都市外縁部で続いていた戦いは佳境へと突入していた。
ツェルニの学生たちに絶望を与えていた汚染獣たちは、その硬い甲殻に穴を開けられ、弱点をむき出しにした状態になっている。
毒々しい体液をまき散らしながら蠢く汚染獣たちを相手に学生たちが駆逐していく。
その様子を突き抜けたエアフィルターの向こうから確認し、ツェルニが踏み抜いた大地の割れ目へと飛び込み、雌性体を仕留めるべく翔る。
仄暗い地の底。本来ならば光も届かないような断崖を淡い輝きが照らし出す。
身体を取り巻いている不可思議な輝きを発する微粒子。
普通ならば数分しか生きられない死の世界に飛び出した俺を汚染物質から保護してくれている。
それは暖かく、懐かしく、とても寂しい感覚を齎す。
頼りない揺らぎを見せるその輝きが何なのか……俺は知っていた気がした。
オーバー・ザ・レギオス
第三話 積み重なる焦燥
汚染獣の襲撃から数日。
大勢の観客の視線を受けながら遥か上空に伸びた鎖を引き戻す。
汚染獣との戦いでは、鎖の先端に付けられた鏃が汚染獣を穿ったが、今空を舞っているのは鎖の末端で繋がった楯の方だ。
鏃をナイフのように握り、接敵した相手の攻撃を回避しながら、敵の狙撃手が撃ち出した剄弾を飛ばした楯で防ぐ。
それを三度続けたところで、試合終了のサイレンが鳴り響いた。
『決まったーーー! 前回の十六小隊との試合でまさかの大逆転を演じた期待の新小隊が、ベテラン十四小隊を相手にまたしても勝利を勝ち取りました!』
数十分間の戦闘。
隣で第十四小隊の隊長を足止めしていたニーナは、シャーニッドの狙撃を受け倒れていた十四小隊の隊長に手を貸して助け起こしている。
十四小隊の隊長、シン・カイハーンは、今しがた敗北したばかりだというのに肩を竦めて笑っている。
逆にニーナの方は、恐縮したような雰囲気でシンに礼を言っているようだった。
俺はと言うと馴れない対人戦闘がようやく終わって肩から力を抜いていると十七小隊の狙撃手、シャーニッド・エリプトンが陽気な調子で肩を組んできた。
「いよう、リザ! ナイス、ディフェ~ンス!!」
「アンタの狙撃もな」
「当~然!」
こんなことも自信たっぷりに言えるところは素直に尊敬できるが、妙なあだ名はやめてもらいたい。
見るとそれぞれの配置についていたレイフォン・アルセイフとフェリ・ロスが自陣に引き上げるところだった。
先日の汚染獣戦で結果を出した俺は、約束通り学費の全額免除と支援金(お小遣い)を貰い、正式な学園都市ツェルニの武芸科一年となった。
そんな俺が、試合で勝つ度に報奨金が貰える小隊対抗戦に目をつけるのは当然。
本来の目的と現在の自分の立場、カリアンの思惑も合わさって、十七小隊へと入隊することに相成った。
まあ俺の入隊を歓迎してくれたのは、シャーニッド・エリプトンとハーレイ・サットンだけだったけどな。
十七小隊の隊長であるニーナ・アントークは疑念を、レイフォン・アルセイフは戸惑いを、フェリ・ロスは不審をもって迎えてくれた。
ニーナは、訳あり隊員がまた増えたのだから頭を悩ませることにもなろう。
カリアンの妹は、汚染獣戦前に会った時のことだろう。
レイフォン少年は……まあ、よく分からん。
とにかく、新しい都市生活の始まりはこんな形になっていた。
平凡かつ懐かしい学業を堪能し、放課後になってから小隊員が訓練を行う施設である練武館へと足を運んだ。
間仕切りされた練武館のそれほど広くない通路を進んで十七小隊に割り当てられた場所の扉を開く。
中には、計器類から延びた何本ものコードに接続された青石錬金鋼の剣を持つレイフォンと楽しそうに計器と錬金鋼を見比べるハーレイが居た。
「もう集合の時間過ぎてたっけか?」
「いや、ちょっと確かめたいことがあってさ。リザとレイフォンを待ってたんだよ」
「僕は、ちょうど入口で」
レイフォンが手にした青石錬金鋼は、剄を受けて刀身が淡い光を放っている。
「さっそくだけど、リザの方も計らせてもらっていいかな」
「ああ、いいぞ」
というか、ハーレイも俺をそう呼ぶのか。
肩から提げていたバッグを壁際のベンチに降ろし、腰の剣帯から紅玉錬金鋼を抜き、レイフォンの隣で計器から伸びるコードを接続していく。
「あれ? リザって、錬金鋼の調整とか自分でやってたの?」
「ん? ああ、身近に錬金鋼技師がいなかったからな」
