「見事だ」
ナイトホークが退けられて、ようやくシグナムは大きく呼吸をする事ができた。
そして目前のゲルトへ称賛の言葉を投げる。
己の技が届かなかった事を無念と感じるのとは別に、彼の技量の程には改めて感服した。
しかし、
「最後のは何だ?
あんな事が出来たのか?」
あんな事を何度も成功させられるなら、そもそも太刀打ちなど成立しない。
ここぞという攻撃も、モーションから潰されてはひとたまりもないだろう。
返答次第では彼に対する戦術を根本から見直す必要がある。
「まさか。
そうそう上手くいくわけないだろ?」
だが当のゲルトは軽く手を振って否定。
実際アレは自信三割、ギャンブル七割といった所か。
普段ならそんな賭けはせず、ごく普通に防御に回していただろう。
万が一角度を外していたら……いや、彼女が素早く身を落とすなりして二度目の斬撃を放つだけで終わっていただろう。
「しかしまぁ、あのままでもすぐに手詰まりだったからな。
仕方なく、だ。
心配しなくてもあんなもんポンポン使う気にはならんし使えないって」
正味の所ナイトホークで有効な剣線を制限していくとある程度絞り込みも可能なのだが、それでも分の悪いギャンブルの域は出ないだろう。
確実性を期してファームランパートの直径を多めに取ってみても、さじ加減を間違えばこちらの邪魔になる。
レヴァンティンの刃渡りや重量バランス、それにシグナムの好む剣筋をおおよそとはいえ知っていたからこそだ。
とはいえ、
「まさか卑怯とは言わないだろうな?」
「当然だ。
破れない私が未熟なのだからな」
何となく聞いてみたのだが、やはりシグナムもそこに関して文句は無いらしい。
腕を組んだ彼女は憎々しげに、しかしはっきりとそう言った。
まぁ、勝てなかったからといって相手の手法を詰るなど騎士として論外。
非人道的な悪手ならともかく、こんなものは打ち破れない方が悪い。
その程度の事を彼女が弁えていない筈もないだろう。
いや、それは俺も、か。
勝者には勝者の、守るべき義理というものがある。
口にすべき事と、そうでない事が。
もし、実戦だったなら……。
確かに、今日は自分が勝った。
全神経、全感覚、全技術の持てる極限を費やしてもぎ取った。
それは間違いない。
それは誇らしい事だ。
しかし、とも思う。
例えば、右足を巻き取られた時。
隣を歩くシグナムには気取られないよう、そっと視線を右足へと動かす。
今でも多少痛むが、そうといって捻挫などをしている感覚はない。
それも刃引きがしてあったからこの程度で済んでいるわけで、本来なら間違いなく使い物にならなくなっているだろう。
その状態であの猛攻を凌げたかと言えば、流石に口を濁す。
勿論、フルドライブを使っていれば最初の段階でレヴァンティンごとシグナムを叩き斬る事も出来たが、その場合は彼女も防御などせず他の手段をとっていた筈。
何にせよ、勝って兜の緒を締めよってトコか。
久し振りに実りの多くある仕合だった。
これを教訓として、もっと精進に励まなければ。
などとそんな事を考えていると、タオルを手にしたシャッハが駆け寄って来るのが見えた。
邪魔になるからと離れた所で観戦していたはずだが、終わったと見て近付いてきたらしい。
「素晴らしい仕合でしたよ、お二人とも。
騎士団の者にも良い経験になった事と思います」
「ありがとうございます」
差し出されたタオルを受け取り、それなりに流れていた汗を拭う。
実際に打ち合っていたのはそれほど長い時間でもなかったが、終わってみれば精神的なものからかどっと噴き出していた。
「よろしければお話を聞かせて頂けないでしょうか?
お茶などおもてなしの用意も致しますので」
「ん、どうする?シグナム」
「お言葉に甘えておけ。
今更遠慮する理由もないだろう」
「まぁ、それもそうか」
確かに、このままハイさよならという訳にもいかないか。
向こうとしても色々あるのだろう。
そう思い、先方の提案にはOKしておく。
「そうですか。
それではご案内致しますのでこちらに――――」
シャッハが先頭に立ち、案内をしようと振り返った時だ。
ゲルトらの位置から少し離れた演習場の入口付近。
何時の間に現れたのか、そこには見知らぬ男達が立ち並んでいた。
ざっと数えて二十数名。
一見していずれも鍛えられた体をしている事が分かる。
それに、
「はい失礼しますねー」
「痛いのは足以外にどこか在りますか?」
「え、あ、手首が少し……」
「はい手首ですね。
この辺りですか?」
「はい。
そうです、けど……」
彼らの中から進み出た医療班と思しき女性魔導師数人がゲルトを囲んで治療を始めた。
とりあえず言う事を聞いて任せておくと、確かに痛みが引いて体の余分な熱も収まってゆく感覚がした。
…………?
しかし状況がよく飲み込めないゲルトやシグナムは勿論、シャッハまでも怪訝な顔をしていた。
どうやら彼女も何も聞いていなかったらしい。
戸惑う彼らをよそに、男達の中から1人、鞘に収めた大剣を背負った男が前へ出た。
20代中頃と思しき彼は白い鎧を着込んでいる。
まず間違いなく、アームドデバイスにバリアジャケットだ。
「ゲルト、って言ったな」
と、歩み寄ってきた彼は唐突に口を開いた。
彼の視線はひとえにゲルトに向けられている。
「さっきの仕合は見せてもらったぞ。
流石は“鋼の騎士”。
どうやら、噂は尾ひれが付いただけじゃなかったらしいな」
「はぁ……その、どうも」
どうやら誉められているらしい。
とにかく敵意は無いようだが……。
「あなた達、どうしてここに居るのです。
確か待機を命じられていた筈ですが?」
「まぁまぁ、そう言わないで下さいよシスター。
あんなものを見せられたらそりゃ俺達も黙ってはいられませんよ」
後ろの男達も各々に頷いて先頭の男に加勢する。
しかし、待機を命じられていた?
