見ても明らかに勇み足の計画だった」
ゲルトらの実験にスカリエッティは直接関与していないが、研究データは吸収している。
技術の熟成を疎かにした途方もない高望み。
失敗しても当然だ。
トライアンドエラーが基本とはいえ、一体幾つの検体が無駄になったのやら。
「しかし何の偶然かあっさり彼が生まれてしまった。
拒否反応なく機械を受け入れる体と、ストライカー級魔導師のリンカーコア。
さらに先天的に固有技能まで保有した怪物が」
当の科学者達が最も混乱したのは、何も問題がなかった事だ。
成長の経過も良好で、精神面にも異常な偏りが見られない。
ほぼ理想通りで、完璧に近い結果。
どう考えても無茶であり得ない計画だったのにうっかり成功してしまった。
だが、なぜ安定しているのかが分からない。
時が経っても彼は理想通りであり続けた。
問題点の洗い出しができなければ次へ活かす事もしようがない。
だから諦める事もできずにズルズルとまた実験を繰り返す。
膨大な資金と夥しい犠牲を積み上げて、ただ繰り返す。
手にしてしまった奇跡へ縋るように。
「彼は眩し過ぎるんだ。
一体どれだけの人間がその光に狂わされた事か、彼は知っているかな?」
科学者達は行き過ぎた研究から管理局に尻尾を掴まれて壊滅。
後援者を気取るレジアスは自らの正義に反するドブ泥に足を突っ込み。
それに……。
彼の目は”もう一人の”戦闘機人へも向く。
折角市井で生活できた戦闘機人まで戦いの場に舞い戻った。
「ドクターもその一人だと?」
「私かい?
ああ、私だって彼に興味津々さ」
一瞬意外そうに目を開いたスカリエッティは改めてモニターのゲルトへ視線を移す。
強い。
それも圧倒的に。
「実働する最初の戦闘機人にして、最大の実戦経験と最高の実戦証明を積み重ねた個体。
欲しくなってしまうよねぇ」
折しもゲルトが最後のガジェットを斬り伏せたのはまさにその瞬間だった。
ガジェットからの映像が振り切られる刃とともに断絶する。
まるでこちらを拒絶する彼の意思表示のようだ。
「残念ですがゼロファーストには歯が立たないようです。
今回はここまでですね」
「……」
倉庫に収められたロストロギアの全てを検分できた訳ではないが、重要区画は優先でチェックした。
それで無ければここにレリックがある可能性は限りなく低いだろう。
第二陣を止めなかった事自体無駄であったと言える。
その指示を出した張本人であるスカリエッティは無言で何も映さぬティスプレイを見つめている。
だが、ウーノからしてみれば至極当然の処置だ。
「評議会の方々からも過度の接触を控えるように言付けられていた筈では?」
「確かに、これ以上はクライアントがうるさいかもねぇ……」
基本的にガジェットは自立稼働している。
目標のロストロギア、レリックを目指してエネルギー源へ吸い寄せられるように動く。
第一陣との衝突の時点でゲルトの存在は感知していた。
第二陣の襲撃を止めなかった事も、中止命令が遅れたと言い張る事ができるだろう。
しかし、ここから先は本当にゲルトへの干渉と取られる事になる。
建物の陰に忍ばせたガジェットからの映像では戦闘機人の試作品、ゼロファーストが周囲の警戒を行っている。
彼の立ち姿はまさに騎士ゼストの生き写しと言えた。
「……?」
もし彼と全く違う所を挙げるとするなら、それは両目に輝く黄金の瞳。
それがこちらを見ている。
デバイスを右手に握り、投擲の姿勢をとった彼が、こちらを。
はっきりと、その目が。
「目が合っーーーー」
次の瞬間に映像が乱れた。
ガジェットが強い衝撃を受けたのだろう。
復帰した映像に映るのは無数の罅割れと、そしてさっきまではなかった何かの棒。
いや、これは。
「柄?」
ガジェットの中心部分から柄が生えている。
黒一色で飾り気もない無骨な、柄。
直前の映像から考えてもナイトホークの柄で間違いなかった。
そして逆に先程まで映っていたものが消えている。
「ゼロファーストはどこに?」
ガジェットの機体は動かないがカメラだけは辛うじて動くようだ。
それでも彼の姿は見えない。
眼下の町並み、ビルの影。
どこだ。
どこに。
『ここだ』
声は上から聞こえた。
至近だ。
直後に彼は降り立った。
槍と同じく黒一色の出で立ち。
瞳だけが爛々黄金に輝いていた。
どうして隠れ潜むガジェットの存在に気付いた。
どうしてこちらの居場所が分かる。
こんな、こんなものは。
「ははははっ!
