「ふぃー、なんやここの仕事もえらい慣れてきてもうたなぁ……」
「ナカジマ三佐もいい人ですし、部隊の方も皆さん親切ですから。
私はもうちょっとここにいたいくらいです!」
陸士108部隊隊舎。
ゲンヤの補佐という午前の仕事を終えたはやてがコキコキと首を鳴らしながら、ここ最近ですっかり馴染んだ廊下を歩く。
肩の辺りに浮かんでいるリィンの言葉に、彼女も笑って頷いた。
「ここは居心地ええもんなぁ」
上司が人格的にも能力的にも出来た人物であるというのは非常に助かる。
20歳にもならずに好調な昇進を続ける魔導師キャリア組というのは何かと妬まれ、疎まれるものだ。
もちろん聖王教会のバックアップを受けると決めた時や自分の部隊を持つと夢抱いた時にも覚悟はしていたが、正直気苦労は絶えない。
その点、ここでの自分は心おきなく勉強不足な小娘でいられる上、同世代で旧知の友人までいる。
得難い幸福であるのは間違いなかった。
それももう折り返しを過ぎてしまったのが残念だが、今はそれを惜しんでも仕方ない。
「まぁ、今を楽しむのが一番やな」
うん、と自分を納得させて食堂を覗き込む。
目当ての人物はすぐに見つかった。
彼は腕を組み、料理の並べられた円形のテーブルに一人で座っている。
彼を視界に収めたはやてはにんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべて足取りを軽くした。
「ハロー、そこの仏頂面な准尉さん。
一緒にお食事なんかどうですか?」
「もちろん、猫かぶりの上手な一尉殿。
席は空いてるのでお好きな所にどうぞ」
ゲルトは彼女に気付くと調子に合わせて恭しく席を示してみせる。
はやても慣れたものだ。
機嫌を害した様子もなくゲルトの左側の席へ近付いて行く。
「猫かぶってるのとちゃいますー。
敬語使う相手を選んでるだけですー」
「はいはい、言ってろ」
基本的に口先の事ではやてに敵う筈もない。
片肘をついたゲルトは面白くもなさそうに溜息を漏らした。
「料理は取りに行かなくてもいいぞ。
追加の皿を取りに行ってる三士がいるんでね」
「相変わらずよう食うなぁ……」
ゲルトが振り返らずに指したカウンターでは盆を持ったギンガがあれやこれやと更に料理を確保している。
既にテーブルに並べられた分だけでも三人が食べる位は優にあるというのに。
いつものことながら凄まじい。
「……一体どこに入ってんねやろ」
「まぁ、運動はしているしな」
そういうものか?
ただ確かにギンガはあれだけ食べても無駄な肉が付くような様子はない。
激しい格闘戦を可能にする強靭な筋肉を纏いながら、しかし適度な柔肉に包まれた肢体は筋肉質に傾かず丁度良いバランスを保っている。
13歳という年齢を抜きにしても羨ましい事である。
「…………」
席についたはやてはゲルトに気付かれぬよう、無言で自らの横腹に触れた。
余ってはいない。
栄養、カロリーバランスの調整位はキッチンを預かるものとして当然。
たとえ外食が増えようといえども抜かりはない。
が、しかし。
――――うっ、締まっても……!
そういえばここの所デスクワークばかりだった。
運動らしい運動も滞りがちのような気がする。
「あ、あははは。
たまには私も訓練参加しようかなぁ」
「それは結構だがほどほどにな。
急にはりきり過ぎると体が動かなくなるぞ」
乾いた笑い声を上げるはやてにゲルトは冷めた視線を送っている。
ただその割に、
「なんや実感こもってない?」
「んー?
