学園都市ツェルニを襲った幼生体の群。
レイフォンの故郷である槍殻都市グレンダンならこういう時に混乱はほとんどない。
皆、避難勧告に従い整列し、順番を守って冷静に避難シェルターへ歩いて向かう姿に緊迫感はない。
すべてが未熟な学園都市において、それと同じ対応を求めることは不可能。
ツェルニの武芸者が必死に幼生体と戦っている。
戦っている学生たちの年齢は、十代半ばから二十歳前後。
数百人いるツェルニの武芸者が、たった千体ほどの幼生体を相手に苦戦している姿はレイフォンにとっては新鮮にさえ映っていた。
もし、ここがグレンダンなら同年代の武芸者の半分以上は、汚染獣戦を経験しており、問題なく幼生体を駆逐できている。
しかし、ツェルニの武芸者のほとんどが汚染獣戦を経験したことのない者たちだった。
グレンダンは狂った都市であり、年に何度も汚染獣と戦っているために実戦経験を積める機会が多いが、他の都市ではそうもいかない。
故に汚染獣が襲ってきた時の様子を見ていたレイフォンは、ツェルニは滅びるという可能性を考えていた。
自分は誰かのために戦うことはもうない。
そう思いつつも戦場にいない自分に違和感を感じていたレイフォンは、一通の手紙を読むことで再び剣を取った。
そのまま戦わずに居たら遠く離れていても自分を理解し、信じてくれている者を裏切ってしまうように感じたから。
オーバー・ザ・レギオス
幕間01 レイフォン・アルセイフ
ハーレイの下で錬金鋼の安全装置を解除し、錬金鋼の設定を剣の他に鋼糸を入力してもらったレイフォンは、その鋼糸の力を最大限発揮できる場所へと移動していた。
その途中、奇妙な武芸者とすれ違った。
「どけどけぇぇえい!!」
叫びながら突っ込んでくる男は、若干サイズの合っていない一般教養科の制服を着用しているが、中空を凄まじい速度で跳ぶ姿はどう考えても一般生徒ではありえない。
「うわあッ?!」
代表的な内力系活剄のひとつである旋剄を用いて突っ込んでくる男は軌道変更する様子もなく、驚いたレイフォンが道を譲る。
「危ねぇだろ! 気をつけろい!!」
レイフォンと衝突しかけた武芸者は、怒声だけを残して外縁部へと向かって跳んで行った。
武芸者のすべてが武芸科に所属するとは限らないため、武芸者が一般教養科の制服を着ていても問題はない。
しかし、化錬剄によるものと思われる足場を作りながら中空を旋剄を用いて疾走する男は、レイフォンが知るツェルニのどの武芸者よりも強いと感じられた。
小隊員以上の戦闘力を持つ武芸者を生徒会長であるカリアンが放っておくだろうか?
「いや、今はそんなことより、急がないと」
いくら強そうだと感じても男が復元させていた錬金鋼は、楯だった。
空を駆けていたのと同じような化錬剄の使い手だったとしても、数百にも及ぶ幼生体をまとめて相手にできるとは限らない。
レイフォンの知る限り、数で攻めてくる幼生体を単独で殲滅できる剄技を持つのは、自分と同じ天剣授受者だけだった。
それ以外の武芸者は、どんなに強くても数で攻められた時は、チームを組んで対処している。
グレンダンでも汚染獣戦を単独で行うのは、天剣授受者だけである。
そして、ツェルニの武芸者は汚染獣戦に関しては素人同然。
単独で戦況をひっくり返し、汚染獣の都市内侵入を防げるほどの戦闘力を持つ者とは、すなわち天剣授受者に匹敵する武芸者ということになる。
数の有利を力尽くでねじ伏せるだけの戦闘力が、今の学生にあるのか?
ただすれ違っただけではそこまで判断することはできない。
そして、そんな不確定要素を頼みとするほどレイフォンは無智ではなかった。
鋼糸の力を最大限発揮できる場所は、都市全体を見渡せる高所。
学園都市で最も高い建物は、司令部のある生徒会校舎。
そこへ向かって跳んでいたレイフォンは、校舎の入り口に立つ一人の少女に気づいた。
レイフォンと同じ第十七小隊のフェリ・ロスだった。
「先輩、どうしてここに?」
「なんでもありません……」
視線を下げるフェリに、何かあったのだろうと想像できた。
生徒会校舎の前で立つ姿とそんな態度を見れば、レイフォンにもカリアンの顔が容易に浮かんだ。
「もしかして、生徒会長と何かあったんですか?」
「兄は関係ありません」
フェリは会話を振り切るようにその場を立ち去ろうとする。
それを慌ててレイフォンが止める。
「……なんですか?」
掴まれた腕とレイフォンの顔を見比べたフェリは、レイフォンを睨みつけるが、それに怯むようなこともなく、レイフォンは口を開いた。
「先輩にたすけて欲しいんです」
その一言にフェリは愕然とした。
「わたしに何をさせようと言うんですか?」
腕を掴んでいたレイフォンを振りはないながら、わずかな失望と怒りを込めた視線でレイフォンを睨む。
「あなたは、わたしと同じなのに言ってくれないんですか? 念威なんか使わなくてもいいって……」
好きで手にした力ではない。
この力のせいでフェリという人間は、誰からも念威操者という形を押し付けられる。
そこに自分の意思はない。
周りの良い様に利用されるだけな生き方などフェリには許容できないことだった。
「僕だって別に欲しいと思ったわけじゃありませんよ。今までもあったから利用しただけで、僕も自分に宿った力を好きだと思ったことはない。でも、今はそういうこととは別の部分で、僕たちは必要とされているんです」
