無限書庫。
そこは古今東西、観測され得るありとあらゆる世界から収集された書物、文献、情報の限りを蔵する知識の泉。
風俗や文化は言うに及ばず、既に再現も不可能となった喪失技巧やそれによる創造物、ロストロギアに至るまでもがその領分の範疇内だ。
そしてまた。
「武術の指南書、ですか?」
「はい。
槍術、格闘術関連の物を中心にお願いします」
当然、こういった物も含まれる。
カウンターに座る司書の少年は利用者の注文を確認して目の前のキーボードに打ち込んだ。
こうしておけば書庫内の担当者がキーワードに沿って資料を引き出して来る事ができる。
流石に数日では厳しいかもしれないが、1週間もあればそれなりの数が揃うだろう。
この書庫は巨大だ。
その上まだその大部分がデータベース化も済んでいない状況ゆえ特殊な検索魔法を使えなければ有効な利用は難しい。
とはいえ利用者の全てがそんな物を使える筈もなく、やはり専門の職員のサポートが必要となってくる。
局からの捜査協力や情報開示請求があった場合は当然として一般、とは言っても基本的には局員やその関係者のみだが、の利用者の希望にも出来得る限り応えるのが司書の仕事。
これも1つのサービスである。
「もしかして騎士の方なんですか?」
登録の完了を確認した司書、ユーノ・スクライアが口を開く。
頭を上げてカウンターの向こうの利用者に声をかけた。
格闘術ならまだしも槍術となれば護身とは言えないし、ミッドチルダ式魔導師がそこまでの技量を望む事は少ない。
一般人がそんなものを求める事に至っては更に無いだろう。
大抵は近代、古代ベルカ式の魔導師――――いや、騎士か。
がそうである場合が殆どである。
で、あれば目の前にいるこの黒髪の少年もそうなのだろうか。
「ええまぁ。
一応古式ベルカの騎士をやっています」
「へぇ、古代ベルカ式ですか」
それは珍しい。
近代式ならまだ少数とはいえ見られるものの、古代式の騎士などに会う機会など滅多にあるものではない。
そう考えて、内心で軽い笑みを漏らした。
僕には結構あるけどね。
最近は少し減ってしまったけれど、それも仕方がない。
文字通り住む世界が違うのだから。
仕事の関係上ちょくちょくこちらに顔は出しているらしいが、わざわざここにまで足を運ぶ事は無いだろう。
そう思って彼らの主と共に訪ねて来た時も早々に帰した。
確かに、そう言われれば彼の雰囲気は彼らと通じるものがあるような気がする。
「それは練習相手にも困りそうですね」
「そうですね。
少し前はいい相手がいたんですが、最近は直接会う事も無くて……。
仕方無いんですけどね、彼女とは“住む世界”が違うもので」
目の前の少年は肩をすくめ、冗談めかしたように話した。
その思わぬシンクロに、ユーノもへぇ、と目を開く。
「その人も、古代ベルカの?」
「はい。
……彼女の剣捌きは本当に素晴らしかった。
一合斬り結ぶ度にこの身が冴え渡る程でね」
少年はそれを思い出すように遠い目をしている。
その相手は余程の腕前だったらしい。
ユーノにも1人、そのイメージに合う人物に覚えがある。
ふと、その彼女も最近よい練習相手がいなくなって不満を漏らしている、と幼馴染が言っていたのを思い出す。
彼と会わせてあげたら喜ぶだろうか。
「僕の知り合いにも古代ベルカ式の騎士が何人かいるんですが、紹介しましょうか?」
「いいんですか?」
その思いから何となく口にした言葉だが、彼の関心は引いたらしい。
割と乗り気な様子で尋ねてきた。
「ええ。
ただ、すぐにという訳にはいかないので何時になるのかはちょっと分からないんですけどね。
彼女達もミッドには住んでいないので」
「その人達もですか。
さっき話した奴なんてのはミッドどころか管理外世界ですよ、管理外世界。
偶に話はしますけど毎回帰ってるんじゃそうそう会えなくてね」
「え……?」
嘆息交じりにそう言い放った彼の言葉に、ユーノは思わず戸惑いの声を上げた。
数多ある管理外世界でも、いや管理外世界だからこそ、か。
とうに廃れたような古代ベルカ式を用いる者なんていない。
大抵の所は魔法文化の無い所から始めているのだから、一般普及している物から学ぶのは当然だろう。
少なくとも彼の知る限り管理外世界で生活している古代ベルカ式の担い手などあの一家以外に存在しない。
「し、失礼ですがその人とはどこで会ったんですか?」
「?」
我ながら不躾だな、と思いながらも聞かずにはいられなかった。
流石に目の前の彼も不思議に思ったようで怪訝な顔をしている。
だが、答えてはくれるようだ。
「以前、俺はちょっと入院した事がありまして……その時に知り合った奴がいるんですよ」
彼はやや戸惑いながらも口を開いた。
だが、それも最初の内だけ。
話す内に懐かしく思えてきたのかそのペースは徐々に上がっていく。
「それがまぁ、お節介な奴で。
こっちが落ち込んでる時に毎日毎日飽きもせずにやってきては自分の話ばっっかりして帰っていくんですよ。
俺も最初は鬱陶しいと思って相手にしなかったんですが、あいつそんな事全然構いもしなかったなぁ。
自分だって体ボロボロでまともに歩く事も出来なかった癖に……」
そこで何かに気付いたのか、はたと止まる。
いかんいかんと頭を振って、
「すいません、脱線しました。
まぁ、それでそいつの見舞いに来ていて会ったんですよ、その相手とは。
それでその時は丁度俺も模擬戦の相手が欲しかったので相手してもらって、それ以来の仲ですね」
「その相手の人のお名前……伺っても、いいですか?」