ああ、まぁな……」
「?」
ゲルトはそこで何かを思い出したのか頬を掻いた。
なんとなく心配事があるような顔をしている。
「いや、悪い。
ただ今頃うちで潰れてるだろう奴が一人いてな」
「へ?」
***********
「っはぁー……。
っはぁー……」
ナカジマ家の庭先で息も絶え絶えなティアナが大の字になっている。
顔も脇も首筋まで汗だくだ。
空を見上げるように寝転がった彼女の視界に映るのは覗き込むようにして彼女を囲むクイントとスバルの顔のみ。
「だからスバルと同じペースでランニングは無茶だって言ってるのに。
毎日よくやるわね」
「ティアナさん、ほんとに大丈夫?」
「……だ……大丈夫、です……っ!
すぐ……すぐ、に立ちます……!」
と付け加えつつもたもたと体を倒してよつんばいになったティアナ。
腕も足も鉛のようだ。
再び倒れ込む魅力に後ろ髪を引かれつつ、しかし気合いでそれを捻じ伏せる。
「それ……から、スバル……っ!」
「はい?」
膝と背筋に力を入れ、そして、
「さん、要らない――――っ!」
風を巻くような勢いで立ち上がった。
まっすぐに直立したティアナだが、もちろん腿の筋肉はビキビキと悲鳴を上げている。
その悲痛は渋く歪められた顔にありありと表れていた。
おお、とそれが分かるクイント達も拍手を送った。
「つ、次のスケジュール行きましょう!
私は抜き撃ちの練習でしたよね!?」
「ええ、まーそうなんだけど……」
腕の時計を見たクイントがぎこちない笑みを浮かべる。
が、結局開き直った彼女は全開の笑顔でごめんっ、と手を合わせた。
「いい時間だし、とりあえずご飯にしましょ」
「え゛」
ようやくと立ち上がったティアナが見事に固まった。
そんな彼女を置き去りに、クイントは足早に家の中へと入っていく。
「私は準備してくるから、二人ともシャワー浴びておきなさいねー!」
「わっ、ティアナさん!?
いきなり倒れ込んで大丈夫ですか!?
ティアナさん! ティアナさーーん!!」
抜け殻のように生気の抜けたティアナは力なく芝生へと倒れ伏した。
スバルにガクガクと思い切り肩を揺さぶられようと、精魂尽き果てた彼女の体が動く事は無い。
「さん……言う、な……」
それが末期の言葉になった。
**********
「へぇー頑張ってるんや。
ティアナやっけ? そのお弟子さんは」
「ああ、ティアナ・ランスターな」
ゲルトが義妹以外の弟子を取っただとかの話を聞いてはや三日。
最初は何があったのかと思ったが、彼女の名前を聞いて納得したものだ。
「因果やなぁ……。
ティーダ・ランスター一等空佐の妹さんがゲルト君に弟子入りする、やなんて」
背もたれに体を預けたはやてが遠い目をして呟く。
非業の最期を遂げたティーダとゲルトの因縁は、特に管理局地上の人間には有名な話だ。
もう二年近くも前になるとはいえ風化させず記憶に留める者も多い。
あの表彰式はそれくらいセンセーショナルに話題をさらったのだ。
「別に同情だけで教えようと思った訳じゃないがな」
「うん、分かってる。
ゲルト君そういう事せえへんもん」
「……それはどうも」
それくらいは分かる。
彼女自身に強い意思があって、その志に賛同したから、とかそんな所だろう。
ただし同情“だけ”じゃない、という所がミソだが。
「夢は執務官だそうだ。
本気でなるつもりらしい」
「上を見とるな。
最近の子にしたら関心なこっちゃ」
うんうんと頷く。
やはり若い子はその位の覇気がなくては。
「それで、どんなもん?
実際ティアナの腕前の方は」
「どうだかな……」
まだ鍛え始めて一週間も経っていない。
それがこの先でどこまで伸びていくのか、今の段階で見極めるのは難しい。
しかも専門分野外の魔法体系である。
ただ、
「あいつは、例えばなのはの奴みたいにはなれんだろうな」
砲撃型、とかそんな話ではないだろう。
一流のさらに上、超一流にはなれないという事か。
それを力不足とは言うまい。
そんな域に至る事が出来るのは苛烈な修練と豊富な才能を併せ持ったほんのごく一握りなのだから。
はやての前にいる、この仏頂面もその一人である事を思えば皮肉になるかもしれないが。
と、そこではやてにある疑問が浮かぶ。
「あれ?
