背を壁に預けたティアナが腕の時計を見る。
待ち合わせの時間まであと十分程。
緊張からか、少し体の芯が冷えたような感覚がある。
しかし、
「こっちからお願いしたんだから、しっかりしないと」
頬を軽く叩いて気合いを入れる。
そうでなくてはならない。
今日から自分は若手の中でも屈指の騎士や、その師匠とも言える人物から教えを受けるのだ。
格好の悪い所なんて、見せられない。
強くならないと。
目指すは士官学校。
目指すは航空隊。
目指すは執務官。
その為にも学べるだけ学ばせてもらう。
これはチャンスだ。
例えベルカ式とミッドチルダ式という違いがあるにしても、戦闘者として学べる所は大きいに違いない。
「ん……?」
少し俯き気味だったティアナが頭を上げた。
遠くからエンジンの音が近づいてきているのが分かる。
どうやら来たようだ。
**********
二人の少女が拳を交わす。
背丈や髪の長さ以外はよく似た少女達だが、その技量には確かな開きがあった。
優勢なのは背の高い方の少女だ。
傍目にも背の低い方の少女を余裕を持っていなしているのが分かる。
時には受け、時には流し、全く隙を見せない。
無論、時には逆撃に転じる事もある。
「うわっ!?
ちょっ、待って“ギン姉”!」
「待った無し!
ほらスバルは脇を閉める! 目を逸らさない!」
ナカジマ家の庭先。
俄然速度を増した拳が、肘が、勢い込んでスバルに襲いかかる。
巧妙に虚実入り混じるそれらを捌き切る技量は、今の彼女には無い。
すぐに押されて立ち行かなくなる。
その事は小さな少女にも重々分かっていた事だ。
ジリ貧だ……!
防御する腕が痺れ始めたのを機に、スバルは腹を決めた。
攻める。
それしかない。
重みに欠ける牽制の右拳打を見定め、スバルは動く。
「やぁぁぁぁっ!!」
体を傾け、上体を逃がしてのハイキック。
ギンガの側頭を刈り取る逆転の一撃。
拳打と蹴脚とでは込められる重さも威力も数倍の差がある。
無論当たれば、だ。
そのような見え見えの狙いが読まれない筈もなかった。
「大技に頼り過ぎ!」
「うわわっ!?」
あっさりと足を絡めとられ、軸足を払われる。
どれだけ慌てようと無駄だ。
頓狂な声を上げたスバルが格好悪く尻餅を着いた。
「いった~~……」
足を掴まれていては受け身も何もない。
涙目の彼女は痛む尻を擦ってその場にへたり込んだ。
「そこまでね」
「母さん」
そんなスバルを見て言葉を発したのはクイントである。
少し離れた所に立つ彼女は、しかし怒ったような様子は微塵も見せない。
「あんまり足技に頼り過ぎちゃ駄目よ。
どっちかって言うとトドメとか不意打ちかしら。
ちょっとスバルは焦り過ぎたわねー」
「う……」
ただし間違いの指摘まで免れる訳ではない。
スバルも自分の未熟は分かっているだけに、諭す言葉は耳に痛かった。
それに、お説教は一つでは済まない。
「ラッシュで相手の動きを固めた後か、それとも上体に意識を向けさせて視覚外から攻めるか。
どっちにしても無闇に使うものじゃないわ」
「うう……」
二方向からそれは来る。
ギンガも決して厳しい口調ではないのだが、それがなおの事怖い。
基本的にナカジマ家の訓練方針は弁より行動、習うより慣れろ、の実践派。
次は今話した事を前提とした組み手になるからだ。
つまりこれからはラッシュで動きを固められたり、相手の上体にばかり意識を向けていると蹴りが飛んでくる。
そういう事だ。
「それじゃあこの教訓を糧にもう一本やってみようか!」
「さ、スバルも立って。
もうそんなに痛くないでしょ?」
「――――うん!」
痛い。
が、そういう事が許される空間ではない。
それにこのままでは駄目だという気持ちも常に心の内にある。
スバルは勢いよく立ち上がり、再び構えを取った。
ただ頭の隅にふと関係のない事が過る。
そういえば、今日来るランスターさんってどんな人だろ。
その時、丁度よく外から単車のエンジン音が聞こえてきた。
頭を向ければ家を仕切る柵の向こう、ゆっくりと路肩に停止する車体がある。
フルフェイスのヘルメットを外すドライバーの姿はスバルにも馴染み深い男のもの。
「あ、“ゲル兄”!」
ゲルトだ。
その後ろにもう一人見慣れぬ少女もいる。
同じくヘルメットを外し、オレンジのツインテールを風になびかせた女の子。