彼はええ、と頷いて。
「シグナムって言うんですよ」
軽く言い放った。
**********
「そうか、あんたが“ユーノ君”か」
手のカップに注がれたコーヒーを傾けながら、快活な笑顔のゲルトが言う。
今2人は無限書庫から場所を移し、近くの喫茶店の席へと腰を下ろしていた。
ユーノもシグナムと知り合いであったと知り、またなのはが言っていた幼馴染が彼なのだと分かったゲルトは世の縁の妙をつくづく実感する。
口調も先程よりはかなり砕けていた。
「まさか君が“ゲルト君”だったとはね……」
ユーノの方も苦笑を漏らす。
彼もなのはからゲルトの事は聞いていた。
何でも病院で1人負のオーラを放ち続ける彼を放ってはおけずに話かけたのが切っ掛けで友達になったらしい。
リハビリにも付き合ってくれて、その上簡単に体の使い方も教わったと聞く。
おかげでなのはの退院が少し短くなったようで、その事には彼女も深く感謝していた。
他にも彼女の弁によればシグナムに匹敵する武の持ち主で、妹さん思いの良いお兄さんで、そして意外にもお人好しなんだとか。
「フェイト達とも知り合いなんだって?」
「一応な。
正直一番仲がいいのはやっぱりシグナムだと思うが」
年には似合わぬブラックのコーヒーを喉に通しながら答えた。
ギンガやスバルが真似をして一斉にむせた事もあったが、ゲルトにはこの位が丁度いい。
受け付けないと言う程ではないにしても、やはり甘い物は苦手だ。
「そうなの?」
「ああ。
恥ずかしい話だが、あんまり同世代の人間と話した事がなくてな」
しかも異性である。
長い付き合いの妹達は別だが、話すにしても何から切り出したらいいのかよく分からない。
シグナムならば特に気を構える事なく話せるし、最悪言葉を交わさずとも剣戟を合わせれば良いのだが。
そう言えばユーノはあはは、と乾いた笑み。
「なのはの話じゃ、あんたもかなり厄介な事件の解決に協力したんだろ?
それがどうして司書なんだ?」
質問のされっ放しも何だからと、ゲルトも問いを口にした。
何気ない話の気っ掛けではあったが、問うてみてから思う。
確かに何故だろうか、と。
PT事件に闇の書事件だったか。
どちらも次元震の発生やそれに類する恐れもある大事件だったと聞いた。
その解決に携わった立役者の1人ともなればそれなりの地位程度要求できると思うが……。
「まぁ、僕は戦いに向いてるわけじゃないしね。
元々スクライアは遺跡の探索とか発掘とか、出土品の鑑定とかが主な仕事だったし……。
うん。合ってるんだよ、この仕事が」
しょっちゅう缶詰にされるのは勘弁だけどね、と付け足して言う彼は、しかし言葉とは裏腹に楽しそうだ。
実力を発揮できる望んだ職場に十分満足しているのだろう。
それに……あまり人の事を言えたものでもない、か。
自分とて他人から見れば不可思議そのもだろう。
指揮官を目指しているとかであればともかく、特にそういう様子も無し。
にも関わらず花形の航空武装隊も首都航空隊の誘いも尽く蹴って、その上で陸士部隊の平隊員をやっている高ランク騎士なのだから。
変、であろう。
社会一般的に見て、恐らくは。
だが自分は全く後悔などしていないし不満もない。
そういうものなのだ、きっと。
「そりゃあいい。それが一番だ」
「そうだよね」
2人して笑みを交わす。
初対面の割に気の合う人物というのもいるものだ、と思っていた。
その矢先。
『ゲルト、緊急通信です』
「何?」
『事情は後で、とにかく至急隊舎に戻れとの事です』
ナイトホークが危急の事態を告げた。
非番のゲルトまで呼び出すとなると相応の事件が起きたと見える。
ユーノの方に視線を向ければ、彼の方も何か連絡があったらしい。
携帯端末を片手に誰かと話しているようだ。
「悪い、緊急招集だ。
また今度ゆっくり話そう」
「あ、うん。
ごめん、またねゲルト!」
ゲルトは一言告げると伝票を掴んで慌てて飛び出していく。
ユーノも通話しながら手を振ってきた。
肩越しに軽く応じながら会計を済ませ、走る。
とりあえずは何か適当な交通手段を見つけるべく大通りか。
丁度通りがかったタクシーを捕まえて滑り込み、一路108部隊隊舎へ。
**********
「遅れてすいません!」
扉がスライドするのももどかしく感じながらブリーフィングルームに入る。
既にそこにはゲンヤ始め実動の全員が揃っていた。
通り過ぎてきた捜査部の方もかなり慌ただしい動きをしていた。
一体何が起きたのか。
「来たか。
丁度良い、本題は今から説明するところだ。
……カルタス」
「はっ」
ラッドが進み出ると共に1枚のウインドウが浮かぶ。
そこにはどこかの地図と思しきものが映し出されている。
しかしおかしい。
その地図には地点を判別できるような建築物の表記が一切ないのだ。
蜘蛛の巣のように幾重にも枝別れする道以外の部分は全てグレーに塗りつぶされている。
「これは廃棄都市区画の地下下水道網を表しています」
ラッドのポインターがウインドウ上の1点を指して止まる。
それに合わせて数枚のウインドウが新たに展開。
今度は航空写真やごく普通の地図が映し出されており、指定されたポイントに重なり合うようにして浮かんでいる。
「今回の作戦はここから内部に侵入し、逃走中の目標を確保、又は破壊する事。
……それでこれが今回、遺失物管理部から作戦協力の要請を受けた目標です」
更に1枚のウインドウが新たに開く。
そこにあるのは、
「何だ、これは……?」
思わず呟いた。