「へぇ~。リザみたいな、ていうかレイフォンもだけど、君らぐらいに強ければ専属の技師が付いていそうなものだけどね」
確かにそうかもしれない。
レイフォンがどうだったのかは知らないが、俺の場合はそう言った人が付くより先に都市が滅ぶことが多かったからな。
専属の技師を付けてもらえるくらい実力がついた頃には、自分で調整することに慣れてしまっていた。
これからは、対人戦闘を考慮した錬金鋼の設定をしていかないといけない。
汚染獣相手なら遠慮することなく攻撃できるが、人間相手では一定以上の攻撃を与えては殺してしまいかねない。
力を抑える戦いが苦手と言うわけではないが、人間を相手に実践で加減するのは難しい。
都市同士の戦争ならば、相手に多少の傷を与えても戦争なのだから気にしなくても良いかもしれないが、学園都市ではそうも言っていられない。
学内対抗戦に限らず、学園都市同士の戦争である武芸大会も相手に必要以上の傷を与えることはできない。
汚染獣との戦いばかりを重要視してきたツケが回ってきたということか。
「二人とも剄の収束が凄いなぁ。これだと白金錬金鋼の方が良かったのかな? あっちの方が剄の伝導率は上だし」
「そうですか?」
楽しそうに計器の数値を見ながら言うハーレイに、レイフォンは気のない返事で言う。
どうにもレイフォンには若人らしい前向きさがない。
前の汚染獣戦の時に自分から汚染獣からツェルニを守ろうとフェリに協力を仰いだらしいが、レイフォンが戦闘に参加する前に俺が趨勢を決めてしまった。
武芸を苦手に思っている節のあるレイフォンが自分から戦おうとしていたのを邪魔したのは旨くなかったか。
機を見てそこら辺のことも聞いてみるかな。
「でも、リザは紅玉錬金鋼のままでも十分だね。リザの化錬剄は、変化効率がすごくいいから錬金鋼の違いもそれほど気にならないんじゃない?」
「全然、気にならんわけじゃないけどな」
もともと俺は武器を選ばず戦ってきた。
様々な状況で汚染獣と戦うことを想定していろんな間合いの武器を試した。
唯一、人間相手用に考えていた鎖と楯の組み合わせに化錬剄を織り交ぜた戦闘法。
鎖で対象を捕らえ、束縛し、楯で攻撃を防ぐ。
一般の学生武芸者相手ならば、これで十分なのだが、小隊員の中にはそれなりに高い素質をもつ武芸者もいる。
見縊ってばかりはいられない。
ツェルニの武芸者たちには強くなってほしいと思っている。
そのためには、試合で圧倒するだけでは意味がない。
彼らより確実に強く、されど遠過ぎない、手の届く強者。
それが小隊対抗戦で俺の担うべき立ち位置だ。
汚染獣相手の時には、そんなことを言っていられないが、試合形式で行われる対抗戦ならばできる。
「お~、なんか面倒そうなことしてんな?」
ハーレイの指示に従い、それぞれの錬金鋼を振り回しているとシャーニッドが欠伸をしながら入口から現れた。
「遅刻してきてそんなこと言うなよ。シャニもハーレイが錬金鋼の調整をしてくれて助かってるんだろ?」
「わぁってるよ。ウチのメカニックの腕前は、ツェルニでもぴか一だからな」
「そんなに煽てても、僕は逆立ちしませんよ」
そう言いながらも、計器を弄りながら照れたように頬を掻くハーレイ。
「謙遜すんなって。というかよ、リザ。……シャニってなんだよ、シャニって。俺はお前のペットか」
他人に妙なあだ名を付けたシャーニッドは、自分のあだ名を付けられてもそれほど悔しそうじゃない。
意趣返しのつもりだったが、どうやら俺の負けらしい。
こういうことに関しての経験値は、シャーニッドに全く敵わないな。
妙なあだ名をつけられてもまったく困った様子の無いシャーニッド。
「ハーレイ、頼んでたやつ出来てるか?」
「はいはい、できてますよ」
俺との会話に一区切りをつけたシャーニッドの問いかけに、ハーレイは傍らに置いていたケースを開け、取り出した二本の錬金鋼をシャーニッドに渡す。
その錬金鋼は俺達のものと違い、柄部分が丸みを帯びて曲っていた。曲がりの内側には鉄環の防護が付いて、その内部には爪のような突起物がある。
「銃ですか?」
自分の錬金鋼の計測を終えたレイフォンは、シャーニッドが手にした物を見て言った。
十七小隊の狙撃手であるシャーニッドが銃を持つのは当然だが、いつもシャーニッドが使っている狙撃銃は軽金錬金鋼なのに対して、ハーレイが手渡した錬金鋼は黒鋼錬金鋼で作られているようだ。
