時空管理局の地上本部。
その中でもクラナガンの街を一望できる総司令官の執務室。
部屋の主たるレジアスは昨日解決したとある事件の報告書に目を通していた。
「ふむ、これは使えるか」
そう言って読み終えたそれから目を離す。
視線を逸らした彼の前には副官にして娘のオーリスが立っていた。
「……では、この件で表彰、ですか?」
うむ、とレジアスも頷いた。
言うまでもなくゲルトの事だ。
レジアスらが問題にしているのは彼の功績について。
彼らの目的に沿うなら、ゲルトにはもっと世の注目を集めてもらわなくてはならない。
ゲルトの利用法とは即ち戦闘機人を取り込む際の潤滑剤である。
有用であり、また安全であると証明してもらわなければならないのだ。
とはいえ、別に一般局員のレベルにまで彼の正体を公開する必要はない。
現状、彼の経歴で追えるのはせいぜいが首都防衛隊期からのみで、それも実験施設から保護された上での希望入局となっている。
既に執行猶予も満了しているので、万が一殺人の件が露見しても問題はあるまい。
最悪その場合でも情に訴える方法で人気へと利用する策は整えてある。
そして機人関連は機密度の高い情報に指定されているのでこれに至っては絶対に広まらない。
彼の正体については開示権を持つ幹部達にだけ知られていればそれでよいのだ。
「陸士部隊では武勲も立てにくいと思っていたが、これなら他から文句も出まい」
眉間を押さえて言う。
どうやら疲れが溜まっているようだ。
肉体的にも、そして精神的にも。
「以前のロストロギア殲滅の件を使えれば良かったのですけれど」
「そんな事をしてみろ。
局の不手際の方が目立って叩かれるのがオチだ」
「それもそうですね。
今回の件では……まだ、一局員の失態で済みます」
やや肩を落とし気味にそう言って、今回の事件における殉職者のデータを眺める。
次元犯罪者追跡の折、交戦の末死亡した首都航空隊員。
ティーダ・ランスター一等空尉……いや、二階級特進で二等空佐になるのか、の経歴だ。
時空管理局・首都航空隊所属。
ミッドチルダ式魔導師。
魔導師ランク:AAA
空戦適正を備える優れた魔導師で、精密射撃に才を発揮。
精鋭揃いの隊内でも頭角を現す。
勤務態度は至って真面目。
人格面、金銭感覚その他にも特に問題は見られず。
両親は既に他界しており、現在は11歳年の離れた妹と2人暮らし。
まだ幼い妹の面倒を見る為に海からの招聘を辞して、地上部隊へ。
執務官志望だったが、それも妹の成長を待ってから、との事。
享年21歳。
そこまで読んでオーリスは平時のポーカーフェイスを崩し、僅かに目を伏せた。
流石に居たたまれなくなったようだ。
「そんな顔をするな。
私とてこんな、若者をダシにするような真似……気分のいい訳がない」
レジアスもまた顔をしかめている。
彼としてもどんな形であれ、地上の平和に殉じた者は讃えられてしかるべきだと思う。
だが今回の表彰の場合、首都航空隊の、それも“エースですら”止められなかった犯罪者を捕らえたからこそ意味があるのだ。
彼を前面に押し出してしまえば、当然ゲルトの評価も霞んでしまうだろう。
それはいけない。
前回の件は事件の重大さと、市街地で実際に起こった場合の被害予想規模から表向きに宣伝は出来なかった。
またそれ以外の建前として、昨今不祥事が続いている局としてもここらでイメージの回復をせねばならない所だ。
先日も武装隊員が立て篭もり犯を狙撃する際、誤って人質を撃つなどという事故があったばかりでこちらも重要な理由といえる。
そういう訳でこの機を逃す訳にはいかないのである。
「分かっております。
ですが……」
オーリスとて、頭で理解はしているのだ。
これが必要であるという事くらい。
ただそうと言って、情の全てを捨てきれるものではない。
そもそも彼女はその深さゆえに父の支えをしようなどと思い至り、そしてここにいるのだから。
そして彼女がそうまで表情を陰らせる理由。
彼女の視線は、レジアスの前に浮かんだ1つのウインドウに注がれている。
映されているのは束ねられた何本ものマイク、そして頭を下げる壮年の男。
格好はよく見知った首都航空隊の制服である。
腰から身を折ったその姿勢は、明かに謝罪を示すものだった。
当然と言える。
そのものずばり、これは謝罪会見なのだから。
話しているのはランスター二佐の上官。
内容は昨日の事件において逃走犯を取り逃がした事に対する公式な会見。
そして語られる言葉は、
『今回の事件における隊員の失態は皆目、弁解の余地もありません。
市民の皆様の安全を守るべき立場にあり、かつ栄えある首都航空隊に身を置きながら、みすみす凶悪犯の逃走を許すなどと……!