映像元は浮遊型のサーチャーだろうか。
数人の局員と、何か床に広がった不定形な物体が映っている。
大きさはさほどもない。
せいぜいが局員の膝程度か。
しかしそれは相当の能力を備えているとみえて、局員が遮二無二撃ち込む魔力弾にも全く堪えた様子はない。
当たってはいるのだが、まるで暖簾に腕押しといったようにただ突き抜けて背後に抜けるのみだ。
やはりダメージはないのか、それは完全に局員を無視して悠々と移動を開始。
格子もものともせずにするりと側溝に潜り込んで映像から姿を消した。
後に残るのは失態に慌てふためく局員の姿のみである。
そこで映像は途切れた。
「ここからは俺が話すか」
今まで壁に寄り掛かっていたゲンヤが後を引き継ぐ。
皆の前に出た彼はやや言葉を選ぶように、少し間を置いて告げた。
曰く遺失物管理部が以前から内偵していたロストロギア流通の流れがあり、その場に踏み込んだのがほんの2時間前。
容疑者一味は無事に捕らえる事ができたようだが、その最中に何の拍子か輸送されていたロストロギアの1つが稼働を始めたという。
そして、
「ご覧の通りって訳だ」
ゲンヤもやはり気が重いようだ。
いつもの諧謔にもキレが無い。
「こんな物を……どうやって捕まえろと?
破壊するにしてもどこをどう攻撃すればいいんです?」
部隊員の疑問も尤も。
今の映像を見る限り魔力弾は全く効果が無いらしい。
格子をすり抜けたあの柔軟性では、恐らくバインドでも奴を縛る事は出来ないだろう。
「今はまだ何も分からん」
ゲンヤは重々しく首を左右に振る。
それも仕方あるまい。
未だ事件が発生して2時間足らず。
無限書庫も職員を総動員して調査中との事だが、ゲンヤの口振りからするにまだ何の連絡も無いのだろう。
職員の能力云々の話ではない。
時間も検索情報も、何もかもが不足しているのだから彼らとて動きようが無いのだ。
きっと今頃はユーノも莫大な数の資料に忙殺されている事だろう。
「だが、やらなきゃならねぇんだ」
現状の不備も認めた上で、言い切る。
何から何まで正体不明。
どのように危険なのかもよく分からない。
そんな物を放置しておく訳にはいかないのだ。
幸いにも問題のロストロギアは地下下水道の中でも廃棄都市区画方面へ向かったらしい。
はっきりとした位置までは分からないが、一般人に被害が出るようなエリアへ到達するまでは猶予がある。
だから、やらなくてはならない。
「今すぐ出発だ。
106、107、109の連中も応援に来る」
ゲンヤが皆の前を歩いて行く。
話しながら扉の方へと歩を進める彼は振り返らない。
目の前をゆっくりと通過していくゲンヤの動きに合わせて隊員達もまたその腰を上げていく。
カツン、と軽い音を立て、ゲンヤの足が扉の寸前で止まった。
彼を認識した扉が自らその身を引いて道を開いて行く。
「行くぞ、野郎共」
外界からの光が明かりを落とした室内に差し込んできた。
後ろに立ち並ぶ部隊員達は皆やれやれなどと呟いてはいるが、その口元は淡く弓状を描いている。
長が動くとなれば下が情けない様を晒している訳にいくまい。
「了解、ボス」
首だけでゲンヤが振り返ると、そこには勢揃いした隊員達が居並んでいる。
彼らは皆口々に同意を告げた。
気の早い者などは既にデバイスを展開さえしている。
視線を前に戻したゲンヤはふ、と笑みを漏らして外へと踏み出した。
自分を遥かに上回る力を備えた魔導師達を従え、彼はさながら王者のように先頭を行く。
後ろに続く彼らを戦場へと導く為。
身一つで闘いに赴く彼らを支える為。
今日も彼らを、連れ帰る為に。
**********
『まだ見つからねぇか?』
「はい。こっちはまだそれらしい痕跡も見えません」
おおよそ光明などは見当たらず、持ち込んだマグライト状のトーチが無ければまともに歩く事も出来ないような地下道。
半分は水路が占めており、その左側に人が通る為の道がある。
そこで何かを探すように忙しなく辺りを照らす者が2人。
ラッドにもう1人の隊員だ。
しかしそんな彼らの数メートル前を歩く1人の少年だけは明かりも手にせず、無明の闇の中を危うげもない足取りで進んでゆく。
常人では己の手すら見えないような環境だが、彼には壁のシミすらも認識できた。
緑を基本とした視界の中、むしろ後ろを振り返って直接光を見ないように気をつける位だ。
暗視もまた彼に与えられた肉体強化の1つである。
それどころか彼の目は知覚を欺瞞する幻術すらも特別な対抗魔法無しに打ち破る。
問題のロストロギアが潜ったという地下下水道に侵入して既に半刻が過ぎた。
二十以上のグループが虱潰しに捜索中だが、まだ何処からも発見の報告はない。
さて、一体どこにいるのやら。
「……ん?」
そうして更に数十分を歩いただろうか。
一行が広いホールのような空間に達した所でゲルトが何かを見つけたらしく足を止めた。
その一点に集中して焦点を合わせる。
「見つけた」
小さく呟く。
彼の視覚は水面の不自然な盛り上がりを捉えている。
こんな所に湧水もあるまい。
十中八九、奴だ。
すぐに指揮車との通信を開いた。
「こちらゲルト、目標を発見。
これより捕獲行動に移ります」
『分かった。
慎重にいけ』
後ろのラッドらにハンドシグナルを送る。
彼らがバインドの準備を行う間にトーチを借りて目標を照らした。
向こうはこちらに気付いているのかいないのか特に動きを見せないが、よく見ればただ膨らんでいるだけではない。
その中心に何か球状の物体があるのが見える。
あれが、核……か?
