第十小隊との学内対抗戦に勝利してから1ケ月。
違法酒の捜査のために第十七小隊に所属していたナルキ・ゲルニが正式なメンバーとなったことを期に以前よりニーナから提案のあった合宿を行うことになった。休日を挟んだ二泊三日の短期合宿。顧問やコーチなんて者がいない以上、日頃の鍛錬を別の場所で行うという程度の違いしかないようにも感じるが、訓練メニューは隊長のニーナがはりきって考えるだろうし、仮想敵としては俺やレイフォンがいれば十分。本当に“短期錬成”を考えればそれこそ武芸科の講義数か月分くらいの濃密な合宿にもできる。
合宿場所は、農業科の扱う農地の一区画。農閑期で作物の植えられていないだだっ広い土地は、合宿らしく暴れても問題ないとのこと。
初日の訓練は驚くほど簡単に済ませられた。移動や準備などで時間を削られていたことも大きいが、二泊三日のすべてを訓練に費やすなどさすがのニーナも鬼ではないらしい。軽い乱取りをして訓練を終わり、夜には調理担当に連れてこられたメイシェン・トリンデンが腕によりをかけて作った料理を堪能し、食後は各々雑談やボードゲームなどをして過ごした。
俺はそんな輪の中からはずれ、窓際に腰掛け空を見上げた。
そこにあったのは“月”。
世界の敵が封じられた檻。荊の守護者が世界を見守る眼。
俺はあそこから“堕ちて”きたという。それが事実だとすると俺は、あの中にいる連中の誰かと同じ存在ということなのか?
現状、俺が知り得る情報では自分自身が何者かなどという哲学的な疑問に答えなど出るはずもない。そもそもそんな結果を知ったとして、俺が望むことに何の変化もない。自分の気持ちに正直に生きる。とても難しいそんな生き方ができる。それを選べるだけの力を俺は得ている。難しく考えるのは、後からでもいいはずだ。
オーバー・ザ・レギオス
第十五話 黄昏の兆し
日があけた早朝。
合宿所の調理場から聞こえる小気味良い音に引き寄せられるように身体が動いた。
「おはよう、メイシェン。レイフォンも手伝いか?」
「わっ……イーダフェルト、さん」
「あ、リグザリオさん。おはようございます」
普段のおどおど具合と違って調理をしているメイシェンは実に軽やかな身のこなしをしている。
俺たち武芸者が武の型を舞うように彼女も自身の型を舞う人のようだ。
レイフォンもレイフォンで手馴れた様子で野菜の皮むきをしている。
「量が多いな。夜の分も仕込んで置くのか?」
「はい。昨日は簡単なモノしか作れませんでしたから」
そう言いながらメイシェンが用意している大鍋が二つ。どんな料理ができるか今から楽しみだ。
夕食の分もあるため用意されている野菜の数もかなりのものだ。その皮むきを慣れた手つきで行っているレイフォンの隣に立つ。
「俺も手伝おう。これでも皮むきは得意なんだ」
「リグザリオさんも料理できるんですか?」
悪意の欠片もない表情で意外だと呟くレイフォン。他の準備をしているメイシェンも同じような印象を持っていたらしい。
「これでも日頃から料理は自分で作ってるんだけどな」
「「えっ!?」」
二人揃って珍獣でも見たような表情になるのは止めてもらいたかった。
他の都市で暮らしている時も大抵は自炊していたし、アルバイトで調理場にいた時もあった。一人身の男としてはそれなりに料理の腕に自信を持っても良いじゃないか。
ボウルに入れられていた掌サイズの芋を手に乗せて軽く転がす。
「ただし、包丁要らずの男料理専門だ」
言いながら手の中で転がしていた芋を皮むきが終わった分のボウルに投げ入れる。
そこに転がったのは、綺麗に皮だけが剥きとられた芋。手の中に残ったのは一枚に繋がった皮。
「皮むきに衝剄を使ってるんですか!?」
「どうだ? なかなかのモンだろ?」
ポカンと俺の手と芋を見比べるメイシェンと俺が何をしたかを理解したレイフォンが驚きと呆れの目を向ける。