……幸いな事に犯人は間も置かず他部隊によって捕縛されましたが、それにより無用な混乱を招き、また危険を拡大したのは如何ともし難い事実。
首都航空隊員たれば腕が落ちようと足がもげようと、食らい付いてでも止めるのが真の姿であります。
例え死んでも、責務を果たさなかった事は恥部と申し上げて他に言いようが―――――』
そこで切った。
切ったのはオーリスではない。
もはや映像を見てすらいなかったレジアスだ。
「……私は結局、この男と何ら変わらんのだ」
その上で零す。
彼の名誉を回復する事などは容易い。
あの戦闘記録を公開すれば、それだけで彼がどれほどの挺身を果たしたか、彼がどれほどの思いで戦ったのか、広く誰もが知る事となろう。
そうなれば彼を揶揄できる者がこの地上のどこにいようか。
かくて彼は英雄の座へと持ち上げられる事になるだろう。
だが、レジアスはそれをしない。
彼が尊き献身を果たした事実を知りながら、この放送に異を唱えず沈黙する。
それはあの場でティーダ二佐をあげつらい、彼の殉職を貶めた男とどう違う?何が違う?
変わらないのだ。
何も。
「必ず、報われます。
今日の彼の犠牲がいつか……いつか、きっと……」
「うむ……」
そう信じるしかない。
いつの日か。
戦闘機人を取り込めた暁には、必ずこの地上により確実な平和がもたらされる。
彼のような犠牲を強いる事も激減する筈。
そしてその時にはきっと、このような外法に頼らずとも良くなる筈だ。
私の正義も取り戻せる。
その筈だ。
その筈……だ……。
**********
「彼の者に加持を」
静謐な墓所にまた一つ、新たな墓標が立てられていた。
数人の男達が死者の亡骸を埋葬し、その上に彼を判別する墓碑をこしらえる。
「彼の者に安らぎを」
碑銘は、ティーダ・ランスターとなっていた。
もはや物言わぬ彼が眠る、その前には悲嘆に暮れて項垂れた参列者が佇んでいる。
数は多くない。
20人にも満たない程度だ。
そして地上部隊の制服を着たゲルトとゲンヤもまた、その中に名を連ねていた。
「彼の御霊よ眠り給え――――」
弔鐘が重く響く。
暗雲が日を覆い隠し、広大な墓所には皆の心象を具現するような寒風が吹いている。
ゲルトはその冷たさに身を竦めながら、墓前にへたりこむ少女に視線を向けた。
ティアナ・ランスターと、いうらしい。
年は自分より3つ下。
そして両親を早くに亡くした二佐の、唯一の肉親。
今回の件で天涯孤独となった、彼の妹だ。
「早過ぎるよ、二佐」
彼女のこれからを思えばそう呟かずにはいられなかった。
最後に残った2人だけの兄妹だったのに、彼女はこの先を1人で生きていかなくてはならない。
全てを亡くした悲しみを抱えたまま。
それがどれほどの重圧なのか、同じような経験をしたゲルトには分からないでもない。
先程ちらりと見たティアナは涙を流してはいなかった。
少なくともこの場では。
だがその目元は赤く腫れていたし、力無い目そのものも充血していた。
恐らく昨晩は泣いて過ごしたのだろう。
そこへいくと一言も発さずに座り込む今の彼女は、まるで抜け殻だ。
声を掛けてもまともな反応を寄越さず、ただ兄の墓だけを見つめている。
似てる、な。
あの日の自分と。
全てを失った2年前の自分と。
抱えきれないほどの悲しみが、穿たれた巨大な空洞が、ティアナの情動を奪ってしまっている。
ただ、彼女の場合は自分のそれより酷いだろう。
(例え死んでもその責務を果たさなかったことは――――)
あの見ていて腸が煮えくりかえった謝罪会見を思い出す。
その後のコメントも散々なもので、はっきりとは口にせずとも無能、役立たず、恥晒し、そう言うのと大差なかった。
ああまで死んだ家族を罵られて、貶されて。
彼女の心の傷は如何ほどのものか。
あの部隊長とやらがこの場にいないのがせめてもの救いだった。
恐らくティアナを慮った誰かが遠ざけてくれたのだろう。
もし目の前にいたならすぐさま殴り倒していた所だ。
「…………」
先程から何人かの男、制服から見てティーダの同僚だろうか、が慰めようと声を掛けているがティアナは全く応答しない。
完全に心を閉ざしてしまっているようだ。
余程親しい者でなければ今の彼女には言葉も届けられまい。
だが、それが出来たであろう最後の1人もいなくなってしまった。
……では誰が彼女を救える?
誰が彼女の凍りついた心を融かしてやれる?
