オーバー・ザ・レギオス
幕間05 槍殻都市グレンダン
場所は、レイフォンの故郷、槍殻都市グレンダン。その支配者が住まう宮の一室。
本来汚染獣を回避して移動する自律型移動都市としては異常なほど汚染獣との遭遇率が高く、移動半径内に大量の汚染獣が生息している。他の都市からは「狂った都市」と呼ばれることもあるが、その環境のために武芸が発達しており、武芸の本場としても名高い。
その最たる存在が、“天剣授受者”と呼ばれる超絶的な実力を持った武芸者達である。天剣授受者は最大で12人存在し、グレンダンの住人にとっては「グレンダンほど安全な都市はない」と言うのが共通認識となっている。
シノーラ・アレイスラは届けられた手紙をテーブルの上に広げ、頬杖をついて眺めていた。
「いかがなさいます?」
そう問うのはシノーラと振り二つの顔を持つ長身の美女。名をカナリス・エアリフォス・リヴィンという。
槍殻都市グレンダンが誇る十二人の天剣授受者の一人であり、グレンダンの女王不在時に執政権を預けられる影武者でもある。
都市中央に位置する王宮の王家が暮らす区画の一室にてカナリスを侍女のように侍らせるシノーラ。普段は高等研究院の院生として怠惰な日々を送っているが、その正体は強大な武芸者である十二人の天剣授受者たちを従えるグレンダンの女王、アルシェイラ・アルモニウスその人である。
アルシェイラは数分前から沈黙を維持して気だるげな様子で手紙の文面を眺めている。
「ツェルニで発見された廃貴族。グレンダンに招くのが得策だと思いますが?」
重ねるようにカナリスが口を開く。
手紙の送り主はハイア・サリンバン・ライア。先代サリンバンが死亡したために後を継いだ若き三代目だ。
送り元はかつてアルシェイラ自らが都市外退去を命じた天剣授受者が居る都市で、廃貴族が発見されたという文面だった。
さらにそれと重なるように広げられたもう一通の手紙。送り主はハイアではなく、同じサリンバン教導傭兵団に属する人物からのものである。
「廃貴族に支配されることなくその力を従える、もしくは抑えることができる武芸者。傭兵団の手に負えるモノではありません」
カナリスの口調は淡々としているが、声音に僅かな震えが混じっている。
廃貴族の報告と同時に送られてきた手紙の内容は、天剣授受者に驚愕を与えるのに十分な事実が記されていた。いや、それが事実であるかの確認はされていない。されていないが、それが事実であれば、それはグレンダン王家が長年に亘って積み重ねてきた業を揺るがしかねない。
アルシェイラはそれでも沈黙を保っていたが、頬杖をついていた手で自分の髪を指に絡ませながら吐息を混ぜながら唇を開いた。
「……め」
「もしかして、『めんどくさい』とか言うつもりじゃないでしょうね?」
「……だめじゃん。先にそういうこと言っちゃ」
「だめではありません」
唇を尖らせて抗議するアルシェイラをカナリスが冷やかに見下ろす。
「天剣が十二人揃わない以上、手に入れられるものは手に入れておくべきです」
レイフォンがグレンダンを追放されて数か月。
武芸が盛んなグレンダンでは幾度も武芸者の試合が行われており、また汚染獣の襲来に際しても武芸者は駆り出されているが、その中に天剣授受者となれるような実力者は現れていないため、かつてレイフォン・アルセイフが所持していた天剣ヴォルフシュテインが空いている状態が続いていた。
「あの子が天剣持った時には、ああ、ついに来たのかなって思ったけど、もしかしたらそうじゃなかったのかもね」
「天剣が揃ったからといってその時が訪れるとは限りません」
「このハイアってのはどうだろ? レイフォンと同門なら可能性はあるんじゃないかな」
「陛下……問題を先送りしようとしてますね」
文句ばかり垂れるアルシェイラに苛立つことも憤ることもなく、カナリスは我慢強く説得を続けた。
カナリスの話から逃げるように部屋を出たアルシェイラは王宮の廊下を歩いていた。この廊下は王宮の主要部分からは外れた場所のため、警護の武芸者の姿はない。アルシェイラが私用で移動しやすいように、わざと警護の者たちを配置しないようにしている。その用途からも照明は最小限であり、太陽の位置によって窓からの光さえ細々としたものになる。そんな薄闇の廊下の端にひとりの姿があった。
「なにか用かい?」
アルシェイラに声をかけられ、気配の主は窓の前に移動して影から現れた。
びっしりとした筋肉が皮膚を押し上げる両腕をむき出しにした薄地の服を纏い長い銀髪を後ろでまとめた青年だった。
名をサヴァリス・ルッケンス。槍殻都市グレンダンの天剣授受者12人の一振りであり、天剣クォルラフィンを授けられた常勝無敗の武芸者である。
ただ強くあれ、歴々のグレンダン王家からそれだけを求められる存在である天剣授受者、それを最も正しく体現した戦闘の申し子、ルッケンスが生み出した最高傑作。他の天剣授受者と同じく人間性に多少の難はあるが、強くなること、強者と戦うこと、命を削るような激しい戦場をこよなく愛する“正しい天剣授受者”だ。