「昔、色んな動作に鍛錬を組み入れようとしてた時期があってな。自炊が長かったこともあってこんな手品を覚えたってワケだ」
「手品って……これ、結構難易度高いですよ」
レイフォンも武芸を窮めた者の一人として無意識のうちに手に取った芋に衝剄を放っていた。
結果はズタボロの絞り粕となった澱粉質を含んだ固形物。この衝剄を使った皮むきは、繊細なコントロールよりも慣れが重要だ。食材を粗末にするようなことは自分ひとりの料理を作る時くらいしかできない。レイフォンの手の中にある固形物をメイシェンの料理に投入することはオススメできない。
「こんなことを鍛錬に組み入れるのは俺みたいな暇人だけさ。レイフォンには必要ないし、他の武芸者には無駄な労力になるだけだ」
「そんなことはないと思いますけど?」
「だったらまた食べ物を粗末にするつもりか? メイシェンが折角腕によりをかけて食事を用意してくれるって言うのに?」
「う……ごめん、メイシェン」
「あぅ。き、気にしないでいいよ、レイとん」
ぎこちなくもレイフォンの謝罪に笑顔を返すメイシェン。
そんな二人のやり取りを他所に両手で掴んだ野菜の皮を次々と剥いていく。
和気藹々と食事の準備を整えていく台所を他所に入り口付近では料理ができない二人組みが何やらごにょごにょしたり、後から来たナルキが調理組に参加したり、起きてきたシャーニッドが二人組をからかったり、学生の合宿らしい?朝の風景が流れていた。
朝食もそこそこに訓練が始まる。
二泊三日しかない今回の合宿では二日目の今日が本番といっても良い。真面目なニーナは入念にストレッチを行い体を解した後、集合をかけた。
「今日は試合形式で行う」
ニーナの手には二本のフラッグが握られていた。
試合形式といっても第十七小隊の隊員は、全部で6人しかいない。3対3に分かれたとしても試合形式というには些か以上に人数不足である。
そのためレイフォン1人に対してニーナ、シャーニッド、フェリ、ナルキの4人で行うこととなった。
戦力的にはどう考えてもレイフォンの圧勝であるが、試合形式の訓練を行うのならばこのような形にしないといけない。これが俺とレイフォンを分けて班編成をした3対3の訓練になるとどうしても俺とレイフォンが互いを牽制し合う形になり、結局は残りの4人で2対2という試合形式といえなくなる。しかも、その中には念威操者のフェリもいる。念威操者が武芸者を倒せないなどということはないが、フェリは典型的な念威操者であり、よほどの状況でなければその実力を発揮しようとしないので実質2対1になる。そこまでいったらレイフォンor俺 対 他のメンバーという編成にした方がまだマシになる。
そして余った俺は本来ここに居るはずのない者たちと戦うということになっている。
「今日はよろしくお願いします!」
『お願いします!!』
武芸科の制服を纏った十数名の若々しい声が鼓膜を叩く。
「確かに俺のところに来い、と言ったのは覚えてるが……みんなまとめてか?」
「はい! 先輩も言ったじゃないですか。自分だけの力で強くなるなって」
浅はかな自論を晒した結果がこのような形で戻ってくるとはな。
集まった武芸者たちを代表するように話すのは、レオ・プロセシオ。第十七小隊の訓練に参加したいと言いながら見学や邪魔をしていったお騒がせ者。
汚染獣に一度も襲われたことがない都市出身のため、専門の訓練を受けることができていなかったことを理由に学園都市ではしっかりと武芸者として成長したいという意気込みを持っている。悪くはないが、それであのようなことを続けるのであれば自己満足の域を絶対に出なかっただろう。今では通常のカリキュラムと自主訓練を積み重ね、同じ志を持つ級友たちと集まり日々の努力を欠かしていないらしい。