あの哀れな少女を。
英雄が1人残した妹を。
誰が。
**********
「俺が、表彰……!?」
ティーダの葬儀も終わり隊舎に戻った頃、ゲンヤが持ってきたその報せにゲルトが驚愕の声を上げた。
全く予想もしていなかったその事態に目を見開いている。
「そうだ。
お前の昇進もあるらしい」
表彰の理由は昨日の次元犯罪者捕縛に際し、単独にてこれの制圧を果たし大きな功ありと認められたが故。
それには公の場で式が執り行われるだけでなく、受賞者の一階級昇進も含まれている。
おおよそ地上部隊において望み得る最上とも言えるものだ。
栄誉、名声、階級。
それらを一度に手にできる事などそうはない。
誰もが憧れる誉れの極致。
そう、ゲルトもその歓喜に身を貫かれて――――
「ふざけるな!!」
などいなかった。
「俺が!表彰!?
何で俺だ!!」
握り締めた右手を壁に叩きつけて吼える。
まさに怒髪天を衝くといった様子。
激情のままに振るった手の腹は、彼の怒りの程を示すような重い音を鳴らして部屋を揺るがす。
「どうして俺なんだ!
何でランスター二佐じゃない!!」
そこだ。
その一点が、ゲルトにはどうしても許せない。
何故だ。
何故、身命を賭して凶悪犯に立ち塞がった彼が貶されなければならない。
何故、ただ彼のお膳立てに乗っただけの自分が最高位の賛辞を受けなければならない。
何故―――――
「……すいません」
そこでゲンヤに言っても仕方がないと気付いたらしい。
ゲルトは姿勢はそのまま、バツが悪そうに顔を伏せた。
「断りの連絡を入れて下さい。
俺はそんなもの、要らない」
拳を固く握り、絞り出すように言う。
当然だ。
彼の葬儀に出席した上でそんな恥知らずな事が出来るものか。
そんな、彼の戦いを踏みにじるような真似が出来るものか。
「……いや、式には出ろ」
「!」
思わずゲンヤに掴みかかる。
ゲンヤは否、と告げたのだ。
ゲルトの心中など、共に葬式に出席した彼なら容易に理解できる筈だろうに。
「曲がりなりにも式典なんだ。
下手に断ったりすりゃ、上の奴等の面子が潰れる」
「そんな事、俺が知った事か!!」
予想はしていたのか、ゲンヤは動じずに先を告げる。
だが、そのような理由で納得できる筈もない。
ゲルトはより激した様子で彼に詰め寄った。
そんな卑小なものと、ティーダの尊い犠牲。
その優先度は比べるべくもない。
それを何故分かってくれないのか、という失望もまた彼に火を注いでいた。
「お前はそれでいいのか?
それで上の反感を買ったら、わざわざウチに入った目的はどうなる?」
「ッ!
それ、は……」
ゲンヤの正論に、彼を掴む力が僅かに緩んだ。
確かに。
まだ一向に進んではいないが、これから首都防衛隊壊滅の真相を掴むのに無用な諍いは面倒だ。
ただでさえ困難だというのに、動くべき時に向こうの個人的な感情から妨害などが入ったら目も当てられない。
大人しく受け取っておいた方が波風も立たず今後にも良いのは当然だろう。
ついでに言うと表彰者を出したとなれば部隊に取っても有益である。
「けど……俺、は……!」
ゼスト隊の無念を晴らさねばとは思えど、ゲルトはそんな風に割り切れない。
あの時のティアナの顔が脳裏をちらつく。
自分が公の場で盛大に賛じられれば、その分二佐やティアナは貶められる事になるだろう。
ああ、あれが犯人を取り逃がした局員か、と。
あれがあの無能の妹か、と。
今でさえあの謝罪会見でその風潮が生まれつつあるというのに、その止めを自分に刺せというのか。
「そんな事、できる訳が……」
ゲンヤを掴んでいた手を離し、彼を叩くようにしたゲルトが苦渋に満ちた言葉を漏らす。
力があってもどうにもならない。
魔力があっても、先天性の異能があっても、人並み外れた身体能力があっても、何の役にも立たない。
何かをしてあげたいのに、ただ1人の英雄も、たった1人の少女も助けてやれない。
結局自分は2年前から何も変わっていないのだ。
あの日から、俺は何も……!