とするとあの人がそうなのか。
仲良くできるといいな。
スバルが最初に思ったのはその一事だった。
**********
「ティアナ・ランスターです。
まだまだ未熟ですが、どうぞよろしくお願いします」
ティアナは内心の緊張を押し殺し、礼儀正しく頭を下げた。
今目の前にはここまで連れて来てくれたゲルト他、彼の義母であり師でもあるクイントに義兄妹のギンガ、スバルがいる。
ゲルトやギンガといった現役局員はもちろん、クイントも元首都防衛隊員。
父親は一部隊を預かる部隊長という局員一家である。
ゲルトの人当たりもまた、いわゆる“模範的な”局員のそれだった。
だから家族もそうなのだろうと思っていたが、
「ギンガ・ナカジマです。
こちらこそよろしくね、ティアナ」
「同じく、クイント・ナカジマです。
うちの方針は厳しいからビシバシ行くわよ?」
しかしイメージに反して彼女らに堅い雰囲気は欠片も無い。
落ち着きのあるお姉さんも、悪戯っぽい笑みを浮かべた女の人も、むしろフレンドリーと言っていいような気安さだった。
そして、
「スバル・ナカジマです。
よろしくお願いします!」
隠れるように彼女らの少し後ろにいた少女が、先のティアナのように勢いよく頭を下げた。
青い髪を短めに切り揃え、動きやすそうなジャージに身を包んだ少女である。
思いっきり肩に力が入っているのは丸分かりだった。
「よろしく、ナカジマさん」
言ってからティアナは困ったような笑みを漏らす。
「――――じゃあ、分かりにくいわよね……」
「皆ナカジマですからね……」
あはは、とスバルもぎこちない笑みで返す。
どちらもやはり気負い過ぎている面があった。
何故か?
別に初対面の相手だから緊張している訳ではない。
全くゼロではないが、今問題なのはこれから二人が一緒に訓練を受けていく仲間になる、という事だ。
「スバルでいいです。
私の方が年下ですから」
表情を引き締めたスバルが手を伸ばしてきた。
目の前の自分へ、広げた右の手を差し出す。
その意味が分からない筈もない。
ティアナも自身の右手でしっかりとその手を握った。
「そう、じゃあ私もティアナでいいわ。
今日からはお互いライバルなんだから」
「ラ、ライバルですか……?」
手を握りながらもぱちくりと目を瞬かせるスバル。
しかしティアナは自分の役割をそういうものだと認識していた。
いわば目の前の彼女の為の当て馬だ。
でもなければ赤の他人である自分の為にわざわざ時間を用意してくれるだろうか。
それだけだとは思いたくないが、幾らかはそういう面も期待されているだろうと思う。
それに自分自身負けず嫌いな性格は自覚していた。
競争相手が身近にいるのはこちらにとっても好都合だ。
ちらりと肩越しに視線を送ると、それに気付いたゲルトは柔らかく口元を歪め、
「別にライバルでも友達でもいいけどな。
お互いより高みを目指せるよう切磋琢磨してくれ」
「でも出来れば仲良くしてあげてね?
折角会えたんだし、ある程度基礎が固まったら連携訓練もやるつもりだから」
「はい」
妙にウインクの似合うクイントの言葉にもティアナは頷いた。
目の前にいる年下の少女が嫌味な性格にはとても見えない。
これからずっとギスギスしてやるなんてのも願い下げである。
「そういう訳で、改めてよろしく……スバル」
「はい!
よろしくお願いします、ティアナさん!」
視線をスバルへと戻したティアナが律儀な少女の態度に笑う。
噴き出すようで小さな笑い。
「ティアナでいいって言ってるのに」
「う……すみません」
「あ、謝らないでよ」
しゅんと項垂れた様子に、むしろティアナの方が慌てた。
家族とは違って、スバルには少し弱い所があるのだろうか。
ひとしきり何と言うべきか悩み、結局気の利いた言い回しなど思いつかなかったティアナは嘆息する。
「ま、まぁ、おいおい慣れていけばいいんじゃない?
時間はあるんだし」
「……はいっ!」
そんな二人を見ていたゲルト達も安心したように目配せをし合って頷いた。
とりあえずファーストコンタクトは良さそうな感じだ。
頃合いをみてパンッ、とクイントが両手を合わせる。
「さて、とりあえず顔合わせも済んだ事だし今の段階でティアナがどの程度出来るのか見せてもらいましょうか」
「あ、はい!」
「それじゃあもうちょっとスペースも欲しいし移動しようかな?