そういえばゲルト君ってなのはちゃんの戦う所見た事あるん?」
「ユーノに頼んで見せてもらった。
ティアナの参考になればと思ってな」
しかしあまり意味はなかった。
なのはの戦闘を組み立てている潤沢な魔力、直感的な飛行制御、そして天性というべき戦闘感覚。
あれはティアナが求めるべきものではない。
少なくとも今はまだ早い。
むしろ彼女が求めるべきは、そう理詰めの戦闘技術。
「あいつは肌で感じるタイプじゃない。
何もかも頭で考える奴だ」
だから、想像の中で戦えている内は強い。
実力以上の力も発揮できるだろう。
しかし、一度状況が自分の想像力を超えてしまえば、崩れる。
それは彼女の本質だ。
「だから、そうだな。
俺が教えた方が良かったのかもしれない」
なぜなら自分も同じだからだ。
自らの認識を超越するまで高速化した思考の流れが錯覚させるが、本来ゲルトは感覚で戦う種類の人間ではない。
起こり得る状況を想定し、それを一つずつ潰していく。
相手が強いと言うなら、全力を出せなければよい。
そんな話ははやても聞いた事があるような気がした。
「へぇ……じゃあ下の妹ちゃんは?」
「あー、あいつはティアナとは正反対だ」
話がスバルの事に切り替わるとゲルトは溜息をついた。
苦労が滲み出るような、そんな様子である。
「身内贔屓なようであんまり言いたくないが……天才だよ、あいつは。
間違いなく才能はある。
シューティングアーツなら教えるのも楽だしな。
ただ――――」
「ただ?」
「性根がやわ過ぎる。
その辺はティアナを見習って欲しいもんだ」
「あ、あはは……まぁ、何もかも完璧って訳にはいかんって」
かくりと肩を落としたゲルトは再び深く重い息を吐いた。
やっぱり妹の事はナイーブなラインらしい。
特に年の離れたスバルの事となると。
「でも何やかんやゲルト君先生向いてるんちゃう?
結構よう見てるみたいやしさ。
そっち方面進みたいとか思わへんの?」
「なのはみたいにか?」
ゲルトは笑う。
「みたいに、とは言わへんけど……。
教導隊とかからもお誘いあるんやろ?」
「ああ、あったな。
けど今の所、そのつもりはない」
断定ときた。
教導隊の仕事は名前の通り後進の育成であるが、その構成員はもれなく各分野の優秀者ばかりである。
名誉であるのは言うまでもない。
だというのに、こうもあっさり袖にする人間も珍しかろう。
はやてはさらに言い募った。
「なんで?
人に教えるの嫌いって訳じゃないんやろ?」
「…………」
ゲルトの人差し指がトントンと、テーブルを叩く。
押し黙った彼は答えに悩んでいるのか?
ゲルトの様子を窺い、はやてはその考えを否定した。
いや、ちゃうな。
あれは話すべきか、を考えている。
そんなに重要な理由があるのか?
