今、ティアナの眼前の台には幾つかの拳銃が並べられている。
どれもこれもスマートさに欠けるやや歪な形状の上、地金の色そのままな未塗装の代物ばかり。
かといって密造品のそれのような粗さはない。
どちらかといえば研究用のテストベッド、そういう趣だった。
人によっては左右のレンズ調整に用いる試験用の眼鏡、あれを思い出すかもしれない。
「とりあえず色々握ってみて一番しっくりくるのを選んでくれる?」
「はい」
声を掛けてきたのは緑の髪をした如何にも研究者という出で立ちの女性。
ゲルトに紹介された所によると本局技術部で主任を務めているマリエル・アテンザという人だ。
彼女の言に従い、まず右側から順繰りに手に取っていく。
掴み、持ち上げ、構え、振る。
……軽い。
駄目だ。
全体として銃身が手元にあり過ぎる。
元に戻したティアナは新たなものを試すが、それもピンとはこない。
次も、重量の配分に納得がいかない。
そうしてティアナは何個も試し、遂に。
「あ、これ……」
「丁度いい感じ?」
「はい」
その次では逆にやや重い。
ふんふん、とマリエルは手元のコンソールに何事かを打ち込んだ。
「じゃあ次は手の型が取りたいから、これ握ってくれる?
両手ともね」
「わかりました」
ぐにぐにと粘土のような手触りの計測器を握る。
これで自分の指の形状、握力、握る時の癖などが仔細に記録されるはずだ。
その全てが自分専用のデバイスを作る為のものである。
私の、為だけの……。
その響きに僅かならず興奮する自分自身がある。
近年魔導科学の発展といえばデバイスの先進化が顕著だ。
本来魔法というものが自身の身一つで為し得るものだとしても、最早デバイスの補助があるとなしとでは発揮できる能力には雲泥の差がある。
それが十把一絡げの手製デバイスと専門の技術屋が仕上げた専用機とではそのスペックを比較するのもおこがましい。
ただ所持し、用いるだけで魔導師としての格は即座に上昇するだろう。
ゲルトからの贈り物は二つ。
余所では経験できぬほどの濃密な戦闘経験と、そしてこれから生まれてくるであろうワンオフの高性能デバイス。
好意で受け取るにはあまりにも勿体なさ過ぎる品々だ。
しかし彼ならば言うだろう。
「それに見合うだけの魔導師になってみせろ」
付け加えるなら、俺に後悔させてくれるな、だろうか。
そうに違いない。
ならば、やらなくてはならないだろう。
ティアナの口元は自然と笑みを形どった。
高望みのし過ぎよ、私……。
それでも彼に後悔させない為であれば執務官でもまだ足りないかもしれない。
それこそ彼を、“鋼の騎士”をも超える、くらいの大金星でも挙げなければ。
できる気はサラサラもしない。
あの背は果てしなく遠く高い巌のようなものだ。
だからこそ、目指す価値もある。
捜査官としての執務官。
魔導師としてのゲルト。
ティアナの野心は留まる所を知らない。
ごく当然の発想として飛び立つ事を望んでいる。
それが、彼女の強さだった。
**********
同日、陸士108部隊隊舎。
午前中にすべき事となると昨日の案件の整理というのが意外に多い。
「それで、ゲルト君とギンガはお休みですか」
「ああ、いつもの定期健診だ。
ついでにランスターの嬢ちゃんのデバイス用データも取って来るってよ」
隊長室にいるのは部屋の主たるゲンヤに、その手伝いを任されているはやてとリィン。
お互い書類に目を通しながらの会話である。
はやてとリィンが詰まれた書類を分類分けし、ゲンヤがそれを片付けて行く。
「やっぱり一から専用機作るんですか?」
「らしいぜ。
ちなみに、予算は全部ゲルトのポケットマネー」
「うわっ、それホンマですか。
太っ腹やなぁ」
実戦に耐えうる一点物のデバイスとなると費用の方もそれなりにかかる。
ピンキリとは言ってもゲルトなら他人に渡すものに手は抜かないだろう。
となれば幾ら技術者にツテがあると言ってもそう安く済む訳もあるまい。
「あいつ金のかかる趣味とかねぇ分、使う時はえらく気前いいぜ?