「シスター、この人達は……」
「……はい。
全員この場を使う予定だった騎士団のメンバーです。」
ゲルトの疑問に、疲れたように肩を落としたシャッハが答える。
済まなさそうに言う彼女の言葉からして、やはり本来彼らがここを使用する予定だったらしい。
しかし、本当に何なのだろうか。
特に憎まれているとかそういう事もないようだが……。
「本当に、あなた達は何をしに来たのですか?」
ゲルトがそれを尋ねるより早くシャッハが聞いた。
彼らに向き直った彼女が再び問い質す。
彼ら騎士団がこんな所に集まっている訳を。
「そんな事決まってるでしょう」
言いながら、先頭の男に倣って居並んだ騎士達も佇まいを正す。
ざっ、と音を立てて直立し、各々のデバイスを式典整列のように構えた。
「“鋼の騎士”ゲルト・G・ナカジマ殿!」
「は、はっ!」
一転して畏まった彼の口上。
戸惑っていたゲルトも反射的に姿勢を改める。
「先程の仕合で拝見した槍捌き、その御歳を以て全く見事!
噂に違わぬその才覚、その戦いぶりには我ら一同感服仕った!」
反射する物もない演習場だが、その声は大きく響く。
「そこで!」
騎士達が新たな動きも見せる。
あらかじめそう決まっていたかのように同調した動作でデバイスを構えた。
一斉に抜き放たれたそれらの鍔が、唱和するように小気味よい金属音を鳴らす。
「我らにもその武練の程を一手、ご教授願いたい。
目の覚めるようなその槍技で以て、どうか一手!」
言われた意味を即座には取り込めず数秒。
ポカンと、間の抜けた顔を晒すゲルト達。
しかし、
「……は、ははっ」
「ゲルト?」
ゲルトは確かに笑っていた。
最初は口元が少し歪む程度。
しかしそれも時とともに大きくなり、遂には耐えきれぬというように声に出ていく。
「――――上等!」
そして不意にその笑いを引っ込めた彼はそう言い切った。
一度は収めたナイトホークを再び展開。
手に慣れた重みを感じ、はっきりと握る。
「すみませんシスター。
折角のお誘いですが、話はもう少し待っていて下さい。
何でしたらシグナムと先に行っていて貰えても構いませんので」
言いながら、ゲルトはそこかしこに力を入れて節々の調子を確認していく。
特に巻き取られた右足や痺れていた手首を重点的に。
いける、な。
流石に生傷の絶えない騎士達の治療をしているだけの事はある。
応急の処置にしては十分過ぎる程。
シグナム戦の持ち越しはさほどでもなく済みそうだ。
「騎士ゲルト?
あの、本当に相手をなさるおつもりですか?」
「ええ。
俺の為にわざわざ来てくれたのを無碍には出来ませんよ」
困惑するシャッハの言葉も尤もとは思う。
とはいえ、挑戦を受ければ断る事はできない。
それにこんな機会はとんと無かった。
いつもの訓練じゃ、流石にな。
こう言っては何だが、108部隊での訓練ではほどほどに手を抜いている。
ミッドチルダ式の魔導師が相手なら懐に踏み込んだ時点でほぼ詰みだ。
そこまでが骨でもあるのだが、太刀打ちも無しでは不完全燃焼な感は否めない。
熟練の者ならそんな事もないのだろうが、陸士部隊に首都防衛隊クラスの練度を望む方が酷というものだろう。
しかし、今ならそれも存分に楽しめる。
有体に言って、ゲルトは今相当にハイだった。
「悪いがナイトホークももう少し頼むぞ」
『勿論です』
一も二も無い快い返事。
そんなナイトホークの態度に、ゲルトには満足の笑みが浮かぶ。
そして彼女を地に突き立てた彼はすぅ、と息を吸って腹に溜めた。
「当方、時空管理局陸士108部隊所属!
“鋼の騎士”ゲルト・G・ナカジマ!!」
相手にも負けぬ声量でそう名乗りを上げ、居並ぶ騎士達を見据える。
誰もがゲルトを見ていた。
その目に清廉な闘志を滾らせて。
その口に獰猛な笑みを湛えて。
その手に自慢の得物を携えて。
彼らはゲルトだけを見ていた。
そしてそれは彼も同じだった。
「期待に応じ、父直伝の槍技で以てお相手申し上げる。
一戦の後といえ、どうか一切の手加減容赦は無用でお願いしたい」
気を遣われずとも戦闘は十全に可能だ。
模擬戦故の縛りはあるだろうが、かといって手を抜かれるのは気に入らない。
どこまで捌けるかは分からないが、やるからにはとことんまでやってやる。
「こちらが告げるべきは以上!
これよりはこの身と、このナイトホークが仕る!」
地面と垂直に立っていた彼女を見せつけるように突き出す。
それに誘われてか、向こうからも先頭の男が更に一歩を前に出た。
男もまた両手で保持する肉厚の大剣を青眼に構え、ゲルトへ見せるようにしている。
「ミハイル・アドラウネとティルフィング。
生憎名乗る程の二つ名は無いが、腕前が応えるものと信ず」
チキ、と微かな金属音を鳴らしてティルフィングを半回転。
右目に被さるように構えられた剣の腹を光が走った。
「それでは」
両足を開いて前傾の姿勢を取る。
ゲルトはナイトホークを右側で大きく振りかぶり、ミハイルはティルフィングを肩に引っ掛けるようにしている。
2人の足元には正三角に剣十字を置いた魔方陣が展開。
ゲルトは赤橙、ミハイルは紅褐色だ。
「ああ」
視線を交わして頷き合う。
合図にはこれで十分だろう。
「「参る!!」」
疾走。
爪先が地を蹴り出し、一歩毎に速度を上げる彼らは急速に彼我の距離を埋めていく。
「あああああぁぁぁぁっ!!」
「はああああぁぁぁぁっ!!」
間合いに入るのは僅かにゲルトが先。
踏み込みから始まり腰、肩、腕と伝播した力の全てを刃に乗せる。
背の側から回り込むナイトホークを袈裟がけに振るった。
遅れたミハイルもティルフィングを肩から振り下ろす。
どちらともに重量級の部類に入る得物。
その衝突はけたたましい金属音を演習場に轟かせた。
「ぐっ……!」
重い……!