「聞け」
そう己の無力に打ちひしがれるゲルトの肩を、背筋を伸ばさせるようにゲンヤが掴んだ。
俯いていたゲルトの目をゲンヤの瞳が射抜く。
その鋭い視線に気圧されたゲルトは言い返す事も出来ずにただ彼の次の言葉を待った。
そうしてゲンヤはいいか?と一言前に置き、続ける。
「とりあえず式にさえ出りゃ上の連中に異存はない。
だがその場合、お前は首都防衛隊が取り逃がした凶悪犯を捕まえた功労者として表彰され、逆に二佐の方は今度こそ無能の烙印を押される。
それをなんとかしたい訳だ、お前は」
その通りだ。
順を追って問題を列挙するゲンヤに首肯して同意を伝える。
「ところで、式にはお前のスピーチってのも予定にあってな。
せいぜい数分位の事だが、お前には観衆の前で物を言う時間があるんだよ」
そこでゲンヤは様子を少し変えた。
今までは淡々と事実を述べていただけだったのが、心なしか崩れたような話し方になる。
「まぁ普通は自分がどうやって犯人を捕まえたか、とかを話すもんだが……別に内容までは指図されてねぇ。
基本的には何を言おうが自由だ。
例えば、犯人の脇腹に一発くれてやったのが誰で、命張って街を守ったのが誰か、とかな。
……言ってる意味分かるか?」
最後でゲンヤはにやり、という擬音がぴったりの笑みを浮かべた。
彼が言っているのはつまり、ただ式を蹴るのとも違う第3の方法。
出来る限り今後にも支障をきたさぬよう、しかしティーダの名誉も守れるように考えられた現状最善の策。
「はい……はい!」
その事に気付いたゲルトもやや遅ればせながらしっかりと頷く。
言われてみればそうだ。
マスコミが山程集まるのなら、偏ったティーダへの評価に異議を唱えるのにまたとないチャンス。
上層部とて局のイメージが上がるなら文句はあるまい。
天啓とも言えるゲンヤの言葉で光明が見えてきた。
少なくともティーダの名誉に関してはどうにかなる、かもしれない。
「じゃあ、やるんだな?」
「ええ。
ありがとうございます」
これで二佐の名誉を守れるなら。
その結果ティアナが立ち直る手助けになるのなら。
「やりますよ」
決意を秘めた眼差し。
ぐっ、と拳も握る。
勝負は明日。
今度の戦は力に依らない。
場所は檀上。
頼みにするは口先1つ。
それを以て真の英雄たる二佐の名誉を取り戻す。
問題は自分の声が皆に届くか、だ。
下手を打つとただの売名行為と取られて終わりかねないが……。
いや、こんな考えではいけない。
やるのだ。
やり遂げるのだ。
悩むのはその方法だけでいい。
でなければ二佐にも父にも顔向けできない。
そうだ。
届かせて、みせる!
**********
厚い雲のせいでまだ日も通らない大通り。
高層ビルが立ち並び、巨大な交差点が道を区切るそこを、1人の少女が行く当てもなくぼんやりと歩いていた。
オレンジの髪を両側で縛ったツインテール。
ティアナだ。
人混みに紛れ、時に肩をぶつけられながら、それでも彼女は街を彷徨う。
普通の子供なら学校へ行く時間ではあるが、彼女は忌引きで休む事が許されている。
だから無気力のまま家に引き籠っていても良かったのだが……無理だった。
家にはいられない。
あそこには兄の面影が強く残り過ぎている。
兄の部屋の前を横切る度。
専用のカップを見る度。
それだけで兄の姿が蘇った。
(おはよう、ティアナ)
(皿は僕が洗っておくから歯を磨いておいで)
(ティアナ……)
(ティアナ……)
いつでも優しかった兄。
己の夢も時間も犠牲にして自分の為に色々と気を配ってくれた兄。
兄さん……。
手取り足取りで魔法も教えてくれた。
お世辞にも優秀とは言えない弟子だったけど、彼は嫌な顔一つせず付き合ってくれた。
そうして自分が新しい事をマスターする度に誉めてくれるのだ。
頭を撫でて、流石僕の妹だ、と。
いつもあの手の平と言葉のために頑張った。
自慢の兄の、誇れる妹であろうと。
なのに……。
兄は死んだ。
殺された。
もう帰ってこない。
声も掛けてくれない。
父や母と同じに、遠い遠い所へ行ってしまった。
今度こそ1人ぼっち。
その上――――。
新聞を広げて座っている男性が目に入った。
彼が持つ新聞の一面には大きく少年の顔写真が載っている。
年はティアナより少し上だろう。
そしてその見出しには、
「鋼の騎士」
「地上の新星」
「アーツ・オブ・ウォー」
そんな文字が大きく銘打たれていた。
大仰ともとれるその言葉は、どれもただ一人の少年を指す言葉である。
二つ名というには数が多いが、どこの世界でもこんなものだ。
通信販売でも英雄でも、それが有ると無いでは見る者に与えるイメージが全く違う。
そして今回、大功によって表彰される若い局員に付けられたキャッチコピーがそれだった。
だがティアナにとっては彼が何者であろうとどうでも良い事。
なんでこの人だけが誉められるの?