突然教習所行ってくるとか言い出したかと思や、即金でバイク買ってきたりとかな」
「なんや、らしいっちゃらしいですね」
控え目ながらはやても笑う。
まぁ、それはともかく。
「そういえば、お前さんの研修期間ももう満了だな。
次どうするかとか考えてんのか?」
「はい。まぁとりあえずもう一つか二つの隊で勉強させてもらおうかと思ってます。
その後は本格的に自分の部隊持つ為に動こうかと」
「自分の部隊か……」
しみじみ。
まさにゲンヤはそういう様子だ。
自分が部隊を持った頃の事でも思いだしているのだろうか。
苦労もあったに違いない。
無論はやてだとて偉そうにふんぞり返って務まるような甘い仕事でない事ぐらいは弁えているが、
「そういえば、ナカジマ三佐が自分の部隊を持った時ってどうでした?」
「あ?
俺が部隊を持った時か?」
「いえ、別にどんな事でもいいんですけど、何やこう……意気込みとかなかったんですか?」
なるほど。
頷いたゲンヤが書類を置いて頭を掻く。
「と言っても俺は流れ通りに来てるからな。
適当に下っ端やって、年食うと一緒に階級上がって……」
少なくともゲンヤ自身の職歴において劇的なものなど何もない。
魔導師として前線に出る訳でもなく、将来の幹部を狙えるようなエリートコース出という訳でもない。
別に不満もないが、とことん見るべき所のない己が半生を振り返って苦笑する。
「俺もそんなに若くねぇ。
気にすんのも精々給料と勤務先くらいのもんだったな」
期待を裏切って悪いな、とも付け加える。
だが現実などこんなものだ。
誰も彼も理想を追える訳ではない。
それに、そう。
俺が部隊を持った頃といやぁ……な。
三年、いやもう四年前か。
言わずもがなゼスト隊壊滅の時期であり、ゲルトがナカジマ家の一員になった時期でもある。
自分が陸士108部隊の長に任じられたのもようやくとクイントやゲルトの体が安定してきた頃だった。
おぼろげながら、自身がゲルトを留める為の楔である事も察している。
目の前の事態に取り組むのすら精一杯の状況では、野心などとてもとても。
「ま、だからこそお前さんが羨ましくもあるぜ。
好きにやってみな、どうせ俺ぐらいになっちまえば無理も出来なくなるんだからよ。
後ろ振り返るには早過ぎるってもんだ」
「……はいっ!」
いい返事だ。
自らの進む道に、確かな義があると信じられる人間の目である。
それがどんなものかは知らないが、この物を考え過ぎる癖のあるお嬢さんをしてそう思えるだけの何かなのだろう。
どっちみち俺に出来そうな事じゃあねぇか。
自分の場合、もし余裕があったとしてもその時間は首都防衛隊壊滅の“真実”について調べる方に消費されていただけだろう。
公式にゼスト隊の壊滅は秘匿任務中の出来事とされている。
ゆえに詳細な情報は公開されない。
ゲルトやクイントも自分に多くは話さなかった。
それでも聞いたのは、一つ。
待ち伏せされていた。
そうでもなければクイントが、その親友だったメガーヌが、既に才を発揮していたゲルトが、何よりあのストライカーゼストが敗れる訳がない。
そしてそんな彼らを待ち伏せようと思えば、一番に気にかかるのはやはり情報漏洩者の存在。
遅々として進んでいないようだがゲルトは今もそれを追っている。
ろくろく成果を上げてもいないのは、その案件の複雑さもさる事ながら、あいつの捜査にかける姿勢にも問題があるのではないかとゲンヤは思っている。
スパイの存在を疑いながらも、しかしそんな人間はいなかったのだという証拠を求めているような。
あいつにとって首都防衛隊は聖域のようなものなのだろう。