予想された可能性の一つとしてそういう事もあった。
ただの液体が動くなどというのは論外だ。
となれば液体そのものが普通ではないか、または液体を制御する核が存在するのではないかという2つの案が自然と浮かぶ。
そして今回は後者が正しかったようだ。
これなら捕獲も叶うかもしれない。
仲間に捕獲範囲の調整を告げる。
「リングバインド!」
2人から放たれた数条のバインドが空間に浮かび、核を中心に急速に狭まってゆく。
だが、それが核を包む液体に触れた瞬間、
「逃げた……!?」
接触の、その瞬間だ。
それは静止状態から一転して急速移動を行った。
確かに言葉にするならば逃げた、と言うのが正しいだろう。
バインドが核を捉えきる前にそれは効果範囲から脱してみせたのだから。
「ナイトホーク、あの液体は――――」
『はい。皮膚のような役割も備えているように見えます』
今の一連の動きを見る限りそういう事だろう。
あの速度を捉えるのは困難だ。
いや、バインドではきっぱりと不可能だろう。
やるならあれの反応も追いつかない超高速の一撃か、躱す隙間もないほどの広範囲攻撃しかあるまい。
と、思索に耽る間に目標も新たな動きを見せた。
水面から1本、鞭のような形状をとって液体が伸長してきたのだ。
伸びる動きが止まったかと思えば、それはゲルトらとは反対の方向に大きく身を倒した。
まるで“振りかぶるように”。
「!?」
来た。
先程核が逃げた時のように、静から動へと一瞬でスイッチ。
先頭に立つゲルトはファームランパートで防ぐ事に成功したが、苦々しい表情を隠せない。
攻撃を防いだ時、火薬が破裂したような爆音が聞こえた。
それはつまり今の鞭の先端が優に音速を超越していたという事だ。
普通の鞭とは重量も大きさも違う。
そんなものを食らえばただでは済まない。
そして何より今ので判明した。
こいつは唯そこに在るのではなく、逃走や攻撃の手段も備えている、と。
ますます逃がす訳にはいかなくなった。
「父さん、目標破壊の許可を求む。
こいつを逃がす訳にはいかない」
『……分かった。目標を破壊しろ。
遺失物管理部の方は俺が話しを付ける。
他の連中もそっちに移動中だ』
遺失物管理部は出来る限りあれを確保したいらしいが、知った事か。
元はと言えば向こうのミスで、自分達はその尻拭いをしているに過ぎないのだ。
そんなものに骨を折る義理はない。
「2人とも準備は?」
「いつでも」
振り向かずに問うたゲルトに、後ろのラッドが返す。
背後の声を聞いた彼は軽く吐息をつき、足元を見た。
ここは水道の集結点らしくほぼ全域が水に浸かっている。
今自分達が立っている所で水深は踝くらいだが、目標が居る辺りはそれなりの深さがあるらしい。
下手に近づけば足を取られる可能性もある。
ここは距離をとった方が良さそうだな。
「あぁっ!!」
そう考えた先のゲルトの行動は早い。
吐息と共にナイトホークを振り抜く。
何もない空間を薙いだ一撃だが、刃そのもので敵を斬るのが目的ではない。
右から左への袈裟懸けが宙を切るのに呼応して迸った無色の衝撃波が一直線に目標へと迫る。
それは盛り上がった水の塊の上部、丁度核がある辺りに着弾して容易く弾けさせた。
音量は数段上だが、水風船を地に叩きつけた時の物に近い破裂音が響く。
飛散した水滴はまるで雨のように一帯へと降り注いだ。
が、
「速い……」
やはり逃げられた。
衝撃波がその破壊力を発揮しきる前に動いた核は裾のように広がった部分に逃げる。
一応追撃として魔力弾の連射も行われるが、ちょこまかと、しかし的確に動く核にはかすりもしない。
痛痒も無いのか、敵は吹き飛んだ部分の修復もそこそこに再度鞭を振るってきた。
先程よりは少し速いが、左へのステップで軽々と躱す。
軌道はイメージの通りだ。
あとはそのラインに合わせてナイトホークを振り上げるだけ。
「ふっ」
軽い息吹と共に腕を持ち上げる。
さして力は要らない。
向こうの速度と重量で勝手に切断される。
逆袈裟のナイトホークが水の鞭をその刃に捉えて斬り飛ばした。
手応えはもっと軽いものを予想していたのだが、意外にもそれなりの重さがある。
どうやら水を形成する為の力場のようなものがあるらしい。
分離させられた鞭の片割れは勢いのままに宙を舞い、壁に叩きつけられた時には元の水に戻って壁面に血糊のようにぶち撒けられた。
別にわざわざ振り返って確認した訳ではないが音で分かる。
何はともあれ奴の鞭は潰した。
これで攻撃の手は――――
「ダメか」
軽く舌打ちを漏らす。
綺麗に斬られて平面を晒していた断面から同じように先が生えてくる。
それどころか更に3本の鞭から形成されてきた。
しかし様子が今までの2回とは違う。
数の事だけではない。
まるで触手のように蠢くそれは前のように振りかぶる事なくこちらにその先端を向けているのだ。
今度は一体何をする気なのか。
攻撃の気配を感じてゲルトが身構える。
次の瞬間、その触手が伸びた。
ゲルトの衝撃波に劣らぬ速度を以て宙を駆ける。
「!」
咄嗟にファームランパートを展開。
冷や汗を流すゲルトの目の前には掘削音を鳴らして迫る触手がある。
それは防御されてなお諦めていないらしく、テンプレートを突き破ろうと未だに突き込む力を緩めない。
どうやら次は刺突のようだ。
徐々に行動のルーチンが向上してきているように思う。
このまま時間をかければかける程に厄介になっていくだろう。
早く片付けたい所だが……どうする?
