オーバー・ザ・レギオス
第六話 小さき破壊者
眼前を埋め尽くす汚染獣の巨大な胴体が轟音と共にうねり、大地ごと薙ぎ払うようにその巨体が迫る。
鋼糸を駆使して汚染獣の動きを阻害し、自身は縦横無尽に岩場や谷間を動き回るレイフォン。都市外で汚染獣と戦う場合は掠るどころか、攻撃の余波すら寄せ付けてはならない。汚染獣が巻き上げる砂礫だけでも汚染物質を遮断する半透明のスーツに孔をあけるのに十分だ。都市外戦用装備に孔が空くことを気にする必要がない俺はともかく、レイフォンはそうもいかない。一撃一撃に細心の注意を払い、汚染獣の周囲を跳び回る姿には感嘆する。だが、その戦い方が正しいとは間違っても言えない。
突進をレイフォンの鋼糸により邪魔された汚染獣の巨体が生き場を失い、不格好にのたうち回る。
汚染獣が暴れる勢いのまま引っ張られ、吊り上げられ、再び宙へと舞い上がったレイフォンは、複合錬金鋼を振り回して体勢を取り直す。
レイフォンの眼下には大地に潜り込んだ頭をもたげさせようとする汚染獣の姿がある。
その姿は、傷だらけだ。
巨体の多くを土砂に埋もれさせ、動きを制限されている。
それを好機と見てレイフォンは複合錬金鋼の巨刀を汚染獣の胴体へと振り下ろした。刃は一瞬の停滞を経て硬い鱗を裂き割り、内部の肉を斬り裂く。
『っ!』
「急いてはことを仕損じる。もっと俺を信じろよ」
鱗を一枚斬る度に火花を散らすその斬線は不器用にしか映らない。まるでそのように斬れば汚染獣の甲殻を紙のように引き裂けるとでも言っているかのような斬り方。あんな斬り方を続けていては、いくら複合錬金鋼でも長くは持たない。現に僅かな斬り傷を付けると刃が砕けるのを避けるために退避する。
一撃離脱戦法は確かに正しい。
外力系衝剄の化錬変化、麒麟。
奔る閃光が開いたばかりの裂け目に侵入し、汚染獣の内部により深い傷を穿つ。
このようにファーストアタック以後は、レイフォンが斬り開いた傷を俺が広げることを繰り返している。こういう相手には遠距離からの大威力の剄弾を撃ち込み、ある程度外殻を破壊、もしくはダメージを蓄積させたところで近接攻撃で止めを刺すのが妥当だ。相手が老性体だと分かっていれば錬金鋼調整の時に弓を登録していた。弓なら汚染獣が大口を開けたところに錬金鋼が壊れるのを覚悟した一撃を撃ち込めば仕留めることができる相手だ。
しかし、ないものねだりをしてもしょうがないので今のようにレイフォンの攻撃後、同じ場所に追加ダメージを撃ち込む戦法を取っている。
「埋もれて暴れているところに斬りかかる奴があるか。最初の一撃で鱗の硬さは量れてるだろ?」
『わかってます! けど、錬金鋼そのものの強度が足りてないんです。鋼糸じゃ斬れないんだから剣で斬るしかないじゃないですか!』
俺の小言に叫びながらレイフォンは煙を上げていたひとつの錬金鋼を複合錬金鋼のスリットから抜き捨てた。
確かに錬金鋼には状態維持能力がある。しかし、人が生み出したものである以上、限界値というものがある。複合錬金鋼は他の錬金鋼よりかなりの高密度を誇っているが、それでも老性体の甲殻をむやみやたらと斬りつけていればその限界も早くやってくる。レイフォンがそこら辺を考えていないとは思わないが、それでも戦い方に妙な癖がある。おそらく、その“癖”が天剣授受者という称号と何か関係があるのだろう。あれだけ強大な剄力を持つレイフォンならば、もっと自身の剄を抑制した状態でも錬金鋼の強度を擦り減らさずに済むようになる。俺も同じような理由で何百、何千という錬金鋼を台無しにしてきた。汚染獣と戦う際に起こるボーナスイベント、最後の瞬間を前にすると剄力が爆発的に増大するという現象も手にしていた錬金鋼を砕けさせることになり、無手で汚染獣に突っ込むような結果となるのが最近の常だった。今回はまだその現象が起きていないから、これが俺にとっての“最後の戦い”ではないことだけは確実だが、他の奴らにとっては最後になるかもしれない戦いなのだ。