「もしかして、どこか行きたい所あるん?」
まだゲルトは何とも言わない。
しかし何度目か、人差し指を動かした彼は遂に観念したのか吐息混じりに口を開いた。
「…………一つは」
「え?」
思わず聞き返した。
しかしゲルトは気にした様子もなく言葉を続ける。
「一つは、責任が持てないからだ。
鍛える以上は一々心配せずに済む位には仕込む。
例え気骨を折るほど叩きのめしてでもな。
今でも十分手一杯だよ」
「なるほど」
折ってしまっては元も子もないのではないか、などと野暮な事は言うまい。
折れたら折れたで局員など目指さないでいてくれるのだから。
「二つに……ま、そうだな。
一生ここにいる訳にもいかんだろうさ」
「……どこに行きたいんか、聞いても?」
「別に確定じゃない」
「構へんよ」
胡乱気な瞳でこちらを見つつ、しかしゲルトは口を開いた。
はやても思わず唾を呑む。
これは彼の今後に直結する問題だ。
あるいは、自分達の未来とも。
「俺が、考えてるのは……」
周囲を気にした声音で、唇が幾つかの言葉を紡ぐ。
それはそう多い言葉ではない。
ゲルトの口にした望みに、はやては目を見開いた。
**********
「あれ、お二人とも何のお話ですか?」
「んー?」
両手の盆に皿を乗せたギンガが器用にテーブルへ料理を並べて行く。
さほども大きくないとはいえ、食卓はあっと言う間に料理で埋まっていった。
その様を見ながら、ゲルトは空気を変えるようにはやてを手で示してみせる。
「一尉殿がギンガは食い過ぎなんじゃないのか、だと」
「え……」
「なっ」
固まったギンガがはやての方を見る。
当のはやては一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに何かを思いついたようだ。
むしろ嬉々とした表情でお返しとばかりゲルトを指し、
「あー、ちゃうちゃう。
准尉が高尚な教育論を語ってくれてたんや」
「おい」
「それによると……むふっ」
はやてが吹き出して悪い笑みを浮かべる。
「ギンガの事は肌で感じるように仕込み続けるんやって。
それも責任持って、一生……やんな?」
「えっ……!」
「……切り貼りして適当言ってんな」
盆を胸で抱え、瞬時に顔を赤に染め上げたギンガとは対照的に、ゲルトは右手で顔を覆いながらげんなりと項垂れた。
やはりこいつに口先で挑むのは分が悪い。
***********
数日後。
「動け動け!
真っ正面から格上の相手に挑むな!」
「う、うんっ!」
ジャブのような軽い拳打を連続して放ちつつ、ゲルトはスバルへ一喝する。
牽制を躱しに慌てて動くスバルの動きは大きい。
余裕を取ると言えば聞こえはいいが、その分次の行動が阻害されている。
「無駄が多い!
ギリギリを見極めろ!」
「うん――――て、うわっ!?」
言いながらゲルトは右足で薙ぎ払うように蹴撃を放つ。
懐に飛び込ませない為の、これまた牽制だ。
スバルはあえて飛び込むか、それとも退くかの選択を迫られた訳だが、やはり彼女は下がる事を選択した。
いっそここで攻めてくるぐらいであれば誉めようもあったのだが。
――――む。
しかしゲルトは思考を一瞬止めた。
スバルが蹴りを避ける。
その距離が僅かに、ほんの僅かにだが先程より縮んでいるのをゲルトは見て取っていた。
律儀に先程の言を守っているようだ。
目はいいんだがな、こいつは。
忸怩たる思いを抱きながらも足を戻すに際し、バランスを僅かに崩してみせる。
スバルに付け込む為の隙を与えてやる為だ。
傍目には少しのけぞった程度にしか見えないが、こういう所を見逃していてはリーチで勝る相手に勝つ見込みなどあろうはずもない。
果たして、
「何をしてる」
「え、えっと……」
いや、厳密には何もしていないのか。
スバルは両手を構えたまま、一定の距離を保ってこちらの様子を窺っている。
攻勢に出るような気配は見られない。
が、キョロキョロと動く目は迷いを告げており、攻めるか待つかどうするか悩んだ末、結局機を逃して棒立ちになっているのだと容易に察せられた。
