芝生の茂った広大な公園。
そこには5メートルほどの距離をとって相対する者達がいる。
ナカジマ家の長男長女、ゲルトとギンガの2人だ。
ゲルトは黒い半袖のTシャツに、やや緩い作りの長ズボンをベルトで締めたラフな出で立ち。
一方のギンガは紺の半袖と黒のスパッツという格好だ。
指抜きのグローブをした以外無手の彼らは、どうやら格闘訓練中と見える。
身構えた彼らは機を図るように軽いステップを繰り返していた。
そうして両者その場から動かず数秒。
「行きます!」
掛声と共にギンガが飛び込んだ。
地を蹴り、一直線にゲルトへと疾走。
己の間合いへと飛び込んでいく。
「てぇいっ!」
捉えた。
踏み込みと共に引き絞った右腕を突き出す。
狙うは胴体上部の鳩尾。
分かりやすい急所の一つだ。
訓練されたギンガの拳でここを貫けば大の大人でも膝を着かざるを得ない筈。
「っ!」
勿論それも当たればの話だ。
正面から迫るその拳を、ゲルトは難なくいなして凌ぐ。
ナイトホークを用いての槍術が本分のゲルトといえど、接近戦の基本として人並み以上の体術は備えている。
クイントに教わった者同士、おいそれとギンガに遅れを取る事はない。
今もそうだ。
当然、やろうと思えば先手を取る事は容易かったが、あえてギンガがどう出てくるかを試しているのだ。
しかしそれは反撃しない、という訳ではない。
ギンガがあまりに隙を晒すようなら勿論容赦なく打っていく。
「まだまだっ!」
それを分かっているからか、ギンガは攻撃の手を緩めない。
軽く出した右足に重心を移して即座に左拳を振るう。
今度は顎狙いのフックだ。
一撃を防がれた程度で硬直などしていては訓練にもならない。
だが、それもゲルトが身を屈めた事で空を切った。
めげずに三発目の打ち下ろし。
首を垂れるようにしているゲルトの後頭部目掛けて右拳を落とす。
「よっ、と!」
ゲルトはそれを更に後ろに飛びのいて躱した。
再び距離が開こうとする。
少なくともギンガの間合いの外だ。
もう一歩踏み込めば届かないでもないが、時間を与えるのはまずい。
畳み掛けないと!
そう判断した彼女の足元には魔法陣が展開し、左手には風が纏わりついた。
風は唸りを上げて高速回転し、その威力が解き放たれる時を待っている。
「リボルバーシュートッ!」
着地したゲルトが身を起こすよりも早く追撃を放った。
突き出した左手から螺旋を描く無色の拳圧を射出する。
本家たるクイントのそれと比べればまだまだ児戯に等しく、射程もせいぜい数メートルといった所。
「ファームランパート!」
ゲルトにも易々と防がれてしまったが、今はそれでいい。
着地直後の硬直状態にいる彼へと、間を置かずに再接近。
相手に立て直す暇を与えず身を落としての足払いを狙う。
期する所としてはこのまま軸足を刈り取り、背後へと倒す。
「やるっ……!」
「!?」
声にやや驚きの色を含ませるゲルト。
しかし危険を感じた様子ではない。
彼はむしろ自分から後ろへと身を倒し、バク転の要領で難を逃れた。
ギンガが足を払う頃には既に重心としての用を果たしていない。
想定外の切り抜けに一瞬、ギンガの思考が停止する。
ダ、ダメ!
止まったら……!
またしても逃げられ、僅かに呆けた自分を叱咤して即座に動く。
自分が固まってはいけない。
相手に攻め手に回られたら勝負にならないのだ。
乱れる呼吸を意識しながらも右腕を振りかぶる。
「はあああぁぁっ!!」
これで決めようと、渾身の一撃を振り抜いた。
眼前のゲルトはもうこちらに視線を向けようとしている。
タイミングとしてはギリギリかもしれない。
先ほど数瞬の迷いもなければ上手くいっただろうが、致命的だった。
しかし、
今日こそ兄に勝つ。
勝って、力になると示す。
その為に、
届いて!
ギンガの震脚に続いてパァン、と乾いた音が響いた。
「…………」
沈黙。
ギンガもゲルトも言葉を発さず、そのままの姿勢で静止している。
「……惜しい」
ギンガの拳はゲルトの眼前で止まっていた。
拮抗はするものの彼の手に包まれ、その勢いを抑え込まれている。
止められた!