小隊の見学をしていたときもそうだが、レオに小隊員となるだけの実力はまだない。それはレオと共にこの場に集った者たちすべてに言えることだ。小隊員になれずとも小隊員クラスの実力があると判断されれば、それぞれの小隊が来年度以降の補充要因として訓練などに参加させている。
「ま、俺から言い出したことだしな」
ニーナの了承もあるのでレオたちに訓練をつけることは別に構わない。
しかし、指導力があるとはいえない俺ではこいつらを潰してしまわないか自分を信じられない。
「大丈夫です! 僕たちも日々鍛えてますからビシバシお願いします!!」
そんな俺の不安を吹き飛ばすように元気溌剌なレオが言う。
見ればどいつもこいつも希望と期待に満ちている。ツェルニの武芸科の精鋭である小隊員。その中でも最強と言われ始めているリグザリオという存在に教えを請うことの意味をよく理解しないままに若々しい意気が心地良く俺の神経を撫でる。
「そうかい……後悔しないでくれよ?」
『はい!!』
良い返事だった。
レオは俺の言葉を聞き入れ、一人の人間として正しい成長を遂げようとしている。
それは順当なことであり、ふとしたきっかけから誰しも歩める道だ。ゆえにこそ、道から外れて成長した暴虐の権化たる俺の特性から受ける影響は決して良い結果を生まないだろう。それでもレオたちは純粋な視線を俺に向ける。それはとても心地良く、どこかむず痒い。
「俺は指導者としては下の下だ。それでも俺を利用して強くなりたいと思うなら武器を構えろ。全身に剄を漲らせろ。止めたくなったらいつでも引け。そうなったとしても頭の中だけでも俺を打ち負かせ。それができるようになることが今日の訓練だ。……もちろん、俺の鼻っ柱に一撃ぶち込みたいというならやって見ろ。挑戦するだけなら無料だ」
勝手に言いたいことを言い放った俺にレオたちは一瞬呆気にとられたように目を丸くした。
それから始まったのは猫が鼠を前足の爪で弄り殺すかのようなモノだった。もちろん、レオたちに大きな怪我をさせるような攻撃はしない。錬金鋼も使わないし、拳打も衝剄も内臓を破裂させないように気を付けて放つ。そして、一番気を使ったのが気絶させないようにど突き回すこと。休むことなくいたいけな一年生達に無言の睨みを利かせて襲い掛かり、痛みと恐怖を存分に体感させつつ個人個人の力量と戦闘姿勢を確認し、ど突く合間に指摘を飛ばしながらさらに追い討ちをかける。化錬剄を用いた分身で惑わせ
て同士討ちを誘ったり、連携の中から意図的に一人を弾き出して集中攻撃を行った。他にも基本的な攻撃の捌き、防御をすり抜ける変則的な衝剄の打ち方、剣や槍、拳などそれぞれが使っている錬金鋼の形態に合わせた技を以って叩きまくった。
日が落ちる頃には、レオを含めた全員の現状技能や大体の資質が理解できた。
途中に休憩を挟んだとはいえ何時間も実践的な戦闘訓練を行ったレオたちは、精根尽き果てたという状態になっていた。
「ご苦労さん。新兵の具合はどうだったんだ、軍曹殿?」
「誰が軍曹か」
この世界でそのような階級で呼ばれる人物とはいまだに出遭ったことはない。
まともに動けなくなった新兵……一年生たちをそれぞれの寮に運び、剄脈疲労で倒れる一歩手前になっていた数名を病院に搬送して戻ってきた俺を出迎えたのは、空腹と味覚が満たされた状態のシャーニッドだった。
「お前の分も残してあるから冷めないうちに食っちまえよ。あのメイシェンって娘、マジでいい嫁さんになるぜ」
「だろうな。その前に小隊の専属シェフにしないか?」
「お、そりゃあ名案だ。交渉はお前に任す。あの味をいつでも味わえるなら金でも可愛い後輩でも出せるもんはいくらでも出して良いぜ」
冗談に冗談で応じたシャーニッドは手を振りつつ部屋に戻っていった。