顔を引き攣らせたミハイルが心中で呻く。
予想より遥かに重みのある一撃。
自分も腕力には相当自信のあるつもりでいたが、それも過信だったか。
ナイトホークと打ち合うティルフィングもカタカタと音を立てて震えている。
拮抗というには苦しい。
少しでも気を抜けば即座に押し切られそうな程。
「フッッ!」
「ッ!」
そして二撃目。
互いに一歩を引いて再び得物を打ちつけ合う。
相も変わらずの剛槍。
初撃よりマシとはいえ十分に脅威を感じる。
刃を逸らせば踏み込めるかと思ったが、これでは……!
あの騎士シグナムが距離を取ろうとしたのも頷ける。
技術に加え基本的な身体能力までもこれほどの域に達しているなど。
仕方ない。
このまま闇雲に打ち合うのは不利だ。
幸いナイトホークの間合いより外に関する攻撃手段は少ないと見える。
距離を取って押し込むのが有効ではないか。
少なくとも、このままよりは、な。
そう判断したミハイルは三撃目の予備動作を大きく取った。
足を先より半歩引き、ティルフィングを短く構える。
強引とも言える手法で攻撃権を奪うつもりだ。
当然、如何に先手を取ろうとこんなものでナイトホークとの打ち合いなどは望めない。
ミハイルもそんなものは狙っていない。
「っらぁぁっ!!」
ティルフィングが横薙ぎに抉るのは、地面。
切っ先が土を裂き、紅褐色の剣圧が砂煙を巻き上げる。
煙のカーテンが視界を覆う寸前に見えたゲルトは不意の動きに警戒したのか、三撃目を振り抜く手を止めていた。
思う壺だ。
身を隠したミハイルはとにかくの窮地の脱出に安堵を感じつつ、更に身を引いてティルフィングを振りかぶる。
足は開き、右肩へ背負うような上段。
そして――――
「終わったな」
外野のシグナムの呟き。
その通りになった。
「なっ!?」
遠距離の攻撃を放とうと、魔力の滾るティルフィングを振り抜かんとしていたミハイルが驚愕の声を漏らす。
目の前の砂煙を突き破り、光も反射せぬ刃物の切っ先が飛び出してきたのだ。
切っ先、である。
それがはっきりと見えたのは、何て事は無い。
「は……あ……?」
今も目の前で止まっているからだ。
顔から10㎝と離れていないその宙で、ナイトホークの先端が静止している。
ざぁっ、と風が吹き抜けて砂煙が消えれば、こちらに彼女を突き出すゲルトの姿も見えた。
少しでも射程を伸ばす為か、足を大きく開き半身の構え。
ナイトホークを片手で保持する右手を伸ばし、突きを放ったままの姿勢で停止している。
一方、ミハイルは眼前の刃物の圧迫感で身動きが取れない。
「あ」
そうこうしている内にナイトホークが引き戻された。
思わず間抜けな声を上げてしまう。
ナイトホークを戻したゲルトはその勢いで足も引き戻し、姿勢を整えていた。
ナイトホークを地に突き立てた彼はこちらに一礼。
は、という呼気と共に、ミハイルの体からも力がどっと抜けた。
負けた、か。
その時になって、ようやくその事に気が付いた。
頭を上げたゲルトはもう興味も失せたのかこちらから視線を外し、音というものが一切消えた演習場で他の者達の方へ体を向けた。
そして静寂に小さな波紋を浮かべる
「次」
たった一つの言葉。
その効果はすぐには表れず、少しの間を以て騎士団の人間の中へと浸透していった。
それはやがてざわめきとなって広がり、そしてまた一人の騎士がゲルトの前に立った。
**********
走る影。
人影。
それを追って幾つもの光が宙を裂き、外れたそれらが地を抉る。
演習場を駆ける黒い影、ゲルトはナイトホークを抱えたまま斬撃の連射を逃れている。
二刀で高速の投射を繰り返す射手を中心に、緩い円を描くようにして疾走。
やがてゲルトの位置が射手の死角に近付き、射手も手を止めてそちらへ向き直らざるを得なくなった。
一瞬の間隙。
それを見逃す手はない。
ゲルトは直角をも越える強引な転進を行い、射手へと突撃する。
方向転換に魔力も用いたのか、背後には巨大な土煙も上がっている。
「遅いっっ!!」
しかし相手の攻撃の方が早い。
再度放たれた斬撃が二発、相対の速度も加わり高速で迫る。
が、見えていた。
金の目を開くゲルトにははっきりと、その着弾点までが。
それは先ずゲルトの胸を抉り、次弾が左足を薙ぐ。
故にそこから身を逸らす。
着地した右足を捻り、内側へ。
この速度でそんな事をすると常人なら確実に痛めるだろうが、身のこなしと持ち前の頑健さでこなす。
右足が急制動を掛けた事で生じる慣性を利用し、左半身を回転。
先刻ゲルトがいた位置に右足だけ残して、目の前を初撃が通過していくのを見る。
そして完全に背面になった頃、後ろへ流れている右足を蹴り出す。
身一つ外れた二撃目が空を切るのも感じつつ、一瞬の滞空の内にナイトホークを構える。
右手を伸ばし、横薙ぎに振り抜く握り。
左足が着地すれば射手まではもう数歩。
逃がさず踏み込み、振り抜いた。
「ッッツ!?」
それは反射的に身を守ろうとした射手の左手から短剣を弾き飛ばす。
男は左手を庇いながらも右手の短剣を振るおうとし、しかしゲルトの二撃目で吹き飛んで行った。