失敗だ。
しかも片手を掴まれている。
逃げられない。
「――――だが!」
思う間にその手を思い切り引き寄せられた。
重心を前に置いていたギンガはその力に抗う事ができない。
完全に体勢を崩し、ゲルトの元へ倒れ込むように引き込まれる。
「あっ!?」
今度は逆にギンガの足が刈り取られた。
ゲルトは掴んだ右腕を起点に彼女を一本背負いで放り投げる。
「ッ!!」
背から叩きつけられ、打ち据える衝撃で息が詰まる。
体がバウンドするように一瞬跳ね、そして力無く地面へと倒れ伏した。
「う……くぅ……」
天を仰いで痛みに喘ぐ。
全体重が重力も加味して身を襲った結果だ。
如何に骨格が頑丈だろうと、内臓を直接襲う衝撃には耐えがたい。
慎重に息を吐いて何とかそれを外へと逃がしていく。
「大丈夫か?」
空しか見えていなかった視界に、一つ。
ひょいと黒い影が浮かんだ。
「兄……さん……」
逆光ではっきりとは見えないが、兄に間違いない。
彼は腰を折ってこちらの顔を逆さに覗き込んでいる。
「まだ辛いようならもう少しそうしてろよ?」
「う……ん。
大丈、夫」
軽く首を振って、ゆっくりと上体を起こしていく。
確かに痛いが、立てない程ではない。
そこを思うと兄は余程上手く投げてくれたのだろう。
「まぁ、せめてベンチには座ってろ。
何か飲む物買ってくる」
「ん。
そうする」
ゲルトは肩を貸してギンガをベンチにまで連れていく。
そしてまだ苦しそうな彼女にそのままでいるように言うと、彼は少し離れた自販機にまで歩いて行った。
それを見送りながら、再び体を弛緩させたギンガは思う。
また負け……か。
普段は母にマンツーマンでシューティングアーツを教わり、少しは腕も上げたと思う。
しかし折を見て相手をしてもらっている兄には未だ一度も届いた事がない。
先手はいつも譲られているのにこちらの攻撃は悉く躱され、いなされ。
最後にはああして投げ飛ばされるか、当て身を入れられて終わり。
「今日はいけると思ったのに」
残念の吐息をつく。
兄が言うように今回は惜しかった。
後半の焦りさえ無ければ上手くいっていたかもしれない。
そうすれば、
「兄さんも認めてくれたかもしれないのにな……」
とにかくはそれが目標だ。
もう少し。
もう少しで届く。
もう、あと少しで――――!
「はぁ……」
握りかけた拳が緩み、肩が落ちる。
あれほどの強さで、それでもまだ兄は本気ではないのだ。
彼の得物はあくまでも槍。
ナイトホークだ。
無手での格闘など、所詮はその補助に過ぎない。
その状態で先手を譲るというハンデに加え、さらに魔法まで封印している。
例えこの条件で勝ったとしてもあの背に追い付くのは夢のまた夢。
そこへ来て先日の表彰だ。
テレビの向こうで輝いていた彼は眩しかったが、英雄と誉め称えられる彼を見て一抹の寂しさを覚えたのも確か。
誇りに思いながらも、また距離が開いてしまったと落ち込んだ。
でも!
ギンガの瞳に力が戻った。
ベンチから立ち上がって今度こそ拳を握り締める。
シグナムさんにだって出来るんだから、私にも出来る!
いつぞや兄の病室に訪れた長身の女性。
妙に兄と親しそうだった彼女は同じ古代ベルカの騎士で、腕前も全く引けをとらないのだと聞く。
実際に戦っている所を見た見た訳ではないが、兄がそう言うなら相当のものなのだろう。
そういう人がいるのだ。
なら、兄の立つあの位置は決して懸絶した頂きではない。
至れる。
並ぶ事ができる。
「届く!」
今でなくとも、いつかは。
あの隣に……!
「ん?
もう立てるのか?」
「うん!