残されていた食事を味わいつつ、合宿所内の人員を探る。戻ってきたときも感じていたが改めて“リリス”の感覚を透して探ると合宿所内にはニーナとシャーニッドしか残っていなかった。他の4人。レイフォン、フェリ、ナルキにメイシェンは合宿所の外、外縁部に近い風除けの樹林の辺りに居るらしい。広間でシャーニッドを相手にボードゲームをしているニーナの様子を観察すると気持ち此処に在らずという状態だった。時折、レイフォンたちの居る方へ視線を向けるようなしぐさも見せている。
「あ~、もしかしてレイフォンの過去話か?」
残っていた食事を数分でたいらげるとニーナたちに訊ねてみた。
「ああ。いずればれることなら、レイフォン自身が話すべきだからな」
それが同じ小隊の仲間になったナルキへの信頼であり、同時に普段からレイフォンと接する数少ない同世代の友人であるメイシェンへの配慮でもあった。
ナルキが同じ小隊になったことでより身近にレイフォンの強さを感じるようになる。武芸者としての実力ならば俺も同じだが、今回の場合はレイフォンに思いを寄せるメイシェンの親友であるナルキが、親友のためにもレイフォンのことをもっと知ろうとするようになるだろうことは明らかだ。レイフォンの抱えるモノは隠せば隠しただけ後々に尾を引く。逆に早い段階で話せば悪い方にはいかないようなものだ。そこまで慣れ親しんでいるわけではないが、ナルキやメイシェンならばレイフォンの過去を聞いても戸惑いこそすれ、拒絶することなどないだろう。それはこの場にいないミィフィ・ロッテンも同じことだろう。
レイフォンの過去話の詳細を聞いたことのない俺は憶測で考えるしかないが、レイフォンは自分の行動に責任を持つつもりがないのだ。たとえ本人に自覚がなくとも自分以外の誰かの願いや指示がなければ行動できないし、“誰々のために”というフィルターを通さなければ何もしたくないという怠惰な生き方をしていると感じてしまう。
それが悪いとも苛立つとも個人的には思わないが、自分自身の意思を持たないことは止めて欲しいと思う。その意思を貫き通す必要などないのだ。ただ自分の意思を持たないまま生きるということは、死にたくないから生きているというのと変わらない。生きていることに幸福も絶望も感じないままの人生など人間の生き方ではないと思う。正直、レイフォンの価値観や生き方に口出しするつもりはないし、まして矯正するなどという傲慢な行動だけは絶対に起こしたくない。それは俺の矜持に反する行動であるからだ。
しかし、いまのレイフォンは複数の人間の人生を左右しかねないほどに重要な位置に立っている。それが恋愛感情に起因するものであるという部分が余計に嫌な未来を想像させる。できることなら代わって欲しいくらいだが、俺にとって羨ましい環境でもレイフォンにとってはなし崩し的に収まった場所だというくらいにしか感じていないのだろう。過去の境遇ではなく、現在の環境がどれほどの幸福に満ちているか分かってもらいたい。レイフォンを追い詰めているのは、強引な方法で武芸科へ入れたカリアンでもレイフォンを追放したグレンダンの人間達でもなく、レイフォン自身だ。誰のせいでもなく、自分自身が自由であろうという欲求を持たなければ目の前に広がる無限の可能性を認識することもできない。それはとても不幸で愚挙で傲慢な無駄だと思った。
ゴ…………
そんな不吉な振動を感じた。
いきなり地面が揺れ、それなりに古ぼけた合宿所の壁が軋みを挙ている。
「これは、都震か!?」
「おいおいまた汚染獣が来たってのか?」
ボードゲームをしていたニーナとシャーニッドが浮き足立つ。
「慌てるな。この揺れは都市が強引な針路変更をした時のモノとは違う。これは……」
殺気立つ二人を落ち着かせつつ、リリスの能力を借りて索敵を開始する。
その結果は程なくして得られた。
「……なんというか間の悪い」
「どうしたリグザリオ?」