後ろの仲間も不安気な表情をしている。
このままだと時間稼ぎ位なら出来るかもしれないが、人を集めたとしてもどうにかなるとは思えない。
策は……ある。
あれを破壊できるかもしれない物が。
だがゲルトが考える奴を葬り去る為の手段は一度しか使えないし、1つ懸念材料があるのだ。
もし下手に試してそれが当たっていた場合、状況は確実に悪化する。
触手と拮抗しながら思考を走らせるも結論は出ない。
そんな彼に救いの手が現れた。
『おいお前等!
目標の詳細が分かったぞ!』
通信でゲンヤがそれを告げる。
やや興奮しているらしくその声は荒い。
恐らくはその報せをゲンヤ自身もずっと待っていたのだろう。
『無限図書の連中がやってくれた。
今専門家に繋ぐからよく聞け!』
そこで通信はひとまず切れた。
別口に繋いでいる最中のノイズだけが聞こえる。
「これでなんとかなるのか!」
「そうだといいんですけどね」
ゲルトの後ろに立つ2人はようやく肩の荷が下りる、といった様子で安堵の吐息を漏らした。
それは少し早計だと思うが、この状況がなんとかなるのならゲルトもそう思いたい。
『代わりました。
無限書庫のユーノ・スクライアです』
数瞬の空白の後、出たのは聞き覚えのある声。
つい数時間前まで話していた少年の声だ。
「ユーノか!」
『その声、ゲルト?』
向こうもゲルトに気付いたらしい。
顔は見えなくても驚きの色は声に出ている。
『なんでここに…………ああ、ごめん。
今はそれどころじゃなかったね。
あのロストロギアについて分かった事を報告するよ』
思わず場違いの空気が流れそうになったが、現在はれっきとした作戦行動中である。
ユーノもその辺りは弁えているのか話を本題に戻した。
『あれは元々敵地に送り込んで相手を撹乱する為に作られたらしいね。
そのせいか戦闘能力よりも防御や回避に重きを置いてる。
思考的にも無理に戦わず、危なくなったら逃げる設定だよ』
つまり奴はまだ俺達に脅威を感じていない訳か。
なら下手に追い詰めるような事はせず、ここぞという時に一息で仕留めなければならない。
こんな所で逃げられたら再び捕捉するのにどれだけの手間を食うかわからないし、時間を与えればその分あいつも賢くなる。
それは何としても避けなければ。
『それでだけど今目の前にいるそれを幾ら攻撃しても意味ないんだ。
このロストロギアには本体の核があって、攻撃したりしてきた部分はあくまでそれを中心に構成されたただの水だよ』
「それらしい物は見た。
横に倒したような卵形の何かが中に在る』
核だというなら、あれ以外にないだろう。
こちらの攻撃に際して逃げた事も、修復は効かない事を示している。
『それだね。
それを破壊しない限りは体、って便宜上言うけど、を幾ら潰しても他から吸い上げて修復されるよ。
膜みたいな力場には取り込んだ水を操作して防御したり攻撃したりする能力もあるみたいだ。
核は力場への接触にも敏感に反応するらしくて、危険を感じたらすぐ逃げるらしい。
力場の支配領域内ならかなりの速度が出るってあるけど』
「ああ。
バインドも魔力弾も掠りもしなかった」
『掠りも?』
厄介だね、と続けたユーノはしばし悩むように口を閉ざした。
僅かにそのままの状態が続く。
が、少しお話が過ぎたらしい。
今までこちらを貫こうと必死だった触手が唐突に勢いを止め、力無く床に垂れると緩やかに引いて行ったのだ。
諦めたのか、と思いきやそうではない。
「こいつ……!」
4本あった触手は2本に集まって左右に広がり始めたのだ。
それは確かにファームランパートを迂回する動き。
ゲルトの背筋に冷たいものが走った。
「伏せろ!」
叫びながら自分も後ろに倒れ込む。
丁度傾いてゆくゲルトの視界が慌てて身を沈める仲間を捉えた時、寸前まで彼の頭があった位置を両側から触手が貫いた。
ゲルトはバク転の要領で体勢を立て直し、即座に振り抜いたナイトホークで伸び切った触手を刈り取る。
ようやく触手は本体の元へと戻って行ったようだが、すぐに次を生やして攻撃してくるだろう。
今度は6本か、8本か。
ファームランパートの弱点が知れた以上、もうさほど時間稼ぎも出来そうにない。
「ユーノ!