だからこれを飲んだらもう一本、相手をお願いします!」
戻ってきたゲルトからスポーツドリンクを受け取って、はっきり頷いた。
ゲルトは不思議そうな顔をしているが、体の痛みもだいぶ引いている。
関節にも異常はないようだし、少しすれば続行できるだろう。
四の五の言っても始まらないのだ。
自分の力がまだまだ足りていないのは事実。
今はただただ鍛練あるのみ。
「そろそろいいか」
水分も補給して一息はつけた。
ゲルトも頃合いと思ったのか、席を立って広場の中央へと歩いて行く。
「今度は俺も攻めていく。
一瞬も気を抜くなよ」
「……はい!」
そうして構えた2人は再び向かい合う。
今度はギンガだけでなくゲルトも前傾の姿勢を取っている。
言葉に違わず、次は初手から攻撃してくるという事だろう。
「ふふっ」
高まる緊張に反して、ギンガの口元には淡い笑みが浮かぶ。
明らかに難易度の上がった訓練。
次は初手数秒で決する事も有り得る。
だがそれを前に、ギンガの心は竦むどころか逸っていた。
当然だ。
一つステップが進んだという事は、その分自分の技量が認められたという事。
これが嬉しくない訳がない。
「用意はいいな?」
ギンガは首肯する。
前に立つ兄は本気だ。
ハンデはあれど、今度は本気で仕掛けてくる。
意識を集中。
僅かな動作も見逃せない。
飛び込んでくるタイミングは?
初撃の狙いは?
無理をしてでも先を取るべきか?
それともカウンターを選ぶべきか?
僅かな間に幾重にも思考が走る。
これを一つでも間違うとその時点でアウト。
恐らく気が付いた瞬間にはもう地に伏している事だろう。
「じゃあ……行くぞ」
ついにその時。
より深く身構えたゲルトが強く地を蹴る。
来た!
そしてギンガもまた。
芝生が舞い、土が散る。
分かつ距離をあっという間に縮め、疾走する2人が激突した。
**********
「で、どうだった?
ギンガの腕前は」
夕食の片付けも済んだナカジマ家の食卓。
クイントとゲルトの2人が顔合わせに座って話し込んでいる。
話題は昼間の稽古。
そこでのギンガの成長について。
「だいぶ、腕を上げましたね。
一時はヒヤっとする展開もありましたよ」
ゲルトは偽りなく思った通りの事を話す。
確かにギンガは想像していたより良い動きをしていた。
流石に仕事の関係上、毎日訓練の様子を見ている訳にもいかない。
そこで普段はクイントが見ているのだが、基本技術の方は以前に比べ格段に上達している。
精神的な方面でも躊躇が減り、勘や読みといったものも洗練されてきたようだ。
「でしょ?
あの娘、ここ最近特に熱心に訓練してたから」
「まぁ、もう卒業まで一年切ってますからねぇ。
出て即訓練校入りならここらが奮起のしどころでしょう」
ギンガが今通っている学校は魔導師の基礎養成を目的としているが、そう普通の学校と変わらない。
しかし来年にはそのギンガも陸士訓練校に入学する。
ゲルトも3ヶ月世話になった第四陸士訓練校。
そこでは本格的に局員となる為の教育、訓練が行われる。
そろそろスキルアップに執心し始めてもおかしくはない。
「いやいや、そうじゃないと思うけどなぁ?」
そう思ったのだが、クイントはからかうような口調でゲルトの顔を覗き込む。
何故か彼女はやたらと楽しそうだ。
「だってギンガが気合い入れるようになったのって、あの表彰式からなのよ?」
「表彰式?」
ふむ、と一拍置く。
他にはあるまい。
ティーダ二佐の時の件だろう。
あの事でやる気を出すとなると、
「俺のせいでプレッシャーかけましたかね?」
それが真っ先に思い浮かぶ。
自惚れるではないが、正直今の自分はちょっとした有名人だ。
街を歩いていると声を掛けられる事も少なくは無い。
人の噂も七十五日と言うが、ギンガが訓練校に入った時“あのナカジマ”、と言われる事もあるだろう。
既に学校でもそういう話題があったそうだし、その事で余計な重圧を与えてしまったというのは如何にも有りそうに思える。
「そうじゃなくて…………ああ、駄目ね。
これ以上はお節介、か」
「?」
一度は苦笑で否定したクイント。
しかし後半の呟きの意味はよく分からなかった。
「それよりもさ、ギンガにもそろそろ専用のデバイスが必要だと思うのよ」
「え、ああはい。
確かにそうですね」
首を傾げるゲルトに再度軽い笑みを浮かべて話を変えたクイント。
急な転換ではあるが、内容からすればこれが本題だったのだろう。
ゲルトもクイントの意見には賛成だ。
もう一通りシューティングアーツの基礎は修めたようだが、これ以上高度な事を行うならデバイスが必要になってくる。
魔法の収束、増幅などの機能を備えたデバイスが無いと、魔導師とはいえそう大した事はできない。
それにシューティングアーツの本格的な訓練には独特のアームドデバイスが必須。
全寮制の訓練校に入ってしまえば稽古も付けてやれないのだから、そろそろ積みこむべき時だ。
実戦的な訓練も含め、前述の通り今から始めないと中途半端な状態で送り出す事になってしまう。
「それはいいんですが、自作となるとやっぱりマリーさんに手伝ってもらわないと厳しいですかね?