兄と同じ管理局員で、兄と同じように戦って。
兄は首都防衛隊のエースで、彼は無名の陸士部隊員で。
なのに兄は恥晒しの無能、片や彼は局の若き英雄。
なんで……?
兄を殺した犯人を捕まえた人だというなら、普通は感謝する所なのだろう。
だがティアナの中にある複雑な思いはそれを良しとはしなかった。
兄さんも戦ったのに。
今朝から彼への賛辞をいくつ聞いたかしれない。
道を行く人々が口を開けばその事を話しているのだ、虚ろであった彼女の耳にも入ってくる。
そしてそれに付随して、必ず兄を詰る声が聞こえるのだ。
首都航空隊は何をやっているのか、巻き込まれて死人でも出たらどうする気だ。
そんな言葉が。
兄さんは命賭けで戦ったのに!!
ふつふつと湧き上がる怒りが叫び出したいような衝動を喚起する。
兄は無能なんかではない。
恥晒しでも、役立たずでもない。
兄さんは――――!
口を開く。
思いの丈を吐きだそうとして、そこで止まった。
周りで忙しなく動き回っていた人混みが一斉に歩みを止め、上方の一点を見つめていたからだ。
何……?
不審に思ったティアナが彼らの視線を追ってみると、ビルに備えられた大型テレビに行き着いた。
そこに映っているのはマイクを手にした女性のアナウンサー。
背後にあるのは屋外に設置されたと思しき舞台で、それを見つめるように何人ものカメラマンやアナウンサーが詰めかけている。
『それでは現場からゲルト・G・ナカジマ一等陸士の表彰式の様子を、生中継でお送り致します。
ここには取材陣も多く詰めかけており、その期待の程が窺えます』
それを聞いてああそうか、とティアナは理解する。
これはゲルト・G・ナカジマを称える為の式なのか、と。
『あっ!
グランガイツ・ナカジマ一士が、入ってきました!』
周りからどよめきが聞こえる。
地上部隊の制服は纏えど、まだまだ子供といった様子の少年が式場に姿を現した。
彼は集まった群衆やカメラのフラッシュに動じる素振りも見せず、堂々とした態度で壇へと上がってゆく。
その様に、また周囲の人間が彼への評価を高めたのを感じる。
だがティアナは、
見たくない。
そう思った。
彼がどんな人なのかは知らない。
ただ、この人のせいで兄は馬鹿にされているのだと、彼が兄の功績を奪い取っていったのだと、そう囁きかける自分がいるのだ。。
他の人と同じように彼を誉めそやすなんて、彼女には出来ない。
テレビから顔を背けて歩き出した。
もう一時もここには居たくないと、早足でその場を離れる。
しかし、
『まずは地上本部総司令のレジアス・ゲイズ中将からご挨拶があるようです』
「!?」
逃げられない。
何処へ行ってもその放送が追いかけてきた。
電機屋の店頭にある全てのテレビはその映像を流しているし、道を行く人々の携帯端末にもそれが流れている。
喫茶店でも、本屋でも、お菓子屋でも。
何処へ行っても何かの形で放送が耳へと飛び込んでくる。
『中将が今表彰状と、陸曹の階級章を授与しています!』
「――――ッッッ!」
耳を塞ぎ、目も閉じて走る。
頭をいやいやと振って、全てを否定するように。
『一士が―――失礼、陸曹が檀上へと上がります。
予定ではこれから彼のスピーチとなっておりますが、一体彼は何を話すのでしょうか?