既にこの世のどこにもあらぬからこそ、その神聖さは些かも衰えず、いつかの日のまま綺麗に輝いて。
であればそこに穢れを持ち込む事を無意識にでも避けているのではあるまいか。
そう思う時もあった。
そのくらいはあいつも分かってるだろうけどな。
自律と克己こそあれの強さである。
で、あれば。
……いいや、それはあいつの問題だな。
ゲンヤはそこで考えを放棄した。
無関心だというのではなく、それこそが彼らにとって信頼の証なのである。
**********
それから一週間。
遂にはやてやリィンも108を去る時が訪れた。
日も落ち切った隊舎の広間に、部隊の一同が勢揃いしている。
無論、ゲルトやギンガもその中にいる。
「八神はやて一等陸尉、並びにリィンフォースツヴァイ空曹」
「はい!」
「はいっ!」
声を掛けたのは彼らの一歩前に立ったゲンヤだ。
はやてやリィンも隊の列からは離れ、彼らと対面するように屹立している。
「研修期間の満了、おめでとう。
今日まで本当にご苦労だった。
諸君らは実に優秀で――――また書類の量も戻るかと思えば俺は憂鬱だ」
忍んだ笑いがさざ波のように伝染する。
ニヤリ、と歯を剥いたゲンヤは少年のようだ。
どうにもシリアスを持続できないのがこの人の欠点だと思う。
おかげで堅苦しいような雰囲気はどこかに飛んでいってしまった。
「まぁ、そんな訳で八神とリィンの嬢ちゃん達はこれで卒業だ。
俺が教えられるような事は一通り教えたし、見せられる物も出来る限り見せてきたつもりだ。
後は、お前さんらの頑張り次第になる。
目標があるってんならなおの事だ」
それも大望といっていい規模の夢である。
魔法技能者の出世が早いからといって、易々と達成できるようなものでは断じてない。
やはりある一定以上の階級から求められるのは個人の資質ではなく、グループ全体をいかに目標へと導いたか、という結果だ。
さらには上に行くほどにその席の数も減っていく。
つまる所、今その座に就いている人間を蹴落としていく必要があると言う事だ。
本人のやる気でどうこうなる問題ではない。
「つっても、お前らならなんだかんだでどこでも上手くやっていけるだろうよ。
魔法に関しちゃ俺は門外漢だが、その分裏方の仕事は長い事やってきてる。
今の言葉は、信用してくれてくれていい」
「はい。
ここに来て、ええ勉強をさせてもらいました」
世辞ではない。
長いようであっという間の研修だったが、得るものは大きかった。
部隊指揮官の傍で学んだ組織運営についてのノウハウ。
中央よりも遥かに現場に近い陸士部隊における空気。
どれも実際に身を置いて、悩んで、動いて、それで初めて手に入れられる物だ。
理論より実践派であるゲンヤの存在も、自分にとっては非常に為になったろう。
振り返らずとも思う。
この数ヶ月は夢を達成する為の足掛かりとして重要な一歩だった。
ただ、そうは言っても……。
チラリと、はやては部隊の列の中にいるゲルトへと視線を送った。
はやてがここに来たもう一つの理由に、彼のスカウトという面が少なからずあったのは事実である。
彼が何を望むのか。
何を根幹に戦うのか。
同じ目標に身命注ぐ同志になりえるのか。
はやてはふとヴェロッサと交わした会話を思い出した。
つい先日、彼が自明の理を語るように話してくれた言葉を。
**********
「まぁただ、“もし仮にも”その人物が査察部に来る事はないだろうね」
慮外の事である。
当然それは何故だとはやては問うた。
人事に関しては結構な部分個人の希望が優先される傾向が強い。
108の戦力にしても今が過剰だというだけで、ゲルトが抜けたからといって即座に支障を来すような事は無い筈だ。