メキッ、と数本骨の砕けるような嫌な手応えと音を感じる。
吹き飛んだ男は何度も地を転がって停止、しかしとりあえず手は動いていた。
すぐに医療班が彼を囲み治療を始めるのを視界の隅で確認し、ゲルトは声を張り上げる。
「次!」
そんな彼を遠巻きに見つめている二つの視線がある。
壁にもたれるようにしているシグナムと、彼女の傍に立つシャッハだ。
「今で、何人目でしたか」
「さっき吹き飛んだ者で30と……3人目ですね」
まるで他人事のような会話とは裏腹に、語られる内容は中々に凄さまじい。
目をゲルトの方に向けると再び激しい剣戟に興じていたが、よく見れば息が荒い。
振り抜く斬撃も少し雑になってるように見える。
無理もない。
一度に30人を相手にするのは困難だが、そうといって一人一人30回相手にするのよりは体力を使うまい。
パラディンのお陰で魔力のセーブに長けているとはいえ、体力の方は体を動かした分だけ減っていくのが道理。
むしろここまで保っている方が称賛に値するか。
「とはいえ、彼もそろそろ限界のようですね」
「加減を効かせる余裕も、最早無いように見えます」
またゲルトと太刀打ちしていた騎士が宙を舞った。
やはり骨を打つ鈍い音が聞こえている。
「次っ!」
視線を巡らせば噂を聞きつけたのか集まってくる騎士達の姿が見える。
当初の人数を遥かに超え、まだまだ10人近い騎士達が控えていた。
幾らゲルトでもこれら全てを相手取るのは不可能だろう。
そうシグナムが考えている内に、すっ、とシャッハが前に出た。
彼女は演習場の中央でナイトホークを突き立てているゲルトへと歩を進めている。
「行かれるのですか?」
「はい。
これ以上の損害は教会としても看過できませんし、騎士ゲルトにもあまり無用の怪我をして頂きたくはありませんから」
言いながら、シャッハはトンファー状のアームドデバイス、ヴィンデルシャフトを展開。
バリアジャケットも纏い、演習場へ歩いて行く。
壁に背を預けたままのシグナムはその後ろ姿に声を投げていた。
「油断はなさらぬように。
今のままでも、アレは相当にやりますよ」
「それは勿論。
あなたとの仕合を見た時からそんなものはありませんよ」
振り返ったシャッハは緩い笑みを見せたが、進むのは止めないようだ。
騎士達が前に出るのに先んじてゲルトの前に立つ。
「あなたですか」
ゲルトも彼女の姿に気付いたらしい。
突き立てていたナイトホークを持ち上げ、構える。
「聖王教会、シャッハ・ヌエラです。
ヴィンデルシャフト共々、お相手願います」
「それは望む所ですが、こちらの加減が利かなくなってきています。
それでもよろしいのですか?」
「はい。
当たるつもりは、有りませんので」
言いながら、シャッハもゲルトの動きに応じて両のヴィンデルシャフトを突き出した。
構えに隙は見当たらない。
瞳にも臨戦の炎が見える。
本気か。
では、是非もなし。
挑戦者はあちら。
受けるのはこちらの義務だ。
「参ります」
「いつでも」
シャッハが深く身構える。
間違いなく飛び込んでくる気だ。
確かに、得物の差を見ればそれは自然な発想。
問題はそれを見切れるか、だ。
ハー、と長く息を吐く。
集中力も限界が近い。
ナイトホークを支える腕も、やや震えているのが分かる。
度重なる連戦で体力、気力共に底が見え始めているのだ。
長期戦は避けたいな。
故に、ゲルトの構えは右手を引いた刺突の握り。
リーチの差を活かし、初手から潰す。
その腹積もりだ。
「……………」
「……………」
しかしシャッハはすぐには動かず、互いに睨み合うだけの時間が過ぎる。
こちらの疲労を待っているのか。
恐らくそうだろう。
確かに、ナイトホークを構え続けるのは体力を使う。
精神的に疲弊しているせいか焦れてもきている。
呼吸の乱れを悟られぬよう気を遣っているが、それも重なっているのだろう。
本来なら肩で息をしている筈だ。
如何に基本的な能力に恵まれた戦闘機人とはいえ、連戦の影響は無視できない。
……まずい。
震えが膝まで来ている。
汗が顔の輪郭をなぞっていくのを鬱陶しく感じながら、顔に出ないよう気を張る。
それがまた負荷として心の隅に溜まっていく訳だが、そうといって構えを解くような愚は冒せない。
そしてさらに十数秒。
ゲルトには分単位にも感じたが、ついにシャッハに動き。
「!?」
消えた。
そう思えた。
コマ落としのように、今いた場所から消え……いや。
後ろ――――!?
後方、右側にファームランパートを展開する。
反射の動きだ。
何故そう思ったのか、などと考える間もなく防御。
「ッ!」
背後から聞こえる打音と、軽い驚きの声に戦慄する。
背筋を悪寒が走るとともに総毛立った。
だが、時は止まらない。
思考停止は命取りだ。
「くっ……!」
振り返りながら薙ぎを放つ。
体の捻りを利用し、咄嗟とはいえ必殺の威力を持たせている。
しかしそれも空しく風を斬るのみ。
気付けばシャッハは間合いの外まで離脱している。
あの一瞬で!?