「陛下においては、ご機嫌もよろしく……」
「やれやれ、今日は忙しい日だよ:
型通りの挨拶をして礼をするサヴァリスにアルシェイラは顔も向けずにため息を吐いた。
「……あまりよろしくはなかったようで」
「まったくね。今日は珍しく頭を使ったんで機嫌が悪いんだ」
「それは大変ですね」
微笑みながら気付かいの色が全く見えない言葉を吐くサヴァリス。それをアルシェイラが睨みつけるがサヴァリスは動じない。
「ご不快の原因は、手紙ですか?」
サヴァリスの言葉にアルシェイラは瞳を引き絞るように細めた。
「ルッケンスの家は、少し調子に乗っているのかな? それとも天剣使い全員が調子に乗ってるのかな? だとしたら、少し引き締めてやらないといけないね」
「とんでもない! 陛下に捧げた僕たちの忠誠に、一片の曇りもありません」
アルシェイラが良からぬ誤解をしていると察したサヴァリスは慌てた様子もなしに改める。
「つい先ほど、ツェルニに留学している弟のゴルネオから手紙が届きましてね。サリンバン教導傭兵団からも報告が上がっているとは思いましたが、私の手紙の方が先についていた可能性もありますので、現在のツェルニの状況を鑑みてもお早めに陛下へお伝えしなくてはと、ここでまっていたんですよ」
同じような内容の手紙を受け取ったというのならば、カナリスほどではなくとももう少し神妙な態度になれないのだろうかと呆れるアルシェイラを余所に軽い調子で述べたサヴァリスの目にはどこか喜々とした色があった。
「……行きたいの?」
「是非に」
予想を裏切らないサヴァリスの満面の笑みにアルシェイラは眉根を寄せた。
「弟が向こうに居る私なら他の者より向こうの情勢を把握するのもたやすく、状況次第で潜伏することも可能でしょう。それに、レイフォンとやりあうようなことにでもなった場合、他の連中だとツェルニが壊れてしまいますよ」
冗談なのか本気なのか分からないようなことを笑いながら言うサヴァリスを冷たく見つめていたアルシェイラは、ふと思いついて聞いてみた。
「……もしかして、レイフォンを殺したい?」
アルシェイラの問いに笑顔を崩さないサヴァリスだったが、表情から温度が下がっていくのが感じられた。
「陛下……僕は“今のレイフォン”には興味を持っていません。ゴルネオの手紙を読んだ現在の僕の興味対象は、陛下に並ぶ力の可能性である廃貴族……それに天剣授受者に匹敵する、いや、天剣授受者だったレイフォンよりも強者であるかもしれない存在。どちらの真偽も僕は確かめてみたいんですよ」
はっきりと言ってのけるサヴァリスに後ろめたさはない。
「天剣授受者はただ強くあればいい。陛下が常々、仰っている言葉です」
「ま、一般常識は欲しいけどね」
「それはもちろん」
「……ま、考えておくよ」
言い捨てるとアルシェイラは歩き出し、サヴァリスが道を開ける。
「楽しみにしています」
サヴァリスの言葉に振り返ることなく、アルシェイラは手をひらひら振ってそれに答えた。
王宮を抜け出すために宮廷用のドレスから市井用の衣服に着替えるための部屋で一人になったアルシェイラはサリンバン教導傭兵団の古参団員であるフェルマウス・フォーアの報告書に書かれていた内容を思い出す。そこに書かれていたのはひとりの武芸者についてだった。
十年ほど前に傭兵団と遭遇したひとりの武芸者。ひとり死地へと赴いたその武芸者が時を越えて変わらぬ姿のまま再び現れた。そのものの武芸者としての力は“天剣授受者を遥かに凌駕する”とも記されていた。これは学園都市ツェルニに滞在しているレイフォン・アルセイフを比較対象にしたものではなく、フェルマウス・フォーアという幾人もの天剣授受者を知る歴戦の兵が下した評価だった。天剣授受者に成り得る武芸者がグレンダンの外で育っていること自体は驚くべきことではない。当代最強の天剣授受者たるリンテンス・ハーデンという男も外から来た武芸者だ。
アルシェイラやカナリスが問題視していたのは天剣授受者を上回る能力値ではなく、“廃貴族に感応している”可能性があるというところだった。それは単純な戦力としてではなく、廃貴族と意思疎通を可能とする存在は、間違いなく常人ではない。多かれ少なかれ、“この世界”の向こう側に深い関わりをもつ存在であることは間違いない。
「“リグザリオ”……お前は、アイレインか、それともサヤなのか? “私”が逢うべきか、“あの子”を逢わせるべきか……」
絶対的な強者であり続けたアルシェイラは、本来、自分がすべて背負うはずだったものを分かち合ったかけがえのない少女のことを思い、槍殻都市に眠る電子精霊の原型たる存在を気遣いながらも来るべき戦を思い描く。
「お前はどちらだと思う? グレンダン……」
アルシェイラの問いに窓の外に現れていた蒼銀色の豊かな毛並みを持つ犬のような存在は、淡い光を明滅させるだけではっきりと応えることはなかった。