あいつの力場の支配領域には限界がある!
そうだな!?」
確認を取るように怒号を上げるゲルトだが、敵が容赦してくれるはずもなく。
予想した通りに8本の触手が左右4本ずつ襲いかかってきた。
その内左の4本はファームランパートで防ぎ、右を迎撃する。
目にも留らぬ連撃で2本を切断。
残りの2本は後ろの2人が魔力弾で撃ち抜いて止めた。
『え?あ、うん』
思案の最中に問いを投げられたからか一瞬困惑するも、ユーノはゲルトの推論に是と答えた。
言う間にも核を収めた総体は徐々にこちらに近付いてくる。
距離を狭めて更に手数を増やす気か。
「それはこのフロアから飛び出す程の距離をとれるか!?」
『いや、そこまではいかない……と思う。
触手が纏まってきたのも範囲を節約するためだろうし。
――――ってゲルト、君もしかして!』
そこでゲルトの考えに気付いたらしい。
ユーノは多分身を乗り出したのだろう。
声の調子も一気に跳ね上がった。
「ああそうだ。
このフロアごと、あいつを消し飛ばす!!」
それ以外に無い。
あいつがどれほど速く逃げられるにしても支配領域を丸々潰されればどうしようもない筈だ。
ただ、ほぼ全域が水に浸ったこの空間で不定形な奴の支配領域を見極めるのは至難。
ならば、全てを討ち滅ぼすのみ。
これ以上人を集めると奴が不利を感じて逃げる可能性もあるのでほぼゲルト1人で行わなければならない。
同行の2人にそれを求めるのは酷というものだ。
だが、ゲルトにならそれが出来る。
『無茶だ!
もしそんな事が出来たとしてもそこは地下なんだよ!?
崩れてきたらどうするのさ!!』
幾つかここを支えているらしい柱が見えるが、それだけ残すような器用な真似は出来ない。
徹底的にやらねば意味が無いのだ。
そうなれば恐らく、いや必ずやこのフロアは崩落するだろう。
落ちてきたガレキで生き埋めか、それとも直撃して即死か。
末路はそんな所だろう。
「部隊長。
ご決断を」
ゲルトはユーノの叫びには取り合わず、ゲンヤの指示を仰いだ。
決定権は全て部隊長である彼にある。
ゲルトには成し遂げる自信があるが、やるもやらぬもゲンヤ次第だ。
『……そっちに向かってる連中を下げさせる。
5分、いや3分だ。
3分保たせろ』
「承知!」
それは事実上ゲルトの案を承認するという事だ。
ゲンヤは幾つかを天秤に掛けてこちらを信じてくれたらしい。
信任を受けたゲルトは迫りくる触手を片端から斬り捨てながら了解を告げた。
普通に考えれば苦境に立たされた筈だろうに、彼の顔に表れるのは誇らしげな物のみである。
**********
「そんな……!
三佐、どうして!?」
『あいつがやるというなら出来るんだろうし、するなら最後までやり遂げるさ。
ウチの息子はそういう奴だ。
だから任せた。
それだけだ』
やはり納得は出来ないのか食いつくユーノにゲンヤは事もなげに言い放った。
それはゲルトの能力に関し全幅の信頼を寄せていると言うに他ならない。
『それにあいつとは約束があるんだ。
男と男のな。
絶対に死にやしねぇよ。
誰も欠かさずに必ず生きて帰ってくる』
それはユーノに言っているのか、自分に言い聞かせているのか。
独白に近いその呟きにユーノも二の句を次げずにいる。
終には折れたのか深々と重い溜息を吐いた。
「なんで僕の周りにはこういう人ばっかりなのかな……」
もう後は皆が無事で帰るのを祈るだけである。
「帰ってきなよ、ゲルト……」
**********
暗闇に光が明滅し、その度に大量の飛沫を散らす音が聞こえる。
ゲルトの両側に立つ2人が彼を庇うように魔力弾を連射。
流石に目も慣れてきたのか命中率も徐々に上がってきているようだ。
次々に現れる触手はその度に撃ち抜かれ、抉れた部分から触手が支えきれずに千切れていく。
とはいえその全てをカバーはし切れないのか、数本が弾幕を逃れて迫る。
「寄るな」
ただそうした物は彼らに牙を剥く事なく、全てゲルトに叩き斬られた。
そうしてまた幾つかの触手が宙を舞い、地に落ちて床を浸す水に溶ける。
繰り返しだ。
キリがない。
「ゲルト!