相手は移動系の魔法に長けているだけでなく、身のこなしも相当に軽い。
侮ったか、という思いが過る。
騎士ではないからと、甘くみていたのか。
とんでもない。
これはシグナムにも匹敵する。
「やりますね、シスター」
今度こそ油断せぬよう構えを深めながら、ゲルトは声に畏敬を込めてそう投げかけた。
認める。
今の一瞬でも十分に理解できた。
目の前のこの女性は、今の自分では手に余る相手である。
たとえ万全の状態であっても五分の戦いができるだろう。
「それはこちらの台詞ですよ。
そんな状態でよく反応できるものです」
ヴィンデルシャフトをボクサーのように構えているシャッハも、その表情には少なからぬ驚きが含まれていた。
やはり先刻の一撃で仕留めるつもりだったらしい。
いや、一瞬でも遅れていれば事実その通りになっていただろうが。
とはいえ、このままむざむざとやられるつもりもない。
記憶を掘り起こし、今のシャッハの動きを分析する。
厄介なのは……。
速度、ではない。
振り返ってみれば本当に見えない程の速度ではなかったと思う。
重要なのは相手の巧さだ。
こちらの集中が途切れる瞬間を突いてきた観察眼や、あそこまで静かな移動をこなす運体術など、純然たる技術に関する面。
これらにはこれといった攻略法がない。
ただ速いだけならば予備動作を見抜くなりで対処できるが、それを悟らせぬ事こそが上手い相手なのだ。
どうする……?
勝負は次の接触で決する。
自分の現状を鑑みるに次で仕留めなければ勝つ見込みはない。
かといって馬鹿正直に戦ってもシャッハは捉えきれないだろう。
何か策の一つでも用意しておかなければならないが。
何にせよ、綱渡りだな。
シグナムと仕合った時と同じだ。
研ぎ澄ます。
感覚を、身体を、精神を。
今己を苛む疲労の全てを忘却するように、目前の相手にのみ全てを傾ける。
シャッハが先程そうしたように、彼女の呼吸を読む。
せめて向こうが飛び込んでくる瞬間だけでも知る事はできないか。
すると、リズムを乱す微かに深い吸気に気付いた。
来る……!
勿論罠も疑ったが、動くなら今しかない。
完全に相手が動くのを確認していては出遅れる。
これは本命だ。
そう信じて、ナイトホークを横薙ぎに振るう。
来た!
賭けには勝ったか。
シャッハがこちらの予想したタイミングで突進。
真正面から間合いへ飛び込んでくる。
ここだ。
そして切り札、ISファームランパートを展開。
当初のシャッハとゲルトの中間程を起点とし、その頭上に地面と平行の防御障壁を張る。
「とった!」
上は塞いだ。
横へ跳ぼうともナイトホークの間合いからは逃れられない。
これが、今ゲルトに用意できる最高の環境。
間合いの勝負なら圧倒している。
まず敗れる要素はない。
勝った。
勝ったのだ。
紙一重の勝負であったが、自分は勝利への糸を手繰る事が出来た。
なのに、
「カ――――ッ!?」
激痛。
腹部に、意識を刈り取る程の痛み。
膝からも力が抜け、くずおれる体を支える事ができない。
暗転していく視界の中、ゲルトが見たのはこちらへ叩き込んだヴィンデルシャフトを引き戻すシャッハの姿だった。
なんで、だ?
彼女がここまで近付くなど不可能だった筈だ。
確かにナイトホークに手応えは無かったが、どうしてここまで踏み込める?
纏まらない思考が頭を走り、ノイズのように消えていく。
理解不能。
何故そんな事が起こるのか。
だが考えるまでもなく答えはそこにある。
理由ははっきりと見えているのに、頭がそれを認めようとしないのだ。
沈、んで……!
シャッハは目の前にいた。
しかしその背丈は立ったゲルトの腰程度しかない。
彼女は上体を残し、あろうことか地面に“埋まっている”のだ。
穴を掘ったような様子もなく、植物が生えているような自然さでそこにいた。
恐らくは、物質透過系の魔法。
『マスター!?』
だが、そんな事に気付いたとてもう手遅れ。
ナイトホークの声も、遠くから反響したように曖昧にしか聞こえない。
着いた膝から前に傾き、ゲルトはシャッハにもたれ掛かるようにして倒れ込んだ。
頭に何か柔らかい物が当たる感触がある。
次いで誰かに抱きすくめられるようにして支えられた感覚。
ゲルトが意識を保っていられたのはここまでだった。
**********
「すみません、騎士ゲルト」
ゲルトの髪を軽く手で梳いてやりながら呟くシャッハ。
既に彼女は地面から出ており、意識を失って脱力しているゲルトを支えている。
胸元の彼の表情には、やはり少なからぬ苦悶があった。
見た所連戦での外傷はさしたる事もないようだが、最後の一撃が効いているのだろう。
寸止め、という事もできましたが……。
しかしあれ以上続けさせていると、この程度では済まない怪我をしていた可能性が高い。
そう思いながら、彼女は集まっていた騎士達を見渡して声を張り上げた。
「騎士ゲルトは私が医務室に連れていきます!