再び汚染獣に目を戻す。
あちこちの鱗が剥げ、そこから赤黒い血が零れている。半分ぐらいは乾き、黒っぽい塊がところどころに岩のようにこびり付いている。
残っていた翅もすでに失い、いまや地上を這う巨大な蛇でしかない。身体を覆う鱗は岩のように荒く鋭いため、その大質量と合わせて脅威度は些かも衰えていない。
両目は最初に潰したが、そこから流れている血は徐々に少なくなっている。他の傷も同様に最初に付けた傷から順に血が止まってゆく。
麒麟で傷を広げ、螺旋塵でそれらの傷が回復するのを阻む。これはそれなりに有効で汚染獣の強靭な生命力を確実に減らしている感触がある。
「……やってみるか。おい、レイフォン!」
錬金鋼の限界だけではない。レイフォンは体力や技術以前に精神的な余裕のなさが目立つ。本来ならば強くなるにつれて徐々に練磨されていく精神面での成長があまりにも未熟だ。俺のようなしょぼい男でさえ成長できている部分なのだ。この少年にできないはずがない。始めから強力な武芸者として育ってきたからこその脆さかもしれないが、それを理解できるほど感受性が強い方じゃない。レイフォンにはレイフォンの過去がある。俺と同じように、他の人間と同じように成長できる環境にあったわけでもないだろう。それでもレイフォンは、ニーナや他の学生たちと同じだ。未熟なら鍛えれば良い、自分の中にまったくないのならそれを持っている人間を頼れば良い。だから……
『なんですか? 錬金鋼が壊れたんですか!?』
鋼糸を使って宙を舞うレイフォンが自分の陥っている状況と同じような状況にあると思ったのか切羽詰まった声で叫ぶ。
ずいぶんと見縊られたものだ。
「あのな。俺の鎖はどこに繋がってるか見えてないのか?」
『え? ……まさか!?』
一番最初に撃ち込んだ紅刃はいまだに深々と汚染獣の喉に突き刺さっている。
これまで数えきれないほどその巨体を存分に暴れさせていた。それにも関わらず、俺の鎖は一度として汚染獣を解き放つことはなかった。この技術は本来、人間を相手にする際に必要以上のダメージを与えないために身に付けたモノだが、汚染獣との戦いでは錬金鋼の損耗を極限まで減らすことに役立つ。錬金鋼そのものに流している剄量を増やせば自壊させてしまうことになるが、それだけ有り余っている剄を外界へと作用させれば良い。錬金鋼そのものを衝剄で覆い、外部の負荷から保護し、錬金鋼に流している剄と同調させることで内部の負荷も減らすことができる。簡単にできることでもないが、それほど難しいことじゃない。ほとんどの武芸者にとっては必要のない技術でもあるので、身に付けようとする者がいなかった。だから、レイフォンにそれを求めるのも酷だろう。だから……
「交代だ。俺が前に出る」
『リグザリオさん。あなたは一体……っあ、何を!?』
旋剄の密度を上げ、レイフォンを跳び越える。二丁の銃を待機状態に戻し、複合錬金鋼のスリットに挿し込んだ錬金鋼をシャーニッドから受け取った予備の錬金鋼に挿し替える。
「レストレーション、γ」
再び復元鍵語を唱えると同時に剄を錬金鋼へ通す。先ほどよりも錬金鋼の剄の通りが悪い。それでもまったく関係ない。
『や、槍……ですか?』
「なんで疑問形なんだよ」
そう思われても仕方ないとはいえ、れっきとした槍なんだけどな。