あとどれだけだ!」
「あと……30秒!」
あと30秒。
それで片を付ける。
それまでは出来るだけゲルトの力を温存し、最後の瞬間に備える。
「合図したら俺の後ろに回って下さい。
頭は上げないように注意して。
あと俺から離れ過ぎないように。
出来るだけ手が届く範囲にいて下さいね」
そこで一区切りを入れる。
でないと、と断りをいれ、
「……死にますよ」
軽く凄む。
ポツリと呟いた一言だが、ラッドらの耳にははっきりと届いた。
「わ、分かってるって」
「あんまり脅かすな」
触手を撃ち落とすラッドらも冷や汗を流した。
これからする事を思えば、それもあながち冗談ではない事を理解しているから尚更だ。
「さて、そろそろだな。
やるぞ、ナイトホーク」
『イエス、マスター』
もう指定された時間まで10秒ほど。
用意を始めるには頃合いだろう。
ふぅ、と一息を吐いて呼吸を整える。
「敵戦力に対応する為、全能力・全魔力を完全展開。
超過駆動開始する」
ゲルトの宣言に応じてナイトホークの石突きがスライド。
たなびくように硝煙が噴出すると共に役目を終えた薬莢が弾け飛ぶ。
カートリッジから瞬間的に放たれた魔力を呼び水とし、無意識下に掛けられていたゲルトのリミッターが解除された。
ドクン、と物理的な干渉さえも得たような魔力の鳴動が周囲の空間を震撼させる。
脈を打つ胸の鼓動がはっきりと聞こえるような感覚。
身に滾るこれこそがゲルトの真の力。
本来己が命をも喰らう過ぎた代物だ。
しかし統制され、洗練された魔力のパスを持つ今は心地よい熱と湧き上がる全能感に酔いしれるだけの余裕がある。
『フルドライブ・スタート』
フルドライブの正常稼働を確認。
視界の隅でラッドらが後ろに下がったのを把握した。
ここからは自分の仕事だ。
ゲルトの視界は更に数を増した16本の触手を捉えている。
全てがバラバラの軌道を取り、前面のあらゆる方向から襲い掛かってきた。
たとえファームランパートを発動しても防ぎ切る事は出来ないだろう。
が、
「粉砕してやる」
ゲルトはそれを見ても口端を釣り上げ、余裕の笑みを浮かべていた。
目前に迫る脅威に慌てる事もなく体の右側でナイトホークを構える。
水面に波紋を立たせながら、左足を前へ。
体の外側に開くようにして構えを広げる。
それが重心を移す上で最も安定した形。
力を伝える上で最適な経路を約束するライン。
「消し飛べ」
振るう。
暗闇を引き裂き、世界を赤橙の光が蹂躙した。
右から左へ。
絨毯爆撃でも行われたかのような暴威が床も水も柱も壁も、全てを叩き伏せた。
例外はない。
それはゲルトの周囲、後方30度ほどの範囲を除いた領域を破壊し尽くす。
打ち捨てられ、忘れられた都市の、その地下。
静謐な死の空間だったそこは轟音と閃光が乱舞する異界と化した。
揺らぐ事無く鎮座していたロストロギアも、その下部の殆どを削ぎ落とされる。
「もう一丁っ!」
だが、まだ終わらせる気は無い。
核はまだ生きている。
それは先の一撃に際し、盛り上がっていた体を伸ばして上に逃れたのだ。
今は体を支えていた下部を失った事で重力に引かれ、落下の姿勢に入ろうとしている。
それより早く、今度は左から右へ。
逆袈裟の動きでナイトホークを振り上げる。
掬い上げるような形で魔力の烈波が迸った。
それは体の大部分を失っていた目標を更に噛み砕く。
たかだか力場に包まれた程度の水だ。
ゲルトの本気に抗える訳もなく、吹き散らすように一瞬で消し飛んだ。
そのまま止まる所を知らぬ赤橙の力は天井を貫き、地上に達する程の大破壊を撒き散らす。
しぶといな。
それでもなお核は逃げ延びた。
なけなしの体を振り分け、核だけはギリギリ殲滅範囲から脱してみせたのだ。
恐嘆に値する執念である。
しかしもう逃げられまい。
既に核を覆う水はそれより1回り大きい程度の体積しか残っていない。
触手に分化できるだけのものも無いのだ。
これで終わりにしよう。
「ああああぁぁぁぁっ!!」
肩に担ぐように構えたナイトホークを全力で振り下ろす。
天を衝く巨大な光芒が、文字通り手も足も出ない目標へと三度その牙を剥いた。
**********
「ナカジマ三佐!