「簡単さ。
誰もがそれを望まないからだよ」
誰もが。
どの範囲までの誰なのか。
「管理局地上本部は当然ノー。
今様のヒーローが査察部に行ったんじゃ、組織に不満があると堂々宣言したのと同じだからね。
イメージダウンは避けられない」
確かに。
対外的にも、そして対内的にもよろしくないのは明白である。
せっかく超スペックの騎士が地上の一部隊に駐屯する好例が出来たというのに、それを台無しにして余り有る醜聞に違いない。
上手く活用されない、行ってもロクな事がないと放言するようなものだ。
組織運営に責任のある人間なら見過ごしてはおけまい。
「それに、聖王教会もそう。
数少ないオーバーSランクの、しかも真正古流の騎士なんて花形を日陰に置くのは許さないだろう」
さにあらん。
聖王教会が次元世界で発言力を保っているのは宗教団体としての権威だけではない。
騎士団を始めとした保有戦力、莫大な資本、政財界との繋がり。
そして何より、管理局も惜しいとは思ったのだ。
一度禁忌と定めておきながら、隆盛を誇った古代ベルカのテクノロジー全てを闇に葬る事には、躊躇せざるをえなかった。
そこには陰惨な滅亡の匂いと同程度に、光り輝く未来への道も示されていたからだ。
そこに手を貸したのが聖王教会である。
古代ベルカの懐古的集団である聖王教会は信仰という名目の元それらを接収し、一部技術の復元に尽力した。
管理局も宗教活動には不用意に手を出す事はできないという建前ができ、主義に反する事なくそれらを黙認する事ができたのである。
全て戦争終結前からの混乱期を利用した工作だ。
それを背景に聖王教会は、いやベルカの生き残り達は今日の立場や自治領という特権を築いていったのである。
「まして彼に掛けられた期待は大きいよ。
なにせ僕の義弟になるかもしれなかったぐらいだからね」
それは初耳だった。
早くに両親を亡くしたヴェロッサの後見と言えば聖王教会の名にし負う名門、グラシア家である。
それだけの家柄の庇護下に入れるとなればそれは善意だけではありえない。
グラシアという家門からそれに見合うだけの価値を認められた、という事だ。
無論、ヴェロッサもまた希少な古代ベルカ式魔法の担い手の中でもさらに稀有とされる特殊技能の持ち主として将来を嘱望された人材なのである。
普段のちゃらんぽらんな態度からはあまり想像できないが、事実だ。
「彼は戦場の華。
“アーツオブウォー”とはよく言ったものさ。
騎士団の皆も手合わせして以来随分やられちゃったみたいだし」
聖王教会が本質的に守護しているのは過去の栄光や神格化された王の伝説ではない。
「ベルカ未だ強し」、という現在におけるその評価である。
所属などはさしたる問題にもならない。
重要なのはゲルトが古代ベルカ式魔法の担い手であり、連綿と伝わってきた戦技の継承者であるというその点である。
であればベルカの武威を体現するようなゲルトの活躍を望みこそすれ、裏方である査察部入りなど喜ぶ筈もない。
「もちろん、後輩が出来るのなら僕は歓迎するけどね」
**********
そう締めたヴェロッサは笑っていたが、ゲルトの査察部入りに関してはほぼ有り得ないと見て間違いあるまい。
さて、そうなるとゲルトの希望の進路は通らないという事になる。
何がこの彼の疑念を育てたのかは分からないが、その事実に直面した時、彼は何を思うだろう。
変えたい、と思うのではないか。
もし、そうなったら。
その時はやては将来の絵図面を引いた。
彼もまた仲間になってくれるかもしれない。
今の管理局を変える。
その為の、まさに同志に。