はぁ、とゲルトは内心で溜息をつく。
「減点1だな」
言いながらも彼は前に出る。
スバルが保っていたラインを軽く踏み越え、拳打の間合いへと持ち込んでいく。
大袈裟な程に右腕を振りかぶり、全身のバネを用いて拳を射出する。
スバルにもはっきり分かるように、だ。
妹の顔に恐れの感情が浮かぶ。
「と、トライシールドっ!」
斜め下へ打ち下すように放たれた拳が止まる。
その威力を最大に発揮する打点よりも前で静止。
エネルギーを逃がす為に音に変換された力が重い鐘のような響きを鳴らす。
反射的に目を瞑って叫んだスバルの意思に応じて三角形の魔法陣が防御壁となって彼女を守ったのだ。
その展開速度も強度もデバイスの補助が無い事を考えれば十分に合格点である。
しかしこちらを見ていないようではこの先の展開に対応できまい。
「減点2」
ゲルトはさして驚いた風もなく即座に体を滑り込ませてシールドの死角へと回り込む。
スバルは怯えからか体を守る為に両手をガードに回しているが、構わない。
開いた足から体を捻り、左の拳を叩き込む。
「いつぅっ!?」
ガードの上からでも体をバラバラにするような拳打。
涙目で顔をしかめたスバル。
そこへ更に本命の右拳打が放たれる。
直撃は免れないと確信し、スバルは腕を打つだろう痛みに備えて体を強張らせる。
今度は耐えられないほどの激痛が襲いかかるに違いない。
「…………?」
しかしいつまで経ってもこない衝撃に疑問を感じ、視界を塞ぐ両腕を下げる。
兄の拳は目前にあった。
防御の両腕に当たる直前の状態で寸止めされている。
ただしその右手は何時の間にか拳ではなくなっており、親指は中指を押さえ、他は伸びきっているという奇妙な形になっていた。
つまり、そう。
……デコピン?
と思った瞬間それはきた。
尋常ならざる握力で引き絞られた中指が放たれる。
「あっ――――」
額を弾かれたスバルが思わずのけ反る。
痛みは驚きに一瞬遅れてやってきた。
肉が薄く頭骨そのものと言っていい部分に、爪の根元が直撃したのだ。
拳よりマシとはいえ、それでもかなり痛い。
「あああああああ!!??」
熱を伴うような重い痛さではなく、全く予想外の、あえて例えるなら硬質で鋭い痛みがスバルの脳天を突き抜けた。
忍耐不可能。
両手で額を覆い、それでも収まらずに絶叫を上げる。
「大袈裟な」
ゲルトは激痛に悶えて足元で転げ回る妹を白けた視線で見下ろしている。
腕組みした彼は妹の叫びを全く無視して反省会を始めた。
「相手が隙を晒しているのに放っておいてどうする。
あそこは攻め立てて押し潰すのが定石で――――」
「あああぁぁぁぁぁ!?」
沈黙。
一瞬顎に手を当てて悩む素振りを見せたゲルトは、しかしやはり無視。
「あるいは待つでもいいが、それならそれできちんと自分で決定しろ。
選びもしないのが一番良くなくてだな――――」
「いったぁぁぁぁ!!」
「ああもうやかましい!
ギンガ、そっちへ連れて行け!」
「はいはい痛くない痛くない」
傍に控えていたギンガも苦笑気味だ。
スバルをなだめながらベンチまで連れて行く。
ゲルトは咳払い一つで気合いを入れ直した。
「――――ティアナ」
「あ、はいっ!」
「次はお前だ。
用意しろ」
「分かりました!」
**********
さて、とゲルトはティアナを観察する。
トレーニングウェアで事足りるスバルとの訓練とは違い、ティアナを相手にするなら双方バリアジャケットの装着が必要になる。
ティアナのそれは黒を基調に、大人し目の赤色を取り込んだフィット感の強いインナーとミニのスカートとの上下一体。
動き易さを重視してか肩から先の袖は無かった。
デバイスのアンカーガンは腰に提げたままで、まだ触れてもいない。
抜き撃ちから始めるのは最早ルールになりつつあった。
「それじゃ、始めるか」
「はい」
ティアナがデバイスへ手を伸ばす。
指を開き、いつでも抜き放てるように。
ゲルトはまだ特に動きを見せていない。
いや。
体が、僅かに左側に傾いて行く?