これは目が離せません!』
だがそれでもゲルトの名を高らかと賛じる声は聞こえてくるのだ。
目を逸らすなと、そう言わんばかりに押さえつける手を擦り抜けて耳へと突き刺さる。
街に溢れるその声はうねりとなってティアナの頭でも響いていた。
「あっ!」
目を閉じて走っていては無理もないが、通行人とぶつかってしまった。
体重差は大きく、撥ね飛ばされて不様に尻餅をつく。
ぶつかった相手は気にもせずにそのまま人混みへ消えてしまったが、それもまたティアナには屈辱だった。
まるで「ああ、あの局員の妹か」と相手にされなかったように感じる。
目尻に涙を浮かべて睨みつけるも、そこにはただ見知らぬ人の群れがこちらに見向きもせず通り過ぎていくのみだ。
「うっ……うぅっ……」
膝を付いた彼女の目からは熱い涙が零れていく。
悔しかった。
もはや周りの全てがあの英雄を称え、兄を見下している。
いくらティアナが反論しようと誰も耳を貸すまい。
「……兄、さん……!」
そうして彼女が地面を見つめてしゃくりあげる中、ついに檀上に立ったゲルトの演説が始まる。
**********
「ご紹介に預かりました、ゲルト・G・ナカジマです」
彼が言葉を発した瞬間。
今度こそ街はしん、と沈黙に包まれた。
皆、彼が何を言うのかと静寂を保って次を待つ。
「まずはこの度、自分のような若輩の為にこれほどお集り頂まして、本当にありがとうございます」
腰を折って礼の形を取る。
おおよそ年に似合わぬ落ち着きよう。
頭を上げた後も視線は毛ほども揺るがず、その意志の強さを示しているようだ。
「このような舞台で表彰を受けるなどというのは私としても全く慮外の事で、お話を頂いた時には夢かと疑ったものです。
報せを持ってきた部隊長に何度も聞き返す程でして……。
ですが今壇に上り、こうして皆様の前に姿を晒した現在、ああこれは現実なのだと実感しております。
それでは皆様、お聞き苦しい子供の言葉かとは思いますが、これより少しの間どうかお付き合いのほど願います」
そうして彼は喉の調子を整えるように一度軽い咳払いをする。
話をひとまず区切り、聴衆にも一息をつかせるための動作だろう。
「突然ですが、私は父を尊敬しています」
スピーチを再開。
前を向いて胸を張り、はっきりと告げる。
「御存知の方もいらっしゃるでしょうが、私は以前嘱託魔導師として首都防衛隊におりました。
とはいっても、その時の私は施設から保護されたばかりで名前も何も持たないただの子供。
ですが部隊の皆は暖かく受け入れてくれて、ゼスト隊長からはゲルトという名前も頂きました。
それだけではありません。
彼らは私に戦う術を教え、法を説き、道徳を唱え、そしてゼスト隊長は私を養子に迎えたいと、そう言ってくれました」
話すゲルトの脳裏にも、あの日々は燦然と輝いていた時間として記憶にある。
一時はその眩さ故の喪失感に心を蝕まれたが、もうそんな事はない。
今はただ、優しい温もりで以てゲルトに力をくれる。
「ですが、部隊は壊滅しました。
私と今の母を除いて……皆、死んで……しまいました」
それでも最後の瞬間だけは、胸に痛みをもたらす。
映像越しに見た瀕死のゼストの横顔も。
絶望的状況で自分達を逃がしたメガーヌの笑顔も。
背中で徐々に冷えてくクイントの体の重みも。
やはり拭い難く心の隅に染み付いている。
「私は皆に生かされ、ここに立っています。
皆の犠牲で、今こうして話しています」
だがクイントの前で誓った事だ。
あの犠牲を決して無駄にはしないと。
だから、あの悪夢を無理に押え込む事はしない。
奥深くに封印して忘れ去るような事は絶対にしない。
この痛みも悲しみも、全て抱えた上で生きていく。
「私は彼らが無駄死にだったとは思いません。
いえ、“私がさせません”。
それが私の義務だからです。
彼らに助けられた私の、果たすべき責務だからです。
だから彼らが英雄だったと、この場で申し上げるのにもなんら恥入る所はございません」
僅かに歪んだ顔を改め、殊更に胸を張って宣言する。
そして、と続けた。
ここからだ。
ここからが勝負だ。
「それは今回の事件で亡くなられたティーダ・ランスター二等空佐についても同じです」
**********
「え……?」
その名を聞いたティアナははっと頭を上げた。
涙の跡をはっきりと残した顔を隠そうともせずにゲルトの映るテレビを見つめる。
今、この人兄さんの事を……?
『二佐は決して風評で言われるような無能などではありません。
彼の挺身があったからこそ私は迅速に手配犯を制圧でき、そのおかげで街への被害も食い止められたのです。
全ては彼が手配犯の脇腹を撃ち抜いており、その傷から手配犯が弱っていたおかげです。
もし私が彼より先に手配犯と接触していれば激しい戦闘にならざるを得ず、恐らくは被害も皆無とはいかなかったでしょう』
真っ向からの賛辞。
間違いなく、彼は兄を称賛している。
え?え?
だってこの人は兄さんの手柄を横取りした筈、なんじゃ?
全く予想もしていなかった人物が、最も聞きたかった言葉を躊躇いもなく放ち続けていく。
目を丸くしたティアナは二の句を告げられない。
放送を見る他の人間もまた、世間一般の話とは完全に対立する彼の言い分に目を見張っていた。
『重ねて申し上げます。
ティーダ・ランスター二等空佐は決して無駄死にした役立たずなどではありません。
彼こそ――――』
そこでゲルトは大きく息を吸う動きをみせた。
すうっ、と胸を膨らませる。
待ち望んだ瞬間だ。
両手を目の前の壇に叩きつけるようにして、思いの限りをぶち撒ける。
「彼こそ!