リボルバーナックルにローラーブーツ。
合わせて4つも作るとなると流石に俺達の手には負えないような……」
「うん、その事なのよ」
あんな形状のデバイスが一般流通している訳もなく、必然的に自作という形を選ばざるを得ない。
しかし素人が教本片手に作ってもロクな物が出来るとも思えない。
ハード面だけでなく4器のデバイスのシステムリンクやら何やら、ソフト面でも簡単な代物ではないのだ。
やはり専門家の助けは必要だろう。
「実はね。
有るのよ、あの娘のデバイス」
「……は?」
一瞬意味が分からず間抜けに聞き返す。
どういう事か。
「まさか……」
だがすぐに思い至る。
いたではないか。
彼女専用にデバイスを作るような連中が。
「そうよ。
あの研究所から押収した品の中に有ったの。
もちろんスバル用の物もね」
「大丈夫、なんですか?」
「一応マリー達が徹底的に検査して、今は廃棄扱いよ。
廃棄した物をどうしようと構わないでしょ?」
「完全に屁理屈ですよね」
「黙ってれば大丈夫よ」
曲がりなりにもあそこは高レベルの研究者達が詰めていたのだ。
連中が作ったというなら、そのデバイスは間違いなくワンオフの高性能機。
自分達で組んだ物よりは遥かに出来の良い代物なのだろう。
実際、ナイトホークとて連中の謹製だ。
彼女の性能に関してゲルトは全く疑う所がない。
「ナイトホークは知ってたか?」
『開発されていた事は。
ですが起動はまだだった筈です』
ではまだ真っ白の状態か。
成長もギンガと一緒に、とは何ともはやお似合いではないか。
「それで今、何処にあるんです?」
技術解析の為に本腰の入れた検査が行われたというなら、恐らく問題はない。
マリエルが携わっているなら尚更だ。
信用は出来るだろう。
「本局の第四技術部よ。
マリーがあの時の担当だったから、今もあの娘が主任やってるあそこに保管してあるの。
次のゲルト君の休みで受け取りに行きましょうか」
「……分かりました」
これでギンガは本当の意味で魔導師になる。
それを思うと少し憂鬱でもあるが、今更彼女が考えを曲げるとは思えない。
ならば少しでも力を与えてやるしかないのだろう。
「はぁ……」
「そう心配しない。
ギンガだっていつまでも守られてばっかりじゃないわよ」
しかし憂鬱な溜息が出るのは如何ともし難い。
クイントの言葉も分かるが、それでも兄としてはやはり心配を拭いきれなかった。
**********
――――翌週、本局第四技術部
「来たわね。
3人ともいらっしゃい」
予定通りマリエルの元を訪ねたゲルト、クイント、ギンガの3人。
事前に連絡を取っておいた為、すぐに主任のマリエルと会う事が出来た。
「今日は悪いわね、無理言っちゃって」
「いいですよこれ位。
それよりギンガは早く相棒に会いたいでしょ?