そんな考えもあった、のだが。
そうは簡単にいかんよなぁ……
たはは、と小さく肩を落として笑う。
以来新部隊に関してそれとなく誘いはかけているのだが、どうにもゲルトの反応は薄い。
自らの手で現体制を変える、という事にはあまり関心もないようだ。
どうも彼の疑念は管理局というシステムや組織に対するものではなく、どこかごく一部に対する個人的なものらしい。
そしてはやて自身にしても、何が何でも、という気概に欠けている自覚があった。
その背景には自分、なのは、フェイトだけでも過剰な戦力の上、さらに高名な彼まで含めては風当たりの強さも酷いものになるだろうという冷静な判断がある。
本来オーバーSランク魔導師だのという代物はどんな精鋭の抽出部隊でも精々一人。
特例的に多くて二人。
それが三人、四人ともなれば周囲の危機感を煽るのは当然である。
忘れられがちだが、技能の向き不向きこそあれど都市を半日も掛けずに更地にする事も可能なのだ、自分達という存在は。
それで潰されたら敵わんしな。
今は中立的な人物でも、それだけの戦力が一箇所に集中するとなれば部隊設立反対に回る可能性は十分にある。
それは、自分の夢を遠のかせる結果になるだろう。
そうでもなくて実力はお墨付き、それでいて信用も出来てツテもある人材を見逃そうなどあり得ない判断である。
まして彼が来るとなれば“もう一人”、保有魔力的にも手ごろで優秀なフロントアタッカーを確保できる可能性が高いというからなおさらだ。
「…………?」
意味も分からず未練がましい視線を送られたギンガが困ったような笑みを浮かべている。
そんな彼女の立ち位置はやはりゲルトの隣であった。
もはやそれは定位置と言っても過言ではない。
入隊したのは自分と同時だというのに、ゲルトとのコンビネーションは既に阿吽の域。
個人としての技量にはまだ甘い部分も残るが、それすら義兄との連携で補って余りある。
少数精鋭を前提としている現状、はやてにとっては二人とも喉から手が出るほど欲しい魅力的な人材であった。
とはいえ、
しゃあない。
メンバー集めに腐心した結果、部隊の創設が立ち行かなくなるようでは本末転倒である。
結局はやては以前に下した通りの判断をせざるをえないようだ。
ふぅ、と一息ついたはやては飾らぬ笑みを浮かべて二人に近付く。
「ゲルト君、ギンガもありがとうな。
二人のおかげで現場もよう見せてもらったし、楽しかった」
「こちらこそ。
手のあったお陰でこいつの指導にも時間が割けましたよ」
何でも無いように顎で隣のギンガを指すゲルトと、照れたようにはにかむギンガ。
それぞれに握手を交わしていく。
ゲルトの手はやはり大きい。
そして固い。
「頑張って下さい、八神一尉。
応援してます」
そしてギンガの手もたおやかな容姿とは裏腹に、もはや人を“殴り倒す”ための仕様に仕上がっていた。
恐らく、いざ正面切って戦うとなれば自分はこの年下の少女にすら負けるするだろう。
ありそうな所では自慢のスピードに押し切られ、魔法の一つも満足に撃たせてもらえず撃沈、などだろうか。
時折はやては訓練についても二人に同伴したりしていたが、当然付いて行く事などできなかった。
というか108の中でもそんなレベルに達している者など他にいない。
この二人は別格なのだ。
はやては、そんな彼らの日常の姿も知っている。
仏頂面のゲルトが見せる優しさも。
耳まで真っ赤にして照れたギンガの愛らしさも。
その中に混じる自分の姿も。
目を閉じれば幾らでもそんな記憶が浮かぶ。
ホンマ、楽しかったなぁ。
良い上司。
良い同僚。
忙しい現場。
ややこしい事を考えず、ただの小娘でいられたこの職場。