この揺れは一体!?」
一方の地上。
ロストロギアの捜索に出ていた局員達に緊急退避の命令が出されて3分程が経った現在、そこは度々の大きな震動に見舞われていた。
目標と交戦中のゲルトらの直上から数キロ離れた所で陣を張る指揮車群も例に漏れずその影響を受けている。
固定されている機材が倒れるような事は無いにしても、暴れるように大きな音を立てているし、テーブル上のカップなどは軒並みその中身を床に撒いている。
「決まっているでしょう。
ウチの隊員が仕上げに入ったんですよ」
「こ、これがそうだというのか!?」
壁や机に掴まって混乱した声を上げる他の部隊長の面々に向かってゲンヤは肩を竦めて答えた。
確かにゲンヤは前もってプランの説明を行っていたし、多少の揺れがあるとも明言していた。
しかし、誰がこれ程の事態を予想できただろう。
自然災害にも匹敵するこんな地震を引き起こしているのが、若干12歳の少年である、などと。
「ん、終わったか?」
2度目の揺れが収まった辺りでゲンヤ達は外に出た。
見ればゲルトらが居る辺りの大通りは広範囲に渡って罅が入ったり、極端に隆起していたりと今にも陥没しそうな惨状を呈している。
まるで下から巨大な拳か何かで突き上げられたよう。
もしこれが真に市街地で行われていたらと思うとぞっとする。
「!?」
ようやく片付いたのかと思う彼らの意に反し、突然再度の揺れ。
今度は前のものよりさらに強い。
既に崩壊寸前のダメージを受けていた大通りは遂に耐え切れなくなったのか、最も酷い部分を中心に瓦解。
大質量物が落下していく轟音を響かせて崩落を始めた。
それは徐々に広がっていき、最終的に半径数百メートルが完全に崩れ落ちる。
開いた穴から吹き出した大量の粉塵は落下物が底に達した事を告げていた。
「なんと……!」
予想された最悪の展開だ。
落下した構造体の重量は1トンや2トンできくまい。
如何に強力な魔導師だろうと、逃げる場所もない閉鎖空間でそんな物を食らえばどうなるか。
あれでは下に居る者達も……。
そう思う皆の視線が彼らの上司であり、その内の1人に至っては父でさえあるゲンヤへと向かう。
この案を提案してきたのは彼だし、勿論これも覚悟していた筈だ。
当の彼は眉一つ動かす事なく現場を見つめている。
未だ悲哀も慟哭も浮かんではいない。
ただゆっくりと手を上げていき、口元のインカムを掴んだ。
「何やってる。
早く出てこい、馬鹿息子」
錯乱したか。
いや、部下も息子も1度に失ってしまっては無理もない。
そう思い皆が目を伏せた。
その時、
『頑張ってお勤め果たした息子に馬鹿はないんじゃないですか?』
誰もがはっと頭を上げる。
皆が諦めた者の、聞く筈のないと思っていた声だ。
「親に心配かける不孝者なんざ馬鹿で十分だ。
……ギンガに言いつけるぞ」
『いやそれだけは勘弁して下さい。
訓練校から帰った時からあいつそういうの本っ当に煩いんですって!』
気取った登場から一転、ゲルトは本気の声音で許しを乞うた。
陸士訓練校は全寮制だ。
その為3ヶ月の間はナカジマの家を出ていたのだが、出発の時にはスバルに大泣きされた。
まさかのギンガまで涙ぐんでいたのには面食らったものだ。
その際にはクイントでも言わないようなお小言、やれ寝る時には腹を冷やすなだの、歯は毎日磨けだの、を頂戴した訳だが。
なんにせよ家に帰ってからというもの、その度合いは更に増したように思う。
今回の事が知れたら何を言われるか分かったものではない。
「うるせぇ。
そう思うならとっとと出てこい」
『へいへい了解。
それじゃあいきますよ、っとぉ!!』
ゲルトの軽い声と共に“4度目の”地震が大地を揺るがした。
先程開いた穴から光が迸る。
その色は……赤橙。
ガレキを吹き飛ばしたその穴の中心にはゲルトにラッドら3人が無事で立っていた。
流石に全員埃は被ったらしく、やや白くなった格好だが、特に大きな負傷もないらしい。
全力の攻撃で以てフロアを破壊し尽くしたあの後、降ってくる構造体から彼らを守ったのは言うまでもなくゲルトのISだ。
頭上に展開したそれはゲルト達を覆い、押し潰さんとするガレキを悉く受け止めてみせたのである。
そうして破滅的な状況を切り抜け、圧し掛かったそれらを一気に吹き飛ばして今に至る、という訳だ。
『ゲルト無事かい!
無事なんだね!?』
「ああ、無事だよ。
今帰った。
だから耳元でそう大声出すな」
気が気でなかったユーノも通信の向こうから騒ぎ立てている。
どうやら彼にも随分と心配を掛けてしまったようだ。
他にも部隊の仲間や周辺部隊から次々と連絡が来ていたが、いちいち取り合う気力が最早ない。
今はもう、ただただ家に帰ってベッドにありつく事しか考えられなかった。
その後は駆け付けてきた皆によって地上まで引き上げられ、ナイトホークの戦闘記録からロストロギアの核が消し飛んだ事を確認して任務完了と相成った。
公共物破壊の件についても幸い廃棄都市区画だったのでおおっぴらな罰則は無しだそうだ。
総合的に見ればこの事件における死者はおらず、怪我人も無し。
これで何もかもハッピーエンド…………であればよかったのだが。
任務完了の報告の後、慈愛に満ち溢れた笑顔を湛えるゲンヤからプレゼントされた報告書と始末書に忙殺され。
いつもより数時間遅れで何とか帰宅すれば、ギンガに遅れた理由を正座で説明させられるという苦行まで課せられる始末。
細部を話すわけにはいかないのでダウンしそうな頭を必死に捻り、何とかギンガの怒りを鎮める事には成功した……と思う。
はっきりとは覚えていないが多分そうだ。
指まで差してゲラゲラ笑っているゲンヤに殺意まで抱いた事だけは忘れていないが、それは決しておかしな事でもあるまい。
本当に散々な1日だった。
ただ、ギンガも手伝ったというその日の夕食が一際豪華であったという事はここに記しておく。
(あとがき)
何でこの話こんなに長くなったかなぁ……。
予定では単に次の話までの繋ぎで、ついでにユーノ出しとこう位の気持ちだったのに気が付けば歴代最長に。
おまけに掛かった時間も最長。
同じ司書として頑張ってもらいたいね、彼には。
この先出番を用意するのは激しく難しいけど。
ただ次の話の構想は大体出来てるので少しはペースも上げられると思います。
今度もキャラが増える予定。
ではではまた次回。
Neonでした。