あなた達も速やかに所定の部署に戻りなさい!」
それを聞いてか、いかにも渋々といった様子で演習場を出ていく騎士達。
まぁ、肝心のゲルトがこの様ではどうしようもあるまい。
何人かは肩を貸してもらってようやく、という者もいたが、とにかくは大人しく演習場から引き上げて行った。
シャッハそんな彼らを見送りつつ、溜息を一つ。
まったく……。
彼らでは消耗したゲルトであっても手に負えない。
シャッハの予想する限り更に五人は倒され、ゲルトを仕留める者も加減を行う余裕はないだろう。
ゲルトが引き時を弁えてくれていればそれも無用な心配ではあるが、どうも彼も気が逸っていたようなのでこうするしかなかったのだ。
「お見事でした。
シスターシャッハ」
横あいから人の声。
いえ、と謙遜の言葉を放つシャッハが視線を向けると、そこには予想した通りシグナムがいた。
近付いてきた彼女はシャッハが支えているゲルトの腕を取り、肩を貸す形を取る。
シャッハも反対の腕を取り、ゲルトを支えるようにして歩く。
「しかしこいつもよくやる。
流石に初撃で決まるものと思っていましたが」
「ええ。
私もあれを防がれるとは思いませんでした。
才能も目を見張るものがありますが、それだけでは説明がつきませんね」
すぐそばにあるゲルトの顔へ目を向ける。
あの独特な防御障壁や身体能力、魔力保有量などは確かに素晴らしい。
しかしそれを束ねる彼の戦闘センス、それこそが真に見るべきではないかと思う。
直感、度胸、判断力、その他の経験が鍛え上げる部分。
向かい合った時に感じる気迫も場数を感じさせる堂に入ったものだった。
「いつか万全の彼ともう一度仕切り直しを行いたいものです」
今回はゲルトの疲労が重なった上での勝負であり、とてもフェアと言えるものではない。
あくまで仲裁として割って入ったとはいえシャッハとしても不満が残る。
やはり出来る事ならもう一度、と思わざるを得ない。
「それは起きた時に言ってやって下さい。
これも喜ぶでしょう」
「そうでしょうか」
「はい。
間違いなく」
その様子を思い浮かべているのか、シグナムは苦笑を浮かべて保証してくる。
ではそうしましょう、などとシャッハも頷き、二人は医務室へと歩を進めた。
**********
「……は」
泥のような眠りから、意識がゆっくりと鎌首をもたげる。
まだはっきりと覚醒していないせいか体の反応は鈍い。
俺、寝てた……?
頭を包む枕や掛けられた布団の柔らかさを感じる。
重い瞼を何とか開き、まず見えたのは天井。
自分の部屋ではない。
明かりも点いておらず、ベッドのすぐ左手の窓から差し込む赤い光から見てもう日暮れ時か。
その辺りでようやく頭も回り出した。
気を失う前の状況を思い出す。
そうだ。
シスターシャッハに、負けたんだったな。
それでここに運ばれたのか。
どうも結構な時間を寝ていたらしい。
「目が覚めましたか?」
聞き覚えのない声は右手側から聞こえた。
柔らかく、こちらを労わるような響きがある。
首を傾けてそちらを見てみると、聖王教会の法衣に身を包んだ女性が椅子に腰かけていた。
日の具合でこの姿勢からでは彼女の顔はよく見えない。
ゲルトは彼女の問いにはい、と答えながら上体を起こした。
……?
ゲルトが起きた事で彼女が部屋の照明を点け、そうしてやっと彼女の顔を確認する事ができた。
緩やかにウェーブのかかった金髪を腰程まで伸ばした若い女性。
すると唐突に既視感が襲いかかった。
この構図に何処か見覚えがある。
ベッドにいる自分、そしてその傍らで話しかける金髪の女性。
「あの、もしかしてご気分があまり優れないのですか?
それでしたら無理なさらず寝ていらした方が……」
「あ、いえ、すみません!
ただ、少しぼんやりしていただけですから」
不思議に思ったゲルトは思わずまじまじと彼女を見つめてしまっていたらしい。
無言のまま見つめてくるこちらを心配したらしい彼女に言われ、初めて我に帰ったゲルトは慌てて場を取り繕った。
「そうですか。
でも本当に無理はなさらないで下さいね?」
「はい。
すみません、ベッドを占領してしまって」
「そんな事は気になさらないで下さい。
よろしければ泊まっていって頂いても構いませんよ」
「いえ、そこまではお世話になる訳には……。
体も特に異常はありませんし、明日も仕事がありますから」
彼女と言葉を交わす内、頭に引っ掛かっていたピースが徐々に嵌って行く。
と同時に彼女の事についても思い出してきた。
自分は確かにこの人と話した事がある.
二年前の、あの時も病室だったか。
そういえば今朝シスターシャッハと会った時の話にも出て来ていた。
確か、そうカリム。
シスターシャッハはそう言っていた筈だ。
自分の記憶に薄く残る彼女もそう名乗ったような気がする。
「あの、カリムさん……でいんですよね?」
「ええ。
カリム・グラシアと申します。
覚えていてくれましたか」
シャッハと同様、カリムもゲルトがあの日の事を覚えているとは思っていなかったらしい。
しかし彼女の場合は驚き、というよりは安堵に近いような表情を浮かべている。
「その節は申し訳ありませんでした。
あの時は自分も余裕がなく、その、失礼な態度を取っていたと思いますので」
「いえ、当時は本当に大変だったでしょうし、私達も気にはしておりませんから。
こうしてお話をして頂けるだけで十分です」
そう言って彼女は微笑んだ。
何故だかその穏やかな笑みを見ていると安心する。
自然と胸がほっとするような温かさがそこにはあった。
それに、輝かしかったあの日の、懐かしさも。
不思議だ。
「そうだ、お茶はいかがですか?
今日は良い葉が手に入ったんです」
「はい、頂きます」
ああ、そうか。
机の上に用意されていたポットからお茶を注いでいくカリム。
立ち上る湯気を見るに自分が寝ている間に何度か中身も入れ替えたのではないだろうか。
カップを受け取りその香りと味に癒されながら、ゲルトは彼女を見ていて感じる妙な懐かしさの訳に思い至った。
この人はメガーヌさんに……。
似ている。
同じ匂いというべきか、そんなものがある。
だからなのか。
(ゲルト君)
ゲルトの脳裏に彼女の姿がフラッシュバックする。
一時も忘れた事のない、かつての安らぎ。
ルーテシアをその胸に抱いた彼女はこちらを振り向き、これ以上ない程幸せそうに笑っていた。
「ッ」
「?