案内するわ、こっちよ」
そわそわしているギンガの様子に気付いたのだろう。
そう言ってマリエルは挨拶もそこそこにデバイスの調整室へと彼らを案内していった。
「この子よ」
彼女が一つのポッドの前で止まる。
その中には待機状態のデバイスが浮かんでいた。
形状は水晶のような六角形で、首に通す為か紐が付いている。
色はギンガの魔力光と同じ藍紫だ。
「この子……が?」
「そう、あなたの為のデバイス“ペイルホース”よ」
「ペイルホース……」
ギンガはおっかなびっくりといった手付きで手渡されたそのデバイスを保持。
手の中のそれを興味深げな目で見つめている。
さもありなん。
この世で唯一人、自分のためだけに作られたデバイスなのだ。
これからの一生を共に過ごす相棒でもある存在に心惹かれない訳がない。
「この子、スバルの方と違ってかなりピーキーな仕様になってるから慣れるまではちょっと時間がかかるかもしれないわね」
「ピーキー、ですか?」
「うん、これがスペック表なんだけど……」
疑問符を頭に浮かべるゲルトに、マリエルが数枚の紙片を渡した。
ギンガと顔を寄せ合ってそこに描かれたグラフや文字に目を通す。
本体はクイントの装備と同じ、リボルバーナックルにローラーブーツ。
それぞれ1組ずつの計4器。
特記としては、
「人格AI積んでるんですね」
「ええ。
やっぱり最初は無かったけど、パラディンには必要でしょ?」
やはりこのデバイスにもパラディンは搭載されているようだ。
マリエルの口振からするに、わざわざ搭載してくれたのだろう。
まだまだあれを使うには未熟もいいところだが、いつかは必要になる日も来る。
まぁ、起動は当分先になるだろうが。
今はデバイスという物に慣れるのが先決だ。
「この子、心があるんですか?」
「そうね。
でもまだ生まれたばかりだから、ギンガと一緒に大きくなっていくのよ」
「私と、一緒に……」
マリエルの言葉を噛み締めているギンガを微笑ましく見ながら、ゲルトは一枚めくる。
こちらはローラーブーツの性能に関する部分らしい。
しかしそちらはゲルトにもさっぱりだった。
トルクやらグリップ性能など数字で見ても専門家でない彼にはイメージが湧き辛いのだ。
「マリーさん、これ……」
しかし、そんな彼でも明らかに異常だと理解できる表記があった。
その部分を凝視しながら見間違いを疑う。
「推定最高時速300キロ超って、本気ですか……!?」
何度も見返したがその数字は変わらない。
確かにそう書かれているのだ。
「あくまでスペック上の話だけどね。
実際にギンガが履いたら色々問題も出てくるし」
あはは、と乾いた笑み。
言っているマリエル自身も殆ど冗談のような代物だと思うが、否定はしない。
という事は、本当なのだ。
ある程度の条件がパスされれば実際にその速度が出るのだろう。
にわかには信じ難い馬力だ。
「つ、使いこなせるかな?」
先程とは打って変わり、ギンガもやや引きつった笑みで手のデバイスを見ていた。
別に出自については気にしていないが、自分にこの常識外れの性能を活かせるのかと心配にはなる。
「それはこれからのギンガ次第よ。
どう?この子を使いこなせるようになるつもりはある?」
そんな彼女に後ろから顔を出したクイントが語りかけた。
ギンガの肩から顔を出し、手元のデバイスと彼女へ交互に視線を巡らせる。
その問いにギンガは一瞬戸惑うような素振りを見せたが、クイントの方を見る頃には決心をつけたらしい。
力の籠った視線で顔を上げる。
「うん、なるよ。
私がこの子に相応しい魔導師になる」
手の中のペイルホースを握り締めた。
自分の為に生まれたこの子の為に、自分もこの子を使えるようになる。
この子と一緒に強くなる。
「兄さんもそうでしょ?」
「まぁ、そうだな。
こいつ以外には考えられん」
『ありがとうございます、ゲルト』
話を振られたゲルトも同意。
それでも改まって言うのはやはり気恥かしいのか、ぽりぽりと頬を掻いている。
ナイトホークの機械音声にも少し照れが見えるようだ。
「よしよし。
それでこそ私の娘だわ」
クイントも満足気な笑み。
うんうんと頷いてギンガの肩を叩いている。
そして視線をマリエルの方へ。
「マリー、ここの訓練場借りてもいい?」
「言うと思ってたから申請はしてありますよ。
私もモニターに入りますから好きに使って下さい」