歩いていけるぐらいの所に魔法の練習も出来る公園があるのよ」
遂に始まる。
ナカジマ家での訓練、一日目。
**********
連れてこられたのは少しナカジマ家から離れた公園だ。
公園と言っても魔導師の自主的な練習を推奨した広場のようなもの。
ここでならよほど無茶な事でもしない限り魔法を使っていても文句は言われない。
「じゃあ向こうに見えるあの空き缶を全部撃ってみてくれ。
やり方は任せる」
「わかりました」
やや固い面持ちでティアナは前を向いた。
10m程度の距離のベンチの上、的として並べられた空き缶の数は六つ。
構えるでもなく、まずは深く息を吸う。
デバイスを握る手が汗で濡れている。
まずい兆候だ。
動かない的…………大した事ない。
外す方が論外。
当たって当然。
背中に刺さる三対の目をどうにか意識から遠ざけつつ、いい所で呼吸を止める。
兄さんの教えてくれたやり方を今一度反復。
力は入れ過ぎず、しかし意識は研ぎ澄ます事。
そして、
ターゲットの捕捉は一度に済ませるッ!
右から左へ流れた瞳が、六つの位置を頭の中に再現された空間へと焼き付けた。
と同時、ムチがしなるような動きで右手が跳ね上がる。
選択魔法は十八番のシャープシュート。
「――――!」
意識せずとも左手は銃把に添えられていた。
スタンディングポジションからの六連射。
やや半身の姿勢から連続して撃ち込まれた魔力弾は正確に全てのターゲットを射抜いた。
軽い音を立てて六つの缶、全てが弾き飛ばされる。
全弾、必中だ。
ただの一発も外れはない。
「っ、はー…………」
全ての缶が倒れたのを確認して、ティアナはようやく息をついた。
命中率100%、射撃の早さも自分の記録の中では最速に近い。
自己評価としては十分以上に合格点だった。
プレッシャーの大きさを思えばよく出来たと思う。
が、今判断を下すのは自分ではない。
「精度はまずまず……」
「スピードもなかなか……」
「ただ肩に力が……」
「とりあえず次も見て……」
後ろではこれから師範となるゲルトとクイントが幾つかの応答を繰り返していた。
断片的に漏れ聞こえる内容の限り、決して悪い評価はされていないようである。
行儀よく直立した姿勢を崩さず、しかしティアナは内心が気が気ではなかった。
そしてようやく向こうの結論も出たようだ。
こちらを見る彼らは緩い笑みを浮かべている。
「中々悪くないな」
「特に射撃の早さは凄いわ。
もう一端の魔道師クラスね」
「あ、ありがとうございます!」
内心で胸を撫で下ろしつつ、溢れる喜色は隠しきれない。
賛辞は予想した以上のものだ。
中でも兄直伝のクイックドロウは自慢の一つ。
管理局標準のデバイスが軽快とは言い難い杖型である現状、ランスターのそれは決定的なアドバンテージにもなり得る。
「そういえば、そのデバイスは自前なんだったな?」
「はい。
……と言っても教本と睨めっこして作ったのであんまりいいものじゃないですけど……」
ティアナが手にするデバイスは上下双発中折れ式の拳銃型、OSは簡素なストレージタイプ。
一応カートリッジシステムのみならず銃身下部に射出式のアンカーまで搭載しているが、そうとはいってもやはり素人芸。
見た目の粗雑さはともかく、実戦での信用性においては大いに疑問が残る。
ゲルトも少し唸った。
「努力を無駄にしたくはないんだが、少し考えておくか……。
流石に任官してからを思うと少し不安だしな」
「やっぱり、そう思いますか?」
訓練校で支給されるような標準タイプのデバイスでは兄に教えてもらった魔法を上手く活用できない。
そう確信した上でデバイスを手製してみたが、流石に出来の程度はティアナも自覚している。
「今は問題ないし、むしろ訓練には丁度いい位なんだけどねぇ?」
「あまり最初から高性能機に慣れると、地力がつかないか」
ゲルトも頷き、クイントの意見に追従した。
プロの作る高性能の専用デバイスとなれば魔法行使時の制御補助レベルは今のアンカーガンの比ではない。
ただの銃座としてなら一線に放り込んでもなんとか戦力にはなる程度まで、即座にティアナを押し上げてくれるだろう。
しかしそれは後の成長に少なからぬ影響を与える恐れもある。