彼こそ真の功労者であり、彼こそが称賛を受けるべき本当の英雄なのです!!』
傍目にも分かる。
彼は心底言葉通りに考えていると。
演技をしている風には全く見えない。
……どういう、事?
呆然としながら、ティアナは今の言葉を反芻する。
つまり彼の話によれば、兄はただ手配犯を取り逃がした訳ではなく、命を賭けて一矢報いたのだと。
また、この少年でも不可能なほど高度な技量を要する事を、兄はやってのけたのだと。
少年よりも兄の方こそが真に称えられるべき英雄なのだと。
そう言っているのか?
『え、えっと……それはランスター二等空佐への評価に誤りがあると……そういう事ですか?』
テレビの向こうで、ティアナと同じ事を考えたらしい記者が質問した。
やや戸惑い気味なのは彼もティーダの事を馬鹿にしていたからだろうか。
『そうです。
私は彼こそがこの式の主役になるべきであったと確信しています』
即答。
一切の迷いも見せぬ清々しいまでの答えであった。
『それは……二佐が亡くなられたから、ですか?』
『違います。
同情ではなく、私は単純に事実を指摘しているまでです』
なおも食い下がる記者。
そうまで持ち上げるのは死者を悪く言えないからなのか、と問いかける。
しかしそれにも彼はあっさりと切り返した。
否、と。
ティーダが為した事を思えば、彼が自分より賛辞を受けるべきなのは当然なのだと。
『他に質問のある方はいらっしゃいませんか?』
先の記者がすごすごと席に着いたのを捉えたゲルトは周囲を見渡した。
眼前に集まった群衆を往復するように視線を巡らせる事数回。
誰も立ち上がろうとはしない。
『では私のスピーチはこれで終わりとさせて頂きますが……最後に1つだけ』
質問の無い事を確認し、その上で締めに入ろうとしたゲルトが付け加えるように言った。
これで終わりと思っていた聴衆は僅かなざわめきを発したが、彼がその先を告げようとしているのを感じてか口を閉ざす。
『私には、この場を借りて言葉を送りたい方が居ます。
その人がこの放送を見てくれているのか、さらに言えば私の言葉が彼女に届くのか。
それは分かりませんが、せめてメッセージを送りたいと思います』
まだ何かあるの?
実の所、ティアナももう彼への蟠りは殆ど払拭されていた。
あれだけの舞台で堂々と兄の事を語ってくれたのだ。
今更、八つ当たりの様に恨む事などできはしない。
むしろ感謝したい位だ。
ただの同情や慰めではなく、一片の疑いも持たずに兄こそ英雄だと言ってくれた。
他の誰もしてはくれなかった事。
もう後は彼の話を最後まで聞くまでと、次の言葉を聞き逃さないように耳をそばだてる。
『二佐の事は誇らしく、胸を張って語ってあげて欲しい。
……君のお兄さんは、英雄だ』
「!!」
今度こそ驚愕する。
「え、嘘……」
今、私に!?
間違いない。
今の言葉は自分に宛ててのメッセージだった。
世界中でもたった1人。
自分だけに。
「あ……」
そう理解した途端、涙が零れてきた。
ようやく止まったと思ったのに、先程にも増してボロボロと、とめどなく。
手で拭ってみても到底抑えきれない。
「くっ……うっ……」
しかしそれは悔しさや悲しみから滲み出る物ではなく、何か温かい物に包まれたが故の雪解けのような涙だ。
声はどうにか噛み殺すものの、そちらはどうしようもない。
彼女はただ顔を抑え、一つの名を刻んで涙を流し続けた。
ゲルト・G・ナカジマ……。
雲間からは、既に光が差し込み始めていた。
**********
「中々良い演説だったぞ、陸曹」
壇を下りたゲルトを出迎えたのは拍手と労いの言葉。
そして時空管理局地上本部総司令、レジアス・ゲイズ中将。
その人であった。
傍らには彼の補佐であるオーリスの姿も見える。
「あ、ありがとうございますレジアス中将」
ゲルトが面と向かって彼と話をするのは、実は初めてである。
先程表彰された時にはお互い形式的な言葉しか交わしておらず、まともに言葉を交わすのはこれが最初と言っておかしくはない。
そのせいかゲルトの受け答える表情も、檀上にいた時よりはやや固くなっていた。
「そう畏まる事は無い、礼を言っているのはこちらだ。
よくやってくれた。
特に最後のなどはな」
「はっ。
いえ好き勝手な事を申し上げまして申し訳ありません」
「気にするなと言っている。
お陰で局のイメージも回復し、ランスター二佐の名誉も守られた。
こちらとしては文句の付けようがない」
「こ、光栄であります」
恐縮そのものといった態度のゲルト。
こうして話してみて、ゲルトのレジアスに対する印象は厳しい人、であった。