「ま、うちの小隊は他より人数が少ないからな。一人で何役もこなせるに越したことはないだろ?」
言いながらシャーニッドは、ハーレイから受け取った二つの錬金鋼を復元した。
シャーニッドの手に現れたのは、銃身部分が縦に分厚く、上下は鋭角になった銃だった。
銃口の周辺にも突起が施されていて、打撃することを前提として考えているとしか思えない造りをしている。
「注文通りに黒鋼錬金鋼クロムダイトで作りましたけど、剄の伝導率がやっぱり悪いから射程は落ちますよ」
「かまわねぇよ。こいつは狙撃用じゃないからな。周囲十メルの敵に外れなければ十分」
ハーレイの言葉を軽く流し、シャーニッドは銃爪に指をかけ、くるくると回す。
そんな姿を見て、レイフォンが訊ねる。
「銃衝術ですか?」
レイフォンの予想にシャーニッドが口笛を吹く。
「へぇ……さすがはグレンダン。よく知ってるな」
「や、さすがにグレンダンでも知っている人は少ないと思いますが」
「銃衝術って何だい?」
ハーレイが聞いてくる。
「簡単にいえば、銃を使った格闘術のことだな。まさか、学生で銃衝術を使おうと考える奴がいるとは思わなかった。アンタらしいといえばらしいけどな」
「そりゃどうも。ま、物珍しい方が目立てるからな」
そう言って、シャーニッドはにやりと笑う。
口ばかり、という言い方もあるが、シャーニッドの場合、意味は逆になるな。
今しがたの取り回し方は、それなりに銃衝術の知識を修めている者の動きだった。
十回くらい前の時、奇抜なファッションセンスと人格の銃使いと出会ったからよく覚えている。
「……遅れました」
透き通るようなか細い声を部屋に流し、フェリがやってきた。
ガラス細工のような雰囲気を漂わすフェリの姿は、周囲に凍りつくような緊張感を与えるが、馴れればそれが単なる印象でしかないとわかるだろう。
「よっ、フェリちゃん。今日もかわいいねぇ」
「それはどうも……」
わずかにシャーニッドの手にある二丁の拳銃に視線を向けたフェリだったが、すぐに興味を無くして隅にあるベンチに腰をおろした。
「さて、来ていないのはニーナだけか」
遅れてきたフェリの分の錬金鋼を受け取ったハーレイが、それを計器に接続しながら呟いた。
「そういえば、ニーナが最後ってのは珍しいな」
「そういえばそうですね」
シャーニッドの言葉に、レイフォンも首を傾げる。
十七小隊に入って日が浅い俺には、ニーナのいつもの行動は分からないが、確かに訓練の際にはニーナが一番乗りだったような気がする。
「そういえば、授業も休んでたみただけど……風邪でも引いたのかな?」
「ニーナに限って、それはないんじゃないか? あの優等生が風邪くらいで授業はともかく、訓練まで休むか?」
そう言ってわざとらしく欠伸をするシャーニッド。
確かにシャニの言うとおりである。
意欲の無い隊員が多い十七小隊を強引に引っ張ろうとするニーナの存在は、この小隊の色そのものと言っても良い。
他のメンバーが色を出すほど真剣に取り組んでいないというのもあるけどな。
結局、ニーナが現れることはなかった。
練武館からの帰り道。
みんなと早々に別れて都市の外縁部に向かっていた。
緊急時ではない状況では、無闇に活剄を使って建物の屋上を跳び進むことはできない。
面倒ではあったが、当たり前に走って行くしかなった。
「何を焦ってるのか」
数十分走って外縁部にある人気のない広場。
近くに校舎も商店も住居もない場所だ。
そんな場所に急いで駆け付けた理由。
「悩める若者というべきか。武芸馬鹿、ここに極まれりというべきか」
エアフィルターの向こうに広がる星空と都市を見守る淡い月の光。
閑散とした雰囲気の漂う広場にひとつの影があった。
「まったく。こういうタイプは苦手なんだがな」
眼の前に倒れる人影、ニーナ・アントーク。
俺に対して、何やら疑いを持っているらしく、妙に余所余所しいというか、十七小隊の他のメンバーと明らかに違う扱いを受けている。
それはレイフォンも似たようなものなのだが、俺の場合はそれよりも顕著だ。
「さて。単なる青春ならいいけど、変な因縁とかがあったら面倒臭いな」
ニーナを肩に担ぎ、病院へと向かって跳ぶ。
人気のない場所を選んだつもりだったが、翌日の昼に都市警から取り調べを受ける羽目になった。