「そうだな、とりあえず当分はそのままでいこう。
本格的に魔法戦の訓練を始める頃には、専用機を用意する。
幸いそっち方面のツテもあるから心配はするな」
「あ、ありがとうございます!」
至れり尽くせりとはこの事だ。
やはり独学に拘らなくてよかった、と思う。
「それじゃ、次は移動目標の射撃を見せてくれ。
―――ギンガ、頼む」
「了解しました、准尉」
ゲルトの言に応じたギンガは既にペイルホースを装備している。
バリアジャケットも展開済み。
しかし義妹のからかうような笑顔にゲルトはげんなりと眉を歪めた。
「……家でまで止めろ。
肩がこって仕方ない」
「はい、兄さん」
クスクス笑い、ギンガはペイルホースのエンジンに火を入れた。
ドガン、と一際大きい音が轟いたかと思うと自走してゲルト達の傍を離れていく。
方向的にはティアナ達を挟み、さっきのベンチとは正反対の方向だ。
「母さん」
「ええ。
ウイングロード!」
足元に現れた魔法陣は青の三角形。
頷いたクイントがラインを引く。
凹の下辺を引き伸ばしたような形のウイングロードがゲルト達の視界に境界を示していた。
拳士としての生命は絶たれたといえど、この程度の魔法の行使に支障はない。
「今からギンガがまっすぐ横切っていく。
あの縦のラインを越えたら始め、向こうのラインを越えたら終わりだ。
出来る限り撃ってみろ」
「……分かりました」
人を撃つ。
例え非殺傷設定とはいえ、気が引けるのは確かだ。
しかし訓練ともなればそうなるのは当然である。
一度デバイスを握り直す事で躊躇いを薄める。
傍にいたゲルトは強張った表情からその感情を見咎めた。
「もちろん、ギンガはシールドを張って動くぞ。
さっき缶を撃ち抜いた程度の弾なら問題ない。
心配せずに思い切りやってくれ」
「……そうですか」
程度……。
威力の方も中々上出来だと思っていたのだが。
遠慮なくやれる事に安心するべきか、それともあっさり火力不足を指摘された事に落ち込むべきか、微妙に悩む。
とにもかくにも今はやるべき事にのみ集中すべきか。
ただ標的が動くだけで射撃の難度は一気に跳ね上がる。
外さない。
今考えるのはそれだけでいい。
視線はアイドリング音を響かせるギンガへ集中。
やや前傾、デバイスを掴んだ右手はだらりと伸ばしたまま。
「来た……っ!」
ギンガが走り出す。
ペイルホースを使った走行だ。
かなりの手加減をしてもそれなりに速い。
が、まっすぐ進んでくれるならティアナでも狙えないほどではない。
狙い、撃つ。
ギンガが指定されたラインを越えるまで、ただ撃つ。
魔力を練り上げて作る弾丸は三角形の障壁を張って移動するギンガへ吸い込まれるように飛んでいく。
「ん……?」
「あら……?」
一発を当てれば次を、さらに次を。
結局ティアナは三発を当てた。
ミスショットは無し。
全弾必中だ。
どうにか再び満足のいく結果を出せた事にティアナは安堵の息を漏らす。
けど、ゲルトさんの言う通り本当に硬いわね。
当たりはしたが、三発の弾丸は全てギンガの障壁の前に容易く弾かれていた。
相手は現役の局員だという事を差し引いても些か自信を失くしてしまいそうだ。
そんな彼女を余所に、何か首を捻っていたゲルトが提案を出す。
「ティアナ、もう一回同じのをやってみせてくれ。
次は少し速くするが、外しても気にしなくていい。
その代わり威力は今出せる最大でやってくれ」
「は、はいっ」
なんだろう。
何かおかしな所でもあったのだろうか。
さっきは割と手放しで誉めてくれていたようだったのに。
「悪い!
ギンガももう一回頼む!
今度はもう少しだけ速度も上げてくれ!」
「はいっ!
じゃあほどほどで!」
何だか遠回しに馬鹿にされているような気がしないでもない。
ゲルトもギンガも本気を出せば当たりようがないとでも言いたげだ。
未熟は承知の上だが、精度についてはもう見せた筈。
ただ当てる位……。
二度の成功で緊張も解れて来たのか、それまでとは別の感情がティアナの中で生まれていた。
僅かな自信と小さな苛立ち。
ならば結構。
当てて見せればいい。
さっき“程度”の速度に毛が生えた位なら問題ない。
「用意はいいか?」
「はい!