鏡片の存在をニーナたちに知らせていない関係上、俺は常人離れした五感と直感を持っていると思われており、最近では小隊対抗戦でも念威操者の真似事を任されるようになってきている。そのことに対して第十七小隊の念威操者であるフェリが機嫌を悪くするくらいの反応を見せてくれた方が良いのだが、「自分の仕事が減って楽」程度にしか思っておらず、あわよくばそのまま小隊を抜けられたら良いとすら思っている節がある。そんなフェリが小隊を抜けると言い出さないのはレイフォンが居るからだろう。
思考がずれたがリリスの感覚から与えられた情報をニーナたちに伝えて問題の発生場所へ急いだ。
揺れの正体は、合宿を行っていた農業科の耕地を支えていたプレートの一部が崩れたことによるもので、運悪くその場所はレイフォンたちが話していた辺りだったため、彼らがプレートの崩落に巻き込まれてしまった。
ナルキは所持していた錬金鋼の取り縄を使って落下を免れたが、対抗戦用に鋼糸を封印されているレイフォンはメイシェンとともに下層へ落ちてしまった。
落下したレイフォンとメイシェンは、フェリが現場の近くに待機していたためすぐに発見された。メイシェンを庇ったことで病院送りになった。怪我は額と右肩、背中の裂傷。さらに背骨の一部が割れ、破片が脊髄に侵入してしまっているらしい。除去手術だけならばそれほど難しいことはない。次の小隊対抗戦には出れないだろうが、武芸大会自体には十分間に合う。俺も似たような手術を受けたことがあるし、再生手術も受けた経験がある。脳と剄脈以外の部位で手術をしていない箇所はないくらいだ。それくらいにはこの世界の医療技術は発達しているし、それは未成熟な学生達が集う学園都市であってもその技術は決して低くないからそれほど心配するようなことではなかった。
それにしても自己修復機能があるレギオスで崩落事故が起こることはかなり稀なことだ。しかも今回は都市部を支える土台そのものが老朽化していたという話だった。詳しい原因は建築科が総出で調査するという。念のため全域の土台調査も行われるらしく、武芸大会を前に建築科は大忙しだ。おそらく学園都市の電子精霊であるツェルニのエネルギーが本来の機能を十分に果たせるほど満たされていないのだろう。セルニウムを補給したといってもそれはたったひとつ残されたセルニウム鉱山の残りを計算し、できうる限り長く補給するため今回限りで腹いっぱいに溜め込んだわけでもないはずだ。後回しにできる部分は後回しにして都市全体の機能を維持することの方が重要だ。もちろん、ただのエネルギー事情だけとも思えないがな。
第十七小隊も重要な戦力であるレイフォンが次の対抗戦に出場できないという状況に陥っている。
ナルキが新規加入したこともあり、人員的には十分なのだが第十七小隊の強力なアタッカーが抜けるのは痛手だ。
第十七小隊の総合戦力という部分では大きく減じることになる。レイフォンが欠けた分、俺が戦闘レベルを上げれば良いだけの話なのだが、そんなことをすれば折角育ってきているニーナたちのためにならない。この際だからニーナたちだけで次の対戦相手である第一小隊を打ち負かしてもらうのも良いかもしれない。小隊としてはツェルニで最強だと言われている第一小隊だが、今の第十七小隊ならば対等以上に戦えるはずだ。もっとも指揮官とアタッカーをニーナが兼任していることもあり、ニーナや後方のシャーニッドやフェリへの攻撃を防ぐディフェンスが重要になる。今のナルキにそれを要求するのは酷だろう。せめてあと1ケ月あればそこら辺の小隊員と対等以上に渡り合える実力を付けさせることもできるが、まだそこまでのレベルには達していない。合宿ではレオたちの指導を優先させてしまったせいもあり、ナルキには基本的なことしか教えられていないし、化錬剄も戦闘補助用の初歩的なものしか指導していない。今の状況で第十七小隊が第一小隊に勝つためにはどうしても俺が前面に出る形になる。いままではディフェンス一本でやってきたから他の小隊の武芸者達から文句は出なかったが、俺まで攻勢にでれば他小隊の隊員たちのやる気を削ぎかねない。