流石だ、最高だよ
実に、実に素晴らしい!!」
ドクターをもっと喜ばせてしまうだけだろうに。
**********
蜘蛛の巣のようにビルの壁がひび割れている。
投擲されたナイトホークの威力を受け止めた結果だ。
その中心には槍に貫かれた怨敵が標本のように突き立っていた。
驚くべき事にまだ稼働しているらしい。
胴体の中心を穿たれてなお、ガジェットは飛ぼうとしていた。
「お前達も、生きたいと思うのか?」
最早逃げる事も、ましてや反撃する事などできはしない。
無手のゲルトは串刺しになったそれの正面に立つ。
ガジェットのカメラだけがこちらを向いた。
「違うか、そうだよな」
喋る事も、呻く事もない。
ただゲルトだけを見ている。
カメラのレンズがこちらの顔にフォーカスを合わせるのを感じた。
それでも攻撃する出力はもうないのだろう。
文字通りの瀕死であった。
「終わりにする」
突き刺さったままのナイトホーク、その柄に手をかける。
止めを刺そうと、そう思った。
その時だった。
不意にガジェットが余所を向いた。
ゲルトの後ろ、ずっと遠くを見ている。
何故かその視線の行く先が分かった。
遠く後方、青く輝く仮想路の上。
急いでこちらへ戻ろうとする女の姿。
こいつ、ギンガをーーーー。
見た。
その瞬間、背筋が泡立った。
先の怒りですら生温いような感情の爆発。
間髪入れず、ゲルトの踵がガジェットを永久に沈黙させた。
もはやピクリとも動こうとはしない。
終わったのだ。
因縁と過去に支配された夜が、戦いが、その第一幕の終わりを告げた。
だが既にゲルトの心を支配していたのは思索だった。
我を忘れる程の怒りさえどこかに消え去り、幾つもの疑念が頭を埋め尽くす。
まず真っ先に浮かんだのは先の衝動について。
今俺は、何に“怯えた”?
思考する前に結論を出したのだとは分かる。
では何を恐れたのか。
敵の物量?
確かにおかしい。
一体何を探していた?
大きな疑問だ。
それに、
「裏にいるのは誰だ?」
まさか、と思う人間は一人。
真っ先に脳裏に浮かぶのはただ一人。
狂気の天才科学者、ジェイル・スカリエッティ。
生命操作技術のみならず、あらゆる分野で才能を発揮する男。
しかし倫理観だけはまるで備えていなかったのだろう。
現在では複数の次元世界で広域指名手配された重犯罪者。
そしてゲルトにとっては八年前の悪夢、ゼスト隊壊滅の糸を引いたと目される最重要参考人。
「ありえるのか、そんな幸運が」
事件以来何の痕跡も残さなかった用心深い男の影が突然目の前に現れる。
八年間、足取りも掴めなかった男が。
喜ぶ前に違和感が鼻を突く。
これは良くない兆候だ。
不吉な予感が止まらない。
そう考えてみるとなぜ奴らは増援を出してきた?
あの程度の雑魚が増えたくらいで勝負になる訳がないと分からなかったのか?
おかしい。
これではまるで、
相手が俺だと分かったから、様子を見に来た?
自意識過剰か?
被害妄想なのか?
しかしもし想像通りの男が相手だとしたならば、過去隠れ家を潰された事を恨んでいるやもしれない。
あるいはこの身は確かに一等特別でもある。
“公式には”現存する唯一まともな戦闘機人だ。
そこに価値を見出しているとするなら、何かのデータを欲しているという可能性は考えられる。
でなければなぜ命もないガジェットが今更逃げるのだ?