いつでもいけます!」
殊更に声を上げて自分にも気合いを入れる。
期するは必中。
唱える言葉はいつもの通り。
ランスターの弾丸に――――
ギンガは再び駆け出そうとしている。
今度は左から右へ。
集中が増していくのに応じ、呼吸も緩やかに止まっていく。
自分の鼓動が相手の拍動――ペイルホースの轟きとシンクロしていくような錯覚を覚えた。
今日初めてカートリッジをロード。
相手の動きは速い。
さっきよりも確実に。
だが、
――――撃ち抜けない物は、ない!
当てた。
やはりトライシールドに呆気なく弾かれたが、当たったのは間違いない。
まだだ、もう一発。
移動していく相手に照準を合わせ、さらに絞り込む。
カートリッジの効果はまだ効いていた。
考えるのは外さない事。
いける!
外れるイメージは浮かばなかった。
想像というのは魔法を扱う上で思いの外重要になるものである。
「よしっ!」
そしてその通りになった。
思わず歓声を上げる。
終わってみれば計二発が命中。
またも外れ弾は無し。
「やりました!」
満足の喜色を張り付けティアナは振り返った。
見せつけたい相手、ゲルトはそこにいる。
「ああ、見せてもらった」
しかし予想と違ってそこにあったのは驚きでも、はたまた感嘆でもない。
どこか困ったような、そんな様子だった。
それは隣に立つクイントも同じ。
「細かい技術についてこちらから言える事はないんだが、それにしても中々の手前だったと思う。
一発一発から外すまいという強い意志も伝わってきた」
そんなゲルトの口から出たのはティアナの求める言葉だ。
しかしそれは次に続く言葉への布石を匂わせ、どうにも不穏な気配を漂わせていた。
「ただ聞きたいのは、どうしてもっと撃たなかった?
弾丸の形成自体は連射できる程なんだろう?」
「それは……命中率が下がるので……」
もちろん撃つだけならばもっと撃てる。
ギンガが横切るのにかかった時間も、ティアナが空き缶を倒し切るのにかかった時間とさほど変わらなかった。
つまり少なくとも六発は撃てた訳である。
しかしそれでは何発か外す可能性もあった。
多分二、三発は外していただろう。
必中を狙うならあの速度でなければ難しい。
「それだ」
「え?」
「どうしてそこまで命中率に拘る?
自分の手数を減らしてまで」
「どうして、って言われましても……」
即座に答えは返せなかった。
それは大前提であって、それに理由や如何などない。
そうでなくとも誤射はガンナー永遠の悪夢でもある。
流れ弾を作らずに効率的に攻撃しようと思えば命中率を意識するのは当然だ。
当り前だと思っていたし、そうなるべきだと思っていた。
改めて尋ねられても困るというのが正直な所。
「当たらなければ意味がないじゃないですか」
故にティアナは当たり前の回答を当たり前に答えた。
むしろ何故そんな事を聞くのか、と訝しがる様子がありありと表情に出ていた。
ゲルトはそんな噛み合わなさになおさら困惑の色を強くする。
「何か勘違いがあるみたいだが、別に適当に撃てと言ってる訳じゃない。
ただ、意識し過ぎて折角の抜き撃ちを殺しているように見える。
もったいない話じゃないか?」
「でも、それは――――」
思わず抗弁するような言葉がティアナの喉を突いて出た。
ゲルトの指摘に思い当たる節がないではないが、しかしそれこそがミッドチルダ式の常道だ。
そうして照準精度を上げていった結果、意識のハードルも下がり、そして手早く標的を仕留められるようになるのではないのか?
彼の言い様はそれを一足飛びにやれと言っているようなものだ。
自分の言えた事ではないが、あまりにも、と言うほど不見識な発言である。
そもそも、ティアナは近接型のゲルトに射撃の仕方について習いに来たのではない。
“戦い方”を習いに来たのだ。
しかし、
「…………」
ティアナは漏れ出そうになった言葉を途中で飲み込んだ。
自分から頼み込んで訓練に参加させてもらって、しかも今日はその初日である。
いきなり投げ出すようなみっともない真似もしたくない。
それが処世の術と言うなら適当に頷いておくべきなのだろう。
ただ、それで今後も兄から教えられたスタイルを変えねばならないのかと思うと即決もできない。
ガンナーとしてのちっぽけなプライドもまた、それを阻害していた。
結果、ティアナはただ黙ってゲルトと視線を交わす事になった。
「あの――――」
険悪な沈黙に耐えられなくなったスバルが声を掛けようとする。
しかしその言葉は半ばで肩を掴んだ手によって遮られた。
振り向けば、「しーっ……」と唇に人差し指を付けた母がそこにいる。
「スバルが口出しちゃ駄目。
お互い、言う事は言わなきゃいけないのよ」
結局いつも通りになるとは思うけどね、と母は笑った。
よく分からないが、そうと言われればスバルは口を噤むしかない。
ただ仲良くして欲しいとは思う。
ケンカは嫌いだ。
これから戦いの訓練をするのだ、と分かっていても、その気持ちは変わらない。
その気持ちも変えて行かなくてはならないのだろうか?