「わお、気が利くじゃない。
ありがたく使わせてもらうわ。
行きましょ2人共」
そう言ってクイントはゲルトとギンガの背を押していく。
マリエルも後に続いて、一路訓練場へ。
**********
ほどなく目的の訓練場へ到着した。
マリエルが予約してくれていたお陰か貸切の状態。
これなら思い切りやっても誰の迷惑にもならない。
「それじゃあギンガ、早速セットアップしてみようか」
「う、うん」
クイントの言葉に応じてギンガもペイルホースをかざす。
今日はずっとそんな調子だが、初めての事にやや緊張しているようだ。
「ペイルホース、セットアップ」
『ヤー。
セットアップ』
初めて発声したペイルホースは男性的な声で了解の意を告げ、戦闘態勢へと移行していく。
まずはバリアジャケット。
今まで着ていた服を分解し、ギンガを守る鎧が展開する。
設定したマリエルがクイントやゲルトの物を参考にしたからか、その面影があるデザインだ。
首まで覆うライダースーツのような濃紺のインナーに、腰で金具に止められて翻る前開きの黒いスカート。
そして肝心のジャケットも黒を基調とし、所々に薄紫のラインが入った意匠。
肩と膝は鉄色のプロテクターが防護し、リボルバーナックルの邪魔にならないよう袖は肘まで。
裾は腰までとなっている。
接近戦が主体の為、動きやすさにはかなり気を遣っているようだ。
次にはペイルホースがその本体を組み立てていく。
ローラーブーツが足を覆い、リボルバーナックルが両腕を包む。
コアはローラーブーツにあるらしい。
リボルバーナックルはクイントの物とそう変わらなく見えるが、ローラーブーツの方は少し違う。
足を挟む2本の排気口は真っ直ぐ伸び、衝撃吸収用のサスペンションもやや大きいようだ。
見た目にも多少シャープになったような印象を受けるが、中身は更に別物なのだろう。
でなければ300キロ超過という馬鹿げた速度が出る筈もない。
そうしてペイルホースのセットアップも完了した。
全体的なカラーリングは白。
艶めく白銀だ。
どうやらナイトホークの設計思想とは大きく異なっているらしく、ペイルホースは己の輝きを隠そうともしていない。
「これがあなたなの?」
『肯定』
バリアジャケット、デバイス共に完全展開を確認。
ギンガは手甲に覆われた右手を、調子を確かめるように開いて結ぶを繰り返した。
ペイルホースの返答が素っ気ないのは未だ個性を発揮するだけの経験がないからだろう。
いずれはもう少し饒舌に話すようになる。
『どう?ペイルホースの具合は。
苦しかったりしない?』
「そうですね。
ちょっとローラーブーツが重いような……」
モニタールームのマリエルからの呼び掛けに答えるギンガ。
足を軽く上げてみると、慣れの問題はあるにしてもやはり重く感じる。
『う~ん、そこは慣れてもらうしかないかな。
大きくなったら気にならなくなるとは思んだけど』
「そうですか」
そう言ってとりあえず軽く滑ってみる。
まだエンジンを入れていないのでただのインラインスケートと変わらないが、滑らかな動きだと思う。
変なガタつきは無いようだ。
「よし。
じゃあそろそろ走ってみろ」
「うん」
一通り確認は済んだ。
遂にペイルホースの本格的な始動に移る。
「ペイルホース、準備はいい?」
『万全』
事前にあのスペックを見ているだけにギンガも慎重になっている。
いきなり全速を出す訳ではないが、どれほどのものか、という気持ちは拭い難い。
「じゃあ……行きます」
そう告げてペイルホースのエンジンを掛けた。
何年も死蔵されてきた彼の機関部に、ようやく火が入る。
長く封印されてきた魔物が解放される瞬間である。
次の瞬間ドカン、という爆音が轟いた。
「きゃっ!!」
ギンガだけでなく、近くにいたクイントやゲルトも反射的に耳を塞ぐ。
凶悪なまでの馬力を備えたエンジンが遂にその本性を現し、歓喜の咆哮を上げているのだ。
今も断続的にその叫びは続いている。
最初の一撃に比べれば大人しいものの、腹に響くような重低音が地を揺らす。
「す、凄い……」
だが慣れてくればその力強さに気付く。
足から駆け上がって全身を震わせるこの鼓動。
噴かせてみると更にいななきは激しさを増し、エグゾーストノートの唸りはその存在を強く主張する。
これが自分の相棒なのだ。
「凄い!