「(何を期待していたのでしょうか、私は……)」
自分と似ていると、自分の苦悩を理解してくれると思っていたレイフォンの言葉がフェリは哀しかった。
数分前、初対面の人物が自分の意思を認めてくれた。
このような危機的状況にあって自分の才能を知っていると思われる人物が、「使いたくなければ、使わなければ良い」と言ってくれた。
見ず知らずの相手から掛けられた言葉にフェリは動揺していた。本当に自分は念威を使わなくて良いのかと。
そんな自問自答をする自分が滑稽に思えたが、この状況でレイフォンに自由を認めてもらえれば、わずかな不安も消えると思っていた。
「犠牲を出したくないんです。それには確実に、一匹も残さずに殲滅するしかありません。そのためには先輩の探査の能力がどうしても必要なんです。お願いします」
頭を下げたレイフォンを身動ぎもせずに見下ろすフェリ。
「わたしだって、わがままを通せるような状況ではないと理解しています。でも……あなたには、肯定してもらいたかった」
「すみません。けど、僕らがやらなければ誰かが死にます」
頭を下げたまま真剣に言い続けるレイフォンの姿にフェリはわずかな溜息とともに錬金鋼を復元させた。
「ありがとうございます、先輩」
嬉しそうに顔をあげたレイフォンの微笑みから逃れるようにフェリは、見えるはずのない外縁部へと視線を向ける。
「……そうですね。始めからあなたが戦っていれば、わたしが念威を使わなければならない状況になる前に汚染獣を殲滅できたはずでした」
手にした重晶錬金鋼の杖から念威端子の花弁を飛ばすフェリの冷めた声音にレイフォンは、唇を噛み締める。
「……すみません」
安全装置を解除されたばかりの錬金鋼を握る手に力が込められる。
「(八つ当たりなんてですね)」
苦い顔をするレイフォンの反応にフェリは自分でもらしくないことをしてしまったと後悔する。
「(これも妙な期待を持たせた――ッ!?」
「これはっ!?」
突然、フェリの探査子とレイフォンの感覚が戦場となっている外縁部の一区画に膨大な剄が出現したのを捉えた。
「まさか、さっきの……?」
膨大な剄は、十秒ほど外縁部を駆け廻り消えた。
その剄の持ち主は、きっと先ほどの武芸者だろうとレイフォンとフェリは直感した。
そして、すぐにでも現場に駆け付けようと跳ぼうとするレイフォンの肩にフェリが手をかける。
「わたしも近くまで連れて行ってください」
フェリの真剣な眼差しに、レイフォンはわずかな間を開けて頷いた。
「……わかりました。しっかり掴まってください」
移動しながらレイフォンとフェリは念威端子を通して戦場の様子を見た。
先ほどの膨大な剄の発生。
それは戦場の趨勢を左右してもおかしくないほどのものだった。
しかし、探査子から送られてくる情報の中にある幼生体の数は、千を切ったといってもまだ九百余が残存している。
その結果に二人はそれぞれ違った意味での失望を感じた。
「(剄力はあってもそれを操りきれていない?)」
「(わたしが念威を使わなくても良いようにはしてくれなかったんですね)」
残存している幼生体の反応が徐々に消えていくのを見ながら剄を発生させた者を探す。
しかし、戦場にはそれらしき人物の反応はない。
「……っ! 先輩、あれ!」
「!?」
突然、叫ぶレイフォンの言葉で反射的にフェリは念威端子の観測域をレイフォンの視線に合せた。
するとそこには何が楽しいのか、快活な笑顔を張り付け、淡い揺らぎの輝きを纏った男がエアフィルターの向こうへと飛び出すところだった。
「正気じゃ、ない」
レイフォンの呟きは、フェリも肯定するところだった。
荒廃した大地を満たす汚染物質により、人間の命など数分で奪い尽くす死の世界。
そこへ生身で飛び出すなど常人ではあり得ない。その先には、倒すべき汚染獣の母体がいる。
汚染獣と戦うために死の世界へと飛び出す瞬間に笑顔を作れるか?
レイフォンもフェリも、他の武芸者や念威操者から見れば化け物と見られるほどの才能を持つが、恐怖や痛みを知らないわけではない。
そんな二人と同等の実力を有すると思われる男は、絶望に満たされた世界に笑顔で飛び出せる狂人。
果たして、そんな存在が都市を救うために戦うだろうか?
レイフォンの知る戦闘狂サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスは、普段は紳士的な好青年風だが、その本質には狂気を宿している。
そんな彼がグレンダンで天剣授受者の一人として、問題を起こすことなくいるのは、女王アルシェイラ・アルモニスという超越者がいるからだ。
自分をはるかに上回る強者と自分の力を存分に発揮できる汚染獣との戦いがあるからサヴァリスは、おとなしくグレンダンに居続けている。
サヴァリスと同じということもないだろうが、それでも何某かの狂気を宿す武芸者が、天剣授受者クラスの実力を持っている。
その事実にレイフォンは、自分がグレンダンを追放されるときに女王が告げられたことの恐ろしさを実感することになった。
この印象は単なる勘違いかもしれない。
そう思うようにしても錬金鋼を握る手から力を抜くことができないでいた。