**********
「不満らしいな」
「いえ……」
一方、ゲルト達の方に進捗はない。
彼自身、考えた上でのアドバイスではあった筈だ。
素直に受け取れない自分の狭量がこういう時には腹が立つ。
遂にゲルトは眉間を揉んで溜息を漏らした。
「ん~む……」
何か上手い言い方がないものかと逡巡。
そうしてゲルトは不意に空を見上げる。
しかし彼が思い至ったのは結局の所、似合わない、という一言のみだった。
肩の力を抜いた彼の顔には何かを吹っ切ったような、諦めたような、一種の晴れやかさが浮かんでいる。
そして、
「やっぱり駄目だな。
まだるっこしいのはやめだ」
「!」
ゲルトは不意にバリアジャケットを展開した。
黒主体、三つ又のロングコート。
体のあちこちを拘束するベルトの数々は、しかし装着者の行動の自由を保障する為のもの。
突然の事態にティアナも息を飲んだ。
だがゲルトはそんな彼女を無視し、完全に背を向けて歩き出す。
「ティアナ。
実際局員が戦闘に入る時、最も一般的な敵との距離がどれくらいか分かるか?」
「い、いえ」
その背から声が掛けられる。
些か気後れしながらティアナは答えた。
未だ歩みを止めない彼は、喋りながらもふいと地面から小石を拾い上げる。
「まぁ、この位だな。
それ以上となると移動が主になる」
拾い上げたそれを手の中で遊ばせつつ、計10歩。
対航空魔道師戦となるとかなり広範囲に及ぶ事もあるが、現実にはこの程度のものだ。
そこでゲルトはようやく足を止め、こちらを振り向いた。
「今度は俺が相手をする。
この石が地面に落ちたら始め、だ。
俺に向かって遠慮なく撃ってこい」
ゲルトは得物である黒槍、ナイトホークを携えてはいない。
バリアジャケットの一部として手甲や脚甲こそ装備しているが、全くの素手だ。
舐められてる。
当然だろう。
彼からすれば自分などはひよっ子以下に違いない。
決して面白くはないが、どのみち返事は一つしかない。
それに、その為にここへ来たのだ。
「……はい!」
「よし。
それともう一つ言っておく」
「?」
ゲルトは言葉の途中で親指を弾き、合図である小石を跳ね上げた。
ティアナの目は反射的にそれを追う。
しかし彼女がゲルトの言葉を聞き逃す事はなかった。
「お前の弾は恐くない」
「っ!」
挑発で頭が沸騰するのを感じた。
小石が落ちる。
同時に、地表に固定された視界の中でゲルトの足が動くのが見えた。
走り出す気だ。
方向は右。
「―――――」
視線を上げつつ腕を振り上げるも、案の定ゲルトはそこにはいない。
それは承知しているティアナは、元よりゲルトがいるであろうそこへと銃口を動かしていた。
体全体で動くゲルトに対し、こちらは腕を動かすだけでいい。
弾丸の形成も始めている。
相手を見つけると同時に発射可能だ。
追いつける!?
自分でも意外な事に、振り切られてはいない。
姿勢低くこちらへ突進するゲルトの姿を確認している。
驚くべき足の速さだが、それでもこちらの方が速い。
予想外に呆気ない展開に混乱しつつ、しかし心の別の部分ではティアナは興奮していた。
“あの”鋼の騎士に一矢報いる事が出来る。
心が沸き立たない筈がない。
興奮は最初に挑発されていたせいでもあった。
幾ら恩義のある相手とはいえ、ああまで言われて大人しくしていられるような自分でもない。
「これで――――!」
走るゲルトに照準を合わせた。
今撃てば、確実に当たる。
前に進んでいる彼は、もういきなり横に跳んだりするのは難しいだろう。
頭の中の引鉄に掛った指が、今発射を促そうとしている。
が、しかし。
消えた!?
ティアナは寸前で発射を止めた。
突如ゲルトが銃口の先から消えたからだ。
今撃っても砂利の混じった芝を少し散らすだけだろう。
とはいっても完全に見失っていた訳ではない。
視界の隅にはちゃんとゲルトの存在を把握している。
ただ、精密射撃の為に意識を集中していたティアナはその分視界も狭くなっており、硬直した思考も合わせてその影に気付くのに僅かのラグを要した。
下!?