来る、とティアナは感じた。
「行くぞ」
「――――っ!」
ティアナはデバイスを抜いた。
流れる動きでホルスターから抜き放ち、そのまま撃つ。
狙いはゲルトの左方、自分から見た右側。
相手が動く予定の位置へ即座に二発を叩き込む。
ごく精密な照準を必要としないその射撃は記憶にあるかつての最速の射撃より、なお一段速い。
ティアナがナカジマ家の門を叩き一週間弱。
最初に手に入れたのは、紛れもなくその速さであった。
善し悪しは別として、元々見所のあったティアナの射撃の速さは既に一目を置くレベルに達している。
無論、それは彼女の長所の一つでもあった精密射撃を殺した上での事ではあるが、偏差射撃は想像力に頼った彼女のスタイルによくマッチしていた。
そこで、俺のするべき事だが……。
ゲルトは思う。
自分が今この場所でしてやれる事はなんだろうか、と。
決まっている。
あいつが経験した事のない状況を体験させ、データベースに新たな項目を増やさせる事。
是非も無し。
ゲルトはデバイスを抜く彼女を見ながら“右側”へ跳んだ。
単純なフェイントだ。
ティアナの弾丸があらぬ方向へ飛んでいくのを横目に見つつ、迂回するようなルートで彼女へと迫る。
初手から予想を外されたティアナはどうか。
露骨に慌ててるが、さて……。
ティアナが立て直すまでにかかったのは僅かな時間だが、その間にもゲルトは一気に距離を詰めて行く。
たかがこれ位で思考停止していてどうするのか。
「――――っと!」
ゲルトは再び跳んだ。
今度は左。
再びの二連射で狙ってくる弾丸を躱して大きく移動する。
今の二発は完全に当てに来ていた。
もう悠長な事をしていられる距離ではないのだとも言える。
そんな内にもさらに二発。
ティアナの射撃はここに来て感嘆の冴えである。
一発目は勢いのまま左へ逃げるのを塞ぐ為にゲルトの左側へ。
二発目は足を止めれば当たるように今の位置へ撃ち込まれた。
並みの人間ならここで為すすべもなく撃たれるだろう。
慣性と、思考の停止がそうさせる。
しかし、
「――――っし!」
三度ゲルトは跳んだ。
爪先で土を掴む、脚力と体術の粋をこらした跳躍。
右、ティアナの左脇に抜けるような軌道だ。
もうあと一、二歩で密着してしまえる距離である。
しかし意外にも、
落ち着いている……?
ティアナの表情は冷静。
いやむしろやや興奮しているような趣まである。
最初のフェイントは予想外で、しかしこれは想定の範囲内だと?
未熟なミッドチルダ式の魔道師が、鋼の騎士の接近を許すと?
なるほど。
つまりはどうであれ最終的にこの場所へ追い込むつもりだったという事か。
ゲルトは面白い、と笑った。
……いいだろう。
勝負だ。
ゲルトはティアナの背後を取る為、なお強く地面を蹴った。
**********
「戦う時のコツ?
そうねぇ……」
普段、ティアナやスバルの訓練を見てくれているのはゲルトではない。
専業主婦として家にいるクイントだ。
ゲルトにあっさりと敗れたティアナはその彼女に聞いた。
どうすれば勝てるのか、と。
何か戦う上でのコツはあるのか、と。
少し考えたクイントはその問いにこう答えた。
「自分で戦いを組み立てる事。
そして、その流れに相手を取り込む事、かな?」
その教えに従い、ティアナはまず勝つ為の道筋を考えてみた。
究極的には、不意を打つ。
それしかない。
正攻法で敵う相手ではないのだ。
というか、勝てる訳もないんだけど……。
と、予防線を張りつつ、しかし負けるのは嫌だ。
尊敬してる人だとか、相手の方が遥かに格上だとか、そんな事は関係なく負けるのは嫌なのだ。
ましてゲルトは魔法も、レアスキルも、得物であるナイトホークすら使わない。
魔導師でもない、しかも素手の人間にすら今の自分は手も足も出ないという事である。
だからずっと考えていた。
せめて一矢でも報いる方法はないかと。
そしてその時が、遂に来た。
ここだ……!