「まあ、まだ時間はある。ニーナたちには頑張ってもらうしかないな」
一週間かそこらでは十分な成果は望めないが第十七小隊の隊員はみんな才能はある。ナルキにしたって昔の俺より数倍は飲み込みが早いし、剄の量も平均より高い方だ。潜在的には武芸長のヴァンゼ率いる第一小隊を越えることができるだけの実力がある。
「あとは……やる気と連携とアドバイスしだい、ってとこか」
次の対抗戦に備えて自分にできること、小隊の仲間達にしてあげられることを考える。
いつか来る“滅びの日”を共に越えるためにもツェルニ全体の武芸者には強くなってもらわないといけない。それでも同じ小隊に所属する仲間を贔屓してしまう。それを悪いことだとは思わないし、俺の武芸者としての力も今までに無いほど高まっている。俺の内に育つ力に限界はないはずだ。それに比して汚染獣の方は種としての限界が存在する。物理的な戦闘力ではなく、存在強度という意味でならどんな存在にも勝ると自負している。幾度も死を越えても生き続けているんだ。絶対に俺は諦めない。俺にとっての幸福は、いまここにある。レイフォンではないが、俺が存在している今の“環境”こそが幸運であり、幸福なモノなのだ。
敗北することで多くのモノを失ってきた。今回も同じ結果になってしまうかもしれないことも理解している。
しかし、失うことを恐れていては前には進めない。
親しくなった者たちを失うのは怖い。これまでも心が死にそうになった時期もあった。それでも俺はいまもこうして迫り来る最期の日を越えるために生きている。過去を振り返ることはやめないし、寄り道をすることもある。それでも止まることはしない。自分が歩みを止めてしまったら周囲の歩みに流されてしまうことになる。それだけは嫌だ。俺は自分で歩くことの素晴らしさを知っている。大衆のためでなく己がために力を振るう。それが結果として全体にとっての“善”であるか“悪”であるかは大衆が決めることであり、俺には関係ない。俺は自分が幸福になることを望む。誰のためでもなくただ自分のために。他人の世話を焼いたり、優しさを押し売りしたりするのも全部自分のためだ。それの結果を誰にどう思われても気にしな……多少は気にするけど、それで自分の行動を左右されたりはしない。
「俺は勝つ。第十七小隊も勝つ。最期も絶対に越えてみせる」
レイフォンの欠けた第十七小隊を最高の状態に持っていけるようにニーナと相談しなければならない。
そう思いながら錬武館へと歩き始めたときだった。
ドクン……ドクン……と脈打つ鼓動のような感覚が訪れた。
物質的な感覚ではない。直感のようなもの、かつては怖気としていた感覚かもしれない。
それは慣れ親しんだ感覚でありながらいつも違った感覚があった。
「……こんな状況で来るってのか?」
ひたひたと這い寄る気配はまだ曖昧で微弱だ。
今日明日ということはないはずだ。しかし、かなり“近い”ことは分かる。
「どうやら小隊戦を優先する状況じゃあなくなったな」
もしこの感覚が“いつものアレ”ならば事前にやるべきことが山ほどある。
リリスにツェルニ周辺を観測させ、カリアンにそれを報告、キリクにも複合錬金鋼をいくつか用意してもらう必要がある。レイフォンが負傷しているのは痛手だが、サリンバン教導傭兵団の存在は幸いだった。戦力としては悪くない。俺が最大戦力で前に出て、後ろはレイフォンやサリンバン教導傭兵団に抑えさせる。悲観するような要素はない。
「……最期の日になんかさせない。今度こそ、繰り返したりはしない」
俺は前に進む。こんなところで終わってやるものか。
「お前の力を借りる時が来たぞ」
胸を包む不快感に自然と剣帯に挿している闇色の錬金鋼を握り締めていた。