前に立っているだけで何か気圧される物を感じてしまう。
カリスマ、というのだろうか。
そういうものが彼にはあった。
その事を、嬉しく思う自分がいる。
流石は父さんの親友だ。
事在る毎に父は親友について語ってくれた。
曰く戦う場こそ違えども彼とはまさに戦友であり、彼の正義の為ならばこの命も惜しくは無いのだと。
彼は魔力資質の無いノンキャリアでありながら、現場からの叩き上げでその地位まで上り詰めたのだそうだ。
話では制度の大幅な改革により、目に見える形で犯罪増加率を抑え込むなど目覚ましい活躍もされているとの事。
ゆえにゲルトの中ではかなり雲の上の存在として英雄視してきたのだが、こうして前にしてみるとその評価は正しかったと実感する。
光栄というのはまさにその通りであった。
「しかし、やはり私にここは似合いません」
内心の事は程々に、震えている手をかざしてみせる。
ゲルトにとって檀上に立ち、数えきれない程の視線を浴びるというのは想像以上のプレッシャーであった。
あの時こそ気丈に振る舞えたが、流石に緊張の糸が解けるとそうはいかない。
「あのような場所で辣腕を振るわれる中将を本当に尊敬致しますよ。
私には、やはりこいつを振るう戦場の方があっているようです」
そう言って右手のナイトホークを示す。
餅は餅屋、という事だ。
「ふ、そういう所は父親そっくりだな」
レジアスは懐かしを覚えるやり取りに苦笑を漏らした。
内心の痛みは押し隠し、決して表には出さない。
「そうですか?
中将に言って頂けると、何かこう、こそばゆいですね」
そう言ってはにかむ。
ゲンヤがどうこうという訳では全くないが、やはりゲルトにとってゼストは特別なのだ。
似ていると言われて悪い気はしない。
それもゼストの親友であったレジアスに、であれば尚更である。
「中将、お時間の方が」
しかしレジアスも多忙の身である。
2人の会話の切れ目を狙い、オーリスが水を入れた。
レジアスもそうか、と頷いてゲルトの方に視線を向ける。
「すまんが時間のようだ。
今後もお前の活躍には期待している。
その名に恥じぬよう精進を続けろ」
「はっ!
ありがとうございます!」
踵を返していくレジアスを最敬礼で見送る。
ゲルトは彼の背中が見えなくなるまで微動だにせず、その姿勢をずっと保ち続けた。
**********
「予想よりもかなり良い結果に終わりましたね」
「そうだな。
ランスター二佐の件も含め、ゲルトはよくやってくれたものだ」
あのゲルトが壇を下りる際、割れんばかりの喝采が会場を覆っていた。
世間の彼への注目予想は当初想定していたものより多少上に修正してもいいだろう。
それにランスター二佐の事も穏便に上手く片付いたようだ。
上々の結果と言える。
「しかしゲルト……。
あれは生き写しだな」
ポツリと漏らした。
彼とは少し話しただけだがあの顔、性根、そして己の腕前に絶対の自信を持っている所も含め、本当によく似ている。
自分の至らなさ故に死なせてしまった親友と。
「そうですね。
顔は当然ですが、雰囲気も同じようなものを感じました」
「ああ。
将来はさぞや優秀な局員になるだろう」
ふと彼の目を思い出した。
こちらを全く疑っていない、それどころか憧れすら秘めたような瞳を。
正直、今のレジアスにあの視線は堪える。
自分は彼の望むようなヒーローではないのだ。
もう道も踏み外した。
自分は彼の父も仲間も全て奪った者と与しているような外道なのだ。
あんな瞳を向けられるべき人間ではない。
自分こそ無能と謗られ、恥知らずと罵られるような存在なのだ。
しかし、せめて。
友の遺したあの少年だけは死なせないと、そう誓った。
それ位しかしてやれない。
利用しようとする上でこんな事を考えるのは偽善以外の何物でもないが、これだけは。
これだけは必ず、と
(あとがき)
うわぁ、そんなに遅くはならないとかぶっこいて結局はこれか。
全然この手の宣言守れた事ないな自分。
どうも、前後編なのに随分空いてしまいましたがどうにか完成しました。
基本はティアナが次に登場する時の為の伏線と、久々に登場したレジアスの為の回ですね。
葬儀でティーダの上司をぶん殴る予定も当然あったんですが、ゲンヤにも掴みかかるし何度もそういう事やらせてもな、と思いボツ。
しかしそういう所で結構削ったかと思いきや気付くとかなりの分量に……。
あまり長くし過ぎると細かい所に手が回り切らないので控えるようにはしてたんですが、もうこれ以上縮小は出来そうにないです。
ティアナが次いつ登場するかはだいたい決めてありますが、もうちょい先になりそう。
それではこの辺で、また次回!
Neonでした。