左側へ跳んだゲルトを見ながら、ティアナは喝采を上げた。
彼はこのまま背後に回り制圧するつもりだろう。
理に適った戦法だ。
右手でデバイスを持つ自分にはそちら側は狙い難い。
なら!
デバイスをそちらへ振り向けながら、ティアナは左手へとアンカーガンを持ちかえる。
狙うのは左側方。
勢いに任せ片手一本で振り抜き、思惑を悟らせぬ為にもノールックで一発。
相手は姿勢を下げている筈だ、とにかく斜め下へ撃ちまくればいい。
首を巡らせながら二発、三発。
「えっ……」
四発目で弾丸が何もない地面を抉っている事に気付いた。
胴なり足なりは確実に捉えていた筈の弾丸が、全て空しく空を切る。
ただの一発たりと当たっていない。
しかしゲルトは“そこ”にいる。
天地逆さま。
側宙の姿勢で。
「―――――」
一瞬ゲルトと目が合ったような気がした。
ゆっくりと動く時の中で、彼は悠々と自分の射線を跳び越えていく。
惰性のままに放たれる五発目、六発目が当たろう筈もない。
崩された……!
ここ一番の勝負を外されたティアナが目を見開く。
練りに練り、ようやくにもぎ取った一縷の勝機ですら届かない。
勝てない。
勝てないのか。
まだ……!
まだ……っ!
食い縛った歯で気力が抜け去るのを何とか押し留める。
まだ負けてはいない!
体に走るのは炎だった。
空白よりは随分マシだ。
この体が動くのならば。
「はぁぁぁぁっ!!」
渇を入れるように吠えたティアナががむしゃらに体ごと振り返る。
デバイスを握る左手の補助にせんと右手も伸ばす。
彼はそこにいる筈だ。
だが、
「――――っ!?」
それより早く伸ばした左手を掴み取られた。
滑るように動いた体は、彼を視界に収める事すら許さず背後に回り込んでくる。
また、その動きに連動して掴まれた左手がデバイスごと後ろ手に捻り上げられた。
身体の自由を奪われると同時、後頭部を鷲掴みにされる感触。
「ま、このまま膝を崩して地面に倒して終わりだな」
背中側の耳元でゲルトの声。
普段よりも若干軽めの口調は必要以上に敗北を意識させ過ぎぬ為の配慮か。
実際、痛みを覚える程には極め切らない絶妙な力加減とはいえ、固められた腕を振り解く余地などはない。
勝負あり、である。
「…………っはぁ」
腕を解放されると、緊張状態にあったティアナの体からはがくりと力が抜けた。
単純に気が抜けたという事もあるが、なによりまた勝てなかったという落胆が大きい。
いや、勝てなかったなどくどい言い方はすまい。
負けたのだ。
「はぁー……」
地面に座り込んで吐息を漏らす。
表情には悔しさや読み合いに何度も負けた自分への怒りや何やが混ざり合っている。
背中からでもそのやるせなさは読み取れる程だ。
よほど悔しかったらしい。
確かに、あともう二、三歩くらいの所まではいっていたかもしれない。
向上心の表れと思えば、そう悪くもないか。
やれやれとゲルトは頭を掻いた。
「そう落ち込む程でもないと思うがな。
最初に手合わせした時からすれば驚くほど伸びた」
「……でも」
でも、なんだ。
本気で勝てなかったとでも言うつもりなのか。
呆れた負けず嫌いだ。
その性根は決して嫌いでもないが。
「俺でも師匠から一本取れるまで二年以上かかった。
一週間やそこらでそうそうくれてやれるか」
「ゲルトさんでも、ですか?」
「誰にでも最初はある」
意外そうな目でティアナはこちらを見上げているが、心外だ。