凄いよペイルホース!!」
『賛辞感謝』
耳はもうこの爆音に順応し始めた。
今は純粋に、この新たな相棒に対する畏敬の念が心を占めている。
「ギンガ、確かに驚くのは分かるけど、まだ走ってもないのよ?
早くその子自慢の速度を見せてくれない?」
「あ、そうだね」
ペイルホースの咆声に掻き消されるのでクイントもやや声を張る。
アイドリングの状態でこれなのだ。
一体走り出したらどうなるのか。
「行くよ、ペイルホース」
『ヤー』
とりあえず手始めに軽く流す。
発進の瞬間。
再びペイルホースはいななきを轟かせ、ギンガの体を前へと叩き出す。
「わわっ!?」
予想外の加速。
一瞬にして己の走力の限界を超越し、未知の世界に突入する。
そうは言っても実際には平時の車より遅い筈。
しかし生身で風を感じる今、ギンガの体感速度はその数倍に匹敵している。
「これで全然本気じゃないなんて……!」
徐々にスロットルを開きながら、ギンガは昂揚を感じていた。
このままどこまでも加速していけるような感覚。
ジェットコースターなど比較にならない疾走感。
今まさにこの速度を自分が支配しているのだ、という全能感。
「ギンガ、ウイングロードは教えたでしょ?
自分の道を走ってみなさい」
「うん。
ペイルホース!」
『ウイングロード』
言葉と同時、足元から青い光のリボンで形作られた道が伸びていく。
ペイルホースが補助してくれているからか、いつもとは収束も展開速度もレベルが違う。
全くぶれる事なく何百メートルにも渡って光のラインが走っていく。
空中に昇ろうと、20メートルほど先で道を隆起させる。
かなり急な勾配になっているのだが、ペイルホースは物ともしない。
ろくに速度を減じるでもなく一気に駆け上がって行く。
「わぁ……」
世界は再び色を変えた。
上から見下ろす景色は、下を走っていた時とは全然違って見える。
地面と離れたからか、速度も少し大人しく思えるようになってきた。
そうするとどこか物足りないという気持ちが湧き上がってくる。
まだまだ。
まだ、ペイルホースの本領はこんな物ではない筈だ。
「どこまでいけるの?」
更に加速。
限界を見てみたくて、一気に速度を上げる。
しかしそれは大きな失策であった。
途端、膨大なGがギンガの体を叩きのめす。
「きゃあっ!?」
これはギンガのミスである。
速度を上げれば上げるだけ慣性というものも当然大きくなる。
ゆえに、速度を出すのならばそれに見合う前傾の姿勢をとって備えるのが常識。
だが初めて扱うデバイス。
そしてその期待以上の性能に酔っていたギンガは何ら構える事無くペイルホースの魔性を解き放ってしまったのだ。
最高時速300kmオーバーは伊達ではない。
グリップ力もまた尋常ではなかったお陰で転びはしなかったが、フルスロットルの加速はギンガの体を容易に仰け反らせる。
「ギンガっ!!」
「ブレーキを……いえ、とにかくスピードを落としなさい!!」
とにかく速度を落とせば体勢も整えられるだろうに、動転した彼女はまともな思考ができていない。
悲鳴を上げるだけで速度も落とさずに走行していた。
なんとかウイングロードの上を走れているのはペイルホースの方で制御しているからだろう。
だが、まだ危機を脱した訳ではない。
正常な判断力を失った彼女が魔法を維持できる訳もなく、ウイングロードが数百m先で途切れてしまっているのだ。
このままでは落下は確実。
だが必死に呼びかけるゲルトやクイントの声も虚しく響くだけだ。
まずい……!
ゲルトも焦燥に駆られていた。
事態は一刻を争う。
「ナイトホーク!!」
『セットアップ』
ナイトホークが組み上がる工程すら煩わしく思える。
バリアジャケットは省略した。
そんな物に時間を割く余裕はない。
早く、早くしろ!