三つのブロックに分かれた3メルトルほどの突撃槍。俺が最も得意とし、錬金鋼の強度を気にせず行える最強の一撃。それを放つための魔槍を掲げる。
その姿を見たレイフォンが驚愕の声を上げる。
『正気ですか!? 真正面から老性体に突っ込むなんて無謀ですよ!』
錬金鋼がもつわけがない、そう言いたいのだろう。
しかし、それを心配するということはやはりレイフォンは普通とは違う錬金鋼を使っていたのだろう。
「無謀じゃねえよ。何のために汚染獣の首に鎖を撃ち込んだままにしていたと思ってる?」
相手は巨大で大質量の怪物。鱗も堅く回復力も尋常ではない。
喉に突き立てている紅刃はすでに再生しかけた肉の中に埋もれている。このままではさすがに紅刃の回収はできないが、そこから先の戦法を取る布石でもある。本来ならばレイフォンに任せるべき仕事だが、錬金鋼を損耗させているレイフォンだと万が一の可能性でリスクが出るかもしれない。俺ならばそのリスクもリスクとならないので安全策として俺が出る方がよい。
汚染獣と繋がる鎖を通して化錬剄を紅刃に伝導させる。
衝剄で覆っているとは言っても鎖を引き千切られないための操作はそれなりの集中しなくてはいけなかったので、最後の詰めに来たことでようやくその疲れる作業ともおさらばできると感じると自然に剄の伝導が冴えわたる。俺は最後のひと踏ん張りを頑張れるタイプなのか?
「後ろは任せるぞ、レイフォン!」
『リグザリオさん!!』
叫ぶレイフォンは置いていく。
剄の密度が上がり、突撃槍がブロックごとに衝剄を噴き出す。噴き出した剄は炎と化して汚染物質に満たされた大気を焼き消していく。
外力系衝剄の化錬変化、迅雷。
俺の右腕から延びる鎖を紅い稲妻が奔り、汚染獣の再生していた喉肉を再び炸裂させる。
喉の奥まで到達した激しい雷撃が汚染獣の怒りと激痛の咆哮を掠れさせる。
「断末魔をあげるのは早いぞ」
暴れる汚染獣の動きに合わせて鎖を操り、更なる攻撃を仕掛ける。
外力系衝剄の化錬変化、滲焔。
炸裂した腐肉に埋もれる紅刃から浸透剄の炎が汚染獣の喉を内部から灼き崩す。
もはや咆哮として認識できない大気の振動となっている汚染獣の叫び。
これだけの巨体を相手にあちこちを攻撃するのは得策ではない。
レイフォンの攻撃に合わせた攻撃もこれを成立させるための牽制、もしくは体力減らしでしかない。
一点集中のダメージ蓄積。それが俺の考える対汚染獣戦術。これが正解であるとはいえないが、俺の頼りない頭脳を精一杯働かせた結果のひとつだ。使えるところでは使っていきたいという欲もある。
喉元の鱗の隙間を抉られ、傷を広げられ、内部を焼かれたそこは十分に“弱点”となった。
レイフォンは最も硬い額を割ろうと考えていたようだが、誰にでもわかる弱点を突くのでは効率が悪い。何しろ誰にでもわかるのだから汚染獣も本能的にそこの守りが堅くなる。脳髄を砕けは確実に汚染獣を殺せるだろう。しかし、そこに労力をかけるくらいなら自分で“弱点”――“弱い箇所”を作ってしまえば良い。
喉元の鱗は額の鱗に比べれば断然柔い。
まあ、俺が攻撃を支援し過ぎたせいでレイフォンも俺が同じ考えでいると誤認してしまったのかもしれないけどな。
「うおあ!?」
戦闘中に余計な思考が混じった。
汚染獣もようやく自分の命が危険であると察したのか最後の力を振り絞って巨体を暴れさせる。
しかし、すでに詰めに入っていた俺の間合いの中だ。鎖も今から千切ろうとしても間に合わない。
ふと思う。ここまでダメージを受けた汚染獣なら放っておいても直に死んでしまうのではないか? そうでなくともツェルニを追いかけるだけの力は残されていないだろう。ならば無駄なリスクを負ってまで殺してしまわないでも良いのではないか?