ゲルトとて努力も苦労もせずにここまできた訳ではない。
思えば色々あった。
始めは母さんにも手も足もでなかった位だからな……。
かつての自分も、スバルも、ティアナも、何も違いはしない。
どうしようもなく未熟で、愚か。
しかし可能性に満ちている。
そしてこれからは自分が育てる側に回るのか。
**********
「あー、ごめんなロッサ。
結構待たせてもうて」
「いや、全然だよはやて」
少し息を上げたはやてにヴェロッサ――時空管理局査察部ヴェロッサ・アコース査察官は着席を促した。
連絡はいれておいたとはいえ、仕事の都合で僅かならず待たせたというのに、彼に苛立ったような気配は微塵もない。
それに、
「女性を待つのは男の名誉さ。
僕から楽しみを奪わないでくれ」
気障な言い回しでこちらを気遣ってもくれる。
知り合ってから色々と面倒を見てもらっているこちらからすると、本当に親戚のお兄さんのような関係だった。
だからはやても気を遣わなくて済む。
「ありがとう。
でもそれを普段から発揮できたらシャッハ辺りも随分楽になると思うで」
「あはは……まぁ、善処するよ。
シャッハは怒ると恐いからね」
そうして他愛ない会話を続けて時間を過ごす。
最近あった事、部隊の仲間の事、教会の事、家族の事。
ヴェロッサとの会話は飽きるという事がない。
「そういえばさ」
どれくらい話したろう。
ふとはやてがふと思いついた風を装って口を開いた。
「ロッサって査察官やってるやんかぁ」
「うん、でも今更それがどうしたんだい?
何か調べて欲しい事でもあった?」
「いやーそういう訳じゃないんやけど……」
と言い淀み、
「もし、仮に査察官になりたいって人がおったとして……。
その人はどんな理由で志願すると思う?」
「……それは、君の身近な人かい?」
ヴェロッサの雰囲気が少し変わった。
普段纏っているような軽薄なものではなく、少し目に力の籠った仕事モードのそれだ。
しかしはやてはにっこりと笑って疑惑を否定する。
「いや、もし仮にそういう人がおったらや」
「なるほど。
もし仮に、ね……」
ふ、と彼の表情も和らいだ。
先程までのプレッシャーが消失して柔らかい笑みが浮かぶ。
「まぁでも査察官なんていうのは嫌われ者だからね。
やってる事も傍からみると粗探しみたいなものだし、あまり自分からなりたいなんて人間はいないんだ」
職務の性質上、それは仕方がない。
誰もがその必要性を認めつつ、しかし近付きたいとも思わない。
それでもやりたいと言うような人間は大別して三種類。
指折り数えながらヴェロッサは語る。
「まずは僕みたいな能力先行で適正が特化している場合。
次に名じゃなく実をとって出世を求めている場合。
そして最後は――――」
そこでヴェロッサは言葉を一旦切った。
もったいぶるように間を取ってくる。
だがはやても問いを投げた時点で続く内容にはおおよそ見当がついていた。
つまり、
「個人か組織かを問わず、管理局への強い不審を抱いている場合、かな」
(あとがき)
おお、ようやく一月以内の更新ができた!
こんな早いの本気でいつ以来だろ……。
やればやれるもんだ。
多分スバル・ティアナの訓練編はあと1、2回でケリをつけられると思うので、その後もう一山くらい越えればSTSにも入れる筈……!
ま、自分の悪癖である唐突な膨らしがなければ、ですがね。(本当は今回ではやて離脱までやるつもりだった)
それでは次回もお会いしましょう。
Neonでした!