かなり背の高いゲルトがティアナの視界の外縁を掠める程に身を縮めている。
ただでさえ下を向いていたのに、さらにそれを超えて下へ。
足を動かせる訳もないのに、それでもなお進んでくる。
前転だ。
体を前に放るような前転運動で、彼はティアナの想像を上回った。
「くっ!」
慌ててそちらへ腕を向ける。
もう距離は幾らもない。
お互いが手を伸ばせば、届いてしまう。
いや、届いてしまった。
勢いのまま起き上がるゲルトの左手が、照準を付けようとしたこちらのデバイスに触れる。
銃口が……!
内側からデバイスに触れた手で無理やり軌道を逸らされた。
居場所は分かっているのに、そこに見えているのに、ゲルトの方へ銃口を向けられない。
しかも魔法のように滑り込み、両の手首をまとめて掴み取った左手はこちらを引き寄せる。
ここに至ってもまだゲルトは頭を上げる途中。
こちらを見てすらいない。
だというのに腕にこもった力は強く、反射的に体を引いていたティアナもバランスを崩す。
そして、引く腕に対応して突き出される右腕。
すぐ目の前に来た黄色い眼光の鋭さに身が竦む。
「かっ――――!?」
その隙に右腕はティアナの首を掴んだ。
息が止まる程に絞められてはいないが、今度は体全体の動きで後ろへと押される。
既に前へとバランスを崩していたティアナだ、呆気なく体は後ろへと倒れて行く。
その時は気付かなかったが、片足も見事に払われていたらしい。
空が見えたのは一瞬。
次に来るだろう衝撃に備えてティアナは身を固くする。
その瞬間、ティアナは再び掴まれた首が引かれるのを感じた。
「っ――――?」
背中に地面の感触。
少しの息苦しさに顔を顰めるが、逆に背の痛みはさほどでもなかった。
頭を打ったりした感じもない。
その理由はすぐに分かった。
薄く目を開いたティアナの視界に映るのは、仰向けになったこちらに馬乗りになったゲルトの顔だ。
片膝をついた状態の彼が首を引いて、倒れこむティアナを支えたのだろう。
しかしこちらの両腕は彼の左手一本に抑え込まれ、上体は首を掴む右腕のせいで起こす事もままならない。
さらに言えば右腕は手首との“てこ”で顎を、引いてはティアナの頭部全体の動きまで制限している。
おとがいを反らしたティアナの目にゲルトの顔が入ったのも、長身の彼がこちらを覗きこんでいるからだ。
つ、強い……!
体を完全に拘束された今になって、ようやくどっと汗が噴き出した。
分かっていた事ではある。
だが現実にこうもあっさり倒されてはその認識もさらに上方修正せざるをえない。
純粋な体術だけで、ここまで手加減されてなお、この有様なのだ。
世に轟くストライカーの称号は伊達ではない。
彼が本気で槍を振るい、魔法を使えば一体どうなるのか。
一方、こちらの目を覗き込んだゲルトは戦慄するティアナの内心など斟酌せず口を開く。
「一発も撃たなかったか」
こちらの首を掴んでいた手を離した彼は、ティアナの顔の横にその手を突く。
言葉には遠慮も呵責もない。
しかし事実だった。
「この辺りが、今のお前の限界だ。
分かるな?」
「……はい」
瞑目し、今の一戦を振り返ったティアナは静かに頷いた。
撃つべき時はあった。
当てられる時はあった。
それはゲルトが前転をする直前。
もう少しと照準を絞った、あの瞬間だ。
でも、私は……。
「一度、狙いを付けたのに撃ちませんでした。
確実に当てようと思って」
あの近距離なら少し甘い照準でも二、三発撃っていれば当てられた筈。
撃てなかった訳じゃない。
撃たない、とそう判断した心の動きこそが問題だ。
あれが欠点というなら、確かにそうなのかもしれない。
撃つべきだった。
そうすれば勝てていた“かも”しれない。
ゲルトもそうだな、と頷いてティアナに覆いかぶさっていた体を起こし、だが。
「ただしそれは間違いの二つ目だな」
「二つ目?」
ティアナには、もう思い当たる節はない。
体を起こしながら彼女は考える。
他に何かあっただろうか。
それもあれ以前に。
「最初にデバイスを構えた時だ。
あの時、お前はわざわざ銃口を肩まで上げて、それから俺がいないと見るや下に下げたな」
「……最初から下に向けるべきだったという事ですか?」
「惜しい」
惜しい?