やっぱりどこか――――」
「いえ、少し目にゴミが入っただけですから」
目頭が熱くなるのを感じ、咄嗟に上を向いて隠す。
一呼吸で何とかそれを押し止め、指で拭って痕跡を消した。
疲れているせいか?
昔を思い出す事があっからといって、ここまで感傷に溺れるなど。
ゲルトはそれを気取られないようにカップで揺れる茶を啜る。
「これ、美味しいですね。
香りも良くて、何だか落ち着きます」
「お口に合ったみたいで良かったです」
よく見れば容姿はそれほど重なるでもない。
あえて言うなら動く度に揺れるロングの髪と、それをかき上げる仕草くらいだろうか。
ただ彼女の穏やかな雰囲気だとか育ちの良さを思わせる動き、それに柔らかい笑みが、ありし日の貴影を彷彿とさせた。
「私も模擬戦の様子は拝見していたのですけど、お強いんですね。
噂では聞いていましたが、騎士団の者が全く歯が立たないなんて」
「あー、まぁシスターシャッハには見事に負けてしまいましたけどね」
気恥かしげに言うゲルト。
二人の話は自然と模擬戦に向いていた。
カリムも何処かで見ていたらしく、手放しの賛辞を送ってくる。
「それでも凄いです。
シグナムと互角に戦えるような人は教会でもごく僅しかいませんし、その後一人で30人以上も相手にするなんて聞いた事がありません」
でしょうね、とは言えず、ゲルトは曖昧に笑って誤魔化しておいた。
今思えば何という無茶をしたのか。
内心で頭を抱える。
普段ギンガに訓練で無理はするな云々と偉そうに言っている割に自分はこれか。
あとでシスターにはお礼を言っとかないとな……。
多分見かねて止めに入ってくれたのだろう。
あのまま限界まで戦っていたら一体どうなっていたやら。
「――――それで、宜しければ、なんですけども……」
「はい?」
少し内の事に集中し過ぎていたらしい。
話は既に別の話題に移ったようだ。
カリムは遠慮がちに何かを切り出そうとしている。
「宜しければ、また来て頂けませんか?
その、騎士団の者も良い経験になったと口を揃えていましたし、シャッハもあなたともう一度腕を競いたいそうなんです。
勿論いつとは言いません。
そちらの都合の良い日で結構ですので……どうでしょう?」
何かと思えばそんな事か。
彼女の表情からどんな事を言われるのかと思ったが、拍子の抜けた感がある。
そういう話ならむしろ喜んで、だが。
頼まれたから来た、っていうのもな。
カリムにだけ負担を負わすようで気が引ける。
それに彼女の纏う、やけに重い空気も気になった。
父であればここで気の利いた台詞の一つでも思い浮かぶのだろうが……。
ゲルトは少し悩む素振りを見せ、ふと何かを思いついたのか表情を変える。
余裕を持って言おうとし、失敗。
結局はにかみながらそれを口にする事になった。
「あなたが、またこうしてお茶を用意してくれるなら」
臭い。
臭過ぎる。
言ってから猛烈に後悔の念が浮かんできた。
眼前のカリムも何を言われたのか分からないと言うようにポカンとした顔を晒している。
外した……!
全身を掻きむしりたくなるような羞恥が湧き上がる。
やはり安易に父の真似事などするものではなかった。
「ふふっ」
耳まで赤くしたゲルトが穴にも埋まりたい気持ちで俯いている内、不意に上から笑い声が聞こえた。
顔を上げてみると、左手で軽く口元を隠したカリムがクスクスと忍び笑いを漏らしている。
やはり滑稽だったかとゲルトが更に落ち込みの度合いを増そうとした時、彼女が何とか口を開いた。
「いえ……すみません。
その、そんな風に返されるとは、思わなかったので……」
一応笑いを堪えようとはしているらしい。
しかし余程壺に嵌ったのか、彼女は何度も言葉を切ってそう告げてきた。
その様には先程の思い詰めたような雰囲気はなく、素の彼女が出ているように見える。
かなり無様ではあったが、とりあえず当初の目的は達成できたのだろうか。
そうして、ようやく落ち着いてきたらしいカリムはこちらを見る。
「私もお待ちしています。
また、とっておきのお茶を用意して待っていますから」
そう言って彼女は今度こそ花のような笑みを綻ばせた。
それは自然で、ゲルトにはとても美しく見えた。
はい、と言葉にするのも困難な程に。
**********
それから二人の会話は和やかに進み、初めの頃よりは幾分砕けた調子で続ける事が出来た。
カリムの方も最初在った遠慮のようなものは薄れてきたようだ。
それはゲルトにとっても楽しい一時であった。
「カリムさん、今日は色々とありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。
ゲルトさんのおかげで楽しいお茶会でしたよ」
「シスターシャッハも、次は全力でお相手します」
「楽しみにしています。
それまでに騎士団の者も少しは見れるようにしておきますので」
が、少しばかり長居が過ぎたかもしれない。
そろそろ本格的に帰りださなくてはまずい時間になってきた。
ゲルトは辞する事を告げ、合流したシグナムと共に教会の門を越え帰途についている。
見送りはいいと言ったのだが、カリム以下シャッハやゲルトが仕合った騎士団員など、何時の間にか大所帯で送り出された二人であった。
「教会の印象はどうだった?」
「ああ、良かったよ。
久し振りに良い訓練になったし、カリムさんにも良くしてもらったしな」
教会も見えなくなり、シグナムと二人夜道を歩きながら言葉を交わす。
ゲルトは疲れもあり、欠伸を噛み殺しながら話していた。
「ほう、随分騎士カリムと仲良くなったんだな」
「騎士?
あの人騎士だったのか?」
どうみても荒事が向いているようには見えなかったが。
歩き方一つ見てもそういう方面の訓練を受けている感じはしなかったように思う。
「知らなかったのか?