得難い幸福だったと、今でも思う。
「またな!皆っ!!」
「ありがとうございましたっ!!」
それでも今日からは、また自分の足で歩いて行く。
己が理想の為。
皆の期待に応える為。
歩みを止める事は、もう許されないのだから。
**********
この世は出会いと別れ。
一つの別れを得れば、また一つの出会いもある。
はやてが108を出てより次の月に入って幾らも経っただろうか。
ナカジマ家にもその日が訪れた。
「け、結構緊張するね」
「あんた朝からそればっかりでしょうが。
ピシッとしてなさいよちょっとは」
ただし今日の主役はゲルトではない。
ギンガでもない。
その義妹であるスバルと、弟子であるティアナである。
「ごめんねー、待たせちゃって」
そう話す白衣の女は、しかしどこか誇らしげでもあった。
ここは時空管理局の技術部棟内。
掲げられた表記は第四技術部。
目の前の女性、ナカジマ家にとっては旧知となるマリエル・アテンザの居城。
「ちょっと時間は掛ったけど、その分自信をもって送り出せる出来になってるわ。
強い子達よ、どっちもね」
彼女が視線で示す調整機に浮んだ、二つのアクセサリー。
片や宝石を象ったような菱形のペンダント。
片や頑丈に強化された長方形のカード。
待機状態のデバイスだった。
収納、瞬着の機能付きとくれば、それだけで凡百の代物とは一線を画す上物の証である。
「これが……」
「私達の……」
並んでケースの前に立っているティアナも、そしてスバルも、目は互いのデバイス一点に集中している。
スバルは自らの魔力光と同じに青く光るペンダントを。
ティアナはオレンジのコアが埋め込まれたカードを。
それこそ玉石に魅入られたがごとく、瞳にそれぞれを映し込みながらただ見つめている。
「ほら、何してるの」
「あっ……母さん」
彫像のように立ち尽くす少女達に声を掛けたのは二人の後ろに立ったクイントだ。
背後にはゲルトやギンガも来ているものの、最も近くにいるのは彼女である。
ゲルトらは邪魔にならぬように少し離れているようだ。
彼女は二人の肩を押すようにして調整機への一歩を歩ませる。
「この子達がこれからあなた達のパートナーになるのよ。
早く手にとってあげて挨拶でもしなさい」
「……うん」
「はい」
一瞬示し合わせるように目配せする二人。
ごくり、と喉を鳴らした彼女達は、同じように緊張した手付きでそれに触れた。
現状、重さはそれほどもない。
必要なデバイスとしての形態が顕現して初めてその質量は実世界へと影響を及ぼす事になるだろう。
そしてまずは、とスバルに目を向けたマリエルが、彼女のデバイスを紹介する。
「スバルの持ってるその子が、 “ペイルライダー”。
私は成長に合わせて軽く調整しただけだけど、AIにはギンガのペイルホースからフィードバックもさせてあるわ。
もちろんゲルト君やナイトホークと組んだパラディンも搭載済み。
だから本当に後継機っていう感じで仕上がってる筈よ」
「ギン姉とゲル兄の……」
反芻するようにその言葉を口中で転がしつつ、スバルは複雑な思いを乗せて視線を手元に送った。
予算も構わず注ぎ込まれた専用デバイスを授かるにあたり、スバルはこれの来歴について包み隠さず聞かされている。
もはや記憶にも欠片しか残らぬ、遠い遠い過去からの遺物。
忘れかけていた自らの出生を声高に騒ぎ立てる生き証人。
自分達を生み出した、あの違法機関の手によるスバル専用超高性能機。
それがこれだ。
正直、目を背けたい気持ちはある。
けど。
ペイルライダーを握る手に力が込もる。
もう、弱虫の自分ではないのだから。