完成。
走る彼の手にナイトホークが収まる。
「フルドラ……!?」
そして即座にフルドライブを起動しようとしたが、ゲルトは息を呑む事になる。
ギンガが居る方を見つめ、不覚にも思考を停止させてしまった。
先程まで直線に伸びていたウイングロードが、現在縦の輪の形態を取りループを築いているのである。
ギンガはその中で回転し、ゆっくりと速度を落としていく。
「あ、あれ……?」
ギンガも呆然と己の状態を確かめた。
自分は何もしていないにも関わらず、徐々にスピードは安全域で落ち着いていく。
ウイングロードも下り坂を描き、ギンガの体を地上へと下ろして行った。
おかしい。
こんな操作を行うような余裕は自分にはなかった。
と、なれば。
「ペイルホース……。
あなたが助けてくれたの?」
『無事僥倖』
どうやらそのようだ。
ウイングロードの操作もブレーキコントロールも、全て彼がやってくれたらしい。
「その、ありがとう」
『感謝不要』
ペイルホースは相変わらず言葉少なめだ。
彼にとっては当然の事なのだろう。
しかしギンガは己の未熟を恥じずにはいられなかった。
「ごめん。ごめんね。
私、いいマスターじゃなくて……」
沈んだ声が出る。
調子に乗って考えなしに無茶をして。
その上それで招いた危機すら彼に救われた。
自分は何もしていない。
何から何まで彼に任せて、何が一緒に成長だ。
完全に自分はお荷物ではないか。
『謝罪無意味。
我従僕』
だから謝る必要などないと?
「でも、私あなたを使いこなしてあげられない……!」
なら尚更だ。
彼が自分の従僕だというなら、なおの事自分はもっとしっかりしていないといけないのだ。
母に告げた言葉が頭を掠める。
相応しい魔道師になる、と誓った言葉が。
なのにこの体たらく。
『努力必要』
「……待ってくれるの?」
いつか、自分が完全に彼を御せるようになるまで。
それまで待ってくれるというのか?
『我従僕。
主人唯一』
「っ!」
自分には出来ないなどと、ぺイルホースは全く思っていない。
必ずや自分が彼を御せる日が来るものと確信している。
そんな……。
そんな事を言われたらやるしかないではないか。
泣いてる暇や落ち込んでいる暇なんかない。
一日でも早く彼を使いこなせるようにならなければ。
そう思い、滲みかけた涙を拭う。
「うん……私、なるよ。
絶対、あなたの全力を出してあげる」
『期待』
当初抱いていた不安や恐れという物は吹き飛んだ。
怖がる必要などない。
自分の手足に恐れを抱く人間がどこにいる?
まだ上手く扱えないとはいえ、彼は間違いなく自分の拳であり足なのだ。
やろう。
彼と一緒に歩んでいこう。
まだスタート地点にも立っていないのだ。
しっかりと段階を踏んで。
一歩一歩壁を乗り越えて。
そして、
走ろう。
どこまでも。
その後、ゲルトやクイントの元に戻ったギンガはこっぴどく叱られる事になった。
特に兄はどれだけ心配したかと、今まで見たこともない程の剣幕で怒鳴る。
自分の失敗を痛感しているギンガはその全てを粛々と受け入れ、しかし今日はここまで、という話にだけは反対した。
これで引き下がる事などできない。
約束がある。
必ず使いこなすのだ、と。
それを聞いた兄と母は一瞬顔を見合わせ、そして大きな溜息を吐いた。
条件は一つ。
これからは必ず母か兄の付き添いを求める事だった。
(あとがき)
またもオリジナルデバイス登場。
クイントが生きている以上リボルバーナックルは引き継げないし、自作で全部やるってのは不自然かとこうなりました。
ゲルトとクイントが居たら片手だけのナックルなんか絶対認めないでしょうし。
別にマリーに頼み込んで作ってもらってもよかったんですが、有ってもおかしくはないかな、と。
それとギンガのバリアジャケットも手を入れてみました。
ナンバーズ版に近くなりましたが、流石に元のはあまりに……。
ぺイルホースは完全な突撃戦用ですね。
ナイトホークみたいな隠密行動とかは一切考えてません。
ならむしろ目立つ位の方がいいというスタンスで作られてます。
その分性能も限界一杯まで引き上げてある感じ。
ナイトホークは要らない部分をカットしつつも必要な部分は均等に割り振ったバランス型。
ぺイルホースは特に速度に関して徹底的に強化した一点集中型です。
さてそれではスバルの物は……?
それではこんな所でまた次回。
Neonでした。