「銃口を上げる段階で適当に俺の足元へ撃ち込むべきだった。
当たらなくてもいい。
とにかく俺が行きたそうな辺りへまず撃つべきだった」
「当たらなくても……撃つんですか?」
「そうだ。
俺とお前の距離は至近で、しかも位置は下方だった。
誤射の危険性は極めて低い。
なら俺の頭を押さえ込むのは、お前が一番にやるべき事だった」
「牽制、そうか!」
はっ、と目が覚めたようにティアナは目を開いた。
今まで対人戦をした事のない自分があまり考えた事の無い発想だったからだ。
ゲルトも頷いて、
「銃口がもう先回りしているのが分かれば、折角の突進力も殺される。
慌てて別の方向へ跳ぶか、とにかく足を止めるか、あるいは防御するか……。
何にしても戦いの主導権を握り続けられる訳だ。
お前が相手を踊らせていられる限りな」
何も敵を打ち倒すだけが攻撃の全てではない。
機先を制せられれば近接型の武器である突進力も殺す事ができる。
実際に弾が当たらずとも、それは心理的な“攻撃”として相手にダメージを与えるのだ。
そして相手に先んじるクイックドロウはランスターの本髄である。
速度重視な最初の数発で相手の動きを縛り、その隙を利用して今度こそ精密な照準を付ける、という風な事も可能だろう。
であれば、
手数が一気に増える……!
ティアナの中枢神経にゾクゾクと快感に似た高揚が走る。
もっと撃て、とはこの事か。
唯一つの発想の転換で、靄が晴れるように自分の道が切り開かれて行く。
これこそ自分が求めていたものだ。
何も尊敬の念だけで畑違いのゲルトに師事しようと思った訳ではない。
そして、その決断は間違ってはいなかった。
「――――さて」
と、ゲルトはそこで話を切り換えた。
「改めて言うが、俺達はお前を“優秀な”魔導師にはしてやれない。
俺達が敵に回した時に“厄介な”魔導師にしてやるのがせいぜいだ。
技術的に細かい部分はお前に自分の判断と努力で補ってもらうしかない」
元々からしてそういう話だ。
ゲルトが教えてくれるのは戦い方だけ。
非礼ながらそれ以上を期待してはいなかったし、渇望する程にそれをこそ望んでいたのだ。
「合わないのは当然だ。
多分――というか間違いなくそうだが、今からでも他に指南役を探した方がお前にとってはいい。
それでも、やるか?」
それは弟子入りを志願した時、念を押して言われた言葉だった。
もちろん自分もその事は承知している。
いや、しているつもりだった。
しかしこの段階に来てティアナは初めて真に確信した。
ここで学ぶべきなんだ、私は。
学びたい、というだけではない。
学ぶべきなのだ。
目標とする執務官に求められるのは高度な法務知識と能力と、そして単独で現場を制圧できる程の戦闘能力。
その点、鋼の騎士に「厄介だ」と評される魔導師ならば、必要十分以上である。
だからティアナは今度の問いに悩む事はなかった。
「はい。
“これからも”ご指導、よろしくお願いします」
答えに際し、ティアナは精一杯の矜持でもって不敵な笑みを作り上げてみせた。
恩義あるゲルトを前にするからこそ、現実はともかく精神的な立場として善意に縋る哀れな小娘ではありたくない。
それはティアナの中に新たなプライドが生まれた瞬間でもあった。
私は、“英雄”ティーダ・ランスターの妹。
そして、とさらに自分に言い聞かせる。
“鋼の騎士”ゲルト・グランガイツ・ナカジマの弟子なのよ。
やってやる。
今日から始まる新しい日々を感じ、ティアナは両の手を強く握り締めた。
そして師である青年もまた、彼女の答えに満足したらしい。
そびえる壁へ挑むような視線を向けられてなお、彼は満足気に口元を綻ばせていた。
(あとがき)
うわーお、またワンクール使っちゃったよ。
駄目だな、ホント女性陣の心理描写入れる所は難しい。
説教も……まぁ、師匠らしい事の一つもさせてやらなければなりませんし、ね?
出来る限りアンチみたいにはしないようにしてみたつもりなんですが、ティアナの性格が子供にしちゃちょっとやり過ぎたかな、と思わないでもない。
まぁそれはともかく次回は早くお届けできるよう、精一杯の努力はしてみます。
久々にゲルトにも本気で戦う場面を作ってやりたい気もするんですが……。
それではまたお会いしましょう、Neonでした!