悪い事に、そいつらは管理局内部にも情報源がある可能性があった。
でなければ八年前にゼスト隊の襲撃を予測して待ち伏せする事はできない。
隊内部の情報を掴んでいたという事は、まさか。
ギンガやスバルの素性の事も?
悪寒がした。
全てはそこに帰結する。
もしもの話だ。
もしも戦闘機人に興味を持つ人間が事件の黒幕なら?
もしも実際に稼働する戦闘機人の存在を知っていたら?
もしも。
もしも!!
「…………」
振り返り、ギンガを見上げた。
夜闇に咲いた青く、美しいウイングロード。
月の光にたなびく紫がかった長髪。
己が身命を賭して守るべき存在。
「もしも、で済むと思うか……?」
ええ?
どうだ、ゲルト・グランガイツ・ナカジマ。
ギンガに片付いたと報告しつつ、ゲルトは己に問うた。
そして否と答えた。
楽観的に考えられるほど奴らの悪意は甘くない。
必ず、こちらのして欲しくない事をしてくるだろう。
ギンガは常に傍にいる。
互いにカバーし合う事もできるかもしれない。
だが、
「スバルはどうなる?」
目を逸らすな。
スバルはもう訓練校を卒業し、正式な局員として救助活動に従事している。
暗殺や誘拐を企てる側からすれば絶好の獲物だろう。
救助活動中の事故を装われれば防ぐ手立ては、ない。
つまり、
「俺一人では、無理か……」
早々に諦めた。
かつては自分一人が犠牲になればいいと思っていた。
だが結局、妹達を救ってくれたのは全く外部の力だった。
守るという事は、その場限りでは意味がない。
守るとは。
守るという事は、
「守り続ける、という事」
その為に必要なものは何だ?
何をすればいい。
どうすればいい。
「……どうやら出遅れたようだな」
「ガジェットの気配はもうないわ」
「全滅か、流石だな」
思索を遮るように現れたのは人の影だった。
空から舞い降りた三つの影。
通信部からの警報はなかった。
つまりは味方という事だ。
どころか驚くべき事にごく見慣れた顔ぶれだった。
「シグナム……それにシャマルさんに、ザフィーラもか」
確かに応援が出たとは聞いていた。
が、それにしては奇妙な面子だ。
武装隊所属のシグナムはまだいい。
医療局のシャマルも、怪我人の発生を危惧すればありえるかもしれない。
しかしザフィーラは?
彼は正確には局員ですらない。
確かに強力な守護獣であるが、この場の応援としては不自然だ。
彼の使命は主であるはやての護衛だった筈。
それがなぜこんな所にいる。
友人である自分を助けに、はやてが寄越してくれた?
いや、今頃はやては念願だった新部隊設立の準備で手一杯の筈。
そう、確か遺失物管理部の……。
そこに思い至った瞬間、ゲルトの体へ電撃が走った。
ガジェットドローンの目的は倉庫内のロストロギアと推測されている。
そしてシグナム達を寄越したはやての行動。
「なるほど、そういう事か」
全て繋がった。
だが所詮は想像に想像を繰り返した妄想寸前の空論だ。
危険性すら未知数、論拠すら勘任せ。
何せガジェットの視線がギンガを向いたという、ただそれだけ。
どこまで正しいのかも分からない。
藪を突いて蛇を出す可能性もある。
だが、もう失敗はできない。
「シグナム二等空尉、頼みがあります」
「どうした、珍しいな」
シグナムはバツの悪そうな苦笑を浮かべている。
次にゲルトが切り出す事は予想出来ているようだ。
「八神二等陸佐と会いたい、早急に」
ゲルトは賭ける。
最悪の最悪の中に見出した僅かな希望だ。
運命というものは常にゲルトの周りを勝手に這い回っていた。
あちこちで先回りして、立ちはだかってきた。
今まで後手後手に回ってそれに押し流されてきたが。
それも終わりだ。
「今度こそ俺が勝つ」
勝って守り抜く。
妹達だけは、絶対に。
何があろうとも。