教会内でも有力なグラシア家の跡取りで古代ベルカのレアスキル“プロフェーティン・シュリフテン”の担い手だ。
未来をも占う預言系の能力で、聖王教会や次元航空部隊のトップでもあの方のスキルには一目置いている」
「そんなに、凄い人だったのか?」
少しは偉い人なのだろうな、とは思っていたが、予想を遥かに超えるスケールの話がポンポンと飛び出してくる。
いくら一時英雄扱いされたからといっても、結局の所自分は陸曹だ。
はっきり言って下士官である。
あんなにも気安く話して良かったのだろうか、という不安がちりちりと背中を焼く。
「本当に何も知らないらしいな」
「前に会った時はちょっと色々あってな。
その時に聞いたかもしれないが、全く覚えてないんだよ」
「道理で。
お前にしては妙に親しげだとは思ったが」
シグナムはやや呆れたような空気を滲ませている。
会った事があるなら知っていて当たり前、それほどの人だったのだろう。
やはりもっと畏まっておくべきだったか。
とはいえ、流石に現場レベルの局員で聖王教会内部の事まで詳しく知っているような者もそういまい。
畑違いの人間なら適当に扱ってよいとまで言うつもりはないが、まぁ大目に見てくれるだろう。
と、思っていたかったが、シグナムの一言でそれも打ち砕かれる事になる。
「ところで、あの方は時空管理局にも籍を置いていらしてな」
「へ、へぇ」
嫌な予感しかしない前置き。
適当に相槌を打つが、内心では冷や汗が止まらない。
「そちらの方ははっきり言って名誉職のようなものだが……」
「だが?」
くどい。
なぜ一々区切る。
彼女はこちらを見ずに前だけを向いて話しているが、ゲルトには分かった。
口元が、微かに笑っている。
わざとか……!
イイ性格をしている。
決して良い性格でないのがミソだ。
殺すならいっそ一思いに殺せ。
生殺しのような気分で彼女を睨む自分に満足したのか、彼女は核心に触れた。
「一佐だ。
今の所はな」
「一佐ぁ!?」
一佐というのは即ち三佐の二つ上な訳で、つまり部隊長をやっている父よりも二つ偉い訳だ。
ちなみにゲルトから見ると上に曹長、准尉、三つの尉官があり、更に三つの佐官があってその頂点だと。
要するに八つ上、という訳で。
しかも、
「い、今の所って言ったな。
それはつまりもうすぐ……」
「昇進なさるだろうな。
今日明日、という訳でもないだろうが、いずれ理事になられるそうだからそう遠くもあるまい。
恐らく数年以内にはそうなるだろう」
「理事!?
理事って言ったか!?」
思わず声を荒げる。
最早完全に別世界の役職が登場した。
その上一佐が更に昇進するという事はつまり……将官。
少将だ。
あのレジアス中将とも一つしか違わない。
「あああああ……」
崩れ落ちて頭を抱えるゲルト。
完全にアウトだ。
フォローのしようもない。
何が「あなたが、またこうしてお茶を用意してくれるなら」、だ。
何様のつもりだお前は。
いつから上官を給仕のように使える身分になった。
ゲルトの想像は止まらない。
際限なく暴走して、まさかこれが元で局と教会が険悪になったりしないだろうな、という所まで枝葉が伸びていく。
そんなゲルトを見下ろし、シグナムは珍しくカラカラと笑っていた。
「まぁ、あの方はそういう事にあまり拘らない人だ。
実際主はやても普通に話しているしな」
「そ・う・い・う事は、先に言え!」
**********
「行ってしまいましたね」
「そうね」
ゲルトらの姿も見えなくなり、見送りの騎士達も引き揚げ始めた聖王教会、正門前。
しかしカリムとシャッハの二人はまだそこから動かず、彼らが消えた通りを見つめていた。
「どうでした?彼は」
「昔とは全然違っていて驚いたわ。
あの時はまともに返事もしてくれなかったもの」
かつての彼は痛々しいという他なかった。
彼の身にどれほどの不幸が降りかかったかも知っていたし、一目でその摩耗ぶりは窺えた。
心身共にボロボロ。
その状態の彼を覚えているだけに、今日のゲルトの姿は殊更輝いて見えた。
「嬉しそうですね、カリム」
「ええ、そう見える?」
「それはもう。
気に入りましたか、彼を」
口元に再度微笑を浮かべたカリムはそれに答えず踵を返した。
闇に映える金の髪を翻し、いつもより僅かに軽い足取りで前を行く。
それを見、やれやれと一息を吐いたシャッハもその背に続いて歩き出した。
「あ、そうだ」
だが、少し歩いた所でカリムが唐突に足を止める。
何かを思い出したようにシャッハの方へ振り向いた。
「シャッハ、明日買い物に出ようと思うんだけど付き合ってもらえる?」
「はい、それは構いませんが……何か必要な物でも?」
「ええ。
ちょっと最高のお茶を、ね」
(あとがき)
あれ?なんでカリムがこんなに前に出てきてるんだ?
当初の予定ではもうちょっとサラッといく筈だったんだが……。
何にしてもまずい。
そろそろギンガを出してやらないと忘れられてしまうかも。
もう二ヶ月以上も不参加だからなぁ。
ちとこの扱いはあんまりだろう。
と、いう訳で次はギンガの話になる予定。
出来れば久々に甘い感じのヤツを書きたいな、と作者は思っておりますのでご期待下さい。
あー、あと騎士30人抜きの件ですが、少しやり過ぎたか、と作者自身で思わないでもないんです。
ただよく考えてみるとナンバーズもアインヘリアル襲撃の時は似たような事してたし……ま、いいかなと。
多少不自然に思っても大目に見ておいて下さい。
それでは、何時になるやら全く約束できないのが辛い所ですがまた次回!
Neonでした。