心してスバルは笑った。
「初めまして、ペイルライダー。
私の名前はスバル。
スバル・ナカジマ」
とりあえずと名前を告げてみる。
だが、どうだろうか。
これだけではいかにも寂しい。
会ったら何を言おう、と考えては来た筈だったのに、いざとなると言葉が出ない。
「あー……うんと……」
彼女が戸惑っている間にも、ペイルライダーは一言も発しない。
ただ言葉を待つように沈黙している。
何か期待されているようで、無言の圧迫感というものがあった。
「私は……その、まだ全然ダメで……。
母さんにもよく注意されるし、ゲル兄とかギン姉なんてもっと凄いのにすぐ泣いちゃうのなんて私だけだし。
えっと、でもそれでも、私にはやりたい事があるんだ」
ぎこちなく語る自分の夢。
思い出すのはいつもあの空港だ。
火に包まれ、煙が覆う死の世界。
座り込み、うなだれる自分。
そしてそこに舞い降りた天使の姿。
「昔私を助けてくれた人みたいになってみたい。
私もいつかあんな風に、助けを待ってる人を救ってあげたい。
だから……!」
改めて言葉にしていくと、心にも力が入っていくのを感じた。
「私を助けてくれないかな? ペイルライダー」
その覚悟を込めて。
しかし彼の答えは、と言うと。
『我杖ならず。
この身は具足なれば』
スバルは既に浮かべていた笑みを引き攣らせた。
何とも突き放した物言いである。
「厳しいね……」
手は貸してやる。
しかし何事も自分の力でやれ、とそういう事らしい。
ただ、
『我らに砕き得ぬ無し。
障害悉く塵芥と果つ』
それが彼なりの励まし方らしかった。
人情の機微に疎い機械ゆえなのか何なのか、どうにも不器用な事である。
妙に持って回った言い回しにスバルはどう判断すればよいものやら。
しかし彼女の心は夢に向かって一直線だ。
全てはあの日見た強い人のように、という憧れへ。
「一緒に行こう、ペイルライダー」
『承知』
今度の返事は即座に来た。
迷いもなかった。
立ち塞がる全てはすり潰し、粉砕する。
人生の半分よりもなお長い月日を越え、彼はスバルの元へ帰還したのだ。
**********
気後れも含めた邂逅。
ティアナの方もそれは同じだ。
完成された工芸品は人間ならずとも気迫を纏う。
素人目にも、手の中のデバイスが放つ自前のアンカーガンとは比べものにならない威圧感はひしひしと感じ取っていた。
「あんたは?
名前はなんていうの」
若干の緊張を滲ませつつ、努めて鷹揚に声を出してみる。
このデバイスは何と言って返すだろうか。
今のペイルライダーのようにぶっきらぼうか。
それともゲルトの傍に侍るナイトホークのようにクールな物言いか。
『パーソナルネーム“ハンティングホラー”です。
以降お見知り置きを、マイマスター』
ハンティングホラー。
狩りをする恐怖。
恐怖そのものでもあり、己が内の恐れを探す事でもある。
「……そう。
私はティアナ・ランスターよ。
これからよろしく」
『イエス。
ハンティングホラーは術式構築、照準補助、魔力運用に一級の性能を誇っております。
サポートはお任せ下さい』
妙に厳つい名前を裏切る温和な口調だ。
機械音声は口調からも落ち着きのある穏やかな女性を連想させた。
それでもやや自信家の気があるのは、最早お家芸なのか。
「どう?
いい子でしょう?」
「はい、そうですね」
横からひょいと顔を出したマリエルへ素直に同意する。
すこしぼんやりした返事は、未だ実感が湧かないから、という事もあった。
生返事を返しながらも、ティアナの目はハンティングホラーに釘付けになったままである。
「その子のAIもナイトホークから株分けを貰ってるのよ?