「馬鹿か、俺は」
今しがたミスしたばかりの思考の堂々巡りからすばやく抜け出す。
その無駄なリスクも“俺”ならばリスクになり得ない程度のモノだ。それ以上に未来の懸念のひとつを刈り取ることが重要だ。
断末魔も上げることができない汚染獣の動きに合わせて宙を跳ねまわる。
外力系衝剄の化錬変化、風澱。
弾力のある化錬剄の足場である風澱。それを今は単なる足場ではなく、設置型の爆弾として作用している。汚染獣が暴れるたびに風澱とぶつかり圧縮された剄が衝剄となって炸裂する。本来は、相手に向けて飛ばす剄技だがこれだけ巨大な相手には行動を制限させることにも利用できる。もとより本命の一撃はすでに用意してあるのだから。
活剄衝剄混合変化、焔神。
突撃槍を灼熱の紅蓮が渦を巻きながら染め上げ、ブロックごとに逆回転の焔を噴き出す。
燃え盛る焔は汚染物質を焼き尽くしながらその勢力を大気中に拡大し、ここに火焔の砲弾が完成する。
目指すは散々痛めつけた汚染獣の喉元。
鎖を回収しつつ縮まっていた距離をさらに縮める。風澱を足場に弱点を確実に射抜ける位置に走る。
聳える汚染獣の鎌首。それを見上げる位置に着いた時、汚染獣の頭上にひとつの影を見つける。
『合わせます!』
フェリの念威端子が伝えるレイフォンの声。
いつの間にか上下での挟撃を仕掛けるということになっている。
俺が汚染獣を打ち上げ、レイフォンが叩き落とす。まさに駄目押しである。
つくづく俺の思考は伝わらない。伝えていないのだから当然だ。それでもレイフォンから自主的に“声”が出たのは良い兆候なのだろう。
俺は焔神を一点集中を僅かに分散させる。
灼熱の砲弾が灼熱の鉄槌に変わってしまったが結果は動かない。
衝突と同時に汚染獣の喉が獰猛な炎獣の牙に食い荒らされ、天へと突き上げられる。
鋭さを失った分、内部の破壊と打ち上げるエネルギーは増大している。
そうして跳ね上げられた汚染獣の頭上に陣取っていたレイフォンが上空で身を捩じらせる。
外力系衝剄の変化、蛇落とし。
竜巻と化した衝剄が汚染獣の額を撃つ。
下からは喉、上からは額。この二点を別方向に激しく衝かれるとどうなるか?
喉元から『Λ』のような感じに折れ曲がり、首の骨格が粉々になり、俺は当初の予定通り、汚染獣の喉を貫き通す結果となった。
長い胴体から千切れた汚染獣の首が重力に従って大地へと落下する様を離れた場所に着地したレイフォンと共に見下ろした。
『終わりましたね』
「だな」
何やら難しい顔をしているレイフォンに素っ気ない声で答える。
この戦いでレイフォンも俺が普通ではないと十二分に理解したのか、それともそれ以外の何かを感じているのか。
今の俺にはどうでも良かった。
レイフォンがこの戦いで何を学んだのか、これからどう成長していくのか。それを楽しみにするほど俺はできた人間ではないし、教えることが上手な人間でもないだからな。とりあえず、早く帰って風呂と飯にしたい。あとカリアンから報奨金もたんまり貰わんとな。
現在の生命体の頂点に君臨しているはずの汚染獣をこれほど惨たらしく破壊する武芸者たち。
捻じれ往く運命を歩む者たちの果てには……。