魔法系こそ新規に書き起こしたけど、人格とかベースはかなりの部分それね」
近接戦闘に特化したナイトホークではあるが、その交戦経験は対魔導師、対騎士、多対多、一対一、遭遇戦、追撃戦、あるいは伏撃などなどバリエーションに富む。
スタイルの全く違うティアナ、引いてはそれを支えるハンティングホラーにおいてもそれの有用性は変わらない。
特にデータが有ると無しでは緊急時の即応能力に大きな差が出るだろう。
生まれたてにして、既に歴戦の兵なのだ、“彼女”は。
「まぁ、ペイルホースとペイルライダーが兄弟なら、ナイトホークとハンティングホラーは親子、って所かな」
「親子……」
頷きながら、ハンティングホラーの表面をなぞるように触れる。
手にあるのはただのデバイスではない。
おおよそ自分の望み得る最高性能、最高相性のものとなるだろう。
そして今日からは積み上げた基礎の訓練を土台に、より本格的な戦闘訓練へとシフトしていくと聞いている。
この出会いが、また新たな日々への始まりだ。
「ハンティングホラー」
『はい』
返事は返る。
間違いなく彼女はそこにいる。
「…………」
呼ぶだけ呼んで瞑目したティアナ。
開いた瞳が表すのは高揚でなく、慈愛でもなく。
そこにあるのは、さらにさらにと先を見据える決意の光。
目の高さにまでカードを持ち上げた彼女は宣言する。
「私は必ずあんたを使いこなす。
あんたに相応しい魔導師になってみせる」
その言葉は自分こそが見劣りしているという自覚の現れでもある。
それが彼女の中での真実であった。
しかし――――いや。
“だから”、とティアナは続け、
「あんたは私に従いなさい」
傍からでは乱暴とか横柄にも聞こえかねない言葉ではある。
無論、本来のティアナがそういう性根な訳でもない。
が、魔道師とデバイスとの間においてはそれも少し違う。
使う者と、使われる者。
で、あれば。
『イエス、マスター。
それこそハンティングホラーの本懐でありますれば』
ハンティングホラーの声音は機械音声に似つかわしくない、弾む喜色をどうにか押さえたようなもの。
デバイスが主に仕える事は当然だ。
とはいえそんな事とは別に“それ”を使命とし、“それ”を喜びとし、“それ”を誇りとする。
その点について親も子も全く同じ価値観を有していた。
最早疑いもない。
間違いなく、ハンティングホラーはナイトホークの血を受け継ぐ存在だ。
「……ホント、私にはもったいない」
ポツリ、と呟く。
それは独り言に過ぎなかったが、
『そう言わせぬようにお願いします』
「そうね。
そういう約束だからね」
律儀な返事に思わず笑みが零れる。
優等生っぽくも聞こえたが、意外にイイ性格をしているらしい。
良い性格、とはまた一味違うのがミソだ。
所詮はデジタルといった所で、使用者に合わせて思考体系も最適化していくのだからAIの反応にも差異が出るのは当然である。
ペイルライダーとハンティングホラー。
同じ日に目覚めた彼らですらそうだ。
「どう、二人とも?
これから上手くやっていけそう?」
デバイスに夢中になっているスバルらに、満足気な笑みを浮かべながらクイントが問い掛ける。
スバルもティアナも一瞬互いに顔を見合わせ、そして笑った。
「「もちろん!」」
新たな出会い。
新たな決意。
彼女らの生活も、新たなステージを迎える。
(あとがき)
リアルがガチで忙し過ぎる……。
ただでさえ遅い執筆スピードが更に落ちる予感プンプン。
今回なんかはだいぶ駆け足で進めてみたが、そのせいで全体の整合がイマイチになったような気も。
せめてはやて離脱と新デバイス登場は別にした方がよかったかもしれないなぁ。
とはいえこんな前座な話はさっさと済ませたくても、ペイルライダー、ハンティングホラーのデバイス形態をやらなきゃならないし。
そうじゃなくてもまだまだ山場の予定があるし。
くっ、STSは遠い……。
なんにしても、まだ本作の続きを待っていてくれる方がいらっしゃるのなら、それは自分にとって何よりの僥倖です。
どうにか完結までは持っていきたいので、ご声援のほどよろしくお願いいたします。
という所でまた次回お楽しみに。
Neonでした!